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「九戸郡」の版間の差分

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2021年9月6日 (月) 03:30時点における版

岩手県九戸郡の範囲(1.軽米町 2.野田村 3.九戸村 4.洋野町 薄橙:後に他郡に所属した区域)

九戸郡(くのへぐん)は、岩手県陸奥国陸中国)の

人口29,708人、面積763.56km²、人口密度38.9人/km²。(2024年11月1日、推計人口

以下の2町2村を含む。

郡域

九戸郡(第1次)

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町2村のほか、久慈市および岩手郡葛巻町の大部分(田部を除く)にあたる。

九戸郡(第2次)

1897年(明治30年)に行政区画として発足した当時の郡域は、第1次九戸郡全域にあたる。

九戸郡(第1次)

知行 村数 村名
藩領 陸奥八戸藩 47村 軽米村、小軽米村、上館村、円子村、蛇口村、雪谷村、長倉村、狄塚村、山屋村、高家村、晴山村、山内村、江刺家村、長興寺村、小倉村、伊保内村、荒谷村、山根村、戸田村、葛巻村、江刈村、水沢村、帯島村、阿子木村、大野村、中野村、有家村、小子内村、種市村(後の北九戸郡)、霜畑村、小国村、日野沢村、川井村、繋村、荷軽部村、戸呂町村、小久慈村、夏井村、早坂村、閉伊口村、鳥谷村、黒沼村、大崎村、門前村、長久寺村、長内村、大川目村(後の南九戸郡)
陸奥盛岡藩 10村 白前村(後の北九戸郡)、野田村、玉川村、宇部村、端神村、細野村、深田村、木売内村、下戸鎖村、上戸鎖村(後の南九戸郡)
八戸藩・盛岡藩 1村 侍浜村(後の北九戸郡)
  • 明治元年12月7日1869年1月19日
    • 陸奥国が分割され、本郡は陸中国の所属となる。
    • 盛岡藩が戊辰戦争の処分により、領地を没収される。信濃松代藩取締地となり、盛岡県(第1次)を称する[1]
  • 明治2年8月7日(1869年9月12日) - 盛岡県(第1次)の区域をもって江刺県を設置。
  • 明治4年7月14日(1871年8月19日) - 廃藩置県により、藩領が八戸県(第2次)となる。
  • 明治4年11月2日(1871年12月13日) - 第1次府県統合により、全域が盛岡県(第3次)の管轄となる。
  • 明治5年1月8日(1872年2月16日) - 盛岡県(第3次)が岩手県に改称。
  • 明治11年(1878年)侍浜村のうち旧・八戸藩領が南侍浜村、旧・盛岡藩領が北侍浜村に分村。(59村)
  • 明治11年(1878年)11月26日 - 郡区町村編制法の岩手県での施行により、行政区画としての九戸郡が発足。
  • 明治12年(1879年)1月4日 - 分割され、大目川村ほか27村の区域をもって南九戸郡が、軽米村ほか32村の区域をもって北九戸郡がそれぞれ発足。同日九戸郡(第1次)廃止。

九戸郡(第2次)

1.久慈町 2.長内村 3.宇部村 4.野田村 5.山根村 6.山形村 7.大川目村 8.夏井村 11.侍浜村 12.中野村 13.種市村 14.大野村 15.小軽米村 16.軽米村 17.晴山村 18.江刺家村 19.伊保内村 20.戸田村 21.葛巻村 22.江刈村(紫:久慈市 桃:洋野町 赤:軽米町 橙:九戸村 黄:岩手郡葛巻町 青:合併なし)
  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行により、南九戸郡・北九戸郡の区域をもって、九戸郡(第2次)が発足。郡役所が久慈町に設置。(1町19村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正14年(1925年)1月1日 - 軽米村が町制施行して軽米町となる。(2町18村)
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和15年(1940年)12月25日 - 葛巻村が町制施行して葛巻町となる。(3町17村)
  • 昭和17年(1942年)7月1日 - 「九戸地方事務所」が久慈町に設置され、本郡を管轄。
  • 昭和23年(1948年)7月1日 - 葛巻町・江刈村の所属郡が岩手郡に変更。(2町16村)
  • 昭和26年(1951年)4月1日 - 種市村が町制施行して種市町となる。(3町15村)
  • 昭和27年(1952年6月1日 - 長内村が町制施行して長内町となる。(4町14村)
  • 昭和29年(1954年11月3日 - 久慈町・長内町・宇部村・大川目村・侍浜村・夏井村・山根村が合併して久慈市が発足し、郡より離脱。(2町9村)
  • 昭和30年(1955年
    • 1月1日 - 軽米町・小軽米村・晴山村が合併し、改めて軽米町が発足。(2町7村)
    • 2月11日 - 種市町・中野村が合併し、改めて種市町が発足。(2町6村)
    • 4月1日 - 伊保内村・江刺家村・戸田村が合併して九戸村が発足。(2町4村)
  • 平成18年(2006年
    • 1月1日 - 種市町・大野村が合併して洋野町が発足。(2町3村)
    • 3月6日 - 山形村が久慈市と合併し、改めて久慈市が発足、郡より離脱。(2町2村)

変遷表

自治体の変遷
旧郡 明治29年3月29日 明治29年 - 昭和20年 昭和21年 - 昭和28年 昭和29年 - 昭和63年 平成元年 - 現在 現在
北九戸郡 葛巻村 昭和15年12月25日
町制施行 葛巻町
昭和23年7月1日
岩手郡
葛巻町
昭和30年7月15日
岩手郡
葛巻町
岩手郡
葛巻町
岩手郡
葛巻町
江刈村 江刈村 昭和23年7月1日
岩手郡
江刈村
軽米村 大正14年1月1日
町制施行 軽米町
軽米町 昭和30年1月1日
軽米町
軽米町 軽米町
小軽米村 小軽米村 小軽米村
晴山村 晴山村 晴山村
種市村 種市村 昭和26年4月1日
町制施行 種市町
昭和30年2月11日
種市町
平成18年1月1日
洋野町
洋野町
中野村 中野村 中野村
大野村 大野村 大野村 大野村
伊保内村 伊保内村 伊保内村 昭和30年4月1日
九戸村
九戸村 九戸村
江刺家村 江刺家村 江刺家村
戸田村 戸田村 戸田村
侍浜村 侍浜村 侍浜村 昭和29年11月3日
久慈市
平成18年3月6日
久慈市
久慈市
南九戸郡 久慈町 久慈町 久慈町
長内村 長内村 昭和27年6月1日
町制施行 長内町
宇部村 宇部村 宇部村
大川目村 大川目村 大川目村
夏井村 夏井村 夏井村
山根村 山根村 山根村
山形村 山形村 山形村 山形村
野田村 野田村 野田村 野田村 野田村 野田村

行政

九戸郡長(第1次)
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治11年(1878年)11月26日 明治12年(1879年)1月3日 分割により九戸郡廃止
九戸郡長(第2次)
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治30年(1897年)4月1日
大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

  1. ^ 明治元年12月23日(1869年2月4日)の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」(法令全書通番明治元年太政官布告第1129)に従って設置された県だが、明治政府が権知県事を任命したわけではなく、そのため明治政府の公文書には全く記録が残っておらず、正式な県とは認められていない。

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 3 岩手県、角川書店、1985年2月7日。ISBN 4040010302 
  • 旧高旧領取調帳データベース
先代
糠部郡
行政区の変遷
1634年 - 1879年 (第1次)
次代
南九戸郡北九戸郡
先代
南九戸郡・北九戸郡
行政区の変遷
1897年 - (第2次)
次代
(現存)