「瑞泉寺 (鎌倉市)」の版間の差分
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2021年5月13日 (木) 21:15時点における版
瑞泉寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 神奈川県鎌倉市二階堂710 |
位置 | 北緯35度19分37.40秒 東経139度34分31.34秒 / 北緯35.3270556度 東経139.5753722度座標: 北緯35度19分37.40秒 東経139度34分31.34秒 / 北緯35.3270556度 東経139.5753722度 |
山号 | 錦屏山[1](きんびょうざん) |
宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
本尊 | 釈迦如来[1] |
創建年 | 1327年(嘉暦2年) |
開山 | 夢窓[1] |
開基 | 二階堂道蘊 |
札所等 |
鎌倉観音霊場第六番 鎌倉地蔵尊霊場第七番 東国花の寺百ヶ寺 鎌倉4番 |
文化財 | 本文参照 |
公式サイト | 瑞泉寺 |
法人番号 | 9021005001915 |
瑞泉寺(ずいせんじ)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある臨済宗円覚寺派の寺院。山号は錦屏山(きんぺいさん)。本尊は釈迦如来で、開基は二階堂道蘊である。鎌倉随一の花の寺、紅葉の名所としても知られている。鎌倉三十三観音第6番。鎌倉二十四地蔵第7番。
境内
鎌倉宮の脇をさらに山に向かって登るとある静かな寺である。寺のある一帯は紅葉ヶ谷(もみじがやつ)と呼ばれる谷戸(やと)に位置している。境内は季節ごとに様々な花で彩られ、梅、つつじ、牡丹、マンサクなど、一年中花の絶えることがない。特にスイセンが有名な「花の寺」として知られている。本堂裏の庭園は夢窓疎石による岩盤を削って作られた禅宗様庭園で、書院庭園の起源となった。荒廃していたのを後に発掘復元した。また、背後の山頂には徧界一覧亭と呼ばれる景勝地があったが、現在は入ることができない。
瑞泉寺の総門脇より入る山道は、瑞泉寺の裏山を通って、建長寺、今泉方面へ出ることのできる天園ハイキングコースの一部となっている。瑞泉寺の裏山では、得宗最後の北条高時の首塚伝説を残す「首やぐら」と呼ばれるやぐら群がある。
歴史
鎌倉幕府の重臣であった二階堂道蘊が嘉暦2年(1327年)、夢窓疎石を開山として創建した寺で、当初は瑞泉院と号した。足利尊氏の四男で、初代鎌倉公方の足利基氏は夢窓疎石に帰依して当寺を中興し、寺号を瑞泉寺と改めた。以後、鎌倉公方足利家の菩提寺となっている。
康暦年間に準十刹第三位に列せられ、至徳4年(1387年)には関東十刹に列せられた。[2]
瑞泉寺は、夢窓派の拠点として重きをなしたが、公方家4代足利持氏による永享の乱で衰亡した。
瑞泉寺は、文学や学問とゆかりの深い寺でもある。夢窓疎石が庭園の後の山に建てたへん界一覧亭は、鎌倉五山の僧による五山文学の拠点として栄え、近世には徳川光圀が自身の鎌倉旅行を『新編鎌倉志』として編纂をさせたという。境内には、久米正雄の墓、高浜虚子、久保田万太郎、吉野秀雄、大宅壮一、山崎方代、吉田松陰などの碑がある。現在の住職は歌人の大下一真である。
夢窓疎石と瑞泉寺
夢窓国師が建立された寺、庵は、いずれも景勝の地が選ばれており、瑞泉寺も風光明媚な環境の中に創建されている。
夢窓国師は円覚寺開山仏光国師の孫弟子で、円覚寺、南禅寺、浄智寺など五山の住職に就いている。また、後醍醐天皇はじめ南北両朝の帝から七つもの國師の号を賜ったことから、「七朝の帝師」と称えられていた。
足利尊氏は夢窓国師を敬って「仁山」の法号を与え、弟直義も「古山」という法号を与えている。こうした縁により、後に瑞泉寺は鎌倉公方足利家の菩提所になる。
夢窓国師にはまた、すぐれた作庭家という一面も持っていた。夢窓国師の作庭した美濃の虎渓山永保寺や甲斐の恵林寺、京の天龍寺、苔寺の名で知られる西芳寺の庭園は、瑞泉寺の庭園ともども、国の特別名勝・名勝に指定されている。
伽藍
境内は、「瑞泉寺境内」として、1971年(昭和46年)11月8日、国の史跡に指定された。庭園および錦屏山上の一覧亭にいたる登坂路は旧態を良好に保存している。
伽藍を構成する建造物としては、総門、山門、仏殿、書院、客殿、地蔵堂、開山堂などがあるが、いずれも、ほとんど大正以降の再建である。
文化財
- 木造夢窓国師坐像(重要文化財) - 南北朝期の作品。
- 千手観音像(鎌倉市指定有形文化財)
- どこも苦地蔵 - もと扇ガ谷の地蔵堂にあった地蔵菩薩像。昔、堂守が貧しさゆえに逃げ出そうとしたところに、この地蔵が堂守の夢枕に立ち、「どこも苦、どこも苦(苦しいのはどこも同じ)」と言ったという伝承がある。
- 瑞泉寺庭園(名勝) - 夢窓疎石の作庭による方丈書院の庭園。長らく埋もれていたものを、古図面と発掘調査の結果に基づいて昭和45年(1970年)にほぼ創建当初の地割にしたがい復元したもの。凝灰岩の岩盤を掘り込んだ、大胆な造形が見どころとされている。お鎌倉にのこる鎌倉時代の唯一の庭園として貴重である。
交通
脚注
- ^ a b c 新編鎌倉志 1915, pp. 28–29.
- ^ 竹貫元勝「鎌倉の禅寺散歩」慶友社、2001年、ISBN 4-87449-230-4