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「ノーブルズビル (インディアナ州)」の版間の差分

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|成立区分 = 創設
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|成立日 = 1823年<ref name="funcityfinder">[https://noblesville-indiana.funcityfinder.com/noblesville-history/ Noblesville History: A Shared Pioneer Heritage]. ''FUNCITYFINDER.com''. 2021年8月19日閲覧.</ref>
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|総面積(平方キロ) = 49.4
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|総人口 = 28,590
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}}


'''ノーブルズビル'''('''Noblesville''')は、[[アメリカ合衆国]][[インディアナ州]]中央部に位置する都市。同州[[ハミルトン郡 (インディアナ州)|ハミルトン郡]]の[[郡庁所在地]]であると共に、州都[[インディアナポリス]]の北北東約35kmに位置し、同市の郊外都市ともなっている。南西に隣接する[[カーメル (インディアナ州)|カーメル]]、および南に隣接する[[フィッシャーズ (インディアナ州)|フィッシャーズ]]と同様に、[[1970年代]]以降急成長を遂げており、[[2010年]]国勢調査時での人口は51,969人<ref name="FactFinder">[http://factfinder2.census.gov/main.html American FactFinder]. U.S. Census Bureau. 2011年2月4日.</ref>。[[2019年]]7月1日時点での推計では64,668人とさらに増加し、郡内およびインディアナポリス都市圏内のいずれにおいてもカーメル、フィッシャーズに次いで第3位、インディアナ州全体でも第12位となっている<ref name="PopEst_IN_2019">[https://www2.census.gov/programs-surveys/popest/tables/2010-2019/cities/totals/SUB-IP-EST2019-ANNRES-18.xlsx Annual Estimates of the Resident Population for Incorporated Places in Indiana: April 1, 2010 to July 1, 2019]. U.S. Census Bureau. 2021年4月20日.</ref>。
'''ノーブルズビル'''(City of Noblesville、ノーブルズビル市)は、[[アメリカ合衆国]][[インディアナ州]]にある市で、[[ハミルトン郡 (インディアナ州)|ハミルトン郡]]の郡庁所在地でもある。

== 歴史 ==
[[File:Historic American Buildings Survey Eli Lilly Company Photographic Department - About 1937-1938 Gift courtesy of Edward D. James, FAIA, Preservation Officer EAST (REAR) ELEVATION HABS IND,29-NOBL.V,4-3.tif|left|thumb|250px|ウィリアム・コナーがノーブルズビルで住んでいた家。[[1937年|1937]]-[[1938年|38年]]頃に[[イーライリリー・アンド・カンパニー|イーライリリー]]社の写真部門が撮影。]]

[[1816年]]にインディアナが[[インディアナ州の歴史#州昇格|州に昇格]]し、その翌々年、[[1818年]]にセントメアリーズ条約によって[[レナペ]]族がオハイオ・インディアナ両州を追われた<ref name="funcityfinder" /><ref name="FishersCityHistory">[https://www.fishers.in.us/424/History History]. City of Fishers. 2021年8月6日閲覧.</ref><ref name="Downtown_History">[https://downtownnoblesville.com/history.html History]. ''DowntownNoblesville.com''. 2021年8月21日閲覧.</ref><ref name="Heighway">Heighway, David [https://www.hepl.lib.in.us/the-mystery-of-noblesvilles-first-settler-pete-smith/ The Mystery of Noblesville's First Settler: Pete Smith]. Hamilton East Public Library. 2021年8月21日閲覧.</ref>。この条約が締結された際、レナペ族の酋長ウィリアム・アンダーソン(後に[[アンダーソン (インディアナ州)|アンダーソン]]の市名の由来となった)の通訳を務めたのは、[[1802年]]に現在の[[フィッシャーズ (インディアナ州)|フィッシャーズ]]市北西部に入植し、締結時にはアンダーソンの娘と結婚していた、ウィリアム・コナーであった。その後、[[1823年]]にインディアナ州議会はハミルトン郡を創設した<ref name="funcityfinder" /><ref name="FishersCityHistory" /><ref name="Downtown_History" />。同じく1823年、コナーおよびジョサイア・ポークの2人は、ノーブルズビルの町を区画した。翌[[1824年]]には、ハミルトン郡の郡庁がノーブルズビルに置かれた。コナーがこの頃にノーブルズビルで住んでいた家は、フィッシャーズの野外歴史博物館、コナー・プレーリーに移築され、現在も保存されている<ref name="Downtown_History" />。その後、ノーブルズビルは[[1851年]]に町として正式に法人化された<ref name="funcityfinder" /><ref name="Downtown_History" />。ノーブルズビルという名は、インディアナの州昇格の際に尽力し、初めてインディアナ州から選出された[[アメリカ合衆国議会|連邦議会]][[アメリカ合衆国上院|上院]]議員を務めた、ジェームズ・ノーブルにちなんでつけられた<ref>[https://www.youarecurrent.com/2016/06/28/noblesvilles-namesake-and-state-founder-james-noble-honored-with-wreath-laying/ Noblesville's namesake and state founder James Noble honored with wreath laying]. ''Current''. Current Publishing. 2016年6月28日. 2021年8月21日閲覧.</ref>。

なお、創設前夜の[[1820年]]頃、この地にはピート・スミスという[[アフリカ系アメリカ人|黒人]]も移入していた。スミスはまだこの地に留まっていたレナペ族と一緒に住む一方、コナーの下で働き、他の入植者をまとめていた。スミスは「[[ケンタッキー州]]から逃亡した[[奴隷]]」とされ、連れ「戻さ」れそうになったこともあったが、コナーが介入し、その場で解放した<ref name="Heighway" />。

[[File:Noblesville-indiana-county-seat.jpg|left|thumb|250px|ハミルトン郡庁舎。[[1978年]]に[[アメリカ合衆国国家歴史登録財|国家歴史登録財]]に指定されている<ref name="NRHP_HamiltonCountyIN">[https://www.nationalregisterofhistoricplaces.com/IN/Hamilton/state.html INDIANA - Hamilton County]. ''National Register of Historic Places''. 2021年8月23日閲覧.</ref>。]]

ノーブルズビルの町制施行と同じ1851年、[[ペルー (インディアナ州)|ペルー]]とインディアナポリスを結ぶ鉄道(後にニューヨーク・シカゴ・アンド・セントルイス鉄道、通称「[[ニッケル・プレート鉄道]]」の一部)がノーブルズビルに開通すると、町の経済基盤が強化され、人口も増えた<ref name="Campbell_p122">Campbell, p.122.</ref>。[[1875年]]には、ノーブルズビルへの2本目の鉄道となる、アンダーソン・レバノン・アンド・セントルイス鉄道(後のセントラル・インディアナ・アンド・ウェスタン鉄道)の建設が始まり<ref name="Campbell_p122" /><ref>Dyson, Forkner. ''Historical Sketches and Reminiscences of Madison County Indiana''. pp.85-86. 1897年. Cited in [https://indianahistory.org/wp-content/uploads/anderson-lebanon-and-st-louis-railroad-records.pdf Anderson, Lebanon and St. Louis Railroad Records, 1878-1886]. p.2. Indiana Historical Society. 2004年11月23日. 2021年8月22日閲覧.</ref><ref>[https://historyinyourownbackyard.com/video/the-abandoned-cicero-creek-railroad-bridge-noblesville-indiana/ The Abandoned Cicero Creek Railroad Bridge, Noblesville, Indiana]. ''History in Your Own Backyard''. 2021年8月22日閲覧.</ref>、[[1877年]]にノーブルズビルまで開通、アンダーソンとノーブルズビルを結ぶ列車が走り始めた<ref>Wonning, Paul R. ''Short History of Railroads- Indiana Edition''. p.103. Independently published. 2020年5月6日. ISBN 979-8643827269.</ref>。

[[1887年]]には、ノーブルズビルは市制を施行した。翌[[1888年]]には、インディアナ州中央部・東部における[[天然ガス]]ブームの最中、ノーブルズビルでも天然ガスが見つかった。また、これと前後して、ノーブルズビルの中心部には業務・商業地区が確立され、ビクトリア様式の建物や家屋が建ち並んだ。現在でも市中心部のシンボルであるハミルトン郡庁舎や、現在はハミルトン郡歴史博物館に転用されている郡保安官邸・刑務所も、この頃に建てられた<ref name="funcityfinder" /><ref name="Downtown_History" />。この刑務所には、[[チャールズ・マンソン]]や、[[クー・クラックス・クラン]]のインディアナ支部長「グランド・ドラゴン」を務めていた[[デイビッド・カーティス・スティーブンソン]]も収容されていたことがあった<ref name="Downtown_History" />。

[[File:Noblesville Milling Company Mill.jpg|left|thumb|250px|ノーブルズビル製粉会社の製粉所。[[2001年]]に国家歴史登録財に指定されている<ref name="NRHP_HamiltonCountyIN" />。]]
[[File:1916-diadem-flour-ad.jpg|right|thumb|216px|1916年にノーブルズビル製粉会社が出した「ダイアデム」の広告]]

新しい産業も興った。[[1891年]]に創業し、州最大の製粉会社の1つとなっていたノーブルズビル製粉会社(Noblesville Milling Company)は、市中心部に製粉所を持ち、「ダイアデム」(Diadem)や「キズメット」(Kismet)といったブランドの小麦粉の生産で知られ、ノーブルズビルを「製粉の街」たらしめていた。[[1916年]]、インディアナ製粉協会(Indiana Millers Association)が「小麦粉週間」(Flour Week)を宣言すると、同年[[感謝祭]]の週末、11月25日、ノーブルズビルのある[[コラムニスト]]は、当時主要な黒人紙の1つであったインディアナポリス・レポーター紙に、次の文を寄稿した<ref>Heighway, David. [https://www.hepl.lib.in.us/flour-week-thanksgiving-in-noblesville-a-century-ago/ Flour Week - Thanksgiving in Noblesville a Century Ago]. Hamilton East Public Library. 2021年8月26日閲覧.</ref>。

<blockquote>
''Thanksgiving day promises to be a high day in Noblesville. Many out of town people and relatives of people here will be present which will add to the joy of all.''
</blockquote>

<blockquote>
(訳)感謝祭の日のノーブルズビルはお祭り騒ぎになることは間違い無い。市外の人たちも市民の親戚たちも、みんなもっと楽しくなる。
</blockquote>

その他、ノーブルズビルに本社もしくは拠点を置いた主な企業としては、ユニオン衛生工業会社(Union Sanitary Manufacturing Company)、アメリカン[[黄ボール]]会社(American Strawboard Company)、[[ファイアストン]]産業用製品会社(Firestone Industrial Products Company)等が挙げられる。ファイアストンは[[1937年]]にノーブルズビルに工場を置き、[[2009年]]にこの工場が閉鎖するまで、[[空気ばね]]を製造していた<ref>[https://www.manufacturing.net/operations/news/13064453/firestone-industrial-products-closing-indiana-plant Firestone Industrial Products Closing Indiana Plant]. ''Manufacturing.net''. Industrial Media. 2008年9月17日. 2021年8月26日閲覧.</ref><ref>[https://www.trailer-bodybuilders.com/equipment-parts/aftermarket-parts/article/21727555/firestone-to-close-noblesville-airspring-plant Firestone To Close Noblesville Air-Spring Plant]. ''Trailer Body Builders''. Endeavor Business Media. 2008年9月17日. 2021年8月26日閲覧.</ref>。

しかし、その一方で[[公害]]も起きた。アメリカン黄ボール会社は[[1890年]]、ノーブルズビル市南西部に、当時世界最大級の工場を置き、翌1891年4月には毎時1[[トン|t]]の生産を誇った。しかしその前月、1891年3月には、水質に関する疑義が出始めていた。[[1893年]]には、同社の排水溜池から、インディアナポリスの水道水源となっているホワイト川に、酸性の廃棄水が垂れ流しにされているとして、インディアナポリス水道会社がが同社に対して訴訟を起こした。この時は同社が排水溜池の改良工事完了まで操業を停止することで和解したが、[[1896年]]5月30日、この排水溜池とホワイト川の間の堤防が決壊すると、莫大な量の有毒廃棄物が川に流れ込み、ノーブルズビルからブルードリップル(現インディアナポリス市ブロードリップル地区)までの河岸には、大量の魚の死体が上がった。同社はすぐに堤防を復旧したが、時既に遅く、翌6月に2度目の訴訟を起こされ、原告勝訴に終わった<ref>Heighway, David. [https://www.hepl.lib.in.us/the-1896-noblesville-fish-kill/ The 1896 Noblesville Fish Kill]. Hamilton East Public Library. 2021年8月26日閲覧.</ref>。

[[File:Potters Bridge.jpg|left|thumb|250px|市北部の市境を流れるホワイト川に架かるポッターズ・[[屋根付橋|カバード・ブリッジ]]。[[1991年]]に国家歴史登録財に指定されており<ref name="NRHP_HamiltonCountyIN" />、その南詰周辺は公園として整備されている<ref>[https://www.hamiltoncounty.in.gov/facilities/facility/details/potters-bridge-park-7 Potter's Bridge Park], [https://www.hamiltoncounty.in.gov/408/Potters-Bridge-Park-History Potter's Bridge Park History]. Hamilton County, Indiana. 2021年8月23日閲覧.</ref>。]]

[[1913年]]3月に起きた大洪水では、[[ニューイングランド]]から[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]・[[アメリカ合衆国南部|南部]]に至るまで広範囲に被害が及んだが、とりわけインディアナ・[[オハイオ州|オハイオ]]両州が甚大な被害を受け、ノーブルズビルも例外では無かった。3月25日には、ホワイト川の水位は[[2021年]]現在でも観測史上最高となる23.8[[フィート]](7.17m)を記録した<ref>Heighway, David. [https://www.hepl.lib.in.us/historic-floods/ Historic Floods in Hamilton County]. Hamilton East Public Library. 2021年8月26日閲覧.</ref>。

[[1919年]]には、インディアナポリスからの[[インターアーバン]]がハミルトン郡庁舎東側の路上で脱線し、隣を走っていた自動車の上に横転する事故を起こした。この事故では8歳の男の子が死亡し、また20人以上の重軽傷者を出した<ref name="Campbell_p126">Campbell, p.126.</ref><ref>Massey, Nancy A. and Carol Ann Schweikert. ''Noblesville''. p.101. Arcadia Publishing. 2013年. ISBN 978-1531654931.</ref>。

[[File:D. C. Stephenson Grand Dragon of the Klu Klux Klan in Indiana, c 1922.jpg|right|thumb|180px|デイビッド・カーティス・スティーブンソン([[1922年]])]]

[[1920年代]]前半、インディアナ州では反カトリックを前面に押し出したクー・クラックス・クランの「[[クー・クラックス・クラン#第2のKKK|第2のクラン]]」が勢力を急速に伸ばし<ref>Fischer, Jordan. [https://www.wrtv.com/longform/the-ku-klux-klan-ran-indiana-once-could-it-happen-again The History of Hate in Indiana: How the Ku Klux Klan took over Indiana's halls of power]. WRTV. 2016年12月8日. 2021年8月26日閲覧.</ref>、その最盛期には250,000人もの構成員を抱えた<ref name="Tuohy_2020-07-15">Tuohy, John. [https://www.indystar.com/story/news/local/hamilton-county/2020/07/15/kkk-membership-records-hamilton-county-indiana-1920-s-open-public/3280141001/ 1920s KKK membership records from HamCo open to public at the Indiana Historical Society]. ''The Indianapolis Star''. 2020年7月15日. 2021年8月26日閲覧.</ref><ref name="GoldenEra">[https://www.historymuseumsb.org/the-golden-era-of-indiana/ The Golden Era of Indiana]. South Bend, Indiana: The History Museum. 2021年8月26日閲覧.</ref>が、ノーブルズビルもまた、その「第2のクラン」が活発に活動していた街の1つであった。ノーブルズビルとその周辺には、約2,500人の構成員が住んでいたと推定されている<ref name="Tuohy_2020-07-15" />。やがて[[1925年]]、[[マッジ・オーベルホルツァー]][[拉致]]・[[強姦]]・[[殺人|殺害]]でスティーブンソンが逮捕され、第2級殺人で有罪判決が下されると、「第2のクラン」も次第に瓦解していったが、その裁判が行われたのもノーブルズビルであった<ref name="GoldenEra" />。この頃、[[1923年|1923]]-[[1926年|26年]]にかけてクー・クラックス・クランの構成員であった、約1,160人の会員証および受領証は、[[1995年]]にインディアナ歴史協会が発見し、ハミルトン郡歴史協会に渡された。ハミルトン郡歴史協会は、研究者および当時の構成員の子孫に限定して、この史料の閲覧を許可している<ref name="Tuohy_2020-07-15" /><ref>Safianow, Allen. "'You Can't Burn History': Getting Right with the Klan in Noblesville, Indiana". pp.109-154. ''Indiana Magazine of History''. Vol.100. Issue 2. 2004年6月.</ref>。

ノーブルズビルは[[1965年]]にも、全米的に注目された事件の舞台となった。地元紙ノーブルズビル・デイリー・レッジャー(''Noblesville Daily Ledger'')の編集者であったジェームズ・T・ニールは、同紙1面にハミルトン郡裁判官エド・ニューの、交通違反者を重罪人として扱うべきとする方針を批判するコラムを執筆したところ、法廷[[侮辱罪]]で逮捕された。ニールは[[アメリカ合衆国憲法修正第1条]]を盾に法廷で戦った<ref name="HallOfFame">[https://ijhf.org/james-t-neal James T. Neal - 1990]. ''Indiana Journalism Hall of Fame''. The Media School, Indiana University. 2021年8月26日閲覧.</ref>。この法廷闘争は、やがてインディアナ州最高裁へと持ち込まれた<ref>Foland, John A., ''Remembrances''. p.155. Rowland Printing. 1976年.</ref>。その後[[1990年]]、ニールはインディアナ州ジャーナリズム殿堂に入った<ref name="HallOfFame" />。

[[1970年代]]に入ると、ノーブルズビルは近隣のカーメルやフィッシャーズと同様、インディアナポリス北郊の住宅都市として急成長を遂げていくようになった。1970年国勢調査時点では7,548人であった人口は、[[1980年]]には12,056人、[[1990年]]には17,655人、[[2000年]]には28,590人、そして[[2010年]]には51,969人<ref name="FactFinder" />を数えた。10年ごとの国勢調査の結果において、インディアナ州法が定める「第2級都市」への移行要件<ref name="SBOA_Cities">[https://www.in.gov/sboa/political-subdivisions/cities/ Cities]. Board of Accounts, State of Indiana. 2021年8月8日閲覧.<br />インディアナ州では州法の定めにより、10年ごとの国勢調査時点での人口規模に基づいて「第1級都市」(人口600,000人以上)、「第2級都市」(人口35,000-599,999人)、「第3級都市」(人口34,999人以下)の3つに分類する。</ref>である、人口35,000人を突破したことを受け、[[2013年]]11月には市議会が移行の条例を5-2で可決、[[2016年]]1月1日に「第2級都市」に移行した<ref>Davis, Andrea Muirragui. [https://www.ibj.com/north-of-96th-lindsey-erdody/44820-noblesville-to-join-fishers-in-ranks-of-second-class-cities Noblesville to join Fishers in ranks of second-class cities]. ''Indinapolis Business Journal''. 2013年11月27日. 2021年8月26日閲覧.</ref><ref>Erdody, Lindsey. [https://www.ibj.com/articles/56496-carmel-city-council-votes-to-change-city-to-second-class-status Carmel City Council votes to change city to second-class status]. ''Indinapolis Business Journal'' 2016年1月5日. 2021年8月26日閲覧.</ref>。


== 地理 ==
== 地理 ==
ノーブルズビルは{{ウィキ座標度分秒|40|3|0|N|86|1|17|W|}}に位置している。市は[[インディアナ州]]中央部、[[ハミルトン郡 (インディアナ州)|ハミルトン郡]]中東部にあり、州都[[インディアナポリス]]のダウンタウンからは北北東へ約35kmである。南西には[[カーメル (インディアナ州)|カーメル]]、南には[[フィッシャーズ (インディアナ州)|フィッシャーズ]]、また西には[[ウェストフィールド (インディアナ州)|ウェストフィールド]]の各市が、それぞれ隣接している。また、市の最北端では、モース湖の東岸で[[シセロ (インディアナ州)|シセロ]]町の町域と接している。
[[インディアナ州]]の中心部、北緯40度3分0秒、西経86度1分17秒 (39.972917, -86.107877){{GR|1}}に位置する。


[[アメリカ合衆国統計局]]によると、ノーブルズビルは総面積49.4 [[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]] (19.1 [[平方マイル|mi<sup>2</sup>]]) のうち46.4 km<sup>2</sup> (17.9 mi<sup>2</sup>) が陸地で3 km<sup>2</sup> (1.1 mi<sup>2</sup>) が水域である。総面積の0.61%が水域となっている。
[[アメリカ合衆国国勢調査局]]によると、ノーブルズビルは総面積92.61km<sup>2</sup>(35.76mi<sup>2</sup>ある。そのうち88.92km<sup>2</sup>(34.33mi<sup>2</sup>が陸地で3.69km<sup>2</sup>(1.42mi<sup>2</sup>が水域である。総面積の5.93%が水域となっている。市の標高は235mである。


ノーブルズビルを含むインディアナポリス都市圏の気候は、[[ケッペンの気候区分]]では計算上は[[温暖湿潤気候]] (Cfa) となるものの、[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]に広く分布する[[亜寒帯湿潤気候|冷帯湿潤気候]] (Dfa) に近く、蒸し暑い夏とやや寒さの厳しい冬に特徴付けられる[[内陸性気候|内陸型]]である。''気候についての詳細は、[[インディアナポリス#気候]]も参照のこと。''
== 人口統計 ==
2000年の[[アメリカ合衆国統計局]]の人口調査によると、28,590人、及び10,576世帯が市に住んでいる。 人口密度は1平方マイル(616.0/km²)あたり1,595.8人だった。市民の人種的な構造は96.34%は[[白人]]、1.14%は[[アフリカ系アメリカ人]]、0.20%人は[[ネイティブアメリカン]]、0.80%人は[[アジア系民族]]、0.05%人は太平洋の島民、その他は1.46%の割合を占めた。


== 郊外の都市 ==
=== 都市概観と建築物 ===
ノーブルズビルは[[1970年代]]にインディアナポリスの郊外都市として高成長を遂げていくようになる以前から、郡庁が置かれ、産業の面でも郡の中心都市として発展してきたこともあり、人口が増えてからインディアナポリス都市圏の「副都心」的な、小規模な[[中心業務地区]]を造ったカーメルやフィッシャーズとは異なり、明確な中心部を有しており、その街路も整然と区画されている。市中心部を南北に通る通りには、ホワイト川から離れるほど大きくなる数字がついており、東西に通るメインの通りであるコナー・ストリート(州道32号線・38号線共用)を境に南(S)と北(N)に分かれている。一方、市中心部を東西に通る通りには数字はついていない。
*[[シェリダン (インディアナ州)|シェリダン]]

*[[シセロ (インディアナ州)|シセロ]]
また、ノーブルズビルの中心部には歴史的建築物も多い。市中心部のシンボルであるハミルトン郡庁舎は、および現在ではハミルトン郡歴史博物館となっている、旧郡保安官邸・刑務所はいずれも、8thストリート(西)、9thストリート(東)、ローガン・ストリート(北)、コナー・ストリート(南)に囲まれた1ブロックの敷地に建っている。これらはいずれも、[[マンサード屋根]]を有した、[[第二帝政期建築]]様式の例と言える。このハミルトン郡庁舎とその敷地のほか、単独で国家歴史登録財に指定されている物件としては、コール=エバンズ邸、ウィリアム・ヒューストン・クレイグ邸、ダニエル・クレイクラフト邸、サミュエル・ハレル博士邸、ホリデイ水力発電所・ダム、ノーブルズビル製粉会社製粉所、ポッターズ・カバード・ブリッジ、アール・S・ストーン判事邸、およびロバート・L・ウィルソン邸が挙げられる。また、歴史地区としては、キャサリン・ストリート歴史地区、コナー・ストリート歴史地区、ノーブルズビル商業歴史地区、およびサウス9thストリート歴史地区が指定されている<ref name="NRHP_HamiltonCountyIN" />。
*[[カーメル (インディアナ州)|カーメル]]

*[[ウェストフィールド (インディアナ州)|ウェストフィールド]]
<gallery>
*[[フィッシャーズ (インディアナ州)|フィッシャーズ]]
File:Cole-Evans House.jpg|コール=エバンズ邸
File:William Houston Craig House.jpg|ウィリアム・ヒューストン・クレイグ邸
File:Daniel Craycraft House.jpg|ダニエル・クレイクラフト邸
File:Dr. Samuel Harrell House.jpg|サミュエル・ハレル博士邸
File:Judge Earl S. Stone House.jpg|アール・S・ストーン判事邸
File:Robert L. Wilson House.jpg|ロバート・L・ウィルソン邸
File:Catherine Street Historic District.jpg|キャサリン・ストリート歴史地区
File:Conner Street Historic District.jpg|コナー・ストリート歴史地区
File:Adler Building in Noblesville.jpg|サウス9thストリート歴史地区
</gallery>

一方、周縁部には、カーメルやフィッシャーズ、ウェストフィールドの各市市域の大部分がそうであるように、郊外型の住宅地が広がっており、その街路も入り組んでいる。

== 政治 ==
ノーブルズビルは[[市長制]]を採っている。市長は市の行政機関の長であり、市政府の日常業務全般に責任を負う。また、市長は市土木技術官、法人相談役、市消防局長、市警察局長、市会計官、その他の市の役員・職員・理事・委員を任命し、その人事に責任を負う。市長は選挙で全市から選出される。また、市書記官も市長と同様に、選挙で全市から選出される<ref name="Ordinance_Title3">"Title III: Administration". ''Code of Ordinances''. City of Noblesville. 2021年6月15日.</ref>。

市の立法機関である市議会は、[[2016年]]1月1日に「第2級都市」に移行して以降、9人の議員から成っている。9人の市議員のうち、6人は市を6つに分けた[[小選挙区制|小選挙区]]から1人ずつ選出され、残り3人が全市から選出される<ref name="Ordinance_Title3" /><ref>[https://www.cityofnoblesville.org/council/ Common Council]. City of Noblesville. 2021年8月26日閲覧.</ref>。

== 交通 ==
ノーブルズビルを含むインディアナポリス都市圏の玄関口となる商業空港は、インディアナポリスのダウンタウンの南西約14km<ref>[https://www.gcr1.com/5010ReportRouter/default.aspx?airportID=IND Indianapolis Int'l]. ''Airport Master Record''. Federal Aviation Administration. 2021年7月15日. 2021年8月7日閲覧.</ref>、ノーブルズビルからは南西に約45km離れた[[インディアナポリス国際空港]]([[IATA空港コード|IATA]]: '''IND''')である。同空港には主要航空会社が各社[[ハブ空港]]からの便を就航させている。

[[州間高速道路]][[州間高速道路69号線|I-69]]は市南東部、フィッシャーズとの市境を東西に通っており、146thストリートから東へ続くキャンパス・パークウェイにその出入口が設けられている。また、市中心部の東を通る州道37号線は、[[フィッシャーズ (インディアナ州)|フィッシャーズ]]の「副都心」的な[[中心業務地区]]であるニッケル・プレート地区の北でI-69と合流/分岐しており、同地区やインディアナポリスのダウンタウン方面へはこちらが短絡路となる。I-69はインディアナポリスから北東へ、[[フォートウェイン]]や[[ミシガン州]]の州都[[ランシング (ミシガン州)|ランシング]]を経由して、[[カナダ]]との[[カナダ=アメリカ合衆国国境|国境]]の[[ポートヒューロン (ミシガン州)|ポートヒューロン]]へと至る高速道路である。インディアナポリスから[[エバンズビル (インディアナ州)|エバンズビル]]方面へ、さらに[[オハイオ川]]を渡って[[ケンタッキー州]]以南へも建設が進められている。I-69の暫定的な起点/終点となっているI-465は、南北の幹線の1つである[[州間高速道路65号線|I-65]]の支線で、インディアナポリスの環状道路になっており、I-65本線や[[州間高速道路70号線|I-70]]、[[州間高速道路74号線|I-74]]にもつながっている。I-65は[[シカゴ]]方面(北行)や[[ルイビル (ケンタッキー州)|ルイビル]]方面(南行)へ、I-70は[[コロンバス (オハイオ州)|オハイオ州コロンバス]]方面(東行)や[[セントルイス]]方面(西行)へ、I-74は[[シンシナティ]](東行)や[[ダベンポート (アイオワ州)|ダベンポート]](西行)へとそれぞれ通じている。

また、市中心部を東西に通る州道32号線(コナー・ストリート)は、東へは[[アンダーソン (インディアナ州)|アンダーソン]]の市中心部へと至り、西へは[[ウェストフィールド (インディアナ州)|ウェストフィールド]]を経由して、[[ブーン郡 (インディアナ州)|ブーン郡]]の郡庁所在地[[レバノン (インディアナ州)|レバノン]]でI-65本線に接続している。

ノーブルズビル市内には[[路線バス]]等の公共交通機関は[[2021年]]現在通っていないが、[[2016年]]に策定された中央インディアナ交通整備計画(Central Indiana Transit Plan)では、インディアナポリスのダウンタウンからフィッシャーズを経由してノーブルズビルへと至る、グリーン・ラインという[[ライトレール]]の敷設が盛り込まれている<ref>[https://d16db69sqbolil.cloudfront.net/mpo-website/downloads/Regional/Regional-Transit/Central-Indiana-Transit-Plan_2016-06-16.pdf The Central Indiana Transit Plan]. pp.26, 44. Indianapolis Metropolitan Planning Organization. 2016年6月16日. 2021年8月8日閲覧.</ref>。

== 教育 ==
[[File:St. Theodore Guerin High School.jpg|right|thumb|250px|聖セオドア・ゲリン高校]]

ノーブルズビルにおける[[K-12]]課程はノーブルズビル学区の管轄下にある公立学校によって支えられている。同学区は小学校(就学前教育・幼稚園・1-5年生)7校、中学校(6-8年生)2校、高校(9-12年生)1校(ノーブルズビル高校)を有し<ref>[https://www.noblesvilleschools.org/domain/223 Offices and Schools]. Noblesville Schools. 2021年8月21日閲覧.</ref>、約10,000人の児童・生徒を抱えている<ref>[https://www.usnews.com/education/k12/indiana/districts/noblesville-schools-101190 Noblesville Schools]. ''U.S. News & World Report''. 2021年8月21日閲覧.</ref>。また、市の一部地域の児童・生徒は、フィッシャーズの公立学区であるハミルトン南東学区の管轄下にある学校に通う。

[[カトリック教会]]のインディアナ州ラファイエット司教区は、区内に2校あるうちの1校、聖セオドア・ゲリン高校をノーブルズビルに置いている(もう1校は[[ラファイエット (インディアナ州)|ラファイエット]]に置かれている)<ref>[https://education.dol-in.org/high-schools High Schools]. Diocese of Lafayette-in-Indiana. 2021年8月21日閲覧.</ref>。就学前教育および小中一貫校としては、同教区は恵みの聖母カトリック学校をノーブルズビルに置いている<ref>[https://education.dol-in.org/preschools-in-marion-westfield/ Preschools by Cities: Marion to Westfield], [https://education.dol-in.org/lafayette-westfield/ Elementary Schools by City: Lafayette to Westfield]. Diocese of Lafayette-in-Indiana. 2021年8月21日閲覧.</ref>。

ノーブルズビルには[[1856年]]から図書館が設けられていた<ref name="IUPUI_HEPL">[https://ulib.iupui.edu/digitalcollections/partner/hamilton_east_public_library Hamilton East Public Library]. University Library, Indiana University-Purdue University Indianapolis. 2021年8月21日閲覧.</ref>。[[1913年]]には、ノーブルズビルに[[カーネギー図書館]]が開館した。しかし、このカーネギー図書館は手狭になったため、[[1986年]]に新しい図書館としてハミルトン東部公立図書館が開館した<ref name="IUPUI_HEPL" /><ref name="Hoosier">[http://www.hoosierindiana.com/207.html Additional Photos for the Carnegie Library Building in Noblesville, Indiana]. ''HOOSIERINDIANA.com''. 2021年8月21日閲覧.</ref>。もとのカーネギー図書館はその後、ノーブルズビル市庁舎に転用され、現在に至っている<ref name="Hoosier" />。なお、ハミルトン東部公立図書館はノーブルズビルのほか、フィッシャーズにも図書館を有している<ref name="IUPUI_HEPL" /><ref>[https://www.hepl.lib.in.us/contact-us/ Contace Us]. Hamilton East Public Library. 2021年8月21日閲覧.</ref>。

== 文化と名所 ==
{{Double image aside|left|NoblesvilleIN HistoryMuseum.jpg|200|2007 03 Old Noblesville jail-once home to Charles Manson.jpg|200|ハミルトン郡歴史博物館。右はチャールズ・マンソンが収監されていた居房。}}

ハミルトン郡庁舎の敷地南西隅(コナー・ストリートと8thストリートの北東角)にはハミルトン郡歴史博物館が建っている。この建物は[[1876年]]に郡保安官邸兼刑務所として建てられたもので、[[1977年]]までその用途に使われた後、ハミルトン郡歴史協会(Hamilton County Historical Society)の本部が入居し、歴史博物館に転用されたものである。同館では関連する事物を展示しているほか、旧保安官邸のビクトリア様式の部屋が復元され、調査・研究用の図書館が設けられ、また、かつてチャールズ・マンソンやデイビッド・カーティス・スティーブンソンを収監した[[居房]]も展示物として保存されている<ref>[https://www.visithamiltoncounty.com/listing/hamilton-county-museum-of-history-and-old-sheriffs-residence-and-jail/1268/ Hamilton County Museum of History and Old Sheriff's Residence and Jail]. ''Visit Hamilton County, Indiana''. Hamilton County Tourism. 2021年8月30日閲覧.</ref>。

ハミルトン郡庁舎から南西へ約350m、5thストリートとチェリー・ストリートの北西角にはハミルトン郡芸術家協会(Hamilton County Artists' Association)の本部、およびそのバーディー・ギャラリーが立地している。同協会は[[1950年]]に、ノーブルズビルゆかりの芸術家9人が設立したもので、この本部と[[ギャラリー (美術)|ギャラリー]]は[[2006年]]に、ノーブルズビル市議会の承認により、旧ファースト・バプテスト教会堂を転用したものである<ref>[https://www.hcaa-in.org/our-history Our History]. Hamilton County Artists' Association. 2021年8月30日閲覧.</ref>。同協会は会員の作品をギャラリーで展示するほか、広く一般に向けて芸術教室も開いている<ref>[https://www.hcaa-in.org/classes Classes & Workshops]. Hamilton County Artists' Association. 2021年8月30日閲覧.</ref>。

市南東部、フィッシャーズとの市境近くにはルオフ音楽センターが立地する。228[[エーカー]](92.3[[ヘクタール|ha]])の敷地に建てられているこの野外劇場では、[[1989年]]に開場して以来、[[フランク・シナトラ]]、[[コールドプレイ]]、[[ジャーニー (バンド)|ジャーニー]]、[[ルーク・ブライアン]]、[[キングス・オブ・レオン]]、[[メタリカ]]をはじめ、様々なジャンルのアーティストによるコンサートが行われてきた<ref>[https://www.ruoff.com/musiccenter Home]. Ruoff Music Center. 2021年8月30日閲覧.</ref>。また、この野外劇場は、フィッシャーズが同市の姉妹都市[[ビレリキー]]([[イギリス]]・[[エセックス]])との交流の一環として行っている、インディアナ・[[ルネサンス・フェア]]([[エリザベス1世]]の黄金時代をテーマとした祭)の会場にもなっている<ref>Yates, Julie. [https://townepost.com/indiana/geist/indiana-renaissance-faire-returns-october-5-6-at-ruoff-home-mortgage-music-center/ Indiana Renaissance Faire Returns October 5-6 at Ruoff Home Mortgage Music Center]. Towne Post Network. 2019年10月2日. 2021年8月30日閲覧.</ref><ref>[https://www.visitindy.com/indianapolis-fishers-renaissance-faire Indiana Renaissance Faire]. ''Visit Indy''. 2021年8月30日閲覧.</ref>。

市北西端に広がる、ホワイト川の支流であるシセロ・クリークを堰き止めて造った[[人造湖]]、モース湖の湖尻付近の湖畔には、人工の[[砂浜|ビーチ]]も備えた、23エーカー(9.3ha)のモース・パーク・アンド・ビーチが立地している<ref>[https://www.hamiltoncounty.in.gov/facilities/facility/details/Morse-Park-Beach-6 Morse Park & Beach]. Hamilton County, Indiana. 2021年8月30日閲覧.</ref>。また、市中心部近くのホワイト側西岸には、ホワイト川カヌー会社の本部が置かれている。同社はその上流18マイル(29km)のパーキンズビルから、下流10マイル(16km)の116thストリート沿い、カーメル/フィッシャーズ市境にあるワピハニ・ランディングまでのホワイト川流路上で、同社の[[カヌー]]、[[カヤック]]、および[[インフレータブルボート]](ゴムボート)のサービスを提供している<ref>[https://www.whiterivercanoe.com/ Home]. White River Canoe Company. 2021年8月30日閲覧.</ref>。

== 人口推移 ==
{{Wikisource|インディアナ州ノーブルズビル市の人口統計データ}}

以下にノーブルズビル市における[[1850年]]から[[2019年]]までの人口推移をグラフおよび表で示す<ref>Gibson, Campbell. [http://www.census.gov/population/www/documentation/twps0027.html Population of the 100 Largest Cities and Other Urban Places in the United States: 1790 to 1990]. US Census Bureau. 2005年.</ref>。なお、[[2019年]]の数値は、同年7月1日時点における推計である<ref name="PopEst_IN_2019" />。''インディアナポリス・カーメル・アンダーソン都市圏、およびインディアナポリス・カーメル・マンシー広域都市圏全体の人口については、[[インディアナポリス#都市圏]]を参照のこと。''
{{-}}
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! 統計年 !! 人口
|-
| [[1850年]] || 664人
|-
| [[1860年]] || 1,115人
|-
| [[1870年]] || 1,435人
|-
| [[1880年]] || 2,221人
|-
| [[1890年]] || 3,054人
|-
| [[1900年]] || 4,792人
|-
| [[1910年]] || 5,073人
|-
| [[1920年]] || 4,758人
|-
| [[1930年]] || 4,811人
|-
| [[1940年]] || 5,575人
|-
| [[1950年]] || 6,567人
|-
| [[1960年]] || 7,664人
|-
| [[1970年]] || 7,548人
|-
| [[1980年]] || 12,056人
|-
| [[1990年]] || 17,655人
|-
| [[2000年]] || 28,590人
|-
| [[2010年]] || 51,969人
|-
| [[2019年]] || 64,668人
|}

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== 姉妹都市 ==
ノーブルズビルは以下2都市と、三都市間[[姉妹都市]]提携を結んでいる<ref>[https://www.nobsistercities.org/about About]. Noblesville Sister Cities. 2021年8月19日閲覧.</ref>。

*{{flagicon|ITA}} [[チッタデッラ]]([[イタリア]])
*{{flagicon|BRA}} [[ノバプラタ]]([[ブラジル]])

== 脚注 ==
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
* Campbell, Frank S. ''The Story of Hamilton County''. Noblesville, Indiana: Hudler Press. 1962年1月1日. ASIN B0007FGOG2.


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Noblesville, Indiana}}
*[http://www.cityofnoblesville.org/ ノーブルズビル 公式ウェブサイト]
* [https://www.cityofnoblesville.org/ City of Noblesville] - 市の公式サイト
*[http://maps.google.com/maps?ll=40.05,-86.021389&spn=0.3,0.3&t=m&q=40.05,-86.021389 グーグルマップ ノーブルズビル]
*[http://www.noblesvilleschools.com/ ノーブルズビル学校]
* [https://www.noblesvillechamber.com/ Noblesville Chamber of Commerce]
* [https://www.noblesvilleschools.org/ Noblesville Schools]
*[http://www.hse.k12.in.us/ ハミルトン・サウスイースターン学校]
* [http://www.city-data.com/city/Noblesville-Indiana.html Noblesville, Indiana] - city-data.com
*[http://www.hepl.lib.in.us ハミルトン・イースト公立図書館 ウェブサイト]

*[http://www.hcdemocrats.org ハミルトン郡、民主党サイト]
{{Coord|40.050000|-86.021389|display=title}}
*[http://www.noblesville.com Noblesville.com]
*[http://www.noblesvilledailytimes.com Noblesville Daily Times]


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[[Category:インディアナ州の都市]]
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2021年9月2日 (木) 22:12時点における版

ノーブルズビル市
City of Noblesville
ノーブルズビル市中心部
ノーブルズビル市中心部
標語 : "The Heart of Hamilton County(ハミルトン郡の中心)"
位置
左: インディアナ州におけるハミルトン郡の位置 右: ハミルトン郡におけるノーブルズビルの市域の位置図
左: インディアナ州におけるハミルトン郡の位置
右: ハミルトン郡におけるノーブルズビルの市域
座標 : 北緯40度3分0秒 西経86度1分17秒 / 北緯40.05000度 西経86.02139度 / 40.05000; -86.02139
歴史
創設 1823年[1]
行政
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
  インディアナ州
  ハミルトン郡
 市 ノーブルズビル市
地理
面積  
  市域 92.61 km2 (35.76 mi2)
    陸上   88.92 km2 (34.33 mi2)
    水面   3.69 km2 (1.42 mi2)
標高 235 m (772 ft)
人口
人口 (2019年7月1日現在)
  市域 64,668人
    人口密度   727.3人/km2(1,884.3人/mi2
その他
等時帯 東部標準時 (UTC-5)
夏時間 東部夏時間 (UTC-4)
公式ウェブサイト : https://www.cityofnoblesville.org/

ノーブルズビルNoblesville)は、アメリカ合衆国インディアナ州中央部に位置する都市。同州ハミルトン郡郡庁所在地であると共に、州都インディアナポリスの北北東約35kmに位置し、同市の郊外都市ともなっている。南西に隣接するカーメル、および南に隣接するフィッシャーズと同様に、1970年代以降急成長を遂げており、2010年国勢調査時での人口は51,969人[2]2019年7月1日時点での推計では64,668人とさらに増加し、郡内およびインディアナポリス都市圏内のいずれにおいてもカーメル、フィッシャーズに次いで第3位、インディアナ州全体でも第12位となっている[3]

歴史

ウィリアム・コナーがノーブルズビルで住んでいた家。1937-38年頃にイーライリリー社の写真部門が撮影。

1816年にインディアナが州に昇格し、その翌々年、1818年にセントメアリーズ条約によってレナペ族がオハイオ・インディアナ両州を追われた[1][4][5][6]。この条約が締結された際、レナペ族の酋長ウィリアム・アンダーソン(後にアンダーソンの市名の由来となった)の通訳を務めたのは、1802年に現在のフィッシャーズ市北西部に入植し、締結時にはアンダーソンの娘と結婚していた、ウィリアム・コナーであった。その後、1823年にインディアナ州議会はハミルトン郡を創設した[1][4][5]。同じく1823年、コナーおよびジョサイア・ポークの2人は、ノーブルズビルの町を区画した。翌1824年には、ハミルトン郡の郡庁がノーブルズビルに置かれた。コナーがこの頃にノーブルズビルで住んでいた家は、フィッシャーズの野外歴史博物館、コナー・プレーリーに移築され、現在も保存されている[5]。その後、ノーブルズビルは1851年に町として正式に法人化された[1][5]。ノーブルズビルという名は、インディアナの州昇格の際に尽力し、初めてインディアナ州から選出された連邦議会上院議員を務めた、ジェームズ・ノーブルにちなんでつけられた[7]

なお、創設前夜の1820年頃、この地にはピート・スミスという黒人も移入していた。スミスはまだこの地に留まっていたレナペ族と一緒に住む一方、コナーの下で働き、他の入植者をまとめていた。スミスは「ケンタッキー州から逃亡した奴隷」とされ、連れ「戻さ」れそうになったこともあったが、コナーが介入し、その場で解放した[6]

ハミルトン郡庁舎。1978年国家歴史登録財に指定されている[8]

ノーブルズビルの町制施行と同じ1851年、ペルーとインディアナポリスを結ぶ鉄道(後にニューヨーク・シカゴ・アンド・セントルイス鉄道、通称「ニッケル・プレート鉄道」の一部)がノーブルズビルに開通すると、町の経済基盤が強化され、人口も増えた[9]1875年には、ノーブルズビルへの2本目の鉄道となる、アンダーソン・レバノン・アンド・セントルイス鉄道(後のセントラル・インディアナ・アンド・ウェスタン鉄道)の建設が始まり[9][10][11]1877年にノーブルズビルまで開通、アンダーソンとノーブルズビルを結ぶ列車が走り始めた[12]

1887年には、ノーブルズビルは市制を施行した。翌1888年には、インディアナ州中央部・東部における天然ガスブームの最中、ノーブルズビルでも天然ガスが見つかった。また、これと前後して、ノーブルズビルの中心部には業務・商業地区が確立され、ビクトリア様式の建物や家屋が建ち並んだ。現在でも市中心部のシンボルであるハミルトン郡庁舎や、現在はハミルトン郡歴史博物館に転用されている郡保安官邸・刑務所も、この頃に建てられた[1][5]。この刑務所には、チャールズ・マンソンや、クー・クラックス・クランのインディアナ支部長「グランド・ドラゴン」を務めていたデイビッド・カーティス・スティーブンソンも収容されていたことがあった[5]

ノーブルズビル製粉会社の製粉所。2001年に国家歴史登録財に指定されている[8]
1916年にノーブルズビル製粉会社が出した「ダイアデム」の広告

新しい産業も興った。1891年に創業し、州最大の製粉会社の1つとなっていたノーブルズビル製粉会社(Noblesville Milling Company)は、市中心部に製粉所を持ち、「ダイアデム」(Diadem)や「キズメット」(Kismet)といったブランドの小麦粉の生産で知られ、ノーブルズビルを「製粉の街」たらしめていた。1916年、インディアナ製粉協会(Indiana Millers Association)が「小麦粉週間」(Flour Week)を宣言すると、同年感謝祭の週末、11月25日、ノーブルズビルのあるコラムニストは、当時主要な黒人紙の1つであったインディアナポリス・レポーター紙に、次の文を寄稿した[13]

Thanksgiving day promises to be a high day in Noblesville. Many out of town people and relatives of people here will be present which will add to the joy of all.

(訳)感謝祭の日のノーブルズビルはお祭り騒ぎになることは間違い無い。市外の人たちも市民の親戚たちも、みんなもっと楽しくなる。

その他、ノーブルズビルに本社もしくは拠点を置いた主な企業としては、ユニオン衛生工業会社(Union Sanitary Manufacturing Company)、アメリカン黄ボール会社(American Strawboard Company)、ファイアストン産業用製品会社(Firestone Industrial Products Company)等が挙げられる。ファイアストンは1937年にノーブルズビルに工場を置き、2009年にこの工場が閉鎖するまで、空気ばねを製造していた[14][15]

しかし、その一方で公害も起きた。アメリカン黄ボール会社は1890年、ノーブルズビル市南西部に、当時世界最大級の工場を置き、翌1891年4月には毎時1tの生産を誇った。しかしその前月、1891年3月には、水質に関する疑義が出始めていた。1893年には、同社の排水溜池から、インディアナポリスの水道水源となっているホワイト川に、酸性の廃棄水が垂れ流しにされているとして、インディアナポリス水道会社がが同社に対して訴訟を起こした。この時は同社が排水溜池の改良工事完了まで操業を停止することで和解したが、1896年5月30日、この排水溜池とホワイト川の間の堤防が決壊すると、莫大な量の有毒廃棄物が川に流れ込み、ノーブルズビルからブルードリップル(現インディアナポリス市ブロードリップル地区)までの河岸には、大量の魚の死体が上がった。同社はすぐに堤防を復旧したが、時既に遅く、翌6月に2度目の訴訟を起こされ、原告勝訴に終わった[16]

市北部の市境を流れるホワイト川に架かるポッターズ・カバード・ブリッジ1991年に国家歴史登録財に指定されており[8]、その南詰周辺は公園として整備されている[17]

1913年3月に起きた大洪水では、ニューイングランドから中西部南部に至るまで広範囲に被害が及んだが、とりわけインディアナ・オハイオ両州が甚大な被害を受け、ノーブルズビルも例外では無かった。3月25日には、ホワイト川の水位は2021年現在でも観測史上最高となる23.8フィート(7.17m)を記録した[18]

1919年には、インディアナポリスからのインターアーバンがハミルトン郡庁舎東側の路上で脱線し、隣を走っていた自動車の上に横転する事故を起こした。この事故では8歳の男の子が死亡し、また20人以上の重軽傷者を出した[19][20]

デイビッド・カーティス・スティーブンソン(1922年

1920年代前半、インディアナ州では反カトリックを前面に押し出したクー・クラックス・クランの「第2のクラン」が勢力を急速に伸ばし[21]、その最盛期には250,000人もの構成員を抱えた[22][23]が、ノーブルズビルもまた、その「第2のクラン」が活発に活動していた街の1つであった。ノーブルズビルとその周辺には、約2,500人の構成員が住んでいたと推定されている[22]。やがて1925年マッジ・オーベルホルツァー拉致強姦殺害でスティーブンソンが逮捕され、第2級殺人で有罪判決が下されると、「第2のクラン」も次第に瓦解していったが、その裁判が行われたのもノーブルズビルであった[23]。この頃、1923-26年にかけてクー・クラックス・クランの構成員であった、約1,160人の会員証および受領証は、1995年にインディアナ歴史協会が発見し、ハミルトン郡歴史協会に渡された。ハミルトン郡歴史協会は、研究者および当時の構成員の子孫に限定して、この史料の閲覧を許可している[22][24]

ノーブルズビルは1965年にも、全米的に注目された事件の舞台となった。地元紙ノーブルズビル・デイリー・レッジャー(Noblesville Daily Ledger)の編集者であったジェームズ・T・ニールは、同紙1面にハミルトン郡裁判官エド・ニューの、交通違反者を重罪人として扱うべきとする方針を批判するコラムを執筆したところ、法廷侮辱罪で逮捕された。ニールはアメリカ合衆国憲法修正第1条を盾に法廷で戦った[25]。この法廷闘争は、やがてインディアナ州最高裁へと持ち込まれた[26]。その後1990年、ニールはインディアナ州ジャーナリズム殿堂に入った[25]

1970年代に入ると、ノーブルズビルは近隣のカーメルやフィッシャーズと同様、インディアナポリス北郊の住宅都市として急成長を遂げていくようになった。1970年国勢調査時点では7,548人であった人口は、1980年には12,056人、1990年には17,655人、2000年には28,590人、そして2010年には51,969人[2]を数えた。10年ごとの国勢調査の結果において、インディアナ州法が定める「第2級都市」への移行要件[27]である、人口35,000人を突破したことを受け、2013年11月には市議会が移行の条例を5-2で可決、2016年1月1日に「第2級都市」に移行した[28][29]

地理

ノーブルズビルは北緯40度3分0秒 西経86度1分17秒 / 北緯40.05000度 西経86.02139度 / 40.05000; -86.02139に位置している。市はインディアナ州中央部、ハミルトン郡中東部にあり、州都インディアナポリスのダウンタウンからは北北東へ約35kmである。南西にはカーメル、南にはフィッシャーズ、また西にはウェストフィールドの各市が、それぞれ隣接している。また、市の最北端では、モース湖の東岸でシセロ町の町域と接している。

アメリカ合衆国国勢調査局によると、ノーブルズビル市は総面積92.61km2(35.76mi2)である。そのうち88.92km2(34.33mi2)が陸地で3.69km2(1.42mi2)が水域である。総面積の5.93%が水域となっている。市の標高は235mである。

ノーブルズビルを含むインディアナポリス都市圏の気候は、ケッペンの気候区分では計算上は温暖湿潤気候 (Cfa) となるものの、中西部に広く分布する冷帯湿潤気候 (Dfa) に近く、蒸し暑い夏とやや寒さの厳しい冬に特徴付けられる内陸型である。気候についての詳細は、インディアナポリス#気候も参照のこと。

都市概観と建築物

ノーブルズビルは1970年代にインディアナポリスの郊外都市として高成長を遂げていくようになる以前から、郡庁が置かれ、産業の面でも郡の中心都市として発展してきたこともあり、人口が増えてからインディアナポリス都市圏の「副都心」的な、小規模な中心業務地区を造ったカーメルやフィッシャーズとは異なり、明確な中心部を有しており、その街路も整然と区画されている。市中心部を南北に通る通りには、ホワイト川から離れるほど大きくなる数字がついており、東西に通るメインの通りであるコナー・ストリート(州道32号線・38号線共用)を境に南(S)と北(N)に分かれている。一方、市中心部を東西に通る通りには数字はついていない。

また、ノーブルズビルの中心部には歴史的建築物も多い。市中心部のシンボルであるハミルトン郡庁舎は、および現在ではハミルトン郡歴史博物館となっている、旧郡保安官邸・刑務所はいずれも、8thストリート(西)、9thストリート(東)、ローガン・ストリート(北)、コナー・ストリート(南)に囲まれた1ブロックの敷地に建っている。これらはいずれも、マンサード屋根を有した、第二帝政期建築様式の例と言える。このハミルトン郡庁舎とその敷地のほか、単独で国家歴史登録財に指定されている物件としては、コール=エバンズ邸、ウィリアム・ヒューストン・クレイグ邸、ダニエル・クレイクラフト邸、サミュエル・ハレル博士邸、ホリデイ水力発電所・ダム、ノーブルズビル製粉会社製粉所、ポッターズ・カバード・ブリッジ、アール・S・ストーン判事邸、およびロバート・L・ウィルソン邸が挙げられる。また、歴史地区としては、キャサリン・ストリート歴史地区、コナー・ストリート歴史地区、ノーブルズビル商業歴史地区、およびサウス9thストリート歴史地区が指定されている[8]

一方、周縁部には、カーメルやフィッシャーズ、ウェストフィールドの各市市域の大部分がそうであるように、郊外型の住宅地が広がっており、その街路も入り組んでいる。

政治

ノーブルズビルは市長制を採っている。市長は市の行政機関の長であり、市政府の日常業務全般に責任を負う。また、市長は市土木技術官、法人相談役、市消防局長、市警察局長、市会計官、その他の市の役員・職員・理事・委員を任命し、その人事に責任を負う。市長は選挙で全市から選出される。また、市書記官も市長と同様に、選挙で全市から選出される[30]

市の立法機関である市議会は、2016年1月1日に「第2級都市」に移行して以降、9人の議員から成っている。9人の市議員のうち、6人は市を6つに分けた小選挙区から1人ずつ選出され、残り3人が全市から選出される[30][31]

交通

ノーブルズビルを含むインディアナポリス都市圏の玄関口となる商業空港は、インディアナポリスのダウンタウンの南西約14km[32]、ノーブルズビルからは南西に約45km離れたインディアナポリス国際空港IATA: IND)である。同空港には主要航空会社が各社ハブ空港からの便を就航させている。

州間高速道路I-69は市南東部、フィッシャーズとの市境を東西に通っており、146thストリートから東へ続くキャンパス・パークウェイにその出入口が設けられている。また、市中心部の東を通る州道37号線は、フィッシャーズの「副都心」的な中心業務地区であるニッケル・プレート地区の北でI-69と合流/分岐しており、同地区やインディアナポリスのダウンタウン方面へはこちらが短絡路となる。I-69はインディアナポリスから北東へ、フォートウェインミシガン州の州都ランシングを経由して、カナダとの国境ポートヒューロンへと至る高速道路である。インディアナポリスからエバンズビル方面へ、さらにオハイオ川を渡ってケンタッキー州以南へも建設が進められている。I-69の暫定的な起点/終点となっているI-465は、南北の幹線の1つであるI-65の支線で、インディアナポリスの環状道路になっており、I-65本線やI-70I-74にもつながっている。I-65はシカゴ方面(北行)やルイビル方面(南行)へ、I-70はオハイオ州コロンバス方面(東行)やセントルイス方面(西行)へ、I-74はシンシナティ(東行)やダベンポート(西行)へとそれぞれ通じている。

また、市中心部を東西に通る州道32号線(コナー・ストリート)は、東へはアンダーソンの市中心部へと至り、西へはウェストフィールドを経由して、ブーン郡の郡庁所在地レバノンでI-65本線に接続している。

ノーブルズビル市内には路線バス等の公共交通機関は2021年現在通っていないが、2016年に策定された中央インディアナ交通整備計画(Central Indiana Transit Plan)では、インディアナポリスのダウンタウンからフィッシャーズを経由してノーブルズビルへと至る、グリーン・ラインというライトレールの敷設が盛り込まれている[33]

教育

聖セオドア・ゲリン高校

ノーブルズビルにおけるK-12課程はノーブルズビル学区の管轄下にある公立学校によって支えられている。同学区は小学校(就学前教育・幼稚園・1-5年生)7校、中学校(6-8年生)2校、高校(9-12年生)1校(ノーブルズビル高校)を有し[34]、約10,000人の児童・生徒を抱えている[35]。また、市の一部地域の児童・生徒は、フィッシャーズの公立学区であるハミルトン南東学区の管轄下にある学校に通う。

カトリック教会のインディアナ州ラファイエット司教区は、区内に2校あるうちの1校、聖セオドア・ゲリン高校をノーブルズビルに置いている(もう1校はラファイエットに置かれている)[36]。就学前教育および小中一貫校としては、同教区は恵みの聖母カトリック学校をノーブルズビルに置いている[37]

ノーブルズビルには1856年から図書館が設けられていた[38]1913年には、ノーブルズビルにカーネギー図書館が開館した。しかし、このカーネギー図書館は手狭になったため、1986年に新しい図書館としてハミルトン東部公立図書館が開館した[38][39]。もとのカーネギー図書館はその後、ノーブルズビル市庁舎に転用され、現在に至っている[39]。なお、ハミルトン東部公立図書館はノーブルズビルのほか、フィッシャーズにも図書館を有している[38][40]

文化と名所

ハミルトン郡歴史博物館。右はチャールズ・マンソンが収監されていた居房。 ハミルトン郡歴史博物館。右はチャールズ・マンソンが収監されていた居房。
ハミルトン郡歴史博物館。右はチャールズ・マンソンが収監されていた居房。

ハミルトン郡庁舎の敷地南西隅(コナー・ストリートと8thストリートの北東角)にはハミルトン郡歴史博物館が建っている。この建物は1876年に郡保安官邸兼刑務所として建てられたもので、1977年までその用途に使われた後、ハミルトン郡歴史協会(Hamilton County Historical Society)の本部が入居し、歴史博物館に転用されたものである。同館では関連する事物を展示しているほか、旧保安官邸のビクトリア様式の部屋が復元され、調査・研究用の図書館が設けられ、また、かつてチャールズ・マンソンやデイビッド・カーティス・スティーブンソンを収監した居房も展示物として保存されている[41]

ハミルトン郡庁舎から南西へ約350m、5thストリートとチェリー・ストリートの北西角にはハミルトン郡芸術家協会(Hamilton County Artists' Association)の本部、およびそのバーディー・ギャラリーが立地している。同協会は1950年に、ノーブルズビルゆかりの芸術家9人が設立したもので、この本部とギャラリー2006年に、ノーブルズビル市議会の承認により、旧ファースト・バプテスト教会堂を転用したものである[42]。同協会は会員の作品をギャラリーで展示するほか、広く一般に向けて芸術教室も開いている[43]

市南東部、フィッシャーズとの市境近くにはルオフ音楽センターが立地する。228エーカー(92.3ha)の敷地に建てられているこの野外劇場では、1989年に開場して以来、フランク・シナトラコールドプレイジャーニールーク・ブライアンキングス・オブ・レオンメタリカをはじめ、様々なジャンルのアーティストによるコンサートが行われてきた[44]。また、この野外劇場は、フィッシャーズが同市の姉妹都市ビレリキーイギリスエセックス)との交流の一環として行っている、インディアナ・ルネサンス・フェアエリザベス1世の黄金時代をテーマとした祭)の会場にもなっている[45][46]

市北西端に広がる、ホワイト川の支流であるシセロ・クリークを堰き止めて造った人造湖、モース湖の湖尻付近の湖畔には、人工のビーチも備えた、23エーカー(9.3ha)のモース・パーク・アンド・ビーチが立地している[47]。また、市中心部近くのホワイト側西岸には、ホワイト川カヌー会社の本部が置かれている。同社はその上流18マイル(29km)のパーキンズビルから、下流10マイル(16km)の116thストリート沿い、カーメル/フィッシャーズ市境にあるワピハニ・ランディングまでのホワイト川流路上で、同社のカヌーカヤック、およびインフレータブルボート(ゴムボート)のサービスを提供している[48]

人口推移

以下にノーブルズビル市における1850年から2019年までの人口推移をグラフおよび表で示す[49]。なお、2019年の数値は、同年7月1日時点における推計である[3]インディアナポリス・カーメル・アンダーソン都市圏、およびインディアナポリス・カーメル・マンシー広域都市圏全体の人口については、インディアナポリス#都市圏を参照のこと。

統計年 人口
1850年 664人
1860年 1,115人
1870年 1,435人
1880年 2,221人
1890年 3,054人
1900年 4,792人
1910年 5,073人
1920年 4,758人
1930年 4,811人
1940年 5,575人
1950年 6,567人
1960年 7,664人
1970年 7,548人
1980年 12,056人
1990年 17,655人
2000年 28,590人
2010年 51,969人
2019年 64,668人

姉妹都市

ノーブルズビルは以下2都市と、三都市間姉妹都市提携を結んでいる[50]

脚注

  1. ^ a b c d e Noblesville History: A Shared Pioneer Heritage. FUNCITYFINDER.com. 2021年8月19日閲覧.
  2. ^ a b American FactFinder. U.S. Census Bureau. 2011年2月4日.
  3. ^ a b Annual Estimates of the Resident Population for Incorporated Places in Indiana: April 1, 2010 to July 1, 2019. U.S. Census Bureau. 2021年4月20日.
  4. ^ a b History. City of Fishers. 2021年8月6日閲覧.
  5. ^ a b c d e f History. DowntownNoblesville.com. 2021年8月21日閲覧.
  6. ^ a b Heighway, David The Mystery of Noblesville's First Settler: Pete Smith. Hamilton East Public Library. 2021年8月21日閲覧.
  7. ^ Noblesville's namesake and state founder James Noble honored with wreath laying. Current. Current Publishing. 2016年6月28日. 2021年8月21日閲覧.
  8. ^ a b c d INDIANA - Hamilton County. National Register of Historic Places. 2021年8月23日閲覧.
  9. ^ a b Campbell, p.122.
  10. ^ Dyson, Forkner. Historical Sketches and Reminiscences of Madison County Indiana. pp.85-86. 1897年. Cited in Anderson, Lebanon and St. Louis Railroad Records, 1878-1886. p.2. Indiana Historical Society. 2004年11月23日. 2021年8月22日閲覧.
  11. ^ The Abandoned Cicero Creek Railroad Bridge, Noblesville, Indiana. History in Your Own Backyard. 2021年8月22日閲覧.
  12. ^ Wonning, Paul R. Short History of Railroads- Indiana Edition. p.103. Independently published. 2020年5月6日. ISBN 979-8643827269.
  13. ^ Heighway, David. Flour Week - Thanksgiving in Noblesville a Century Ago. Hamilton East Public Library. 2021年8月26日閲覧.
  14. ^ Firestone Industrial Products Closing Indiana Plant. Manufacturing.net. Industrial Media. 2008年9月17日. 2021年8月26日閲覧.
  15. ^ Firestone To Close Noblesville Air-Spring Plant. Trailer Body Builders. Endeavor Business Media. 2008年9月17日. 2021年8月26日閲覧.
  16. ^ Heighway, David. The 1896 Noblesville Fish Kill. Hamilton East Public Library. 2021年8月26日閲覧.
  17. ^ Potter's Bridge Park, Potter's Bridge Park History. Hamilton County, Indiana. 2021年8月23日閲覧.
  18. ^ Heighway, David. Historic Floods in Hamilton County. Hamilton East Public Library. 2021年8月26日閲覧.
  19. ^ Campbell, p.126.
  20. ^ Massey, Nancy A. and Carol Ann Schweikert. Noblesville. p.101. Arcadia Publishing. 2013年. ISBN 978-1531654931.
  21. ^ Fischer, Jordan. The History of Hate in Indiana: How the Ku Klux Klan took over Indiana's halls of power. WRTV. 2016年12月8日. 2021年8月26日閲覧.
  22. ^ a b c Tuohy, John. 1920s KKK membership records from HamCo open to public at the Indiana Historical Society. The Indianapolis Star. 2020年7月15日. 2021年8月26日閲覧.
  23. ^ a b The Golden Era of Indiana. South Bend, Indiana: The History Museum. 2021年8月26日閲覧.
  24. ^ Safianow, Allen. "'You Can't Burn History': Getting Right with the Klan in Noblesville, Indiana". pp.109-154. Indiana Magazine of History. Vol.100. Issue 2. 2004年6月.
  25. ^ a b James T. Neal - 1990. Indiana Journalism Hall of Fame. The Media School, Indiana University. 2021年8月26日閲覧.
  26. ^ Foland, John A., Remembrances. p.155. Rowland Printing. 1976年.
  27. ^ Cities. Board of Accounts, State of Indiana. 2021年8月8日閲覧.
    インディアナ州では州法の定めにより、10年ごとの国勢調査時点での人口規模に基づいて「第1級都市」(人口600,000人以上)、「第2級都市」(人口35,000-599,999人)、「第3級都市」(人口34,999人以下)の3つに分類する。
  28. ^ Davis, Andrea Muirragui. Noblesville to join Fishers in ranks of second-class cities. Indinapolis Business Journal. 2013年11月27日. 2021年8月26日閲覧.
  29. ^ Erdody, Lindsey. Carmel City Council votes to change city to second-class status. Indinapolis Business Journal 2016年1月5日. 2021年8月26日閲覧.
  30. ^ a b "Title III: Administration". Code of Ordinances. City of Noblesville. 2021年6月15日.
  31. ^ Common Council. City of Noblesville. 2021年8月26日閲覧.
  32. ^ Indianapolis Int'l. Airport Master Record. Federal Aviation Administration. 2021年7月15日. 2021年8月7日閲覧.
  33. ^ The Central Indiana Transit Plan. pp.26, 44. Indianapolis Metropolitan Planning Organization. 2016年6月16日. 2021年8月8日閲覧.
  34. ^ Offices and Schools. Noblesville Schools. 2021年8月21日閲覧.
  35. ^ Noblesville Schools. U.S. News & World Report. 2021年8月21日閲覧.
  36. ^ High Schools. Diocese of Lafayette-in-Indiana. 2021年8月21日閲覧.
  37. ^ Preschools by Cities: Marion to Westfield, Elementary Schools by City: Lafayette to Westfield. Diocese of Lafayette-in-Indiana. 2021年8月21日閲覧.
  38. ^ a b c Hamilton East Public Library. University Library, Indiana University-Purdue University Indianapolis. 2021年8月21日閲覧.
  39. ^ a b Additional Photos for the Carnegie Library Building in Noblesville, Indiana. HOOSIERINDIANA.com. 2021年8月21日閲覧.
  40. ^ Contace Us. Hamilton East Public Library. 2021年8月21日閲覧.
  41. ^ Hamilton County Museum of History and Old Sheriff's Residence and Jail. Visit Hamilton County, Indiana. Hamilton County Tourism. 2021年8月30日閲覧.
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  45. ^ Yates, Julie. Indiana Renaissance Faire Returns October 5-6 at Ruoff Home Mortgage Music Center. Towne Post Network. 2019年10月2日. 2021年8月30日閲覧.
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  49. ^ Gibson, Campbell. Population of the 100 Largest Cities and Other Urban Places in the United States: 1790 to 1990. US Census Bureau. 2005年.
  50. ^ About. Noblesville Sister Cities. 2021年8月19日閲覧.

参考文献

  • Campbell, Frank S. The Story of Hamilton County. Noblesville, Indiana: Hudler Press. 1962年1月1日. ASIN B0007FGOG2.

外部リンク

座標: 北緯40度03分00秒 西経86度01分17秒 / 北緯40.050000度 西経86.021389度 / 40.050000; -86.021389