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{{by|2002年}}は前年の活躍もあり開幕スタメンを果たし、野口は引き続き外野で起用された。しかし打撃で結果を残せなかったためシーズン途中からは野口が捕手に戻り、實松との併用となった。結局自己最多の82試合に出場したが、打率は.129、1本塁打に留まった。
{{by|2002年}}は前年の活躍もあり開幕スタメンを果たし、野口は引き続き外野で起用された。しかし打撃で結果を残せなかったためシーズン途中からは野口が捕手に戻り、實松との併用となった。結局自己最多の82試合に出場したが、打率は.129、1本塁打に留まった。


{{by|2003年}}はキャンプ中に左手首を骨折し出遅れ、正捕手の座を[[橋信二]]に奪われた。この年は前年にも増して打てず、92打数(102打席)で51三振を記録し、5月15日の対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦ではチームが19安打19得点を記録したにもかかわらず、實松は5打数0安打4三振、フィールドに唯一飛んだ打球は犠打失敗併殺打という有様であった。しかし、この年打ったヒット9本中3本がホームランであり、「当たれば飛ぶ」長打力を秘めていた。この頃は[[スイッチヒッター]]に挑戦するなど試行錯誤していた。
{{by|2003年}}はキャンプ中に左手首を骨折し出遅れ、正捕手の座を[[橋信二]]に奪われた。この年は前年にも増して打てず、92打数(102打席)で51三振を記録し、5月15日の対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦ではチームが19安打19得点を記録したにもかかわらず、實松は5打数0安打4三振、フィールドに唯一飛んだ打球は犠打失敗併殺打という有様であった。しかし、この年打ったヒット9本中3本がホームランであり、「当たれば飛ぶ」長打力を秘めていた。この頃は[[スイッチヒッター]]に挑戦するなど試行錯誤していた。


{{by|2004年}}は高橋が規定打席に到達するなど成長したため、前年より出場機会が減少した。この年のオフに結婚。妻との間には男児2人と女児が1人いる。
{{by|2004年}}は高橋が規定打席に到達するなど成長したため、前年より出場機会が減少した。この年のオフに結婚。妻との間には男児2人と女児が1人いる。

2021年1月11日 (月) 03:46時点における版

實松 一成
読売ジャイアンツ 二軍バッテリーコーチ #82
巨人選手時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 佐賀県佐賀市
生年月日 (1981-01-18) 1981年1月18日(43歳)
身長
体重
177 cm
89 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1998年 ドラフト1位
初出場 2000年5月20日
最終出場 2019年4月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 北海道日本ハムファイターズ (2018 - 2019)
  • 読売ジャイアンツ (2020 - )

實松 一成(さねまつ かずなり、1981年1月18日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元プロ野球選手捕手)、プロ野球コーチ。右投右打。

名前に関しては、「實」が「実」の旧字体であるため「実松 一成」の表記もみられる。

経歴

プロ入り前

佐賀学園高等学校時代は、1998年第80回全国高等学校野球選手権大会第3回AAAアジア野球選手権大会に出場している。この時の第3回AAAアジア野球選手権大会日本代表には、後にプロでチームメイトになる杉内俊哉村田修一がいた。高校通算39本塁打を放ち、高校屈指の捕手と呼ばれた。

1998年のドラフト会議で、上田利治監督時代の日本ハムファイターズから松坂大輔の外れ1位指名を受けて入団。現時点まで(東映や日拓時代含め)日本ハム球団史上ただ一人の高卒ドラフト1位捕手である。

日本ハム時代

1999年(1年目)は一軍出場なし。大島康徳監督1年目の2000年に一軍昇格し、フレッシュオールスターゲームにも出場。

2001年は課題の打撃向上へバットを少し寝かせるフォームに改造し、8月3日の福岡ダイエーホークス戦にてプロ初本塁打を放つと、この3連戦中で4本の本塁打を打った。同年は62試合に出場し、それまで捕手のレギュラーだった野口寿浩は閉幕前には外野を守るようになった。

2002年は前年の活躍もあり開幕スタメンを果たし、野口は引き続き外野で起用された。しかし打撃で結果を残せなかったためシーズン途中からは野口が捕手に戻り、實松との併用となった。結局自己最多の82試合に出場したが、打率は.129、1本塁打に留まった。

2003年はキャンプ中に左手首を骨折し出遅れ、正捕手の座を髙橋信二に奪われた。この年は前年にも増して打てず、92打数(102打席)で51三振を記録し、5月15日の対千葉ロッテマリーンズ戦ではチームが19安打19得点を記録したにもかかわらず、實松は5打数0安打4三振、フィールドに唯一飛んだ打球は犠打失敗併殺打という有様であった。しかし、この年打ったヒット9本中3本がホームランであり、「当たれば飛ぶ」長打力を秘めていた。この頃はスイッチヒッターに挑戦するなど試行錯誤していた。

2004年は高橋が規定打席に到達するなど成長したため、前年より出場機会が減少した。この年のオフに結婚。妻との間には男児2人と女児が1人いる。

2005年は高橋が故障で長期離脱して中嶋聡との併用という形で起用された。

2006年、開幕直前の3月24日に、岡島秀樹との交換トレード古城茂幸とともに読売ジャイアンツに移籍[1]

巨人時代

2006年は、控え捕手として、同い年で同期の加藤健らとの競争となり、6月10日、正捕手の阿部慎之助の故障による登録抹消をうけ、移籍後初の一軍登録。即先発出場を果たし、阿部の故障中は加藤と日替わりでスタメン起用された。

2007年シーズンは、一軍出場は4試合に留まった。

2008年は、6月10日に横浜ベイスターズから鶴岡一成が移籍したこともあり、7試合の出場に留まった。

2009年は正捕手の阿部や鶴岡が安定した活躍を見せたこともあり、リーグ3連覇と日本一を果たしたチームにあってルーキーイヤー以来10年ぶりの一軍出場なしに終わった。

2010年は阿部の故障もあり久々の一軍出場とスタメン出場を果たしたが、2試合の出場に留まった。打撃力不足から守備要員として第3もしくは第4捕手となり、ファームでも正捕手には星孝典などが起用され厳しい立場となった。

2011年オープン戦から阿部が長期離脱し、さらに星が埼玉西武ライオンズに金銭トレードで移籍したこともあって4月下旬に一軍登録されると、5月4日の対阪神タイガース戦で途中出場し。同点の9回裏に同学年の藤川球児から自身初となるサヨナラ打(適時打)を放ち[2]、巨人移籍後初めてお立ち台に上がった。8月6日の広島東洋カープ戦でジオから6年ぶり、移籍後初となる本塁打を打っている。少ない打席ながら、移籍後では最高の打撃成績を記録した。オフに背番号を27に変更。

2012年は鶴岡がFAでの古巣横浜への復帰、阿部の一塁起用などもあり、移籍後では最多となる58試合92打席に出場。アジアシリーズでは負傷の阿部に代わって3試合中2試合でスタメン出場。決勝戦では本塁打を放ち優勝に貢献した。

2013年井野卓の加入や河野元貴の成長など競争が熾烈になり、2014年小林誠司の加入により競争がさらに熾烈になり、14試合の出場にとどまった。

2015年は、それまで正捕手だった阿部慎之助が一塁手転向したが、相川亮二の加入や、小林の積極的な起用により22試合の出場にとどまった。

2016年も出場は19試合にとどまる。

2017年には小林の正捕手起用と宇佐見真吾の打撃面での活躍もあって、守備固めもしくは代打での起用が中心となる。出場は14試合にとどまった。10月30日に戦力外通告を受けた[3]

日本ハム復帰

2017年12月4日に北海道日本ハムファイターズに二軍育成コーチ兼捕手として復帰することが発表された。年俸は1100万円(推定)[4]で、背番号は90[5]。7月6日に一軍登録され、翌7日にコーチ登録を抹消された(これはベンチ入り出来るコーチが8人のため、實松がベンチに入ることにより一人押し出されるのを防ぐ措置)。

2018年は二軍育成コーチ兼捕手ということもあり、一軍出場は1試合にとどまった。

2019年9月17日に現役引退を表明した[6]。 9月23日、鎌ヶ谷でのイースタンリーグ巨人戦にて引退試合が行われた。12月2日、自由契約公示された[7]

引退後

2019年10月29日に2020年から巨人へ復帰し、2軍バッテリーコーチに就任することが発表された[8]。2軍監督の阿部慎之助は2019年12月8日に行われた、札幌市内のチャリティートークショーにゲスト出演した際「實松だけは俺が監督に言って呼び寄せました」と述べている[9]

選手としての特徴

配球への熱心な研究と投手の特徴を最大限に生かしたリードでチームを支える控え捕手[10]

人物

遠縁に山下和彦がいる。實松の日本ハム時代の背番号40は入団前年まで山下がつけていた。

本拠地のデーゲームでは午前7時ごろに球場入りし、データ収集や準備を行うなど野球に取り組む姿勢もまじめで、若手からの相談も受けている[11]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2000 日本ハム 10 9 8 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 1 0 0 0 4 0 .125 .111 .125 .236
2001 62 167 149 16 29 4 0 6 51 19 0 0 8 1 6 0 3 53 4 .195 .239 .342 .581
2002 82 200 170 8 22 5 0 1 30 2 0 2 15 0 14 0 1 64 1 .129 .200 .176 .376
2003 44 102 92 6 9 2 0 3 20 8 0 1 3 0 3 0 4 51 3 .098 .162 .217 .379
2004 36 25 20 6 3 1 0 1 7 2 0 1 1 0 3 0 1 11 0 .150 .292 .350 .642
2005 64 119 108 12 19 4 0 2 29 4 2 0 2 0 8 1 1 41 1 .176 .239 .269 .508
2006 巨人 11 15 14 0 1 1 0 0 2 3 0 0 1 0 0 0 0 6 1 .071 .071 .143 .214
2007 4 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2008 7 6 5 0 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 3 0 .200 .200 .200 .400
2010 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
2011 20 24 22 3 6 0 0 2 12 3 0 0 2 0 0 0 0 10 0 .273 .273 .545 .818
2012 58 92 74 6 14 3 0 2 23 5 0 0 6 0 9 2 3 26 0 .189 .302 .311 .613
2013 41 73 65 6 16 5 0 1 24 6 0 0 1 0 6 0 1 20 1 .246 .319 .369 .689
2014 14 27 22 1 3 0 0 0 3 1 1 0 2 0 3 0 0 8 2 .136 .240 .136 .376
2015 22 39 33 5 6 0 0 1 9 3 1 0 2 0 2 0 2 9 0 .182 .270 .273 .543
2016 19 33 28 3 7 1 0 1 11 1 0 0 1 0 4 1 0 7 0 .250 .344 .393 .737
2017 14 13 8 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 2 1 2 6 0 .000 .333 .000 .333
2018 日本ハム 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2019 5 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
通算:19年 516 951 825 73 137 26 0 20 223 58 4 4 46 2 60 5 18 322 13 .166 .238 .270 .508
  • 2019年度シーズン終了時

年度別守備成績



捕手






















2000 日本ハム 8 19 0 0 1 1 1.000 2 2 0 .000
2001 61 318 18 2 5 2 .994 21 14 7 .333
2002 82 415 36 5 5 3 .989 48 33 15 .313
2003 44 185 13 2 1 3 .990 16 9 7 .438
2004 34 83 8 0 1 3 1.000 12 9 3 .250
2005 64 236 15 2 3 2 .992 29 20 9 .310
2006 巨人 11 32 2 0 1 0 1.000 5 4 1 .200
2007 4 10 1 0 0 0 1.000 1 0 1 1.000
2008 6 19 2 0 0 0 1.000 1 1 0 .000
2011 18 65 6 0 0 1 1.000 2 2 0 .000
2012 53 199 25 2 2 1 .991 18 13 5 .278
2013 32 135 13 0 0 2 1.000 16 9 7 .438
2014 13 60 3 2 0 0 .969 5 5 0 .000
2015 21 90 5 0 0 5 1.000 8 7 1 .125
2016 19 75 10 0 1 0 1.000 7 6 1 .143
2017 11 34 4 0 0 0 1.000 2 2 0 .000
2018 日本ハム 1 0 0 0 0 0 .--- 0 0 0 .---
2019 5 4 1 0 0 0 1.000 2 1 1 .500
通算 487 1979 162 15 20 23 .993 195 137 58 .297
  • 2019年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 40 (1999年 - 2005年)
  • 69 (2006年)
  • 53 (2007年 - 2011年)
  • 27 (2012年 - 2017年)
  • 90 (2018年 - 2019年)
  • 82 (2020年 - )

登場曲

  • 「WINDING ROAD」絢香×コブクロ(2008年)
  • 「道」EXILE(2011年)
  • 「Troublemaker」嵐(2012年)
  • 「合言葉~シャララ~」THEイナズマ戦隊(2013年)
  • 「CUT SOLO feat. HI-D」AK-69(2014年 - 2015年)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク