「新しい歴史教科書をつくる会」の版間の差分
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* 1996年12月2日 創立記者会見。 |
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* [[1997年]][[1月30日]] 創立総会を開き、初代会長・西尾幹二、副会長・藤岡信勝とする。 |
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* 1997年1月30日 西尾他6人が[[小杉隆]][[ |
* 1997年1月30日 西尾他6人が[[小杉隆]][[文部大臣]]に教科書から従軍慰安婦記述の項目の削除を申し入れる。 |
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* 1997年1月31日 賛同者として[[王貞治]]・ダイエーホークス監督の名前を発表する。西尾もテレビでその旨発言した(当人は否定)。 |
* 1997年1月31日 賛同者として[[王貞治]]・ダイエーホークス監督の名前を発表する。西尾もテレビでその旨発言した(当人は否定)。 |
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* 1997年2月 会長・西尾他、テレビ朝日「[[朝まで生テレビ!]]―従軍慰安婦問題と歴史教育」に出演し、問題提起する。 |
* 1997年2月 会長・西尾他、テレビ朝日「[[朝まで生テレビ!]]―従軍慰安婦問題と歴史教育」に出演し、問題提起する。 |
2020年12月30日 (水) 08:37時点における版
略称 | つくる会 |
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設立 | 1996年 |
設立者 | 西尾幹二、藤岡信勝ら |
法人番号 | 9010005019927 |
目的 | 新しい歴史・公民教科書およびその他の教科書の作成を企画・提案し、それらを児童・生徒の手に渡すこと |
本部 |
日本東京都文京区水道二丁目6-3 TOP江戸川橋203号室 北緯35度42分34.1秒 東経139度44分7.5秒 / 北緯35.709472度 東経139.735417度 |
会長 | 高池勝彦会長 |
関連組織 | 自由社 |
ウェブサイト | 新しい歴史教科書をつくる会 |
新しい歴史教科書をつくる会(あたらしいれきしきょうかしょをつくるかい)とは、1996年に結成された日本の社会運動団体。従来の歴史教科書が「自虐史観」の影響を強く受けているとして、従来の「大東亜戦争肯定史観」にも「東京裁判史観」ないし「コミンテルン史観」にも与しない立場から新たな歴史教科書をつくる運動を進めるとしている。
つくる会の概要
従来の教科書に対する批判
湾岸戦争以前までは日本共産党員であった藤岡信勝は、冷戦終結後の新しい日本近代史観確立の必要性を感じ、保守論客に転身すると共に、旧来の左右双方のどちらにも組しない独自の自由主義史観の構築を提唱した。藤岡らの提唱は大きな反響を呼ぶことなり、1996年12月に西尾幹二ら有志と「新しい歴史教科書をつくる会」(略称:つくる会)を結成。産経新聞で連載され反響を呼んだ自由主義史観研究会の『教科書が教えない歴史』は後に書籍化され全4巻で120万部を超えた[要出典]。
つくる会は、既存の歴史教科書(特に中学校社会科の歴史的分野の教科用図書)は、必要以上に日本を貶める自虐史観に毒されていると批判し、それに代わる「“東京裁判史観”や“社会主義幻想史観”を克服するとし、その双方の呪縛から解放されたという自由主義史観に基づく、子供たちが日本人としての自信と責任を持つことのできるような教科書」の作成と普及を目的として結成され運営されている[要出典]。
つくる会の教科書は中学歴史用の歴史分野と公民分野のものが2001年版と2005年版が出版(いずれも扶桑社刊)されたほか、2009年版、2011年版は自由社から出版された。本部のほか全国各地に地方支部が設置[1]されている。をつくる会の執筆した『新しい歴史教科書』は、2001年に初版が出された。文部科学省によって137か所の検定意見が付けられたが、同時に執筆した『新しい公民教科書』とともに、ほかの出版社の歴史教科書と同様に教科用図書検定に合格している。
つくる会の組織概要
つくる会は、日本全国から集まる会費と関連本の印税収入を財源として活動している。2007年5月には、7代目会長につくる会が発足するきっかけを作った藤岡信勝が就任した[2]。つくる会の地方支部のほか、地元財界や旧軍関係者による採択支援運動が行われている。平沼赳夫や萩生田光一といった会の主張と同じくする保守政治家から強く支持されている[3]ほか、日本会議も支援している。また、藤岡によれば、つくる会の事務所に電話をかけ「よくぞ立ち上がってくれた。これで安心してあの世に逝ける」と電話口で泣き崩れた老人もいたという[4]。
保守の政治家のほか、ブログや掲示板等のネットにおいても支持している者の姿がよく見られ、ネットで論じられていたことから誕生したとも言われる山野車輪著の『マンガ 嫌韓流』は、その思想的背景にはつくる会の影響が強いと主張する者もいる[5]。
つくる会として、アメリカ合衆国下院が日本政府に対し従軍慰安婦問題への謝罪を迫ったアメリカ合衆国下院121号決議に対して、民主党の慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会とともに強い反発を表明[6]しているほか、沖縄地上戦に関する歴史教科書問題についても批判的な立場[7]を取っているが、そのなかで「沖縄戦の犠牲に対する感謝と共感の念をはぐくむよう記述すること」という教科書改善の会(つくる会の運動から離れた有志による同様の社会運動団体)の要望を、日本の歴史教科書を「自虐的」たらしめた「近隣諸国条項」と同様に「沖縄条項」を取り入れるものであるとして批判している。
つくる会の主な主張
新しい歴史教科書をつくる会は、中学校社会科の歴史的分野における教科書そのものや、つくる会が執筆した『新しい歴史教科書』を取り巻く環境について主に次のような主張をしている(この主張に対する反対意見・賛成意見などについては、後述の不採択活動、世間の評価を参照)。
まず1997年に発表された趣意書で、次のように主張している[8]
- 日本の戦後の歴史教育は、日本人が受けつぐべき文化と伝統を忘れ、日本人の誇りを失わせるものであった。特に近現代史では、日本人は子々孫々まで謝罪し続けることを運命づけられた罪人の如くにあつかわれている。
- 冷戦終結後は自虐的傾向が強まり、現行の歴史教科書は従軍慰安婦のような旧敵国のプロパガンダを事実として記述している。
- つくる会は、世界史的視野の中で、日本国と日本人の自画像を、品格とバランスをもって活写することで、祖先の活躍に心踊らせ、失敗の歴史にも目を向け、その苦楽を追体験できる、日本人の物語を語りあえる教科書をつくる。
- 子供たちが、日本人としての自信と責任を持ち、世界の平和と繁栄に献身できるようになる。
2005年5月10日に、つくる会が外国特派員協会で開催された記者会見において『新しい歴史教科書』の近現代史の英訳版を配布するとともに、欧米のプレスとの質疑応答で次のように主張した[9]:
- 『従軍慰安婦や強制連行、南京事件を削除し、創氏改名を正当化することが正しい教科書なのか』の質問に対しては、『1996年以前の韓国の教科書にも従軍慰安婦は記述されていなかった。また2005年4月12日付の朝日新聞の記事によると、全社の教科書が従軍慰安婦を削除している。それは証拠によってサポートされていない』と回答した。ただし他の問については回答を避けた。
- 扶桑社の教科書が学校で使われないのは、日本にある2大教職員組合がマルクス・レーニン主義を信奉しているため、国民との意識に大きなギャップがあるにもかかわらず、(教科書)採択に大きな影響力を持っているためである。
- 『日本軍の虐殺や強制連行や南京事件を書いていない。日本は戦前に戻るのではないかと心配になる』との指摘に対しては『町村外務大臣(当時)も検定を合格した教科書の中で、戦争を美化している教科書はないと言っている』として、『歴史の事実が明らかになればそのような誤解もとける』と主張していた。
つくる会の教科書について、以下の事柄を主張している。
- 近代日本を悪逆非道に描き出す「自虐史観」を克服し、次世代の子供たちに誇りある日本の歴史の真の姿を伝えるべきである。この教科書は「階級闘争史観」や「自虐史観」の拘束から自由になり、世界史的視野のなかで日本国と日本人の自画像を品格とバランスをもって論述している。そのため面白く、通読に耐える唯一の歴史教科書である[2]。
つくる会の活動概要
役員
役職 | 氏名 | 肩書 | 備考 |
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会長 | 高池勝彦 | 弁護士 | |
副会長 | 石原隆夫 | 一級建築士 株式会社エグゼ代表取締役社長 |
|
岡野俊昭 | 元銚子市長 元銚子市立第五中学校校長 |
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皿木喜久 | 元産経新聞社論説委員長 | ||
藤岡信勝 | 教育評論家 | ||
理事 | 荒木田修 | 弁護士 | |
海上知明 | NPO法人孫子経営塾理事 | ||
倉山満 | 憲政史家・皇室史学者 | ||
小山常実 | 大月短期大学名誉教授 | ||
高森明勅 | 日本文化総合研究所代表 | ||
富岡幸一郎 | 関東学院大学教授 | ||
三浦小太郎 | アジア自由民主連帯協議会事務局長 | ||
諸橋茂一 | 教育を考える石川県民の会会長 KBM社長 |
「真の近現代史観」懸賞論文受賞歴あり | |
山下英次 | 大阪市立大学名誉教授 | ||
吉永潤 | 神戸大学教授 | ||
監事 | 尾崎幸廣 | 弁護士 | |
松本淳一郎 | NPO法人 日本児童文化教育研究所理事 | ||
顧問 | 加瀬英明 | 外交評論家 自由社社長 |
|
杉原誠四郎 | 元城西大学教授 | ||
事務局長 | 越後俊太郎 |
歴代会長
新しい歴史教科書をつくる会 会長 | ||||
---|---|---|---|---|
代 | 氏名 | 就任日 | 備考 | |
1 | 西尾幹二 | 1997年1月 | ||
2 | 田中英道 | 2001年9月 | ||
3 | 八木秀次 | 2004年9月 | ||
4 | 種子島経 | 2006年2月 | ||
- | 高池勝彦 | 2006年4月 | 会長代行 | |
5 | 小林正 | 2006年9月 | ||
6 | 藤岡信勝 | 2007年5月 | ||
7 | 杉原誠四郎 | 2011年8月 | ||
8 | 高池勝彦 | 2015年10月 |
つくる会運動の離合集散
つくる会は幾度と無く路線対立等が原因で内紛を繰り返して来た。
1998年2月、理事会は「事務局員との確執」を理由に初代事務局長の草野隆光を解任する。後釜として大月隆寛が2代目の事務局長になったが、その大月も自律神経失調症から病み上がったばかりの1999年9月15日に、当時の西尾幹二会長から手紙で解任を勧告される。
1999年7月29日、理事会は当時の藤岡信勝副会長と濤川栄太副会長を解任する。藤岡は理事に留まったが、濤川は理事も退任。背景には藤岡と濤川の権力争いや、濤川の女性問題があった。
2002年2月、西部邁と小林よしのりが退会。反米保守であった小林、西部と、親米保守であった他の理事達の対立が原因。
2006年1月16日、西尾幹二が名誉会長を辞任して退会し、更に遠藤浩一、工藤美代子、福田逸が副会長を辞任する。ところが同年3月1日に藤岡は会長補佐に就任して復権し、同年2月27日に理事会は八木秀次会長、藤岡信勝副会長、宮崎正治事務局長を解任させ、宮崎は退職に追い込まれた。八木等を解任した表向きの理由は、2005年12月に理事会の許可を取らず中国へ赴き、現地の知識人と論争していた事とされる。しかし、当の解任された八木は藤岡に追放されたと主張している。この泥沼の内部抗争の原因は、肝心の公民、歴史教科書の採択率が軒並み1パーセントにも満たない事だと言われている。
後任の会長は種子島経になったが、地方支部と支援団体から反対意見が相次いだ為、2006年3月28日の理事会で八木秀次を副会長に選任して内紛の収拾が図られた。八木は同年7月に予定されている総会までに会長に復帰すると見られていたが、6月に別団体を設立し完全離脱。更にはやはり会員であったが離脱した屋山太郎も八木に同調して「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」(教科書改善の会)を設立。12月には、八木の命令で藤岡を誹謗中傷する怪文書を作ったと藤岡からブログ名指し批判された産経新聞記者が名誉毀損で藤岡を刑事告訴。これには地方支部から2007年4月に“分派行動であり相容れない”として、会長・小林の引責辞任を求める文書が提出され、これを受けて本部は小林を5月末で解任。関係解消を申し入れられた為、扶桑社とも手を切った。扶桑社は「教科書改善の会」と共に次回検定に向けて教科書編纂を行なうという。
一方、産経新聞が八木秀次の副会長選任に関する報道で「理事会では西尾幹二の影響力を排除する事を確認した」「宮崎正治の事務局復帰も検討されている」と言う記事を掲載した事に対し、つくる会と西尾幹二が抗議する。また、名誉会長を辞した西尾は自身のブログに於いて「脅迫を目的とした匿名メールが出回っている」と述べた上で、公安のイヌに成り下がった八木の犯行だと主張している。2007年7月、藤岡は八木を名誉毀損で提訴。さらに9月には八木及び産経新聞の記者らを業務妨害で刑事告訴した。
また、2005年4月、教科書検定受検前のサンプル版(白表紙本)が出版元の扶桑社から規則に違反して、一般に頒布・閲覧の用に供されていた事が発覚し、同社は文部科学省の指導を受けた。このサンプル版序文において「歴史は科学ではない」と言明し歴史は物語であるとしている点が、歴史学のディシプリンを根底から否定するものとして問題視され、多くの歴史家から反発を招いた。これには執筆者に歴史学者を擁していないことの影響も指摘されている。採択反対派は、この事実に加えて、つくる会の教科書と比較して他社の教科書を貶めるような宣伝(他社教科書の内容を中傷する小冊子を制作配布)をしているとし、採用を後押ししている産経新聞も含めた三者を公正取引委員会に独占禁止法違反で申告した。
これまで、つくる会の教科書は扶桑社から出されていたが、2007年2月26日に扶桑社はつくる会に対し「現行の『新しい歴史教科書』に対する各地の教育委員会の評価は低く、内容が右寄り過ぎて採択がとれない」である[11]として、採択率を上げるためのテコ入れ案として、路線対立から「つくる会」から脱退した「教科書改善の会」との協力ないし、一部執筆者の変更や扶桑社から教科書出版部門の別会社への転籍を提案したが、しかしつくる会が容認しなかったため、2007年5月に扶桑社から関係解消を通告された[12]。
つくる会は、扶桑社に代わる新たに教科書出版を引き受ける出版社を公募したうえで[13]、今後は東京都の自由社から出版される事が決定した。ただし自由社の石原萠記社長は著名な社会民主主義者でもあり、その思想傾向がつくる会の主張と合わないのではないかとの指摘もある(詳細についてはリンク先参照のこと)。しかしながら、西尾幹二は自身のホームページ[14]のなかで石原の『戦後日本知識人の発言軌跡』を引用した上で、「自由社の『自由』は『諸君!』『正論』の母胎なのです」と、あくまで保守系であると主張している。
またつくる会によれば扶桑社から版権の移動について相談するとしていたが[15]、扶桑社は採択した中学校のために2010年度まで使用されている『新しい歴史教科書』については、継続して扶桑社版が供給することになった。また扶桑社の教科書事業子会社としてフジテレビが3億円を出資して「育鵬社」を設立(社長は扶桑社の片桐松樹社長が兼任)し、そこから教科書改善の会が編纂する教科書を発行することになった[11]。
この扶桑社の態度に対し作る会は、弁護士を通じて2007年6月13日付けで、著作権は執筆者にあり扶桑社にはない、現行版の配給修了をもって著作権使用許諾を打ち切ることを通告する文書を発信した[11]。また、かつての同志であった屋山太郎が代表世話人をつとめ、多くの会員と支持者を引き抜いていった「教科書改善の会」を「特定出版社の応援団として知識人たちの運動団体」であり「つくる会がその教科書を失って消滅することを大前提にしてつくられるもの」として強く非難した[11]。そのため、従来つくる会の運動を支援してきたフジサンケイグループに対し事実上の絶縁状をたたきつけることとなった。
つくる会の沿革
- 1996年8月 西尾幹二と藤岡信勝が出会い各界有志に呼びかけ、つくる会創立の下準備をする。
- 1996年10月 現行の歴史教科書を辛辣に批判した西尾、藤岡共著『国民の油断』が刊行。
- 1996年12月2日 創立記者会見。
- 1997年1月30日 創立総会を開き、初代会長・西尾幹二、副会長・藤岡信勝とする。
- 1997年1月30日 西尾他6人が小杉隆文部大臣に教科書から従軍慰安婦記述の項目の削除を申し入れる。
- 1997年1月31日 賛同者として王貞治・ダイエーホークス監督の名前を発表する。西尾もテレビでその旨発言した(当人は否定)。
- 1997年2月 会長・西尾他、テレビ朝日「朝まで生テレビ!―従軍慰安婦問題と歴史教育」に出演し、問題提起する。
- 1997年3月 第1回シンポ「『自虐史観』を超えて」開催。
- 1997年5月 会報『史』創刊。
- 1997年12月 会員数が6000人を突破する。
- 1999年1月 神奈川支部設立。
- 1999年5月 教科書採択戦略会議を設立し、議長に理事・高橋史朗を置く。
- 1999年7月 つくる会副会長に高橋を選出。
- 1999年10月 47都道府県に48支部を設立する。(2004年8月現在は51支部にまで拡張)
- 1999年10月 西尾幹二著、つくる会編の『国民の歴史』出版。(2002年12月現在の発行部数72万部)
- 2000年4月 扶桑社、『新しい歴史教科書』、『新しい公民教科書』を文部省に検定申請し、それぞれ137箇所、99箇所に検定意見が付く。
- 2000年6月 宮城県議会で教科書制度の改善を求める請願を初採択。以降33道県議会で採択
- 2000年10月 検定審議官による『新しい歴史教科書』への検定不合格への働きかけが明らかになる。
- 2001年4月 扶桑社版『新しい歴史教科書』、『新しい公民教科書』が検定意見箇所を修正し、検定に合格。
- 2001年5月 『新しい歴史教科書』の検定合格に対し韓国や中国は激しく抗議し、再修正を日本側に要求。
- 2001年5月8日 韓国政府は、検定済みの中学校歴史教科書8種類すべてに対し、日本政府に修正を強く要求。
- 2001年6月 市販本『新しい歴史教科書』、『新しい公民教科書』発刊。(あわせて76万部のベストセラー)
- 2001年7月 一旦採択が決定していた栃木県下都賀地区の教育委員会の委員に脅迫が行われるなどの事件が起きる。
- 2001年8月7日 新左翼・革労協木元派革命軍が、つくる会事務所に放火し、犯行声明を出した。
- 2001年8月15日 中学校教科書の採択結果発表。歴史の採択率は0.039%、公民は0.055%。
- 2001年9月 つくる会新会長に理事・田中英道、新副会長に高橋、種子島経、藤岡の各理事。
- 2001年9月 西尾は名誉会長に就任し、理事に八木秀次が就任する。
- 2002年7月 第5回定期総会を開催。遠藤浩一、九里幾久雄、中西輝政、新田均の4人が理事に就任。
- 2002年7月 愛媛県教育委員会の“適正かつ公正な教科書採択を求める”署名運動。愛媛県で16万人、県外から25万人、計41万人の署名を愛媛県教育委員会へ提出。
- 2002年8月15日 2003年春開校の愛媛県立中高一貫教育校3校で『新しい歴史教科書』を採択。
- 2002年9月 第21回シンポ『日韓歴史認識の共有は可能か』開催。
- 2002年12月 公安調査庁は2001年版「内外情勢の回顧と展望」において、「つくる会」教科書の採択反対運動への過激派の関与を指摘。「内外の労組、市民団体や、在日韓国人団体などと共闘し、全国各地で教育委員会や地方議会に対して、不採択とするよう要求する陳情・要請活動を展開した」と記述。また、不採択運動に対する抗議に右翼団体の関与も指摘した。
- 2004年8月26日 2005年4月開校の都立中高一貫教育校で『新しい歴史教科書』を採択。
- 2004年11月10日 高橋、埼玉県教育委員への指名を受け退会。(“埼玉県での採択率を上げるための偽装退会だ”として就任反対運動が起き、また、高橋は教科書の監修に関与していながら教育委員に就任した事も発覚する。地方教育行政法違反の疑いとの指摘もある)
- 2005年4月 扶桑社、検定規則(省令)に違反し、検定通過前の白表紙本を教職員に配布していた事が発覚。管理の徹底と回収を三度に渡って文科省から指導されていた事も明らかになる[16][注釈 1]。
- 2005年4月21日 ホームページの「賛同者」リストを、ページを残して削除。(財界中心に撤回者が相次いだ為と見られる)
- 2005年8月1日 2005年版の市販本『新しい歴史教科書』、『新しい公民教科書』発刊。
- 2005年8月4日 東京都杉並区にて『新しい歴史教科書』採択の可能性が出てきたことに対し、この日の教育委員会審議に合わせて反対派団体による抗議行動が行われた。更にはこの団体に対して抗議する集団も1500人ほど集結した。この際、抗議行動をビデオ撮影していた男性に暴行を加えたとの容疑で、抗議行動に参加しようとしていた男性1名が逮捕された。警察はこの人物を中核派活動家であると発表した。→詳細は「杉並区歴史教科書採択騒動」を参照
- 2005年8月8日 つくる会、杉並区教育委員の一人を批判する内容の「公開質問状」を他の各委員・教委事務局・報道各社宛て送付、また送達前に内容を公表。
- 2005年8月12日 杉並区教育委員会、『新しい歴史教科書』を採択。区立中学校23校で2006年度から4年間使用されることとなった。著者である藤岡が採択審査を傍聴した事が反対派から問題視される。
- 2005年12月 警察庁は2005年の「治安の回顧と展望」において中核派について「『つくる会の教科書採択に反対する杉並親の会』と共闘して、市民運動を装いながら、杉並区役所の包囲行動、同区教育委員会への抗議・申し入れ、傍聴等に取り組んだ」と記述。また、公安調査庁の「内外情勢の回顧と展望」では「教労(教育労働者)決戦の一環として、教職員組合や市民団体に対し、同派系大衆団体を前面に立てて共同行動を呼びかけた」としており、つくる会への反対運動における中核派の関与を指摘した。ただし、2001年度版にあった右翼系団体に関する記述は削除されている。
- 2005年12月5日 「地域の伝統行事」の一例としてアイヌの写真を無断で掲載しアイヌ民族関連団体から抗議され、扶桑社は、市販本『新しい公民教科書』の市場出回り分残部(約一万冊)の回収を決定。
- 2006年1月17日、西尾幹二名誉会長辞任。院政も噂されたが(産経新聞)、本人がきっぱり否定。自身のインターネットサイト上で会とは無関係と宣言する。代りに八木秀次が会長に就任。
- 2006年2月27日、無断での中国旅行などを咎められ、八木秀次が会長職を辞任。種子島経が、会長職就任。
- 2006年3月28日 八木理事が副会長に就任。7月での評議会で会長就任説流れる[17]
- 2006年4月30日 種子島経会長、八木秀次副会長、揃って辞任。「つくる会」も離れることを発表。同時に、新田均事、内田智理事、勝岡寛次理事、松浦光修理事辞任。会を離れる。
- 2006年5月22日 中西輝政理事が辞任。評議会で承認される。
- 2006年5月26日 梅澤昇平が理事に就任。
- 2006年6月12日 工藤美代子、田久保忠衛両理事が辞任。代りに杉原誠四郎理事が就任。
- 2006年6月30日 八木、つくる会と袂を分かつ形で「日本教育再生機構」を設立。
- 2007年4月27日 つくる会東京都支部が茨城・東京三多摩の支部と連名で、“本部の混乱”(八木の「再生機構」設立を含むと思われる)について意見・提案書を公表、本部宛て提出。
- 2007年5月31日 つくる会、扶桑社から関係解消を通告される。「機構」に参加した小林正を解任。後任は副会長だった藤岡。扶桑社は今後はつくる会と袂を分けた元同志が結集した「再生機構」と提携することになった。そのためつくる会は事実上分裂。なお扶桑社は教科書出版子会社として「育鵬社」を設立。
- 2007年6月13日 つくる会の理事会は、版元となる出版社の選定を行う事を決定し、「歴史」は藤岡信勝、「公民」は小山常実が担当することが承認された[18]。また理事会では、渡辺眞が理事に選出され、小田村四郎顧問の辞任が承認された。
- 2007年9月9日 つくる会の第10回定期総会において、新たな教科書の版元として『伝統ある保守系の出版社』の「自由社」(石原萠記社長)と提携することが承認された[19]。
- 2013年9月11日 『はだしのゲン』が「日本軍のありもしない蛮行」を描き、また天皇や君が代を批判するなど学習指導要領に違反しており“有害図書”であるとして学校図書館から排除するよう求める要望書を文部科学省に提出[20]。
令和3年度使用教科書の検定不合格
2020年3月23日、つくる会が執筆した中学校の歴史教科書に100頁あたり120件以上の検定意見が出たため教科書検定に不合格となった[21]。つくる会によれは、文部科学省から405か所の「欠陥箇所」を指摘され、うち175か所について反論書を提出したが、全て却下され、2019年12月に不合格が確定したという。一度合格した教科書が不合格になるのは異例のことである[22]。
『アサヒ芸能』(2020年7月30日特大号)によると、この時検定にかかわった文部科学省の教科書調査官に、脱北者団体「自由北韓運動連合」が作成した「北朝鮮のスパイリスト」で北朝鮮の工作員として名指しされている人物X[注釈 2]が含まれている。公安関係者は同誌の取材に対し、調査官に北朝鮮のスパイがいるとすれば、検定が公正だったかどうか疑わしく、日本を貶めるような意図が働いたと考えるのが妥当ではないかと述べた[23][24]。乾正人は、Xが「従軍慰安婦」表記を中学校教科書に復活させ、つくる会の教科書を検定不合格にした張本人と見做している[25]。
つくる会は2020年6月、令和4年度からの使用を目指し、文部科学省に検定の再申請を行う方針を示した[26]。
つくる会教科書採択と反対運動
現場の教員、PTA、教育委員、歴史学者、アジア女性資料センター、"人間と性"教育研究協議会などの市民団体[27]が「歴史修正主義の教科書だ」、「戦前の軍国日本の肯定」などとして反対運動をしており、採択の可能性のある学校の周囲にて反対のビラを撒いたり、採択会場に乱入したり、「採択すると市民を殺す」等の脅迫電話を役所にかけたり[28]、時には暴力的行為[29]等を行っている。つくる会ではこうした脅迫めいた反対運動が採択が進まない一つの原因であるとしている。
公安調査庁によると、日本共産党や同党系団体は採択反対の取り組みをしており、代表的反対運動団体である「子どもと教科書全国ネット21」を側面から支援し、これらは採択関係者に抗議電話やファックスを集中的に送ったり、文科省周辺で「人間の鎖」を行うなど激しい反対運動を展開しているとしている[30]。また、過激派の共産主義者同盟戦旗派や共産主義者同盟 (全国委員会)が主導する「アジア共同行動日本連絡会議」が、採択に反対する内外の労組、在日韓国人団体などと共闘して全国各地の教育委員会や地方議会に対し、不採択とするよう積極的活動をしていたことが判明している[30]。
栃木県下都賀地区の場合、一度採択が決定したが、中核派主導の「百万人署名運動」が教科書採択協議会に抗議電話を殺到させており、結果的に栃木県下都賀地区は採択を撤回するに至っており、またJRCL(旧第四インター)や統一共産同盟の活動家が加わった団体が採択を検討していた和歌山県教育委員会に集中的に抗議ハガキや質問状を送り付けていたことも伝えられている[30]。
2002年には、革命的労働者協会(解放派)がつくる会事務所に時限発火装置で放火するテロ事件が発生している[29]。
中核派は2005年の杉並区で採択が検討された際にも教職員組合などと共闘して抗議運動をしていたことが伝えられており、インターネットで集まった賛成する市民に北島邦彦(都政を革新する会)が暴力をふるって逮捕される事件も起こった[31] 。
つくる会の教科書に賛同する教育委員(茨城県大洗町)や[注釈 3]、教育長(東京都、当時)や元文部省官僚の加戸守行愛媛県知事が直接関わって採択しようとした動きもあった。実際に愛媛県の県立中学校である養護学校では知事の意向が反映され採択(2001年)された。また県立の中高一貫校でも2004年に採択された。
韓国の報道機関のなかには「つくる会」を『日本の教科書わい曲団体「つくる会」』といった表現[32]をしており、また在日韓国人組織である「在日本大韓民国民団」が、つくる会の運動を、超党派議員で構成された「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」がバックアップしており、そこでの活動が「韓日関係の熱気を凍らせるもの」などとして採択反対運動を行う主張をしており[33]、杉並区での採択の際にも全国の民団員が次々と殺到して傍聴席に陣取り、杉並区議会で教科書採択の質問が出ると、禁止されている野次を続け、注意をされても止めず、さらに区長室の前にも多数で押し掛け、シュプレヒコールを繰り返している[34]。
愛媛県今治市で「新しい歴史教科書」を採択したことに対し、市民団体、在日韓国人、韓国人が原告となり使用停止を求める行政訴訟を起こした。2010年2月、この裁判の口頭弁論で来日していた韓国人歴史研究家が今治市教育委員会事務局を訪れて、「新しい歴史教科書」の採択を再検討するよう市教育長に求めた[35]。教育長は「事実を事実として教えている。平和を願わない人はおらず、戦争の悲惨さなどを伝える努力もしている」と述べた[35]。翌2011年4月には、韓国の市民グループ「アジアの平和と歴史教育連帯」の委員長も今治市教委を訪れ「新しい歴史教科書」の採択中止を要望した[36]。同グループは「韓国を強制で併合したことも正当化し、アジアとの真の友人関係をはぐくむことに反する」と主張している[36]。
つくる会作成の教科書の概要
教科書著作関係者
2001年4月検定合格版(扶桑社)
- 『中学社会 新しい歴史教科書』
2005年4月検定合格版(扶桑社)
2009年4月検定合格版(自由社)
- 『新編 新しい歴史教科書』
2011年3月検定合格版(自由社)
市販本
2001年4月検定合格版
- 『市販本 新しい歴史教科書』 ISBN 4594031552
- 『市販本 新しい公民教科書』 ISBN 4594031560
- 発行:2001年6月10日、扶桑社
2005年4月検定合格版
- 『市販本 新しい歴史教科書 改訂版』 ISBN 4594050093
- 『市販本 新しい公民教科書 新訂版』 ISBN 4594050107
- 発行:2005年8月10日、扶桑社
2009年4月検定合格版
- 『日本人の歴史教科書』 ISBN 4915237508
- 発行:2009年5月30日、自由社
2011年3月検定合格版
- 『市販本 新しい歴史教科書』 ISBN 9784915237614
- 『市販本 新しい公民教科書』 ISBN 9784915237621
- 発行:2011年5月1日、自由社
つくる会の教科書に対する反応
一般には、前述の経緯から「つくる会」が反日分子であると批判している左派勢力が反対して不採択運動を推し進めているとされている[9]。
谷沢永一は2001年に反論書『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』(ビジネス社刊)を出版し、同書のなかで最初は期待していたが、メンバーの歴史的知識の欠如が著しく、結局のところ「つくる会」も従来の自虐史観と一緒であるとして、このような教科書は世に出すべきではなかったと主張し、最後は「国は歴史教育から手を引け」と言う山崎正和の理論で締めくくっている[要ページ番号]。
山田洋次、広瀬隆のほか、歴史専攻の大学教員が参加し、「新しい歴史教科書」について歴史研究の方法論も含めてテーマ別に検証して反論をまとめた『別冊歴史読本』の特集号(安田常雄、吉村武彦編集、特集『歴史教科書大論争: テーマ別検証』、『別冊歴史読本』87巻、新人物往来社、2001年)が刊行された。
2011年6月21日、橋下徹大阪府知事が代表を務める「大阪維新の会」の市議団は、愛国心や公共心育成を盛り込んだ改正教育基本法と新学習指導要領に沿った中学校教科書を採択するよう求める要望書を市教委に提出する方針を示した[37][38]際に、検定に合格した教科書には自虐的な記述が見られるとして、「新しい歴史教科書」と「日本教育再生機構」のメンバーが執筆した育鵬社の教科書が「最も改正教育基本法の趣旨に沿った内容」と評価した[37]。
賛同意見
- 扶桑社の属する企業グループである産経新聞社は、好意的な記事を度々掲載しており、他社の教科書と比べ優れているとする記事を掲載していた。批判する言論に対して反日的ないし不公正であるとして反発していた。なお前述の経緯を経て2008年現在、サンケイグループと距離を取っている。
- 『民団新聞』によると、2004年6月14日に憲政記念館で開催された「つくる会」支持者のシンポジウムでは、次のような政治家(肩書は当時)がつくる会の活動を支持する発言をおこなった。
- 「新しい定型によって新しい教科書が出て参ったことを、私は前進だと思います」(河村建夫文部科学大臣)[39]
- 「従軍慰安婦という歴史的事実はなかった」「文部科学省にも教科書改善への働きかけを積極的におこなっていく」(安倍晋三自民党幹事長)[39]
- 「国を挙げて動いてくる、在日韓国人の団体の圧力がある」(西川京子自民党女性局長)[39]
- 「各地方の教育委員会に(つくる会採択を)呼びかけるよう、地方議員に呼びかける。自民党は今回初めて、『若手議員の会』(つくる会支援議員団体)を全面バックアップしている」(古屋圭司自民党代議士)[39]
- 日本教育再生機構の広報誌「教育再生」によれば、自民党所属の国会議員の中川昭一と中山成彬と八木秀次理事長の鼎談の中で、八木に対し中川、中山が明確に育鵬社・教科書改善の会への支持を表明しているという[40]。そのため、つくる会に対する上記の政治家の支持の現状は不明である。
- 「日本の過去を暗いイメージだけで書くのは子どもに夢を与えない。扶桑社版には戦時中に外国から感謝された日本人もいたことが書かれている」(東京都杉並区の「つくる会」教科書採択時における賛成側教育委員の意見)[41]。
この節の加筆が望まれています。 |
反対意見
2001年版に対する反対意見として谷沢永一は『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』(ビジネス社刊)において古代から近代に至るまで、ほぼ全編を徹底的に批判した。『歴史教科書大論争: テーマ別検証』『別冊歴史読本』87巻(2001年人物往来社)では、イデオロギー以外で内容の間違いがあるとして以下のように指摘している。また、2005年版の改訂版も内容がかなりソフトになり他社の教科書に比べても違和感がないものに仕上がっていた[独自研究?]が、逆にその結果、親米教科書だとして改訂版に対して小林よしのり・西尾幹二らが反対の声をあげた[42]。
歴史教科書への反対意見
- 日本神話の記述について問題になったものに天岩戸の物語がある。アメノウズメの命が天照大神を引き出すために踊ったくだりが「胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った」という性的描写があった。原典に忠実な現代語訳ではあるが、教科書でここまで表現する必要性はなく、思春期の生徒に対して不適切である[43]。2005年版では「おもしろおかしく踊った」というふうな遠回しな表現に修正された。
- 第一次世界大戦では、日本海軍は地中海に船団護衛のために巡洋艦および駆逐艦を派遣した(詳細は第一次世界大戦下の日本を参照のこと)が、2001年版244頁と245頁に「地中海での作戦中、ドイツ潜水艦から魚雷が発射された。その魚雷の発見が一瞬、遅れたときに、日本駆逐艦は連合国船舶の前に全速で突進して盾となり、撃沈されて責務を果たした。犠牲になった日本海軍将校の霊は、今もマルタ島の墓地に眠っている」とのエピソードが紹介されているが、事実誤認ばかりである。このエピソードは樺型駆逐艦「榊」の事であると思われるが、「榊」は1917年6月11日にオーストリア=ハンガリー帝国海軍の潜水艦U27から雷撃され艦首切断、戦死者59名負傷者16名を出す被害を受けている。日本海軍で大破したのは「榊」だけであり、修理に8か月を要したが撃沈されたわけではなく、現役復帰し1932年に除籍されるまで活躍していた。そのうえ榊が雷撃されたのは護衛任務からの帰途であり、盾になった事実はない。つくる会が日本海軍の活躍を取り混ぜて「盾になった、沈没した」と創作した話である[44]。
- 南京大虐殺(南京事件)を史実として扱っていないという意見[注釈 4]。2001年版教科書270頁では「このとき、日本軍によって民衆にも多数の死傷者が出た」として、南京市内の犠牲が出たことを認めてはいるが、戦争被害を出来るだけ軽視させるための記述である[45]。また、271頁では中国共産党が「政権をうばう戦略として、日本との戦争の長期化を方針としていた」記述しているが、根拠薄弱な事実を強調している[45]。
- 昭和天皇について「国民とともに歩まれた生涯」として人物コラムで2頁にわたり記述されているほか、終戦の聖断などマッカーサーの回想録を基に記述している。それらの記述は「昭和天皇神話」を作り出すものである[46]。
- 2001年版では銀輪部隊の活躍(同276頁)を写真付きで取り上げているが、この銀輪部隊は米英の機械化部隊に少しでもおいつこうとして、南部仏印(ベトナム)で現地徴発した自転車で急遽「制式採用」したものであり、戦時中の日本の宣伝そのままで、紹介したものであり、決して自慢できるものではない[47]。
- 与謝野晶子が日露戦争の際に発表した『君死にたまふことなかれ』(旅順攻囲戦に加わっていた弟を嘆いて作られた詩とされる)を、つくる会の教科書では、家の存続を願って跡取りである弟の無事を願ったにすぎないとして、与謝野の思想は「家や家族を重んじる着実なものであった」として、非戦の真意はないとした。しかしながら、与謝野は同時代の大町桂月の批判を「国粋主義者」と批判していることや、与謝野の反良妻賢母主義の生涯は従来の家制度的道徳に反するものである[48]。
- 歴史教科書は、国際的な視点で書かれるべきであり、日本的な視点のみで記述するのは望ましくない[49]。
- 新しい歴史教科書の記述には、誤って事実と異なっている部分があり、教科書としての正確性の検証が足りない[50]。
- 日本を擁護している割には、日本の正当性に関して綿密な記述が少なく、極東国際軍事裁判を基調とするいわゆる自虐史観を語り口によって情緒的に否定しようとする傾向がある。このような記述では、歴史を総合的に考察させることを妨げ、誤解を生じさせてしまう恐れがある[51]。
- 教育については、「教育勅語」の全文を掲載して注釈まで付けているのに対して、「教育基本法」については「教育基本法が制定されて民主主義教育の原則がうたわれ」としか記述がなく、戦前から戦後にかけての教育の変化(特に戦後の教育)を理解することが難しい[51]。
- 日本の歴史上の人物を安易に称賛するだけでは、外国の人物を考察することが不可能になる[51]。
- 広島・長崎の原子爆弾投下については、その必要性があったことが説明されることもあるが、原子爆弾の被害などについても触れられ、そのほかの教科書が一概に日本だけを悪とする記述にはなっているわけではない[52]。
- 中央権力以外の歴史・文化に殆ど無関心で、とても「日本の歴史」教科書と言えるものになっていない[53]。
- 古代の倭人と日本人を同一視するあまり、古代日本人の全体像を押さえていない[54]。
- 全体的に日本の多様な歴史や文化を一部の政治史に閉じ込めて、矮小化している[51]。
- つくる会の2001年版では、日米関係史に「反米」と現状肯定が奇妙に共存しており[55]、ペリー来航時の白旗書簡(現在は偽書とされる)を根拠に「砲艦外交」と批判して尊皇攘夷を正当化したのを初め、日英同盟の廃止をアメリカの強い意思でもたらされたものであり、日米開戦に至ったのもアメリカに問題があると主張しているうえに、アメリカによる占領政策が「自国の戦争に対する罪悪感をつかす」と反米的主張が繰り広げられている反面、1960年の日米安全保障条約改定を「これにより日米両国は、より対等の関係になった」と現状を肯定的に評価することで、相反する歴史観が叙述されている。
- 小林よしのりは改訂版について、ポツダム宣言は日本を破滅から救ったという親米的な記述が登場しているが、あまりにもアメリカへ媚びていると批判した[56]。
- 「(太平洋戦争について)扶桑社版は『日本の将兵は敢闘精神を発揮してよく戦った』などと書き、戦争に向かう教科書ではないかと不安を持った」(東京都杉並区の「つくる会」教科書採択時における反対側教育委員の意見)[41]。
- 「富岡製糸場など紡績業」とあるが、正しくは製糸業である[57]。
公民教科書への反対意見
- つくる会の公民教科書(2001年版)の最終章では「核兵器で日本を武装しよう」という「過激な主張」を展開していたとして反対意見を唱える者も存在している[58]。日本の国是である非核三原則に反する為、検定意見が付いたが、修正したことで今度は逆の論調になったという[58]。
教科書の中立的検証
大月隆寛、副島隆彦、高田明典、高橋順一、西岡昌紀、橋爪大三郎、日垣隆、宮崎学らは、「新しい歴史教科書」に関する右翼側と左翼側の論争にはウンザリであるとした上で、2001年度版の他の歴史や公民教科書と何が違うのかを細かく分野ごと(例;白村江の戦い、南京事件など)に検証し、独断でどちらがより正確な説明をしているかの判定をしている。「東京書籍・帝国書院・日本書籍など大手教科書出版社vsつくる会教科書」という若干不公平な形ではあるが、彼らは14分野をつくる会教科書、30分野を他の大手教科書の「勝ち」とし、18分野を引き分けとしている[59]。
つくる会の組織に対する批判
- つくる会元会長の田中英道は著書『新しい日本史観の確立』(文芸館)の中[要ページ番号]で、日本近代史にのみ熱意を燃やす「つくる会」の運動に疑問を呈し、もっと幅広い歴史観の見直しの必要性があると指摘している。
- 『新しい歴史教科書』が2001年検定の白表紙本の内容が漏洩・報道されたが、その白表紙本の序文「歴史を学ぶとは」の冒頭において、再び「歴史は科学ではない」と宣していたことが判明した[60]。そのため、強い批判にさらされ、従来つくる会に対し好意的であった多くの歴史学者からすら支持を失う決定打となった[61]。なお一連の記述は、文部科学省の意見がつけられ検定合格本から全面削除されている。
- 『新しい歴史教科書』を2002年度に採択したのは、私立中学校20校と公立学校6校であったが、公立学校でこの時採択されたのがいずれも養護学校であったため、障害者団体から政治的理由によるものとして批判の声が上がった[62]という。
- 上杉聰(日本の戦争責任資料センター事務局長)が、2005年発刊の共著『使ったら危険「つくる会」歴史・公民教科書』(明石書店)の中[要ページ番号]で、扶桑社の営業赤字の原因を一連のつくる会の教科書問題のためとして、近い将来扶桑社が教科書発行から手を引く可能性を指摘した。現実に、前述のようにつくる会との関係を解消したうえに別会社に移管することになった(育鵬社は扶桑社の100パーセント子会社)。
- 佐藤学東京大学大学院教授は、つくる会を「一般に言われているような右翼団体ではない。ナショナリズムを掲げた愛国主義者ではない」として「政治組織にして企業組織」と主張[63]しており、それによれば、「大東亜戦争は日本の自衛戦争であり、アジア解放の戦争であった」と主張する言論は特定の層にとって商品価値があり、「南京事件や従軍慰安婦は幻だった」という主張を出版し、それらを販売するのであるとしている。そのためつくる会との論争は会の自説をもっともらしく宣伝する恰好の手段である。そのため、たとえ虚妄の歴史観であっても「正史」とする欲望に捉われているため、つくる会との相互の認識を深めることはできないとしている。
その他
韓国の保守派民間団体「教科書フォーラム」が、現行の韓国の歴史教科書の左傾化を是正するとして、独自に記述を見直した『代案教科書 韓国近・現代史』を出版したが、従軍慰安婦を「従軍慰安婦が強制ではなく、大金を稼げるという言葉にだまされたものだ」とした記述に対し、韓国MBCテレビは2008年3月29日放送の報道番組「ニュース・フー」(News Who)に「ニューライト教科書、韓国版扶桑社?」と表現し批判的報道をした。
脚注
注釈
- ^ 当初ネット上では採択反対派が白表紙本を盗難したという主張(内容に対する反論をしていたため)をしていたが、主張自体が虚偽にすぎない陰謀説であった[要出典]。
- ^ 中国流の共産主義・毛沢東思想を称揚する著書も出版しているXは、筑波大学を卒業後に同大助手を経た後、韓国・霊山大学の講師に就任し、そこで韓国内で活動する北朝鮮工作員にスカウトされたという[23][24][25]。
- ^ 産経新聞2005年7月19日の報道では、大洗町の教育委員長と教育長が、「つくる会」教科書採用を却下した地区教科書採択協議会の決定に反発して、再協議を要求したうえ容れられない場合は決定とは別に町独自の判断で購入・使用する予定であるとした。ただし教育長は「そのような議論はしていないし、独自購入は教科書の無償配布を定めた特別措置法に違反する」と否定しており、実際に町独自で使われることもなかったので、産経の報道自体が捏造の疑いがあると批判する記事が読売新聞2005年7月25日の紙面に掲載された。
- ^ 旧大日本帝国陸軍の将校たちの親睦機関の偕行社の月刊誌「偕行」(1985年3月号)において、雑誌編集部は南京虐殺が事実であるとして、「中国人民に深くわびるしかない。まことに相すまぬ」と謝罪している。ここまでひどい!「つくる会」歴史・公民教科書―女性蔑視・歴史歪曲・国家主義批判(明石出版)引用。
出典
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- ^ a b つくる会WEBニュース 2007年5月31日 Archived 2007年6月9日, at the Wayback Machine.
- ^ つくる会WEBニュース平成19(2007)11月30日を参照のこと Archived 2007年12月5日, at the Wayback Machine.
- ^ つくる会WEBニュース平成19(2007)年5月31日 Archived 2007年6月9日, at the Wayback Machine.
- ^ 太田修(著)、朴一(著、原著)『「マンガ嫌韓流」のここがデタラメ』(コモンズ、ISBN 4861870232)[要ページ番号]
- ^ 米国下院が「慰安婦対日非難決議」を採択「つくる会」は「河野談話」破棄を求める声明を発表つくる会WEBニュース 2007年8月1日 Archived 2007年9月27日, at the Wayback Machine.
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- ^ 西尾幹二のインターネット日録「自由社の『自由』について」2007年9月9日
- ^ つくる会WEBニュース平成19(2007)年5月25日 Archived 2007年6月2日, at the Wayback Machine.
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- ^ 『どうちがうの? 新しい歴史教科書vsいままでの歴史教科書』(夏目書房)
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- ^ 朝日新聞2001年4月10日朝刊12頁、北海道新聞朝刊全道2001年5月14日7頁、週刊東洋経済2001年5月5日92-93頁など
- ^ 村野・事件犯罪研究会 2002 25頁
- ^ 安田・吉村 2001 136頁~140頁
関連書籍
- 小林よしのり責任編集、つくる会編 『新しい歴史教科書を「つくる会」という運動がある』 扶桑社、1998年 ISBN 4594026052
- 高橋史朗責任編集、つくる会編 『新しい教科書誕生!!』 PHP研究所、2000年 ISBN 4569612555
- 西尾幹二編 『新しい歴史教科書「つくる会」の主張』 徳間書店、2001年 ISBN 419861380X
- 『国民の―』シリーズ(産経新聞ニュースサービス、現在は産経新聞出版・発行、扶桑社・発売)
- 西尾幹二著、つくる会編 『国民の歴史』 1999年 ISBN 4594027814
- 西部邁著、つくる会編 『国民の道徳』 2000年 ISBN 459402937X
- 渡部昇一著 『国民の教育』 2001年 ISBN 4594033016 ISBN 459404834X
- 田中英道著、つくる会編 『国民の芸術』 2002年 ISBN 4594037577
- 中西輝政著、つくる会編 『国民の文明史』 2003年 ISBN 4594042759
- 八木秀次著、つくる会編 『国民の思想』 2005年 ISBN 4594049214
参考文献
- 坂井康夫「歴史を偽造・捏造する「つくる会」: 歴史修正主義の汚い手口(従軍慰安婦問題を中心に)」 『プロメテウス』42号、2001年11月。
- 「教科書に真実と自由を」連絡会(編)「徹底批判『国民の歴史』」、大月書店、2000年、ISBN 427252061X。
- 谷沢永一『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』ビジネス社、2001年。ISBN 4828409327。
- 安田常雄、吉村武彦「歴史教科書大論争―テーマ別検証」『別冊歴史読本』第87巻、新人物往来社、2001年、ISBN 4404027877。
- 歴史学研究会(編)「歴史家が読む「つくる会」教科書」、青木書店、2001年、ISBN 4250201465。
- 村野薫(編)、事件犯罪研究会(編)「明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典」、東京法経学院出版、2002年、ISBN 4808940035。
- 歴史学研究会(編)『歴史研究の現在と教科書問題―「つくる会」教科書を問う』青木書店、2005年。ISBN 425020524X。
関連項目
外部リンク
- 新しい歴史教科書をつくる会(公式サイト)
- 新しい歴史教科書をつくる会東京支部
- 新しい歴史教科書をつくる会岡山県支部
- 中学校歴史教科書に関する検定結果(平成12年度検定)受理番号12-34(株式会社扶桑社)検定意見書(文部科学省)
- “世論調査の結果”. テレビ朝日 (2001年4月). 2001年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月23日閲覧。