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大町桂月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大町桂月(撮影年月不明)

大町 桂月(おおまち けいげつ、1869年3月6日明治2年1月24日)- 1925年大正14年)6月10日)は、高知県出身の詩人歌人随筆家評論家。本名:大町芳衛(よしえ)。長男は化学者慶應義塾大学教授の大町芳文、次男は昆虫学者三重大学教授の大町文衛

経歴

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1869年(明治2年)、高知市北門筋(現・永国寺町[1])に元土佐藩士である通の息子として生まれる。名は芳衛。雅号の桂浜月下漁郎は、よさこい節にも唄われる観月の名所桂浜に因み、桂月はそれを縮めたもの。

1896年(明治29年)、東京帝国大学国文科卒[2]1899年(明治32年)、島根県で中学教師として奉職するも、1900年(明治33年)、乞われて博文館に入社し[3]1906年(明治39年)まで在籍。『文芸倶楽部』『太陽』『中學世界』などに随筆を書き、美文家として知られた。作品は韻文随筆紀行、評論、史伝、人生訓など多彩であった。格調高い文体から擬古派と言われた。和漢混在の独特な美文の紀行文は広く読まれた。

1902年7月25日に刊行された、内務大臣官房編纂『明治国民亀鑑』(1881年の褒賞条例によって褒賞を授けられた人々の伝記功績の記録)は桂月の執筆による。

1913年(大正2年)に出版された『人の運』は、洋の東西を問わず通ずる処世訓集として当時のベストセラーとなる。

また、明治大学で教鞭を執った。

終生酒と旅を愛し、「酒仙」とも「山水開眼の士」とも称された。晩年は遠く朝鮮、旧満州(中国東北部)まで足を延ばしている。

大雪山系、桂月岳(右から2番目)、黒岳(右端)

桂月は北海道層雲峡羽衣の滝の名付け親でもある。北海道各地を旅行してその魅力を紀行文で紹介した。大雪山系黒岳の近くには、彼の名前にちなんだ桂月岳という山がある。

青森県秋田県にまたがる十和田湖と青森県側の奥入瀬を殊に愛し、日本でも国立公園を設ける検討が始まると、1923年(大正12年)に『十和田湖を中心に国立公園を設置する請願』を起草するなど尽力した[4]。青森県五戸町出身で『太陽』編集長の鳥谷部春汀に誘われ十和田湖を初めて訪れたのは1908年(明治41年)夏で、秋に発行された同誌に載せた「奥羽一周記」で十和田湖の素晴らしさを広く紹介した[4][5]。晩年は同地の蔦温泉に居住し、1925年(大正14年)4月には本籍地も蔦温泉に移したが、ほどなく胃潰瘍のため温泉旅館で死去、56歳。戒名は清文院桂月鉄脚居士[6]。墓は、蔦温泉の温泉旅館の近くにある。(現在は雑司ヶ谷霊園にもある)

仏ヶ浦極楽浜に立つ大町桂月歌碑

桂浜に碑がある。側面には「見よや見よ みな月のみのかつら浜 海のおもよりいづる月かげ」の歌が刻まれ、大正7年、38年ぶりに、故郷の土を踏んだ桂月が、同郷の愛弟子田中桃葉(貢太郎)と、この桂浜に遊歩した折の作歌である。

与謝野晶子と桂月

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1904年(明治37年)9月に『明星』に発表された与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」に対して、「皇室中心主義の眼を以て、晶子の詩を検すれば、乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるものなり」と『太陽』誌上で非難している。これに対して与謝野晶子は『明星』11月号で「ひらきぶみ」を発表し、「歌はまことの心を歌うもの」と弁明している。

現在、大町桂月の評価が低いのは、こうした当時としては「常識的」で「多数派」であった発言が、後年の目から見れば国粋主義的に写ることから来ている面もある。しかし、この騒動以前は桂月は晶子の才能を認めており、親交も深かった歌人であった。晶子は57歳で病没した桂月に『横浜貿易新報』(現在の『神奈川新聞』)に追憶を寄せている。

顕彰

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蔦温泉には大町桂月資料館が設けられている[5][4]

「大町桂月先生顕彰碑」が桂浜に建立されている[7]

主著書

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  • 一蓑一笠』博文館、明治34年2月
  • 行雲流水』博文館、明治42年4月
  • 『桂月全集』全12巻 1922-1923年(大正11-12年)

参考文献

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脚注

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  1. ^ 【作家紹介】大町桂月(おおまちけいげつ) 高知県立文学館 2024年3月6日閲覧。
  2. ^ 『帝国大学一覧 従明治29年至明治30年』帝国大学、1896年、p.523
  3. ^ 「簸川中学校時代」(田中貢太郎 1926, pp. 49–53)
  4. ^ a b c 【旅を旅して】十和田湖(青森県十和田市、秋田県小坂町)「十和田湖は、風光の衆美を一つに集めたる、天下有数の勝地也」大町桂月(1908年)偉大な山湖 瑠璃色の神秘『読売新聞』日曜朝刊別刷り「よみほっと」2022年7月24日1-2面
  5. ^ a b 蔦温泉の歴史(2022年8月1日閲覧)
  6. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)62頁
  7. ^ 『板垣精神』一般社団法人板垣退助先生顕彰会編纂

関連項目

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外部リンク

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