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[[宮城県]]出身。1967年に[[一橋大学法学部]]を卒業。学生時代、[[仲小路彰]]に師事。外務省に入省。イギリス陸軍語学学校でロシア語研修を受けた後、[[モスクワ]]在勤。1979年[[イラン革命]]時の在[[イラン]]日本大使館一等書記官、1991年の[[ソビエト連邦の崩壊]]時の在[[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]]日本大使館公使、2004年の[[オレンジ革命]]時の駐ウクライナ特命全権大使を務めた。 |
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[[ソウル特別市|ソウル]]勤務時代に日本の息子へ送った手紙を、在ソウル日本大使館の広報誌に韓国語で連載していたところ、韓国国内で大きな反響があり、1991年に著書にまとめ『息子への手紙』として日本及び韓国で出版し、両国でベストセラーとなった。同書の印税は[[李方子]]が設立した知的障害児施設[[明暉園]]に寄付された<ref>日本経済新聞1991年10月20日</ref>。 |
[[ソウル特別市|ソウル]]勤務時代に日本の息子へ送った手紙を、在ソウル日本大使館の広報誌に韓国語で連載していたところ、韓国国内で大きな反響があり、1991年に著書にまとめ『息子への手紙』として日本及び韓国で出版し、両国でベストセラーとなった。同書の印税は[[李方子]]が設立した知的障害児施設[[明暉園]]に寄付された<ref>日本経済新聞1991年10月20日</ref>。 |
2020年12月26日 (土) 00:04時点における版
天江 喜七郎(あまえ きしちろう、1943年 - )は、日本の外交官。外務省中近東アフリカ局長、在ウクライナ特命全権大使、外務省参与、国立京都国際会館館長等を歴任。
人物
宮城県出身。1967年に一橋大学法学部を卒業。学生時代、仲小路彰に師事。外務省に入省。イギリス陸軍語学学校でロシア語研修を受けた後、モスクワ在勤。1979年イラン革命時の在イラン日本大使館一等書記官、1991年のソビエト連邦の崩壊時の在ソヴィエト連邦日本大使館公使、2004年のオレンジ革命時の駐ウクライナ特命全権大使を務めた。
ソウル勤務時代に日本の息子へ送った手紙を、在ソウル日本大使館の広報誌に韓国語で連載していたところ、韓国国内で大きな反響があり、1991年に著書にまとめ『息子への手紙』として日本及び韓国で出版し、両国でベストセラーとなった。同書の印税は李方子が設立した知的障害児施設明暉園に寄付された[1]。
2006年大阪担当特命全権大使就任時には、京都や神戸の人にも親近感を持ってほしいと考え、外務省首脳にかけあい、関西担当大使に名称を変更した[2]。
その後外務省参与等を経て、国立京都国際会館館長、同志社大学法学部客員教授を務めた。
経歴
- 1943年 - 宮城県仙台市出身
- 1962年 - 宮城県仙台第二高等学校卒業、一橋大学法学部入学
- 1967年 - 一橋大学法学部卒業、外務省入省
- 1979年 - 在イラン日本大使館一等書記官
- 1984年 - 外務省大臣官房国際報道課長
- 1985年 - 外務省国際連合局国連政策課長
- 1987年 - 在大韓民国日本大使館広報文化院院長・参事官
- 1990年 - 在ソビエト連邦日本大使館公使
- 1993年 - 在ロシア日本国大使館公使兼ウクライナ公使兼ウズベキスタン公使兼カザフスタン公使兼キルギスタン公使兼ベラルーシ公使
- 1994年 - 外務省大臣官房審議官
- 1995年 - ホノルル総領事
- 1998年 - 外務省中近東アフリカ局長
- 2000年 - 在シリア特命全権大使
- 2002年 - 在ウクライナ特命全権大使 兼 在モルドバ特命全権大使
- 2005年 - 特命全権大使大阪担当
- 2006年 - 外務省退官、外務省参与、特命全権大使関西担当
- 2007年 - 大使退任
- 2008年 - 外務省参与、裏千家インターナショナルアソシエーション会長
- 2009年 - 国立京都国際会館館長、財団法人国立京都国際会館常任理事(常勤)・外務省参与
- 2010年 - 同志社大学法学部客員教授(ロシア・東欧地域研究)・外務省参与
- 2012年 - KDDI株式会社監査役
- 2019年 - 春の叙勲で瑞宝中綬章を受章[3]。
- 源氏物語千年紀委員会企画部委員、歴史街道推進協議会参与、日本ユニセフ協会大阪支部顧問
- 2008年サミット外相会合京都支援推進協議会顧問、日本万国博覧会記念基金事業審査会委員、日本国際連合協会評議員
- 財団法人合気会理事、財団法人京都文化交流コンベンションビューロー副理事長、財団法人京都市国際交流協会理事
- 社団法人茶道裏千家淡交会顧問、関西日本ラトビア協会会長、都山流尺八演奏家三好芫山後援会淡交会顧問
- 学校法人京都産業大学監事、鴻池運輸株式会社社外取締役、財団法人京都オムロン地域協力基金理事等も歴任
同期
外務省入省同期には、阿南惟茂、竹内行夫(外務次官)、高野紀元(駐韓大使)、黒川祐次(駐ウクライナ大使)、山崎隆一郎、杉内直敏(駐コスタリカ大使)、阿部信泰(ウィーン代表部大使)、上田秀明(駐ポーランド大使)、伊藤哲朗(東海大教授、駐セネガル大使)、伊藤庄亮(駐ガーナ大使)、神長善次(駐ネパール大使)など。
著作
単著
- 息子への手紙―韓国にいる父親より日本の息子へ(1991年10月、學生社)ISBN 978-4311600234
論文
- 「大使のおすすめ パルミラ紀行/シリア」(外交18(4)(通号106)、2002年10月11日)
- 「現地だより シリアより」(中東研究2001年2月(3)(通号476)、2001年2月)
- 「座談会 経済支援から調停外交へ--日本はいかにして貢献できるか(特集 中東和平--相互信頼の新時代)」(坂本吉弘、立山良司他と共著)(外交フォーラム13(2)(通号 138)、2000年2月)
- 「イラク制裁問題の実情と日本〔含 質疑応答〕」(世界経済評論42(6)、1998年6月)
脚注
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