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2020年11月1日 (日) 11:09時点における版
森 裕子 もり ゆうこ | |
---|---|
演説中の森ゆうこ | |
生年月日 | 1956年4月20日(68歳) |
出生地 | 日本 新潟県新潟市秋葉区 |
出身校 | 新潟大学法文学部英文科卒業 |
前職 | 新潟県女性財団企画部長 |
所属政党 |
(自由党→) (民主党→) (国民の生活が第一→) (日本未来の党→) (生活の党→) (生活の党と山本太郎となかまたち→) (自由党→) (旧国民民主党→) 立憲民主党 |
称号 | 文学士 |
公式サイト | 参議院議員 森ゆうこ 公式サイト |
選挙区 | 新潟県選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
2001年7月29日 - 2013年7月28日 2016年7月26日 - 現職 |
横越町議会議員 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1999年 - 2001年 |
森 ゆうこ(森 裕子、もり ゆうこ、1956年4月20日 ‐ )は、日本の政治家。立憲民主党所属の参議院議員(3期)。 文部科学副大臣(野田内閣)、国民の生活が第一幹事長代行、日本未来の党副代表、生活の党代表、同代表代行、自由党幹事長兼参議院会長などを歴任した。現在立憲民主党副代表。
来歴
新潟県新津市(現:新潟市秋葉区)出身。新津市立新津第五中学校、新潟県立新津高等学校、新潟大学法文学部(現:人文学部)英文科卒業。大学在学中よりディスカウントストアチェーン創業に参画し、子育てをしながら英語塾を経営する。その後、公民館に勤務しながら、介護ボランティアグループの組織作りに努め、町おこし塾「阿賀の里づくり・よこごし」会長、ミニコミ誌「夢がっと」初代編集長を務める。また、新潟県女性海外派遣事業(主催:新潟県女性センター)や全国農業会議所主催の西欧農業女性事情調査団などに加わって北欧や西欧を視察後、新潟県女性財団で企画委員、企画部長を務める。
1999年、中蒲原郡横越町(現在の新潟市江南区)町議会議員選挙に初当選。横越町議会初の女性議員となる。2000年6月に行われた第42回衆議院議員総選挙で自由党・菊田真紀子の選挙を手伝った縁で、翌2001年3月、自由党からの出馬要請を受ける。2001年7月、第19回参議院議員通常選挙に、家族の後押しにより新潟県選挙区から出馬し、初当選。2003年、静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わる[1]。
民由合併に伴い、民主党に移る。2007年7月、第21回参議院議員通常選挙に、新潟県選挙区から民主党公認で立候補し、再選される。
2012年、野田内閣による消費増税法案の閣議決定に抗議して3月30日に文部科学副大臣の辞表を提出し[2][3][4]、4月4日の持ち回り閣議で了承された[5][6]。7月2日には民主党に離党届を提出し[7][8][9]、7月3日に受理された[10][11]。
同月11日に国民の生活が第一の結党に参加し[12]、党幹事長代行(参議院担当)兼参議院幹事長に就任。11月28日には、滋賀県知事・嘉田由紀子 が結成した日本未来の党に参加し[13]、党副代表に就任した。 2012年12月27日、日本未来の党が分裂、小沢率いる生活の党に入党。党代表に就任した[14]。2013年1月25日、生活の党代表を辞任、新しい代表には小沢一郎が就任した。森は新設の代表代行に就いた。
2013年7月、第23回参議院議員通常選挙に、新潟県選挙区から生活の党公認で出馬するも落選する。2014年11月、第47回衆議院議員総選挙に、田中眞紀子の不出馬で民主党候補の空白域となっていた新潟5区から出馬すると発表。同月、鈴木克昌の民主党移籍に伴い、代表代行に復帰する。
2014年12月、第47回衆議院議員総選挙に新潟5区から出馬するも落選。
2016年7月、第24回参議院議員通常選挙に野党統一候補として新潟県選挙区から無所属で出馬し、中原八一を破り3年ぶりに返り咲きを果たし、3期目の当選[15]。当面は生活の党と山本太郎となかまたちに所属せず無所属で活動することを表明した[16]。
2016年11月5日、自由党新潟県総支部連合会拡大幹事会で自由党所属が承認された[17]。合わせて自由党と社会民主党で作る参議院院内会派「希望の会」に所属することも承認された[18]。
2018年10月23日、沖縄県知事選に出馬した玉城デニーの後任として幹事長に就任[19]。2019年4月26日に所属する自由党が国民民主党に合流したことに伴い、国民民主党所属となった[20]。
2020年8月19日、国民民主党は両院議員総会を開き、立憲民主党と合流し新党を結成する案を賛成多数で可決[21]。同日、森は「安倍政権を倒すためには野党が一つになるしかない」と述べ、新党に参加する意向を表明した[22]。
国会での主な活動
本会議での長演説
2004年6月4日の参議院本会議で、年金制度改革関連法案の成立を阻止するため、国井正幸厚生労働委員長解任決議案の提案趣旨説明に立ち、3時間1分に渡るフィリバスター(長時間演説による議事引き延ばし抵抗戦術)を行って、現憲法下の国会における最長演説記録を更新した[23]。
その内容は「身の上話や議事録の棒読みで時間を稼ぐなど中身の薄いもの」(6月5日、朝日新聞社説)と批判され、当時の参議院議長・倉田寛之から何度も「簡潔に、常識の範囲でやってください」と注意された。終了後、記者団の質問に「これから本題に入るところだった。まだ数時間やるつもりでした」「選挙で一日マイクを握ってても大丈夫ですから」と答えている。野党側はフィリバスターのみならず牛歩戦術なども利用して議事妨害したため、同日に与党が予定していた年金関連法案の可決・成立は、翌5日にずれ込んだ。
拉致議連活動
2005年6月25日、拉致被害者家族連絡会と拉致議連の合同訪韓において、1997年に北朝鮮から亡命した元朝鮮労働党書記・黄長燁(ファン・ジャンヨプ)と面会した。この時、森は途中退席し、当時拉致議連幹事長だった西村眞悟の許可を得て、「個別の具体的なことは知らないが(死亡とされた被害者は)非常に重要な機密を知っているがために、北朝鮮側が『死んだ』という発表を行った可能性が強い。全員が死んでいるとは考えられない」とのファン・ジャンヨプの発言をマスコミに公開した(この会談の内容はその後、内閣・政府に提出されている)。なおこの森発言は、当時拉致議連の事務局長であった平沢勝栄によって訂正されているが、この平沢発言に対して「平沢が会談の内容を独占してメディアに取材させるために行った虚偽の発言」と主張する救う会関係者もいる。後日、混乱を起こしたことにより、平沢は拉致議連総会において森に謝罪した(ファン・ジャンヨプが発言した内容が真実であることは内閣・政府に提出した会談の内容を読めば確認できる)。 2006年10月11日、参院予算委員会において、北朝鮮拉致被害者支援の立場から、拉致被害者家族が北朝鮮の国民と家族に向けてメッセージを放送する短波ラジオ「しおかぜ」を支援するように参議院で提案する。この提案は了承され、政府からNHKに対して「しおかぜ」への援助要請が行われることとなった。
懲罰決議
2006年10月11日 参議院予算委員会において、森は週刊現代の「安倍晋三は拉致問題を食い物にしている」という記事で、安倍が中国朝鮮族の大物実業家に対して「8人の家族さえ帰国させれば北朝鮮としてはやることをやったということでしょう」と発言したと書かれている件について質問したが、安倍からは「私はそういう記事はいちいち読んでいません。拉致を食い物にしているとか、そういうことをこの委員会で言うのは失礼じゃありませんか」と返答した[24]。また、一部議員からも批判され、同年2月より起こった堀江メール問題における永田寿康の言動とも絡めて「まだ民主党は情報の正誤の確認もろくにできないのか(週刊誌を情報源にしているのか)」と批判する声も出た。この発言に対して、自民・公明両党は同月13日、森に対する懲罰動議が参議院議長にされた[25]。
三原発言への批判
2010年10月21日の参議院厚生労働委員会において、子宮頸がんの予防ワクチンと子宮頸がん検診の無料化を訴える三原じゅん子の発言を批判した。三原が自身の子宮頸がんの影響による子宮摘出経験を踏まえて「女性にとって最も大切な、子供を産むという機能を失ってしまった」と述べたことに対し、「女性は子供を産むためにあるような表現で不適切だ」と批判した[26]。
文部科学副大臣として
2011年から2012年にかけて、野田内閣で文部科学副大臣を務めた。
参院委員会の質問通告遅れ問題
2019年10月11日、森議員による参院予算委員会の質問通告が遅くなり、令和元年東日本台風(台風19号)が接近する中、多くの省庁職員が答弁作成のため深夜まで残業することになったとSNS上で指摘が相次いだ[27][28][29]。森の質問通告は夕刻以降五月雨式に続いたという[27]。通告が遅くなれば該当する省庁職員は深夜や翌日まで待機や答弁の準備を強いられることになる[27]。森はツイッター上で「予算委質会質問通告は、11日金曜日16時30分に提出済み」と返信し、それに対し「なんで16:30に出したなんて嘘つくんですか?」と返信が寄せられたため炎上することとなった[30]。森は15日、産経新聞の取材に対し「質問通告の時間は守った、もう終わった話だ」として、詳細な説明には応じなかった[31]。11日17時までに質問通告を提出した後も関連資料を追加で政府側に渡したことは認めた[31]。国民民主党の玉木代表はツイッター上で「事実であれば問題、党を代表してお詫びする、事実関係を調べる」とツイートした[27][31]。
15日、元参議院議員の松井孝治が参議院予算委員会の議事進行文書の画像を公開した[32]。これについて16日、原口一博国対委員長と国会内で会見し、森の質問の時間や内容が省庁から外部に漏洩したとして衆参両院で合同調査チームを設けることを明らかにした[33][34]。また、17日に行われた主要野党の会談に出席し「憲法51条に対する挑戦だ」などと反論した[35]。18日に行われた国民民主党や立憲民主党が設けた調査チームの会合では、Twitterを中心とするSNS上で出回った参議院予算委員会の質問通告時間に関する文書の画像が、官公庁から内部漏洩したものである可能性が高いという指摘がなされ、内閣府に発信者を特定するように要求があった[36]。一方、21日、国民民主党の玉木雄一郎代表は「内部告発を保護する観点からすると、特定することで萎縮効果を与えてもいけない。今回、問題となった情報がどれだけ秘匿性の高い、保護すべき秘密だったかも含め、しっかりと検討しなければならない」とコメントした[37]。
11月8日の衆議院経済産業委員会での足立康史の質問により、森裕子の質問通告が参議院予算委員部から正式に内閣総務官室に送られたのが10月11日の22時であることが明らかにされた。16時30分に送られたのは質疑者の氏名・順位・時間、および出席を求める国務大臣を記載した文書で、質疑内容は記載されていなかった[38]。
原英史に対する発言
2019年10月15日のNHK中継内の参院予算委員会質疑で、毎日新聞の記事をベースに「(政府の国家戦略特区ワーキンググループ座長代理の)原英史と密接な関係にある会社が、特区提案者からお金を受けてコンサル業務をしていた」「国家公務員だったら、あっせん利得、収賄で刑罰を受ける」と主張[30][39]。
それに対して、原を含む15名の有識者を発起人として「森氏を除名などの懲罰に処すとともに、再発防止策を講じるよう求める」とする署名活動を開始した[39]。原は23日に国会内で記者会見を行って、森の発言について事実関係を全面否定し、「国会議員による不当な人権侵害は許されるべきではない」と強調した[39]。
11月13日、森裕子が原英史の自宅住所が記載された資料を自身のホームページとツイッター上に公開していたことが報道された[40]。この資料は原に関する社団法人の登記資料で、森が7日の参院農林水産委員会で質問を行った後に公開した[40]。8日に原の指摘を受け、住所部分を黒塗りにして再公開した[40]。13日、森は国会内で記者団に対し「個人の住所という認識がなかった」と釈明した[41]。14日には、国民民主党の川合孝典理事が参院議院運営委員会理事会において「今後このようなことがないようにしたい」と謝罪した[42]。19日には日本維新の会が、森に対する懲罰を検討するよう山東昭子参院議長に文書で申し入れた[43]。20日、国民民主党の玉木雄一郎代表が記者会見において、森による個人情報漏洩ついて陳謝、質問通告問題についても「改めていくべきところも多々ある」と指摘した[44]。
政治活動
司法問題
2010年1月に衆議院議員・石川知裕が政治資金規正法違反の容疑で逮捕されると、「検察をトップとする官僚機構と、国民の代表である民主党政権との全面的な戦争。一致団結して最後まで戦う」と検察の姿勢を批判した[45]。
2010年1月19日、円より子と共に「検察は、取り調べの録画・録音など自分たちに不都合な制度を推し進めようとしている民主党政権をつぶそうと強引な捜査をしている」などと検察当局の捜査を批判し、当時の法務大臣・千葉景子に適正な捜査を求める申し入れを行うことや、逮捕された石川知裕の釈放を求める活動を行うことを宣言。
2010年1月27日には、上記の検察の手口を公の場で説明するために、「民主党衆参国会議員各位 これを読めば石川議員逮捕の背景が分かります!!」と書かれた文書と検察批判記事の載った日刊ゲンダイを民主党議員に配布した[46]。
2004年、検察審査会に強制起訴権限を持たせる検察審査会法改正案に賛成票を投じたが[47]、2010年に検察審査会によって小沢一郎に対する起訴議決が行われて以降は、検察審査会の強制起訴機能を批判している。
2002年に鈴木宗男事件で鈴木宗男が逮捕された後には「(子供たちに)政治家はみんな悪いことをするんだね、結局みんな鈴木宗男になるんでしょうと言われ、私は言葉を失いました[48]」と、鈴木が「悪いことをする政治家の代表格」であることを前提とした発言をしていたが、2009年に民主党が告発した議院証言法違反を含む4つの罪で鈴木の有罪が確定し、鈴木が失職した際には「無実の政治家が容易にバッジを奪われる[49]」と鈴木を擁護するコメントをした。
2012年には、日本の検察と裁判所の組織的腐敗の実態を告発する著書『検察の罠』を日本文芸社から出版した。
政策、主張
- 2014年衆院選 毎日新聞候補者アンケート
- 2016参院選 毎日新聞候補者アンケート
- 安全保障関連法は廃止すべき[51]。
- 憲法9条の改正・緊急事態条項の創設に反対[51]。
- 政治的公平性を欠く放送を繰り返した放送局に対し、電波停止を命じる可能性に言及した高市早苗総務相の姿は問題だ[51]。
- 来年4月の消費税率10%への引き上げについて、法改正し、引き上げを延期または中止すべきだ[51]。
- 安倍政権の経済政策アベノミクスの恩恵は、地方や中小企業に及んでいるとは思わない[51]。
- 米軍普天間基地は国外に移設すべき[51]。
- 核武装について、将来にわたって検討すべきでない[51]。
- 選択的夫婦別姓制度に「賛成」[52]。
- 河野談話問題では2012年8月27日の参院理事会にて外山斎とともに河野洋平・石原信雄の参考人招致を求めていた。
人物
夫との間に二女一男あり。新潟動物ネットワークから里親として預かった猫2匹を飼い、名前は「タビ」と「モチ」である。
所属していた団体・議員連盟
脚注
- ^ 国会議員署名これまでと今後の展望 - 空港はいらない静岡県民の会(2009年3月7日時点のアーカイブ)
- ^ “【消費税増税】森副大臣が辞任意向 混乱続く与党”. 産経新聞. (2012年3月30日). オリジナルの2012年3月30日時点におけるアーカイブ。
- ^ “小沢グループの4人、副大臣・政務官の辞表提出”. 読売新聞. (2012年3月30日). オリジナルの2012年4月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ “黄川田副大臣ら4人辞表=小沢系、消費増税に抗議”. livedoor ニュース. 時事通信. (2012年3月30日). オリジナルの2012年3月30日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【消費税増税】政務三役の辞任を了承 国会審議などを考慮”. 産経新聞. (2012年4月4日). オリジナルの2012年4月14日時点におけるアーカイブ。
- ^ “原発暫定基準、週内に提示 官房長官が見通し”. 朝日新聞. (2012年4月4日). オリジナルの2012年4月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【民主分裂】谷亮子氏、姫井由美子氏、青木愛氏…山岡賢次民主副代表提出の離党届議員 一部は離党否定”. 産経新聞. (2012年7月2日). オリジナルの2012年7月2日時点におけるアーカイブ。
- ^ “<民主分裂>小沢元代表ら50人離党届 階、辻氏は離党せず”. 毎日新聞. (2012年7月2日). オリジナルの2012年7月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ “離党届を提出した衆参議員一覧…小沢ガールズも”. 読売新聞. (2012年7月2日). オリジナルの2012年7月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【民主分裂】一体改革関連法案をめぐる民主党の処分・措置等一覧(敬称略)”. 産経新聞. (2012年7月3日). オリジナルの2012年7月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ “「造反事実ない」と参院12人の離党届を受理”. 読売新聞. (2012年7月4日). オリジナルの2012年7月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ “新党の参加議員”. 時事ドットコム (時事通信社). (2012年7月11日). オリジナルの2012年12月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ 日本未来の党が設立届 飯田氏「小沢氏は無役」 日本経済新聞 2012年11月28日
- ^ 未来が分裂「生活の党」代表に森裕子氏 日本経済新聞 2012年12月27日
- ^ 2016参院選 新潟選挙区開票速報
- ^ 森裕子氏「当面は無所属」 時事ドットコム 2016年7月26日
- ^ “新潟県総支部連合会「拡大幹事会」開催”. 自由党 (2016年11月7日). 2016年11月9日閲覧。
- ^ “森裕子参院議員:「希望の会」入り 自由党県連了承 /新潟”. 毎日新聞 (2016年11月6日). 2016年11月9日閲覧。
- ^ 小沢共同代表、自由党幹事長に森裕子を任命日刊スポーツ2018年10月24日付
- ^ “国民民主党、合併手続き終了”. 時事通信 (2019年4月26日). 2019年4月27日閲覧。
- ^ “国民民主、立民との合流決定 過半議員が合流新党へ”. 日本経済新聞. (2020年8月19日) 2020年9月12日閲覧。
- ^ “国民・森氏、新党に参加へ 「野党が一つになるしかない」”. 新潟日報. (2020年8月20日) 2020年9月13日閲覧。
- ^ なお、それまでの最長記録は、1999年8月11日の参議院本会議で民主党参議院議員・円より子が通信傍受法案採決に抵抗するため行った2時間8分だった。日本の憲政史上の最長フィリバスターは1929年、武富濟の5時間30分)。
- ^ “第165回国会 参議院 予算委員会 第1号 平成18年10月11日”. 参議院. 2020年7月25日閲覧。
- ^ 第165回国会(臨時会)議員森ゆうこ君を懲罰に付するの動議 [1]
- ^ 三原じゅん子議員、森ゆうこ議員の批判「眼中にない」 - スポーツ報知 2010年10月23日
- ^ a b c d “森裕子議員、質問通告遅れる? 省庁深夜残業か 本人は否定”. 産経新聞. (2019年10月12日) 2019年10月20日閲覧。
- ^ “台風接近中の質問通告、霞が関に波紋 SNS投稿相次ぐ”. 日本経済新聞. (2019年10月16日) 2019年10月20日閲覧。
- ^ “台風なのに帰宅できない国家公務員の悲惨な現状”. livedoorニュース BLOGOS. (2019年10月12日) 2019年10月20日閲覧。
- ^ a b “森裕子議員、国会で一般人を名指し「収賄罪」と虚偽情報流布…「最低の政治家」と批判高まる”. Business Journal. (2019年10月21日) 2019年10月24日閲覧。
- ^ a b c “国民・森裕子氏「終わった話」 質問通告 詳細説明応じず”. 産経新聞. (2019年10月15日) 2019年10月20日閲覧。
- ^ “「官僚ブラック労働」は置き去り 森裕子氏の質問通告問題”. 産経新聞. (2019年10月25日) 2019年11月12日閲覧。
- ^ “官僚、質問漏えいか 国民・森氏が非難 参院予算委”. 毎日新聞. (2019年10月17日) 2019年10月20日閲覧。
- ^ “森参院議員の通告問題 野党「情報漏洩」と調査チーム”. 産経新聞. (2019年10月16日) 2019年10月20日閲覧。
- ^ “主要野党「政府側による質問妨害」と連携確認 森氏の質問通告問題”. 産経新聞. (2019年10月17日) 2019年10月20日閲覧。
- ^ “内部通報者の特定を要求 質問通告流出で野党調査チーム”. 産経新聞. (2019年10月18日) 2019年10月20日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年10月21日). “匿名アカウント特定に慎重姿勢 質問通告問題で国民・玉木代表”. 産経ニュース. 2019年10月21日閲覧。
- ^ “第200回国会 経済産業委員会 第4号(令和元年11月8日(金曜日))”. 衆議院. 2020年7月25日閲覧。
- ^ a b c “森裕子氏の懲罰求め署名活動 政府WG委員「事実無根」”. 産経新聞. (2019年10月23日) 2019年10月24日閲覧。
- ^ a b c “特区WG原氏の住所を公開 国民・森氏、党が注意”. 時事通信. (2019年11月13日) 2019年11月14日閲覧。
- ^ “国民・森参院議員、個人住所をHPで公開 「認識なかった」と釈明”. 産経新聞. (2019年11月13日) 2019年11月14日閲覧。
- ^ “国民民主・森裕子氏の有識者住所公開問題で野党会派が謝罪”. 産経新聞. (2019年11月14日) 2019年11月19日閲覧。
- ^ “国民・森氏の懲罰申し入れ 維新”. 時事通信. (2019年11月19日) 2019年11月19日閲覧。
- ^ “国民・玉木代表、森議員の個人情報公開問題で陳謝”. 産経新聞. (2019年11月20日) 2019年11月20日閲覧。
- ^ [2]
- ^ [3]
- ^ 参議院本会議2004年5月21日「刑事訴訟法等の一部を改正する法律案」投票結果
- ^ 参議院本会議2002年6月24日議事録
- ^ Twitter / 森ゆうこ
- ^ 2014年衆院選 毎日新聞候補者アンケート
- ^ a b c d e f g 2016参院選 毎日新聞候補者アンケート
- ^ 朝日新聞2016年参院選候補者アンケート(朝日・東大谷口研究室共同調査)(2016年6月23日閲覧)
関連項目
外部リンク
- 参議院議員 森ゆうこ 公式サイト - 公式サイト
- 参議院議員 森ゆうこ - 公式ブログ
- 参議院議員森ゆうこ (@moriyukogiin) - X(旧Twitter)
- 森 ゆうこ (yuko.mori.75873) - Facebook
- 参議院議員森ゆうこ (@mori_yuko_sangiin) - Instagram
公職 | ||
---|---|---|
先代 笹木竜三 鈴木寛 |
文部科学副大臣 奥村展三と共同 2011年 - 2012年 |
次代 奥村展三 高井美穂 |
党職 | ||
先代 玉城デニー |
自由党幹事長 第3代 : 2018年 - 2019年 |
次代 (解散) |
先代 青木愛 |
自由党参議院会長 第3代 : 2016年 - 2019年 |
次代 (解散) |
先代 結成 |
生活の党代表 初代 : 2012年 - 2013年 |
次代 小沢一郎 |
先代 新設 鈴木克昌 |
生活の党代表代行 初代 : 2013年 第3代 : 2014年 |
次代 鈴木克昌 (空席) |
先代 結成 |
日本未来の党副代表 2012年 |
次代 分党 |
先代 結成 |
国民の生活が第一幹事長代行 初代 : 2012年 |
次代 日本未来の党へ合流 |