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2020年9月14日 (月) 22:23時点における版
下伊敷 | |
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北緯31度37分28.1秒 東経130度32分38.6秒 / 北緯31.624472度 東経130.544056度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 伊敷地域 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 7,644人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
890-0005(下伊敷一丁目から三丁目) 890-0004(下伊敷町) |
下伊敷(しもいしき Shimo-Ishiki)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島郡鹿児島近在下伊敷村、鹿児島郡伊敷村大字下伊敷。下伊敷一丁目から下伊敷三丁目及び下伊敷町があり、下伊敷一丁目から下伊敷三丁目では住居表示を実施している。郵便番号は下伊敷は890-0005、下伊敷町は890-0004。人口は7,644人、世帯数は3,871世帯(2020年4月1日現在)[1]。
地理
鹿児島市北部、甲突川中流域に位置している。町域の北方には伊敷、伊敷台、南方には草牟田町、草牟田、西方には玉里団地、若葉町、東方には小野にそれぞれ接している。
西部には南北に国道3号が通り、北部には東西に横断して鹿児島県道208号坂元伊敷線が通っている。主に住宅街であるが、伊敷地域など鹿児島市の北西部の中心街となっており国道3号沿いには商店などの商業施設も多くある。
また教育施設も多数所在しており、町域の南端部には鹿児島市立伊敷中学校、隣接して鹿児島大学教育学部附属特別支援学校、鹿児島市立玉江小学校、鹿児島県立短期大学がある。また、2011年までは鹿児島県立盲学校が所在していたが、上福元町に移転した。また2012年3月までは鹿児島県立鹿児島西高等学校が所在していたが、鹿児島県立明桜館高等学校に統合され廃校となった。
また、玉江小学校付近には1896年(明治29年)に熊本城から移転して以降第二次世界大戦終戦まで第6師団歩兵第45連隊の本部が置かれていた[2]。
下伊敷には、団地が2つ(共に市営住宅)があり、下伊敷三丁目に所在の『日当平(ひなたびら)団地』は、1号棟が2つある珍しい形である。若葉町側の1号棟は、特に『日当平改良住宅』と区別されて呼ばれている。
また、鹿児島県営の下伊敷団地も、別途所在する。
歴史
成立から町村制施行まで
下伊敷という地名は室町期より見え、薩摩国鹿児島郡のうちであった。文明5年の田代肥前入道清定書状に見えるのが下伊敷という地名の初見であるとされている[3]。
江戸期は鹿児島郡鹿児島近在のうちの下伊敷村であり、村高は「天保郷帳」では1,222石余、「旧高旧領取調帳」では1,587石余であった[3]。
町村制施行以降
1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、鹿児島近在のうち5村より伊敷村が成立し、江戸期の下伊敷村は伊敷村の大字「下伊敷」となった。1892年(明治25年)には国道(現国道3号)が開通し、交通の要所としても発展する。
1911年(明治44年)には下伊敷のうち草牟田地区が鹿児島市に編入され、鹿児島市草牟田町となり、1920年(大正9年)には下伊敷のうちの紙屋谷地区が鹿児島市に編入され、鹿児島市玉里町となった。
1950年(昭和25年)には伊敷村の全域が鹿児島市に編入され、それまでの大字下伊敷の区域は鹿児島市の町名「下伊敷町」となった。1978年(昭和53年)には一部の区域が玉里団地一丁目から玉里団地三丁目、若葉町に分割された[3]。
1995年(平成7年)2月13日に下伊敷町の一部より下伊敷一丁目から下伊敷三丁目までが設置され[4]、同時に住居表示が実施された[5]。同年10月5日には下伊敷町の一部が伊敷町に編入された[6]。
町・字域の変遷
実施後 | 実施年 | 実施前 |
---|---|---|
鹿児島市草牟田町 | 1911年(明治44年) | 伊敷村大字下伊敷(草牟田地区) |
鹿児島市玉里町 | 1920年(大正9年) | 伊敷村大字下伊敷(紙屋谷地区) |
玉里団地一丁目から玉里団地三丁目 | 1978年(昭和53年) | 下伊敷町の一部 |
若葉町 | ||
下伊敷一丁目から下伊敷三丁目 | 1995年(平成7年) | |
伊敷町の一部 |
世帯数・人口
世帯数 | 人口 | |
---|---|---|
下伊敷一丁目 | 1,457 | 2,800 |
下伊敷二丁目 | 962 | 1,859 |
下伊敷三丁目 | 1,414 | 2,920 |
下伊敷町 | 38 | 65 |
施設
- 公共
-
- 国土交通省鹿児島国道事務所鹿児島維持出張所
- 教育
-
- 鹿児島県立短期大学
- 鹿児島大学教育学部附属特別支援学校
- 国立病院機構鹿児島医療センター附属鹿児島看護学校
- 鹿児島市立玉江小学校
- 鹿児島市立伊敷中学校
- 玉里自動車学校
- 病院
-
- 鹿児島逓信病院
- 郵便局
-
- 鹿児島下伊敷郵便局
- 鹿児島日当平郵便局
-
鹿児島県立鹿児島西高等学校(2011年度閉校)
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[7]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
下伊敷一丁目 | 全域 | 鹿児島市立玉江小学校 | 鹿児島市立伊敷中学校 |
下伊敷二丁目 | 31 - 34 | 鹿児島市立坂元小学校 | 鹿児島市立坂元中学校 |
下伊敷二丁目 | その他 | 鹿児島市立玉江小学校 | 鹿児島市立伊敷中学校 |
下伊敷三丁目 | 下記以外 | ||
下伊敷三丁目 | 70、72、76 - 89の全部と69、71の各一部 | 鹿児島市立伊敷台小学校 | 鹿児島市立伊敷台中学校 |
下伊敷町 | 明ヶ窪 ひがし台第2・3工区 |
鹿児島市立坂元小学校 | 鹿児島市立坂元中学校 |
下伊敷町 | ひがし台第1工区 | 鹿児島市立伊敷台小学校 | 鹿児島市立伊敷台中学校 |
- ひがし台は、伊敷ニュータウンひがし台の事。
交通
道路
- 国道
脚注
- ^ a b “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』 角川書店 p.685
- ^ a b c 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』 角川書店 P.338
- ^ 平成7年鹿児島県告示第253号(町の区域の設定及び変更、平成7年2月10日付鹿児島県公報第885号所収)
- ^ 都市計画関連事業 (5) 住居表示 - 鹿児島市 2011年9月19日閲覧。
- ^ 平成7年鹿児島県告示第1133号(町の区域の変更、平成7月7月19日付鹿児島県公報第951号の2所収)
- ^ “小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2010年6月9日閲覧。
関連項目
座標: 北緯31度37分28.1秒 東経130度32分38.6秒 / 北緯31.624472度 東経130.544056度