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「1969年のワールドシリーズ」の版間の差分

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{{Infobox World Series Expanded
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|image=[[File:10 rn new-york-mets-world-champions-1969-set.jpg|300px]]<br />当時の[[アメリカ合衆国大統領]][[リチャード・ニクソン]]に贈られた記念品。両球団選手のサイン入り[[野球ボール|ボール]]や[[チャンピオンリング]]などが含まれている
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}}
}}
'''1969年のワールドシリーズ'''は、[[1969年]][[10月11日]]から[[10月16日]]まで行われた[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]の[[ワールドシリーズ]]である。


1969年の[[野球]]において、[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグベースボール(MLB)]]優勝決定戦の'''第66回[[ワールドシリーズ]]'''({{lang-en|66th World Series}})は、10月11日から16日にかけて計5試合が開催された。その結果、[[ニューヨーク・メッツ]]([[ナショナルリーグ]])が[[ボルチモア・オリオールズ]]([[アメリカンリーグ]])を4勝1敗で下し、球団創設8年目で初の優勝を果たした。
== 概要 ==
第66回ワールドシリーズ。この年より東西二地区制となり、各リーグの東西二地区の優勝チームによる[[リーグチャンピオンシップシリーズ]]が5回戦制で行われリーグ優勝を決める方式となった。[[アメリカンリーグ]]は[[アメリカンリーグ西地区|西地区]]の覇者[[ミネソタ・ツインズ]]を破り[[1966年のワールドシリーズ|1966年]]以来3年ぶりの出場を果たした[[ボルチモア・オリオールズ]]と、[[ナショナルリーグ]]は[[ナショナルリーグ西地区|西地区]]の覇者[[アトランタ・ブレーブス]]を破り初出場を果たした[[ニューヨーク・メッツ]]との対戦となった。結果は4勝1敗でニューヨーク・メッツが球団創設8年目にして初優勝。[[1962年]]の創設以来毎年下位に低迷し「お荷物球団」とまで言われたメッツがこの年予想外の快進撃を魅せ「'''ミラクル・メッツ'''」と称された。


前年までは両リーグとも、総当たりのレギュラーシーズンで最高勝率を記録した球団がそのままリーグ優勝となり、ワールドシリーズへ進出していた。それがこの年から、東・西2地区に分かれてそれぞれのレギュラーシーズン優勝球団を決めたうえで、その地区優勝球団どうしが5戦3勝制の[[リーグチャンピオンシップシリーズ|リーグ優勝決定戦]]で対戦し、そのシリーズを制した球団がワールドシリーズへ進出する方式に改められた。
[[最優秀選手 (MLB)#ワールドシリーズMVP|MVP]]は打率.357、3本塁打、4打点の成績をあげた[[ドン・クレンデノン]]が初選出。

レギュラーシーズンで100勝以上を挙げた球団どうしがワールドシリーズで対戦するのは、[[1942年のワールドシリーズ|1942年]]以来27年ぶり6度目<ref>Matt Kelly and Manny Randhawa, "[https://www.mlb.com/news/astros-dodgers-have-each-won-100-plus-games-c259323604 Astros-Dodgers joins 100-win Series history / For 8th time, Fall Classic features pair of teams that hit century mark]," ''MLB.com'', October 22, 2017. 2020年10月17日閲覧。</ref>。また、{{Mlby|1961|d=y}}以降の[[エクスパンション]]によって創設された球団がシリーズに出場するのも優勝するのも、今回が初めてである。メッツは{{Mlby|1962|d=y}}の創設以来7年間で、リーグ最下位の10位が5度、下から2番目の9位が2度と長らく低迷していた。しかしこの年、初のシーズン勝ち越しを[[ナショナルリーグ東地区|東地区]]優勝で飾ると、新設の[[1969年のナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ|ナショナルリーグ優勝決定戦]]では[[アトランタ・ブレーブス]]を3勝0敗で一蹴し、続いてこのワールドシリーズでも全24球団最高勝率のオリオールズを下した。弱小球団の予想外の快進撃を、人々は "アメイジング・メッツ"(Amazin' Mets、「驚異のメッツ」)や "ミラクル・メッツ"(Miracle Mets、「奇跡のメッツ」)と称した<ref>Mike DiGiovanna, "[https://www.latimes.com/sports/story/2019-08-17/1969-mets-world-series-championship-50th-anniversary-rod-gaspar The 1969 World Series champion Mets remain Amazin’ 50 years later]," ''[[ロサンゼルス・タイムズ|Los Angeles Times]]'', August 17, 2019. 2020年10月17日閲覧。</ref>。[[ワールドシリーズ最優秀選手賞|シリーズMVP]]には、第2戦と第4戦で先制のソロ[[本塁打]]を放つなど、4試合で[[打率]].357・3本塁打・4[[打点]]・[[OPS (野球)|OPS]] 1.509という成績を残したメッツの[[ドン・クレンデノン]]が選出された。レギュラーシーズン途中で移籍してきた選手の同賞受賞は、賞創設15年目でクレンデノンが初である<ref>Anthony Castrovince, "[https://www.mlb.com/news/steve-pearce-wins-2018-world-series-mvp-c299887962 Pearce rides midseason trade to Series MVP]," ''MLB.com'', October 29, 2018. 2020年10月17日閲覧。</ref>。

この年の[[アメリカ合衆国]]のプロスポーツにおいて、[[ニューヨーク州]][[ニューヨーク]]のチームが[[メリーランド州]][[ボルチモア]]のチームにポストシーズンで勝利するのは、今シリーズが3度目だった。1月には[[アメリカンフットボール]]の[[第3回スーパーボウル|NFL・AFLスーパーボウル]]で[[ニューヨーク・ジェッツ]]が[[インディアナポリス・コルツ|ボルチモア・コルツ]]に勝利し優勝、4月には[[バスケットボール]]の[[1968-1969シーズンのNBA|NBAプレイオフ]]1回戦で[[ニューヨーク・ニックス]]が[[ワシントン・ウィザーズ|ボルチモア・ブレッツ]]を下していた<ref>Emily Gest, "[https://www.nydailynews.com/archives/nydn-features/bitter-tale-cities-baltimore-seeking-redemption-article-1.915287 A BITTER TALE OF TWO CITIES Baltimore seeking redemption]," ''[[デイリーニューズ (ニューヨーク)|NY Daily News]]'', January 28, 2001. 2020年10月17日閲覧。</ref>。[[1970-1971シーズンのNBA|2年後のNBAプレイオフ]]でブレッツがニックスに勝利した際、ブレッツの[[ケビン・ローアリー]]は「知っておかなきゃいけないのは、ボルチモアはニューヨークに常に敗れてきたということだ。俺らはニックスに勝てず、コルツはジェッツに勝てず、そしてオリオールズはメッツに勝てなかった」と言及している<ref>Elliott Kalb, "[http://archive.nba.com/encyclopedia/knicks_bullets_rivalry.html A Classic Rivalry]," ''[[NBA|NBA.com]]''. 2020年10月17日閲覧。</ref>。


== 試合結果 ==
== 試合結果 ==
1969年のワールドシリーズは10月11日に開幕し、途中に移動日を挟んで6日間で5試合が行われた。日程・結果は以下の通り。
表中の'''R'''は[[得点]]、'''H'''は[[安打]]、'''E'''は[[失策]]を示す。日付は現地時間。

{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; white-space:nowrap; margin:10px"
!日付||試合||ビジター球団(先攻)||スコア||ホーム球団(後攻)||colspan="2"|開催球場
|-
|10月11日(土)||第1戦||ニューヨーク・メッツ||style="color:#FFFFFF; background-color:#000000"|1-'''4'''||style="color:#FFFFFF; background-color:#000000"|'''ボルチモア・オリオールズ'''||rowspan="2"|メモリアル・スタジアム||rowspan="7"|{{Location map+|USA|width=350|caption=|places=
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}}
|-
|10月12日(日)||第2戦||style="color:#FFFFFF; background-color:#002D72"|'''ニューヨーク・メッツ'''||style="color:#FFFFFF; background-color:#002D72"|'''2'''-1||ボルチモア・オリオールズ
|-
|10月13日(月)|| ||colspan="3" style="border-left:hidden; border-right:hidden"|移動日||
|-
|10月14日(火)||第3戦||ボルチモア・オリオールズ||style="color:#FFFFFF; background-color:#002D72"|0-'''5'''||style="color:#FFFFFF; background-color:#002D72"|'''ニューヨーク・メッツ'''||rowspan="3"|シェイ・スタジアム
|-
|10月15日(水)||第4戦||ボルチモア・オリオールズ||style="color:#FFFFFF; background-color:#002D72"|1-'''2x'''||style="color:#FFFFFF; background-color:#002D72"|'''ニューヨーク・メッツ'''
|-
|10月16日(木)||第5戦||ボルチモア・オリオールズ||style="color:#FFFFFF; background-color:#002D72"|3-'''5'''||style="color:#FFFFFF; background-color:#002D72"|'''ニューヨーク・メッツ'''
|-
!colspan="6"|優勝:ニューヨーク・メッツ(4勝1敗 / 球団創設8年目で初)
|}

=== 第1戦 10月11日 ===
=== 第1戦 10月11日 ===
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*[[メリーランド州]][[ボルチモア]] - [[メモリアル・スタジアム (ボルチモア)|メモリアル・スタジアム]]
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* [[メモリアル・スタジアム (ボルチモア)|メモリアル・スタジアム]]([[メリーランド州]][[ボルチモア]])
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:オリオールズは初回、メッツ先発シーバーから先頭打者ビュフォードがソロ本塁打を放ち先制、4回には2死1、2塁から[[マーク・ベランジャー]]、クェイヤー、ビュフォードの3連打で3点を追加。一方メッツは7回にオリオールズ先発のクェイヤーを攻め1死満塁の好機を迎えるが、8番ワイスの犠飛で1点を返したのみ。クェイヤーはそのまま完投し、オリオールズが先勝。
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オリオールズは主力選手の多くが[[1966年のワールドシリーズ|3年前にもワールドシリーズを経験]]しているのに対し、メッツの選手のほとんどはこれがワールドシリーズ初出場だった。試合前、メッツのクラブハウスは、[[ドン・クレンデノン]]が「[[死体安置所]]みたい」と言うほど重い空気に包まれていた<ref name="toughestfoe">Andrew Marchand, "[https://nypost.com/1999/10/15/miracle-met-hero-battles-toughest-foe/ MIRACLE MET HERO BATTLES TOUGHEST FOE]," ''[[ニューヨーク・ポスト|New York Post]]'', October 15, 1999. 2020年10月17日閲覧。</ref>。一方のオリオールズは、メッツばかりが持て囃されている状況に闘志をかき立てていた<ref name="plainfolk">Mark Mulvoy, "[https://vault.si.com/vault/1969/10/20/just-call-them-plain-folk-heroes JUST CALL THEM PLAIN FOLK HEROES]," ''[[スポーツ・イラストレイテッド|Sports Illustrated Vault]]'', October 20, 1969. 2020年10月17日閲覧。</ref>。

この日の[[先発投手]]は、オリオールズが[[マイク・クェイヤー]]、メッツが[[トム・シーバー]]。両投手とも今シリーズ終了後に、それぞれのリーグで[[サイ・ヤング賞]]を受賞することになる。その年の同賞受賞予定者どうしがシリーズで先発として投げ合うのは、[[1968年のワールドシリーズ|前年]]の第1戦と第4戦以来、これが3度目である<ref>The Hartford Courant, "[https://www.courant.com/news/connecticut/hc-xpm-1996-10-25-9610250927-story.html AWARD-WINNING MATCHUP]," ''[[:en:Hartford Courant|Hartford Courant]]'', October 25, 1996. 2020年10月17日閲覧。</ref>。オリオールズは初回裏、先頭打者[[ドン・ビュフォード]]がシーバーの2球目を捉え、右翼手[[ロン・スウォボダ]]の頭上を越す先制[[本塁打]]とした。ワールドシリーズの初戦・初回先頭打者本塁打は史上初だった<ref>Roger Schlueter, "[https://www.mlb.com/news/royals-game-1-win-has-leadoff-hr-walk-off/c-155777530 Stats of the Day: Thrills to start, end Game 1]," ''MLB.com'', October 28, 2015. 2020年10月17日閲覧。</ref>。スウォボダが遊撃手[[バド・ハレルソン]]から聞いた話によると、ビュフォードは二塁を回る際にハレルソンへ「まだまだお楽しみはこれからだぜ」と声をかけたという<ref>Anthony Rieber, "[https://www.newsday.com/sports/baseball/mets/mets-1969-world-series-1.37558860 Fifty years ago, the Mets did the impossible by winning the World Series]," ''[[ニューズデイ|Newsday]]'', October 17, 2019. 2020年10月17日閲覧。</ref>。オリオールズは4回裏にも、二死無走者から[[安打]]と[[四球]]で一・二塁とし、8番[[マーク・ベランガー]]→9番クェイヤー→1番ビュフォードの3連続適時打で3点を加えた。シーバーは5回裏を終えたところで降板に追い込まれた。数日前の練習中に脚を痛めたこともあって、登板間のルーティーンである走り込みができておらず、降板後には「ガス欠だ」と話した<ref>[[:en:Tom Verducci|Tom Verducci]], "[https://www.si.com/mlb/2019/10/23/tom-seaver-1969-mets-world-series Tom Seaver and the Enduring Hope of the 1969 Mets]," ''Sports Illustrated'', October 23, 2019. 2020年10月17日閲覧。</ref>。クレンデノンも、この日のシーバーは普段の25%しか実力を発揮できていなかったと述べた<ref name="toughestfoe" />。オリオールズの先発投手クェイヤーは7回表に一死満塁の危機を招き、8番[[アル・ワイス]]の[[犠牲フライ]]で1点を返される。さらに二死一・二塁から、[[代打]][[ロッド・ガスパー]]が三塁線へゴロを放った。[[内野安打]]になりそうな[[打球]]だったが、三塁手[[ブルックス・ロビンソン]]が素早い処理で一塁へ[[送球]]してアウトとし、メッツの反撃を断った<ref name="plainfolk" />。クェイヤーは8回以降も続投し、[[完投]]勝利を挙げた。

今シリーズの全米テレビ中継で実況を務めた[[カート・ガウディ]]の息子は、2019年に[[ジム・パーマー]]と会食した。そのときパーマーは今シリーズについて、オリオールズが初戦終了の段階で4連勝の "スウィープ" も視野に入れるほど自信過剰になっていた、と振り返ったという<ref>[[:en:Neil Best (journalist)|Neil Best]], "[https://www.newsday.com/sports/baseball/mets/mets-1969-world-series-sny-1.44356774 SNY to air entire 1969 World Series, including Mets' Game 1 loss to Orioles]," ''Newsday'', May 3, 2020. 2020年10月17日閲覧。</ref>。その一方、シーバーもこの試合では[[敗戦投手]]になったが、試合後「オリオールズは、昔の[[ニューヨーク・ヤンキース|ヤンキース]]のようなスーパーチームかと思っていた。でも今日の試合で、十分戦えることがわかった」と自信を得ていた<ref name="slugger2005">[[出野哲也]] 「歴史が動いた日――1969年10月16日 万年最下位のメッツが創設以来初の世界一に!」 『[[スラッガー (雑誌)|月刊スラッガー]]』2005年11月号、[[日本スポーツ企画出版社]]、2005年、[[雑誌コード|雑誌]]15509-1、88-90頁。</ref>。メッツの三塁手[[エド・チャールズ]]は、[[マイナーリーグベースボール|マイナーリーグ]]時代から面識のあるオリオールズ投手コーチの[[ジョージ・バンバーガー]]に「今年最後の勝利、せいぜい楽しんでおけよ」と声をかけた<ref name="maddenkooz">[[:en:Bill Madden (sportswriter)|Bill Madden]], "[https://www.nydailynews.com/sports/baseball/mets/ny-sports-bill-madden-jerry-koosman-interview-69-mets-anniversary-20190604-fi7i2h655bewtbtppilhtf5rwe-story.html What Jerry Koosman and Tom Seaver did 50 years ago is unimaginable today]," ''New York Daily News'', June 4, 2019. 2020年10月17日閲覧。</ref>。この「今年最後の勝利」というチャールズの言葉が、5日後に現実のものとなる。


=== 第2戦 10月12日 ===
=== 第2戦 10月12日 ===
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*[[メリーランド州]][[ボルチモア]] - [[メモリアル・スタジアム (ボルチモア)|メモリアル・スタジアム]]
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|topic=MLB.comによる動画{{En icon}}
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* [[メモリアル・スタジアム (ボルチモア)|メモリアル・スタジアム]]([[メリーランド州]][[ボルチモア]])
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{{Baseball Lineup Card
:マクナリーとクーズマンの投げ合いで両軍無得点で迎えた4回、メッツは先頭クレンデノンのソロで先制。一方オリオールズは7回、左前打と盗塁で2塁に進んだ[[ポール・ブレアー (野球)|ポール・ブレアー]]を[[ブルックス・ロビンソン]]が中前打で返し同点。そのまま迎えた9回表、メッツは2死から[[エド・チャールズ]]と[[ジェリー・グロート]]の連打で1、3塁とするとワイスが左前打を打ち勝ち越し。その裏、オリオールズは2死から[[フランク・ロビンソン]]と[[ブーグ・パウエル]]が四球で出塁し1、2塁とするとメッツは完投目前のクーズマンからテイラーにスイッチ。テイラーは続くB.ロビンソンを3ゴロに打ち取り、メッツがシリーズ初勝利。
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この日の試合前、メッツのクラブハウスの空気は前日と一変していた。[[ドン・クレンデノン]]によれば、前日は重苦しい雰囲気だったのが、この日は[[ジョーク]]が飛び交ういつも通りの光景になっていたという<ref name="toughestfoe" />。

この日は両チームの[[先発投手]]、オリオールズの[[デーブ・マクナリー]]とメッツの[[ジェリー・クーズマン]]が、いずれも最初の3イニングを無失点に封じた。4回表、メッツが先頭打者クレンデノンの[[本塁打]]で先制点を奪った。クーズマンは2回裏に6番[[デービー・ジョンソン]]を[[四球]]で歩かせた以外、6回終了までひとりの走者も許さなかった。7回表、オリオールズ先頭の2番[[ポール・ブレアー (野球)|ポール・ブレアー]]が左前打で出塁し、クーズマンの無[[安打]]投球が途切れた。二死後、5番[[ブルックス・ロビンソン]]の打席でブレアーが[[盗塁]]を成功させ、二塁へ進む。その直後にB・ロビンソンが中前打でブレアーを還し、オリオールズが同点に追いついた。B・ロビンソンは[[1969年のMLBオールスターゲーム|この年のオールスターゲーム]]でクーズマンと対戦経験があり「あのときは3球[[三振]]だったから、その二の舞は避けたかった」と述べた<ref name="plainfolk" />。

両先発投手とも、その後も投げ続けた。9回表、マクナリーは先頭から2打者を打ち取ったあと、6番[[エド・チャールズ]]に左前打を許す。次打者[[ジェリー・グロート]]が[[ヒットエンドラン]]を成功させ、勝ち越しの走者チャールズは三塁に達した<ref name="grabholdof">The New York Times, "[https://www.nytimes.com/2019/03/27/sports/baseball/mets-1969-world-series.html Mets Grab Hold of the Series]," ''[[ニューヨーク・タイムズ|The New York Times]]'', March 27, 2019. 2020年10月17日閲覧。</ref>。8番[[アル・ワイス]]は初球を左前へ運び、チャールズが勝ち越しのホームを踏んだ。ワイスはこの年のレギュラーシーズンでは[[打率]].215と低迷しており、この一打について「守備でチームを勝たせることはあるかもしれないと思ってたが、打撃で勝たせられるとは思ってなかった」と自身でも驚いていた<ref name="plainfolk" />。その裏、クーズマンは二死から3番[[フランク・ロビンソン]]と4番[[ブーグ・パウエル]]を続けて歩かせ、[[サヨナラゲーム|サヨナラ]]の走者を出塁させる。ここでメッツはクーズマンから[[ロン・テイラー (野球)|ロン・テイラー]]に継投し、5番B・ロビンソンを三ゴロに仕留めて勝利を決めた。


=== 第3戦 10月14日 ===
=== 第3戦 10月14日 ===
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*[[ニューヨーク州]][[クイーンズ区|ニューヨーク/クイーンズ]] - [[シェイ・スタジアム]]
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|topic=MLB.comによる動画{{En icon}}
|video1=[https://www.mlb.com/video/tommy-agee-s-big-game-c29532155 メッツのトミー・エイジーは初回裏にジム・パーマーから先制ソロ本塁打を放ち、外野守備でも背走しながらの捕球を2度披露(1分31秒)]
|video2=[https://www.mlb.com/video/kranepool-makes-catch-by-dugout-c29548283 3回表、ジム・パーマーのファウルフライを一塁手エド・クレインプールがダグアウト手前で捕球(28秒)]
|video3=[https://www.mlb.com/video/kranepool-extends-mets-lead-c29531615 8回裏、クレインプールのソロ本塁打でメッツが5点目を挙げる(46秒)]
|video4=[https://www.mlb.com/video/nolan-ryan-saves-gm-3-c29533433 ノーラン・ライアンが7回表途中から登板、2.1イニングを無失点に抑えて試合を締める(1分41秒)]
}}
* [[シェイ・スタジアム]]([[ニューヨーク州]][[ニューヨーク|ニューヨーク市]][[クイーンズ区]])
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{{Baseball Lineup Card
:初回、メッツは先頭のエイジーが先頭打者本塁打、続く2回にも9番ジェントリーの2点2塁打で3点をリード。4回には2死1、3塁のピンチを迎えるが、[[エルロッド・ヘンドリックス]]の左中間への大飛球を中堅手エイジーが背走してキャッチ。6回にもグロートの二塁打で4点目を挙げ、オリオールズ先発パーマーをKOするが、直後の7回、メッツ先発ジェントリーが2死から3者連続四球と崩れ降板。ここでオリオールズ2番ブレアーは代わったライアンから右中間へ打球を放つも、またもエイジーがダイブして好捕し満塁のピンチをしのぐ。8回にもクレンプールのソロで5-0としたメッツは9回、ライアンが2死満塁のピンチを迎えるもブレアーを見逃し三振に打ち取り、エイジーの攻守にわたる活躍でメッツが2勝目を挙げた。
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シリーズは移動日を挟み、舞台をオリオールズの本拠地球場[[メモリアル・スタジアム (ボルチモア)|メモリアル・スタジアム]]からメッツの本拠地[[シェイ・スタジアム]]へ移した。この試合の[[先発投手]]は、メッツは[[ゲイリー・ジェントリー]]、オリオールズは[[ジム・パーマー]]。パーマーは、アマチュア時代のジェントリーの投球を見たことがある。{{Mlby|1965|d=y}}シーズン終了後、パーマーはチームのスカウトから「[[アリゾナ州]]に帰ったら、[[アリゾナ州立大学]]の[[レジー・ジャクソン]]を見ておいたほうがいい」と教えられた。パーマーがその言葉に従い同大野球部の練習試合を視察したところ、ジャクソンは4[[打数]]で1[[本塁打]]を含む4[[安打]]の活躍を見せたが、このとき打ち込まれていた相手投手がジェントリーだったという<ref group="注">パーマーに視察を勧めたスカウトは「うちにジャクソンを獲得するチャンスはないけどね」と付け加えた。[[1966年のMLBドラフト|翌1966年のドラフト]]で、オリオールズが有する最高位の指名権は1巡目・全体16位だったからである。このドラフトで[[MLBドラフト全体1位指名選手|全体1位指名権]]を持っていたのはメッツだった。しかしメッツはジャクソンの指名を見送り、[[カリフォルニア州]]の高校生捕手[[スティーブ・チルコット]]を指名した。チルコットはメジャーには一度も昇格できないまま現役を引退した。ジャクソンは全体2位で[[オークランド・アスレチックス|カンザスシティ・アスレチックス]]から指名されてプロ入りし、{{Mlby|1967|d=y}}から{{Mlby|1987|d=y}}まで実働21年で通算2,597[[安打]]・563[[本塁打]]・1,702[[打点]]を記録、1993年に殿堂入りした。{{Mlby|1976|d=y}}には1年だけオリオールズに在籍し、パーマーとチームメイトになった。</ref><ref>"[https://www.wbur.org/onlyagame/2016/06/03/palmer-book-excerpt An Excerpt From 'Nine Innings To Success']," ''[[:en:WBUR-FM|WBUR]]'', June 3, 2016. 2020年10月17日閲覧。</ref>。ジェントリーは{{Mlby|1967|d=y}}にメッツと契約してプロ入りし、{{Mlby|1969|d=y}}には新人ながら[[先発ローテーション]]に定着、この試合でパーマーと投げ合うこととなった。

第2戦と同じく、この日もメッツが先制点を挙げた。初回裏、先頭打者[[トミー・エイジー]]がパーマーの投球を捉え、中堅フェンスを越える本塁打とした。初回先頭打者本塁打は、第1戦でオリオールズの[[ドン・ビュフォード]]が打ったのに続き、今シリーズ2本目である。1シリーズで初回先頭打者本塁打が複数出たのは、これが史上初だった<ref group="注">1シリーズで複数の初回先頭打者本塁打は、今シリーズから46年後の[[2015年のワールドシリーズ|2015年]]に2度目が記録された。奇しくも、そのシリーズにもメッツが出場していた。打ったのは、[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]の[[アルシデス・エスコバー]](第1戦)とメッツの[[カーティス・グランダーソン]](第5戦)である。</ref><ref>Jay Jaffe, "[https://www.si.com/mlb/2015/11/02/world-series-royals-defeat-mets-first-title-1985 Royals rally past Mets again to win first World Series title since 1985]," ''Sports Illustrated'', November 2, 2015. 2020年10月17日閲覧。</ref>。さらに2回裏には、二死無走者から[[四球]]と[[安打]]で一・二塁とすると、9番・投手のジェントリーが右中間への適時[[二塁打]]で2走者を還し、リードを3点に広げた。ジェントリーはこの年、打撃ではレギュラーシーズンと[[メジャーリーグベースボールのポストシーズン|ポストシーズン]]を合わせて74打数で1[[打点]]のみ、この試合まで28打数連続無安打が継続中だった<ref name="pumpkins">William Leggett, "[https://vault.si.com/vault/1969/10/27/never-pumpkins-again NEVER PUMPKINS AGAIN]," ''Sports Illustrated Vault'', October 27, 1969. 2020年10月17日閲覧。</ref>。投球では、最初の3イニングを1与四球のみで無失点とした。

4回表、オリオールズは3番[[フランク・ロビンソン]]のチーム初安打をきっかけに、二死一・三塁の好機を作る。6番[[エルロッド・ヘンドリックス]]は、左中間へ飛球を放った。中堅手エイジーは守備位置を右中間寄りにとっていたが、背走してこの[[打球]]を追い、左中間フェンス手前の[[ウォーニングゾーン]]で捕球してアウトにした。エイジーはこのプレイについて「空が晴れてなかったから打球はよく見えたけど、追いつけるかどうかはわからなかった。打球に触りさえすればそのまま掴めるとは思った」と振り返った<ref name="grabholdof" />。オリオールズは反撃を阻止され、6回終了までジェントリーから得点を奪えなかった。当時オリオールズのスカウトだったジム・ルッソは、チームが当初、ワールドシリーズの対戦相手としてメッツではなく[[アトランタ・ブレーブス]]を想定していた、と1984年に明かした。そのためスカウティングレポートは正確性を欠き、ジェントリーについて「[[速球]]は平均レベル」と評価したところ、その速球に手こずって抑えられたという<ref>Phil Patton, "[https://www.nytimes.com/1984/07/08/magazine/baseballs-secret-weapon.html BASEBALL'S SECRET WEAPON]," ''The New York Times'', July 8, 1984. 2020年10月17日閲覧。</ref>。

6回裏、メッツは7番[[ジェリー・グロート]]の適時二塁打で4点差に突き放す。7回表、ジェントリーは二死無走者としたあと制球を乱し、8番[[マーク・ベランガー]]からの3者連続与四球で[[満塁]]の危機を招いた。メッツはジェントリーを降板させ、2番手に[[ノーラン・ライアン]]を送った。2番[[ポール・ブレアー (野球)|ポール・ブレアー]]は、ライアンの投球を右中間へ弾き返した。[[長打]]性の飛球だったが、中堅手エイジーがダイビングキャッチしてイニングを終わらせた。ブレアーは後年、このプレイについて「負け惜しみじゃないけど、俺ならあれは立ったままでも捕れたよ」とこぼした<ref>Marty Noble, "[https://www.mlb.com/news/former-world-series-hero-paul-blair-dies-at-69/c-66210822 Former World Series hero Blair dies at 69 / Eight-time Gold Glove winner a critical piece of O's, Yankees title teams]," ''MLB.com'', December 27, 2013. 2020年10月17日閲覧。</ref>。その打球に飛び込んだ理由を、エイジーは「[[風]]で打球が右翼方向へ流されていってたから」と説明した<ref name="grabholdof" />。4回表のヘンドリックスの一打も7回表のブレアーの一打も、エイジーが捕れていなければ塁上の走者が全て生還していたと思われる。エイジーはこの日、ふたつの好守備で5失点を防ぎ、初回裏の本塁打で1得点をもたらして、ひとりで計6点分の働きをしたといえる<ref name="pumpkins" />。

8回裏、メッツは6番[[エド・クレインプール]]のソロ本塁打で5-0とした。ライアンは9回表に二死満塁とされたものの、最後はブレアーを見逃し[[三振]]に仕留めて試合を締めた。ライアンは、{{Mlby|1966|d=y}}から{{Mlby|1993|d=y}}までの実働27年で歴代最多の通算5,714奪三振を記録し、1999年には[[アメリカ野球殿堂表彰者の一覧|殿堂入り]]する。しかしワールドシリーズでの登板は、結果的にはこの試合が最初で最後となった<ref>Pat Borzi, "[https://www.nytimes.com/2010/10/24/sports/baseball/24rangers.html Game-Saver of ’69 Mets, Ryan Is Back in the Series]," ''The New York Times'', October 23, 2010. 2020年10月17日閲覧。</ref>。


=== 第4戦 10月15日 ===
=== 第4戦 10月15日 ===
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*[[ニューヨーク州]][[クイーンズ区|ニューヨーク/クイーンズ]] - [[シェイ・スタジアム]]
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|topic=MLB.comによる動画{{En icon}}
|video1=[https://www.mlb.com/video/clendenon-goes-deep-in-game-4-c527838583 2回裏、先頭打者ドン・クレンデノンの本塁打でメッツが先制(51秒)]
|video2=[https://www.mlb.com/video/weaver-ejected-from-game-c525722883 3回表、球審シャグ・クロフォードのストライクの判定にオリオールズ監督アール・ウィーバーが抗議し、退場処分を受ける(1分25秒)]
|video3=[https://www.mlb.com/video/swoboda-makes-the-catch-c13062803 9回表一死一・三塁、ブルックス・ロビンソンの飛球を右翼手ロン・スウォボダがダイビングキャッチ。犠牲フライでオリオールズは同点としたものの、逆転の長打とはならず(38秒)]
|video4=[https://www.mlb.com/video/seaver-whiffs-blair-in-10th-c525489383 メッツ先発投手トム・シーバーは延長10回表も続投、ポール・ブレアーを空振り三振に仕留めて二死一・三塁の危機を脱する(29秒)]
|video5=[https://www.mlb.com/video/mets-win-on-error-in-10th-c525499383 その裏無死一・二塁で、代打J.C.マーティンの犠牲バントを投手のピート・リッカートが一塁へ悪送球。二塁走者ロッド・ガスパーが生還しメッツがサヨナラ勝利(2分6秒)]
}}
* [[シェイ・スタジアム]]([[ニューヨーク州]][[ニューヨーク|ニューヨーク市]][[クイーンズ区]])
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|Note2=昼間試合 試合時間: 2時間33分 観客: 5万7367人<br />詳細: [https://www.mlb.com/gameday/orioles-vs-mets/1969/10/16/67611 MLB.com Gameday] / [https://www.baseball-reference.com/boxes/NYN/NYN196910150.shtml Baseball-Reference.com]
|HomeHR=[[ドン・クレンデノン]]2号ソロ(2回クェイヤー)
|Note2=観客動員数: 57,397人 試合時間: 2時間33分
|}}
|}}
{{Baseball Lineup Card
:2回にメッツがクレンデノンのソロで先制したこの試合は、3回表にオリオールズのウィーバー監督がストライクの判定をめぐり球審の[[シャグ・クロフォード]]に抗議し、監督としてはシリーズ34年ぶりの退場処分となるという波乱の展開。そのまま1-0で迎えた9回、オリオールズは完封目前のシーバーからF.ロビンソンとパウエルの連打で1死1、3塁とすると続くB.ロビンソンの打球は右翼へ。抜ければ一気に逆転となる打球を右翼手[[ロン・スウォボダ]]がダイブして好捕し、犠飛による1点にとどめ試合は延長へ。10回表にシーバーが2死1、3塁のピンチを何とか抑えたあとの10回裏、メッツ先頭グロートの左翼への飛球を左翼手ビュフォードが太陽で打球を見失い、遊撃手ベランジャーも落球しグロートは2塁へ(記録は二塁打)、続くワイスも敬遠で出塁し無死1、2塁となったところでメッツは9番シーバーに代わり[[J.C.マーティン]]を代打に送る。マーティンは捕手前に犠打を決め、これを捕った投手[[ピート・リッカート]]は一塁に送球したが、送球は打者走者マーティンの右足に当たって悪送球となり、2塁からグロートが生還しメッツのサヨナラ勝ちとなった。ただし、この時マーティンは走塁の際に一塁線の内側を走っており、[[守備妨害]]になりかねないケースだったが、審判が守備妨害をとることはなかった。
|v_team=ボルチモア・オリオールズ|v_textcolor=FFFFFF|v_bgcolor=000000
|v_pos1=左|v_name1=[[ドン・ビュフォード|D・ビュフォード]]|v_bat1=両
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|h_team=ニューヨーク・メッツ|h_textcolor=FFFFFF|h_bgcolor=002D72
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}}
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当時、[[アメリカ合衆国]]は[[ベトナム戦争]]に軍事介入していた。[[反戦運動|反戦運動家]]たちはこの日、全米各地で抗議集会 "[[:en:Moratorium to End the War in Vietnam|Moratorium to End the War in Vietnam]]" を実施した。[[ニューヨーク州]][[ニューヨーク]]では[[ニューヨーク市長|市長]]の[[ジョン・リンゼイ]]が活動を支持し、戦死者を悼むためにこの日、[[シェイ・スタジアム]]を含む市の管理施設では[[半旗]]を掲げるよう指示した<ref>Ron Briley, "[https://historynewsnetwork.org/articles/116727.html The Amazin’ Mets: Baseball and the Amazing Summer of 1969]," ''[[:en:History News Network|History News Network]]''. 2020年10月17日閲覧。</ref>。しかし[[MLBコミッショナー|MLB機構コミッショナー]]の[[ボウイ・キューン]]がこれを覆し、球場の旗は最上位まで掲げられた。元々はキューンもリンゼイに同調していたが、[[合衆国商船大学]]音楽隊が半旗掲揚に反対し、試合式典への参加ボイコットをちらつかせたため、やむなく立場を変えたとされる<ref>Jeffrey F. Taffet, "[https://www.tabletmag.com/sections/news/articles/john-v-lindsay-builds-a-sukkah John V. Lindsay Builds a Sukkah]," ''[[:en:Tablet (magazine)|Tablet Magazine]]'', October 4, 2017. 2020年10月17日閲覧。</ref>。

メッツの[[先発投手]][[トム・シーバー]]も反戦を支持していた。この日、シェイ・スタジアムの場内アナウンスでシーバーが紹介されると、本拠地であるにもかかわらず、客席の一部からは[[ブーイング]]が発生した<ref name="thenation">[[:en:Kelly Candaele|Kelly Candaele]] and [[:en:Peter Dreier|Peter Dreier]], "[https://www.thenation.com/article/society/tom-seaver-vietnam-protest/ Tom Seaver’s Major League Protest]," ''[[:en:The Nation|The Nation]]'', September 11, 2020. 2020年10月17日閲覧。</ref>。そのような雰囲気にもかかわらずシーバーが最初の2イニングを無失点に封じたあと、メッツは2回裏に先頭打者[[ドン・クレンデノン]]の[[本塁打]]で先制した。3回表、オリオールズ先頭打者[[マーク・ベランガー]]の打席で、シーバーが投じた低めへの投球を、球審の[[シャグ・クロフォード]]はストライクと判定した。これに対し、監督の[[アール・ウィーバー]]がダグアウトから出てきたところ、クロフォードによって退場処分を受けた。ウィーバーは「ベンチから『今のは入ってないよ』と野次ったら彼が言い返してきたけど、何を言ったかまではわからなかった。だから何と言ったのか訊こうと思って、ベンチから出て『シャグ、……』と名前を呼んだだけで退場させられた」と抗議の意思を否定したが、クロフォードは「ウィーバーは俺を試しに来たんだ、ただ『ハロー』と声をかけるために出ては来ない」と見なしていた<ref>Steven Goldman, "[https://www.vice.com/en/article/bme998/throwback-thursday-earl-weaver-arrives-in-october-is-promptly-ejected Throwback Thursday: Earl Weaver Arrives in October, Is Promptly Ejected]," ''[[:en:Vice (magazine)|VICE]]'', October 16, 2015. 2020年10月17日閲覧。</ref>。ワールドシリーズでの退場処分は、[[1959年のワールドシリーズ|1959年]]に[[ロサンゼルス・ドジャース]]の[[チャック・ドレッセン]]が受けて以来10年ぶりである<ref>"[https://www.baseball-almanac.com/ws/wsmgrej.shtml World Series Ejections]," ''Baseball Almanac''. 2020年10月17日閲覧。</ref>。ベランガーは右前打で出塁し、これをきっかけにオリオールズは二死二・三塁としたが、3番[[フランク・ロビンソン]]が一邪飛に倒れた。

ここから試合は膠着する。シーバーも、オリオールズの先発投手[[マイク・クェイヤー]]も、3回以降は相手打線を封じ、1-0のまま試合は終盤へ進んでいった。8回表、一死無走者でクェイヤーに打順がまわり、[[代打]]に[[デーブ・メイ]]が起用されてクェイヤーが先に降板した。その裏、同じく一死無走者でメッツは9番シーバーに代打を出さず、9回表も続投させた。その回、オリオールズは3番F・ロビンソンからの連打で一死一・三塁と好機を迎える。5番[[ブルックス・ロビンソン]]が2球目をライナーで右方向へ弾き返し、右翼手[[ロン・スウォボダ]]はダイビングキャッチを試みた。スウォボダは[[打球]]に届くかどうか自信がなく、B・ロビンソンは打球が捕られなければ逆転の2点[[三塁打]]になると考えていた<ref>Steven Marcus, "[https://www.newsday.com/sports/baseball/mets/ron-swoboda-mets-catch-brooks-robinson-world-series-1.31775530 Fifty years later, Ron Swoboda's catch is still amazin']," ''Newsday'', June 1, 2019. 2020年10月17日閲覧。</ref>。しかし打球はスウォボダの左手の[[グラブ (野球)|グラブ]]に収まり、三塁走者F・ロビンソンが[[タッグアップ|タッチアップ]]から生還して同点の[[犠牲フライ]]にこそなったものの、逆転は阻止された。シーバーが6番[[エルロッド・ヘンドリックス]]を右直に打ち取って3アウト目を奪い、その裏メッツも二死一・三塁としながら無得点に終わったため、試合は1-1で延長戦に突入した。

延長10回表もシーバーは続投し、二死一・三塁の危機を無失点で凌いだ。その裏、オリオールズの3番手投手[[ディック・ホール]]に対し、メッツの先頭打者[[ジェリー・グロート]]が左翼手と遊撃手の間に落ちる[[二塁打]]で出塁した。[[代走]]に[[ロッド・ガスパー]]が送られ、次打者[[アル・ワイス]]は[[故意四球|敬遠]]される。9番シーバーの打順で、メッツは代打に左の[[J.C.マーティン]]を起用し、オリオールズも投手を左の[[ピート・リッカート]]に代えた。マーティンによればこのとき、左対左となったことで、監督の[[ギル・ホッジス]]から「作戦変更だ、[[バント]]でいくぞ」と告げられたという<ref name="martinbunt">Steven Marcus, "[https://www.newsday.com/sports/baseball/mets/1969-mets-j-c-martin-1.32070525 1969 Mets: J.C. Martin's bunt in World Series still controversial]," ''Newsday'', June 7, 2019. 2020年10月17日閲覧。</ref>。マーティンは初球を一塁方向へ転がした。リッカートと捕手ヘンドリックスがほぼ同時にこの打球へ追いつき、リッカートが素手で捕って一塁へ[[送球]]した。しかしこの送球が打者走者マーティンの左手首に当たって逸れ、その間に二塁走者ガスパーが生還し、メッツが[[サヨナラゲーム|サヨナラ勝利]]でシリーズ制覇に王手をかけた。ただし、このときマーティンが一塁線の内側を走っていたことが、写真で確認できる<ref name="grabholdof" />。したがって、審判が[[守備妨害]]でマーティンをアウトにしていてもおかしくはなかった。実際に球審のクロフォードは後年、息子で同じくMLB審判員の[[ジェリー・クロフォード|ジェリー]]とこのプレイについて議論し、一塁塁審[[ルー・ディミュロ]]がマーティンにアウトを宣告して一死一・二塁で再開すべきだった、との結論に至ったという<ref name="martinbunt" />。

シーバーはこの日、延長10回[[完投]]で[[勝利投手]]となった。ワールドシリーズで先発投手が10イニング投げるというのは、このあとは[[1991年のワールドシリーズ|1991年シリーズ]]第7戦で[[ジャック・モリス]]が達成するまで22年間途絶える記録である<ref>[[:en:Tom Verducci|Tom Verducci]], "[https://vault.si.com/vault/2003/03/31/the-ultimate-gamer-in-perhaps-the-best-world-series-game-ever-played-the-twins-jack-morris-gave-us-one-final-glimpse-of-a-dying-breed-a-pitcher-who-was-determined-to-finish-whatever-he-started THE ULTIMATE GAMER IN PERHAPS THE BEST WORLD SERIES GAME EVER PLAYED, THE TWINS' JACK MORRIS GAVE US ONE FINAL GLIMPSE OF A DYING BREED: A PITCHER WHO WAS DETERMINED TO FINISH WHATEVER HE STARTED]," ''Sports Illustrated Vault'', March 31, 2003. 2020年10月17日閲覧。</ref>。ベトナム戦争についてシーバーは、記者に「俺は反対しているし、人命を危険に晒さないように一刻も早く撤退してほしい」と断言したうえ、12月31日付『[[ニューヨーク・タイムズ]]』には妻ナンシーと連名で反戦広告を出稿した<ref name="thenation" />。


=== 第5戦 10月16日 ===
=== 第5戦 10月16日 ===
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*[[ニューヨーク州]][[クイーンズ区|ニューヨーク/クイーンズ]] - [[シェイ・スタジアム]]
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|topic=MLB.comによる動画{{En icon}}
|video1=[https://www.mlb.com/video/mcnally-s-two-run-home-run-c2515640683 3回表、先発投手デーブ・マクナリーが自ら2点本塁打を放ちオリオールズが先制(43秒)]
|video2=[https://www.mlb.com/video/robinson-s-solo-homer-in-3rd-c2522583583 二死後、フランク・ロビンソンのソロ本塁打でオリオールズが3点目を挙げる(37秒)]
|video3=[https://www.mlb.com/video/cleon-jones-gets-hit-by-a-pitch-c1873362583 6回裏、マクナリーのクレオン・ジョーンズへの投球を、球審ルー・ディミュロが一度はボールと判定。しかしボールに靴墨の付着が認められ、判定が死球に変更される(1分50秒)]
|video4=[https://www.mlb.com/video/clendenon-hits-his-third-c27908089 次打者ドン・クレンデノンの2点本塁打でメッツが1点差に迫る(46秒)]
|video5=[https://www.mlb.com/video/weis-game-tying-homer-c27907517 7回裏、先頭打者アル・ワイスの本塁打でメッツが同点に追いつく(39秒)]
|video6=[https://www.mlb.com/video/swoboda-s-double-gives-mets-lead-c27908087 8回裏、ロン・スウォボダの適時二塁打でメッツが1点を勝ち越し(54秒)]
|video7=[https://www.mlb.com/video/mets-win-1969-world-series-c5617605 9回表、ジェリー・クーズマンがデービー・ジョンソンを左飛に打ち取り試合終了、メッツの優勝が決定(1分4秒)]
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* [[シェイ・スタジアム]]([[ニューヨーク州]][[ニューヨーク|ニューヨーク市]][[クイーンズ区]])
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|BU=一塁: [[リー・ウェイヤー]]{{smaller|(NL)}}、二塁: [[ハンク・ソアー]]{{smaller|(AL)}}、三塁: [[フランク・セコリー]]{{smaller|(NL)}}
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|RoadHR=[[デーブ・マクナリー]]1号2ラン(3回クーズマン)、[[フランク・ロビンソン]]1号ソロ(3回クーズマン)
|Note2=昼間試合 試合時間: 2時間14分 観客: 5万7397人<br />詳細: [https://www.mlb.com/gameday/orioles-vs-mets/1969/10/17/67612 MLB.com Gameday] / [https://www.baseball-reference.com/boxes/NYN/NYN196910160.shtml Baseball-Reference.com]
|HomeHR=[[ドン・クレンデノン]]3号2ラン(6回マクナリー)、[[アル・ワイス]]1号ソロ(7回マクナリー)
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{{Baseball Lineup Card
:後がないオリオールズは3回に9番マクナリーの2ランとF.ロビンソンのソロで3点を先制。マクナリーは3回以降毎回安打を許しながらも5回までメッツを無得点に抑えるが、6回、メッツは先頭の[[クレオン・ジョーンズ]]が死球で出塁すると、次打者クレンデノンが2ランを放ち1点差、続く7回にも先頭ワイスがソロを放ち追いつく。さらに8回、この回から登板の2番手ワットから先頭ジョーンズが二塁打で出塁、1死後スウォボダの左翼への打球をビュフォードが捕球できず(記録は二塁打)ジョーンズが生還し勝ち越し、さらに2死後グロートの1塁への打球をパウエルが弾く間にスウォボダが2塁から帰り2点差。リードをもらったクーズマンは9回、走者を1人出すも2死を取ると、最後は[[デーブ・ジョンソン]]を左飛に打ち取り完投勝利。これまで最下位5度のお荷物球団だったメッツが創立8年目でワールドチャンピオンとなり、本拠地[[シェイ・スタジアム]]のグラウンドは瞬く間に興奮したファンで埋め尽くされた。
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:シリーズの最後の打者となったジョンソンは後年メッツの監督となり、[[1986年のワールドシリーズ]]でメッツを2度目のワールドチャンピオンに導いている。
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この試合では、オリオールズが4試合ぶりに先制する。3回表、先頭打者[[マーク・ベランガー]]が右前打で出塁し、打順は9番・投手の[[デーブ・マクナリー]]にまわった。この場面、メッツの[[先発投手]][[ジェリー・クーズマン]]も、打席に向かうマクナリーも、ともに[[犠牲バント]]を予想していた。しかしオリオールズ監督の[[アール・ウィーバー]]がバントの指示を取り止め、マクナリーに打たせることにしたため、マクナリーは驚いたという<ref>Bill Bighaus Of The Gazette Staff, "[https://billingsgazette.com/sports/billings-native-dave-mcnally-made-world-series-history-30-years-ago/article_07c79576-635c-5685-8260-3899b69c6f3f.html Billings native Dave McNally made World Series history 30 years ago]," ''[[:en:Billings Gazette|billingsgazette.com]]'', October 23, 2000. 2020年10月17日閲覧。</ref>。クーズマンは、マクナリーにバントを打ち上げさせてあわよくば[[併殺]]とするため、高めに[[速球]]を投げ込んだ<ref name="maddenkooz" />。その結果、マクナリーのスウィングが投球を捉え、左翼フェンスを越える2点[[本塁打]]となった。シリーズ史上、投手による本塁打は延べ11人目・12本目である<ref>David Vincent, "[https://sabr.org/journal/article/pitchers-dig-the-long-ball-at-least-when-they-are-hitting/ Pitchers Dig the Long Ball (At Least When They Are Hitting)]," ''[[アメリカ野球学会|Society for American Baseball Research]]'', 2012. 2020年10月17日閲覧。</ref>。この回さらに二死後、3番[[フランク・ロビンソン]]もソロ本塁打を放ち、オリオールズが3点を先制した。クーズマンはこの回を終えてダグアウトへ戻ると「オーケー、みんな、もうこれ以上は点をやらない!」と宣言した<ref name="maddenkooz" />。


メッツ打線は6回裏に反撃する。先頭打者[[クレオン・ジョーンズ]]に対しマクナリーが投じた初球、[[カーブ (球種)|カーブ]]がすっぽ抜けてジョーンズの足元を襲い、跳ねて一塁側のメッツのダグアウトに飛び込んだ。ジョーンズは[[死球]]を確信して一塁へ歩こうとしたが、球審[[ルー・ディミュロ]]はジョーンズに打席へ戻るよう命じた。ここでメッツ監督の[[ギル・ホッジス]]がボールを手にダグアウトから出てきて、ボールに[[靴墨]]が付着しているのを見せると、ディミュロは判定を覆してジョーンズの死球出塁を認めた。この判定変更にウィーバーらオリオールズ側は抗議したが、再変更はなく無死一塁で試合が再開された。ただ、ウィーバーが「ボールは一度メッツのダグアウトに入ったから、メッツ側は細工が可能」と指摘したのはその通りで、実際にダグアウト内でクーズマンがボールを拾うと、ホッジスはそのボールを靴にこすりつけさせてから受け取っていた<ref>Wayne Coffey, "[https://www.nydailynews.com/sports/baseball/mets/ny-sports-coffey-excerpt-miracle-mets-20190330-zxt3s242kzgm5b6ugekfoqlhqi-story.html How Gil Hodges and a little shoe polish helped the Mets to their ‘69 Miracle ... an excerpt from Wayne Coffey’s new book ‘They Said It Couldn’t Be Done’]," ''New York Daily News'', March 30, 2019. 2020年10月17日閲覧。</ref>。ボールは判定変更直後に交換へ出されたため、ボールに付着していた靴墨がジョーンズのものかクーズマンのものかは、今となっては謎である。再開直後、次打者[[ドン・クレンデノン]]に本塁打が出て、メッツは1点差に詰め寄った。
== 参考文献 ==

<small>
クーズマンは宣言通りに4回以降はオリオールズの追加点を許しておらず、味方打線に追い上げてもらった直後の7回表も三者凡退に封じた。その裏、メッツは先頭打者[[アル・ワイス]]の本塁打で同点に追いついた。ワイスは{{mlby|1962|d=y}}に[[シカゴ・ホワイトソックス]]でデビューして以来8年間、本拠地球場で本塁打を放った経験がなく「二塁に向かうところで歓声が聞こえてきて、何かしら起こったんだとはわかったが、どう反応すればいいのかわからなかった。[[単打]]や[[二塁打]]ならわかるんだけどな」と話した<ref name="pumpkins" />。さらに8回裏、オリオールズが2番手[[エディ・ワット]]を登板させると、メッツは先頭打者ジョーンズの二塁打で[[得点圏]]に走者を出塁させる。一死後、5番[[ロン・スウォボダ]]は左翼方向へ飛球を打ち上げた。これを左翼手[[ドン・ビュフォード]]が追い、最後は逆シングルの体勢で[[グラブ (野球)|グラブ]]を伸ばしたが届かず、適時二塁打となってジョーンズが勝ち越しのホームを踏んだ。このあと7番[[ジェリー・グロート]]の一ゴロにオリオールズの[[失策]]が重なってスウォボダも生還し、メッツは2点のリードを得て初優勝まで残り1イニングに迫った。
* {{cite web | title = 1969 World Series NYM vs. BAL | work = Baseball-Reference | url = http://www.baseball-reference.com/postseason/1969_WS.shtml | accessdate = 2008年7月4日 }}

* {{cite web | title = The 1969 Post-Season Games | work = Retrosheet | url = http://www.retrosheet.org/boxesetc/1969/YPS_1969.htm | accessdate = 2008年7月4日 }} </small>
クーズマンは第2戦で先発登板したとき、[[完投]]勝利まであと1アウトとしながら、連続[[四球]]でマウンドを降りざるを得なかったことを悔やんでいた<ref name="maddenkooz" />。それから4日後のこの日、9回表のマウンドに上がると、先頭打者F・ロビンソンに四球を与えたものの、4番[[ブーグ・パウエル]]と5番[[ブルックス・ロビンソン]]を打ち取る。そして最後、[[デービー・ジョンソン]]が左方向へ打ち上げた。クーズマンは「大歓声で打球音が聞こえず、振り返ったら(左翼手の)ジョーンズが下がるのが見えたから『神様、頼むから本塁打は勘弁してくれ』と思った」という<ref>Steve Serby, "[https://nypost.com/2019/06/27/jerry-koosman-on-mets-1969-world-series-tom-seaver-and-meeting-joe-namath/ Jerry Koosman on Mets’ 1969 World Series, Tom Seaver and meeting Joe Namath]," ''New York Post'', June 27, 2019. 2020年10月17日閲覧。</ref>。ジョーンズが[[芝]]と[[ウォーニングゾーン]]の境目あたりで足を止めて打球を捕り、左飛で試合終了、クーズマンが第2戦の悔しさを晴らすとともにメッツの初優勝が決まった。試合終了と同時に、大勢の観客がグラウンドへ雪崩込んで喜びを露わにした。狂乱は30分近く続き、フィールドの芝はところどころ剥げ、本塁や[[マウンド]]のあたりはボコボコに荒れ、仮設スタンドの回転椅子は外されて持ち去られそうになったのを警察によって回収され、24人の負傷者が報告された<ref>The New York Times, "[https://www.nytimes.com/2019/03/27/sports/baseball/mets-world-series-parade.html A Ticker-Turf Celebration]," ''The New York Times'', March 27, 2019. 2020年10月17日閲覧。</ref>。スウォボダは、優勝以上に素晴らしいことが「あるとすれば、[[月]]に行くことぐらいかな」と、7月の[[アポロ11号]]による[[人類]]初の[[月面着陸]]を引き合いに出して喜びを表現した<ref name="slugger2005" />。

== シリーズ終了後 ==
=== 優勝記念パレード ===
[[File:Wall st. (2987740410).jpg|220px|thumb|優勝記念パレード当日の[[ニューヨーク]]の様子。地面一面を[[ストックティッカー|ティッカー・テープ]]や[[紙吹雪]]が埋め尽くした]]
10月20日、[[ニューヨーク州]][[ニューヨーク]]でメッツの優勝記念パレードが開催された。今回のような大規模なパレードは、[[ストックティッカー]]の情報を印字するための[[紙テープ]]などが細かく裁断されて[[紙吹雪]]として舞い散らされることから、[[ティッカー・テープ・パレード]]と呼ばれる。同市[[ロウアー・マンハッタン]]の[[改善地区|ビジネス改善地区]]運営組合 "アライアンス・フォー・ダウンタウン・ニューヨーク" によると、今回のメッツ優勝記念パレードは同市の歴史上、1886年10月28日に[[自由の女神像 (ニューヨーク)|自由の女神像]]除幕記念で初めて行われて以来184回目、1969年内では3回目のティッカー・テープ・パレードである<ref>"[https://www.downtownny.com/press-releases/new-yorks-ticker-tape-parades NEW YORK'S TICKER TAPE PARADES]," ''Downtown Alliance'', July 11, 2015. 2020年10月17日閲覧。</ref>。

先に行われた2回のティッカー・テープ・パレードは、いずれも[[宇宙飛行士]]の[[地球]]帰還を祝うものだった。当時は[[冷戦]]まっただ中、[[アメリカ合衆国]]と[[ソビエト連邦]]は国家の威信をかけて[[宇宙開発競争]]を繰り広げていた。米国は1961年、[[有人宇宙飛行]]の初成功で[[ボストーク1号|ソ連に先行]]されると、[[人類]]を[[月]]へ到達させるべく "[[アポロ計画]]" を本格始動させた。その結果、1968年12月の[[アポロ8号]]は人類を搭載した[[宇宙船]]による月の周回に、1969年7月の[[アポロ11号]]は人類の[[月面着陸]]に、それぞれソ連より先に成功した。これを受けて、1969年の1月10日には[[フランク・ボーマン]]ら8号の宇宙飛行士3人が、8月13日には[[ニール・アームストロング]]ら11号の宇宙飛行士3人が、いずれもティッカー・テープ・パレードで祝福された。この2回のパレードと今回のメッツ優勝記念パレードとの規模を比較する数字として、[[:en:New York City Department of Sanitation|市の公衆衛生局]]が測定した、パレード終了後に回収されたゴミの総重量、つまりどれほどの量の紙吹雪が降り注いだかというものがある。それによると1月10日が122トン、8月13日が300トンだったのに対して、メッツのパレードは1,254.6トンだった<ref>"[https://www.upi.com/Archives/1984/08/15/UPI-CONTEXT-The-weight-of-ticker-tape/9908461390400/ UPI-CONTEXT: The weight of ticker tape]," ''[[UPI通信社|UPI Archives]]'', August 15, 1984. 2020年10月17日閲覧。</ref>。

このパレードについて[[日本]]では、地元メディアの[[天気予報]]が当日の空模様を「晴れ、ところにより紙吹雪」と伝えた、との逸話が定着している。今シリーズから半世紀を経てもなお、スポーツチームがパレードを行うときにこの言い回しを使う予報士は後を絶たない<ref>「[https://www.sanspo.com/article/20231123-MXBST5SV4NJ2TJRBKNKECV3XGQ/ 【虎のソナタ】大阪も神戸も『晴れ、ところにより紙吹雪』!? 前回・05年Vパレードは雨でずぶぬれの思い出]」 『[[サンケイスポーツ|サンスポ]]』、2023年11月23日。2024年3月14日閲覧。</ref>。ただ社会学者の[[伊藤茂樹 (社会学者)|伊藤茂樹]]によると、この「ところにより紙吹雪」という表現にかかる状況は、もともとはパレード開催日に関する予報上の晴天ではなく、メッツが優勝した瞬間の実際の曇天だったという。伊藤は、メッツ優勝に際し気象と紙吹雪を結びつけた日本で最初の活字報道が『[[毎日新聞]]』10月17日付[[夕刊]]、つまりシリーズ決着直後の紙面における「ニューヨーク気象台は『ニューヨーク地方本日くもり。ただしところにより紙吹雪が降っています』としゃれのめした」という一文だったと指摘し、それが「日本人の耳には新鮮だった」ために日本で語り継がれ「秋晴れの空に紙吹雪が舞う光景の方が美しいので、いつの間にか」変化したのだろうと推察している<ref>[[伊藤茂樹 (社会学者)|伊藤茂樹]][[[駒澤大学]]教授] 「アメリカ野球雑学概論 VOLUME613 『晴れ、ところにより紙吹雪』の真実」 『[[週刊ベースボール]]』2014年11月17日号、[[ベースボール・マガジン社]]、2014年、雑誌20443-11/17、90頁。</ref>。

=== 17年後のメッツ2度目の優勝 ===
今シリーズは、メッツの[[ジェリー・クーズマン]]がオリオールズの[[デービー・ジョンソン]]を左飛に打ち取る、というプレイで締めくくられた。このあとジョンソンは、オリオールズを含むMLB4球団や[[日本野球機構|日本プロ野球]]・[[読売ジャイアンツ]]などを経て、{{mlby|1978|d=y}}シーズン終了後に現役を引退し指導者に転向、{{mlby|1984|d=y}}からはメッツの監督に就任した。クーズマンは1978年12月、[[マイナーリーグベースボール|マイナーリーガー]]1人+[[後日発表選手]]1人との[[トレード]]で[[ミネソタ・ツインズ]]へ移籍した。この後日発表選手として、翌{{mlby|1979|d=y}}2月に[[ジェシー・オロスコ]]がメッツへ加入した。メッツは{{mlby|1986|d=y}}、[[1986年のワールドシリーズ|17年ぶり2度目のワールドシリーズ優勝]]を果たす。そのとき指揮を執っていたのがジョンソンであり、最後を締めた[[投手]]がオロスコだった<ref>Tyler Kepner, "[https://www.nytimes.com/2019/01/25/sports/miracle-mets-50th-anniversary.html The Miracle Mets’ 50th Anniversary: ‘Like It Was Just Yesterday’]," ''The New York Times'', January 25, 2019. 2020年10月17日閲覧。</ref>。また、1969年優勝メンバーのなかでは、[[バド・ハレルソン]]が1986年シリーズでメッツの三塁コーチを務めていた。1969年と1986年の優勝をいずれも[[野球ユニフォーム|ユニフォーム]]組として経験したのはハレルソンだけである<ref>Mark Herrmann, "[https://www.newsday.com/sports/local/ducks/ducks-bud-harrellson-1.20279804 Ducks, fans honor Bud Harrelson with night to remember]," ''Newsday'', August 3, 2018. 2020年10月17日閲覧。</ref>。

== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注}}
=== 出典 ===
{{reflist|2}}

== 外部リンク ==
{{Commonscat|1969 World Series}}
* [http://www.baseball-almanac.com/ws/yr1969ws.shtml Baseball Almanac]{{En icon}}
* [http://www.baseball-reference.com/postseason/1969_WS.shtml Baseball-Reference.com]{{En icon}}
* {{IMDb title|2359487|1969 World Series}}
* [[動画共有サービス|動画共有サイト]] "[[YouTube]]" にMLB公式アカウントが投稿した試合映像
** 第3戦:[https://www.youtube.com/watch?v=OHSksQbNZD4 1969 World Series, Game 3: Orioles @ Mets]
** 第5戦:[https://www.youtube.com/watch?v=WbCWUehZKVU 1969 World Series, Game 5: Orioles @ Mets]


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2024年11月19日 (火) 02:51時点における最新版

1969年ワールドシリーズ

当時のアメリカ合衆国大統領リチャード・ニクソンに贈られた記念品。両球団選手のサイン入りボールチャンピオンリングなどが含まれている
チーム 勝数
ニューヨーク・メッツNL 4
ボルチモア・オリオールズAL 1
シリーズ情報
試合日程 10月11日–16日
観客動員 5試合合計:27万2378人
1試合平均:05万4476人
MVP ドン・クレンデノン(NYM)
ALCS BAL 3–0 MIN
NLCS NYM 3–0 ATL
殿堂表彰者 ギル・ホッジス(NYM監督[注 1]
ヨギ・ベラ(NYMコーチ[注 2]
ノーラン・ライアン(NYM投手)
トム・シーバー(NYM投手)
アール・ウィーバー(BAL監督)
ジム・パーマー(BAL投手)
ブルックス・ロビンソン(BAL内野手)
フランク・ロビンソン(BAL外野手)
チーム情報
ニューヨーク・メッツ(NYM)
シリーズ出場 球団創設8年目で初
GM ジョニー・マーフィー
監督 ギル・ホッジス
シーズン成績 100勝62敗・勝率.617
NL東地区優勝
分配金 選手1人あたり1万8338.18ドル[1]

ボルチモア・オリオールズ(BAL)
シリーズ出場 3年ぶり3回目
GM ハリー・ダルトン
監督 アール・ウィーバー
シーズン成績 109勝53敗・勝率.673
AL東地区優勝
分配金 選手1人あたり1万4904.21ドル[1]
全米テレビ中継
放送局 NBC
実況 カート・ガウディ
解説 ビル・オドネル(第1・2戦)
リンゼイ・ネルソン(第3~5戦)
平均視聴率 22.4%(前年比0.4ポイント下降)[2]
ワールドシリーズ
 < 1968 1970 > 

1969年の野球において、メジャーリーグベースボール(MLB)優勝決定戦の第66回ワールドシリーズ英語: 66th World Series)は、10月11日から16日にかけて計5試合が開催された。その結果、ニューヨーク・メッツナショナルリーグ)がボルチモア・オリオールズアメリカンリーグ)を4勝1敗で下し、球団創設8年目で初の優勝を果たした。

前年までは両リーグとも、総当たりのレギュラーシーズンで最高勝率を記録した球団がそのままリーグ優勝となり、ワールドシリーズへ進出していた。それがこの年から、東・西2地区に分かれてそれぞれのレギュラーシーズン優勝球団を決めたうえで、その地区優勝球団どうしが5戦3勝制のリーグ優勝決定戦で対戦し、そのシリーズを制した球団がワールドシリーズへ進出する方式に改められた。

レギュラーシーズンで100勝以上を挙げた球団どうしがワールドシリーズで対戦するのは、1942年以来27年ぶり6度目[3]。また、1961年以降のエクスパンションによって創設された球団がシリーズに出場するのも優勝するのも、今回が初めてである。メッツは1962年の創設以来7年間で、リーグ最下位の10位が5度、下から2番目の9位が2度と長らく低迷していた。しかしこの年、初のシーズン勝ち越しを東地区優勝で飾ると、新設のナショナルリーグ優勝決定戦ではアトランタ・ブレーブスを3勝0敗で一蹴し、続いてこのワールドシリーズでも全24球団最高勝率のオリオールズを下した。弱小球団の予想外の快進撃を、人々は "アメイジング・メッツ"(Amazin' Mets、「驚異のメッツ」)や "ミラクル・メッツ"(Miracle Mets、「奇跡のメッツ」)と称した[4]シリーズMVPには、第2戦と第4戦で先制のソロ本塁打を放つなど、4試合で打率.357・3本塁打・4打点OPS 1.509という成績を残したメッツのドン・クレンデノンが選出された。レギュラーシーズン途中で移籍してきた選手の同賞受賞は、賞創設15年目でクレンデノンが初である[5]

この年のアメリカ合衆国のプロスポーツにおいて、ニューヨーク州ニューヨークのチームがメリーランド州ボルチモアのチームにポストシーズンで勝利するのは、今シリーズが3度目だった。1月にはアメリカンフットボールNFL・AFLスーパーボウルニューヨーク・ジェッツボルチモア・コルツに勝利し優勝、4月にはバスケットボールNBAプレイオフ1回戦でニューヨーク・ニックスボルチモア・ブレッツを下していた[6]2年後のNBAプレイオフでブレッツがニックスに勝利した際、ブレッツのケビン・ローアリーは「知っておかなきゃいけないのは、ボルチモアはニューヨークに常に敗れてきたということだ。俺らはニックスに勝てず、コルツはジェッツに勝てず、そしてオリオールズはメッツに勝てなかった」と言及している[7]

試合結果

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1969年のワールドシリーズは10月11日に開幕し、途中に移動日を挟んで6日間で5試合が行われた。日程・結果は以下の通り。

日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月11日(土) 第1戦 ニューヨーク・メッツ 1-4 ボルチモア・オリオールズ メモリアル・スタジアム
10月12日(日) 第2戦 ニューヨーク・メッツ 2-1 ボルチモア・オリオールズ
10月13日(月) 移動日
10月14日(火) 第3戦 ボルチモア・オリオールズ 0-5 ニューヨーク・メッツ シェイ・スタジアム
10月15日(水) 第4戦 ボルチモア・オリオールズ 1-2x ニューヨーク・メッツ
10月16日(木) 第5戦 ボルチモア・オリオールズ 3-5 ニューヨーク・メッツ
優勝:ニューヨーク・メッツ(4勝1敗 / 球団創設8年目で初)

第1戦 10月11日

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映像外部リンク
動画共有サイト "YouTube" にMLB公式アカウントが投稿した映像(英語)
初回裏、先頭打者ドン・ビュフォードの本塁打でオリオールズが先制(21秒)
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
ニューヨーク・メッツ 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 6 1
ボルチモア・オリオールズ 1 0 0 3 0 0 0 0 X 4 6 0
  1. 勝利マイク・クェイヤー(1勝)  
  2. 敗戦トム・シーバー(1敗)  
  3. 本塁打
    BAL:ドン・ビュフォード1号ソロ
  4. 審判
    [球審]ハンク・ソアー(AL)
    [塁審]一塁: フランク・セコリー(NL)、二塁: ラリー・ナップ(AL)、三塁: シャグ・クロフォード(NL)
    [外審]左翼: ルー・ディミュロ(AL)、右翼: リー・ウェイヤー(NL)
  5. 昼間試合 試合時間: 2時間13分 観客: 5万429人
    詳細: MLB.com Gameday / Baseball-Reference.com
両チームの先発ラインナップ
ニューヨーク・メッツ ボルチモア・オリオールズ
打順 守備 選手 打席 打順 守備 選手 打席
1 T・エイジー 1 D・ビュフォード
2 B・ハレルソン 2 P・ブレアー
3 C・ジョーンズ 3 F・ロビンソン
4 D・クレンデノン 4 B・パウエル
5 R・スウォボダ 5 B・ロビンソン
6 E・チャールズ 6 E・ヘンドリックス
7 J・グロート 7 D・ジョンソン
8 A・ワイス 8 M・ベランガー
9 T・シーバー 9 M・クェイヤー
先発投手 投球 先発投手 投球
T・シーバー M・クェイヤー

オリオールズは主力選手の多くが3年前にもワールドシリーズを経験しているのに対し、メッツの選手のほとんどはこれがワールドシリーズ初出場だった。試合前、メッツのクラブハウスは、ドン・クレンデノンが「死体安置所みたい」と言うほど重い空気に包まれていた[8]。一方のオリオールズは、メッツばかりが持て囃されている状況に闘志をかき立てていた[9]

この日の先発投手は、オリオールズがマイク・クェイヤー、メッツがトム・シーバー。両投手とも今シリーズ終了後に、それぞれのリーグでサイ・ヤング賞を受賞することになる。その年の同賞受賞予定者どうしがシリーズで先発として投げ合うのは、前年の第1戦と第4戦以来、これが3度目である[10]。オリオールズは初回裏、先頭打者ドン・ビュフォードがシーバーの2球目を捉え、右翼手ロン・スウォボダの頭上を越す先制本塁打とした。ワールドシリーズの初戦・初回先頭打者本塁打は史上初だった[11]。スウォボダが遊撃手バド・ハレルソンから聞いた話によると、ビュフォードは二塁を回る際にハレルソンへ「まだまだお楽しみはこれからだぜ」と声をかけたという[12]。オリオールズは4回裏にも、二死無走者から安打四球で一・二塁とし、8番マーク・ベランガー→9番クェイヤー→1番ビュフォードの3連続適時打で3点を加えた。シーバーは5回裏を終えたところで降板に追い込まれた。数日前の練習中に脚を痛めたこともあって、登板間のルーティーンである走り込みができておらず、降板後には「ガス欠だ」と話した[13]。クレンデノンも、この日のシーバーは普段の25%しか実力を発揮できていなかったと述べた[8]。オリオールズの先発投手クェイヤーは7回表に一死満塁の危機を招き、8番アル・ワイス犠牲フライで1点を返される。さらに二死一・二塁から、代打ロッド・ガスパーが三塁線へゴロを放った。内野安打になりそうな打球だったが、三塁手ブルックス・ロビンソンが素早い処理で一塁へ送球してアウトとし、メッツの反撃を断った[9]。クェイヤーは8回以降も続投し、完投勝利を挙げた。

今シリーズの全米テレビ中継で実況を務めたカート・ガウディの息子は、2019年にジム・パーマーと会食した。そのときパーマーは今シリーズについて、オリオールズが初戦終了の段階で4連勝の "スウィープ" も視野に入れるほど自信過剰になっていた、と振り返ったという[14]。その一方、シーバーもこの試合では敗戦投手になったが、試合後「オリオールズは、昔のヤンキースのようなスーパーチームかと思っていた。でも今日の試合で、十分戦えることがわかった」と自信を得ていた[15]。メッツの三塁手エド・チャールズは、マイナーリーグ時代から面識のあるオリオールズ投手コーチのジョージ・バンバーガーに「今年最後の勝利、せいぜい楽しんでおけよ」と声をかけた[16]。この「今年最後の勝利」というチャールズの言葉が、5日後に現実のものとなる。

第2戦 10月12日

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映像外部リンク
MLB.comによる動画(英語)
4回表、先頭打者ドン・クレンデノンの本塁打でメッツが先制(56秒)
9回表二死一・三塁、アル・ワイスの左前打でメッツが1点を勝ち越し(39秒)
その裏二死一・二塁からロン・テイラーが登板、ブルックス・ロビンソンを三ゴロに打ち取り試合を終わらせる(45秒)
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
ニューヨーク・メッツ 0 0 0 1 0 0 0 0 1 2 6 0
ボルチモア・オリオールズ 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 2 0
  1. 勝利ジェリー・クーズマン(1勝)  
  2. セーブロン・テイラー(1S)  
  3. 敗戦デーブ・マクナリー(1敗)  
  4. 本塁打
    NYM:ドン・クレンデノン1号ソロ
  5. 審判
    [球審]フランク・セコリー(NL)
    [塁審]一塁: ラリー・ナップ(AL)、二塁: シャグ・クロフォード(NL)、三塁: ルー・ディミュロ(AL)
    [外審]左翼: リー・ウェイヤー(NL)、右翼: ハンク・ソアー(AL)
  6. 昼間試合 試合時間: 2時間20分 観客: 5万850人
    詳細: MLB.com Gameday / Baseball-Reference.com
両チームの先発ラインナップ
ニューヨーク・メッツ ボルチモア・オリオールズ
打順 守備 選手 打席 打順 守備 選手 打席
1 T・エイジー 1 D・ビュフォード
2 B・ハレルソン 2 P・ブレアー
3 C・ジョーンズ 3 F・ロビンソン
4 D・クレンデノン 4 B・パウエル
5 R・スウォボダ 5 B・ロビンソン
6 E・チャールズ 6 D・ジョンソン
7 J・グロート 7 A・エチェバレン
8 A・ワイス 8 M・ベランガー
9 J・クーズマン 9 D・マクナリー
先発投手 投球 先発投手 投球
J・クーズマン D・マクナリー

この日の試合前、メッツのクラブハウスの空気は前日と一変していた。ドン・クレンデノンによれば、前日は重苦しい雰囲気だったのが、この日はジョークが飛び交ういつも通りの光景になっていたという[8]

この日は両チームの先発投手、オリオールズのデーブ・マクナリーとメッツのジェリー・クーズマンが、いずれも最初の3イニングを無失点に封じた。4回表、メッツが先頭打者クレンデノンの本塁打で先制点を奪った。クーズマンは2回裏に6番デービー・ジョンソン四球で歩かせた以外、6回終了までひとりの走者も許さなかった。7回表、オリオールズ先頭の2番ポール・ブレアーが左前打で出塁し、クーズマンの無安打投球が途切れた。二死後、5番ブルックス・ロビンソンの打席でブレアーが盗塁を成功させ、二塁へ進む。その直後にB・ロビンソンが中前打でブレアーを還し、オリオールズが同点に追いついた。B・ロビンソンはこの年のオールスターゲームでクーズマンと対戦経験があり「あのときは3球三振だったから、その二の舞は避けたかった」と述べた[9]

両先発投手とも、その後も投げ続けた。9回表、マクナリーは先頭から2打者を打ち取ったあと、6番エド・チャールズに左前打を許す。次打者ジェリー・グロートヒットエンドランを成功させ、勝ち越しの走者チャールズは三塁に達した[17]。8番アル・ワイスは初球を左前へ運び、チャールズが勝ち越しのホームを踏んだ。ワイスはこの年のレギュラーシーズンでは打率.215と低迷しており、この一打について「守備でチームを勝たせることはあるかもしれないと思ってたが、打撃で勝たせられるとは思ってなかった」と自身でも驚いていた[9]。その裏、クーズマンは二死から3番フランク・ロビンソンと4番ブーグ・パウエルを続けて歩かせ、サヨナラの走者を出塁させる。ここでメッツはクーズマンからロン・テイラーに継投し、5番B・ロビンソンを三ゴロに仕留めて勝利を決めた。

第3戦 10月14日

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映像外部リンク
MLB.comによる動画(英語)
メッツのトミー・エイジーは初回裏にジム・パーマーから先制ソロ本塁打を放ち、外野守備でも背走しながらの捕球を2度披露(1分31秒)
3回表、ジム・パーマーのファウルフライを一塁手エド・クレインプールがダグアウト手前で捕球(28秒)
8回裏、クレインプールのソロ本塁打でメッツが5点目を挙げる(46秒)
ノーラン・ライアンが7回表途中から登板、2.1イニングを無失点に抑えて試合を締める(1分41秒)
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
ボルチモア・オリオールズ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 1
ニューヨーク・メッツ 1 2 0 0 0 1 0 1 X 5 6 0
  1. 勝利ゲイリー・ジェントリー(1勝)  
  2. セーブノーラン・ライアン(1S)  
  3. 敗戦ジム・パーマー(1敗)  
  4. 本塁打
    NYM:トミー・エイジー1号ソロ、エド・クレインプール1号ソロ
  5. 審判
    [球審]ラリー・ナップ(AL)
    [塁審]一塁: シャグ・クロフォード(NL)、二塁: ルー・ディミュロ(AL)、三塁: リー・ウェイヤー(NL)
    [外審]左翼: ハンク・ソアー(AL)、右翼: フランク・セコリー(NL)
  6. 昼間試合 試合時間: 2時間23分 観客: 5万6335人
    詳細: MLB.com Gameday / Baseball-Reference.com
両チームの先発ラインナップ
ボルチモア・オリオールズ ニューヨーク・メッツ
打順 守備 選手 打席 打順 守備 選手 打席
1 D・ビュフォード 1 T・エイジー
2 P・ブレアー 2 W・ギャレット
3 F・ロビンソン 3 C・ジョーンズ
4 B・パウエル 4 A・シャムスキー
5 B・ロビンソン 5 K・ボズウェル
6 E・ヘンドリックス 6 E・クレインプール
7 D・ジョンソン 7 J・グロート
8 M・ベランガー 8 B・ハレルソン
9 J・パーマー 9 G・ジェントリー
先発投手 投球 先発投手 投球
J・パーマー G・ジェントリー

シリーズは移動日を挟み、舞台をオリオールズの本拠地球場メモリアル・スタジアムからメッツの本拠地シェイ・スタジアムへ移した。この試合の先発投手は、メッツはゲイリー・ジェントリー、オリオールズはジム・パーマー。パーマーは、アマチュア時代のジェントリーの投球を見たことがある。1965年シーズン終了後、パーマーはチームのスカウトから「アリゾナ州に帰ったら、アリゾナ州立大学レジー・ジャクソンを見ておいたほうがいい」と教えられた。パーマーがその言葉に従い同大野球部の練習試合を視察したところ、ジャクソンは4打数で1本塁打を含む4安打の活躍を見せたが、このとき打ち込まれていた相手投手がジェントリーだったという[注 3][18]。ジェントリーは1967年にメッツと契約してプロ入りし、1969年には新人ながら先発ローテーションに定着、この試合でパーマーと投げ合うこととなった。

第2戦と同じく、この日もメッツが先制点を挙げた。初回裏、先頭打者トミー・エイジーがパーマーの投球を捉え、中堅フェンスを越える本塁打とした。初回先頭打者本塁打は、第1戦でオリオールズのドン・ビュフォードが打ったのに続き、今シリーズ2本目である。1シリーズで初回先頭打者本塁打が複数出たのは、これが史上初だった[注 4][19]。さらに2回裏には、二死無走者から四球安打で一・二塁とすると、9番・投手のジェントリーが右中間への適時二塁打で2走者を還し、リードを3点に広げた。ジェントリーはこの年、打撃ではレギュラーシーズンとポストシーズンを合わせて74打数で1打点のみ、この試合まで28打数連続無安打が継続中だった[20]。投球では、最初の3イニングを1与四球のみで無失点とした。

4回表、オリオールズは3番フランク・ロビンソンのチーム初安打をきっかけに、二死一・三塁の好機を作る。6番エルロッド・ヘンドリックスは、左中間へ飛球を放った。中堅手エイジーは守備位置を右中間寄りにとっていたが、背走してこの打球を追い、左中間フェンス手前のウォーニングゾーンで捕球してアウトにした。エイジーはこのプレイについて「空が晴れてなかったから打球はよく見えたけど、追いつけるかどうかはわからなかった。打球に触りさえすればそのまま掴めるとは思った」と振り返った[17]。オリオールズは反撃を阻止され、6回終了までジェントリーから得点を奪えなかった。当時オリオールズのスカウトだったジム・ルッソは、チームが当初、ワールドシリーズの対戦相手としてメッツではなくアトランタ・ブレーブスを想定していた、と1984年に明かした。そのためスカウティングレポートは正確性を欠き、ジェントリーについて「速球は平均レベル」と評価したところ、その速球に手こずって抑えられたという[21]

6回裏、メッツは7番ジェリー・グロートの適時二塁打で4点差に突き放す。7回表、ジェントリーは二死無走者としたあと制球を乱し、8番マーク・ベランガーからの3者連続与四球で満塁の危機を招いた。メッツはジェントリーを降板させ、2番手にノーラン・ライアンを送った。2番ポール・ブレアーは、ライアンの投球を右中間へ弾き返した。長打性の飛球だったが、中堅手エイジーがダイビングキャッチしてイニングを終わらせた。ブレアーは後年、このプレイについて「負け惜しみじゃないけど、俺ならあれは立ったままでも捕れたよ」とこぼした[22]。その打球に飛び込んだ理由を、エイジーは「で打球が右翼方向へ流されていってたから」と説明した[17]。4回表のヘンドリックスの一打も7回表のブレアーの一打も、エイジーが捕れていなければ塁上の走者が全て生還していたと思われる。エイジーはこの日、ふたつの好守備で5失点を防ぎ、初回裏の本塁打で1得点をもたらして、ひとりで計6点分の働きをしたといえる[20]

8回裏、メッツは6番エド・クレインプールのソロ本塁打で5-0とした。ライアンは9回表に二死満塁とされたものの、最後はブレアーを見逃し三振に仕留めて試合を締めた。ライアンは、1966年から1993年までの実働27年で歴代最多の通算5,714奪三振を記録し、1999年には殿堂入りする。しかしワールドシリーズでの登板は、結果的にはこの試合が最初で最後となった[23]

第4戦 10月15日

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映像外部リンク
MLB.comによる動画(英語)
2回裏、先頭打者ドン・クレンデノンの本塁打でメッツが先制(51秒)
3回表、球審シャグ・クロフォードのストライクの判定にオリオールズ監督アール・ウィーバーが抗議し、退場処分を受ける(1分25秒)
9回表一死一・三塁、ブルックス・ロビンソンの飛球を右翼手ロン・スウォボダがダイビングキャッチ。犠牲フライでオリオールズは同点としたものの、逆転の長打とはならず(38秒)
メッツ先発投手トム・シーバーは延長10回表も続投、ポール・ブレアーを空振り三振に仕留めて二死一・三塁の危機を脱する(29秒)
その裏無死一・二塁で、代打J.C.マーティンの犠牲バントを投手のピート・リッカートが一塁へ悪送球。二塁走者ロッド・ガスパーが生還しメッツがサヨナラ勝利(2分6秒)
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 R H E
ボルチモア・オリオールズ 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 6 1
ニューヨーク・メッツ 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1x 2 10 1
  1. 勝利トム・シーバー(1勝1敗)  
  2. 敗戦ディック・ホール(1敗)  
  3. 本塁打
    NYM:ドン・クレンデノン2号ソロ
  4. 審判
    [球審]シャグ・クロフォード(NL)
    [塁審]一塁: ルー・ディミュロ(AL)、二塁: リー・ウェイヤー(NL)、三塁: ハンク・ソアー(AL)
    [外審]左翼: フランク・セコリー(NL)、右翼: ラリー・ナップ(AL)
  5. 昼間試合 試合時間: 2時間33分 観客: 5万7367人
    詳細: MLB.com Gameday / Baseball-Reference.com
両チームの先発ラインナップ
ボルチモア・オリオールズ ニューヨーク・メッツ
打順 守備 選手 打席 打順 守備 選手 打席
1 D・ビュフォード 1 T・エイジー
2 P・ブレアー 2 B・ハレルソン
3 F・ロビンソン 3 C・ジョーンズ
4 B・パウエル 4 D・クレンデノン
5 B・ロビンソン 5 R・スウォボダ
6 E・ヘンドリックス 6 E・チャールズ
7 D・ジョンソン 7 J・グロート
8 M・ベランガー 8 A・ワイス
9 M・クェイヤー 9 T・シーバー
先発投手 投球 先発投手 投球
M・クェイヤー T・シーバー

当時、アメリカ合衆国ベトナム戦争に軍事介入していた。反戦運動家たちはこの日、全米各地で抗議集会 "Moratorium to End the War in Vietnam" を実施した。ニューヨーク州ニューヨークでは市長ジョン・リンゼイが活動を支持し、戦死者を悼むためにこの日、シェイ・スタジアムを含む市の管理施設では半旗を掲げるよう指示した[24]。しかしMLB機構コミッショナーボウイ・キューンがこれを覆し、球場の旗は最上位まで掲げられた。元々はキューンもリンゼイに同調していたが、合衆国商船大学音楽隊が半旗掲揚に反対し、試合式典への参加ボイコットをちらつかせたため、やむなく立場を変えたとされる[25]

メッツの先発投手トム・シーバーも反戦を支持していた。この日、シェイ・スタジアムの場内アナウンスでシーバーが紹介されると、本拠地であるにもかかわらず、客席の一部からはブーイングが発生した[26]。そのような雰囲気にもかかわらずシーバーが最初の2イニングを無失点に封じたあと、メッツは2回裏に先頭打者ドン・クレンデノン本塁打で先制した。3回表、オリオールズ先頭打者マーク・ベランガーの打席で、シーバーが投じた低めへの投球を、球審のシャグ・クロフォードはストライクと判定した。これに対し、監督のアール・ウィーバーがダグアウトから出てきたところ、クロフォードによって退場処分を受けた。ウィーバーは「ベンチから『今のは入ってないよ』と野次ったら彼が言い返してきたけど、何を言ったかまではわからなかった。だから何と言ったのか訊こうと思って、ベンチから出て『シャグ、……』と名前を呼んだだけで退場させられた」と抗議の意思を否定したが、クロフォードは「ウィーバーは俺を試しに来たんだ、ただ『ハロー』と声をかけるために出ては来ない」と見なしていた[27]。ワールドシリーズでの退場処分は、1959年ロサンゼルス・ドジャースチャック・ドレッセンが受けて以来10年ぶりである[28]。ベランガーは右前打で出塁し、これをきっかけにオリオールズは二死二・三塁としたが、3番フランク・ロビンソンが一邪飛に倒れた。

ここから試合は膠着する。シーバーも、オリオールズの先発投手マイク・クェイヤーも、3回以降は相手打線を封じ、1-0のまま試合は終盤へ進んでいった。8回表、一死無走者でクェイヤーに打順がまわり、代打デーブ・メイが起用されてクェイヤーが先に降板した。その裏、同じく一死無走者でメッツは9番シーバーに代打を出さず、9回表も続投させた。その回、オリオールズは3番F・ロビンソンからの連打で一死一・三塁と好機を迎える。5番ブルックス・ロビンソンが2球目をライナーで右方向へ弾き返し、右翼手ロン・スウォボダはダイビングキャッチを試みた。スウォボダは打球に届くかどうか自信がなく、B・ロビンソンは打球が捕られなければ逆転の2点三塁打になると考えていた[29]。しかし打球はスウォボダの左手のグラブに収まり、三塁走者F・ロビンソンがタッチアップから生還して同点の犠牲フライにこそなったものの、逆転は阻止された。シーバーが6番エルロッド・ヘンドリックスを右直に打ち取って3アウト目を奪い、その裏メッツも二死一・三塁としながら無得点に終わったため、試合は1-1で延長戦に突入した。

延長10回表もシーバーは続投し、二死一・三塁の危機を無失点で凌いだ。その裏、オリオールズの3番手投手ディック・ホールに対し、メッツの先頭打者ジェリー・グロートが左翼手と遊撃手の間に落ちる二塁打で出塁した。代走ロッド・ガスパーが送られ、次打者アル・ワイス敬遠される。9番シーバーの打順で、メッツは代打に左のJ.C.マーティンを起用し、オリオールズも投手を左のピート・リッカートに代えた。マーティンによればこのとき、左対左となったことで、監督のギル・ホッジスから「作戦変更だ、バントでいくぞ」と告げられたという[30]。マーティンは初球を一塁方向へ転がした。リッカートと捕手ヘンドリックスがほぼ同時にこの打球へ追いつき、リッカートが素手で捕って一塁へ送球した。しかしこの送球が打者走者マーティンの左手首に当たって逸れ、その間に二塁走者ガスパーが生還し、メッツがサヨナラ勝利でシリーズ制覇に王手をかけた。ただし、このときマーティンが一塁線の内側を走っていたことが、写真で確認できる[17]。したがって、審判が守備妨害でマーティンをアウトにしていてもおかしくはなかった。実際に球審のクロフォードは後年、息子で同じくMLB審判員のジェリーとこのプレイについて議論し、一塁塁審ルー・ディミュロがマーティンにアウトを宣告して一死一・二塁で再開すべきだった、との結論に至ったという[30]

シーバーはこの日、延長10回完投勝利投手となった。ワールドシリーズで先発投手が10イニング投げるというのは、このあとは1991年シリーズ第7戦でジャック・モリスが達成するまで22年間途絶える記録である[31]。ベトナム戦争についてシーバーは、記者に「俺は反対しているし、人命を危険に晒さないように一刻も早く撤退してほしい」と断言したうえ、12月31日付『ニューヨーク・タイムズ』には妻ナンシーと連名で反戦広告を出稿した[26]

第5戦 10月16日

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映像外部リンク
MLB.comによる動画(英語)
3回表、先発投手デーブ・マクナリーが自ら2点本塁打を放ちオリオールズが先制(43秒)
二死後、フランク・ロビンソンのソロ本塁打でオリオールズが3点目を挙げる(37秒)
6回裏、マクナリーのクレオン・ジョーンズへの投球を、球審ルー・ディミュロが一度はボールと判定。しかしボールに靴墨の付着が認められ、判定が死球に変更される(1分50秒)
次打者ドン・クレンデノンの2点本塁打でメッツが1点差に迫る(46秒)
7回裏、先頭打者アル・ワイスの本塁打でメッツが同点に追いつく(39秒)
8回裏、ロン・スウォボダの適時二塁打でメッツが1点を勝ち越し(54秒)
9回表、ジェリー・クーズマンがデービー・ジョンソンを左飛に打ち取り試合終了、メッツの優勝が決定(1分4秒)
  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
ボルチモア・オリオールズ 0 0 3 0 0 0 0 0 0 3 5 2
ニューヨーク・メッツ 0 0 0 0 0 2 1 2 X 5 7 0
  1. 勝利ジェリー・クーズマン(2勝)  
  2. 敗戦エディ・ワット(1敗)  
  3. 本塁打
    BAL:デーブ・マクナリー1号2ラン、フランク・ロビンソン1号ソロ
    NYM:ドン・クレンデノン3号2ラン、アル・ワイス1号ソロ
  4. 審判
    [球審]ルー・ディミュロ(AL)
    [塁審]一塁: リー・ウェイヤー(NL)、二塁: ハンク・ソアー(AL)、三塁: フランク・セコリー(NL)
    [外審]左翼: ラリー・ナップ(AL)、右翼: シャグ・クロフォード(NL)
  5. 昼間試合 試合時間: 2時間14分 観客: 5万7397人
    詳細: MLB.com Gameday / Baseball-Reference.com
両チームの先発ラインナップ
ボルチモア・オリオールズ ニューヨーク・メッツ
打順 守備 選手 打席 打順 守備 選手 打席
1 D・ビュフォード 1 T・エイジー
2 P・ブレアー 2 B・ハレルソン
3 F・ロビンソン 3 C・ジョーンズ
4 B・パウエル 4 D・クレンデノン
5 B・ロビンソン 5 R・スウォボダ
6 D・ジョンソン 6 E・チャールズ
7 A・エチェバレン 7 J・グロート
8 M・ベランガー 8 A・ワイス
9 D・マクナリー 9 J・クーズマン
先発投手 投球 先発投手 投球
D・マクナリー J・クーズマン

この試合では、オリオールズが4試合ぶりに先制する。3回表、先頭打者マーク・ベランガーが右前打で出塁し、打順は9番・投手のデーブ・マクナリーにまわった。この場面、メッツの先発投手ジェリー・クーズマンも、打席に向かうマクナリーも、ともに犠牲バントを予想していた。しかしオリオールズ監督のアール・ウィーバーがバントの指示を取り止め、マクナリーに打たせることにしたため、マクナリーは驚いたという[32]。クーズマンは、マクナリーにバントを打ち上げさせてあわよくば併殺とするため、高めに速球を投げ込んだ[16]。その結果、マクナリーのスウィングが投球を捉え、左翼フェンスを越える2点本塁打となった。シリーズ史上、投手による本塁打は延べ11人目・12本目である[33]。この回さらに二死後、3番フランク・ロビンソンもソロ本塁打を放ち、オリオールズが3点を先制した。クーズマンはこの回を終えてダグアウトへ戻ると「オーケー、みんな、もうこれ以上は点をやらない!」と宣言した[16]

メッツ打線は6回裏に反撃する。先頭打者クレオン・ジョーンズに対しマクナリーが投じた初球、カーブがすっぽ抜けてジョーンズの足元を襲い、跳ねて一塁側のメッツのダグアウトに飛び込んだ。ジョーンズは死球を確信して一塁へ歩こうとしたが、球審ルー・ディミュロはジョーンズに打席へ戻るよう命じた。ここでメッツ監督のギル・ホッジスがボールを手にダグアウトから出てきて、ボールに靴墨が付着しているのを見せると、ディミュロは判定を覆してジョーンズの死球出塁を認めた。この判定変更にウィーバーらオリオールズ側は抗議したが、再変更はなく無死一塁で試合が再開された。ただ、ウィーバーが「ボールは一度メッツのダグアウトに入ったから、メッツ側は細工が可能」と指摘したのはその通りで、実際にダグアウト内でクーズマンがボールを拾うと、ホッジスはそのボールを靴にこすりつけさせてから受け取っていた[34]。ボールは判定変更直後に交換へ出されたため、ボールに付着していた靴墨がジョーンズのものかクーズマンのものかは、今となっては謎である。再開直後、次打者ドン・クレンデノンに本塁打が出て、メッツは1点差に詰め寄った。

クーズマンは宣言通りに4回以降はオリオールズの追加点を許しておらず、味方打線に追い上げてもらった直後の7回表も三者凡退に封じた。その裏、メッツは先頭打者アル・ワイスの本塁打で同点に追いついた。ワイスは1962年シカゴ・ホワイトソックスでデビューして以来8年間、本拠地球場で本塁打を放った経験がなく「二塁に向かうところで歓声が聞こえてきて、何かしら起こったんだとはわかったが、どう反応すればいいのかわからなかった。単打二塁打ならわかるんだけどな」と話した[20]。さらに8回裏、オリオールズが2番手エディ・ワットを登板させると、メッツは先頭打者ジョーンズの二塁打で得点圏に走者を出塁させる。一死後、5番ロン・スウォボダは左翼方向へ飛球を打ち上げた。これを左翼手ドン・ビュフォードが追い、最後は逆シングルの体勢でグラブを伸ばしたが届かず、適時二塁打となってジョーンズが勝ち越しのホームを踏んだ。このあと7番ジェリー・グロートの一ゴロにオリオールズの失策が重なってスウォボダも生還し、メッツは2点のリードを得て初優勝まで残り1イニングに迫った。

クーズマンは第2戦で先発登板したとき、完投勝利まであと1アウトとしながら、連続四球でマウンドを降りざるを得なかったことを悔やんでいた[16]。それから4日後のこの日、9回表のマウンドに上がると、先頭打者F・ロビンソンに四球を与えたものの、4番ブーグ・パウエルと5番ブルックス・ロビンソンを打ち取る。そして最後、デービー・ジョンソンが左方向へ打ち上げた。クーズマンは「大歓声で打球音が聞こえず、振り返ったら(左翼手の)ジョーンズが下がるのが見えたから『神様、頼むから本塁打は勘弁してくれ』と思った」という[35]。ジョーンズがウォーニングゾーンの境目あたりで足を止めて打球を捕り、左飛で試合終了、クーズマンが第2戦の悔しさを晴らすとともにメッツの初優勝が決まった。試合終了と同時に、大勢の観客がグラウンドへ雪崩込んで喜びを露わにした。狂乱は30分近く続き、フィールドの芝はところどころ剥げ、本塁やマウンドのあたりはボコボコに荒れ、仮設スタンドの回転椅子は外されて持ち去られそうになったのを警察によって回収され、24人の負傷者が報告された[36]。スウォボダは、優勝以上に素晴らしいことが「あるとすれば、に行くことぐらいかな」と、7月のアポロ11号による人類初の月面着陸を引き合いに出して喜びを表現した[15]

シリーズ終了後

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優勝記念パレード

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優勝記念パレード当日のニューヨークの様子。地面一面をティッカー・テープ紙吹雪が埋め尽くした

10月20日、ニューヨーク州ニューヨークでメッツの優勝記念パレードが開催された。今回のような大規模なパレードは、ストックティッカーの情報を印字するための紙テープなどが細かく裁断されて紙吹雪として舞い散らされることから、ティッカー・テープ・パレードと呼ばれる。同市ロウアー・マンハッタンビジネス改善地区運営組合 "アライアンス・フォー・ダウンタウン・ニューヨーク" によると、今回のメッツ優勝記念パレードは同市の歴史上、1886年10月28日に自由の女神像除幕記念で初めて行われて以来184回目、1969年内では3回目のティッカー・テープ・パレードである[37]

先に行われた2回のティッカー・テープ・パレードは、いずれも宇宙飛行士地球帰還を祝うものだった。当時は冷戦まっただ中、アメリカ合衆国ソビエト連邦は国家の威信をかけて宇宙開発競争を繰り広げていた。米国は1961年、有人宇宙飛行の初成功でソ連に先行されると、人類へ到達させるべく "アポロ計画" を本格始動させた。その結果、1968年12月のアポロ8号は人類を搭載した宇宙船による月の周回に、1969年7月のアポロ11号は人類の月面着陸に、それぞれソ連より先に成功した。これを受けて、1969年の1月10日にはフランク・ボーマンら8号の宇宙飛行士3人が、8月13日にはニール・アームストロングら11号の宇宙飛行士3人が、いずれもティッカー・テープ・パレードで祝福された。この2回のパレードと今回のメッツ優勝記念パレードとの規模を比較する数字として、市の公衆衛生局が測定した、パレード終了後に回収されたゴミの総重量、つまりどれほどの量の紙吹雪が降り注いだかというものがある。それによると1月10日が122トン、8月13日が300トンだったのに対して、メッツのパレードは1,254.6トンだった[38]

このパレードについて日本では、地元メディアの天気予報が当日の空模様を「晴れ、ところにより紙吹雪」と伝えた、との逸話が定着している。今シリーズから半世紀を経てもなお、スポーツチームがパレードを行うときにこの言い回しを使う予報士は後を絶たない[39]。ただ社会学者の伊藤茂樹によると、この「ところにより紙吹雪」という表現にかかる状況は、もともとはパレード開催日に関する予報上の晴天ではなく、メッツが優勝した瞬間の実際の曇天だったという。伊藤は、メッツ優勝に際し気象と紙吹雪を結びつけた日本で最初の活字報道が『毎日新聞』10月17日付夕刊、つまりシリーズ決着直後の紙面における「ニューヨーク気象台は『ニューヨーク地方本日くもり。ただしところにより紙吹雪が降っています』としゃれのめした」という一文だったと指摘し、それが「日本人の耳には新鮮だった」ために日本で語り継がれ「秋晴れの空に紙吹雪が舞う光景の方が美しいので、いつの間にか」変化したのだろうと推察している[40]

17年後のメッツ2度目の優勝

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今シリーズは、メッツのジェリー・クーズマンがオリオールズのデービー・ジョンソンを左飛に打ち取る、というプレイで締めくくられた。このあとジョンソンは、オリオールズを含むMLB4球団や日本プロ野球読売ジャイアンツなどを経て、1978年シーズン終了後に現役を引退し指導者に転向、1984年からはメッツの監督に就任した。クーズマンは1978年12月、マイナーリーガー1人+後日発表選手1人とのトレードミネソタ・ツインズへ移籍した。この後日発表選手として、翌1979年2月にジェシー・オロスコがメッツへ加入した。メッツは1986年17年ぶり2度目のワールドシリーズ優勝を果たす。そのとき指揮を執っていたのがジョンソンであり、最後を締めた投手がオロスコだった[41]。また、1969年優勝メンバーのなかでは、バド・ハレルソンが1986年シリーズでメッツの三塁コーチを務めていた。1969年と1986年の優勝をいずれもユニフォーム組として経験したのはハレルソンだけである[42]

脚注

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注釈

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  1. ^ 殿堂入りは指導者としてではなく、一塁手としての功績が評価されてのもの。
  2. ^ 殿堂入りは指導者としてではなく、捕手としての功績が評価されてのもの。
  3. ^ パーマーに視察を勧めたスカウトは「うちにジャクソンを獲得するチャンスはないけどね」と付け加えた。翌1966年のドラフトで、オリオールズが有する最高位の指名権は1巡目・全体16位だったからである。このドラフトで全体1位指名権を持っていたのはメッツだった。しかしメッツはジャクソンの指名を見送り、カリフォルニア州の高校生捕手スティーブ・チルコットを指名した。チルコットはメジャーには一度も昇格できないまま現役を引退した。ジャクソンは全体2位でカンザスシティ・アスレチックスから指名されてプロ入りし、1967年から1987年まで実働21年で通算2,597安打・563本塁打・1,702打点を記録、1993年に殿堂入りした。1976年には1年だけオリオールズに在籍し、パーマーとチームメイトになった。
  4. ^ 1シリーズで複数の初回先頭打者本塁打は、今シリーズから46年後の2015年に2度目が記録された。奇しくも、そのシリーズにもメッツが出場していた。打ったのは、カンザスシティ・ロイヤルズアルシデス・エスコバー(第1戦)とメッツのカーティス・グランダーソン(第5戦)である。

出典

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外部リンク

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