「松平直泰」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
22行目: | 22行目: | ||
| 兄弟 = '''直泰'''、[[松平直瑗|直瑗]]、[[松平直喬|直喬]]、満 |
| 兄弟 = '''直泰'''、[[松平直瑗|直瑗]]、[[松平直喬|直喬]]、満 |
||
| 妻 = '''[[丹羽高庸]]娘利恵姫'''、'''[[丹羽高庸]]娘喜姫'''<br/>園子、里嘉子 |
| 妻 = '''[[丹羽高庸]]娘利恵姫'''、'''[[丹羽高庸]]娘喜姫'''<br/>園子、里嘉子 |
||
| 子 = '''[[松平直之 (明石藩主)|直之]]'''、[[松平直周|直周]]、[[松平直 |
| 子 = '''[[松平直之 (明石藩主)|直之]]'''、[[松平直周|直周]]、[[松平直暠|直暠]]、[[中条信徳]]、[[松平直方 (母里藩主)|直方]]、<br/>[[本多忠曄]]、[[有馬広寿]]、[[松平直顕|直顕]]、[[安藤定則]]、<br/>[[松平直標|直標]]、[[松平直宝|直宝]]、[[松平直董|直董]]、栄、輝、寿、<br/>[[堀田一権]]正室、幹、喬、晋、[[小堀政共]]正室ら |
||
| 特記事項 = |
| 特記事項 = |
||
}} |
}} |
||
38行目: | 38行目: | ||
*正室:利恵姫(? - 1771年) - [[丹羽高庸]]の娘 |
*正室:利恵姫(? - 1771年) - [[丹羽高庸]]の娘 |
||
*継室:喜姫 - 丹羽高庸の娘 |
*継室:喜姫 - 丹羽高庸の娘 |
||
**九男:[[松平直方 (母里藩主)|松平直方]](1779年 - 1842年) - [[ |
**九男:[[松平直方 (母里藩主)|松平直方]](1779年 - 1842年) - [[松平直暠]]の婿養子 |
||
*側室:園子 |
*側室:園子 |
||
**長男:[[松平直之 (明石藩主)|松平直之]](1768年 - 1786年) |
**長男:[[松平直之 (明石藩主)|松平直之]](1768年 - 1786年) |
||
44行目: | 44行目: | ||
**三男:[[松平直周]](1773年 - 1828年) |
**三男:[[松平直周]](1773年 - 1828年) |
||
*生母不明の子女 |
*生母不明の子女 |
||
**四男:[[ |
**四男:[[松平直暠]](1777年 - 1796年) |
||
**六男:[[中条信徳]](1779年 - 1830年) - [[中条信義]]の養子 |
**六男:[[中条信徳]](1779年 - 1830年) - [[中条信義]]の養子 |
||
**十男:[[本多忠曄]] |
**十男:[[本多忠曄]] |
2020年9月11日 (金) 21:55時点における版
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
---|---|
生誕 | 寛延元年11月28日(1749年1月16日) |
死没 | 享和3年12月29日(1804年2月10日) |
改名 | 処次郎(幼名)、直泰 |
戒名 | 峻徳院殿英光明雄有隣大居士 |
墓所 | 兵庫県明石市人丸町の長寿院 |
官位 | 従五位下内膳正、従四位下但馬守、左兵衛督、若狭守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 播磨明石藩主 |
氏族 | 越前松平家支流明石松平家 |
父母 | 松平直純、牧野貞通娘千姫 |
兄弟 | 直泰、直瑗、直喬、満 |
妻 |
丹羽高庸娘利恵姫、丹羽高庸娘喜姫 園子、里嘉子 |
子 |
直之、直周、直暠、中条信徳、直方、 本多忠曄、有馬広寿、直顕、安藤定則、 直標、直宝、直董、栄、輝、寿、 堀田一権正室、幹、喬、晋、小堀政共正室ら |
松平 直泰(まつだいら なおひろ)は、江戸時代中期の大名。播磨国明石藩4代藩主。官位は従四位下但馬守、左兵衛督、若狭守。直良系越前松平家5代。
生涯
寛延元年(1748年)、3代藩主・松平直純の長男として江戸藩邸にて誕生した。宝暦8年(1758年)に元服し、直純より直泰の諱を与えられる。宝暦12年(1762年)、初めて10代将軍・徳川家治に御目見する。元文13年(1763年)に従五位下を叙任し、内膳正と名乗る。
明和元年(1764年)、直純が病没したため家督を継ぐ。明和2年(1765年)、内膳正より丹後守と改称する。明和7年(1770年)、二本松藩主丹羽高庸の娘・勢姫(のち利恵姫と改称)と婚姻する。翌明和8年(1771年)、利恵姫が病没し、浅草の幡随院に葬る。安永2年(1773年)、従四位下に昇進、但馬守、左兵衛督と改称する。安永7年(1778年)、利恵姫の妹・喜姫を継室としたが、天明2年(1782年)には離婚している。天明4年(1784年)、家督を長男の直之に譲り隠居し、若狭守と称す。享和3年(1804年)、卒中のため明石城二の丸にて死去した。享年56。
系譜
- 父:松平直純(1727-1764)
- 母:千姫 - 牧野貞通の娘
- 正室:利恵姫(? - 1771年) - 丹羽高庸の娘
- 継室:喜姫 - 丹羽高庸の娘
- 側室:園子
- 長男:松平直之(1768年 - 1786年)
- 側室:里嘉子
- 三男:松平直周(1773年 - 1828年)
- 生母不明の子女
参考文献
- 黒田義隆編著『明石藩略史』明石葵会、1981年