牧野康儔
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牧野 康儔(まきの やすとも、安永2年3月16日(1773年4月7日) - 寛政12年6月26日(1800年8月16日))は、信濃小諸藩の第5代藩主。越後長岡藩分家牧野家7代。
生涯
[編集]第4代藩主牧野康陛の長男。母は松平親盈の娘・清子。正室は松平直泰の娘。子に牧野康長(長男)、牧野康明(次男)、娘(本庄宗発正室)。官位は従五位下、内膳正。
寛政3年(1791年)12月15日に叙任する。寛政6年(1794年)、父の死去により跡を継ぎ[1]、寛政10年[1](1798年)6月19日に奏者番となる。病弱で足痛により、杖の使用を許された[1]。
寛政12年(1800年)6月26日、江戸にて28歳で死去した。死因は脚気腫満であった[1]。跡を長男の康長が継いだ。法号は泰岳院殿興誉隆煕仁良大居士[1]。
系譜
[編集]父母
正室
- 栄 - 松平直泰の娘
子女