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「陳 (姓)」の版間の差分

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=== 氏族 ===
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[[広東陳氏]]の[[本貫]]たる[[広東省|広東]]は現在の[[広州市|広州]]であり、[[文禄・慶長の役|万暦朝鮮戦争]]の時[[明]]水軍の主将として参戦した[[陳璘]]を始祖としている。明の滅亡以後、明の再興運動に参加した長男が、運動が失敗した直後[[李氏朝鮮|朝鮮]]に帰化して定着したのが広東陳氏の発祥とされている。

2020年9月6日 (日) 04:21時点における版

ベトナムの姓の割合
  Trần(11%)
中国語
中国語 チェン
繁体字
簡体字
発音記号
標準中国語
漢語拼音Chén
国語ローマ字Chen
注音符号ㄔㄣˊ
呉語
上海語ローマ字Zen1
粤語
粤拼Can4
閩南語
閩南語白話字Tân
朝鮮語
ハングル
漢字
英語Jin, Chin, Jean, Gin, Zhin, Chen
発音記号
RR式Jin
ベトナム語
ベトナム語チャン
クオック・グーTrần
チュノム

(ちん)は、漢姓の一つ。中国台湾韓国ベトナムマレーシアシンガポール日本などのアジア全域に分布する。

中華圏

(チェン)は、中華圏の姓の一つ。他の姓との混同を避けるために、「耳に東の陳」と呼ぶことが多い。河南省周辺を発祥とする。

起源

  • 媯姓陳氏
    • 司馬遷の『史記』などの史書は、西周時代の侯国の公族の本姓は女偏に爲)で、の後裔から出たものであると記録している。陳の発祥は、紀元前1127年、西周の武王の末裔であった陶器匠・を冊立して(胡公)、陳(現在の淮陽)の土地を与えたことから始まる。陳は周の王室が任命した諸侯国ではあったが、周りの強国に圧迫されたため、領土と勢力は建国初期から滅亡時期まで成長することが出来なかった。紀元前478年に陳が滅亡すると、その末裔たちは強国によって四分五裂され、改姓して数多の家門を建てて分家した。その中には陳の公子陳完の末裔が称し、田斉を建国した田氏も出た。同時に姓を中心の家門が成立したのはこの時のことである。そんな中で、亡国になった母国の名を姓とした人たちがあり、その末裔たちが現在の陳氏である。現在、陳国の正統家流として公認されている家門は、舜以後の系譜が確実に残っている潁川陳氏中国語版一族だけである。

アルファベット表記

中国系の姓を持つ者がパスポートを取得したり、英語圏などのアルファベット使用国に住む際には、必ずしも普通話の発音ではなく、本人(またはその祖先)の出身地における方言に基づいたアルファベット表記が用いられる。陳氏の場合、例えば北京語を話す地域の出身者は「Chen」、福建語を話す地域の出身者は「Tan」と表記される。

著名な人物

台湾の人物
香港の人物
その他
架空の人物
  • 陳希真 - 『蕩寇志』の主人公。
  • 陳希義 - 『蕩寇志』の人物、陳希真の弟。
  • 陳麗卿 - 『蕩寇志』の人物、陳希真の娘。

朝鮮

(じん、チン)は、朝鮮の姓の一つ。

氏族

驪陽陳氏北宋右尹を歴任し、の侵略から逃れるため高麗に帰化した陳琇(陳莠)を祖とし、その曾孫の陳寵厚は、仁宗の外戚李資謙の叛乱を討伐した功で現在の洪城である驪陽の地、驪陽君の爵位を受けて、大将軍を歴任した。

広東陳氏本貫たる広東は現在の広州であり、万暦朝鮮戦争の時水軍の主将として参戦した陳璘を始祖としている。明の滅亡以後、明の再興運動に参加した長男が、運動が失敗した直後朝鮮に帰化して定着したのが広東陳氏の発祥とされている。

氏族(本貫) 始祖 割合 (%) (2000年)
驪陽陳氏 陳寵厚
広東陳氏 陳璘
梁山陳氏 陳普才
淸州陳氏
江陵陳氏
臨陂陳氏
三陟陳氏
南海陳氏
福州陳氏
神光陳氏
楊州陳氏
羅州陳氏
徳昌陳氏

ベトナム

(チャン)は、ベトナムの姓の一つ。ベトナム語のラテン文字表記(クオック・グー)にそのまま従う形で「トラン」と転記されたり、読まれたりすることがある。

10世紀後半の有力豪族・十二使君の一人に陳覧(チャン・ラム)がいる。13世紀初頭、陳嗣慶(チャン・トゥ・カイン)や陳守度(チャン・トゥ・ド)ら陳氏(福建もしくは桂林からの移民)の一族は李朝で実権を握り、陳太宗(チャン・タイン・トン)は陳朝を開いた。

著名な人物

関連項目