「土井氏」の版間の差分
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2020年9月3日 (木) 11:03時点における版
土井氏 | |
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六つ水車 | |
本姓 | 称・清和源氏土岐氏流 |
家祖 | 土井定親? |
種別 |
武家 華族(子爵) |
出身地 |
美濃国? 三河国額田郡土井村 |
主な根拠地 | 三河国など |
著名な人物 |
土井利勝 土井利位 土井利忠 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
土井氏(どいし)は、日本の姓氏のひとつ。著名なのは、土井利勝に始まる江戸時代の大名一族である。以下これにつき詳述する。
創業期
土井氏は、江戸時代に徳川幕府に提出した資料によれば、清和源氏土岐氏の庶流とされ、土岐五郎光定(光貞)の次男土井孫太郎定親から始まり、師親、貞秀と続き、途中不詳ながら戦国期に(早乙女)利重、(土居)利昌、利勝へとつながる。これは当時家系を名流に求めるのが常であったので、真偽は疑わしい。
土井氏の直接の始祖である土井利勝も出生と育ちが複雑である。徳川家康の母於大の方の実兄水野信元の庶子として天正元年(1573年)に浜松で生まれ、のちに土井利昌(正利)の養子になったとされ、家康の母方の従弟であった。ただし異説もあり、利昌の娘(後玉等院)に産ませた家康の隠し子で、水野信元の養子となり、後に信元が敵方の秋山信友と内通した容疑で織田信長の命を受けた家康の家臣平岩親吉に殺されると、利昌の養子にされたとも言われる。
養父である土井利昌は、甚三郎または早乙女小左衛門と称し、家康に仕えて慶長3年(1598年)9月11日に没した。
利勝は早くから家康と秀忠の近くで仕え、慶長7年(1602年)12月28日下総小見川1万石を与えられ、その後2万石に加増。慶長15年(1610年)1月に下総佐倉3万2000石、寛永10年(1633年)4月7日に下総古河16万石となった。
幕府内でも順調に出世し、慶長15年(1610年)8月3日(一説には元和9年(1623年)9月)には老中、寛永15年(1638年)11月7日には大老に就任する。
土井氏の諸家系
正保元年(1644年)7月10日に利勝が没すると、その遺領は4人の子(利隆、利長、利房、利直)に分与された。さらに利隆没後も分与があった。以下にその家系を示す。なお、利勝の血筋は男系が断絶、女系は水戸徳川家[注釈 1][注釈 2]など多くの大名家に血脈を伝えている。
古河土井家(利勝直系、宗家)
宗家らしく、幕閣の重臣を輩出した。利勝の大老は別格として、2代利隆が若年寄、8代利里が京都所司代、10代利厚と11代利位が老中となった。維新後、子爵に列する。
- 利勝(としかつ) 下総古河16万石。
- 利隆(としたか) 利勝の子。分与後下総古河13万5000石。
- 利重(とししげ) 利隆の子。分与後下総古河10万石。
- 利久(としひさ) 利重の弟。下総古河10万石→没後除封(無嗣)。
- 利益(とします) 利重の弟。下総古河7万石再興→志摩鳥羽7万石→肥前唐津7万石。
- 利実(としざね) 利益の子。肥前唐津7万石。
- 利延(としのぶ) 利直系3代利清の子。肥前唐津7万石。
- 利里(としさと) 利延弟。肥前唐津7万石→下総古河7万石。
- 利見(としちか) 大給松平乗佑の子。下総古河7万石。
- 利厚(としあつ) 桜井松平忠名の子。加増により下総古河8万石。
- 利位(としつら) 利長系5代利徳の子。下総古河8万石。
- 利亨(としなり) 酒井忠藎の子。下総古河8万石。
- 利則(としのり) 藤堂高秭の子。下総古河8万石。
- 利与(としとも) 利則の子。下総古河8万石→廃藩。
三河土井家(利長系)
早くから利勝の血統が断絶し、養子相続が続いた。2代利意が寺社奉行、11代利善が寺社奉行と陸軍奉行を勤めている。維新後、子爵に列する。
- 利長(としなが) 利勝の子。利隆より下野国内1万石分与。利隆の子利重より1万石分与→三河西尾2万3000石。
- 利意(としもと) 稲葉正則の子。三河西尾2万3000石。
- 利庸(としつね) 三浦便次の子。三河西尾2万3000石。
- 利信(としのぶ) 利庸の子。三河西尾2万3000石→三河刈谷2万3000石。
- 利徳(としなり) 伊達宗村の子。三河刈谷2万3000石。
- 利制(としのり) 利徳の子。三河刈谷2万3000石。(寛政一揆の処罰で一部を福島藩と領地替え)
- 利謙(としかた) 利制の弟。三河刈谷2万3000石。
- 利以(としもち) 利制の弟。三河刈谷2万3000石。
- 利行(としひら) 利以の子。三河刈谷2万3000石。
- 利祐(としすけ) 堀田正衡の子。三河刈谷2万3000石。
- 利善(としよし) 井上正甫の子。三河刈谷2万3000石。
- 利教(としのり) 建部政醇の子。三河刈谷2万3000石。
- 忠直(ただなお) 藤井松平忠固の子。三河刈谷2万3000石→廃藩。
越前土井家(利房系)
初代利房は兄の利長より優遇が目立ち、石高も多く、老中も勤めている。7代利忠は藩政改革、財政再建を行い、藩校明倫館を設立して洋学を奨励、藩経営の商店「大野屋」の設立や、蝦夷地開拓に興味を持ったことで有名。維新後、子爵に列する。
- 利房(としふさ) 利勝の子。利隆より下野国内1万石分与。利隆の子利重より1万石分与。越前大野4万石。
- 利知(としとも) 利房の子。越前大野4万石。
- 利寛(としひろ) 利知の子。越前大野4万石。
- 利貞(としさだ) 利寛の子。越前大野4万石。
- 利義(としのり) 井伊直幸の子。越前大野4万石。
- 利器(としかた) 久世広明の子。越前大野4万石。
- 利忠(としただ) 利義の子。越前大野4万石。
- 利恒(としつね) 利忠の子。越前大野4万石→廃藩。
大輪土井家(利直系)
- 利直(としなお) 利勝の子。利隆より下総国内5000石分与。利隆の子利重より5000石分与され、下総大輪1万石。
- 利良(としよし) 利房の子。相続が利直の子一学でないのは筋違いとして5000石に減知。以降旗本として存続。
- 利清(としきよ) 利良の子。
常陸土井家(利益系)
- 利益(とします) 利隆の子。兄利重より常陸・下総国内1万石分与。のち下総古河藩相続。
系図
発蹟地の石碑
土井氏発祥の地は三河国額田郡土井村といわれ、現在の愛知県岡崎市土井町蔵屋敷の社口司社に、「土井氏一族発蹟地」という石碑がある。
注釈
脚注
参考文献
- 今井尭ほか編『日本史総覧』 5(近世 2)、児玉幸多・小西四郎・竹内理三監修、新人物往来社、1984年9月15日。 NCID BN00172373。
- 堀田正敦編「国立国会図書館デジタルコレクション 巻第二百九十七 清和源氏頼光流土岐支流」『寛政重脩諸家譜』 第2輯、國民圖書、1923年。全国書誌番号:21329092 。