土井利謙
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明7年11月29日(1788年1月7日) |
死没 | 文化10年5月20日(1813年6月18日) |
改名 | 三郎(幼名)、利謙 |
戒名 | 正運院直誉端心憐道 |
墓所 | 愛知県刈谷市広小路の十念寺 |
官位 | 従五位下、伊予守、山城守 |
幕府 | 江戸幕府 奏者番、大坂加番 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 三河刈谷藩主 |
氏族 | 土井氏 |
父母 | 父:土井利徳、養父:土井利制 |
兄弟 | 信、利制、久喜、登志、利謙、利央、利位、筍、利以 |
妻 |
正室:阿部正倫娘 継室:土屋英直娘 継々室:松平忠恕娘 |
子 | 養子:利以 |
土井 利謙(どい としかた)は、江戸時代後期の大名。三河国刈谷藩4代藩主。刈谷藩土井家7代。
略歴
[編集]天明7年(1787年)11月29日、第2代藩主土井利徳の次男として生まれる。兄で第3代藩主の利制に嗣子がなかったために養子となり、寛政6年(1794年)の兄の死去により家督を継いだ。
享和3年(1803年)12月26日に奏者番に任じられ、同時に従五位下・伊予守に叙位・任官する。文化5年(1808年)4月に大坂加番に任じられる。文化10年(1813年)2月6日に山城守に遷任されるが、直後の5月20日に刈谷城で死去した。享年27。
跡を弟で養子の利以が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室、継室
養子
- 土井利以 - 利徳の五男