土井利祐
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文政4年(1821年) |
死没 | 弘化3年12月13日(1847年1月29日) |
改名 | 次郎(幼名)、利祐 |
戒名 | 徳光院恭誉良謙仁和 |
墓所 | 愛知県刈谷市広小路の十念寺 |
官位 | 従五位下、山城守、淡路守 |
幕府 | 江戸幕府 大坂加番 |
藩 | 三河刈谷藩主 |
氏族 | 堀田氏→土井氏 |
父母 | 父:堀田正衡、養父:土井利行 |
兄弟 | 堀田正修、利祐、北条氏恭 |
妻 | 盈(土井利行の養女・土井利以の娘) |
子 |
錦(土井利善正室)、 良(金森近明正室のち土井忠直正室) 養子:利善 |
土井 利祐(どい としすけ)は、三河刈谷藩の第7代藩主。刈谷藩土井家10代。
文政4年(1821年)、下野佐野藩主堀田正衡の次男として生まれる。正衡は、第2代刈谷藩主土井利徳の実弟堀田正敦の長男であった。天保9年(1838年)に第6代刈谷藩主土井利行が死去したため、末期養子として家督を継ぐ。利祐は一応は血のつながった縁者であるが、他家からの養子が続いたために家中で反発・対立も起こり、藩内は騒擾した。11月15日に第12代将軍徳川家慶に拝謁し、12月16日に従五位下・山城守に叙位・任官する。
天保14年(1843年)に大坂加番に任じられ、11月に淡路守に遷任する。弘化3年(1846年)12月13日、刈谷城で死去した。享年26。しかし跡継ぎ問題などから、死は弘化4年(1847年)2月3日に発表された。跡は末期養子の利善が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 盈 - 土井利行の養女、土井利以の娘
子女
養子