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「二十八部衆」の版間の差分

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2020年8月21日 (金) 08:46時点における版

千手観音を守る二十八部衆の一尊・乾闥婆(三十三間堂)
千手観音二十八部衆図
細見美術館蔵 鎌倉時代

二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)は、千手観音眷属の事である。 東西南北と上下に各四部、北東・東南・北西・西南に各一部ずつが配されており、合計で二十八部衆となる。

典拠

典拠となる経典は『千手観音造次第法儀軌』(善無畏 637年-735年訳)であるが、よく読んでみると一部に二つ三つの名前が入っていたり(下記の名称を見て解る通り複数の仏尊を纏めて一つの尊格として扱っている)、第二十一番目には「二十八部大仙衆」があったりと、経典の作者がかなりいい加減に「二十八部」を作り上げていたことがわかる(その二十八部大仙衆を一尊で代表しているのが下記の婆藪仙である)。

この経典は弘法大師によって日本に持ち込まれて普及した。しかし中国など日本以外の地域ではほとんど広まらなかった。

『儀軌』は、『千手陀羅尼経』(伽梵達磨 650年-655年ごろ訳)の偈文に連ねられている一切善神と一部の誤字を除いて一致するために、これをもとのサンスクリットをあまり理解しないまま写したものだと考えられている。しかし当の『陀羅尼経』にはどこにも「一切善神」が二十八部であるとは書かれていない。

このことを指摘し、おおよそ正確に本来のサンスクリットと対照して四十九部に修正したのが日本の僧侶定深による『千手経二十八部衆釈』(1108年ごろ)であるが、それ以外はほとんど省みられなかった[1]

名称

  1. 那羅延堅固(ならえんけんご)
  2. 難陀龍王(なんだりゅうおう)
  3. 摩睺羅(まごら)
  4. 緊那羅(きんなら)
  5. 迦楼羅(かるら)
  6. 乾闥婆(けんだつば)
  7. 毘舎闍(びしゃじゃ)
  8. 散支大将(さんしたいしょう)
  9. 満善車鉢(まんぜんしゃはつ、満善・車鉢・真陀羅、満善(Pūrṇaka)及び車鉢羅婆(Chagalapāda、チャガラパーダ、「山羊の足を持つ者」の意)は共に夜叉神である[2]
  10. 摩尼跋陀羅(まにばだら)
  11. 毘沙門天(びしゃもんてん)
  12. 提頭頼吒王(だいずらたおう)
  13. 婆藪仙(ばすせん)
  14. 大弁功徳天(だいべんくどくてん)[3]
  15. 帝釈天王(たいしゃくてんおう)
  16. 大梵天王(だいぼんてんおう)
  17. 毘楼勒叉(びるろくしゃ)
  18. 毘楼博叉(びるばくしゃ)
  19. 薩遮摩和羅(さしゃまわら、薩遮摩(大神将軍女)と摩和羅(mahābalasenapati、大力将軍)を合わせた尊格だが薩遮摩は八大羅刹女の一尊であるスチマー(sucimā)のことではないかと考えられている[4]
  20. 五部浄居(ごぶじょうご、五部浄居炎摩羅
  21. 金色孔雀王(こんじきくじゃくおう)
  22. 神母女(じんもにょ)
  23. 金毘羅(こんぴら)
  24. 畢婆伽羅(ひばから)
  25. 阿修羅(あしゅら)
  26. 伊鉢羅(いはつら、elāpattra-nāga-rāja、香薬竜王)
  27. 娑伽羅龍王(さがらりゅうおう)
  28. 密迹金剛士(みっしゃくこんごうし)

三十三間堂に祀られているのは以上に風神雷神を加えたものだが、この他にも『千手経二十八部衆釈』には二十八部衆の構成員として烏蒭灑摩明王君荼利明王摩醯首羅婆馺婆楼那天女摩利支満賢薬叉跋難陀鳩槃荼王等が挙げられている[5]

主な二十八部衆像安置寺院一覧

二十八部衆像ではなく三十三応現身像である可能性がある像

博物館所蔵

日本以外の二十八部衆像

脚注

  1. ^ 山田 明爾「『千手観音二十八部衆の系譜』 ―諸天鬼神の系譜研究の一環として」『龍谷大學論集』 399、1972年、pp.48-65より
  2. ^ 『千手観音二十八部衆の系譜』pp.64
  3. ^ 『千手観音二十八部衆の系譜』pp.51-52
  4. ^ 『千手観音二十八部衆の系譜』pp.54
  5. ^ 『千手観音二十八部衆の系譜』pp.54-55
  6. ^ 島田市観光協会HPより。慶長15(1610)年二十八部衆像再建
  7. ^ 東愛知新聞[2017年5月4日閲覧] より。

参考文献

  • 山田 明爾「『千手観音二十八部衆の系譜』 ―諸天鬼神の系譜研究の一環として」『龍谷大學論集』 399、1972年
  • 二階堂 善弘「二十四諸天と二十八部衆(東アジアの思想と構造)」『東アジア文化交渉研究』関西大学大学院東アジア文化研究科、(6)、2013年

関連項目