「あゝ同期の桜」の版間の差分
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|24||9月14日||命ある限り||直居欽哉||[[北村秀敏]]||[[夏八木勲]]、[[寺島達夫]]、[[林隆幸]]、[[森幹太]]、[[由良和代]]、[[有沢正子]]、[[清水綋治]]、[[飯田覚三]] |
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|25||9月21日||残る桜も散る桜||||永野靖忠||[[花ノ本寿]]、[[中村竹弥]]、[[上野山功一]]、[[穂積隆信]]、[[片岡五郎|片岡光雄]]、[[東一彦]]、[[森谷光昭]]、[[高島英志郎]] |
2020年8月20日 (木) 00:13時点における版
『あゝ同期の桜』(ああどうきのさくら)は、NETで1967年4月6日から同年9月28日まで放送された連続テレビドラマ(全26話)、また同じ1967年6月3日から東映配給により上映された日本の、戦争を題材とした映画である。テレビドラマ・映画いずれも、海軍飛行予備学生十四期会による遺稿集『あゝ同期の桜・帰らざる青春の手記』(毎日新聞社、新版光人社文庫、2009年7月)を原作としている。
西村晃ナレーション
昭和18年9月 戦争は漸く苛烈の度を加え 遂に政府は徴兵猶予撤廃の非常措置を発令、全国の 大学高等専門文化系に学ぶ 凡そ10万の学生は 学部を半ばに出陣の途に就くことになった そのうち3000余名は 第14期海軍飛行専修予備学生を拝命 祖国防衛の第一線に巣立っていったのである だが 戦局はすでに敗色覆い難く 尋常の戦法では 最早 戦局挽回の余地なしとして 軍は 史上無惨な体当たり攻撃を正当化する以下 戦没者399名 そのほとんどが 初陣を最後に 終戦間近の昭和20年春から夏へかけて 新、 二十余才の生涯を閉じていったのである。
テレビドラマ
あゝ同期の桜 | |
---|---|
ジャンル | 戦争ドラマ |
原作 |
『あゝ同期の桜・帰らざる青春の手記』 (海軍飛行予備学生十四期会・編、毎日新聞社・刊) |
脚本 | スタッフの項目参照 |
出演者 |
西村晃(ナレーター) ※出演者は毎回異なる |
オープニング |
『同期の桜』 歌唱:ミュージカル・アカデミー 東京混声合唱団 |
製作 | |
プロデューサー | 落合兼武、加茂秀男、吉川義一 |
制作 | NET |
放送 | |
音声形式 | モノラル放送 |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 1967年4月6日 - 1967年9月28日 |
放送時間 | 木曜日20:00 - 20:56 |
放送分 | 56分 |
回数 | 26 |
特記事項: モノクロ放送 |
概要
肉親・恋人らに宛てた手紙などの学生の手記47編の中から話を選び、構成されている。ナレーターの西村晃は同じ第14期海軍飛行予備学生出身者であり、脚本には同じ第14期出身の須崎勝弥、第13期出身の直居欽哉、監督に中村経美、関川秀雄ら直接戦争体験を持つスタッフを起用している[1]。毎週一話完結をドラマの基本スタイルとし、ナレーターの西村晃以外、毎回主演を含む出演者は異なっているのがこのドラマの特徴だった。
スタッフ
- 原作:海軍飛行予備学生第14期会編『あゝ同期の桜・帰らざる青春の手記』(毎日新聞社刊)
- プロデューサー:落合兼武、加茂秀男、吉川義一
- 音楽:斎藤一郎
- 脚本:須崎勝彌、押川國秋、直居欽哉、結束信二、西沢裕子、新藤兼人、藤田伝、家城秀男、今村文人 ほか
- 監督:中村経美、関川秀雄、渡辺成男、松島稔、鈴木敏郎、今村農夫也、永野靖忠、奥中惇夫、北村秀敏
- 制作:NET、東映テレビプロ
全放映リスト
NETテレビ 木曜20:00 - 20:56 枠 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
あゝ同期の桜
(1967年4月〜9月) |
映画
あゝ同期の桜 | |
---|---|
監督 | 中島貞夫 |
脚本 | 須崎勝彌・中島貞夫 |
製作 | 大川博 |
出演者 |
松方弘樹 千葉真一 夏八木勲 西村晃 天知茂 高倉健 鶴田浩二 |
音楽 | 鏑木創 |
撮影 | 赤塚滋 |
編集 | 神田忠男 |
製作会社 | 東映 |
配給 | 東映 |
公開 | 1967年6月3日 |
上映時間 | 107分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
配給収入 | 2億322万円[2] |
次作 | 人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊 |
解説
海軍飛行予備学生第十四期会編の『あゝ同期の桜・かえらざる青春の手記』を原作に、若き学徒兵の遺書・遺稿・日記・手記を完全映画化。日本の敗色が濃厚となってきた頃、定められた死を目前とした若者たちの苦悩と誇りに満ちた短い青春を神風特攻隊の全貌とともに描いた[3][4]。
日本ではテレビドラマが放映されている期間中の1967年6月3日に公開。本作は『人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊』『あゝ予科練』と並ぶ『東映戦記映画三部作』の1作目と位置付けられている[5]。
製作経緯
当時東映は岡田茂京都撮影所所長(のち、社長)が仕掛けた任侠映画など、不良性感度の高い映画で当てていたが、その任侠映画のプロデューサー・俊藤浩滋が中島貞夫に「どや、これ」と『あゝ同期の桜』の遺稿集を差し出した[3][6]。中島は『あゝ同期の桜』の手記を書いた一人である和田稔の妹と同級生で、高校時代の休学中に手紙を渡されたことがあり、この遺稿集に特別な思いがあり映画化を熱望した[3][6]。
しかし東映本社では、「戦争映画なんていまさらそんなもの」と、けんもほろろで、大川博社長も猛反対したが、中島と俊藤は、かつて周囲の猛反対を押し切って『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』を製作した岡田所長に頼めばできると考え懇願に行ったら、岡田所長の政治力によって製作が決定した[3][6][7][8]。
脚本は14期飛行学生だった須崎勝彌と中島貞夫の共同執筆[3]。14期飛行予備学生だった鶴田浩二や松方弘樹・千葉真一・高倉健らオールスターキャスト[3]。
映画は完成したが、各部署から編集で「ここを切れ、あそこを切れ」という声が多数出た。大川社長からは「反戦的過ぎる」とラストシーンまで削れと命令された。ラストシーンは中島の閃いた渾身の場面であった。「もう監督辞める」と駄々をこねたが岡田所長に説得され「ラストシーンだけは残して下さい。あとはどこを切ってもいいです」と言う妥協案を提示し、岡田所長の深夜に及ぶ説得によってラストシーンだけは残ったという[3][6]。映画は予想に反して大ヒットした[3]。
スタッフ
- 監督:中島貞夫
- 脚本:須崎勝彌、中島貞夫
- 原作:海軍飛行予備学生第14期会編『あゝ同期の桜・帰らざる青春の手記』(毎日新聞社刊)
- 音楽:鏑木創
- 撮影:赤塚滋
- 照明:金子凱美
- 美術:鈴木孝俊
- 録音:荒川輝彦
- 編集:神田忠男
キャスト
- 白鳥少尉:松方弘樹
- 半沢少尉:千葉真一
- 南条少尉:夏八木勲
- 不破少尉:蟹江敬三
- 由井少尉:村井国夫
- 藤井少尉:島田景一郎
- 福島少尉:沢登護
- 島田少尉:五十嵐義弘
- 滝:金光満樹
- 白鳥礼子:藤純子
- 南条則子:佐久間良子
- 夕子:三島ゆり子
- 大沼上曹:山本麟一
- 風間大尉:脇中昭夫
- 土井中尉:小沢昭一
- 通信科教員:川浪公次郎
- 松本上飛曹:宮城幸生
- 石川一飛曹:名護屋一
- 軍医:波多野博
- 大岡大尉:小池朝雄
- A少尉:結城哲也
- B少尉:野口泉
- 片倉参謀:高橋昌也
- 松田大佐:天津敏
- 久保大尉:唐沢民賢
- 菊池二飛曹:宮土尚治
- 白鳥仙蔵:石山健二郎
- 白鳥貞子:三益愛子
- 花田一水:西村晃
- 間宮軍医長:天知茂
- 千田少尉:穂高稔
- 剣持大尉:高倉健
- 陣之内大尉:鶴田浩二
同時上映
『喜劇急行列車』
脚注
参考文献
関連項目
- 大円院 大円院墓地に、第14期海軍飛行予備学生戦没学徒慰霊碑「あゝ同期の桜之塔」がある。
- 雲ながるる果てに 戦歿飛行予備学生の手記
- 人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊
- あゝ予科練