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真屋順子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まや じゅんこ
真屋 順子
本名 髙津 詔子 (旧姓:岩尾)
別名義 藤間翠受
生年月日 (1942-01-08) 1942年1月8日
没年月日 (2017-12-28) 2017年12月28日(75歳没)
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮釜山府
死没地 日本の旗 日本東京都文京区
国籍 日本の旗 日本
血液型 O型
ジャンル 女優
配偶者 高津住男(2010年死別)
主な作品
テレビドラマ
おはなはん
赤い絆
コメットさん』(1978年版)
人形佐七捕物帳
よーいドン
バラエティー番組
欽ちゃんのどこまでやるの!
備考
身長: 156cm 体重: 52kg
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真屋 順子(まや じゅんこ、1942年1月8日 - 2017年12月28日)は、日本女優。特技は日本舞踊藤間流名取/藤間翠受)。身長156cm、体重52kg。夫は俳優の高津住男(2010年死別)。髙津との間に子はいない。

来歴・人物

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朝鮮釜山生まれ[1]

終戦で3歳のときに引揚げ日田市で育つ[2]

大分県立日田高等学校中退後、松竹歌劇団(SKD)に入団。

俳優を志し、俳優座養成所卒業(俳優座13期生)後、劇団雲に研究生として入る。

芸名の名付け親は劇団雲の創立メンバーの一人である芥川比呂志。本名では堅すぎるということで、催馬楽の古歌のひとつ「あずまや」から「まや」をとって真屋の字をあて、順子は真屋に対して字画が良いということで字を選んだ[3]

1975年演劇集団 円に参加。

1980年に夫の髙津と劇団樹間舎を旗揚げ。

1970年代ライオンの家庭用食器洗剤などのCMにも出演。

家庭的なイメージを作り上げ、1976年から放送されて高視聴率を記録した『欽ちゃんのどこまでやるの!』にお母さん役でレギュラー出演したことで人気を得る。

一方、山口百恵主演の『赤い絆』では山口の敵役を演じ、当たり役となるも、視聴者からの反感を買って相当悩んでいたという。それを察した萩本欽一から「ドラマが終わったら、『欽どこ!?』に(メディア出演の)ウエイトを大きくしなよ」とアドバイスされ、その言葉を胸に役を演じきった。萩本はその際に「ならば、順子さんを日本一のいいお母さんにしてあげよう!」と考え、それが三つ子ののぞみ・かなえ・たまえの誕生にも繋がっている。

2000年12月23日に音楽会の司会として舞台上に出演している最中に脳出血で倒れ、左半身麻痺などの後遺症が残った。その後は夫・髙津の懸命な看病とリハビリテーション車椅子ながら舞台に復帰した。この様子は特番で何回か取り上げられている。

2010年に夫の髙津住男と死別。2011年5月には大動脈瘤が見つかり、4時間にも及ぶ大手術を行い、一からリハビリに取り組んだ[4]

2011年9月20日、NHK Eテレ「福祉ネットワーク にっぽん リハビリ応援団▽私のリハビリ体験談 第2回 真屋順子」に出演。ビデオだけでなくスタジオでのトークにも出演した。

2017年7月21日、出演したTBSテレビ爆報! THE フライデー』で、ほぼ寝たきりの状態となったことが明らかになった。これが生前最後のメディア出演となった[4]

同年12月28日3時46分、全身衰弱のため東京都文京区の病院で死去[5]。75歳没。2018年1月5日に死去が報じられた[4]。没後の同年2月15日にお別れの会が催され、萩本欽一、見栄晴小堺一機など『欽どこファミリー』が出席して故人を偲んだ[6]

主な出演

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映画

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テレビドラマ

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バラエティその他

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他多数

CM

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出典

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  1. ^ 佐藤正弥 編著 『データ・バンク にっぽん人』 現代書林、1982年、208頁。
  2. ^ 『データ・バンク にっぽん人』、208頁。
  3. ^ 週刊テレビ番組(東京ポスト)1982年9月17日号「芸名由来記」59頁
  4. ^ a b c 「欽どこ」お母さん役 真屋順子さん死去…病と闘い続けた女優魂力尽く - スポーツニッポン 2018年1月5日
  5. ^ 真屋順子、逝去のお報せ。 - 樹間舎の森(劇団樹間舎オフィシャルサイト)
  6. ^ “欽ちゃん“真屋お母さん”に「銅メダル」、欽どこファミリー13人集結”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社: p. 1-3. (2018年2月16日). https://www.sanspo.com/article/20180216-O2CCMDYJVZN35NFC2CDUSY4YFI/ 2018年2月16日閲覧。 

外部リンク

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