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「曹氏」の版間の差分

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**曹氏は姫姓である[[周]]の[[武王 (周)|武王]]の弟・振鐸が[[曹 (春秋)|曹]]([[河南省]])に封じられ、以後子孫たちが曹を氏とした。
**曹氏は姫姓である[[周]]の[[武王 (周)|武王]]の弟・振鐸が[[曹 (春秋)|曹]]([[河南省]])に封じられ、以後子孫たちが曹を氏とした。


また曹氏は[[チュウ (春秋)|邾]]国初代の国君・挾の氏でもあった。これは曹挾の祖先・姫晏安が帝[[舜]]により曹(古曹)に封ぜられて曹晏安=姫姓曹氏の祖となったことに始まり、曹挾が武王により邾に封ぜられて邾俠=曹姓邾氏の祖となるまで続いた。共に本姓が姫で曹に封ぜられた姫姓曹氏ではあったが、姓氏の重複が僅差もしくは短期間で避けられた曹振鐸の系統とは[[黄帝]]にまで溯らない限り全くかかわりが無い。
また曹氏は[[邾]]国初代の国君・挾の氏でもあった。これは曹挾の祖先・姫晏安が帝[[舜]]により曹(古曹)に封ぜられて曹晏安=姫姓曹氏の祖となったことに始まり、曹挾が武王により邾に封ぜられて邾俠=曹姓邾氏の祖となるまで続いた。共に本姓が姫で曹に封ぜられた姫姓曹氏ではあったが、姓氏の重複が僅差もしくは短期間で避けられた曹振鐸の系統とは[[黄帝]]にまで溯らない限り全くかかわりが無い。


[[漢]]の[[劉邦|高祖]]に仕えた[[曹参]]については、『[[史記]]』・『[[漢書]]』には記載が無いが、『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』が注に引く『魏書』には曹参は邾の血を引くとあり、その子孫が魏の創始者である曹操たち一族につながるとしている。しかし、曹操の祖父の[[曹騰]]の伝に記載がないことから疑わしい。
[[漢]]の[[劉邦|高祖]]に仕えた[[曹参]]については、『[[史記]]』・『[[漢書]]』には記載が無いが、『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』が注に引く『魏書』には曹参は邾の血を引くとあり、その子孫が魏の創始者である曹操たち一族につながるとしている。しかし、曹操の祖父の[[曹騰]]の伝に記載がないことから疑わしい。

2020年8月17日 (月) 05:13時点における版

各種表記
繁体字
簡体字
拼音 Cáo
注音符号 ㄘㄠˊ
ラテン字 Tsao
広東語発音: Cou4
上海語発音: Zau1
台湾語白話字 Chô
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(そう)は、中国及び朝鮮半島に見られる漢姓のひとつ。中国の国姓として著名である。

曹を姓とする氏族曹氏(そうし)という。

由来

  • 姫姓曹氏
    • 曹氏は姫姓である武王の弟・振鐸が河南省)に封じられ、以後子孫たちが曹を氏とした。

また曹氏は国初代の国君・挾の氏でもあった。これは曹挾の祖先・姫晏安が帝により曹(古曹)に封ぜられて曹晏安=姫姓曹氏の祖となったことに始まり、曹挾が武王により邾に封ぜられて邾俠=曹姓邾氏の祖となるまで続いた。共に本姓が姫で曹に封ぜられた姫姓曹氏ではあったが、姓氏の重複が僅差もしくは短期間で避けられた曹振鐸の系統とは黄帝にまで溯らない限り全くかかわりが無い。

高祖に仕えた曹参については、『史記』・『漢書』には記載が無いが、『三国志』が注に引く『魏書』には曹参は邾の血を引くとあり、その子孫が魏の創始者である曹操たち一族につながるとしている。しかし、曹操の祖父の曹騰の伝に記載がないことから疑わしい。

著名な人物

女性に対する「曹氏」の呼称

また、中国の史書では基本的に女性のは書かず、父方の氏のみで呼ぶことが多いので、曹氏の女性一般を示す言葉でもある。例として数人を挙げる。

  • 劉邦の側室で劉肥(悼恵王)の生母。出身地・生没年など全て不明であるが、劉邦が、沛県で亭長をしていた時期に劉肥を生んだとだけ記録があるので、おそらくは沛県の出身と考えられる。楚漢戦争を描いた中国のドラマ『大漢風 〜項羽と劉邦〜』に曹姫という役名で登場する人物に該当する。
  • 後唐の始祖李克用の皇后、荘宗の母。
  • 西夏の5代皇帝仁宗の母。

関連項目