仁宗 (西夏)
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仁宗 李仁孝 | |
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西夏 | |
第5代皇帝 | |
王朝 | 西夏 |
在位期間 | 1139年7月 - 1193年10月16日 |
姓・諱 | 李仁孝 |
諡号 | 聖徳皇帝 |
廟号 | 仁宗 |
生年 | 元徳6年(1124年) |
没年 |
乾祐24年9月20日 (1193年10月16日) |
父 | 崇宗 |
母 | 漢人 |
后妃 |
罔皇后 章献欽慈皇后羅氏 |
陵墓 | 寿陵 |
年号 |
大慶 : 1140年 - 1143年 人慶 : 1144年 - 1148年 天盛 : 1149年 - 1169年 乾祐 : 1170年 - 1193年 |
仁宗(じんそう)は、西夏の第5代皇帝。諱は仁孝。崇宗の次男。兄は李仁愛。弟は李仁友(襄宗の父)。
生涯
[編集]その治世は金との友好な関係の下、漢人の大臣を登用するなど文化政策に力を注いだ。その結果国内に学校を整備し教育を行い、また科挙を実施して人材登用を進めた。さらに儒教に対しては孔子廟を改修し、仏教ではチベットより僧を招き、多くの仏典を出版させた。この他に翰林学士院を設置して実録を記録させたほか、『新律』や『天盛年改新定律令』と礼楽や律令の整備にも尽力した。
これらの政策は結果として軍事力の軽視につながり、治世晩年は対外戦争で敗戦が続くようになった。また外戚の台頭も認められ、西夏はこれ以降国勢を衰退させていくこととなる。
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