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現在、玄奘訳の最古のテキストとされるものは、[[672年]]に建てられた弘福寺(興福寺)の[[集王聖教序|集王聖教序碑]]中の『[[褚遂良#雁塔聖教序|雁塔聖教序]]』の後に付加されているテキストである。2016年9月27日にこれより古い時代の[[661年]]に刻まれた玄奘訳の[[石経]]が北京で発見されたという報道があった。{{efn2|【北京共同】中国北京の古寺、雲居寺は、同寺が保管していた石に刻まれた般若心経が、唐代の中国の僧で、「西遊記」の三蔵法師として知られる玄奘三蔵による現存する最古の漢訳であることが分かったと発表した。西暦661年に刻まれたとしている。中国メディアが27日までに伝えた。(著作権等考慮して本文・拓本写真省略、{{refnest|name="北京共同"|[https://web.archive.org/web/20161026055236/https://this.kiji.is/153284536772199924 最古の玄奘訳の般若心経か、中国 北京の雲居寺が保管 - 共同通信]}}}}{{refnest|賀・続2017 p.13の拓本写真には<顯慶六年二月八日造>[661年2月8日に作った]という言葉が以上の報道よりもっと読みやすいです。}} |
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また玄奘訳とされている『般若心経』は[[読誦]]用として最も広く普及しているが、これは鳩摩羅什訳と玄奘訳との双方がある経典は、古来前者が依用されていることを考慮すると異例のことである。なお玄奘訳『大般若波羅蜜多経』転読は頻繁に行われるが、経典のテキストそのものを読誦することは稀である。 |
また玄奘訳とされている『般若心経』は[[読誦]]用として最も広く普及しているが、これは鳩摩羅什訳と玄奘訳との双方がある経典は、古来前者が依用されていることを考慮すると異例のことである。なお玄奘訳『大般若波羅蜜多経』転読は頻繁に行われるが、経典のテキストそのものを読誦することは稀である。 |
2020年8月15日 (土) 00:29時点における版
『般若心経』(はんにゃしんぎょう)、正式名称『般若波羅蜜多心経』(はんにゃはらみったしんぎょう、प्रज्ञापारमिताहृदय、Prajñā-pāramitā-hṛdaya、 プラジュニャーパーラミター・フリダヤ)は、大乗仏教の空・般若思想を説いた経典で、般若経の1つともされる[注 1][注 2]。
僅か300字足らずの本文に大乗仏教の心髄が説かれているとされ、複数の宗派において読誦経典の一つとして広く用いられている。
呼称
大正新脩大蔵経に収録されている、玄奘三蔵訳とされる経題名は『般若波羅蜜多心経』であるが、一般的には『般若心経』と略称で呼ばれることが多い。『般若心経』をさらに省略して『心経』(しんぎょう)と呼ばれる場合もある。各宗派において用いる場合には、頭部に「仏説」(仏(釈迦)の説いた教え)や「摩訶」(偉大な)の接頭辞をつけて『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』(ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう)や『摩訶般若波羅蜜多心経』(まかはんにゃはらみったしんぎょう)とも表記される。現存する最古の漢訳文とされる弘福寺(長安)の『集王聖教序碑』に彫られたものでは、冒頭(題名部分)は『般若波羅蜜多心経』だが、末尾(結びに再度題名を記す部分)では『般若多心経』(はんにゃたしんぎょう)と略されている。なお、漢訳の題名には「経」が付されているが、サンスクリット典籍の題名は「Prajñā(般若)-pāramitā(波羅蜜多)-hṛdaya(心)」であり、「経」に相当する「sūtra(スートラ)」の字句はない。
概要
空性を短い文章で説きながら、末尾に真言(マントラ Mantra)[注 3]を説いて終わるという構成になっている。
現在までに漢訳、サンスクリットともに大本、小本の2系統のテキストが残存している。大本は小本の前後に序と結びの部分を加筆したもの[5]ともいわれている。現在最も流布しているのは玄奘三蔵訳とされる小本系の漢訳であり、『般若心経』といえばこれを指すことが多い。
真言はサンスクリットの正規の表現ではない上、色々な解釈が可能であるため定説はない。[6]仏教学者の渡辺照宏説、中村元説、宮坂宥洪説など、異なる解釈説を行っている。
1992年アメリカのジャン・ナティエ(Jan Nattier、当時インディアナ大学準教授)により、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』などに基づき、玄奘が『般若心経』をまとめ、それを更にサンスクリット訳したという偽経説が提起されている[7]が、これには原田和宗[8][9]や石井公成[10]による詳細な反論がなされている。
沿革
サンスクリット写本
現存する最古のサンスクリット本(梵本)は東京国立博物館所蔵(法隆寺献納宝物)の貝葉本(東京国立博物館によれば後グプタ時代・7~8世紀の写本[11])であり、これを法隆寺本(もしくは法隆寺貝葉心経)と称する。(右図)漢訳よりも古い時代の写本は発見されていない。オーストリアのインド学者、ゲオルク・ビューラー(1837-1898) は、「伝承では577年に没したヤシという僧侶の所持した写本で609年請来とされる。またインド人の書写による6世紀初半以前のものである」と鑑定していた。[12]古いもののため損傷による不明箇所が多く、江戸時代の浄厳以来、学界でも多数の判読案が提出されている。この他、日本には東寺所蔵の澄仁本などの複数の梵本があり、敦煌文書の中にも梵本般若心経が存在している。[13]またチベットやネパール等に伝わる写本もあるが、それらはかなり後世のものである。[14]
漢訳
一般的には、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜大明咒經』が現存中最古の漢訳とされる。[15]
649年、インドより帰還した玄奘もまた『般若心経』を翻訳したとされている。[注 4]。 現在、玄奘訳の最古のテキストとされるものは、672年に建てられた弘福寺(興福寺)の集王聖教序碑中の『雁塔聖教序』の後に付加されているテキストである。2016年9月27日にこれより古い時代の661年に刻まれた玄奘訳の石経が北京で発見されたという報道があった。[注 5][17]
また玄奘訳とされている『般若心経』は読誦用として最も広く普及しているが、これは鳩摩羅什訳と玄奘訳との双方がある経典は、古来前者が依用されていることを考慮すると異例のことである。なお玄奘訳『大般若波羅蜜多経』転読は頻繁に行われるが、経典のテキストそのものを読誦することは稀である。
代表的なテキスト
以下は、代表的な流布テキストである。
注:()内はよみがな。原文テキストは”小林正盛[注 7] 編『真言宗聖典』, 森江書店, 大正15, p.114”。旧字体を新字体に改める。呪と咒の表記揺れはすべて呪に統一した。また、適宜、句読点を修正した。
なお、羅什訳・玄奘訳とも、「般若波羅蜜(多)」「阿耨多羅三藐三菩提」「菩薩(菩提薩埵)」及び最後の「咒(しゅ)」の部分だけは漢訳せず、サンスクリットをそのまま音写している。
また、玄奘訳とされるテキストには版本によって、例えば下記の箇所のように、字句の異同が十数箇所存在する。
- 空即是色受想行識亦復如是(大正蔵)
- 空即是色受想行識等亦復如是(法隆寺本等法相宗系)
日本における般若心経
各宗派
日本では仏教各派、特に法相宗・天台宗・真言宗・禅宗が般若心経を使用し、その宗派独特の解釈を行っている。
浄土真宗は『浄土三部経』を、日蓮宗・法華宗は『法華経(妙法蓮華経)』を根本経典とするため、般若心経を唱えることはない。これは該当宗派の教義上、所依経典以外は用いる必要がないとされ、唱えることも推奨されない。しかし教養的な観点から学ぶことは問題視されておらず、例えば、浄土真宗西本願寺門主であった大谷光瑞は般若心経の講話録を出版している[18]。
- 天台宗では、「根本法華」として重視している。[要出典]また最澄作とされる般若心経の注釈がある。
- 真言宗では、読誦・観誦の対象としている。日用経典(日課等通常行事用の経典)であり儀典でも用いる(空海の般若心経秘鍵を参照)。繰り返し読誦する場合は、一回目は、冒頭の「仏説」から読み始めるが、2回目以降の読誦では「仏説」を読まず、「摩訶」から読む慣わしとなっている。開祖空海が般若心経を重視したことで、注釈・解釈を著す僧侶・仏教学者が多く、昭和では高神覚昇(1894 - 1948)『般若心経講義』(角川文庫で再刊)、平成の現在では宮坂宥洪『真釈般若心経』、加藤精一『空海「般若心経秘鍵」』(各角川ソフィア文庫)松長有慶『空海 般若心経の秘密を読み解く』(春秋社)などの著作が版を重ねている。高神の解釈書は、戦前にNHKラジオ放送で行われ、経典解釈として非常に評価が高く多数重版し、異なる宗派の僧侶や仏教学者からも評価されている。
- 浄土宗も、根本経典は浄土真宗と同様に『浄土三部経』だが、祈願の時と食作法(食事の時の作法)にのみ唱える。
- 時宗では、神社参拝及び本山での朝の勤行後に、熊野大社の御霊を祀る神棚に向かい三唱することが必須となっている。日用に用いる場合もある。
- 臨済宗では、日用経典の一つ。名僧で名高い一休宗純・盤珪・白隠が解釈を行っている。般若心経とは自分の心の本来の姿を現した経典であるという仏説をみなす説が強い。
- 曹洞宗では、日用経典の一つ。開祖道元が正法眼蔵の中で解釈し、かつて異端の僧とされた天桂伝尊(1648 - 1736年)の「観自在菩薩とは汝自身である」という解釈が著名である。また良寛・種田山頭火など般若心経の実践に取り組んだ僧侶も多い。良寛は般若心経の大量の写経を残しており、種田は般若心経を俳句に読み込んでいる。
- 修験道では、修験者(山伏などの行者)が「行」を行う際に唱える。
- 神道でも唱えるところがある。神社(神前)で読誦の際は、冒頭の「仏説」を読まずに、「摩訶」から読む。また、前もって「般若心経は仏教の全経典の中から選りすぐられた経典であり、それを謹んで捧げます」というような内容の「心経奉讃文(しんぎょうほうさんもん)」を読み上げる場合もある。
在家信者
一般の人々にとっては、「空」を説く経典と言うより、むしろ、「霊験あらたかな真言」の経典として受け止められており、一部には悪霊の力を「空ずる」という解釈もされた。古くから般若心経の利益で病気が治るという信仰があり、既に日本霊異記にその説話が残っている。お守りとして所持したり、病気になったときに写経して平癒を祈願したりした人が多い。 江戸時代には、文字を読めない層のために、内容を絵に表した絵心経も製作された。百瀬明治『般若心経の謎』によれば、これは元禄年間に現在の岩手県二戸郡の八幡源右衛門という人が文字の読めない人向けに創作した後、随筆によって諸国に伝播されブームとなったものであり、文字が読める人たちの間でも判じ物的に楽しまれたという。
一般書籍等
現在では写経の際によく筆写される。また手拭いなどにも印刷され、極めて普及している。解釈書も大量に出版されており、中には般若心経の原意を取り違えたものさえあり、仏教学者が警鐘を鳴らしているような状態である。
サブカルチャーにおける受容
2010年9月には、J-POP風の伴奏を付けボーカロイド・初音ミクに読誦させた動画『般若心経ポップ』がニコニコ動画に投稿され[19]、約2日で10万再生、約2週間後には60万再生に達し人気を博した[20]。その後、派生動画として伴奏がバラード風のものなどが投稿され、それらを集約したコンピレーション・アルバムも発売された。 また派生動画のひとつ『般若心経ロック』には、視聴者のコメントと言う形で般若心経の現代日本語訳が投稿されている[21]。
翻訳
現代の主な翻訳及び解説としては、訳者自身が校訂したサンスクリット原文を含む中村元・紀野一義訳の岩波文庫本[22]、高神覚昇の『般若心経講義』[23]、また臨済宗の僧侶の立場から解釈した松原泰道の『般若心経入門』[24]金岡秀友 『般若心経』[25]などがある。
脚注
註釈
- ^ 福井文雅は、本経の核心部は心呪の効能を説く後半部と心呪自体であると主張している。[1]
- ^ 佐保田鶴治も同様の観点から、般若心経は密教のお経であり、全部を繰り返すのは無駄であって、最後の明呪だけを繰り返せばよいとしている。[2]
- ^ この真言は『般若大心陀羅尼』と同じ真言である。(大正新脩大藏經 佛説陀羅尼集經卷第三 大唐天竺三藏阿地瞿多譯 般若波羅蜜多大心經(印有十三呪有九) 般若大心陀羅尼第十六 ( T0901_.18.0807b19 - 21 ))阿地瞿多(あじくた[3]、梵: Atikūṭa[4])は中インド出身の訳経僧[4]。本経は654年訳出とされ、玄奘の般若心経訳出との関連は不明。
- ^ 訳経史の概念として、鳩摩羅什までの漢訳経典を「古訳」、鳩摩羅什以降、玄奘までを「旧訳(くやく)」、玄奘以降を「新訳」と言う(訳経史区分)
- ^ 【北京共同】中国北京の古寺、雲居寺は、同寺が保管していた石に刻まれた般若心経が、唐代の中国の僧で、「西遊記」の三蔵法師として知られる玄奘三蔵による現存する最古の漢訳であることが分かったと発表した。西暦661年に刻まれたとしている。中国メディアが27日までに伝えた。(著作権等考慮して本文・拓本写真省略、[16]
- ^ 大蔵経所収の玄奘譯 般若波羅蜜多心經には『一切』の二字がない。(T0251_.08.0848c04 - c23)
- ^ こばやし しょうせい (1876 - 1937年)茨城県古川市出身。明治~昭和前期の真言宗僧侶。
出典
- ^ 福井文雅 「般若心経の核心」 早稲田大学東洋哲学会『東洋の思想と宗教』4号 1987年 PP.20-28
- ^ 佐保田鶴治「般若心経の実態」平河出版社 『ヨーガの宗教理念』1976年 ISBN 9784892030215、242-315頁
- ^ 「軍荼利明王」 - 日本大百科全書(ニッポニカ)、小学館
- ^ a b 『佛光大辭典』(慈怡法師 主編)
- ^ 金岡1973 p.149
- ^ 宮坂2004[要ページ番号]
- ^ 工藤順之・吹田隆道訳 「般若心経は中国偽経か?」『財団法人三康文化研究所年報』第37号、2006年/o。"The Heart Sutra: A Chinese Apocryphal Text?", Journal of the International Association of Buddhist Studies, vol. 15, no. 2 (1992),153-223.
- ^ 原田和宗、「梵文『小本・般若心経』和訳」 『密教文化』 2002年 2002巻 209号 p.L17-L62, doi:10.11168/jeb1947.2002.209_L17
- ^ 原田和宗 『「般若心経」の成立史論 大乗仏教と密教の交差路』 大蔵出版、2010年 ISBN 978-4804305776
- ^ 石井公成、「『般若心経』をめぐる諸問題 -ジャン・ナティエ氏の玄奘創作説を疑う-」 『印度學佛教學研究』 2015年 64巻 1号 p.499-492, doi:10.4259/ibk.64.1_499
- ^ 梵本心経および尊勝陀羅尼 - e国宝
- ^ 金岡1973 p.138
- ^ 金岡1973 p.141-147
- ^ 金岡1973 p.151-152 p.155-156
- ^ 金岡1973 p.158
- ^ 最古の玄奘訳の般若心経か、中国 北京の雲居寺が保管 - 共同通信
- ^ 賀・続2017 p.13の拓本写真には<顯慶六年二月八日造>[661年2月8日に作った]という言葉が以上の報道よりもっと読みやすいです。
- ^ 『大谷光瑞猊下述 般若波羅密多心經講話』 1922年 大乗社 影印 。
- ^ http://www.nicovideo.jp/watch/sm11982230
- ^ 【ネット番記者】ポップな「般若心経」 - MSN産経ニュース - ウェイバックマシン(2010年10月6日アーカイブ分)
- ^ http://otakei.otakuma.net/archives/2014021803.html
- ^ 岩波文庫 ISBN 978-4003330319 初版1960年。
- ^ 角川ソフィア文庫 ISBN 978-4043007011 初版1947年。
- ^ 祥伝社新書 ISBN 978-4396111830 初版1972年。
- ^ 講談社学術文庫、2001年。ISBN 978-4-06-159479-1
参考文献
- 金岡秀友 『般若心経』 講談社文庫、1973 講談社学術文庫、2001年。ISBN 978-4-06-159479-1
- 福井文雅 『般若心経の歴史的研究』 春秋社、1987年。ISBN 4-393-11128-1
- 福井文雅 『般若心経の総合的研究:歴史・社会・資料』 春秋社、2000年。ISBN 4-393-11204-0
- 涌井和 『般若心経を梵語原典で読んでみる -サンスクリット入門-』 明日香出版社、2002年。ISBN 4-7569-0618-4
- 山中元 『サンスクリット文法入門 -般若心経、観音経、真言を梵字で読む-』 国際語学社、2004年。ISBN 4-87731-217-X
- 宮坂宥洪 『真釈般若心経』 角川ソフィア文庫、2004年。ISBN 978-4043760015
- 福井文雅 『ヨーロッパの東方学と般若心経研究の歴史』 五曜書房、2008年。ISBN 978-4-89619-744-0
- 原田和宗 『「般若心経」の成立史論 大乗仏教と密教の交差路』 大蔵出版、2010年。ISBN 9784804305776
- 賀銘・続小玉、王夢楠(編)、2017、「早期<心経>的版本」、房山石経博物館(編)、房山石経與雲居寺文化研究中心『石経研究 第一輯』1、北京燕山出版所(中国語) ISBN 9787540243944 pp. 12-28
関連項目
外部リンク
- 乾隆御筆-般若波羅密多心經
- 『般若心経講義』:新字新仮名 - 青空文庫(高神覚昇著)