「正田樹」の版間の差分
タグ: 取り消し |
m Bot作業依頼: 「鏞・埈・雒」等の改名に伴うリンク修正依頼 (沈鈺傑) - log |
||
58行目: | 58行目: | ||
{{by|2009年}}1月14日、[[中華職業棒球大聯盟]]球団の入団テストを受けるため[[台湾]]に渡り、[[義大ライノズ|興農ブルズ]]のキャンプに参加。1月23日、仮契約に至った。しかし、野球賭博の影響による球団数減少によって投手陣が充実した興農が、即戦力の先発ローテーション投手のみを採用する方針としたため、1月中に予定されていた最終テストの合否判定は延期されて、最終的に入団テストに合格したのは開幕直前の3月上旬であった<ref>TBSテレビ『[[バース・デイ]]』、2009年4月27日放送。</ref>。3月29日の対[[Lamigoモンキーズ|La Newベアーズ]]戦で[[開幕投手]]を務めるが、1/3回、打者8人に対し4安打3四球の7失点でノックアウトされた<ref>[http://www.nownews.com/2009/03/29/91-2429314.htm 陽建福第3週才出賽] (NOWnews) 2009年12月6日閲覧。</ref>。しかし、次の登板の4月4日には同じLa Newを7奪三振の無四球で6回無失点に抑えた<ref>[http://www.libertytimes.com.tw/2009/new/apr/5/today-sp12.htm 正田樹雪恥 牛迎4連勝](自由電子報)2009年12月6日閲覧。</ref>。その後はシーズンを通して[[先発ローテーション]]の一角を担い、27試合(うち先発25試合)に登板し、防御率4.44, 14勝6敗、奪三振115の成績で勝投王(最多勝利)と三振王(最多奪三振)の[[タイトル]]を獲得した。11月から12月にかけて[[ドミニカ共和国|ドミニカ]]の[[ウィンターリーグ]]にヒガンテスの一員として参加し、[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]進出を図ったが、2010年も興農でプレーすることになった。 |
{{by|2009年}}1月14日、[[中華職業棒球大聯盟]]球団の入団テストを受けるため[[台湾]]に渡り、[[義大ライノズ|興農ブルズ]]のキャンプに参加。1月23日、仮契約に至った。しかし、野球賭博の影響による球団数減少によって投手陣が充実した興農が、即戦力の先発ローテーション投手のみを採用する方針としたため、1月中に予定されていた最終テストの合否判定は延期されて、最終的に入団テストに合格したのは開幕直前の3月上旬であった<ref>TBSテレビ『[[バース・デイ]]』、2009年4月27日放送。</ref>。3月29日の対[[Lamigoモンキーズ|La Newベアーズ]]戦で[[開幕投手]]を務めるが、1/3回、打者8人に対し4安打3四球の7失点でノックアウトされた<ref>[http://www.nownews.com/2009/03/29/91-2429314.htm 陽建福第3週才出賽] (NOWnews) 2009年12月6日閲覧。</ref>。しかし、次の登板の4月4日には同じLa Newを7奪三振の無四球で6回無失点に抑えた<ref>[http://www.libertytimes.com.tw/2009/new/apr/5/today-sp12.htm 正田樹雪恥 牛迎4連勝](自由電子報)2009年12月6日閲覧。</ref>。その後はシーズンを通して[[先発ローテーション]]の一角を担い、27試合(うち先発25試合)に登板し、防御率4.44, 14勝6敗、奪三振115の成績で勝投王(最多勝利)と三振王(最多奪三振)の[[タイトル]]を獲得した。11月から12月にかけて[[ドミニカ共和国|ドミニカ]]の[[ウィンターリーグ]]にヒガンテスの一員として参加し、[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]進出を図ったが、2010年も興農でプレーすることになった。 |
||
{{by|2010年}}は、2年連続となる興農の開幕投手を務めた。32試合に登板し、11勝5敗、防御率2.81。リリーフとしての起用が増えたため、勝ち数は減ったが登板数は増えた。前年4点台だった防御率は2点台と改善されている。成績は尻上がりに向上し9月・10月期は6試合(うち先発5試合)に登板し、34イニングを投げて3勝1敗、防御率0.794で月間MVPを獲得した。同年に興農に入団した[[高津臣吾]]と同一試合で投げることも多く、中継ぎの[[ |
{{by|2010年}}は、2年連続となる興農の開幕投手を務めた。32試合に登板し、11勝5敗、防御率2.81。リリーフとしての起用が増えたため、勝ち数は減ったが登板数は増えた。前年4点台だった防御率は2点台と改善されている。成績は尻上がりに向上し9月・10月期は6試合(うち先発5試合)に登板し、34イニングを投げて3勝1敗、防御率0.794で月間MVPを獲得した。同年に興農に入団した[[高津臣吾]]と同一試合で投げることも多く、中継ぎの[[沈鈺傑]]らとともに5年ぶりの半季リーグ優勝に貢献した。しかし、11月23日、興農から翌シーズンの契約を結ばないという通告を受けたことが本人のブログにて報告された。チームが経営難であり外国人選手と契約を結ばないという方針が出されたことによるものであった<ref name="pro">「プロ野球開幕スペシャル 俺たちはまだ負けられない」…[[TBSテレビ|TBS]] 2011年5月7日</ref>。11月に複数のMLB球団が参加する[[トライアウト]]に挑戦。 |
||
=== レッドソックス傘下時代 === |
=== レッドソックス傘下時代 === |
2020年8月13日 (木) 02:49時点における版
愛媛マンダリンパイレーツ #75 | |
---|---|
ヤクルト時代 (2012年3月16日、明治神宮野球場にて) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 群馬県太田市 |
生年月日 | 1981年11月3日(43歳) |
身長 体重 |
188 cm 88 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1999年 ドラフト1位 |
初出場 |
NPB / 2000年8月6日 CPBL / 2009年3月29日 |
最終出場 |
NPB / 2013年6月27日 CPBL / 2014年5月11日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
正田 樹(しょうだ いつき、1981年11月3日 - )は、群馬県太田市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。四国アイランドリーグplus・愛媛マンダリンパイレーツ所属。
来歴・人物
プロ入り前
太田市立北中学校では軟式野球部の投手兼一塁手を務めていた[1]。桐生第一高校に進み、3年時には第81回全国高等学校野球選手権大会に出場。エースとして3完封の活躍を果たし、群馬代表として初となる全国選手権優勝に貢献。高校では1学年上のエースに小林正人、1学年下に一場靖弘と大廣翔治がおり、小林と一場がエースだった年も夏の甲子園に出場しているが、ともに初戦で敗れている。
1999年のドラフト会議で日本ハムファイターズから1位指名を受けて入団。
日本ハム時代
ルーキーの2000年、監督の大島康徳に一軍で起用され、同年のフレッシュオールスターゲームでは、1歳上の同僚實松一成と共にイースタン・リーグ選抜の先発バッテリーを務め、ウエスタン・リーグ選抜の先発投手で同じ1位指名の高卒新人左腕河内貴哉と投げ合った。この年は日本ハムの商品「ナポリピザ」のCMにも起用されていた[2]。
2001年は、8月7日の大阪近鉄バファローズ戦でプロ入り初先発するが、2回0/3を3失点で降板し(勝敗つかず)、登板はこの1試合のみだった。
2002年には課題だった制球難を克服し、5月3日の対福岡ダイエーホークス戦では松中信彦に通算100本塁打となるソロ本塁打を浴びるも、その1失点のみに抑える完投勝利でプロ初勝利をあげた。9勝11敗、防御率3.45(リーグ7位)[3]の成績を残し、パ・リーグの新人王を獲得。
2003年は27イニング連続無失点を記録したものの、春季キャンプで発症した左肩痛の影響もあり5勝15敗に終わった。
2004年は防御率5.00を記録するなど好不調の波が激しく登板数も17試合だったが8勝を挙げ、チームの4年ぶりAクラスとなる3位に入りプレーオフ進出に貢献した。だがプレーオフでは登板機会はなかった。
2005年は3月29日の西武ライオンズ戦で6回2/3を4失点ながらもシーズン初勝利を挙げるが以後は制裁を欠いた投球が続きシーズン途中で登録を抹消された。最終成績は12試合で2勝6敗、防御率6.27に終わった。
2006年はチームは25年ぶりのリーグ優勝、44年ぶりの日本一、アジア一に輝いたものの、一軍登板なしに終わり、二軍(イースタン・リーグ)でも防御率5点台と結果を出せなかった。
阪神時代
2007年シーズン開幕直前の3月20日、金澤健人との交換トレードで阪神タイガースへ移籍したが、同年と2008年は一軍登板はなく、2008年10月2日に戦力外通告を受けた。その後12球団合同トライアウトに参加したが、獲得する国内球団はなかった。この時期の様子は、TBSテレビの年末番組『プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達』で取り上げられた。
台湾時代
2009年1月14日、中華職業棒球大聯盟球団の入団テストを受けるため台湾に渡り、興農ブルズのキャンプに参加。1月23日、仮契約に至った。しかし、野球賭博の影響による球団数減少によって投手陣が充実した興農が、即戦力の先発ローテーション投手のみを採用する方針としたため、1月中に予定されていた最終テストの合否判定は延期されて、最終的に入団テストに合格したのは開幕直前の3月上旬であった[4]。3月29日の対La Newベアーズ戦で開幕投手を務めるが、1/3回、打者8人に対し4安打3四球の7失点でノックアウトされた[5]。しかし、次の登板の4月4日には同じLa Newを7奪三振の無四球で6回無失点に抑えた[6]。その後はシーズンを通して先発ローテーションの一角を担い、27試合(うち先発25試合)に登板し、防御率4.44, 14勝6敗、奪三振115の成績で勝投王(最多勝利)と三振王(最多奪三振)のタイトルを獲得した。11月から12月にかけてドミニカのウィンターリーグにヒガンテスの一員として参加し、メジャーリーグ進出を図ったが、2010年も興農でプレーすることになった。
2010年は、2年連続となる興農の開幕投手を務めた。32試合に登板し、11勝5敗、防御率2.81。リリーフとしての起用が増えたため、勝ち数は減ったが登板数は増えた。前年4点台だった防御率は2点台と改善されている。成績は尻上がりに向上し9月・10月期は6試合(うち先発5試合)に登板し、34イニングを投げて3勝1敗、防御率0.794で月間MVPを獲得した。同年に興農に入団した高津臣吾と同一試合で投げることも多く、中継ぎの沈鈺傑らとともに5年ぶりの半季リーグ優勝に貢献した。しかし、11月23日、興農から翌シーズンの契約を結ばないという通告を受けたことが本人のブログにて報告された。チームが経営難であり外国人選手と契約を結ばないという方針が出されたことによるものであった[7]。11月に複数のMLB球団が参加するトライアウトに挑戦。
レッドソックス傘下時代
2011年2月13日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結び[8]、スプリングトレーニングに招待選手として参加するが、3月29日に解雇された[9]。
独立リーグ・新潟時代
2011年4月8日、新潟アルビレックスBCが正田の入団を発表[10]。前年まで興農で共にプレーしていた高津と再び同じチームでプレーすることとなった[7]。記者会見で「野球が出来ることが一番です」と語っている[7]。2011年のシーズンはシーズンインの準備が遅れた影響で前期日程は0勝4敗防御率3.72の成績であったが、後期は調子をあげ最終的には年間通して23試合に登板し、3勝5敗1セーブ防御率3.00でチームの後期優勝に貢献し、更に地区チャンピオンシップでも好投し地区優勝に貢献した。11月24日に、東京ヤクルトスワローズが正田と入団で合意したことを発表した[11]、12月1日に年俸800万円(推定年俸)で正式に契約。4年振りにNPBへ復帰した[12]。独立リーグからNPBへ復帰したプロ野球選手としては、山田秋親に次いで2人目であった。
ヤクルト時代
2012年は、一軍の春季キャンプ(沖縄県浦添市)に選ばれると[13]、6月8日の対千葉ロッテマリーンズ戦で7年振りにNPBの一軍公式戦へ登板した。シーズン通算では、ビハインドでの場面を中心に、24試合の登板で3ホールドを記録した。シーズン終了後の12月4日には、推定年俸1100万円で契約を更改した[14]。
2013年には、救援で登板した5月17日の対ロッテ戦(神宮)において、公式戦では自身8年(2952日)ぶりの勝利を挙げた。一時はセットアッパーに起用されることもあった[15]。最終的に15試合の登板にとどまり、10月8日に球団から戦力外通告[16]を受けた。11月10日に第1回12球団合同トライアウトに参加[17]すると、打者4人(大平成一、細山田武史、山本大明、工藤隆人)への投球で、被安打1、1奪三振、2内野ゴロという結果を残した[17]。
台湾球界への復帰
2014年1月20日に、中華職業棒球大聯盟のLamigoモンキーズと契約。背番号は75。台湾球界へ4年ぶりに復帰した[18][19]が、開幕から登板試合で相次いで打ち込まれたことから、5月12日に解雇された。公式戦の成績は、2勝2敗、被打率.331[20]、防御率4.80であった[21]。
独立リーグ・愛媛時代
2014年5月30日に、四国アイランドリーグplus・愛媛マンダリンパイレーツが正田の獲得を発表した[22]。愛媛入団のきっかけは、前ヤクルトコーチでこの年から愛媛のコーチに就任した加藤博人からの誘いだったという[23]。6月より登板し、前期最終戦の対香川オリーブガイナーズ戦でリーグ初勝利[24]。後期は先発として定着し、通算7勝2敗、防御率1.02で最優秀防御率のタイトルと、リーグの後期MVPを獲得した[25][26]。
2015年のシーズンも愛媛マンダリンパイレーツに所属。4月に四国アイランドリーグplusの月間MVPに選ばれた[27]。シーズン通算で7勝3敗、防御率0.74を記録し[28]、2年連続となる最優秀防御率を獲得した[29]。また、リーグが6月に実施した北米遠征には、選抜チームのメンバーとして参加した[30]。シーズン終了後にリーグ年間MVPへ選出された[31]。愛媛ではフォークボールを習得したという[32]。
シーズン終了後、自身3度目となる12球団合同トライアウト(11月10日に草薙球場で開催)に参加、3人の打者に安打を許さなかったものの[33]、NPB復帰には至らなかった[34]。しかし、現役を続行する意向を表明した[33]。
2016年も愛媛でプレーし、7勝4敗で防御率2.61だった。この年は12球団合同トライアウトに参加しなかった[35]。トライアウトに出なかった理由について正田は取材に対して「選手としてはできれば、ああいう場では受けたくない。それならば前回(NPBに)戻ったときのようにトライアウト前の段階で必要とされる選手にならないといけないと思う」とコメントし、「やっぱりNPBでもう一度やりたい。自分の体が動く限りは」と述べている[36]。
2017年には、2015年以来3度目の最優秀防御率を獲得した[37]。
2018年8月に発売された、Nintendo Switch用ソフトプロ野球 ファミスタ エボリューションに「アイランドリーグ選抜選手」として使用可能なキャラクターに登録された[38]。
プレースタイル
スライダー、スクリューボールや速球と変わらないフォームから繰り出す落差の大きいカーブが最大の武器[39]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000 | 日本ハム | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 32 | 6.0 | 11 | 0 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 3 | 3 | 4.50 | 2.33 |
2001 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 14 | 2.0 | 1 | 1 | 6 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 9.00 | 3.50 | |
2002 | 23 | 23 | 5 | 2 | 0 | 9 | 11 | 0 | -- | .450 | 639 | 156.2 | 145 | 12 | 37 | 0 | 6 | 90 | 6 | 3 | 66 | 60 | 3.45 | 1.17 | |
2003 | 26 | 26 | 1 | 1 | 0 | 5 | 15 | 0 | -- | .250 | 604 | 134.0 | 152 | 21 | 66 | 0 | 5 | 60 | 7 | 0 | 94 | 86 | 5.78 | 1.63 | |
2004 | 17 | 17 | 0 | 0 | 0 | 8 | 5 | 0 | -- | .615 | 411 | 86.1 | 102 | 10 | 57 | 0 | 2 | 51 | 4 | 0 | 64 | 48 | 5.00 | 1.85 | |
2005 | 12 | 12 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 | 0 | 0 | .250 | 288 | 60.1 | 79 | 8 | 36 | 0 | 0 | 31 | 5 | 0 | 49 | 42 | 6.27 | 1.91 | |
2009 | 興農 | 27 | 25 | 3 | 0 | 0 | 14 | 6 | 0 | 0 | .700 | 687 | 158.0 | 191 | 10 | 36 | 0 | 2 | 115 | 4 | 0 | 87 | 78 | 4.44 | 1.44 |
2010 | 32 | 24 | 1 | 0 | 0 | 11 | 5 | 0 | 1 | .688 | 693 | 166.1 | 167 | 9 | 33 | 2 | 5 | 116 | 3 | 0 | 65 | 52 | 2.81 | 1.24 | |
2012 | ヤクルト | 24 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | ---- | 108 | 25.1 | 31 | 0 | 5 | 0 | 2 | 14 | 0 | 1 | 9 | 8 | 2.84 | 1.42 |
2013 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | .500 | 63 | 15.2 | 16 | 2 | 1 | 0 | 2 | 10 | 0 | 0 | 6 | 5 | 2.87 | 1.09 | |
2014 | Lamigo | 8 | 8 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | .500 | 182 | 39.1 | 55 | 0 | 12 | 0 | 2 | 14 | 4 | 0 | 29 | 21 | 4.80 | 1.70 |
NPB:8年 | 123 | 79 | 6 | 3 | 0 | 25 | 38 | 0 | 4 | .397 | 2159 | 486.1 | 537 | 54 | 211 | 0 | 17 | 263 | 22 | 4 | 294 | 254 | 4.70 | 1.54 | |
CPBL:3年 | 67 | 57 | 4 | 0 | 0 | 27 | 13 | 0 | 1 | .675 | 1562 | 363.2 | 413 | 19 | 81 | 2 | 9 | 245 | 11 | 0 | 181 | 151 | 3.74 | 1.36 |
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- CPBL
- 最多勝利:1回 (2009年)
- 最多奪三振:1回 (2009年)
表彰
- NPB
- 新人王 (2002年)
- CPBL
- 月間MVP:3回 (2009年10月、2010年9月・10月)
- 四国IL
- 最優秀防御率:3回 (2014年、2015年、2017年)
- 後期MVP:1回 (2014年)[40]
- 年間MVP:1回 (2015年)
記録
- NPB
- 初登板:2000年8月6日、対福岡ダイエーホークス21回戦(いわきグリーンスタジアム)、5回表に4番手で救援登板、1回無失点
- 初奪三振:2000年8月10日、対大阪近鉄バファローズ21回戦(大阪ドーム)、6回裏に鷹野史寿から
- 初先発登板:2001年8月7日、対大阪近鉄バファローズ17回戦(大阪ドーム)、2回0/3を3失点
- 初勝利・初先発勝利・初完投勝利:2002年5月3日、対福岡ダイエーホークス6回戦(東京ドーム)、9回1失点
- 初完封勝利:2002年6月22日、対福岡ダイエーホークス14回戦(香川県営野球場)
- 初ホールド:2012年6月24日、対読売ジャイアンツ11回戦(東京ドーム)、11回裏に4番手で救援登板、1/3回無失点
独立リーグでの投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
完 投 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011 | 新潟 | 23 | 0 | 3 | 5 | 1 | .375 | 252 | 63.0 | 61 | 3 | 8 | 1 | 45 | 1 | 0 | 27 | 21 | 3.00 |
2014 | 愛媛 | 14 | 0 | 7 | 2 | 0 | .778 | 311 | 79.2 | 54 | 1 | 18 | 8 | 72 | 0 | 0 | 14 | 9 | 1.02 |
2015 | 13 | 5 | 7 | 3 | 0 | .700 | 370 | 96.2 | 68 | 1 | 15 | 3 | 98 | 1 | 0 | 17 | 8 | 0.74 | |
2016 | 14 | 2 | 7 | 4 | 0 | .636 | 383 | 93.0 | 88 | 0 | 15 | 9 | 53 | 6 | 0 | 34 | 27 | 2.61 | |
2017 | 36 | 0 | 1 | 1 | 6 | .500 | 203 | 52.0 | 44 | 2 | 6 | 2 | 39 | 2 | 0 | 14 | 8 | 1.38 | |
2018 | 24 | 2 | 2 | 5 | 5 | .286 | 324 | 79.1 | 76 | 1 | 12 | 3 | 59 | 3 | 0 | 26 | 17 | 1.93 | |
2019 | 15 | 7 | 7 | 5 | 0 | .583 | 439 | 109.0 | 99 | 1 | 18 | 11 | 54 | 2 | 0 | 33 | 29 | 2.39 | |
BCL:1年 | 23 | 0 | 3 | 5 | 1 | .375 | 252 | 63.0 | 61 | 3 | 8 | 1 | 45 | 1 | 0 | 27 | 21 | 3.00 | |
IL:6年 | 116 | 16 | 31 | 20 | 11 | .608 | 2030 | 480.0 | 429 | 6 | 84 | 36 | 375 | 13 | 0 | 138 | 98 | 1.84 |
- 2019年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
背番号
- 28 (2000年 - 2006年)
- 20 (2007年 - 2008年)
- 75 (2009年 - 2011年、2014年 - )
- 61 (2012年 - 2013年)
脚注
- ^ 正田樹オフィシャルサイト・プロフィール2009-08-29閲覧。
- ^ 正田樹のCM出演履歴一覧 ORICON STYLE, 2011年4月10日閲覧。
- ^ “年度別成績 2002年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年3月5日閲覧。
- ^ TBSテレビ『バース・デイ』、2009年4月27日放送。
- ^ 陽建福第3週才出賽 (NOWnews) 2009年12月6日閲覧。
- ^ 正田樹雪恥 牛迎4連勝(自由電子報)2009年12月6日閲覧。
- ^ a b c 「プロ野球開幕スペシャル 俺たちはまだ負けられない」…TBS 2011年5月7日
- ^ “元ハムドラ1左腕・正田 Rソックスとマイナー契約”. スポーツニッポン. (2011年2月12日)
- ^ “レッドソックス 正田を解雇…2A予定も選手枠空かず”. スポーツニッポン. (2011年3月30日)
- ^ “新入団選手のお知らせ”. 新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ. (2011年4月8日)
- ^ “選手獲得のお知らせ”. 東京ヤクルトスワローズ. (2011年11月24日)
- ^ “正田 ヤクルトで石井弘の背番号「61」継承”. スポーツニッポン. (2011年12月1日)
- ^ 東京ヤクルトスワローズ公式サイト「春季沖縄キャンプ参加メンバー」より
- ^ “ヤクルト - 2013年度契約更改”. サンケイスポーツ 2013年2月28日閲覧。
- ^ “正田 2952日ぶり白星 パ新人王から台湾、米、独立L経た苦労人”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年5月17日) 2013年5月17日閲覧。
- ^ 戦力外通告のお知らせヤクルト球団公式サイト
- ^ “中職》正田樹回鍋中職 加盟Lamigo桃猿”. 自由時報. (2014年1月20日) 2014年1月20日閲覧。
- ^ “元ヤクルト正田、台湾のラミゴ入り合意”. 産経新聞. (2014年1月22日) 2014年1月29日閲覧。
- ^ 週刊ベースボール2014年6月2日号102ページ
- ^ 正田樹75 球員個人記録 、2017年12月22日閲覧。
- ^ “元ヤクルト正田が四国アイランドリーグ愛媛入団”. 日刊スポーツ. (2014年5月30日)
- ^ 愛媛・正田 Vで球団へファンへ恩返し - デイリースポーツ2014年9月11日(アイランドリーガー伝)
- ^ MP、最下位 前期終了 徳島がV - 愛媛新聞2014年6月29日
- ^ 徳島vs.愛媛、先手必勝の戦いに ~アイランドリーグチャンピオンシップ展望~ - Sports Communications(2014年9月19日)
- ^ 後期リーグMVP正田選手(愛媛MP)に決定 - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2014年10月31日)。なお、半期優勝していないチームからの半期MVP選出は2010年前期の野原慎二郎(高知)に次ぐ2例目である。
- ^ “四国IL 4月MVPに香川の赤松捕手”. 読売新聞. (2015年5月11日) 2015年5月15日閲覧。
- ^ 投手成績(10傑) - 四国アイランドリーグplus(2015年9月18日閲覧)
- ^ 四国アイランドリーグplus2015個人タイトル確定 - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2015年9月18日)
- ^ 北米遠征選抜チーム「四国アイランドリーグplus ALLSTARS」メンバー発表! - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2015年5月29日)
- ^ 2015年年間MVPは正田樹選手(愛媛MP)に決定! - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2015年10月29日)
- ^ “なぜ34歳の正田樹は3度目のトライアウトを受けたのか”. Yahoo!ニュース. (2015年11月11日) 2015年11月23日閲覧。
- ^ a b “【トライアウト外伝】流浪の左腕、正田樹がプレーをやめない理由”. Sportiva. (2015年11月13日) 2015年11月23日閲覧。
- ^ “プロ野球:トライアウト今年は狭き門 入団合意わずか3人”. 毎日新聞. (2015年11月17日) 2015年11月23日閲覧。
- ^ “65人が参加/12球団合同トライアウト詳細”. 日刊スポーツ. (2016年11月12日) 2016年11月13日閲覧。
- ^ “独立リーグでプレー中の元日本ハムドラフト1位 正田樹「もう一度NPBで投げたい」”. 東京スポーツ. (2016年12月31日) 2016年12月31日閲覧。
- ^ 四国アイランドリーグplus2017個人タイトル確定 - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2017年9月21日)
- ^ “ファミスタにIL選手登場 愛媛MPから10人”. 愛媛新聞社. 愛媛新聞 (2018年7月27日). 2019年2月8日閲覧。
- ^ 「男の野球道・正田樹」『週刊ベースボール』ベースボールマガジン社、2009年11月16日号、p.p.43~47。
- ^ 後期リーグMVP正田選手(愛媛MP)に決定 | 四国アイランドリーグplus
関連項目
- 群馬県出身の人物一覧
- 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
- 新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの選手一覧
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
- 中華職業棒球大聯盟個人タイトル獲得者一覧
- 愛媛マンダリンパイレーツの選手一覧
- 四国アイランドリーグplus個人タイトル獲得者一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 正田樹 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 CPBL
- 選手の通算成績と情報 MLB、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)