遠藤良平
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県川口市 |
生年月日 | 1976年6月28日(48歳) |
身長 体重 |
173 cm 70 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1999年 ドラフト7位 |
初出場 | 2001年10月1日 |
最終出場 | 同上 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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遠藤 良平(えんどう りょうへい、1976年6月28日 - )は、埼玉県川口市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。兄はオートレース選手の遠藤誠(25期、浜松オートレース場所属)[1]。
経歴
[編集]小学1年でリトルリーグ入りし、投手兼外野手としてプレー[1]。中学時代に軟式野球で外野手に専念[1]。筑波大学附属高校では2年秋からエースも3年夏は遠藤竜志がいた修徳高校に敗れた[1]。その後、自分が神宮でプレーできるとすれば東大だけだ、と野球のために東大を受け、一浪の末合格[1]。きっかけは高校時代に神宮第二球場でプレーしたときに神宮でプレーをしたいと強く思ったことから。なお、大学では教育学部でスポーツ科学や運動生理学などを学ぶ身体教育学コースを専攻した。
1年春から東京六大学リーグ戦に登板し、3年春は開幕戦で早大を無四球完投勝利[2]すると秋も早大1回戦、翌々日の3回戦でも1失点完投で早大戦15年ぶりの勝ち点となった。4年春には開幕の法大戦で完投するも浅井良の本塁打で惜敗も2回戦は再び先発完投で法大から7季ぶりの勝利、92連敗中の明大戦で木塚敦士と投げ合い、自身も2打点の活躍で勝利[2]。リーグ通算57試合登板、8勝32敗、防御率3.63、152奪三振。通算8勝は東大歴代5位タイで、左腕では最多。1999年のドラフト会議で日本ハムファイターズから7位指名を受け入団し、史上4人目の東大出身プロ野球選手となった[1]。入団発表会見で目標を聞かれ「開幕戦の中継ぎ投手で出られるように頑張ります」「(六大学の2年先輩)高橋由伸さんと対戦したい。成長した姿を見せたい。」と答えた。
現役生活はわずか2年間だったが、2001年10月1日の西武戦に消化試合ながらプロ初登板を果たしている(6回裏先頭の左打者・柴田博之の場面で先発カルロス・ミラバルに代わりワンポイントとして登板したが、右打者・玉野宏昌が代打で登場。結果は三塁線への内野安打。投球数は2球。)[1]。
現役引退後は、北海道日本ハムファイターズにフロント入りし、業務提携しているニューヨーク・ヤンキースへの2年間の研修留学、ベースボールオペレーションディレクターを経て、2015年からはゼネラルマネジャー補佐。二軍中心の若手育成プラン作成や、アマチュア野球の現場でのスカウティング、一・二軍首脳陣とコミュニケーションを取って方針を現場へ伝える橋渡し役などを行っている[3]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2001 | 日本ハム | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 1 | 0.0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- |
通算:1年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 1 | 0.0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- |
記録
[編集]背番号
[編集]- 48 (2000年 - 2001年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 遠藤良平 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 特集 日本ハム・遠藤投手(東京大学野球部)
- ENDOU NET - 公式サイト