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[[1996年]]には[[1996年アトランタオリンピック|アトランタオリンピック]]に出場し日本の7位入賞に貢献。この頃から[[バスケットボール女子日本代表|全日本]]のセンターに定着。3度の[[FIBA女子バスケットボール・ワールドカップ|世界選手権]]も経験しているほか、バンコクアジア大会では金メダルを獲得している。 |
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[[2007年]]に結婚。旧姓・濱口典子としてバスケットボールを続けていたが、[[2008年]]に後述の代表復帰をきっかけに登録名を現姓に改めた。 |
2020年8月12日 (水) 21:50時点における版
引退 | ||||||||||||||||||
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ポジション | C | |||||||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | |||||||||||||||||
生年月日 | 1974年1月15日(50歳) | |||||||||||||||||
出身地 | 長崎県 | |||||||||||||||||
身長(現役時) | 183cm (6 ft 0 in) | |||||||||||||||||
体重(現役時) | 80kg (176 lb) | |||||||||||||||||
キャリア情報 | ||||||||||||||||||
出身 | 鶴鳴女子高校 | |||||||||||||||||
選手経歴 | ||||||||||||||||||
1992-2004 2005-2010 |
ジャパンエナジー アイシン・エィ・ダブリュ ウィングス | |||||||||||||||||
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小磯 典子(こいそ のりこ、1974年1月15日 - )は、長崎県出身の女子バスケットボール選手である。身長183cm。ポジションはセンター。旧姓:濱口(はまぐち)。
来歴
鶴鳴女子高校にて全国大会で活躍し、卒業後、ジャパンエナジーに入社。JOMOでは川崎真由美ともにツインタワーとして活躍し、黄金時代に貢献した。
1996年にはアトランタオリンピックに出場し日本の7位入賞に貢献。この頃から全日本のセンターに定着。3度の世界選手権も経験しているほか、バンコクアジア大会では金メダルを獲得している。
2004年のアテネオリンピックを最後に一度は現役を引退したが、翌2005年に金平鈺元ヘッドコーチがアイシン・エィ・ダブリュ ウィングスのヘッドコーチに就任すると、移籍して選手兼コーチとして現役復帰。古武術研究家の甲野善紀に師事し2006年にはWリーグ昇格に導いた。
2007年に結婚。旧姓・濱口典子としてバスケットボールを続けていたが、2008年に後述の代表復帰をきっかけに登録名を現姓に改めた。
2007-08シーズンは再び選手に専念する。
2008年の北京オリンピック世界最終予選で代表復帰するが、チームは敗退し五輪3大会出場はならなかった。
2010年2月を以って2度目の引退しアイシンAWも退社。
出産を経たのち、2012年4月より母校である長崎女子高校の職員として後輩の指導に当たる傍ら、2年後の地元開催の国体に向けクラブチーム、ストレッチに所属[1]。長崎県立総合体育館館長も務める。
2014年、第69回国民体育大会にて選手宣誓[2]。
現在は埼玉県にてバスケットボール教室を開いている。
経歴
- 鶴鳴女子高校 - JOMO(1992年〜2004年) - 引退 - アイシン・エイ・ダブリュ(2005年〜2010年)
受賞歴
日本代表歴
- 1994年世界選手権
- 1994年アジア大会
- 1996年アトランタオリンピック
- 1998年世界選手権
- 1998年アジア大会
- 2002年世界選手権
- 2002年アジア大会
- 2004年アテネオリンピック
- 2008年北京オリンピック世界最終予選
脚注
- ^ トップアスリート×47都道府県(長崎) バスケットボール 小磯典子
- ^ “選手宣誓の大ベテラン小磯「こんな大役は初めて」/国体”. (2014年10月12日) 2015年1月15日閲覧。
関連項目
外部リンク
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