「萬栄駅」の版間の差分
Tze Chiang Hao (会話 | 投稿記録) 利用状況他 |
|||
124行目: | 124行目: | ||
=== 過去の繁栄 === |
=== 過去の繁栄 === |
||
{{要出典|本駅は1960 - 1970年代の林田山からの木材運搬時に最も興盛を極めた。林田山[[森林鉄道]]からの旅客は毎日絶える事無く、木材の[[貨物輸送]]も極めて多く、当時は[[鳳林駅|鳳林]]、[[光復駅 (花蓮県)|光復]]、[[瑞穂駅 (花蓮県)|瑞穗]]、[[玉里駅 (花蓮県)|玉里]]、[[東里駅|東里]]、[[富里駅|富里]]、[[池上駅 (台東県)|池上]]、[[関山駅 (台東県)|関山]]、[[鹿野駅|鹿野]]、稲葉(後の嘉豊)等の駅と同様に各級の[[列車]]が全て停車していた。「台灣車站革沿」によると1970年代当時の1日の利用者数は700人に達し(年間23万人)、旅客収入は1日6000[[ニュー台湾ドル|元]]になった。貨物は1日150[[トン]]で材木が主であった。林田山は1980年代に没落し、萬栄駅の旅客、貨物収入も急速に減少した。台鉄官報記録によれば、[[1980年]]の利用者数は4万人と過去に比べて嘘のように減少したが、当時の台東線最高級列車の[[台東線光華号|光華号]]は停車していた。東側の改軌新線が完成して切り替えた後、萬栄駅は非[[対号列車]](当時は自強号、[[ |
{{要出典|本駅は1960 - 1970年代の林田山からの木材運搬時に最も興盛を極めた。林田山[[森林鉄道]]からの旅客は毎日絶える事無く、木材の[[貨物輸送]]も極めて多く、当時は[[鳳林駅|鳳林]]、[[光復駅 (花蓮県)|光復]]、[[瑞穂駅 (花蓮県)|瑞穗]]、[[玉里駅 (花蓮県)|玉里]]、[[東里駅|東里]]、[[富里駅|富里]]、[[池上駅 (台東県)|池上]]、[[関山駅 (台東県)|関山]]、[[鹿野駅|鹿野]]、稲葉(後の嘉豊)等の駅と同様に各級の[[列車]]が全て停車していた。「台灣車站革沿」によると1970年代当時の1日の利用者数は700人に達し(年間23万人)、旅客収入は1日6000[[ニュー台湾ドル|元]]になった。貨物は1日150[[トン]]で材木が主であった。林田山は1980年代に没落し、萬栄駅の旅客、貨物収入も急速に減少した。台鉄官報記録によれば、[[1980年]]の利用者数は4万人と過去に比べて嘘のように減少したが、当時の台東線最高級列車の[[台東線光華号|光華号]]は停車していた。東側の改軌新線が完成して切り替えた後、萬栄駅は非[[対号列車]](当時は自強号、[[莒光号]]、[[復興号]]等の高級列車が存在した)が停車するだけとなった。その上、花東公路が拡張されて[[自動車]]が普及したのが更に本駅の状況を悪化させた。[[1990年代]]には糧食局の(貨物)側線が廃止され、本駅の貨物輸送はほぼ停止している状態で、[[砕石]]以外の貨物は滅多に見られない。[[旅客輸送]]はその後{{Lang|zh-tw|莒}}光号等の対号列車が停車する様になったものの、林田山からの人口流出には抗えなかった。[[1993年]]度の利用者数は僅か7718人で収入は凡そ197万元程であった。しかし、[[出札]]の[[オンライン]]化と花蓮客運([[バス (交通機関)|バス]])の値上げにより本駅の業績は[[2004年]]から2割成長し[[2005年]]には営業収入285万元、利用人数は15011人となった。|date=2020-05}} |
||
== 隣の駅 == |
== 隣の駅 == |
2020年8月9日 (日) 21:35時点における版
萬栄駅 | |
---|---|
駅舎 | |
萬榮 ワンロン (バンイェン) Wanrong | |
所在地 | 台湾花蓮県鳳林鎮長橋里長德街17号 |
所属事業者 |
台湾鉄路管理局 林務局 |
等級 | 三等駅 |
旧名 | 馬里勿、萬里橋、萬里 |
電報略号 | ㄨㄢㄖ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 単式・島式 2面3線 |
乗車人員 -統計年度- |
#利用状況節参照 -人/日(降車客含まず) |
乗降人員 -統計年度- |
#利用状況節参照 -人/日 |
開業年月日 | 1914年3月8日 |
乗入路線 | |
所属路線 | ■台東線 |
駅番号 | 035 |
キロ程 | 37.3 km(花蓮起点) |
◄鳳林 (4.8 km) (5.6 km) 光復► | |
所属路線 | 林田山林場鉄路萬森線(廃線) |
キロ程 | 0.0 km |
森栄► |
萬栄駅 | |
---|---|
各種表記 | |
繁体字: | 萬榮車站 |
簡体字: | 万荣车站 |
拼音: | Wànróng Chēzhàn |
通用拼音: | Wànróng Chējhàn |
注音符号: | ㄍㄨㄢ ㄈㄨˊ ㄔㄜㄓㄢˋ |
発音: |
ワンロン チャーヂャン バンイェン チャーヂャン |
台湾語白話字: | Bān-êng Chhia-thâu |
日本語漢音読み: |
まんえいえき ばんえいえき |
英文: | Wanrong Station |
萬栄駅(まんえいえき)は台湾花蓮県鳳林鎮にある台湾鉄路管理局台東線の駅。三等駅で自強号を除く各級の列車が停車する。萬栄郷の玄関口であり、かつては林務局花蓮林区管理処の林田山林場鉄路萬森線が本駅から林田山(森栄)へと通じていた。
駅構造
利用状況
年 | 年間 | 1日平均 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|
乗車 | 下車 | 計 | 出典 | 乗車 | 乗下車 | |
資料なし | ||||||
2010 | 16,166 | 10,921 | 27,087 | [1] | 44 | 74 |
2011 | 17,124 | 12,100 | 29,224 | [2] | 47 | 80 |
2012 | 19,207 | 14,400 | 33,607 | [3] | 52 | 92 |
2013 | 18,863 | 14,014 | 32,877 | [4] | 52 | 90 |
2014 | 19,580 | 16,312 | 35,892 | [5] | 54 | 98 |
2015 | 21,171 | 18,415 | 39,586 | [6] | 58 | 108 |
2016 | 21,232 | 20,619 | 41,851 | [7] | 58 | 114 |
2017 | 19,721 | 20,960 | 40,681 | [8] | 54 | 111 |
2018 | 15,817 | 19,782 | 35,599 | [9] | 43 | 98 |
2019 | 15,058 | 18,541 | 33,599 | [10] | 41 | 92 |
駅周辺
- 萬里橋渓
- 花蓮県長橋国小
- 鳳栄地区農会長橋分部
- 鳳林休暇村
- 花蓮環保科技園区
- 林田山林業文化園区
- 満妹猪脚
- 台9線
歴史
- 1914年3月8日 - 「馬里勿乗降場」として開業[11]。
- 1917年11月1日 - 萬里橋駅(まりばしえき/当時の表記は「萬里橋驛」)になった[12]。
- 1952年1月15日 - 萬里と改名[13](p383)。
- 1958年 - 萬栄に改名[13](p383)。
萬栄の元の名である「馬里勿」(マリバシ)はアミ族語で上り坂の意味である。日本統治時期に日本政府は林田山林場の木材を運送する為に大正3年(1914年)3月8日、馬里勿乗降場を開設した。これが本駅の始まりである。1918年(大正7年)に日本式の当て字で萬里橋驛と改名した。第二次世界大戦後、行政区域の再編に伴い萬里郷が成立し、本駅も所在地が萬里郷である事から1952年1月15日に萬里駅と改名した。台北県にも同名の萬里郷が存在した事から1958年に萬栄郷と改名し、本駅も萬栄駅に改名した。1982年に東側の改軌新線が完成し、本駅も日本統治時期の木造駅舎が老朽化していた事から鉄筋コンクリートの新駅舎に同時に建て替えた。
過去の繁栄
本駅は1960 - 1970年代の林田山からの木材運搬時に最も興盛を極めた。林田山森林鉄道からの旅客は毎日絶える事無く、木材の貨物輸送も極めて多く、当時は鳳林、光復、瑞穗、玉里、東里、富里、池上、関山、鹿野、稲葉(後の嘉豊)等の駅と同様に各級の列車が全て停車していた。「台灣車站革沿」によると1970年代当時の1日の利用者数は700人に達し(年間23万人)、旅客収入は1日6000元になった。貨物は1日150トンで材木が主であった。林田山は1980年代に没落し、萬栄駅の旅客、貨物収入も急速に減少した。台鉄官報記録によれば、1980年の利用者数は4万人と過去に比べて嘘のように減少したが、当時の台東線最高級列車の光華号は停車していた。東側の改軌新線が完成して切り替えた後、萬栄駅は非対号列車(当時は自強号、莒光号、復興号等の高級列車が存在した)が停車するだけとなった。その上、花東公路が拡張されて自動車が普及したのが更に本駅の状況を悪化させた。1990年代には糧食局の(貨物)側線が廃止され、本駅の貨物輸送はほぼ停止している状態で、砕石以外の貨物は滅多に見られない。旅客輸送はその後莒光号等の対号列車が停車する様になったものの、林田山からの人口流出には抗えなかった。1993年度の利用者数は僅か7718人で収入は凡そ197万元程であった。しかし、出札のオンライン化と花蓮客運(バス)の値上げにより本駅の業績は2004年から2割成長し2005年には営業収入285万元、利用人数は15011人となった。[要出典]
隣の駅
- 林務局
- 林田山林場鉄路萬森線(廃線)
- 萬栄駅 -
森栄駅
- 萬栄駅 -
脚注
- ^ “99年報 各站客貨運起訖量”. 2011年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月4日閲覧。 臺灣鐵路管理局
- ^ “100年報 各站客貨運起訖量”. 2012年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月4日閲覧。 臺灣鐵路管理局
- ^ “101年報 各站客貨運起訖量”. 2013年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月4日閲覧。 臺灣鐵路管理局
- ^ “102年報 各站客貨運起訖量”. 2014年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月4日閲覧。 臺灣鐵路管理局
- ^ “103年報 各站客貨運起訖量”. 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月4日閲覧。 臺灣鐵路管理局
- ^ “104年報 各站客貨運起訖量”. 2016年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月4日閲覧。 臺灣鐵路管理局
- ^ “105年報 各站客貨運起訖量”. 2017年8月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月4日閲覧。 臺灣鐵路管理局
- ^ “106年報 各站客貨運起訖量 Volume of Passenger & Freight Traffic”. 臺灣鐵路管理局. 2019年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月5日閲覧。
- ^ “107年報 各站客貨運起訖量 Volume of Passenger & Freight Traffic”. 臺灣鐵路管理局. 2019年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月25日閲覧。
- ^ “108年報 各站客貨運起訖量 Volume of Passenger & Freight Traffic”. 臺灣鐵路管理局. 2020年5月13日閲覧。
- ^ 鉄道省 (1937-11-30). 鉄道停車場一覧. 昭和12年10月1日現在. 国立国会図書館. p. 524
- ^ 台湾総督府 (1917-10-28). “台湾総督府告示第133号”. 官報1587号(1917年11月15日). 大蔵省印刷局. p. 88 . "大正六年十一月一日ヨリ臺東線停車場名竝哩程左ノ通改正" 国立国会図書館
- ^ a b 關山鎮志下冊 第三章、鐵路交通 第四節、民國時代臺東線”. 臺東縣關山鎮公所. pp. 377-392. 2019年2月9日閲覧。 国家図書館 吳文星、施添福 (2002年). “
外部リンク
- 台湾鉄路管理局