「佐世保市の歴史」の版間の差分
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2020年7月25日 (土) 22:06時点における版
佐世保市の歴史(させぼしのれきし)では、現在の長崎県佐世保市に属する地域の歴史を詳述する。なお、行政区域の変遷については親記事を参照されたい。
概説
現在の佐世保市域に人類が住み始めたのは有史以前、旧石器時代からで、世界最古であった縄文土器が出土した泉福寺洞窟(豆粒文土器)や福井洞窟(隆起線文土器)等の洞窟・岩陰遺跡があり、その数は全国最多を誇る[1]。また自然水銀、黒曜石、サヌカイトの産地でもあり、前記の遺跡群と共に、門前遺跡(国内最古の建築形式である胴張形掘立柱建物跡)、独自のイモガイ文化を持つ宮の本遺跡、大野台遺跡、四反田遺跡など日本史を解明する上で重要な遺跡が旧北松浦郡地域に偏在する。
現在の佐世保市域は、古代中世には肥前国に属し松浦郡と彼杵郡にあたる。[2]
奈良時代に編纂された肥前国風土記によれば、現在の早岐付近に速来津姫をいただく土蜘蛛と呼ばれる土着豪族があり、景行天皇の命により討伐されたという。なお、同風土記には、早岐の特産品としてワカメが挙げられている。
平安時代の松浦郡相浦、中里、竹辺地域には武辺胤明と初期松浦一族の相神浦氏の存在が見られる。平安末期、一族不和のため相神浦堅が小城郡多久に移住。現在も北多久に相ノ浦という地名と相神浦から勧請した飯盛神社がある。
鎌倉時代になると松浦党が北松浦半島周辺に勢力を広げ、室町時代になると本家にあたる宗家松浦氏が相浦付近に武辺城を築いて一帯を支配した。一方、同族のうち現在の市域中心部に拠った者が佐世保城を築き、佐世保姓を名乗った。古文書には佐世保城主として「佐世保清」「佐世保諫」等の名が残っている。
戦国時代には平戸松浦氏・宗家松浦氏・大村氏等が激しく争いを繰り広げ、最終的には現市域の大半が平戸松浦氏の支配に帰し(→平戸藩)、そのまま廃藩置県に至った(宮地区は大村氏(→大村藩)、宇久地区は宇久氏改め五島氏(→福江藩)が支配)。
江戸時代には平戸往還が整備され、中里・佐世保・早岐に本陣が置かれた。この当時は相神浦(現在の相浦)と早岐に比較的大きな集落がある以外は農漁村地帯が広がっており、新田開発も各地で行われた。藩内で採れる石炭を、相神浦の港から製塩の中心地であった本州・四国の瀬戸内海沿岸地域に輸出し財を築いた、塩屋松五郎に恋塚左平や草刈太一左衛門がいる。
平戸松浦藩9代藩主松浦清(静山)の随筆「甲子夜話」には、江戸中期享保時代(1720年頃)の佐世保名物として針尾駒、早岐白荒生、焼酎。権成寺蓮、同浦白和布。三河内陶器。日宇真綿。佐世保葛粉。相神浦上米。知見寺の鶉、賎津浦伊勢海老。同浦恵美須嶋釣針松。白魚川白魚、鮎と記してある。
明治時代に入ると海軍において九州西部に軍港の建設が求められた。いくつかの候補のうちから当時人口千人余りの寒村だった東彼杵郡佐世保村[3]が適地とされ、鎮守府の設置以後急速に海軍施設と街の整備が進められた。1902年には村から一足飛びに市制を施行[4]、市民の8割が隣の佐賀県からの移住者であった。九州でも五指に入る大都市として発展していくが、第二次世界大戦末期に空襲で市中心部が焦土と化し、終戦と海軍解体とともに人口の急減をみた。これは市民の殆どを占めた移住者が、地元に帰ったためである。
戦後、公選初代の市長中田正輔を中心に旧軍港市転換法による佐世保港の商港への転換と九十九島を中心とした西海国立公園の指定による観光地としての基盤整備を図るが、朝鮮戦争勃発とともに米軍を中心とした国連軍の朝鮮戦線に向けての前進基地として再び軍港としての機能を担うことになり、現在まで米軍及び海上自衛隊を中心とした軍港としての機能と商港としての機能の棲み分けが大きな課題となっている。
地名の由来
郷土史家の澤正明は、佐世保という地名は松浦氏の一族とみられる“佐世保氏”の名前に由来するとして、現在も松浦市内に佐世保田代や佐世保崎という小字が残っていることから、15世紀に松浦氏が拠点を松浦市から相浦地区に移したときに一緒に移動してきた一族の「佐世保氏」の名前が定着したとしている[5]。
一方、坂田直士の説では、狭い川瀬を意味する「狭瀬(させ)」に、保は中世の荘園公領制の国衙との関わりで成立した「保」がついたと推定している[6]。
他にも「サセブ」と称する植物が繁茂した様子を由来とする説やアイヌ語由来の説などが云われており、はっきりとした事は判っていない[6]。
年表
中世
- 1179年(治承3年)
- 相神浦堅、一族不和のため小城郡多久原(現在の佐賀県多久市北多久)に移住。
- 1202年(建仁2年)
- 下松浦党の祖である松浦直の長男御厨清の系譜にある相神浦松浦家(宗家松浦氏)の4代当主・堯(めぐる)が武辺城を築城。
- 1457年(長禄元年)
- 1490年(延徳2年)
- 1498年(明応8年)
- 1531年(享禄4年)
- 宗家松浦氏16代当主の松浦親、平戸松浦氏と和解し、旧領を回復する。
- 1535年(天文4年)
- 1542年(天文11年)
- 1560年(永禄3年)
- 松浦隆信は武雄の後藤貴明と同盟を組み、惟明を後藤への養子にする。
- 1563年(永禄6年)
- 1578年(天正6年)
- 1586年(天正14年)
- 松浦氏と大村氏、舳の峯峠(重尾町と瀬道町の境)に境界を確定する。
近世
- 1608年(慶長13年)
- 1650年(慶安3年)
- 1688年(元禄元年)
- 平戸藩七浦奉行の山下庄左衛門、藩命により江迎で酒造業を始める(現在の潜龍酒造)。
- 1784年(天明4年)
- 1812年(文化9年)
- 1850年(嘉永3年)
- 1866年(慶応2年)
- 平戸藩が相神浦・早岐周辺14ヶ村を管轄する相神浦筋郡代役所を中里に設置。翌年現在の谷郷町に移る。
明治・大正時代
- 1883年(明治16年)
- 1886年(明治19年)
- 4月21日:「第三海軍区鎮守府」を佐世保に置くことが決定される。
- 1889年(明治22年)
- 1896年(明治29年)
- 親和銀行の源流となる第九十九国立銀行の佐世保支店が開業。
- 1897年(明治30年)
- 1898年(明治31年)
- 1900年(明治33年)
- 1902年(明治35年)
- 1905年(明治38年)
- 1906年(明治39年)
- 1907年(明治40年)
- 第九十九国立銀行を佐世保銀行と改称、本店を佐世保に移転。
- 8月:与謝野鉄幹ら「五足の靴」一行が来佐。
- 9月:海軍水道からの分与により、市内に水道管からの水道水の供給を開始。
- 9月13日:ペスト流行のため、下矢岳町全域167棟を焼却(~20日)。跡地は練兵場となる(現在は佐世保中央インターチェンジ)。
- 1908年(明治41年)
- 3月:山の田水源池ダム・浄水場が竣工。
- 1920年(大正9年)
昭和時代
- 1927年(昭和2年)
- 1931年(昭和6年)
- 1932年(昭和7年)
- 1939年(昭和14年)
- 1941年(昭和16年)
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)
- 1952年(昭和27年)
- 3月:日米行政協定により米海軍基地に指定。
- 1953年(昭和28年)
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)
- 12月23日:NHK佐世保テレビ局開局。
- 1959年(昭和34年)
- 1960年(昭和35年)
- 4月2日:佐世保市繁華街で火災。子供4人焼死、84世帯被災。
- 1961年(昭和36年)
- 5月25日:佐世保市亜熱帯動植物園開園(県内初の本格的動植物園施設)。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)
- 1973年(昭和48年)
- 泉福寺洞窟から世界最古の土器、豆粒文(とうりゅうもん)土器が発見される。
- 1974年(昭和49年)
- 1976年(昭和51年)
- 1977年(昭和52年)
- 1978年(昭和53年)
- 1980年(昭和55年)
- 7月1日:「米海軍佐世保弾薬廠」は、4年ぶりに「米海軍佐世保基地」に復活。
- 1982年(昭和57年)
- 3月18日:佐世保重工業ドックでインド船籍のタンカーから出火。10人焼死。
- 1983年(昭和58年)
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)
- 8月:アメリカ色を前面に打ち出した西海アメリカンフェスティバルが、3日~4日の2日間米海軍佐世保基地「ニミッツパーク」で開かれ約20万人の人出となる。以後恒例行事となるが、2003年以降はアメリカ同時テロの余波で中止。
- 9月13日:佐世保橋(海軍橋)が現在の片側3車線の橋に架け替えられ、開通式が行われる。
- 1986年(昭和61年)
- 5月3日:浦頭引揚記念平和公園が完成、記念式典に1,600人が出席。
- 8月24日:米戦艦ニュージャージー、佐世保に寄港。
- 1988年(昭和63年)
平成時代
- 1989年(平成元年)
- 1990年(平成2年)
- 1991年(平成3年)
- 1992年(平成4年)
- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)
- 1995年(平成7年)
- 1996年(平成8年)
- 7月19日:「世界・焱の博覧会[10]」が開幕(~同年10月13日まで)。市内には三川内、ハウステンボスの2ヶ所の地域サテライト会場が開設された。
- 11月:第1回きらきらフェスティバル開催。
- 1997年(平成9年)
- 12月12日:佐世保市民文化ホール(旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館)が国の登録有形文化財に登録される。
- 1998年(平成10年)
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)
- 市制100周年を迎え、全国豊かな海づくり大会等の各種記念事業を行う。
- 4月1日:親和銀行と九州銀行が経営統合、九州初の金融持株会社として株式会社九州親和ホールディングスを設立。両行合わせ預金量約2兆5千億円、業務純益約200億円の当時県内最大の金融グループが誕生した。
- 2003年(平成15年)
- 2月26日:ハウステンボスが会社更生法適用申請(負債2,289億円)。
- 7月28日:平成15年度全国高等学校総合体育大会(2003年長崎ゆめ総体)開会。佐世保市では女子バレーボールほか5競技を行う。
- 2004年(平成16年)
- 3月26日:第35回春の高校バレー大会で男子の佐世保南高校と女子の九州文化学園高校がいずれも優勝。同一市内高校の男女アベック優勝は史上初。
- 6月1日:佐世保小6女児同級生殺害事件発生。
- 2005年(平成17年)
- 1月10日:一般世帯のごみ収集を有料化。指定ごみ袋とごみ処理券(一定数まで無料配布、超過分有料)の組み合わせによる全国でも珍しい方式での導入となった。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 1月1日:ごみ処理券を廃止し指定ごみ袋の購入補助券を各世帯に一定数配布する方式に変更。補助券がない場合は処理手数料を上積みした額で購入することになる。
- 3月21日:前年にノーベル化学賞を受賞した下村脩(少年時代に佐世保に在住)を市の名誉市民とし、この日顕彰式を行う。
- 4月19日:定額給付金に関連して佐世保市商店街連合会が市内店舗等で通用する同年10月18日までの期間限定商品券「させぼ振興券」を発売。
- 7月16日:第45回献血運動推進全国大会をアルカスSASEBOで開催。臨席のため皇太子徳仁親王が来佐。
- 7月18日:西海パールシーリゾートがリニューアルオープン。水族館「海きらら」を開館。
- 11月21日:市役所三川内支所隣に市内の特産品の展示販売を行う「させぼ物産みかわち振興センター『させぼ四季彩館』」を設置、営業開始。
- 2010年(平成22年)
- 3月20日:西九州自動車道佐世保みなとIC~相浦中里IC間供用開始。
- 10月1日:佐世保市総合教育センター(少年科学館など併設)が旧市立保立小学校跡地に開館。
- 2011年(平成23年)
- 4月1日:佐世保市亜熱帯動植物園を西海国立公園九十九島動植物園に改称。
- 9月13日:西九州自動車道相浦中里IC~佐々IC間供用開始。市内区間が全通。
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)
- 2014年(平成26年)
- 7月26日:佐世保女子高生殺害事件発生。
- 10月13日:第69回国民体育大会(長崎がんばらんば国体)の佐世保市での競技開始。22日まで正式競技8種目が行われた。
- 2015年(平成27年)
- 4月1日:佐世保港国際ターミナル(葉港テラス)供用開始。
- 4月1日:九十九島動植物園を指定管理者管理へ移行。
- 2016年(平成28年)
- 2018年(平成30年)
- 1月29日:佐世保市内に本店を置く長崎県民信用組合と佐世保中央信用組合が合併、西海みずき信用組合が発足。
- 3月27日:陸上自衛隊相浦駐屯地に水陸機動団が編成される。
- 4月20日:九十九島の世界で最も美しい湾クラブへの加盟が承認される。
- 6月30日:佐世保市内の「黒島の集落」を含む長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産、第42回世界遺産委員会において世界遺産(文化遺産)への登録決定。
- 2019年(平成31年)
令和時代
- 2019年(令和元年)
- 8月27日:長崎県内が前線の影響による大雨に見舞われ、佐世保市内の江迎川が氾濫。江迎地区に避難指示、同地区を除く市内全域に避難勧告が出される。
参考文献
脚注
- ^ 日本の洞窟・岩陰遺跡
- ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 郡変遷 1889年4月1日
- ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1889年4月1日
- ^ a b 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1902年4月1日
- ^ 澤正明「宗家松浦戦国記」芸文堂、2010年
- ^ a b 佐世保地名の由来 市制百周年記念 佐世保の歴史(国立国会図書館インターネット資料収集保存事業)
- ^ 外山幹夫 『肥前松浦一族』 新人物往来社 2008年、164頁
- ^ もともと佐世保湾という呼称は無く、それ自体、大村湾の一部であった。江戸時代の地図にも埋め立てられる前の基地周辺が大村湾の佐世保浦と描かれている。鉄道唱歌に「大村の湾をしめたる佐世保には」とあるように。
- ^ 古厩忠夫『裏日本-近代日本を問いなおす-』岩波新書 (1997) 。データの原典は『明治大正国勢要覧』。なお同表では福岡市は95,381人で17位、長崎は176,534人で7位。
- ^ 博覧会ロゴでは「炎」には火を3つ重ねた異字体(焱)を使用。
外部リンク
- 沿革(歴史)佐世保のあゆみ 佐世保市役所
- 日本の洞窟・岩陰遺跡
- 相神浦松浦氏