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「下松市」の版間の差分

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=== 下松市選挙区選出県議会議員 ===
=== 下松市選挙区選出県議会議員 ===
* 守田宗治([[自由民主党 (日本)|自由民主党]]/元[[衆議院議員]][[吹田あきら|吹田愰]][[秘書]])
* 守田宗治([[自由民主党 (日本)|自由民主党]]/元[[衆議院議員]][[吹田愰]][[秘書]])
* 森繁哲也(自由民主党/元下松市議会議員)
* 森繁哲也(自由民主党/元下松市議会議員)



2020年7月25日 (土) 04:13時点における版

くだまつし ウィキデータを編集
下松市
下松市旗 下松市章
日本の旗 日本
地方 中国地方
都道府県 山口県
市町村コード 35207-1
法人番号 2000020352071 ウィキデータを編集
面積 89.34km2
総人口 55,213[編集]
推計人口、2024年12月1日)
人口密度 618人/km2
隣接自治体 周南市光市
市の木 やまもも
市の花 サルビア
下松市役所
市長 國井益雄
所在地 744-8585
山口県下松市大手町三丁目3番3号
北緯34度0分53.9秒 東経131度52分13.2秒 / 北緯34.014972度 東経131.870333度 / 34.014972; 131.870333 (下松市)座標: 北緯34度0分53.9秒 東経131度52分13.2秒 / 北緯34.014972度 東経131.870333度 / 34.014972; 131.870333 (下松市)
地図
市庁舎位置

外部リンク 公式ウェブサイト

下松市位置図

― 市 / ― 町

ウィキプロジェクト
下松タウンセンター(ゆめタウン下松(旧ザ・モール周南)ほか)

下松市(くだまつし)は、山口県の東南部に位置する

地理

周南市光市に挟まれており、両市とともに周南地区を構成する市の一つである。沖には、笠戸島及び古島を配し、大きな内海を抱えたような地勢を形成している。瀬戸内海沿岸には重化学工業の工場が立ち並び、港湾は周南市の徳山港とともに徳山下松港と称され、国際拠点港湾に指定されている。

1990年代頭までは末武地区を中心に田園地帯が広がっていたが、山口県道41号下松鹿野線のバイパス建設と、付随する道路の整備に伴い、郊外型商業が目覚ましく発展した(商業の項参照)。住宅地としての人気も高く、山口県の基準地価順位(住宅地)においては上位にランクしている地点もある[1]

人口

下松市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 49,627人
1975年(昭和50年) 55,825人
1980年(昭和55年) 54,803人
1985年(昭和60年) 54,445人
1990年(平成2年) 53,030人
1995年(平成7年) 53,471人
2000年(平成12年) 53,101人
2005年(平成17年) 53,509人
2010年(平成22年) 55,012人
2015年(平成27年) 55,812人
2020年(令和2年) 55,887人
総務省統計局 国勢調査より

平成22年国勢調査(速報値)より前回調査からの人口増減をみると、2.82%増の55,020人であり、増減率は県内19市町中首位。人口密度は633人/kmと県内で一番高い。

国立社会保障・人口問題研究所が2018年に発表した『日本の地域別将来推計人口(平成30(2018)年推計)』において、2045年の総人口の予測値は 50,419人(2015年を100とすると90.3)との推計が出されている[2]

地名

1939年、4町村の合併により発足。合併前の各町村の12大字が継承された。その後、1954年に米川村を編入し4大字を加え、1962年には都濃町中須南の一部を編入したため、合計で17大字となった。

  • 東豊井(旧下松町)
  • 西豊井(旧下松町)
  • 笠戸島(旧末武南村)
  • 平田(旧末武南村)
  • 末武下(旧末武南村)
  • 末武中(旧花岡村)
  • 末武上(旧花岡村)
  • 生野屋(旧花岡村)
  • 山田(旧久保村)
  • 切山(旧久保村)
  • 来巻(旧久保村)
  • 河内(旧久保村)
  • 下谷(旧米川村)
  • 大藤谷(旧米川村)
  • 瀬戸(旧米川村)
  • 温見(旧米川村)
  • 中須南(都濃町より一部を編入)

1966年から1978年にかけて町名設置が行われている。これらの多くは現在も住居表示が実施されたもの残っているが、一部は消滅した。住居表示未実施のまま残る町に☆印をつける。

  • 古川町1丁目~4丁目(1966年、東豊井・西豊井)
  • 北斗町(1966年、西豊井)
  • 栄町1丁目~3丁目(1966年、西豊井)
  • 大手町1丁目~2丁目(1966年、西豊井)
  • 東柳1丁目~2丁目(1966年、西豊井)
  • 中市(1966年、西豊井。2012年、中市1丁目に)
  • 樋ノ上(1966年、西豊井。2012年、中市1丁目に)
  • 旗岡1丁目~5丁目(1970年、東豊井・西豊井)
  • 桃山町(1973年、来巻・河内)☆
  • 東和1丁目~2丁目(1973年、来巻)☆
  • 東海岸通り(1974年、東豊井)☆
  • 青柳1丁目~2丁目(1978年、東豊井)
  • 琴平町1丁目~2丁目(1978年、東豊井)
  • 青木町(年不詳、末武下。1999年、美里町3丁目に)
  • 白迫町(年不詳、生野屋。2002年、生野屋南1丁目に)
  • 葉山1丁目~2丁目(年不詳、来巻・河内)☆
  • 星が丘1丁目~3丁目(年不詳、久保)

※年不詳とされている地区は、1984年以降に発足した可能性がある。

その後、1984年より住居表示を実施している。上記の町も改めて住居表示が実施され、町名が未設置だった大字地区からも新たな町名が設置されている。

  • 東陽1丁目~7丁目(1984年、山田・切山)
  • 古川町1丁目~4丁目、北斗町、栄町1丁目~3丁目、大手町1丁目~2丁目、東柳1丁目~2丁目、青柳1丁目~2丁目、琴平町1丁目~2丁目、旗岡1丁目~5丁目(1986年。町名設置済区域に住居表示実施)
  • 大手町3丁目(1987年、西豊井)
  • 昭和町1丁目~2丁目(1987年、河内)
  • 西柳1丁目~2丁目(1988年、西豊井)
  • 中央町(1989年、下末武)
  • 若宮町(1994年、河内)
  • 美里町1丁目~4丁目(1999年、末武上・末武下・末武下・青木町)
  • 望町1丁目~5丁目(1999年、末武上・末武中・末武下)
  • 清瀬町1丁目~4丁目(1999年、末武中)
  • 瑞穂町1丁目~4丁目(1999年、末武中・末武下)
  • 潮音町1丁目~8丁目(1999年、末武中・末武下・平田)
  • 生野屋1丁目~5丁目(2002年、生野屋)
  • 生野屋西1丁目~4丁目(2002年、生野屋)
  • 生野屋南1丁目~3丁目(2002年、生野屋・白迫町)
  • 南花岡1丁目~7丁目(2003年、末武上・末武中)
  • 星が丘1丁目~3丁目(2004年。町名設置済区域に住居表示実施)
  • 桜町1丁目~3丁目(2006年、西豊井・河内・末武下)
  • 藤光町1丁目~2丁目(2006年、西豊井・末武下)
  • 楠木町1丁目~2丁目(2006年、西豊井・末武下)
  • 中市一丁目~二丁目(2012年、西豊井・中市・樋ノ口)
  • 駅南一丁目~二丁目(2012年、西豊井)
  • 新川一丁目~四丁目(2012年、西豊井・東豊井)
  • 西柳3丁目(2019年、西豊井)
  • 中島町1丁目~2丁目(2019年、西豊井)
  • せせらぎ町1丁目~3丁目(2019年、末武下)
  • 西市1丁目~3丁目(2019年、末武下)

行政

市長

市議会

  • 定数:20名
  • 任期:2018年(平成30年)4月20日 - 2022年(令和4年)4月19日
  • 議長 - 中村隆征
  • 副議長 - 高田悦子
  • 監査委員 - 中谷司朗
会派名 議席数 議員名(◎は代表者)
新生クラブ 8 ◎村田丈生、阿武一治、磯部孝義、河内裕文、永田憲男、中谷司朗、中村隆征、松尾一生
鐵(くろがね) 3 ◎金藤哲夫、矢野忠治、山根栄子(幸福実現党
政友会 3 ◎近藤康夫、浅本正孝、藤井洋
公明党 2 ◎堀本浩司、高田悦子
日本共産党 2 ◎渡辺敏之、田上茂好
無所属 2 近藤則昭、原田真雄
20

2019年(平成31年)4月26日現在。

一部事務組合等

下松市選挙区選出県議会議員

歴史

地名の由来

推古天皇3年(595年)、鷲頭庄青柳浦の松の木に大星(北辰星ともいわれる)が降りてきて7日7晩輝き続け、「この地に百済の王子がやって来る」とのお告げがあった。その3年後、百済から聖王第3王子の琳聖太子が当地を訪れたという。この霊験に民衆が社を建てて大星を祭った。松に星が降ったことから「くだまつ(下松)」と言われる、との説がある[3]

他に、百済と交易する港の意味の「百済津」(くだらつ)に由来するという説もある。

平成の大合併

下松市は隣の旧徳山市や旧新南陽市、旧熊毛町、旧鹿野町と3市2町で合併協議会を構成し、合併を協議していた。しかし、2000年の市長選挙で合併を推進してきた河村憐次市長が落選し、変わって当選した井川成正氏は合併に否定的だったため、下松市における合併の機運は急速に冷め、合併協議会を脱退するに至った。

この方針は2004年の市長選挙で井川が大差で合併推進派新人を破って再選を果たしたことでさらに固定化した。

教育

高等学校

下松高等学校

中学校

  • 下松市立下松中学校
  • 下松市立末武中学校
  • 下松市立久保中学校

小学校

  • 下松市立下松小学校
  • 下松市立久保小学校
  • 下松市立東陽小学校
  • 下松市立公集小学校
  • 下松市立花岡小学校
  • 下松市立豊井小学校
  • 下松市立中村小学校(中村公民館を併設)
  • 下松市立米川小学校

廃校となった学校

  • 下松市立深浦中学校(下松市立下松中学校に統合)
  • 下松市立笠戸小学校(下松市立下松小学校に統合、跡地は笠戸公民館)
  • 下松市立深浦小学校(下松市立下松小学校に統合、跡地は深浦公民館)
  • 下松市立江の浦小学校 (下松市立下松小学校に統合、耐震校舎は歴史民俗資料館に転用し、グラウンドに福祉施設建設予定)

警察・消防

交通

鉄道

下松駅

バス

  • 防長交通 - 市内各地域に路線網を持つほか、周辺の周南市・光市・田布施町・平生町・柳井市・岩国市と下松市を結ぶ路線もある。また、福岡市と下松市を結ぶ高速バス「福岡・防府・周南ライナー」を運行している。
  • 中国JRバス(光線) - 下松市の下松タウンセンター・下松駅と光駅・光市中心部・光市南東部(国道188号と周辺部)を結ぶ路線。

道路

産業

工業

大規模工場を複数擁し、徳山下松港一帯に広がる周南コンビナート瀬戸内工業地域の一部)の一角を担う。

商業

1980年代までは、徳山市(現・周南市)を中心とした近隣都市への購買流出が続いていたが[4]1990年代以降は、1993年(平成5年)のザ・モール周南(現・ゆめタウン下松)の開業を皮切りに、市内の道路整備も相まって、ロードサイド店舗の出店が相次ぎ、現在では、近隣の周南市や光市を含む周南地区における、商圏の中心となった。

2018年(平成30年)現在、市内の商業施設における大型店の占有率は85%となっている[5]。人口に対する商業施設面積の割合が高く、東洋経済新報社の「住みよさランキング」において、本市が中国・四国ブロックの首位を10年以上にわたり維持し続けている要因となっている[6]

なお、かつては下松駅周辺に商店街が存在したが、現在はほとんど機能していない[5]

店舗面積10,000m2を以上の大規模小売店鋪を以下に記す。

農業

林業

漁業

金融機関

経済団体

市内に本社を置く主な企業

社会団体

医療

  • 周南記念病院 - 2000年に旧徳山記念病院と旧下松記念病院を統合して「ふくしの里」の核施設として開院。
  • 下松病院
  • 下松中央病院

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

  • 笠戸島 (はなぐり海水浴場や大城温泉など。笠戸島まつり、笠戸島マリンイカダレース大会、笠戸の火祭りなどのイベントが開かれている)
  • キツネの嫁入り (花岡福徳稲荷社の稲穂祭り。の面を着けた男女の嫁入り行列が練り歩く)
  • 鶴ヶ浜温泉
  • 米泉湖 (末武川ダム - ロックフィルダムで、周辺は米泉湖公園として整備され、藤田三保子ら著名人や一般市民の作品を刻んだ文学碑プロムナードがある)
  • 切山歌舞伎 (都道府県指定重要無形民俗文化財、平成27年度文部科学大臣表彰受賞[7]

出身・ゆかりのある人物

電話・郵便

市外局番は、0833(40 - 79、90 - 99)となっている。

郵便番号は、以下の通りとなっている。

郵便局

  • 下松郵便局
  • 下松東柳郵便局
  • みずほ郵便局
  • 下松花岡郵便局
  • 下松東陽郵便局
  • 下松豊井郵便局
  • 笠戸島郵便局
  • 米川郵便局
  • 下松久保簡易郵便局
  • 下松旗岡簡易郵便局

参照

関連項目

外部リンク