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* [[栃木県立小山北桜高等学校]]
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[[栃木県立小山北桜高等学校|小山北桜高校]]へ進学すると強肩を買われて捕手に転向した<ref name="3巡目日刊" />。[[投手]]だった兄と兄弟バッテリーを組んだ<ref name="週刊ベースボール2009年6月1日号">「現役の皆さんに聞きました キャッチャーの魅力を教えてください」 『[[週刊ベースボール]]』2009年6月1日号、[[ベースボール・マガジン社]]、2009年、[[雑誌コード|雑誌]]20441-6/1、20-21頁。</ref>。甲子園への出場はなかったが、2年春に同校最高成績となる県大会ベスト4に進出するなどチームを牽引した<ref name="3巡目日刊" />。
[[栃木県立小山北桜高等学校|小山北桜高校]]へ進学すると強肩を買われて捕手に転向した<ref name="3巡目日刊" />。[[投手]]だった兄と兄弟バッテリーを組んだ<ref name="週刊ベースボール2009年6月1日号">「現役の皆さんに聞きました キャッチャーの魅力を教えてください」 『[[週刊ベースボール]]』2009年6月1日号、[[ベースボール・マガジン社]]、2009年、[[雑誌コード|雑誌]]20441-6/1、20-21頁。</ref>。甲子園への出場はなかったが、2年春に同校最高成績となる県大会ベスト4に進出するなどチームを牽引した<ref name="3巡目日刊" />。


高校卒後はプロ野球選手を目指して[[SUBARU硬式野球部|富士重工業]]に進んだ。1年目は原因不明の左膝痛に悩まされ、後に腰痛も併発し、公式戦に1試合も出場しないまま2年目の12月に退社した。目標を失い、[[造園業]]を営む実家を受け継ぐことも考えたが、野球への情熱を捨てられず1年間の浪人を経て22歳の時に一般試験で地元の[[白大学]]に合格した<ref name="3巡目日刊" />。
高校卒後はプロ野球選手を目指して[[SUBARU硬式野球部|富士重工業]]に進んだ。1年目は原因不明の左膝痛に悩まされ、後に腰痛も併発し、公式戦に1試合も出場しないまま2年目の12月に退社した。目標を失い、[[造園業]]を営む実家を受け継ぐことも考えたが、野球への情熱を捨てられず1年間の浪人を経て22歳の時に一般試験で地元の[[白大学]]に合格した<ref name="3巡目日刊" />。


白鴎大学の1年目は規定により1年間公式戦へ出場できなかったが、2年春から主将を務め、3年時には[[全日本大学野球選手権大会]]に出場した。3年間で[[関甲新学生野球連盟|関甲新リーグ]]新記録となる16本塁打、82打点を記録<ref name="指名">[https://web.archive.org/web/20070102015619/http://kyusyu.nikkansports.com/baseball/professional/hawks/p-kh-tp0-20061122-120049.html ソフトB3巡目高谷がプロの自覚] 2006年11月22日 日刊スポーツ</ref>、ベストナインも4度受賞するなどリーグ屈指の選手に成長した<ref name="3巡目日刊" />。
白鴎大学の1年目は規定により1年間公式戦へ出場できなかったが、2年春から主将を務め、3年時には[[全日本大学野球選手権大会]]に出場した。3年間で[[関甲新学生野球連盟|関甲新リーグ]]新記録となる16本塁打、82打点を記録<ref name="指名">[https://web.archive.org/web/20070102015619/http://kyusyu.nikkansports.com/baseball/professional/hawks/p-kh-tp0-20061122-120049.html ソフトB3巡目高谷がプロの自覚] 2006年11月22日 日刊スポーツ</ref>、ベストナインも4度受賞するなどリーグ屈指の選手に成長した<ref name="3巡目日刊" />。

2020年7月24日 (金) 07:49時点における版

高谷 裕亮
福岡ソフトバンクホークス #12
2012年7月16日 福岡Yahoo!JAPANドーム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県小山市
生年月日 (1981-11-13) 1981年11月13日(42歳)
身長
体重
179 cm
89 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 捕手
プロ入り 2006年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場 2007年4月18日
年俸 3,400万円(2020年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

高谷 裕亮(たかや ひろあき、1981年11月13日 - )は、栃木県小山市出身のプロ野球選手捕手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。

経歴

プロ入り前

小山市立大谷東小学校では2年生時に1歳上の兄とともに雨ケ谷学童に所属して軟式野球を始め、三塁手だった[2]。小山市立大谷中学校でも軟式野球部に所属し三塁を守った[2]

小山北桜高校へ進学すると強肩を買われて捕手に転向した[2]投手だった兄と兄弟バッテリーを組んだ[3]。甲子園への出場はなかったが、2年春に同校最高成績となる県大会ベスト4に進出するなどチームを牽引した[2]

高校卒後はプロ野球選手を目指して富士重工業に進んだ。1年目は原因不明の左膝痛に悩まされ、後に腰痛も併発し、公式戦に1試合も出場しないまま2年目の12月に退社した。目標を失い、造園業を営む実家を受け継ぐことも考えたが、野球への情熱を捨てられず1年間の浪人を経て22歳の時に一般試験で地元の白鷗大学に合格した[2]

白鴎大学の1年目は規定により1年間公式戦へ出場できなかったが、2年春から主将を務め、3年時には全日本大学野球選手権大会に出場した。3年間で関甲新リーグ新記録となる16本塁打、82打点を記録[4]、ベストナインも4度受賞するなどリーグ屈指の選手に成長した[2]

2006年11月21日の大学生・社会人ドラフトで3巡指名を受け福岡ソフトバンクホークスへ入団した[4]背番号12に決まった[5]

プロ入り後

2007年、二軍で関西遠征中だったが、一軍で右手首を痛めた大野隆治に代わり急遽昇格が決定し[6]、4月12日に初めて一軍出場選手登録され、4月17日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で5回から代打でプロ初出場し、初打席は永井怜の前にショートライナーに倒れた。7回にはホセ・フェルナンデスの二盗を刺し、8回第2打席には四球から出塁し、永井の暴投の間に三塁まで進塁、本多雄一のタイムリーヒットで生還してプロ初得点も記録した[7][8]。4月19日に二軍へ降格し、6月5日に一軍へ昇格した。6月23日のセ・パ交流戦、対中日ドラゴンズ戦で5回に代打で起用され、川上憲伸の3球目を叩きつけ二塁への内野安打でプロ初安打を記録した[9]。翌6月24日の同カードで8番捕手としてプロ初の先発出場を果たした。6回3打席目無死二三塁の場面で久本祐一の初球を捉えてダメ押しとなるライトオーバー2点タイムリーツーベースを放ち、これがプロ初打点となった[10]。守っては先発の和田毅らをリードし9回2失点に抑え、攻撃では4打席で3出塁の活躍だった。続く6月29日の対千葉ロッテマリーンズ戦でも2試合目の先発出場ながら内外を使い分けるリードで杉内俊哉を完封に導き[11]柴原洋サヨナラ本塁打を呼んだ[12]。以後5試合先発したが5試合で0勝3敗、打率.136と調子を崩して控えとなり、8月6日に二軍へ降格し、そのままシーズンを終えた。捕手難というチーム事情もあり正捕手として期待されたが[13]、1年目の出場は12試合にとどまり、先発出場7試合、フル出場した3試合では2勝1敗、1完封勝利だった。二軍では31試合に出場し打率.253、出塁率.352を残し、75打数ながら3本塁打だった。

2008年的山哲也が右膝を痛めたのをきっかけに7月5日に一軍に昇格し、7月8日から先発出場を続けて後半戦の正捕手として定着した。7月15日の埼玉西武ライオンズ戦で先発出場し、2回に石井一久から勝ち越しタイムリー打で本拠地福岡 Yahoo! JAPANドーム初安打・初打点を記録し、3回にも山岸穣からタイムリー打、5回には山岸から再び安打でプロ入り初猛打賞を記録するなど活躍し[14]、プロ入り初のヒーローインタビューを受けた[15]。7月16日の同カードでは5回に涌井秀章からプロ初本塁打となる先制ソロ本塁打を放ち、8回4点ビハインド二死一二塁の守備では打球をベンチに飛び込みながら捕球してピンチを救い、延長12回同点二死一二塁では小野寺力の149km/hの直球をライト前に弾き返し、プロ初となるサヨナラ打で連夜のヒーローとなった [16][17][18]。8月2日に山形県野球場で行われたフレッシュオールスターゲームに8番捕手として先発出場したが、守っては5回8失点、打っては3打数無安打と活躍できず、6回裏の守備から交代となった[19]。8月20日の対西武戦で先発出場した際に新垣渚がプロ野球記録5暴投を更新、日本ワーストタイの1イニング3暴投を記録させてしまい[20][21][22]、それが失点に繋がりチームは敗戦した。9月2日から先発出場した試合でチームが8連敗、9月17日の1勝を挟んで、9月18日からの先発マスクでもさらに6連敗し、チームの最下位の一因となった。自身が先発マスクを被る前のチームは借金1だったが、正捕手定着したシーズン終了時は借金13としてしまった。前年2桁勝利した杉内俊哉、和田毅と組んだ18試合ではチームを6勝9敗と負け越しさせた。捕手陣では最多となる62試合に出場し、56試合に先発出場、フル出場した40試合は18勝20敗2分、2完封勝利だった。規定試合数未満ながら盗塁阻止率.344を記録したが[23]、一方で自己最多の215打席に立ったが打率は1割台に終わるなど課題も残した。

2009年、初の開幕マスクを任され、オリックス・バファローズ相手に和田毅を完封勝利に導いた[24]。4月は正捕手としてほぼ先発出場していたがチームの月末の借金は3と負け越し、5月2日の対ロッテ戦でフル出場して9イニング9失点したのを最後に控えとなり、以後守備でわずか3試合と出場機会が得られず7月6日に二軍へ降格し、10月11日に再昇格したが出場機会は無かった。なお5月以降は4月までに2本塁打・11打点を挙げていた田上秀則が5月から正捕手に定着した。最終的に先発出場は21試合で、フル出場した13試合では5勝8敗、2完封勝利だった。クライマックスシリーズファーストステージは2試合ベンチ入りしたが出場機会は無かった。

2010年、第1捕手山崎勝己、第2捕手田上という併用により、同年は主に守備要員として起用された。4月21日に一軍へ昇格し、控えとして出場を続けた。8月8日に1度だけ先発マスクの機会を得たが、序盤に3点の援護を貰いながら本塁打を浴びるなど逆転を許し、5回終了後に小椋真介とバッテリーごと交代させられた[25]。8月22日の出場を最後に、8月23日に二軍へ降格され、9月18日に再昇格したものの出場機会無くシーズンを終えた。クライマックスシリーズファイナルステージは全6試合中5試合にベンチ入りしたが出場機会は無かった。

2011年、西武からFAで移籍した細川亨が加わりさらに出場数が減少した。4月19日に昇格したが出番が無く、5月5日に二軍へ降格した。細川の左膝負傷により7月6日に再昇格すると[26]、7月15日の対ロッテ戦で唯一先発出場したが、初回に1点援護を得た後に、山田大樹が本塁打などで逆転を許し、4回に代打を送られ交代させられた[27]。細川復帰により7月28日に二軍へ降格したが、8月27日に再び細川のふくらはぎ負傷により再昇格した[28]。以降控え捕手として10試合出場して一軍でレギュラーシーズンを終えた。

クライマックスシリーズファイナルステージ、日本シリーズでは全試合にベンチ入りしたが出場機会は無かった。アジアシリーズでは11月27日の予選リーグ第3戦・対パース・ヒート戦で8回に代打から出場してそのまま守備につき、2イニングを無失点に抑えた[29]

2012年、開幕から抹消されること無く一軍でシーズンを終え、自己最多の64試合に出場した。開幕から控えで起用されていたが、4月14日の対ロッテ戦で岩嵜翔と組み先発出場を果たすと、初回に先制され、味方の援護より前にさらに失点して敗戦し、6月中旬まで再び控え起用が続いた。精彩を欠いていた細川亨が6月下旬に二軍再調整となると、山崎勝己との競争に勝ち、7月から正捕手として先発出場が増え、7月6日からは19試合連続でスタメンマスクを被った。7月4日の対西武戦では4年ぶりに猛打賞を記録した[30]。7月15日の対ロッテ戦では大谷智久から先制の犠牲フライを放ち、大隣憲司を2安打1四球1死球の完封勝利に導いた[31]。8月24日の対ロッテ戦では、6回の打席でそれまで無失点と好投していた成瀬善久から二塁打を放ち出塁し、続く本多雄一がバントの構えからバットを引いたが高谷はアンツーカーを越えるほど大きく飛び出しており、本来なら慌てて帰塁する場面で三盗を選択して里崎智也が二塁へ送球する間に成功、その後動揺した成瀬からソフトバンク打線は一挙5得点した[32]。しかし「ミスはミス」と秋山幸二監督の評価は厳しかった[33]。また、この三盗が2014年シーズン終了時点で自身唯一の盗塁成功となっている。7月中旬以降は、各先発投手が敗戦を機に復帰した細川亨へ鞍替えしていき、8月下旬には再び正捕手を奪われた。レギュラーシーズンは最終的に34試合に先発出場し、フル出場した12試合では6勝6敗、1完封勝利だった。先発投手では新人の武田翔太と組み7試合で4勝1敗[34]、大隣と9試合で7勝1敗(7連勝)だった。一方、前年に2桁勝利した攝津正とは6試合で2勝2敗と相性が悪かった。代打ではチーム3位タイの11打席に立ったが9打数1安打で打率.111、出塁率.200と期待には応えられなかった。

クライマックスシリーズファーストステージは10月14日第2戦に5回8点ビハインドの場面で代打から守備に入り、以後4イニングを無失点に抑えたがそのまま敗戦した。ファイナルステージでは10月17日第1戦の8回1点ビハインドから守備に入り1イニングを無失点に抑えた。10月18日第2戦では8回3点ビハインドから代打で出場して1イニングを無失点に抑えた。10月19日第3戦では8回2点ビハインドから守備に入り1イニングを無失点に抑えた。ポストシーズンの打撃は3打数無安打1死球だった。

2013年、開幕を一軍で迎えた。3月31日に開幕3戦目の対楽天戦で前年好相性の武田翔太とともに先発起用されたが、5イニングで6失点を喫して5回に代打を出され[35]、以後はほぼ控え起用となった。4月23日大隣憲司の先発日にマスクを被ったが初回に2点先制され、ブライアン・ラヘアのスリーランホームランで逆転後に代打を出されて交代したが辛勝した[36]。打率.133と不調で4月26日に再調整で二軍へ降格し、5月8日に再昇格した[37]。しかし打率.105とさらに打率を下げ、5月24日に再び二軍へ降格した。7月9日に一軍へ復帰も結果は出せず[38]、打率.091で7月20日に再び降格した。9月14日に一軍へ復帰し、クライマックスシリーズ進出が途絶えて消化試合となった10月5日のシーズン最終戦でフル出場し、同年最下位の日本ハム打線を9イニング無失点と抑えて新人投手東浜巨を初の完封勝利に導いた[39]。最終的に先発出場は3試合、フル出場は1試合で1勝0敗1完封勝利だった。代打では9打席9打数1安打で打率・出塁率ともに.111と2年連続秋山監督の期待には応えられなかった。持ち味だった打撃は打率.077と不振に終わり、出場数も前年の約3分の1という結果から[40]、日本ハムから新たに鶴岡慎也をFA補強されてしまった[41]

2014年、4月4日に一軍に昇格、5月5日に一旦二軍降格となり、5月17日に再昇格後はシーズン終了まで一軍に滞在した。しかし完全に控え起用となり、先発出場0、さらにシーズン無安打、出塁0、打点0に終わった。

クライマックスシリーズファイナルステージは10月17日第3戦で9回7点ビハインドから守備に入り、1イニングを3者凡退に抑えた。日本シリーズは全5試合にベンチ入りしたが出場機会は無かった。

2015年、開幕はインフルエンザにより出遅れたが、復帰後は故障離脱した細川、鶴岡に変わりスタメンマスクで出場しチームの捕手最多そして自己最多の93試合に出場したほか、自身7年ぶりのソロ本塁打(5月31日 対東京ヤクルトスワローズ戦)も飛び出すなど、チームのリーグ制覇・日本一に貢献した。

2016年、開幕1軍登録され[42]、3月26日の開幕第2戦、対楽天戦で今季初出場。4月9日に鹿児島県立鴨池野球場で行われた対オリックス戦において、プロ通算4本目となる3ランホームランを[43]、4月19日の対ロッテ戦で2号ソロホームランを放つなど、正捕手として活躍するが[44] 、左膝の違和感を訴え、6月19日に一軍出場選手登録から外れる[45]。7月6日に鏡視下左膝内側半月板切除手術を受け、復帰まで2か月を要すると発表された[46]。 9月10日の対西武戦において一軍復帰を果たしたが、前述の怪我での離脱もあり、今シーズンは37試合の出場にとどまった。

シーズンオフの12月9日、ヤフオクドーム内の球団事務所で契約更改交渉を行い、現状維持の3,400万円(金額は推定)、年俸固定の2年契約を結んだ[47]

2017年、宮崎春季キャンプでは、若手捕手抜擢の為にB組スタートだったが、開幕一軍登録を果たす[48]。3月31日の開幕戦、対ロッテ戦を開幕スタメンマスクで迎える[49]。今季は主に和田毅、リック・バンデンハーク、武田翔太、中田賢一などの主力・ベテラン先発投手陣とバッテリーを組み、開幕から正捕手として活躍していたが、6月10日のセ・パ交流戦、対阪神タイガース戦において、打者・俊介のファウルチップが右手中指に当たり、その後の検査で「右手第3指末節骨骨折」と診断され離脱を余儀なくされた[50]。7月9日の対日本ハム戦で復帰したが、7月18日の対西武戦において3度、同月22日の対ロッテ戦で1度と、ファウルチップをマスクで受けた衝撃から、脳震盪の疑いを持たれ、7月24日に昨季導入された脳震盪特例措置により出場選手登録を抹消された[51]。8月2日の対オリックス戦で復帰し、犠牲フライで貴重な追加点を挙げ活躍する[52]。復帰後は再び正捕手の座を守り、一昨年に並ぶ92試合に出場。9月1日の対楽天戦でジャフェット・アマダーが起こした乱闘騒ぎでは、ベンチから飛び出し、後ろからアマダーを羽交い締めにして登板していた東浜の身を守る献身的な姿をみせるなど[53]、チームの2年振りのリーグ優勝に貢献した。9月16日のリーグ優勝決定戦では、8回からマスクを被り、岩嵜翔、デニス・サファテをリードして優勝を決め涙した[54]

ポストシーズンも和田、バンデンハーク、武田の先発登板を担当。楽天とのクライマックスシリーズファイナルステージでは、第3戦から第5戦までスタメンマスクで出場し、打撃でも第3戦ではタイムリー内野安打、第5戦ではレフト前タイムリーを放ち、日本シリーズに進出する。横浜DeNAベイスターズとの日本シリーズ第3戦では、1回裏に2014年の細川亨以来の日本シリーズ記録となる1イニング2度の盗塁阻止。打っては4回表にセンター前の2点タイムリーヒットと活躍した[55]。第6戦では、クローザー、デニス・サファテの異例の3イニングの登板を無失点でリードし、チームの2年振りの日本一奪還に貢献した[56]

2018年、宮崎春季キャンプ中に打撃練習で右肘を痛め、2月27日に右肘のクリーニング手術を受け離脱を余儀なくされる[57][58]。当初、復帰まで3ヶ月を要すると見られていたが、4月17日の対東北楽天戦で復帰を果たす[59]。5月13日の武田翔太の完封勝利をアシストするなど[60]、30試合に出場していたが、6月27日に1軍選手登録を抹消される[61]。7月8日に復帰したが[62]、上記の怪我の影響もあり、出場試合は73試合と減少した。

ポストシーズンでは、先発マスクの甲斐拓也の後を受けてマスクを被り[63]、10月30日に行われた広島東洋カープとの日本シリーズ第3戦では、日本シリーズでの自身初本塁打を記録する[64]

シーズンオフの12月18日、ヤフオクドーム内の球団事務所で契約更改交渉を行い、現状維持の3,400万円(金額は推定)で契約更改した[65]

2019年は、主に正捕手となった甲斐拓也をサポートする形で、リリーフ投手とともに試合終盤に出場してゲームを締め括る「抑え捕手」としての役割を担う[66]。また、先発出場し、8月14日の武田翔太の先発勝利や[67]、9月4日のアリエル・ミランダの7勝目をアシストした[68]

ポストシーズンでは、埼玉西武とのクライマックスシリーズファイナルステージ第3戦において、ファールフライを追った際にベンチ付近の鉄製の棚に衝突し、右顎下から出血して6針縫う怪我を負うが、翌日には復帰した[69]読売ジャイアンツとの日本シリーズにおいても、第2戦から第4戦まで抑え捕手としての役割を果たし、チームの日本シリーズ3連覇に貢献する[70]

プレースタイル

プロ入り前は遠投110メートル[4]、捕球から二塁送球のタイムが1.8秒というプロのトップクラスとも遜色無い強肩や、2006年9月9日時点では大学のリーグ戦で捕逸が1度も無いなど安定した捕球術を評価されていた[13]

人物

  • シーズンオフに外国人選手が帰国する際には、福岡空港まで見送りに行ことが恒例となっており、信頼も厚い。[71][72][73]
  • ジュリスベル・グラシアルが本塁打を放った際には、シャドーボクシングで高谷をKOするパフォーマンスが行われる[74]。高谷が本塁打を放った際にはグラシアルがKOされる攻守交代となった[75]
  • 2018年シーズン終盤の記事によると、特技はプロ野球選手の物真似。捕手であり選手を見て特徴を掴む癖があるのか物真似が上手くなり、プロ入り前も度々行っていた。オフシーズンのファンイベントでは催促されることがある。一番上手くできるのは塚田正義[76]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2007 ソフトバンク 12 30 23 2 3 2 0 0 5 4 0 0 2 0 5 1 0 15 0 .130 .286 .217 .503
2008 62 215 189 17 34 4 0 2 44 13 0 0 8 1 16 0 1 57 2 .180 .246 .233 .479
2009 25 72 62 2 13 1 0 0 14 5 0 0 2 0 7 0 1 18 2 .210 .300 .226 .526
2010 23 22 18 1 2 1 0 0 3 1 0 0 1 0 3 0 0 6 1 .111 .238 .167 .405
2011 12 3 3 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .667 .667 .667 1.333
2012 64 144 133 8 28 8 0 0 36 10 1 1 3 1 7 0 0 25 2 .211 .248 .271 .519
2013 22 28 26 1 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 2 0 0 9 1 .077 .143 .077 .220
2014 20 5 5 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2015 93 192 171 14 30 6 1 1 41 16 0 1 8 0 13 0 0 31 2 .175 .234 .240 .473
2016 37 103 81 12 20 0 0 2 26 16 0 0 10 1 10 0 1 12 4 .247 .333 .321 .654
2017 92 195 175 9 36 4 0 1 43 20 0 1 5 2 12 0 1 30 1 .206 .258 .246 .504
2018 73 57 52 5 9 1 0 1 13 4 0 0 3 0 1 0 1 11 1 .173 .204 .250 .454
2019 55 42 30 2 5 0 0 1 8 1 0 0 7 0 5 0 0 15 0 .167 .286 .267 .552
通算:13年 590 1108 968 74 184 27 1 8 237 91 1 3 49 5 81 1 5 230 16 .190 .255 .245 .500
  • 2019年度シーズン終了時

年度別守備成績



捕手






















2007 ソフトバンク 11 65 2 1 0 1 .993 6 5 1 .167
2008 62 421 48 1 5 5 .998 64 42 22 .344
2009 25 182 13 3 3 1 .985 14 9 5 .357
2010 22 59 3 0 1 0 1.000 4 2 2 .500
2011 12 17 1 0 0 0 1.000 4 4 0 .000
2012 61 267 24 3 3 3 .990 39 27 12 .308
2013 20 59 10 1 4 0 .986 12 6 6 .500
2014 17 19 6 0 0 0 1.000 4 2 2 .500
2015 93 513 58 4 3 5 .993 64 37 27 .422
2016 37 229 23 1 3 1 .996 27 21 6 .222
2017 92 521 42 1 3 2 .998 62 50 12 .194
2018 73 191 10 0 1 0 1.000 13 8 5 .385
2019 55 152 11 0 1 0 1.000 9 7 2 .222
通算 580 2695 251 15 27 18 .995 322 220 102 .317
  • 2019年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

背番号

  • 12 (2007年 - )

登場曲

[77]

脚注

注釈

出典

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関連項目

外部リンク