「2000年の野球」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし |
|||
244行目: | 244行目: | ||
=== 11月 === |
=== 11月 === |
||
* [[11月2日]] - ダイエーに[[ペドロ・バルデス]]が入団<ref name="oh32" />。 |
* [[11月2日]] - ダイエーに[[ペドロ・バルデス]]が入団<ref name="oh32" />。 |
||
* [[11月13日]] - ダイエーの[[ |
* [[11月13日]] - ダイエーの[[湯上谷竑志]]が現役引退の会見を行う{{Sfn|村瀬秀信|2010|p=218}}。 |
||
* [[11月19日]] - MLB[[シアトル・マリナーズ]]がNPBオリックス・ブルーウェーブのイチローのポスティング・システムでの交渉権を1312万5000ドル(日本円で約14億円)で落札<ref name="sp07115">{{Cite web |date = 2007-11-05 |url = http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_november/KFullNormal20071105179.html |title = 【11月9日】2000年(平12) イチローに14億円入札 マリナーズ「どうしても欲しい」 |work = 日めくりプロ野球 |publisher = スポーツニッポン |accessdate = 2016-01-09 }}</ref>。 |
* [[11月19日]] - MLB[[シアトル・マリナーズ]]がNPBオリックス・ブルーウェーブのイチローのポスティング・システムでの交渉権を1312万5000ドル(日本円で約14億円)で落札<ref name="sp07115">{{Cite web |date = 2007-11-05 |url = http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_november/KFullNormal20071105179.html |title = 【11月9日】2000年(平12) イチローに14億円入札 マリナーズ「どうしても欲しい」 |work = 日めくりプロ野球 |publisher = スポーツニッポン |accessdate = 2016-01-09 }}</ref>。 |
||
* [[11月20日]] - ダイエーに[[トニー・ミッチェル]]が入団<ref name="oh32" />。 |
* [[11月20日]] - ダイエーに[[トニー・ミッチェル]]が入団<ref name="oh32" />。 |
2020年7月14日 (火) 20:12時点における版
2000年 こちらもご覧下さい |
---|
各年のスポーツ |
1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 |
競輪 |
1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 |
サッカー |
1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 |
自転車競技 |
1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 |
相撲 |
1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 |
日本競馬 |
1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 |
バスケットボール |
1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 |
バレーボール |
1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 |
野球 |
1998年 1999年 2000年 2001年 2002年 |
■ヘルプ |
2000年の野球(2000ねんのやきゅう)では、2000年の野球界における動向をまとめる。
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
|
|
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月21日(土) | 第1戦 | 福岡ダイエーホークス | 5 - 3 | 読売ジャイアンツ | 東京ドーム |
10月22日(日) | 第2戦 | 福岡ダイエーホークス | 8 - 3 | 読売ジャイアンツ | |
10月23日(月) | 第3戦 | 読売ジャイアンツ | 9 - 3 | 福岡ダイエーホークス | 福岡ドーム |
10月24日(火) | 別イベント開催のため中断 | ||||
10月25日(水) | |||||
10月26日(木) | 第4戦 | 読売ジャイアンツ | 2 - 1 | 福岡ダイエーホークス | 福岡ドーム |
10月27日(金) | 第5戦 | 読売ジャイアンツ | 6 - 0 | 福岡ダイエーホークス | |
10月28日(土) | 第6戦 | 福岡ダイエーホークス | 3 - 9 | 読売ジャイアンツ | 東京ドーム |
優勝:読売ジャイアンツ(6年ぶり19回目) |
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 松井秀喜 | 巨人 | 松中信彦 | ダイエー | ||
最優秀新人 | 金城龍彦 | 横浜 | 該当者無し | |||
首位打者 | 金城龍彦 | 横浜 | .346 | イチロー | オリックス | .387 |
本塁打王 | 松井秀喜 | 巨人 | 42本 | 中村紀洋 | 近鉄 | 39本 |
打点王 | 松井秀喜 | 巨人 | 108点 | 中村紀洋 | 近鉄 | 110点 |
最多安打 | R.ローズ | 横浜 | 168本 | 小笠原道大 | 日本ハム | 182本 |
盗塁王 | 石井琢朗 | 横浜 | 35個 | 小坂誠 | ロッテ | 33個 |
最高出塁率 | 松井秀喜 | 巨人 | .438 | イチロー | オリックス | .460 |
最優秀防御率 | 石井一久 | ヤクルト | 2.61 | 戎信行 | オリックス | 3.27 |
最多勝利 | M.バンチ | 中日 | 14勝 | 松坂大輔 | 西武 | 14勝 |
最多奪三振 | 石井一久 | ヤクルト | 210個 | 松坂大輔 | 西武 | 144個 |
最高勝率 | 工藤公康 | 巨人 | .706 | 小野晋吾 | ロッテ | .722 |
最優秀救援投手 | E.ギャラード | 中日 | 36SP | R.ペドラザ | ダイエー | 38SP |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 工藤公康 | 巨人 | 松坂大輔 | 西武 |
捕手 | 古田敦也 | ヤクルト | 城島健司 | ダイエー |
一塁手 | R.ペタジーニ | ヤクルト | 松中信彦 | ダイエー |
二塁手 | R.ローズ | 横浜 | 大島公一 | オリックス |
三塁手 | 江藤智 | 巨人 | 中村紀洋 | 近鉄 |
遊撃手 | 石井琢朗 | 横浜 | 松井稼頭央 | 西武 |
外野手 | 松井秀喜 | 巨人 | イチロー | オリックス |
金本知憲 | 広島 | 柴原洋 | ダイエー | |
新庄剛志 | 阪神 | S.オバンドー | 日本ハム | |
指名打者 | N.ウィルソン | 日本ハム |
アマチュア野球
- 第71回都市対抗野球大会優勝 : 川崎市(三菱自動車川崎)
- 第27回社会人野球日本選手権大会優勝 : 松下電器
- 第49回全日本大学野球選手権大会優勝 : 亜細亜大学
- 第31回明治神宮野球大会
- 第72回選抜高等学校野球大会優勝 : 東海大相模(神奈川県)
- 第82回全国高等学校野球選手権大会優勝 : 智辯学園和歌山高等学校(和歌山県)
メジャーリーグ
→詳細は「2000年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ優勝:ニューヨーク・ヤンキース
- アメリカンリーグ優勝:ニューヨーク・ヤンキース
- ナショナルリーグ優勝:ニューヨーク・メッツ
国際大会
シドニーオリンピック
→詳細は「2000年シドニーオリンピックの野球競技」を参照
順位 | 国・地域 |
---|---|
1 | アメリカ合衆国 |
2 | キューバ |
3 | 韓国 |
4 | 日本 |
5 | オランダ |
6 | イタリア |
7 | オーストラリア |
8 | 南アフリカ |
できごと
この節の加筆が望まれています。 |
1月
- 1月4日 - 前年に日本ハムファイターズを戦力外となった古溝克之が現役引退を表明[1]。
2月
- 2月29日 - 大阪近鉄バファローズのキャンプにテスト生で参加していた、前阪神タイガースの山村宏樹がテストに合格し、正式に入団[2]。
3月
- 3月3日 - オリックス・ブルーウェーブは二軍チームの名称を「サーパス神戸」とすると発表[3]。
- 3月26日 - 川崎球場での最後のプロ野球の試合となった千葉ロッテマリーンズと横浜ベイスターズのオープン戦は10本塁打のロッテが22-6で勝利[4]。
- 3月31日 - セントラル・リーグ公式戦が開幕[5]。
4月
- 4月1日 - 西武ライオンズが開幕戦の対日本ハム戦(西武ドーム)で延長10回裏に鈴木健のサヨナラ安打で6対5で勝利。前年の対ダイエー戦に続く2年連続開幕戦でのサヨナラ勝利はパ・リーグ史上初[6]。
- 4月7日
- 中日ドラゴンズのメルビン・バンチが、対横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)で日本プロ野球史上68人目(79度目)のノーヒットノーランを達成[7]。
- ヒューストン・アストロズの新本拠地ミニッツメイド・パークが開場。
- 4月8日 - 阪神の大豊泰昭が、対広島東洋カープ戦(広島市民球場)で史上39人目の250号本塁打と史上199人目の1000本安打を達成。
- 4月9日 - ウエスタン・リーグで阪神がリーグ新記録の開幕8連勝(最終的に1分を挟んで10試合連続勝利)[8]。
- 4月11日
- デトロイト・タイガースの新本拠地コメリカ・パークが開場。
- サンフランシスコ・ジャイアンツの新本拠地SBCパークが完成
- 4月14日 - 阪神が対中日戦に勝利し(甲子園)、監督の野村克也が監督通算1200勝、日本プロ野球史上史上8人目[8]。
- 4月30日 - 横浜の駒田徳広が横浜スタジアムでの対広島6回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成[9][10]。
5月
- 5月2日 - 横浜の進藤達哉がナゴヤドームでの対中日6回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[11]。
- 5月6日 - ナゴヤドームでの中日対横浜7回戦の七回裏、中日の立浪和義が見逃し三振の判定に不服として主審の橘高淳に手をついて抗議して橘高から退場処分を宣告される。さらに監督の星野仙一と大西崇之が審判に体当たりして退場処分。同一チームで1試合3人が退場処分となったのは1980年の南海ホークス以来20年ぶり[12][5]。
- 5月7日
- 5月9日
- 5月14日 - 日本ハムの田中幸雄が東京ドームでの対近鉄8回戦の六回裏に二塁打を打ち、プロ通算300二塁打を達成[19]。
- 5月25日 - 横浜の森中聖雄が東京ドームでの対巨人9回戦、0対0と同点の九回裏二死から救援登板して高橋由伸を一球で一塁ゴロに打ち取り、チームが延長十回表1点勝ち越し、十回裏は福盛和男と交代したため、セ・パ両リーグ10人目、セ・リーグ史上7人目の1球での勝利投手となった[20]。
- 5月26日 - 近鉄の中村紀洋が大阪ドームでの対日本ハム9回戦の一回裏に12号2点本塁打を打ち、プロ通算150号本塁打を達成[21]。
- 5月28日 - 中日のレオ・ゴメスが東京ドームでの対巨人8回戦の八回表に7号2点本塁打を打ち、日本プロ野球通算100号本塁打を達成[22]。
- 5月30日 - 日本ハムの田中幸雄が東京ドームでの対ダイエー10回戦の三回裏に三振を喫し、プロ通算1000三振を記録[23]。
- 5月31日 - 日本ハムの片岡篤史が東京ドームでの対ダイエー11回戦に先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[24]。
6月
- 6月1日
- 6月3日 - 大阪ドームでの近鉄対オリックス9回戦で近鉄が、三回裏に無死からプロ野球タイ記録の6連続四死球。オリックスのテリー・ブロウズがプロ野球ワースト記録の1試合4押出し死球[27]。オリックスの野手の五十嵐章人が八回裏無死三塁の場面で投手として登板し、史上2人目の全ポジションを守る[28]。
- 6月7日
- 6月8日 - セ・リーグ会長の高原須美子は、巨人のダリル・メイに対し7日の対阪神11回戦で打席を外した阪神の和田豊に対し背中へ投球した事について「著しく品位を欠いた投球を行った」として出場停止10日間と制裁金50万円を科したと発表[31][5]。
- 6月9日 - オリックスはデトロイト・タイガース傘下の3Aトリード所属の木田優夫と正式に契約を結んだと発表[32]。
- 6月16日 - 広島の佐々岡真司が横浜スタジアムでの対横浜11回戦に先発して今季9勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[33]。
- 6月20日 - 近鉄のナルシソ・エルビラが大阪ドームでの対西武9回戦に先発し、日本プロ野球史上69人目のノーヒットノーランを達成[34][7]。
- 6月22日 - 日本ハムの小笠原道大が6月6日からこの日まで球団新記録の13試合連続得点[35]
- 6月28日
- オリックスの新外国人選手のジョナサン・ナナリーが大阪ドームでの対近鉄12回戦の一回表に1号2点本塁打。プロ野球史上41人目、外国人選手では16人目の初打席初本塁打。カンザスシティ・ロイヤルズ在籍時の1995年にメジャー・リーグ初出場の試合でも初打席で本塁打を記録している[36]。
7月
- 7月1日 - 日本ハムの野口寿浩が東京ドームでの対西武13回戦でプロ野球タイ記録の1試合3併殺打[37]。
- 7月2日 - ロッテの小林雅英が函館での対オリックス14回戦の八回裏、3-4とリードされた二死一塁の場面で救援登板。小川博文への2球目が暴投となったが一塁走者のイチローが三塁でアウトとなり攻守交代。ロッテが九回表5-4と逆転。ロッテは九回裏からブライアン・ウォーレンが登板してセーブを挙げロッテが5-4で勝利。小林は史上初めて対戦打者なしで勝利投手となる[38][39]。
- 7月4日 - ダイエーの小久保裕紀が6月20日からこの日まで球団新記録の10試合連続打点[40]。
- 7月5日 - ヤクルトの石井一久が神宮球場での対巨人13回戦の六回表にダリル・メイを三振に打ち取り、プロ通算1000奪三振を達成。913試合での達成は元近鉄の野茂英雄に次いでプロ野球史上2番目の早さ[41][42]。
- 7月6日 - ダイエーの浜名千広が日本プロ野球通算1000試合出場[18]。
- 7月11日
- 7月12日 - 巨人の松井秀喜が札幌円山球場での対広島16回戦の四回裏に右翼線への二塁打を打ち、プロ通算1000本安打を達成[45]。
- 7月16日
- 7月17日 - 日本プロ野球実行委員会が日本野球機構事務局で開かれ、2001年の公式戦を140試合制でおこなうことで合意[48][3]。
- 7月20日 -ヤクルトの球団社長の田口周は神宮球場にて記者会見し、シドニー五輪の野球の日本代表チームに古田敦也を派遣しないとアマチュア側に正式に伝達したと発表[49]。
- 7月22日
- 7月23日 - オールスターゲーム第2戦がグリーンスタジアム神戸で行われ、セ・リーグが12-4で勝利。オリックスのイチローがオールスター史上初の通算2度目の1試合4安打と、オールスター新記録の10試合連続安打[52]。
- 7月28日 - ダイエーの秋山幸二がグリーンスタジアム神戸での対オリックス14回戦の六回表に二塁打を打ち、プロ通算350二塁打を達成[53]。
8月
- 8月7日 - 西武の松坂大輔がグリーンスタジアム神戸での対オリックス19回戦の九回表二死満塁の場面で代打で打席に入り、2点適時打を打つ。パ・リーグで投手が打席に立ったのは2年ぶり、安打を記録したのは9年ぶり、代打で打席に立ったのは25年ぶり[54]。
- 8月11日 - 西武の許銘傑が西武ドームでの対ロッテ20回戦に先発し、打者27人で2対0で完封。二回表、先頭打者のフランク・ボーリックに四球を与えたが次打者の福浦和也を併殺。四回、六回の安打をそれぞれ盗塁刺、併殺に打ち取ったため[55]。
- 8月12日 - 元大洋の秋山登が午前0時20分、呼吸不全のため横浜市内の病院にて死去[56]。
- 8月17日 - 巨人の工藤公康が東京ドームでの対阪神22回戦に登板し、プロ通算2500投球回を達成[57]。
- 8月18日 - 福岡ダイエーホークスの秋山幸二が北九州市民球場での対ロッテ19回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成。五回裏に左前安打を打ち、プロ通算2000本安打を達成。ドラフト制導入以降のドラフト外入団選手では史上初[58]。
- 8月21日 - 全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が行われ、和歌山県の智弁和歌山が千葉県の東海大浦安に11-6で勝利し、3年ぶり2回目の優勝達成。
- 8月26日 - 近鉄の鷹野史寿が8月22日の対ロッテ戦の第2打席からこの日の対西武戦の第2打席まで、球団タイ記録8打数連続安打と、球団新記録の5四死球を含む13打席連続出塁を記録[59][60]。
- 8月29日 - 西武ドームでの西武対オリックス20回戦は延長12回9-9の引き分けに終わり、試合時間はパ・リーグ史上最長の5時間32分[61]。
9月
- 9月3日 - 阪神のトニー・タラスコが甲子園球場での対横浜24回戦の一回裏に15号3点本塁打を打ち、これが球団通算6000号本塁打となる[62]。
- 9月6日
- 9月7日 - 近鉄の大塚晶文が8月6日の対ロッテ戦からこの日のオリックス戦まで球団新記録の9試合連続セーブ[66]。
- 9月11日 - 横浜の三浦大輔が横浜スタジアムでの対広島24回戦に先発し一回表二死を取ったところでプロ通算1000投球回を達成[67]。
- 9月13日 - 福岡ドームでのダイエー対ロッテ25回戦でダイエーの若田部健一とロッテの黒木知宏が共にプロ通算1000投球回を達成[68]。
- 9月16日 - 阪神の吉田剛が広島市民球場での対広島26回戦の七回から出場し、プロ通算1000試合出場を達成[69]。
- 9月19日 - 日本ハムの小笠原道大が東京ドームでの対近鉄25回戦の一回裏に右前適時安打を打ち、シャーマン・オバンドーの29号2点本塁打で生還し、パ・リーング新記録のシーズン119得点を達成[70]。
- 9月21日 - 横浜は駒田徳広に対し戦力外とすると通告[71]。
- 9月24日
- 9月27日 - シドニーオリンピックの野球競技の決勝戦と3位決定戦が行われ、キューバがアメリカ合衆国に4-0で勝利し優勝。3位決定戦は大韓民国が日本に3対1で勝利。
- 9月28日 - ヤクルトの石井一久が対巨人戦(神宮)で日本プロ野球通算1000投球回、史上287人目[42]。
- 9月29日 - 横浜は監督の権藤博に対し来季の契約を結ばないと通告し、退団が正式に決定[74]。
10月
- 10月5日 - オリックスの野田浩司が球団に対し任意引退を申し入れ[75]。
- 10月7日 - ダイエーは福岡ドームでの対オリックス24回戦に1対0で勝ち、2年連続リーグ優勝を達成[76]。
- 10月8日 - ヤクルトの岡林洋一と馬場敏史が現役引退を表明[77]。
- 10月9日 - 横浜のロバート・ローズは球団との契約交渉が決裂し、今季限りで退団すると明らかにした[78]。
- 10月11日
- 神宮球場でのヤクルト対神宮26回戦が行われ、セ・リーグの全日程が終了。広島の金本知憲が宮出隆自から今季30号本塁打を放ち、日本プロ野球史上8人目の打率3割、30本塁打、30盗塁のトリプルスリーを達成。ヤクルトの石井一久が1回1/3を無失点に抑え、最優秀防御率を獲得、2位の中日の山本昌との0.004差はセ・リーグ史上最僅差の争いとなった。ヤクルトの岡林洋一はこの試合が引退試合となり、先発で1イニングを無失点に抑えた[79]。ヤクルトの古田敦也が日本プロ野球新記録の1088守備機会、ヤクルトのシーズン46失策と守備率.991はセ・リーグ新記録[42]。
- セ・リーグは理事会を開き、来季から「140試合制、延長12回制再試合なし」となるのに伴い、来季はペナントレース全終了時点で勝利数が一番多いチームを優勝チームとすると決定[80]。
- 10月12日 - オリックスのイチローがポスティングシステムでのメジャーリーグ挑戦を表明[81]。
- 10月13日 - ダイエーの藤井将雄が肺がんで死去[3]。
- 10月14日 - 広島は広島市内のホテルにて新監督に山本浩二が就任したと正式に発表。背番号は永久欠番の8に決定[82]。
- 10月16日 - 千葉マリンスタジアムでのロッテ対オリックス27回戦が行われロッテが7対1で勝ち、パ・リーグは全日程を終了[83]。
- 10月28日 - 日本シリーズの第6戦が行われ、巨人がダイエーに9-3に勝利し、4勝2敗で6年ぶり19回目の日本一達成[84]。
- 10月30日 - プロ野球の今季の最優秀選手、最優秀新人、ベストナインを決定する記者投票の開票が東京・銀座のパ・リーグ会議室で行われ、最優秀選手にセ・リーグは巨人の松井秀喜、パ・リーグは松中信彦。最優秀新人にセは横浜の金城竜彦、パは「該当者なし」と決定[85]。
11月
- 11月2日 - ダイエーにペドロ・バルデスが入団[18]。
- 11月13日 - ダイエーの湯上谷竑志が現役引退の会見を行う[86]。
- 11月19日 - MLBシアトル・マリナーズがNPBオリックス・ブルーウェーブのイチローのポスティング・システムでの交渉権を1312万5000ドル(日本円で約14億円)で落札[87]。
- 11月20日 - ダイエーにトニー・ミッチェルが入団[18]。
- 11月30日 - 前ボルチモア・オリオールズのマイク・ムッシーナがニューヨーク・ヤンキースに移籍。
- 11月30日 - シアトル・マリナーズが、ポスティング・システムで交渉権を獲得したイチローと正式契約[87]。
12月
- 12月3日 - オリックスからドラフト1位で指名された敦賀気比高校の内海哲也が同球団との2度目の入団交渉で、入団拒否の意思を示し、球団側も獲得を断念[88]。
- 12月6日 - 前巨人の橋本清と中日の日笠雅人がダイエーに入団[18]。
- 12月11日 - NPB阪神タイガースからFAの新庄剛志がMLBニューヨーク・メッツと3年契約を結んだことを明らかにした[89]。
- 12月17日 - ヤクルトからFAの川崎憲次郎が中日へ入団[90]。
- 12月18日 - 巨人の大野倫がトレードでダイエーに移籍[18]。
- 12月27日 - 巨人の佐藤充がトレードでダイエーに移籍[18]。
誕生
死去
- 1月20日 - 岩本信一(*1921年)
- 2月27日 - 伊賀上良平(*1917年)
- 3月7日 - 鶴岡一人(*1916年)
- 5月14日 - 丸尾千年次(*1917年)
- 6月16日 - 長持栄吉(*1918年)
- 6月19日 - 飯田徳治(*1924年)
- 6月 - 関口朋幸(*1960年)
- 7月16日 - 森下重好(*1920年)
- 8月12日 - 秋山登(*1934年)
- 9月16日 - 田部輝男(*1916年)
- 10月13日 - 藤井将雄(*1968年)
- 10月22日 - 新山彰忠(*1939年)
- 11月5日 - 高野光(*1961年)
- 11月20日 - 三浦真一郎(*1946年)
- 12月11日 - 白石勝巳(*1918年)
脚注
- ^ 村瀬秀信『プロ野球最期の言葉』イースト・プレス、2010年、173頁。ISBN 9784781604664。
- ^ “【2月29日】2000年(平12) 元阪神ドラ1、病を克服し晴れてバファローズ合格”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2008年2月16日). 2016年1月9日閲覧。
- ^ a b c パシフィック・リーグ略史(1949年~2000年) Archived 2014年02月16日, at the Wayback Machine. パ・リーグ公式サイト
- ^ “【3月26日】2000年(平12)“川崎劇場”ついにフィナーレ 10本塁打で花添える”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2008年3月20日). 2016年1月9日閲覧。
- ^ a b c セリーグHistory Archived 2013年11月19日, at the Wayback Machine. セ・リーグ公式サイト
- ^ “【4月1日】2000年(平12) 松坂命拾い…パ・リーグ初!西武2年連続サヨナラ発進!”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン. 2016年1月9日閲覧。
- ^ a b “無安打無得点試合 (ノーヒットノーラン)”. 日本野球機構公式サイト. 2016年1月9日閲覧。
- ^ a b “阪神タイガースヒストリー2000-2004”. 阪神タイガース公式サイト. 2016年1月9日閲覧。
- ^ 読売新聞2000年5月1日19面「復帰・駒田5打点 2000試合出場に花」読売新聞縮刷版2000年5月p19
- ^ 『ホエールズ&ベイスターズ60年の軌跡』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年、67頁。ISBN 9784583616179。
- ^ 読売新聞2000年5月6日夕刊9面「横浜・進藤が1000試合出場」読売新聞縮刷版2000年5月p189
- ^ 読売新聞2000年5月7日21面「星野監督主審に体当たり 中日一挙3人退場 荒れた試合ハマが制す」読売新聞縮刷版2000年5月p221
- ^ 読売新聞2000年5月8日19面「暴行の中日3人出場停止 大西10日 星野監督、立浪5日」読売新聞縮刷版2000年5月p267
- ^ 読売新聞2000年5月8日19面「西武・鈴木が1000試合出場」読売新聞縮刷版2000年5月p267
- ^ 読売新聞2000年5月8日19面「中日・久慈が1000試合出場達成」読売新聞縮刷版2000年5月p267
- ^ 読売新聞2000年5月10日18面「BW濃霧で五回コールド勝ち」読売新聞縮刷版2000年5月p376
- ^ 読売新聞2000年5月10日18面「ダイエー・吉永が1000本安打」読売新聞縮刷版2000年5月p376
- ^ a b c d e f g h i 『王貞治監督 ホークス14年の軌跡』福岡ソフトバンクホークスマーケティング〈SOFTBANK MOOK〉、2008年、32頁。ISBN 9784797348309。
- ^ 読売新聞2000年5月15日18面「日本ハム・田中幸が通算300二塁打」読売新聞縮刷版2000年5月p656
- ^ 読売新聞2000年5月26日27面「横浜・森中が1球で勝利投手」読売新聞縮刷版2000年5月p1289
- ^ 読売新聞2000年5月27日23面「中村3戦連発150号」読売新聞縮刷版2000年5月p1345
- ^ 読売新聞2000年5月29日19面「中日・ゴメスが通算100号本塁打」読売新聞縮刷版2000年5月p1445
- ^ 読売新聞2000年5月31日24面「日本ハム・田中幸が1000奪三振」読売新聞縮刷版2000年5月p1564
- ^ 読売新聞2000年6月1日25面「日本ハム・片岡が通算1000試合出場」読売新聞縮刷版2000年6月p25
- ^ 読売新聞2000年6月2日20面「秋山プロ最多1588三振 鉄人衣笠の"偉業"抜く」読売新聞縮刷版2000年6月p88
- ^ 読売新聞2000年6月2日21面「阪神・竹内とハム・根本交換トレード」読売新聞縮刷版2000年6月p89
- ^ 読売新聞2000年6月4日18面「勝った近鉄まで『後味悪い』6連続四死球 危険球退場も」読売新聞縮刷版2000年6月p198
- ^ 読売新聞2000年6月4日18面「なんと内野手五十嵐登板」読売新聞縮刷版2000年6月p198
- ^ 読売新聞2000年6月8日27面「振れば振るだけ マシンガン 横浜1イニング13点 プロ野球タイ」読売新聞縮刷版2000年6月p425
- ^ 読売新聞2000年6月8日26面「西武・松井がサイクル安打 プロ51人目」読売新聞縮刷版2000年6月p424
- ^ 読売新聞2000年6月9日29面「メイ出場停止10日 和田への"警告球"『品位欠く』セ・リーグ 阪神と審判全員も処分」読売新聞縮刷版2000年6月p495
- ^ 読売新聞2000年6月10日23面「BW・木田はあすにも登板」読売新聞縮刷版2000年6月p549
- ^ 読売新聞2000年6月17日21面「佐々岡ゲン良く100勝 ハーラー独走の9勝目」読売新聞縮刷版2000年6月p925
- ^ 読売新聞2000年6月21日18面「エルビラ ノーヒットノーラン 近鉄の熱いメキシカン燃えた」読売新聞縮刷版2000年6月p1152
- ^ 個人打撃連続記録(1) Archived 2013年12月3日, at the Wayback Machine. パ・リーグ公式サイト
- ^ 読売新聞2000年6月29日28面「ナナリー豪快一発 初打席初本塁打 大リーグでも記録」読売新聞縮刷版2000年6月p1626
- ^ 読売新聞2000年7月2日20面「日本ハム・野口がプロタイの1試合3併殺打」読売新聞縮刷版2000年7月p76
- ^ 読売新聞2000年7月3日20面「対戦打者なしなのに勝利投手暴投▶走者飛び出し刺殺 小林『勝ち逃げ』珍記録」読売新聞縮刷版2000年7月p76
- ^ “【7月2日】2000年(平12) 何かが起こる日曜日 “勝ち逃げ”小林雅英、初の珍記録”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2009年7月1日). 2016年1月9日閲覧。
- ^ 個人打撃連続記録(2) Archived 2013年12月3日, at the Wayback Machine.パ・リーグ公式サイト
- ^ 読売新聞2000年7月6日21面「石井一1000奪三振 史上2位の早さ」読売新聞縮刷版2000年7月p76
- ^ a b c “球団のあゆみ2000年代”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト. 2016年1月9日閲覧。
- ^ 読売新聞2000年7月12日23面「巨人・清原が400本塁打」読売新聞縮刷版2000年7月p645
- ^ 読売新聞2000年7月12日23面「中日・種田がプロ野球新の代打での10打席連続出塁」読売新聞縮刷版2000年7月p645
- ^ 読売新聞2000年7月13日20面「松井1000本安打 8年目で達成」読売新聞縮刷版2000年7月p702
- ^ 読売新聞2000年7月17日20面「西武・伊東が捕手として2000試合出場」読売新聞縮刷版2000年7月p934
- ^ 読売新聞2000年7月17日20面「6投手メロメロ毎回の15四死球」読売新聞縮刷版2000年7月p934
- ^ 読売新聞2000年7月18日25面「来季140試合で実行委が合意 プロ野球」読売新聞縮刷版2000年7月p1001
- ^ 読売新聞2000年7月21日17面「古田 五輪に派遣せず ヤクルト アマ側に正式通告」読売新聞縮刷版2000年7月p1159
- ^ 読売新聞2000年7月23日19面「140試合制導入を全会一致で可決 オーナー会議」読売新聞縮刷版2000年7月p1269
- ^ 読売新聞2000年7月23日19面「選手会は条件付き受け入れ」読売新聞縮刷版2000年7月p1269
- ^ “【7月23日】2000年(平12) イチロー、100万円もらっても「シャレにならん」”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2009年7月1日). 2016年1月9日閲覧。
- ^ 読売新聞2000年7月29日20面「ダイエー・秋山が通算350二塁打」読売新聞縮刷版2000年7月p1604
- ^ 読売新聞2000年8月8日23面「「DH制以降、投手で初の2打点」読売新聞縮刷版2000年8月p379
- ^ 読売新聞2000年8月12日17面「許、27人で完封」読売新聞縮刷版2000年8月p577
- ^ 読売新聞2000年8月12日夕刊11面「元大洋エース 秋山登さん死去」読売新聞縮刷版2000年8月p603
- ^ 読売新聞2000年8月18日14面「巨人、工藤が2500イニング登板」読売新聞縮刷版2000年8月p832
- ^ “【8月18日】2000年(平12) 秋山幸二、2000試合で2000本安打達成”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン. 2016年1月9日閲覧。
- ^ ベースボール・マガジン社 編 編『ベースボール・レコード・ブック 日本プロ野球記録年鑑2001』ベースボール・マガジン社、2000年、101頁。ISBN 4583035993。
- ^ 13打席連続出塁は近鉄球団記録、8打数連続安打は近鉄球団タイ記録 個人打撃連続記録(3)[リンク切れ] パ・リーグ公式サイト
- ^ 読売新聞2000年8月30日20面「パ・リーグ最長時間試合の新記録」読売新聞縮刷版2000年8月p1504
- ^ 読売新聞2000年9月4日19面「阪神のタラスコが球団6000本塁打」読売新聞縮刷版2000年9月p353
- ^ 読売新聞2000年9月7日23面「駒田2000本安打達成」読売新聞縮刷版2000年9月p353
- ^ 読売新聞2000年9月7日23面「高津150セーブ」読売新聞縮刷版2000年9月p179
- ^ 読売新聞2000年9月7日22面「ダイエー・吉永が通算150本塁打」読売新聞縮刷版2000年9月p352
- ^ 個人投手連続記録(1) Archived 2013年12月3日, at the Wayback Machine. パ・リーグ公式サイト
- ^ 読売新聞2000年9月11日夕刊8面「横浜・三浦が1000投球回」読売新聞縮刷版2000年9月p567
- ^ 読売新聞2000年9月14日22面「ダイエー若田部とロッテ黒木が1000投球回を達成」読売新聞縮刷版2000年9月p742
- ^ 読売新聞2000年9月17日19面「阪神・吉田剛が1000試合出場」読売新聞縮刷版2000年9月p913
- ^ 読売新聞2000年9月20日24面「小笠原パ新119得点 ホーム踏むのがオレの仕事」読売新聞縮刷版2000年9月p1082
- ^ 読売新聞2000年9月23日23面「駒田に戦力外通告」読売新聞縮刷版2000年9月p1277
- ^ 読売新聞2000年9月25日1面「巨人4年んぶりV 中日戦 9回4点差 逆転サヨナラ セ・リーグ」読売新聞縮刷版2000年9月p1343
- ^ “【9月24日】2000年(平12) 54年ぶりの奇跡!長嶋監督、初めてドームで舞った”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン. 2016年1月9日閲覧。
- ^ 読売新聞2000年9月30日23面「権藤監督の退団決定」読売新聞縮刷版2000年9月p1695
- ^ 読売新聞2000年10月5日夕刊3面「野田投手が現役引退 オリックスに申し入れ」読売新聞縮刷版2000年10月p277
- ^ 読売新聞2000年10月8日1面「ダイエー『パ』連覇 日本シリーズOB対決」読売新聞縮刷版2000年10月p423
- ^ 読売新聞2000年10月9日27面「岡林、馬場が引退 ヤクルト」読売新聞縮刷版2000年10月p493
- ^ 読売新聞2000年10月10日夕刊4面「R・ローズ退団、帰国へ」読売新聞縮刷版2000年10月p516
- ^ “【10月11日】2000年(平12) 20世紀最後のセ公式戦 小数第3位とトリプルスリー”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2008年10月8日). 2016年1月9日閲覧。
- ^ 読売新聞2000年10月12日21面「勝利数最多球団が優勝 来季、セ・リーグ」読売新聞縮刷版2000年10月p613
- ^ “【10月12日】2000年(平12) イチロー、ついにメジャー挑戦!話は夏から進んでいた…”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2009年10月1日). 2016年1月9日閲覧。
- ^ 読売新聞2000年10月15日21面「ミスター赤ヘル 欠番『8』が復活 広島 山本新監督発表」読売新聞縮刷版2000年10月p811
- ^ 読売新聞2000年10月17日25面「『パ』もミレニアムシーズン終了 "サンデー真吾"最高勝率の勲章」読売新聞縮刷版2000年10月p925
- ^ 読売新聞2000年10月29日1面「巨人6年ぶり日本一 19回目 ONシリーズ ダイエー下す」読売新聞縮刷版2000年10月p1631
- ^ 読売新聞2000年10月31日26面「セMVPに松井 パは松中初受賞」読売新聞縮刷版2000年10月p1768
- ^ 村瀬秀信 2010, p. 218.
- ^ a b “【11月9日】2000年(平12) イチローに14億円入札 マリナーズ「どうしても欲しい」”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2007年11月5日). 2016年1月9日閲覧。
- ^ “【12月3日】2000年(平12) 破格の提示にもやっぱり…内海哲也、オリックス入り拒否”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2009年12月1日). 2016年1月9日閲覧。
- ^ “【12月11日】2000年(平12) 12億5千万円より“最低年俸” 新庄剛志「場所見つかった」”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン. 2016年1月9日閲覧。
- ^ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2011年12月26日、43頁。