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古溝克之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
古溝 克之
関メディベースボール学院 コーチ
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福島県福島市
生年月日 (1963-11-14) 1963年11月14日(60歳)
身長
体重
180 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1984年 ドラフト2位
初出場 1985年4月7日
最終出場 1999年9月14日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
指導者歴

古溝 克之(ふるみぞ かつゆき、1963年11月14日 - )は、福島県福島市出身の元プロ野球選手

経歴

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プロ入りまで

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福島県福島市出身(ニックネームは「トラさん」)[1]

福島商業高3年生時の1981年に春夏連続で甲子園に出場。2年秋の東北大会決勝では秋田経大付高松本豊と投げ合って延長15回日没引分け再試合となり、再度二人が完投するが1失点で惜敗。第53回選抜は1回戦で御坊商工高に敗れる。第63回選手権清水雅治のいた浜田高を延長10回の熱戦で降し1回戦を突破するが、秋田経大付高の松本豊投手に抑えられ2回戦敗退。

高校卒業後は、社会人野球専売公社東北に入社。早くから注目され、1983年夏の都市対抗野球新日本製鐵釜石1984年夏の同大会岩手銀行に補強され出場。

現役時代

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1984年秋のプロ野球ドラフト会議小川博のクジを外した阪急ブレーブスから2位指名を受けて入団。

1986年には切れの良い速球派として一軍に定着し、6月には初先発を果たす。

1987年は開幕から先発投手陣に加わり5勝6敗。

1988年には自己最多の10勝を挙げ、初めて規定投球回(22位、防御率4.52)にも達する。しかしこの年のオフに親会社の阪急が身売りになりオリックスに変わると自身の状況も一変し、故障や不振もあって低迷し監督も変わると起用順位も下がり、一軍には顔見せ程度の登板が続いた。

1993年シーズンオフに渡辺伸彦との交換トレードで阪神タイガースへ移籍。速球に加えて左右の揺さぶりで勝負するようになる。

1994年シーズンは故障離脱した田村勤に代って抑え投手に定着。自己最多及びリーグトップの61試合に登板し7勝18セーブ(セーブ数は広島大野豊と並ぶリーグ2位タイ)を記録する。

1995年オールスターゲーム出場も果たした。その後は自身の衰えもあり先発・中継ぎ・抑えと便利屋的に幅広く起用されるが、徐々に登板機会が減少。

1998年シーズンオフにチームの若返りで阪急ブレーブス時代の同僚だった本西厚博とともに戦力外通告後に金銭トレードで本西とともに阪急ブレーブス時代の恩師である上田利治が率いる日本ハムファイターズへ移籍。ストッパー候補となるもチームが開幕から低迷し、早々に若手主体に切り替わり出番がなかった[2]

1999年10月6日に戦力外通告を受け、読売ジャイアンツ大阪近鉄バファローズ・オリックスブルーウェーブの入団テストを受けたがいずれも不合格に終わったことを理由に現役を引退[3]

引退後

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2000年シーズンオフから2009年シーズンオフまでオリックス・ブルーウェーブ→オリックス・バファローズの打撃投手を務めた。

2010年春から2017年冬までは太平洋クラブの宝塚コースポーターをしている[4]

2017年春から2018年秋までは函館大の部長として中山俊之監督と共に同年秋や2018年秋の北海道六大学野球リーグ優勝に貢献した[5]2019年秋から2022年春までは函館大有斗高の監督として片口伸之部長と共に指導した[6]

現在は関メディベースボール学院でコーチを務める。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1985 阪急
オリックス
9 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 84 17.1 21 4 14 0 0 10 0 0 20 20 10.38 2.02
1986 23 8 0 0 0 3 4 0 -- .429 328 72.1 87 13 32 5 1 43 2 0 54 52 6.47 1.65
1987 30 12 1 0 0 5 6 0 -- .455 484 107.0 118 21 49 2 4 70 5 0 63 60 5.05 1.56
1988 28 21 9 3 0 10 10 0 -- .500 657 155.1 153 28 58 2 3 81 1 0 80 78 4.52 1.36
1989 8 2 0 0 0 0 2 0 -- .000 56 11.0 14 4 8 2 1 4 1 0 10 9 7.36 2.00
1990 12 2 1 0 0 1 0 0 -- 1.000 112 22.2 32 7 17 0 0 11 0 0 20 19 7.54 2.16
1991 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 13 2.2 4 0 1 0 0 1 0 0 0 0 0.00 1.88
1992 11 1 0 0 0 0 3 0 -- .000 96 21.0 25 3 7 0 2 12 1 0 12 8 3.43 1.52
1993 1 1 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 27 7.0 5 0 2 0 0 4 0 0 0 0 0.00 1.00
1994 阪神 61 1 0 0 0 7 2 18 -- .778 382 94.0 76 5 29 5 2 81 2 0 25 23 2.20 1.12
1995 45 0 0 0 0 2 9 19 -- .182 290 68.1 59 7 25 4 3 60 0 0 25 25 3.29 1.23
1996 37 8 0 0 0 3 5 4 -- .375 382 88.1 87 7 31 4 2 69 0 0 38 37 3.77 1.34
1997 35 10 1 0 0 1 7 1 -- .125 332 74.1 87 6 33 5 0 51 0 1 42 40 4.84 1.61
1998 14 0 0 0 0 0 2 0 -- .000 86 17.0 27 1 8 2 1 9 2 0 13 9 4.76 2.06
1999 日本ハム 12 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 36 7.2 8 0 5 1 0 4 0 2 2 2 2.35 1.70
通算:15年 328 66 12 3 0 33 51 42 -- .393 3365 766.0 803 106 319 32 19 510 14 3 404 382 4.49 1.46
  • 阪急(阪急ブレーブス)は、1989年にオリックス(オリックス・ブレーブス)に、1991年にオリックス(オリックス・ブルーウェーブ)に球団名を変更

表彰

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記録

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初記録
その他の記録

背番号

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  • 49(1985年)
  • 35(1986年 - 1993年)
  • 50(1994年 - 1998年)
  • 45(1999年)
  • 110(2000年 - 2009年)

脚注

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  1. ^ 内田雅也 (2012年3月27日). “猛虎人国記(49)~福島県~ 移籍後の変身で「特別賞」 古溝”. スポーツニッポン. https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/mouko/kiji/K20120327002918690.html 2017年3月3日閲覧。 
  2. ^ 1999年日刊スポーツ発行プロ野球選手写真名鑑。
  3. ^ 「プロ野球もリストラ本番 ハムも2人に」『読売新聞』(縮刷・関東版) 1999年(平成11年)10月7日付朝刊、21面(スポーツ面)。
  4. ^ 太平洋クラブ@宝塚コースfacebookより - 2015年7月1日。
  5. ^ 清藤駿太 (2017年9月27日). “【道6大学】函館大、元阪神・古溝部長の指導で6年ぶり9度目V”. スポーツ報知. 2018年1月16日閲覧。
  6. ^ 電子版 (2019年7月5日). “元阪急古溝克之氏、函館大有斗の新監督就任「試行錯誤でやっていく」”. スポニチ. 2019年7月5日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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