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男優は漫才畑を歩いてきた者が圧倒的に多く、NSCを含む純粋な芝居畑出身は内場勝則、石田靖、[[烏川耕一]]、[[安尾信乃助]]、[[川畑泰史]]、[[伊賀健二]]、[[山田亮]]、[[平山昌雄]]など数える程度であるが、逆に女優はNSCから直接入るケースがほとんどで、コンビの出身は[[未知やすえ]]([[やすえ・やすよ]])、[[若井みどり]]([[若井小づえ・みどり]])などである。過去には[[大阪パフォーマンスドール]]や[[JDスター女子プロレス|JD]]といった吉本興業の他分野からの転向も多かった。また、[[中西喜美恵]]や[[高橋靖子]]などのマドンナ役の女優の場合には、オーディションで他の芸能事務所や劇団などから[[吉本興業]](新喜劇)に引き抜かれたケースもある。珍しいケースに落語出身者が挙げられる。[[中條健一]](六代 桂文枝門下。ただし落語部門の弟子ではない)、[[森田展義]](笑福亭福笑門下)など。 |
男優は漫才畑を歩いてきた者が圧倒的に多く、NSCを含む純粋な芝居畑出身は内場勝則、石田靖、[[烏川耕一]]、[[安尾信乃助]]、[[川畑泰史]]、[[伊賀健二]]、[[山田亮]]、[[平山昌雄]]など数える程度であるが、逆に女優はNSCから直接入るケースがほとんどで、コンビの出身は[[未知やすえ]]([[やすえ・やすよ]])、[[若井みどり]]([[若井小づえ・みどり]])などである。過去には[[大阪パフォーマンスドール]]や[[JDスター女子プロレス|JD]]といった吉本興業の他分野からの転向も多かった。また、[[中西喜美恵]]や[[高橋靖子]]などのマドンナ役の女優の場合には、オーディションで他の芸能事務所や劇団などから[[吉本興業]](新喜劇)に引き抜かれたケースもある。珍しいケースに落語出身者が挙げられる。[[中條健一]](六代 桂文枝門下。ただし落語部門の弟子ではない)、[[森田展義]](笑福亭福笑門下)など。 |
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新喜劇退団の際は、座員同士、または座員がピン芸人(落語家も含む)や旧コンビを解散した芸人とコンビを結成して退団するケースが見られるが、それでも多いとは言い切れない([[かつみ |
新喜劇退団の際は、座員同士、または座員がピン芸人(落語家も含む)や旧コンビを解散した芸人とコンビを結成して退団するケースが見られるが、それでも多いとは言い切れない([[かつみ♥さゆり|尾崎小百合]]、[[おかけんた・ゆうた|岡ゆうた]]、[[桂三象|梶原一弘]]らがその例)。圧倒的に多いのは、所属事務所の移籍と芸能界からの引退である(宮崎高章のように放送作家への転向もこれに含まれる)。東京進出に伴うスケジュールの多忙化などで、吉本興業本社が自社内で異動させて退団となるケースも多く見られる([[今田耕司]]、レイザーラモン)。また、[[帯谷孝史]]のように、プライベートの問題で新喜劇から(一時的に)追放されてしまうケースもある。女性座員の場合には、結婚によりタレントを引退ケースも多いが、[[中條健一]]・[[秋田久美子]]、内場勝則・未知やすえ、[[吉田裕 (お笑い芸人)|吉田裕]]・[[前田真希]]のように夫妻で新喜劇座員として在籍するケースもある。 |
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3チーム制を維持していた時期は、最盛期には130人以上の座員、10数人の座付き作家を抱えていた。そのため、「元・吉本新喜劇」という肩書きを持つ人物は、先述の代表的な座員以外にも膨大な数に上る。しかし「やめよっかナ!?キャンペーン」での大リストラによって、座員は一時40人前後にまで減らされた。現在では若手の新規採用やベテラン役者の復帰(「やめよっかナ!?キャンペーン」で一度退団させられた[[島田一の介]]・[[浅香あき恵]]ら)で80人前後となっている。 |
3チーム制を維持していた時期は、最盛期には130人以上の座員、10数人の座付き作家を抱えていた。そのため、「元・吉本新喜劇」という肩書きを持つ人物は、先述の代表的な座員以外にも膨大な数に上る。しかし「やめよっかナ!?キャンペーン」での大リストラによって、座員は一時40人前後にまで減らされた。現在では若手の新規採用やベテラン役者の復帰(「やめよっかナ!?キャンペーン」で一度退団させられた[[島田一の介]]・[[浅香あき恵]]ら)で80人前後となっている。 |
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2020年7月11日 (土) 10:37時点における版
吉本新喜劇(よしもとしんきげき)は、日本の芸能事務所「吉本興業」に所属するお笑い芸人によって舞台上で演じられる喜劇、およびその喜劇群を演じる劇団の名称である。
概要
なんばグランド花月劇場(NGK)で本公演が行なわれ、『よしもと新喜劇』(毎日放送(MBSテレビ)制作)としてテレビ放映される[1]。また、地方公演として座員を絞った形での巡業によって公演される(よしもと神戸花月など)。
池乃めだかをはじめとする数人の新喜劇座員と、他の吉本興業所属お笑い芸人らが共演する新喜劇風の舞台喜劇の番組(『日曜笑劇場』 → 2012年4月~2013年3月放送、『熱血!人情派コメディ しゃかりき駐在さん』)も伝統的に朝日放送テレビ(ABCテレビ)で放送されていたが、こちらではMBSテレビで放送される『よしもと新喜劇』と違って、毎回の舞台設定やレギュラー出演者の役柄設定などは固定されていた。以前は読売テレビでも、『吉本コメディ』の名で放送されており、こちらも同様の構成であった[2]。
関西ではNGKのほか、よしもと祇園花月でも座員による新喜劇が上演されており、東京ではルミネtheよしもとを本拠地とする芸人たちと「やめよっカナ!?キャンペーン」時代の若手で主役級だった今田耕司・東野幸治たちを座長とした、新喜劇所属ではない集団による演劇もチーム(班編成)で連日上演されている(東京での上演経緯と現況については後述)。
新作は毎週火曜日に上演されている。仮の台本が作られるのは上演開始日の2週間ないし10日前、その台本で舞台が作れるか作業スタッフが判断したりする過程を経て正式なものになり[3]、出演者が受け取るのは同3日前で、上演初日の前日の2回目興行終了後から最長で午前1時ごろまで立ち稽古を続けていることがある。その様子はなんばグランド花月公式サイトにおいて、「のぞき穴」(劇場内にあるライブカメラを使用)のコーナーでうかがえていたが、2007年12月に公式ホームページがリニューアルされてからは取り止められた。 なお、日々セリフやストーリーの小さな修正が行われるため、結果として上演初日と最終日(楽日)とでは大きく内容が異なることがある。また、金曜日がカメラリハーサルで、一度芝居をカメラで試し撮りをし、翌日の土曜日の原則として2回目の公演時にテレビ放送向けの収録をしている。
毎年正月公演時には若手出演者の誰かが酔っぱらって舞台に立つのが恒例となっていたが、公演に差し障りが出るために2007年からは吉本興業の指示により、楽屋での飲酒は禁止された[4]。
成り立ち・歴史
創立
1959年[5]3月1日、うめだ花月劇場開場と同時に「吉本ヴァラエティ」として発足。第一号の演目は花登筐脚本の『アチャコの迷月赤城山』(サブタイトルに『忠治以外傳』とある)。出演者は花菱アチャコ、佐々十郎、大村崑、芦屋小雁、中山千夏ほか。同日開局したMBSテレビとのタイアップとして生まれ、創設者の八田竹男(後の吉本興業社長)をして「テレビ時代をにらんだ新たな演芸のビジネスモデル」として、うめだ花月とMBSテレビの看板となるべく、まさに社運をかけて育成された。
初期には花菱アチャコや東五九童、雷門五郎、笑福亭松之助、大村崑ら既存のスターに頼っていたが、やがて他劇団などからの引き抜きや自前のスター発掘を行うようになり、守住清、平参平、白羽大介、秋山たか志、白木みのる、花紀京、ルーキー新一、森信、財津一郎、岡八朗、原哲男、桑原和男らが台頭するようになった。
座付き作家が演出を兼ねることが多く、黎明期から当時20代の青年ながら抜擢された竹本浩三[6]、壇上茂[7]らが本公演の台本と演出を手掛けた。また、民放各局で放映されていた『爆笑寄席』(KTV)や『あっちこっち丁稚』、『花の駐在さん』(ともにABC)などでも、ほとんどの台本と演出を「吉本新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」(後述)が始まるまで手掛けた。
1964年6月ごろから、吉本ヴァラエティを改め「吉本新喜劇」と正式呼称するようになったが、すでに1959年の吉本ヴァラエティ第1回公演には「吉本新喜劇」とうたわれている。また、吉本ヴァラエティから吉本新喜劇への移行の過程で一時「吉本コミカルス」や「吉本ボードビル」と名乗っていた時期もあったが、当時は芸人が舞台に出るとすぐにコケて笑いを取ろうとすることが多く、関西お笑い界ではそれをもじって「吉本コケカルス」との別称もあった[8]。
なお、上演開始からちょうど50年経過に当たる2009年3月1日から3月9日まで、この誕生経緯をなぞった50周年記念興行(通常の45分公演を70分に拡大したもの)が行われた。
3チーム制時代の新喜劇
かつては大阪と京都に3つの吉本直営の演芸劇場(大阪に「なんば花月」と「うめだ花月」、京都に「京都花月」)があり、劇座員を3つの組に振り分ける3チーム体制となっていて、それぞれ10日単位(月上旬を上席、中旬を中席、下旬を下席と呼んでいた)で各チームが各劇場に出演し、ひと月で全劇場を回るローテーション制(京都→うめだ→なんばの順で移動する)を繰り返していた。2019年現在も活躍中のベテラン座員はほとんどがこの3ヶ所のいずれかで初舞台を踏んでいる。
うめだ花月での公演は毎日放送で『花月爆笑劇場』として土曜日の12時から、なんば花月での公演は朝日放送で『お笑い花月劇場』として土曜日の13時から、いずれもテレビ中継されていた。
ちなみに、京都花月とうめだ花月は同じ芝居がかかり、なんば花月は両劇場にはかからない新作が上演されていた[9]。これは、上記にあるように毎日放送(うめだ花月からの中継)と朝日放送(なんば花月からの中継)がそれぞれ新喜劇を放送していたため、区別するためであると考えられる。
松竹新喜劇との棲み分け
大阪における笑演芸の劇団として、かつては日本を代表する喜劇役者の一人といわれた藤山寛美が率いた松竹新喜劇がある。同じ「新喜劇」を名乗るが、その生い立ちや内容、構成、演出法など両者は大いに異なる。
吉本新喜劇は花月で上演される漫才や落語、諸芸の間に組み入れられ、コントの延長的な軽演劇である。テレビ中継されることもあり「芝居の途中から入場しても笑える」というコンセプトを持っていた。対して松竹新喜劇は泣きと笑いを交えた本格的な狂言・芝居であり、他の芸と組んで興行を打つことはない。しばしば松竹新喜劇は松竹芸能の演芸の常打ち小屋(劇場)であった、角座や浪花座で他の演芸と同時に上演されたように誤解されるが、そのような事はなく、角座と同じ道頓堀・櫓町にあった中座に本拠に置いていた。松竹系で吉本新喜劇に相当する一座は松竹爆笑劇などがあたる。
松竹新喜劇は歌舞伎役者の出である曾我廼家五郎と曾我廼家十郎が結成した日本初の本格喜劇「曾我廼家兄弟劇」をその源流とする。五郎と十郎は大阪に古くから伝わる伝統芸能・仁輪加(にわか)を改良して本格演劇に仕立てた。仁輪加は本来即興で演じる歌舞伎などのパロディーなどであり、東京で言う「アチャラカ」(=軽演劇。ただしこちらはオペラのパロディー)と同義であるが、このような経緯を持つため松竹新喜劇は舞台中心の本格演劇に位置付けられている。内容も人間の業を描いた物や人情物などが多く、ギャグは入るが本筋の通ったものである。
一方の吉本新喜劇は常々「漫才芝居」と形容されるように、ドタバタ中心のナンセンス軽演劇であり、一種のスラップスティック・コメディである。ストーリーよりもギャグ、演技よりもキャラクター性を重視する[10]。これはもともと吉本新喜劇がテレビ番組向けに製作された物であり、テレビ中継で名を売り花月劇場に観客を呼び込む「客寄せ」の役割を担ってきたことによるものである。両者は比較されることを嫌い、吉本側も「ウチらと向こう(松竹新喜劇)は、たとえ同じスポーツであるにしても種目が違う」と言い切っている。
大雑把に言えば吉本は師弟制から競争制になり、芝居内容も現代に合ったドタバタな享楽を追求したのに対し、松竹は最後まで藤山寛美を中心とする師弟制で、上方の伝統的な人情物の色彩が強かった、といったところである。また、師弟関係にしても、曾我廼家五郎八門下の井上竜夫を移籍させたはいいが、吉本で育ってしまった。
ビートたけしが「藤山さんはボンクラにも最低5万円渡してやるんだって。そうしねえと若手が生活に困って芝居に専念できねえからって。本当かね」と発言した(かつて出演していたラジオ番組オールナイトニッポンで、高田文夫と松竹の話題に触れたトークでのこと)。これは雑誌『笑芸人』やたけしの著書に書かれていたことである。この話が本当とするならば、松竹新喜劇と比べると吉本新喜劇の座員たちの生活は恵まれているとは言えず、若手の月給は8万円程度と言われている。また、アルバイト先はベテラン座員(島田一の介など)が経営するスナックも多く、若手座員が働く姿も時折見られるという。
なお、なんばグランド花月(NGK)がオープンした時、松竹新喜劇の顔であった藤山寛美は団員を引率して林正之助を表敬訪問している。この時、道頓堀・櫓町の中座から、千日前のNGKまで派手に行進して注目を浴びた。
2007年には『コヤブ新喜劇 〜座長になって1年たちましたスペシャル〜』に、藤山寛美の娘で松竹新喜劇にも出演する藤山直美がシークレットゲストとして出演した。これは小籔千豊も「歴史的瞬間」と呼ぶほどで、かつての関係を知る人々を大いに驚かせた。2009年には辻本茂雄座長の芝居『茂造〜閉ざされた過去』に3代目渋谷天外が出演を果たしている。
吉本新喜劇から松竹新喜劇に移籍した例としては高石太がいる。吉本新喜劇の座長でも松竹新喜劇中興の祖、藤山寛美を意識している者が多く、間寛平は芸名を寛美から一字貰った。また内場勝則は劇中でアホボンと称するキャラを演ずることがあるが、この名称は元々寛美が松竹新喜劇で演じていたキャラにちなんだものであるとされる。
新喜劇人気の下火と復活
1980年頃に始まる漫才ブームは吉本興業のタレントの全国区進出を成功させ、吉本興業は業容を拡大。トップスターの全国進出(すなわち東京進出)が相次いだ。一方で、吉本新喜劇は、おおむね旧態依然とした演出を続け、中高年層の支持は維持されていたものの、漫才ブームや心斎橋筋2丁目劇場といった笑いの新しい波の洗礼を受けた若者層には飽きられ、また、室谷信雄、木村進ら主力の離脱などで、客足が減りつつあった。
各劇場の老朽化が進んだことで、吉本興業は1987年にNGKことなんばグランド花月をグランドオープンさせたが、オープン当初は、下火となった新喜劇の上演をNGKでは行わなかった。同時期の京都花月閉館(1987年)となんば花月閉館(1988年)により本拠地はうめだ花月のみになり、伝統の3チーム制も崩壊した。
新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン
そのような中、1988年、木村政雄が吉本興業本社制作部次長に就任。新喜劇を再生させるには世代交代と全国区に売り出すことが必要であるとの方針の下、再生プロジェクトとして、期限までに観客動員数が目標値に達しなければ吉本新喜劇自体を廃止というセンセーショナルな「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」を開始。この時に設定された目標観客動員数は1989年10月から1990年3月までの半年間で延べ18万人、1日平均に換算すると約1000人であり、当時のうめだ花月の座席定員から換算して70%近い平均稼働率(1日2回公演の場合)を上げなければ目標値に達しないという、非常に高いハードルであった。これにより、現場は緊張し、マスコミが取り上げ、関西地方を中心とした潜在的ファンの掘り起こしや、新喜劇になじみのない全国のファンに認知度を高めることにより、観客動員が増え、キャンペーン期間終了を目前に控えた1990年3月中旬、ついに観客動員数は目標数の「1989年10月から数えて延べ18万人」に達し、新喜劇は存続・復活を果たすこととなった。
この裏で、木村政雄は座員全員にいったん解散を宣告した。そして、一人一人に面談を行い「これからは若手を中心にキャスティングします。もしかしたら、通行人Aとかをやってもらうかもしれません。それでもやっていただけますか?」とベテラン・中堅座員等にヒアリングを行い、今後の手法に意が沿わない座員は外れてもらうという再入団システムを導入した。ヒアリングの末、かつて新喜劇の顔であった花紀京、岡八郎(共に故人)が「勇退」という形で退団を強いられ、その他中堅・ベテラン座員の多くが戦力外通告され、船場太郎ら一時的に残留したベテランも脇に回るなど世代交代が進んだ(後年、新しく入団してきた座員を優しく指導してくれる人に残ってもらったと社長に言われた、と池乃めだかが「新喜劇55周年生放送」で語っており、他に残留した未知やすえは立場的には一番下の団員扱いとなり、NSCから入ってきた若手団員と一緒に発声・体力強化等の基礎練習からさせられ、座長就任した若手の今田・東野は参加してないことに屈辱的で本当に辛かったと「よしもと黄金列伝!未知やすえ回」にて語っている)当時、みうらじゅんがプロデュースした『吉本ギャグ100連発』は、この新喜劇復活劇の重要な要因の一つであったが、その内容は世代交代で去ってゆく芸人の芸が中心である。みうらはそれ以後の『吉本ギャグ100連発2』『吉本ギャグ100連発3』の制作には参加していない。
ちなみに、この「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」の頃から1997年6月末頃までのなんばグランド花月での新喜劇の演出を担当したのは、ほぼすべてが女性演出家の湊裕美子である。彼女は、その後、1997年秋〜1998年秋にかけて放送された東京発のゴールデンタイムの全国ネットの新喜劇の番組である『超!よしもと新喜劇』と『超コメディ60!』でも演出を担当した。
ニューリーダー時代から現在
「やめよっカナ!?」時代の主力メンバーだった今田耕司、130R、東野幸治らがダウンタウンと共に東京進出したあとは、内場勝則、辻本茂雄、石田靖の3人が頭角を現し、1995年にはニューリーダーに就任した。この頃より「やめよっカナ!?」で退団していた島田一の介、浅香あき恵といった一部の中堅・ベテランが復帰し、1999年には前述の3人に吉田ヒロ[11]を加えた4人が新座長に就任した。
その後は、石田と吉田が座長を退いたが、その下の世代である小籔千豊、川畑泰史、すっちー(高井俊彦,烏川耕一,清水けんじとともに2012年5月から2年間リーダーを務めた)、「金の卵オーディション2007」で入団した酒井藍が座長に加わって現在に至る。オーディションによる若手に加え再入団を含む中堅・ベテランの加入で全盛期を上回る大所帯となっているが、近年は「やめよっカナ!?」以降も残留したベテラン勢の鬼籍入りが相次いでいる。
2019年2月には辻本・内場の座長退任と、過去にはすっちーの座長就任までの2年間にわたって実施されていたリーダー制度の再開とポジションの正式な新設が発表された。(詳細は座長及び副座長格(リーダー)の項を参照のこと)
各劇場(関西)の現況
存続決定後、キャンペーンの一環として心斎橋筋2丁目劇場出身の若手を中心に上演されていた「ニュー吉本新喜劇」は、1989年11月、うめだ花月からなんばグランド花月に拠点を移し、現在に至っている。基本的に舞台は大阪という設定だが、観光客誘致のために新喜劇放送地域の地方(鳥取県、熊本県など)を舞台にすることもある。後述の場合は、舞台となる地域の首長(知事や市長、或いはご当地ゆるキャラ)、または地域出身のタレントがゲスト出演してPRを行うシーンが入る。
なんばグランド花月での新喜劇公演では、映画等の告知を兼ねて吉本以外の芸能事務所に所属する芸能人や有名人が出演することもあり、1996年には、来日していたジャッキー・チェンが、なんばグランド花月で公演された新喜劇に「国際警察の刑事」役で飛び入り出演した。2019年4月には現職の首相の安倍晋三が6月に大阪で行われるG20の告知のためサプライズ出演[12]。(この時の公演は、MBSテレビの『よしもと新喜劇』でも放送された)。他にもアグネス・チャンや香取慎吾、また、バラエティ番組とのタッグで草彅剛・ユースケ・サンタマリア(テレビ朝日『ぷっすま』にて)、ダウンタウン・さまぁ〜ず・雨上がり決死隊・キャイ〜ン(TBS『リンカーン』にて)、笑福亭鶴瓶・ももいろクローバーZ(関西テレビ『桃色つるべ〜お次の方どうぞ〜』にて[13])、ナインティナインと中居正広(フジテレビ『めちゃ×2イケてるッ!』にて)、キャラクターではハローキティやドラえもん、野比のび太が宣伝も兼ねて出演を果たしており、この場合全国版のスポーツ新聞や芸能ニュースでも報じられる。
特殊な例では、2006年と2007年の3月に、吉本と芸能提携を結んでいるプロ野球チームのオリックス・バファローズ所属の選手(清原和博選手、中村紀洋選手など)が出演した『新喜劇にバファローズがやってきた!』の公演、毎年12月第2週に上演される年末ジャンボ宝くじタイアップ作品では、幸運の女神(宝くじ普及活動を行う女性アシスタント)がゲスト出演する。
なんばグランド花月
新喜劇とベテラン芸人(漫才や落語、外国からのゲスト出演で手品など)が中心で、以下の公演構成となっている。
- 平日:11時から2回公演
- 土・日・祝日:9時45分から3回(翌日が日祝日の場合は4回)公演
祇園花月
NGKとほぼ同様のプログラムで漫才コンビ4〜5組、週替わりで新喜劇が上演されている。また、芝居終了後に出演者が揃ってのエンドトークが行われており[14]、小中学校の夏休み・冬休み期間中には出演者サイン色紙のプレゼントを兼ねたじゃんけん大会が行われる。
- 平日:12時30分から開演
- 金曜:平日の公演に加えて、不定期で19時から新喜劇のみの「よるよる新喜劇」
- 土・日・祝日:平日公演に加え、10時30分から新喜劇のみの「あさあさ新喜劇」,15時30分からの公演
このほか、2014年末に開場したよしもと漫才劇場では若手メンバー中心に「吉本極新喜劇」と題して不定期で上演を行っている。
東京での定期上演と現況
「やめよッカナ!?キャンペーン」によって全国的に知名度を高めた新喜劇は、1991年に初の東京公演となる「帝都公演」を開催して大成功を収める。その後テレビ放送でも、全国において木曜20時台の視聴率を確保したいという毎日放送の思惑と、新喜劇を全国区化させたいという吉本の意向が合致し、『超!よしもと新喜劇』が1997年秋から東京で収録され、新喜劇が東京発の形でゴールデンタイムに全国ネットでテレビ放送されるようになった(後に『超コメディ60!』としてリニューアルされた)。しかし、舞台は新喜劇なのに仕掛けがドリフ調であったり、新喜劇や関西とはまったく関係のないゲストが多数出演したりしたことから、従来からのファンにも見放され、1998年秋に終了。
この1年間は、本家NGKからも特に知名度と笑わせる力のあるベテラン勢が駆り出されたため、リーダーに相当するポジションで大阪に残ることができたのは実質的に吉田ヒロだけであり(なお、のちに座長となる当時の4人のニューリーダーのうち、『超!よしもと新喜劇』〜『超コメディ60!』に一度も出演しなかったのはヒロと石田靖。また、女優陣では、この当時のマドンナ役の一人であった中西喜美恵なども、『超!よしもと新喜劇』〜『超コメディ60!』に一度も出演しなかった)、ニューリーダー制開始直後の柔軟さ・斬新さから一転、まさに「やめよッカナ!?キャンペーン」直前の状況が再来していた。
それでもやはり東京公演をあきらめたわけではなく、1999年からは場所と方式を変えてスタジオアルタで週末にニューリーダー3人を中心にした本家そのままの新喜劇を定期上演。これも『ギャク輸入!新喜劇』(朝日放送)として、関西地区で放送された。
2001年には、ルミネtheよしもとが開業し、今度は東京オリジナルの台本と出演者、今田、東野などNGK新喜劇経験者、NGKから東京に移籍した石田を座長に据えた公演(メンバーは後述)が開始され、現在に至る。ルミネ新喜劇は比較的若手のメンバーで構成されており、専属座員および座付き作家は基本的に存在しない(若手芸人が作家を兼業することもある)。公演は不定期で2〜3ヶ月行われ、テレビ出演の多い今田・東野座長回は基本的に月一公演となる。2014年以降は座員座長はそのままで名称を変更し、「SPコメディ」という名称に変更された。
また、2009年4月末から2011年11月末まで品川に開設されていたよしもとプリンスシアターでは、辻本、内場などNGK新喜劇座員が中心となる「本場吉本新喜劇」が、原則として毎週火曜から木曜または金曜にかけて上演されていた。NGK座員による新喜劇の東京上演は2014年以降、なんばグランド花月の出張版である「東京グランド花月」を上演しているほか、毎年8月には小籔座長による単独公演も実施されている。
海外公演
これまでニューヨーク、ロンドン、台湾、上海で、吉本新喜劇は上演され、さらに2006年7月には日本国内3大都市と併せてハリウッドのコダック・シアターでも「すっごい吉本新喜劇LA&JAPANツアー」と銘打って特別編成で上演された。座員は今田耕司やレイザーラモンHGなど新喜劇出身のルミネtheよしもと出演者が中心であったが、大阪から内場勝則、未知やすえ、池乃めだか、そして新喜劇外からピン芸人のたむらけんじも参加した。
おきなわ新喜劇旗揚げ
2014年9月には沖縄出身の吉本芸人で構成された「おきなわ新喜劇」の旗揚げが発表された。同年12月から全国ツアーが行われ、2015年4月からはよしもと沖縄花月でも上演されている。その後本家吉本新喜劇とも合同で公演を行った。
九州新喜劇旗揚げ
2016年8月に福岡吉本にて、「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」時代まで副座長を務め、現在は福岡吉本に所属する寿一実(旧芸名・中川一美)の還暦祝い座長公演が嘉穂劇場にて行われた。
2018年2月には、正式に寿を座長とする「九州新喜劇」が旗揚げされた。座員は福岡吉本所属タレントで、オリジナル新喜劇となるほか、マドンナオーディションの実施も発表されている[15]。
出演者
ほとんどの吉本興業所属タレントが新喜劇に出演している。『日曜笑劇場』に出演していた明石家さんま、ダウンタウン、桂三枝(現:六代 桂文枝))、ルミネ版に出演している森三中、山崎邦正(現:月亭方正)など新喜劇出身者(あるいは元座員)も数えきれないため、以降では組織としての「吉本新喜劇」に所属したものを中心に述べる。
新喜劇入団の際、新人はNSCで新喜劇入団を希望したり、あるいはオーディションを受け、合格したら養成機関である吉本新喜劇jr.(YSJ)に入り、そしてある程度実力が付いたと見なされたらNGKに出られる運びとなる。この他、吉本興業本社が有望な若手を自社内で異動させたり、漫才コンビを解散した芸人が新喜劇に入団したりすることが多い。座長経験者では、辻本茂雄(三角公園USA)、吉田ヒロ(ボブキャッツ)、小籔千豊(ビリジアン)、すっちー(ビッキーズ)がコンビの出身である。過去にはしましまんずやレイザーラモン、現在ではランディーズと水玉れっぷう隊(アキのみ)が、漫才活動と並行して新喜劇に加入している。
男優は漫才畑を歩いてきた者が圧倒的に多く、NSCを含む純粋な芝居畑出身は内場勝則、石田靖、烏川耕一、安尾信乃助、川畑泰史、伊賀健二、山田亮、平山昌雄など数える程度であるが、逆に女優はNSCから直接入るケースがほとんどで、コンビの出身は未知やすえ(やすえ・やすよ)、若井みどり(若井小づえ・みどり)などである。過去には大阪パフォーマンスドールやJDといった吉本興業の他分野からの転向も多かった。また、中西喜美恵や高橋靖子などのマドンナ役の女優の場合には、オーディションで他の芸能事務所や劇団などから吉本興業(新喜劇)に引き抜かれたケースもある。珍しいケースに落語出身者が挙げられる。中條健一(六代 桂文枝門下。ただし落語部門の弟子ではない)、森田展義(笑福亭福笑門下)など。
新喜劇退団の際は、座員同士、または座員がピン芸人(落語家も含む)や旧コンビを解散した芸人とコンビを結成して退団するケースが見られるが、それでも多いとは言い切れない(尾崎小百合、岡ゆうた、梶原一弘らがその例)。圧倒的に多いのは、所属事務所の移籍と芸能界からの引退である(宮崎高章のように放送作家への転向もこれに含まれる)。東京進出に伴うスケジュールの多忙化などで、吉本興業本社が自社内で異動させて退団となるケースも多く見られる(今田耕司、レイザーラモン)。また、帯谷孝史のように、プライベートの問題で新喜劇から(一時的に)追放されてしまうケースもある。女性座員の場合には、結婚によりタレントを引退ケースも多いが、中條健一・秋田久美子、内場勝則・未知やすえ、吉田裕・前田真希のように夫妻で新喜劇座員として在籍するケースもある。
3チーム制を維持していた時期は、最盛期には130人以上の座員、10数人の座付き作家を抱えていた。そのため、「元・吉本新喜劇」という肩書きを持つ人物は、先述の代表的な座員以外にも膨大な数に上る。しかし「やめよっかナ!?キャンペーン」での大リストラによって、座員は一時40人前後にまで減らされた。現在では若手の新規採用やベテラン役者の復帰(「やめよっかナ!?キャンペーン」で一度退団させられた島田一の介・浅香あき恵ら)で80人前後となっている。
オーディションによる入団は藤井隆以降しばらく途絶えていたが、2004年からに「吉本新喜劇 金の卵オーディション」を開催。以降も随時オーディションを行っており、再び黄金期に向けて拡張路線をとっている。なんばグランド花月公演は中堅・ベテラン中心で、若手は端役に回ることがほとんどであるため、かつて梅田にあったうめだ花月にも出演している若手を中心とした「金のひよこライブ」や、金の卵座員による「金の卵ライブ」など若手にも機会を積極的に与えていた。座長に昇格した酒井藍をはじめ副座長クラス・マドンナクラスなど現在の新喜劇の中核を成すメンバーも多数輩出しているが、新人が大量に入るシステムに移行したためか退団する者も少なくは無い。
座員
現行座員
全盛期には60人ほど在籍していたが、低迷期には31人に激減。1989年以降は入団数が増加し、現在は客員・休業中を含めて100人を超える団員が在籍する(座員名は毎回の編集時に参照した吉本新喜劇オフィシャルサイトの「座員紹介」の名前の有無による)。
座長
原則として、4人いる座長の中から1人が作家と相談しながら担当週の新喜劇の脚本を作成し上演するシステムをとっている(2人以上出演の場合も、最初に名前がある者が作成者である)。また、このシステムは作成者それぞれの新喜劇に対する方向性や個性の違いが非常に出やすい(「特定のキャラクターを演じる」「半ばシリーズ化する」など)。また、座長それぞれにほぼ専属の若手座員が何名かいる(内場勝則のテレビ等での発言より。これを「座組」という)。 また、座長同士の間では座長に就任した順に発言力がある[16]。
なお、2010年には石田や「やめよッカナ」時代の経験者のほんこんが座長として公演を行うことがあった。
女性座員では、2017年7月に酒井藍がレギュラーでは初座長に就任したが、その前には特別公演などで過去にも女性座長は存在した。実例として2007年8月7日からの1週間を皮切りに、毎年お盆の時期に「未知やすえ 女座長特別公演」が行われていたことがある[17]。
現在、なんば・祇園の両花月の公演で座長を務めるのは下記の4名。このほか、公演プログラムの出演者トップに座長名の表記がないときは4名のリーダーが座長代理を務める。
芸名 | 生没年 | 座長在任 | 備考 |
---|---|---|---|
花紀京 | 1937年 - 2015年 | 1963年 - 1969年 | |
平参平 | 1916年 - 1986年 | 1962年 - 1966年 | |
秋山たか志 | 1936年 - 没年不詳 | 1966年 - 1969年 | |
財津一郎 | 1934年 - | 1966年 - 1969年 | |
岡八郎 | 1938年 - 2005年 | 1966年 - 1972年 | |
原哲男 | 1934年 - 2013年 | 1969年 - 1970年 | |
桑原和男 | 1936年 - | 1969年 - 1972年,1990年 - 1995年 | 現役座員 |
船場太郎 | 1939年 - | 1972年 - 1976年,1979年 - 1982年 | |
阿吾十朗 | 1934年 - 没年不詳 | 1972年 - 1974年 | |
木村進 | 1950年 - 2019年 | 1973年 - 1988年 | |
間寛平 | 1949年 - | 1973年 - 1988年 | 現在は座員ではないが、特別公演や地方公演などに不定期に出演する。 |
伴大吾 | 1948年 - | 1974年 - 1978年 | |
谷しげる | 1940年 - | 1974年 - 1979年 | |
室谷信雄 | 1946年 - 2018年 | 1982年 - 1984年 | |
池乃めだか | 1943年 - | 1990年 - 1995年 | 現役座員 |
内場勝則 | 1960年 - | 1999年 - 2019年 | 1995年からニューリーダー(事実上の座長)、現役座員 |
辻本茂雄 | 1964年 - | 1999年 - 2019年 | |
石田靖 | 1965年 - | 1999年 - [いつ?] | 1995年からニューリーダー、現在は座員ではないがルミネtheよしもとや地方公演などに不定期に出演し座長を務める。 |
吉田ヒロ | 1967年 - | 1999年 - 2007年 | 1997年秋からの内場、辻本の東京進出に伴う不在の間、ほぼ毎週リーダーを務めた。現役座員。 |
小籔千豊 | 1973年 - | 2006年2月28日 - (在任中) | |
川畑泰史 | 1967年 - | 2007年6月19日 - (在任中) | |
すっちー | 1972年 - | 2014年6月11日 - (在任中) | |
酒井藍 | 1986年 - | 2017年7月26日 - (在任中) | 初の女性座長 |
副座長格(リーダー)
座長不在の公演で座長に代わり主役を演じるとともに、劇の脚本・構成を担当する。
- 清水けんじ(第4個目金の卵(2008年)、元フロントストーリー)
- 吉田裕(第1個目金の卵(2005年)、元トレイントレイン、前田真希の夫)
- 信濃岳夫(第2個目金の卵(2006年)、元リンゴスター)
- 諸見里大介(第6個目金の卵(2012年)、元ハム)
- (以下2名はリーダー経験者)
なお、副座長格はこれまでは明文化されたポストではなく、上述のとおり座長が不在またはゲスト出演する公演で座長に代わり主役を演じる座員を便宜上表現してきたものであるが、2019年3月1日の新喜劇60周年にともなう体制刷新の中で、次期座長候補とされる座員のために「リーダー」のポストが公式に新設され[18]、上記7名のうち清水・吉田・信濃・諸見里の4名が就任することが公表された[19]。
重鎮クラス
座長経験者。舞台に登場すると必ずと言っていいほど拍手が飛ぶ。登場時にコケるギャグの使用が許されている。
ベテラン
座長経験者同様、ストーリーや役柄の軽重に関係なく舞台登場時には拍手が飛び、また、あいさつの持ちギャグを披露し、他の出演者をコケさせることができる。
- チャーリー浜(座長経験はないが、「…じゃあ〜りませんか」のギャグがサントリー「ポケメシ」のテレビCMで全国的にブレークし、1991年の第8回日本新語・流行語大賞で年間大賞を受賞、新喜劇の東京進出に大きく貢献したとされ重鎮ポジションに昇格した)
- やなぎ浩二
- 島田一の介
- Mr.オクレ
- 若井みどり(女流漫才師”若井小づえ・みどり”出身、2007年10月1日入団、10月9日の舞台から出演。中山美保の死後は女性最年長)
- 末成映薫(女性陣の中では新喜劇在籍年数最長)
- 浅香あき恵
- 未知やすえ
- 帯谷孝史 (約10年の謹慎後、2010年3月より正式に座員として復帰)
マドンナ
ヒロイン的役割を担う女性演者。新喜劇では必要不可欠な存在である。ストーリーにより、主役の妻や片思いの相手、主役の不倫相手であったり…と変わるため、かならずしも明確な基準はない。ただ、在籍年数を重ねると徐々に後輩の女性演者にそのポジションを譲りベテラン座員として処遇される。末成・浅香・未知ら年長の女性座員もかつてはマドンナ格で舞台に出演していた(元漫才師の若井を除く)。ただし、マドンナと呼ばれる座員が必ずしも新喜劇でヒロインを演じるわけではないということを留意する必要がある[20]。
一般座員
- 安尾信乃助
- 楠本見江子(2009年12月再入団)
- しゃーやん(2011年7月再入団)
- 青野敏行
- はじめ(中田はじめ)
- 中條健一
- 西川忠志(2009年3月入団。11月17日の舞台から出演)
- アキ(水玉れっぷう隊、2014年5月1日入団。7月22日の舞台から出演)
- 島田珠代
- 山田花子(長らくテレビタレントとして活動していたが、2016年8月座員として復帰)
- 佐藤武志(浅香あき恵の夫、元Wヤング、2019年12月再入団)
- 千葉公平(2020年2月から)
若手
2005年まで行われていた『新喜劇フー!!』や、キャプテン☆ボンバーを主役として2006年に公演された『新喜劇ボンバー!!』などの座員を中心に、うめだ花月で活動する芸人も加わっていた。2005年からの「吉本新喜劇 金の卵オーディション」出身者は後述。
第1個目金の卵(2005年)
2005年に行われた「吉本新喜劇 金の卵オーディション」に合格した座員。新人といっても芸人や舞台人などのキャリアがある者も含まれ、すでに何人かは吉本新喜劇以外で活動がある。月1回の「金の卵ライブ(金の卵LIVE)」に全員が出演。以下の座員による「金の卵ライブ」は2006年7月が最終回。
第2個目金の卵(2006年)
2006年に行われた「吉本新喜劇 金の卵オーディション」に合格した座員。2008年当時、大阪・京橋にも「京橋花月」がオープンし、新喜劇の上演が決定したことから、これに対応した採用と思われる。
第3個目金の卵(2007年)
- 酒井藍(2017年7月座長に昇格)
第4個目金の卵(2008年)
第5個目金の卵(2009年)
第6個目金の卵(2012年)
2012年、「第5個目 金の卵オーディション」以来、3年ぶりとなる座員オーディションが実施された。
第7個目金の卵(2013年)
第8個目金の卵(2015年)
第9個目金の卵(2017年)
第10個目金の卵(2018年)
2018年に行われた「吉本新喜劇 金の卵オーディション10個目」に合格した座員。2018年4月14日(土)なんばグランド花月で開催された「吉本新喜劇特別公演〜すっちー、川畑、酒井藍、春の3座長祭り!!〜」にて合格座員の発表が行われた。2018年9月28日(金)YESシアター にて「金の卵10個目ライブvol.1」が開催され、ゲストとして川畑座長が前説、後説のMCを担当し劇中ではすっちー座長、酒井藍座長も登場し金の卵10個目メンバーに花を添えた。
第11個目金の卵(2019年)
作家
主に以下の者が担当している。
- 鳴瀬冨三子(檀上茂を師匠とする)
- 村上太(川畑・すっちー週)
- 佐藤トモ(川畑・すっちー)
- 大崎知仁(小籔・川畑・すっちー)
- 三栗雅子(すっちー)
- 宮崎高章(元・新喜劇座員)(小籔・すっちー)
- 稲見周平(川畑)
- 藤原和博(川畑・すっちー・酒井)
- 大東伸明(川畑)
- 当山穂高(川畑)
- 玉井聡司(川畑・酒井)
- 吉田佳
- 矢田和也
それ以外にもイベント等では以下の作家が担当している。
- お〜い!久馬(久馬歩)(ザ・プラン9のリーダー)
主要座員のテレビ・ラジオ出演
辻本茂雄、小籔千豊、未知やすえは関西地区を中心に新喜劇以外のテレビ番組にも出演している。特に小籔は新喜劇座長に就任したまま初めて東京に本拠地を移し[21]、タレントやファッションモデル、バンドマンとしても活躍している。辻本は全国放送の『バラエティー生活笑百科』に相談員として出演している[22]。この他、すっちー、吉田裕、松浦真也らが新喜劇でのギャグの掛け合い場面をアレンジしたショートコントを全国区の番組で披露することがあるほか。また、森田まりこを筆頭に若手座員が細かすぎて伝わらないモノマネ選手権に出演することもある。
ラジオでは、小籔や末成由美などがレギュラー番組を持っている[要出典]。
旧座員
以下に挙げる人物は、過去に在籍した座員のごく一部である。
旧体制時代(1989年9月以前)
- 座長経験者
最初期の新喜劇では、ほぼ毎回ゲストが座長を交代で務める形が採られており(花菱アチャコ、芦屋雁之助、東五九童[23]ほか)、純然たる新喜劇在籍者が座長を務めるようになったのは1960年からのことである。その中で最初に座長として頭角を現したのは白羽大介・守住清の2人であった。 以下は存命者または存命と思われる人物。故人は後述。
- その他
- 青木ミキ(1973年2月入団、オール巨人夫人)
- 青芝フック(小島あきら)
- 青島みどり
- 浅田祐介(元くるみ座の研究生)
- 芦屋小雁
- 姉川巌(1974年入団)
- 天野久美子(NSC出身、1983年入団)
- 飯田ミエ
- 伊玖野暎子
- 石井マキ
- 池田昌代(1977年入団、1978年退団)
- 石田輝代
- 石川大介
- 伊豆あすか
- 泉多美子(後の占い師泉アツノ)
- 石川寿子(アチャコ劇団出身)
- 泉ひろし
- 伊藤哲三(1963年7月入団)
- 糸川ナホミ(1972年11月入団、やなぎ浩二夫人)
- 井上和子(1966年入団)
- 井上味佳(OSK出身、1963年入団)
- 今岡まき子(1984年6月入団、マドンナ)
- 今西博子(1984年入団)
- 上原光代(間寛平夫人)
- 歌川節美(1975年2月入団)
- 内海英子(1962年9月入団、マドンナ)
- 宇野由利子
- うのりういち(1979年6月入団)
- 英京介(花紀京に師事、1963年7月入団)
- 大井文子
- 大内洵子(1960年入団)
- 大江将夫
- 大川直子
- 大崎隆晴
- 大里裕美(1961年ごろから2年程出演)
- 太田裕子(OSK出身、1961年入団)
- 大橋一博(1980年3月入団)
- 大村崑
- 大宅乃夫子(1959年入団、結婚し退団)
- 岡ゆうた(1983年に「おかけんた・ゆうた」を結成して退団)
- 岡田光男
- 奥津由三
- 尾崎ゆう子(1960年入団)
- 甲斐野トミ(昭和40年代に出演)
- 香川明子(1964年から1965年ごろ出演)
- 笠原亮三
- 風間舞子(木村進元夫人、1987年入団)
- 梶原一弘(現:落語家桂三象)
- 片岡あや子(1968年6月入団)
- 片山英昭
- 片山理子
- 金沢富子(結婚し退団)
- 金乃成樹(松竹新喜劇へ移籍)
- 雷門禄郎
- 菊池大助(松竹新喜劇出身、1966年11月入団)
- 岸田一夫(「笑いの王国」、「ピエル・ボーイズ」出身)
- 木下ほうか(現 俳優)
- 木村明
- 木村優(木村進、風間舞子の娘、1987年入団、子役)
- 京風美千代(宝塚歌劇団出身、1960年に結婚し退団)
- 黒木雪夫(後のすっとんトリオ)
- 黒瀬良(子役として数回出演)
- 香月京子
- 好田タクト(現在ピン芸人)
- 九重千鶴(宝塚歌劇団出身)
- 小島のぶえ
- 小島ゆかり(NSC出身、1985年入団)
- 坂井秀太郎(時代劇専門)
- 坂田利夫
- 坂本豪(1971年4月入団)
- 桜国子(1983年2月入団)
- 佐々五郎(佐々十郎の実弟)
- 五月十三子
- 佐藤ひろし
- 塩野一平(1984年入団)
- 清水正
- 白木みのる
- 新谷京子
- しんぶらしすたーず
- 杉本美樹
- 角ともや(元自衛隊の陸士長、1968年10月入団)
- 関本千世子(1959年入団、研究生、結婚し退団)
- 世志凡太
- 園みち子(1978年1月入団、マドンナ)
- 園みつ子(1965年研究生で入団、結婚し退団)
- 高勢ぎん子(1967年入団)
- 高橋和子(1979年5月入団、元新喜劇座員前田国男夫人)
- 武内正和(1981年入団)
- 武田京子(1974年11月入団)
- 立花宏子(1959年入団)
- 田中智鶴恵
- 田之本了(1971年8月入団)
- 田中猛
- 田中ひとみ
- 田中弘
- 谷本一
- 玉井清美
- 玉松キャップ
- 玉村輝彦(シベリア文太、ルミネtheよしもと新喜劇座員)
- 千原万紀子
- 司芙美(1963年、研究生で入団、奥津由三夫人)
- 蔦陽子(OSK出身)
- 陳玉華
- 津島ひろ子(1974年入団、マドンナ)
- 鶴岡徹
- 仲圭介(松竹新喜劇に移籍)
- 長江あきら
- 中尾愛子(1980年3月入団)
- 中岡秀樹(1968年11月入団)
- 中川明巳(1986年入団)
- 中川一美
- 中嶋恵美子(1979年5月入団、寿一実夫人)
- 中田チャック
- 中野みさよ
- 中山千夏
- 夏目京子
- 西岡慶子(曾我廼家五郎八の長女)
- 西川きよし
- 西川花助
- 西川ひかる(4代目西川サクラ)
- 西川洋子(1966年1月入団)
- 二宮二朗
- 庭野千草
- 萩清二
- 長谷一郎(1963年8月入団)
- 拔天太郎
- 花井三郎
- 浜谷敦子
- 濱根隆
- 速川進(1964年10月入団)
- 春風すみれ
- 春名幸子
- 東田つぐみ
- 一ツ橋雪
- 平川幸男(後Wヤングを結成)
- 平野恵美子
- 平山のぶ子(1970年5月入団)
- 平山信子(1975年5月入団)
- 広野つとむ
- 藤健一
- 藤里美(1969年5月入団)
- 藤井信子
- 藤江竜海
- 藤田信二
- ヘレン杉本(西川きよしと結婚し退団)
- 堀江たかし
- 堀田正子(NSC出身)
- 堀健
- 前田五郎
- 真壁一夫
- 政晴子
- 真智恵子
- 丸橋清美(宝塚歌劇団出身、結婚し退団)
- 三角八重
- 峰きよし
- 三輪ますみ
- 宮武要人
- 三輪やすひこ(元松竹新喜劇出身、1966年11月入団)
- 村田いつ子(1960年12月入団)
- 望岡幸敏
- 森一修
- 森公平(1981年8月入団)
- 森信
- 森秀人
- 安田密子
- 柳井幸多朗
- 山口真代
- 山中正(1972年7月入団)
- 山本幸子
- 結城美千代
- 由利謙(1962年6月入団)
- 横井修平
- 淀川吾郎(1967年8月入団)
- 横山アウト
- 与志きみと
- 吉野幸子(ルーキー劇団に移籍)
- 米坂福太郎
- 若山みち子
- 和田志朗
- 渡辺広美
- 竹田京子
- 故人
- 秋山たか志
- 阿吾寿朗(元座長)
- 浅草四郎(岡八郎と漫才コンビを組む)
- 芦屋雁之助(第9回目より特別出演)
- 芦屋雁平(初代芦屋凡凡)
- 市川小金吾(初代市川青虎)
- 井上竜夫
- 今喜多代
- 内海カッパ
- 初代内海突破
- 梅田ひろし(1969年9月入団)
- 永隆子(笑福亭仁鶴夫人)
- 大久保怜
- 鳳啓助
- 岡八郎(元座長)
- 春日井真澄(1960年頃出演。作曲家加納光紀の夫人)
- 8代目雷門助六(雷門五郎)
- 河村節子
- 木戸新太郎
- 木村進(3代目博多淡海、元座長)
- 京唄子
- 佐々十郎
- 島木譲二
- 島田洋介
- 清水キョウイチ郎
- 清水金一
- 下田道子(1960年入団)
- 白川珍児
- 白羽大介(元座長)
- 平参平(元座長)
- 高石太(松竹新喜劇に移籍)
- 玉松一郎
- 中田軍治(後Wヤングを結成))
- 中山三吉
- 中山美保
- 3代目西川サクラ(フラワーショウの華ぼたん)
- 西川ヒノデ
- 博多淡海(2代目)[25]
- 花紀京(元座長)
- 花菱アチャコ
- 花和幸助(松竹新喜劇へ移籍)
- 3代目林家染丸
- 原哲男(元座長)
- 人見きよし
- 藤田まこと
- 南喜代子
- 益田やよい
- 三崎希於子
- 室谷信雄(元座長)
- 横山エンタツ
- 横山ノック
- ルーキー新一(元座長)
- ルーキー清二
- 渡淳(レツゴーじゅん)
- 笑福亭松之助
- 伴大吾[26]
- 山田スミ子(定期的な座長ではない)
「やめよッカナ!?」時代以降(1989年10月以後)
- 座長(主役)クラス
- 石田靖(現:ルミネtheよしもと新喜劇座長)
- 今田耕司(現:ルミネtheよしもと新喜劇座長)
- 木村祐一(現:ルミネtheよしもと新喜劇座長)
- 東野幸治(現:ルミネtheよしもと新喜劇座長)
- 130R(現:ルミネtheよしもと新喜劇座長)
- 座員
- 青柳裕之(第6個目金の卵オーディション合格者)
- 安藤成寛(第8個目金の卵オーディション合格者)
- 石野マユ
- 石本文人(第2個目金の卵オーディション合格者)
- 板坂由美子
- いちじまだいき(第5個目金の卵オーディション合格者。2016年6月まで活動)
- 今井成美(第8個目金の卵オーディション合格者。2017年、結婚を機に退団)
- 井村勝
- インス(金 仁淑(きん ひとみ))
- 大端絵里香(第5個目金の卵オーディション合格者)
- 大山英雄(ルミネtheよしもと新喜劇班へ移籍)
- 岡村隆史(ナインティナイン)
- 尾崎小百合(かつみ♥さゆり)
- 御澤知世(第5個目金の卵オーディション合格者)
- 梶本愛(元大阪パフォーマンスドール。2004年、結婚し退団・引退)
- 廉林優(第8個目金の卵オーディション合格者。2017年11月退団)
- カナエ
- 家門鈴乃(第4個目金の卵オーディション合格者)
- 狩場愛子
- 神所正良
- 北山麻依加(元つぼみ、第6個目金の卵オーディション合格者)
- 木島さやか(第5個目金の卵オーディション合格者。2011年正月まで活動)
- 北野翔太(第10個目金の卵オーディション合格者)
- 木下鮎美(第6個目金の卵オーディション合格者)
- 国崎恵美(ルミネtheよしもと新喜劇班へ移籍)
- 後藤秀樹[27](元シェイクダウン、第6個目金の卵オーディション合格者)
- 小米良啓太(金のひよこ。2012年12月頃まで活動)
- 酒井美紀
- 坂田朗子(元大阪パフォーマンスドール)
- サラ(母親が日本人、父親がイラン人のハーフ。大阪府出身。第9個目金の卵オーディション合格者 約1年未満在籍)
- しましまんず(京橋花月での新喜劇に一時期出演)
- 清水陽子
- しゃっきー(第6個目金の卵オーディション合格者。2016年3月退団)
- 仙堂花歩(第1個目金の卵オーディション合格者。堺少女歌劇団クリエイティブプロデューサー)
- たいぞう
- 竹迫唯(第5個目金の卵オーディション合格者)
- 田島幸恵
- 千原兄弟(千原せいじ、千原ジュニア)
- 坪田光生(第3個目金の卵オーディション合格者)
- 鶴屋華丸(現:博多華丸、2001年客員として参加)
- トミーズ健
- ともえ(第2個目金の卵オーディション合格者)
- 中恭太(金のひよこクラス。2010年1月頃まで活動)
- 中川貴志(元ランディーズ)
- なかやまきんに君(米国への"筋肉留学"を経て、東京に拠点を移す)
- 中西喜美恵
- 中野正之
- なかのよいこ(第6個目金の卵オーディション合格者。2016年12月まで活動)
- 西田あつし
- 西科仁
- 西峯喜策
- 野村多加子(2000年、結婚し退団・引退)
- 波多野健太(元ママレンジ、第3個目金の卵オーディション合格者)
- バッファロー吾郎(竹若元博、木村明浩)
- はやしよしえ(第7個目金の卵オーディション合格者)
- 原田大樹(第5個目金の卵オーディション合格者。2010年9月頃まで活動)
- ヒロト(第7個目金の卵オーディション合格者。2017年3月まで活動)
- 堀川貴広(金の卵9個目オーディション合格。2018年5月退団。NSC39期生)
- 藤井隆
- 福岡亮治
- 福田多希子(元つぼみ、第6個目金の卵オーディション合格者。2017年、土肥ポン太との結婚を機に退団)
- 福田転球(2001年頃客員として参加)
- 福本愛菜(元NMB48)
- 別所清一(2010年5月頃まで活動)
- 前田由梨
- 前田央昭(2009年4月退団)
- 松下笑一(第1個目金の卵オーディション合格者。東京本社で活動中)
- 牧野大介
- 松村恵美(第7個目金の卵オーディション合格者。2016年12月まで活動)
- 見取慎太郎(元リンゴスター、第2個目金の卵オーディション合格者。2011年4月頃まで活動)
- 南出一葉(オール巨人の娘。2009年結婚のため退団)
- 宮崎高章(2012年3月退団。現在は構成作家)
- 村上斉範(金のひよこ。2014年6月頃まで活動)
- もりしゅん(第6個目金の卵オーディション合格者)
- 森内紀世(川畑泰史元夫人。育児のため退団[28])
- 安井まさじ(第3個目金の卵オーディション合格者。2016年6月まで活動。地元熊本に拠点を移し、熊本県住みます芸人らと「よしもと南国劇団」を立ち上げ)
- 矢野勝也(矢野・兵動)
- 山田琴音(芸名:リンリン 第9個目金の卵オーディション合格者。2018年3月退団。NSC39期生)
- 山路藍(第5個目金の卵オーディション合格者。2011年2月末頃まで活動。[29]、のちにガールズケイリン選手に転向)
- やまだひろあき(元平安美人、第6個目金の卵オーディション合格者)
- リットン調査団(水野透、藤原光博、現・ルミネtheよしもと新喜劇メンバー)
- レイザーラモン(出渕誠、住谷正樹)
作家・演出家
- オパヤン
- 本多正識
- 畑嶺明
- 海老原靖芳
- 吉井三奈子
- 古川順一
- 大工富明
- 竹本浩三
- 檀上茂
- 中村進
- 徳田博丸(現在は沖縄花月の新喜劇などを担当)
- 萩原芳樹
- 前田政二(NSC1期生として同期である内場主演の脚本を担当)
- 湊裕美子
マスコットキャラ
特徴
- 各座員の固定された「持ちネタ」を利用した予定調和[30]。
- 座員同士の息の合わせに応じたアドリブ(辻本茂雄のローテーショントークなど)。
- 座員の登場時に一発ギャグを言う(それに合わせて他の座員もこける)。
- それ以外にも、一人のボケに役者全員がこけるというパターンが多い[31]。
- 演者は基本的に役名=芸名 として、芸名のままで登場する。家族として登場する場合は世帯主の苗字に合わせる(例:吉田裕の父親役が島田一の介の場合は島田裕になる)。
オープニング曲
- 『Somebody Stole My Gal』(作曲:レオ・ウッド、演奏:ピー・ウィー・ハント)
- 原曲はレオ・ウッドが1918年に作曲した楽曲。タイトルを日本語に訳すと「誰かが自分の彼女を奪い去ってしまった」となる失恋ソングだが、ピー・ウィー・ハントが明るく軽快な曲調にカバーした楽曲である(『5時に夢中』2020年5月13日放送追跡ベスト8より)。1935年には「君いずこ」の題でディック・ミネが日本語カバーバージョンを歌唱している。
- 新喜劇のテーマに用いられているものはトロンボーン奏者のピー・ウィー・ハントが1954年頃にリリースしたアルバム「Swingin' Around」に収録されたディキシーランド・ジャズバージョンで、「ホンワカパッパ ホンワカホンワカ…」とも表現される特徴的なメロディの音色は、トランペットにワウワウミュートを装着したものである(このアルバムに収録されている楽曲の大半はワウワウミュートを装着して演奏されている)。
- もともとは朝日放送で放送されていた花月中継のオープニング曲であり、当時のスタッフであった石田健一郎が数曲の中から選曲した。毎日放送の中継やなんばグランド花月でのオープニング曲は本曲とは異なるものであった(『生産性向上のためのBG音楽・工場向け第一集その5』収録。うめだ花月では、この曲が実際の舞台でも緞帳を上げる時に流れていた)。しかし、ピー・ウィー・ハントの「Somebody Stole My Gal」のメロディがあまりにも印象に残るものであったため、「新喜劇をイメージさせる曲」にとどまらず、『六甲おろし』ともども大阪をイメージさせるステレオタイプな曲として認識されるようになった。情報番組で大阪の軽い話題を扱う際は、ほとんどの場合が「Somebody Stole My Gal」がかけられていると言っても過言ではない。この知名度の高さのおかげで、現在ではなんばグランド花月でも緞帳が上がる際に必ずこの曲が流されており、音楽に合わせて手拍子をする団体客までいることがある(数年前までは上演作品ごとに曲を変えていたが、昨今のストーリーの同一性と並行するかのように音楽までも固定されてしまった)。
- 1997年に『探偵!ナイトスクープ』で、「この曲を擬音化したら『ホンワカ……』か『プンワカ……』のどちらになるか」でもめているカップルの依頼があった。街頭調査の結果、「ホンワカ」が大勢を占めたのだが、ロケが放送される前にスタジオで「音楽的にいえば『ホンワカ』」と断言されてしまっていた。最終的にはどっちでもよい結果となった。なお、「Somebody Stole My Gal」は映画『アビエイター』の中でBGMとして流れたり、ベニー・グッドマンなどもレコーディングしているが、この音色を用いているのはピー・ウィー・ハントのバージョンのみである。
テーマソング
- テレビ放送用
- 「エクスタシー」(1992年2月21日リリースから次の ECSTASY OSAKAまで)
- 「ECSTASY OSAKA」(内場・辻本・石田のニューリーダー体制記念として1996年にリリース。放送終了後の座員たちによるイベント告知のBGMとして使用)
- 「宝島」(内場・辻本による東京からの放送時代に使用)
- 「エビバディ!笑おうサンバ」(2009年5月20日リリース、主にNGKでの新喜劇開演前のセット組み立て中に流れる)
- 「Luck book new joy play ?」(座員と福岡晃子で結成されたバンド「吉本新喜劇ィズ」の楽曲。放送終了後の座員たちによるイベント告知のBGMとして使用)
- 巡業用
- 「あんたが主役」(「宝島」のカップリングソング。1998年の全国ツアーに使用)
テレビ番組
- よしもと新喜劇(毎日放送、一部TBS系列局、 GAORA・他系列局でも放送、キー局のTBSテレビ・無料BS放送のBS-TBS・有料CS放送のTBSチャンネル、独立局のチバテレ・テレ玉・群馬テレビ・とちぎテレビでは非ネット)
- お正月限定!超豪華な吉本新喜劇SP(TBSテレビ、2018年から毎年1月1日に放送)
- お笑いアフタドゥーン(テレビ朝日)
- 大阪吉本新喜劇 IN ルミネ(ヨシモトファンダンゴTV)
この他にもBSフジでも不定期で独自版(BSフジ・吉本興業制作著作)を放送している。
過去に新喜劇がレギュラーでテレビ放送された番組
- 花月爆笑劇場(毎日放送制作:1980年代後期まで。うめだ花月からの中継が主)
- お笑い花月劇場(朝日放送制作:1980年代中期頃まで。なんば花月からの中継が主)
- 吉本笑撃!(テレビ大阪)
- 花月脱線劇場(毎日放送)
- 吉本コメディ(よみうりテレビ:1978年4月〜1988年3月、コメディNo1、間寛平、木村進らによるシチュエーションコメディ)
- 超!よしもと新喜劇(毎日放送制作:TBS系列)
- 超コメディ60!(毎日放送制作:TBS系列)
- ギャグ輸入!月刊ヨシモト新喜劇(ABCテレビ)
- 吉本☆新喜劇の週末(CS放送 フジテレビ721ch/ヨシモトファンダンゴTV 284ch)
- 日曜笑劇場(ABCテレビ。スカイ・A sports+でも放送)
- よしもと情熱コメディ〜TVのウラ側で大騒ぎ!モンスターAD奮闘記〜(読売テレビ)
- よしもとミッドナイトコメディ 3年2組ポンコツの唄(読売テレビ)
吉本新喜劇の映画
- シネマワイズ新喜劇(1997年)
お馴染みの吉本新喜劇のメンバーと他の出演者が出演している。ビデオもあり、今田耕司と東野幸治が吉本新喜劇のメンバーの丸秘情報を教えるおまけのコーナーがある。2003年にDVD化した際には今田と東野のコーナーはカットしメイキングを追加している。レンタルも可能である。
- よしもと新喜劇 映画「西遊喜」(2016年2月20日、KATSU-do)
- よしもと新喜劇 映画「商店街戦争〜SUCHICO〜」(2017年3月4日、KATSU-do)
- よしもと新喜劇 映画「女子高生探偵あいちゃん」(2018年3月17日、KATSU-do)
その他の作品
- ダウンタウンのガキの使いやあらへんで
- 山崎新喜劇・旗揚げ公演(2010年6月27日放送):「涙のプロポーズ波止場」と称し、山崎邦正を座長とする新喜劇公演が行われた。出演者は今夜が山田や新おにぃ、ピカデリー梅田などといった同番組の名物キャラクターで構成され、一部本家のギャグも使用された。
- 大晦日SP「絶対に笑ってはいけないスパイ24時」(日本テレビ系):本編のスパイ機関・GIA所属団員による新喜劇風の舞台「帰ってきた風来坊」が行われた。出演者は木本武宏、前田美波里、梅宮クラウディア、温水洋一、パンツェッタ・ジローラモ、Mr.マリック、田中将大、坂口良子ほか。舞台は浪花のうどん屋、3兄妹が繰り広げる物語。随所に本家のギャグをそのままに使い、罰を受けるダウンタウン、ココリコ、山崎邦正に笑い地獄を与えた。また、BGMはかつて毎日放送で使用された「生産性向上〜」が使用された。
- NMB48 feat.吉本新喜劇(Vol.1 - 15):NMB48のニューシングル発売に合わせる形で公演が行われ、通常盤(Type-A~Type-Dのいずれか)の特典映像として収録される(Vol.9は2ndアルバムのType-Bの特典映像)。新喜劇座員とNMB48の選抜メンバーとの共演となっている[32]。
補足
テレビで放送された作品によってはDVD版に収録されて発売されることがある(1984年5月12日放送『ハネムーン騒動』[33]や1986年10月12日放送の「どら猫物語」など[34])。
脚注
- ^ 関西の子供たちは、このテレビ放送でボケとツッコミを覚え、立派な関西人になるとされる(岩本 2009参照)。
- ^ その後、2011年12月23日の特番を経て、2012年7月15日より『よしもと情熱コメディ〜TVのウラ側で大騒ぎ!モンスターAD奮闘記〜』としてレギュラー放送再開。
- ^ お留守番日記4 - 浅香あき恵「あき恵ちゃんのチョベリグ日記」 - Yahoo!ブログ
- ^ 2011年7月2日放送の『嵐にしやがれ』(日本テレビ)での今田耕司の発言より。なお、オール巨人のブログでは2009年から禁止と説明されている。
- ^ 酒井藍が吉本新喜劇座長に就任決定! 史上初の"女座長"が誕生!吉本新喜劇公式ホームページ
- ^ ヒット曲の『アホの坂田』など吉本タレントが唄う歌謡曲の作詞も多く手掛け、新喜劇50周年(2009年)記念公演の監修に当たった。現在、吉本興業文芸顧問、帝京平成大学現代ライフ学部教授、帝塚山学院大学文学部講師、大阪市「上方芸能文化顕彰」選考委員。
- ^ 竹本と共に吉本新喜劇を立ち挙げ隆盛させた作・演出家であり、現在も特別公演では脚本・演出を担当する一方で、後進の育成も手掛けている。
- ^ 『上方芸能・笑いの放送史』(澤田隆治著、日本放送出版協会、1994年)
- ^ 例えば、あるチームが上席に京都で掛けた芝居は、引き続いてうめだの中席で同じ芝居を上演されるが、下席のなんばでは別の新作を上演する。このなんばの新作は基本的に京都、うめだでは上演されない。
- ^ ただしギャグや演者のキャラクターが今ほどに重視されるようになったのは間寛平、池乃めだか、チャーリー浜等が台頭後の時代の話でありその昔は吉本新喜劇もストーリー性をそれなりには重視していた。
- ^ 他の3人と同様、ニューリーダーの打診があったがTV番組出演の関係で見送られた。
- ^ 安倍首相、吉本新喜劇に出演 舞台上にSP2人配置サンスポ 2019年4月20日
- ^ “「桃色つるべ」初の大阪ロケ、新喜劇でももクロバージョン乳首ドリル披露”. お笑いナタリー (2015年6月15日). 2015年8月15日閲覧。
- ^ 過去には木村進の提案で1987年から「うめだ花月」で同様のトークが行われていたことがある
- ^ 吉本が「九州新喜劇」16日旗揚げ!初代座長は寿一実、ツッコミより柔らかさ
- ^ よしもとニュースセンター : 小籔千豊、川畑泰史、すっちー、酒井藍の4座長が一堂に集結!『吉本新喜劇全国ツアー2018』東京公演での小籔の発言より
- ^ 告知チラシ
- ^ 新喜劇座員のSNSやブログでは、従前からリーダーという表現は使われている
- ^ 吉本新喜劇の内場勝則、辻本茂雄が座長勇退へ 3月から4リーダー就任で新体制(THE PAGE) - Yahoo!ニュース
- ^ 浅香、島田珠代などもごく稀ながらヒロインを演じることがある。
- ^ キラキラ生活の火曜日★バイキング - フジテレビ
- ^ 番組情報 - バラエティー生活笑百科 - NHK、“NHK 大阪放送局 | 番組情報 | バラエティー生活笑百科”. NHK大阪放送局. 2013年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月3日閲覧。
- ^ 曾我廼家五郎一門の曽我廼家蝶五郎の門下、漫才では松葉蝶子や香島ラッキーを相方にしていた
- ^ 木戸新太郎や作家の友村順一に師事、「ポンカラキンカンコン」のギャグで新喜劇草創期を支えた。
- ^ 博多仁輪加の大御所。松竹新喜劇へ移籍
- ^ 1967年1月入団。人気を博したが、借金問題で退団した
- ^ シェイクダウン。 ザ・プラン9 お〜い!久馬のblog 「歩記」、2015年01月21日より
- ^ 吉本新喜劇座長、川畑泰史が離婚 私生活でもコケる Archived 2012年8月3日, at the Wayback Machine. MSN産経ニュース 2012年5月27日
- ^ ガールズケイリン公式ブログ (2013年7月1日). “NGKからNKG”. 2013年7月15日閲覧。
- ^ 松原隆一郎は、客との合意の上で成立する、何年も使ったギャグを知っていることを前提とした笑いであるとする。また尾上圭介は、大阪では面白いヒトで笑う傾向があり、お決まりキャラクターで笑わせる面が強いとする(岩本 2009)。
- ^ 阪田真己子は、ズッコケることで笑いどころを視覚的合図として送るという信頼関係が構築されており、それを受け入れない部外者には理解できず時に怒りさえ覚える、とする。(岩本 2009)。
- ^ “NMB48 甘噛み姫”. SonyMusicShop. 2020年1月4日閲覧。
- ^ “花紀京~蔵出し名作吉本新喜劇~(1)花”. よしもとネットショップplus 本店. 2020年1月4日閲覧。
- ^ “蔵出し名作吉本新喜劇 花紀京・岡八郎(DVD-BOX)”. よしもとネットショップplus 本店. 2020年1月4日閲覧。
参照文献
- 岩本哲生「吉本新喜劇 君は笑える?」、『朝日新聞』2009年4月18日東京版朝刊、24面。
- 吉本新喜劇名場面集 1959-1989、株式会社データハウス、1989年
関連項目
外部リンク
- 吉本新喜劇オフィシャルサイト
- 新喜劇トピックス - ウェイバックマシン(2019年11月1日アーカイブ分)
- 吉本新喜劇 (@shinkigeki1) - X(旧Twitter)
- 吉本新喜劇 (@yoshimotoshinkigeki) - Instagram
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