曾我廼家十郎
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曾我廼家 十郎(そがのや じゅうろう、1869年5月27日〈明治2年4月16日〉 - 1925年〈大正14年〉12月4日)は日本の俳優、劇作家。本名は大松福松。劇作家としては和老亭当郎と名乗った。
生涯
[編集]1900年(明治33年)、3代目中村歌六の弟子となり中村
座頭は五郎が務めていたが、事情を知らない観客は曾我兄弟に由来する名前から十郎を兄貴分として立てたため、2人の関係に溝が生じた[2]。1914年(大正3年)に五郎と別れて一座「十郎劇」を結成し人気を得るも、慢性腎臓病に悩む[1]。
1925年(大正14年)、東京・有楽座の舞台で倒れ、同年12月に大阪の自宅で死去[1]。墓所は松阪市の清光寺にある。
関連書籍
[編集]- 渋谷天外『わが喜劇』
- 桜井祐吉『松阪文芸史』
- 『三重県紳士録』
- 春陽堂版『日本戯曲全集』(現代篇3輯)
脚注
[編集]- ^ a b c 朝日新聞社 1963, p. 218.
- ^ a b 朝日新聞社 1963, p. 220.
- ^ 朝日新聞社 1963, pp. 219–220.
参考文献
[編集]- 朝日新聞社 編『いまに生きるなにわの人びと』朝日新聞社〈コンパクト・シリーズ〉、1963年11月5日、218–222頁。