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'''株式会社サンコー'''は、神奈川県を地盤として<ref name="horita-daiei-1981-7">堀田真康 『ダイエー 燃える流通革命軍団』 [[朝日ソノラマ]]、1981年7月。ISBN 978-4257060871</ref>[[東京都]]や[[埼玉県]]にも展開していた[[スーパーマーケット]][[チェーンストア|チェーン]]である<ref name="nawa-conglomerate-daiei-1979-8" />。1961年(昭和36年)11月10日に設立され<ref name="kanagawa-pref-history-3-chronological-table-1982-3" />、1970年(昭和45年)2月27日に[[ダイエー]]と提携し<ref name="kawasaki-city-history-4-2-1997">川崎市編 『川崎市史 通史編 4 下 現代・産業・経済』 川崎市、1997年。</ref> |
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== 歴史・概要 == |
== 歴史・概要 == |
2020年7月11日 (土) 10:18時点における版
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
本社所在地 |
日本 神奈川県川崎市川崎区榎町9-21[3] 本部:東京都品川区西五反田7-22-17[3]東京卸売センター[4] (1970年(昭和45年)7月23日移転[4]) |
設立 |
1961年(昭和36年)11月10日(初代)[5] ↓ 1950年(昭和25年)2月22日(2代目)[3][注釈 1] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | スーパーマーケット[7] |
代表者 |
中田安彦[7] ↓ 大川栄二[6] |
資本金 |
100万円(設立時)[3] ↓ 5億円[3] |
売上高 |
約350億円 (1972年(昭和47年)8月期)[8][9] ↓ 約657億円 (1979年(昭和54年)2月期)[9] |
純利益 |
約5.99億円 (1979年(昭和54年)2月期)[9] |
決算期 |
8月[8][9][10] ↓ 2月[3] |
主要株主 |
岡田屋(現・横浜岡田屋)[10] ↓ ダイエーグループ:約90%[3] ↓ ダイエー:約29%[11] |
特記事項:1981年(昭和56年)7月31日に「株式会社マルエツ」にを吸収合併されて消滅[12]。 |
株式会社サンコーは、神奈川県を地盤として[13]東京都や埼玉県にも展開していたスーパーマーケットチェーンである[9]。1961年(昭和36年)11月10日に設立され[5]、1970年(昭和45年)2月27日にダイエーと提携し[14] [注釈 2]、1979年(昭和54年)12月3日に東京証券取引所第2部上場したが[2]、1981年(昭和56年)7月31日に「株式会社マルエツ」に吸収合併された[12]。
歴史・概要
設立から新興スーパーを代表する中堅チェーンへ
サンコーは、岡田屋(川崎市地場資本の呉服店・現在の横浜岡田屋)のスーパーマーケット事業会社として[5][10]、1961年(昭和36年)11月に資本金100万円で設立された[6]。
同月に1号店として「小田店」を開設したのを皮切りに[6]、武蔵小杉や鹿島田、登戸、武蔵新城、溝の口などの南武線沿いや大師や川崎駅前、元住吉など地盤である川崎市内に加えて、隣接する横浜市内の綱島や星川等へ出店を進め[10]、1966年(昭和41年)8月期には岡田屋グループ全売上の55%を占める最大事業へと成長した[10]。
そして、1968年(昭和43年)5月時点では神奈川県内では最多の15店舗を展開する[10]中堅スーパーへ成長した[14]。
また、1969年(昭和44年)11月に共同仕入れ機構「ナルサ」を[15]、イトーヨーカ堂や扇屋のほか[15]、伊勢甚・忠実屋・藤五・カネ長武田と共に設立し[16]、参加企業の合計で売上高1000億円超の流通グループを形成することになった[15][注釈 3]。
この「ナルサ」では、売上高約300億円の当社は約320億円のイトーヨーカ堂と共に中核となり[15]、岡田屋グループの岡田吉朗が[14]代表取締役[17]・会長に就任した[14]。
このように、新興スーパーを代表する存在として[9]、神奈川県を地盤として[13]26店舗を展開するスーパーマーケットチェーンとなり[18]、同じ川崎市に本拠を置いて本業の百貨店で岡田屋と競合していた老舗・小美屋が「小美屋第一商事」を設立してスーパーマーケット「コミーマート」を開業した際には当社を超えることが目標とされた[14]。
ダイエー傘下での再建
しかし、経営難に陥ったため[19]、1970年(昭和45年)2月27日にダイエーと提携して再建を図ることになり[14]、役員の相互派遣や当社独自のショッピングセンターの開設などを含む提携を行うことになった[14][注釈 2]。
この提携発表の翌日の1970年(昭和45年)2月28日に「ナルサ」に脱退届を正式に受理され[4]、脱退した[20]。
その後、ナルサはイトーヨーカ堂を中心として運営されるようになったが[16]、1976年(昭和51年)8月21日に扇屋がジャスコと合併し[20]、1978年(昭和53年)7月に忠実屋が脱退する[20]など衰退に向かい[20]、イトーヨーカ堂に吸収合併されて消滅することになった[9]。
また、提携当初は当社独自のショッピングセンターの開設継続が含まれていたことから[14]、提携直後の1970年(昭和45年)には、3月21日に川崎市の向ヶ丘遊園駅前に専門店約60店が入居する向ヶ丘ショッビングワールドを開業し、同月26日に横浜市長津田に専門店約40店が入居する長津田ショッピングワールドを開業、11月20日に横浜市上大岡に上大岡ショッピングワールドを開業、同月28日に横浜市井土ヶ谷に井土ヶ谷ショッピングワールドを開業するなど大型店を相次いで出店した[4]。
ところが、西友等の他の大手スーパーも買収の動きもあったことからダイエーが約35億円で買収し[18]、1970年(昭和45年)7月1日に当社の仕入れ部門を廃止してダイエーと共同仕入会社の「エマック」を設立すると共に[14]、同月23日に東京都品川区西五反田の東京卸売センターへ本部を移転した[4]。
そして、1971年(昭和46年)4月にダイエーとの共同店舗の第1号店として「鶴見ショッパーズプラザ」を開業し[13]、当社は鶴見西口店を出店した[21]。
また、大型店の業績が低迷していたことから[9]、ショッピングセンターの管理・運営はダイエー・ショッビングセンター運営部が継承することになり[6]、1971年(昭和46年)に向ヶ丘店と上大岡店[8]、横浜西口店はダイエーに営業権を譲渡することになった[16]。
その結果、当社の店舗数は25店舗へ減少し[9]、業務体制の確立のために約7年間にわたって出店を凍結した[6]。そして、総合スーパー・ダイエーと異なるチェーンストアとして差異化を図り[6]、食料品約60%で衣料品と家庭用品が各々約20%という構成比の食品スーパーとして独立したチェーンとして展開した[9]。
出店の再開から上場へ
1977年(昭和52年)9月に桜台店を開店して[22]出店を再開し[9]、1978年(昭和53年)9月に開店した[22]南浦和店を皮切りに埼玉県へ進出し[9]、以降は神奈川・東京・埼玉・千葉の4県でのチェーン展開を目指すことになった[9]。
こうした経営改善により1979年(昭和54年)2月期には売上高約657億円で約5.99億円の純利益を上げるようになり[9]、同年12月3日に東京証券取引所第2部上場した[2]。
マルエツに吸収合併
しかし、首都圏における有力食品スーパーで大手スーパーの首都圏攻略のカギを握るとされていた「株式会社マルエツ」が「株式会社西友ストアー(現・西友)」と全面提携すると報道されると[13]、創業家の高橋家の中での意見の相違があったことを利用してダイエー側が逆転[23]。
その結果、1981年(昭和56年)2月4日にはダイエーグループの当社が「株式会社マルエツ」に吸収合併される契約に調印し[24]、同年7月31日に同社に吸収合併され[12]、当社はその歴史に終止符を打つことになった。
年表
- 1961年(昭和36年)
- 1961年(昭和36年)
- 1966年(昭和41年)
- 8月 - 岡田屋グループ全売上の55%を占める最大事業となる[10]。
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)
- 1976年(昭和51年)
- 10月 - 株式の額面変更の目的で同名の(2代目)サンコー(旧・片町商事)を存続会社として合併[6]。
- 1977年(昭和52年)
- 1978年(昭和53年)
- 1979年(昭和54年)
- 1981年(昭和56年)
かつて運営していた店舗
神奈川県
川崎市
川崎区
- 店舗面積約778m2[3]。
中原区
- 店舗面積約894m2[35]。
高津区
- 店舗面積約5,022m2[22]。
- 店舗面積約1,022m2[22]。
- 店舗面積約781m2[3]。
- 店舗面積約772m2[3]。
幸区
多摩区・麻生区
横浜市
- 星川町商店街は117店があったが、当店進出後に17店が廃業した[10]。
- 店舗面積908m2[22]、土地面積1,484.8m2[36]。
- 1997年(平成9年)2月28日付けで土地・建物をリクルートコスモスに譲渡[36]。
- 店舗面積約2,971m2[22]。
- 直営店舗面積6,484m2[1]。
- SC店舗面積7,154m2[37]、延べ床面積約11,102m2[37]。直営店舗面積5,701m2[37]。
- 2012年(平成24年)6月27日に[38]「ビッグボーイ」敷地内に[39]「マルエツ中山店」が開店した[38]。
- 直営店舗面積約5,799m2[6] → 直営店舗面積約4,164m2[22] → 直営店舗面積4,168m2[37]。
- SC店舗面積8,306m2[37]、延べ床面積約12,804m2[37]、延べ床面積約13,462m2[40]。
- 長津田ショッピングワールドとして開店した[4]。
- 店舗跡は住友不動産が取得して2013年(平成25年)9月に解体工事を開始した[40]。
- 長津田駅北口の再開発ビルに[41]2013年(平成25年)3月27日に「マルエツ長津田駅前店」が開店した[42]。
- 店舗面積1,164m2[1]。
- 店舗面積2,775m2[1]。
- 店舗面積948m2[22]。
- 最戸店(港南区最戸1-1645[35])
- 店舗面積1,552m2[1]。
- ダイエーとの共同店舗の第1号店として「鶴見ショッパーズプラザ」を開業し[13]、
- 店舗面積約2,870m2[1]。
横浜市・川崎市以外
- 店舗面積1,480m2[1]。
- 店舗面積約2,832m2[1]。
東京都
- 店舗面積約483m2[3]。
- 店舗面積約1,719m2[22]。
- 店舗面積約1,048m2[22]。
埼玉県
- 店舗面積813m2[1]。
出店を計画した店舗
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『流通会社年鑑 1981年版』 日本経済新聞社、1980年11月17日。
- ^ a b c d e 吉田貞雄 『中内功の言葉のカンヅメ 永久革命をめざす 信念・人づくり・仕事・人使い』 中経出版、1989年2月。ISBN 978-4806103677
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年。
- ^ a b c d e 神奈川県県民部県史編集室 『神奈川県史 別編 3 年表』 神奈川県、1982年3月。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar 『流通会社年鑑 1978年版』 日本経済新聞社、1977年10月25日。
- ^ a b c d e f 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。
- ^ a b c d e 岩掘安三 『ダイエー 強さの秘密 中内功の実践論・矛盾論』 評言社、1973年。ISBN 978-4828200019
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 名和太郎 『巨大小売集団 ダイエーの全貌』 国際商業出版、1979年8月。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 横浜市総務局市史編集室/編 『横浜市史 Ⅱ 第三巻(下)』 横浜市、2003年3月。
- ^ a b c 創立60周年記念特別委員会 横須賀経済経営史年表編纂委員会 『横須賀経済経営史年表』 横須賀商工会議所、1990年1月。ISBN 978-4990004026
- ^ a b c d 『昭和58年度 公正取引委員会年次報告 独占禁止白書』 公正取引委員会、1983年12月。
- ^ a b c d e f g 堀田真康 『ダイエー 燃える流通革命軍団』 朝日ソノラマ、1981年7月。ISBN 978-4257060871
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- ^ a b c d e f g 三家英治 『現代日本小売経営戦略』 晃洋書房、1985年5月。ISBN 978-4771002906
- ^ 貴島操子 『ジャスコ急成長の秘密 連邦経営がもたらしたもの』 評言社、1977年5月。ISBN 978-4828200057
- ^ a b 大塚英樹 『中内功200時間語り下ろし わが人生は未完なり』 講談社、1996年8月21日。ISBN 978-4062083478
- ^ 中野忠良 『日本的経営の秘密』 紀尾井書房、1981年12月。ISBN 978-4765610056
- ^ a b c d 李敬泉. “ジャスコの出店戦略の原型”. 大阪市立大学 経営研究 第55巻第1号 (大阪市立大学) (2002年).
- ^ a b c 松信太助:編 石井光太郎・東海林静男:監修 『横浜近代史総合年表』 有隣堂、1989年12月。ISBN 978-4896600919
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap 『流通会社年鑑 1990年版』 日本経済新聞社、1990年11月24日。
- ^ 恩地祥光 『中内功のかばん持ち 昭和のカリスマと呼ばれた男』 プレジデント社、2013年8月。ISBN 978-4833420594
- ^ a b 『朝日年鑑 1982年版』 朝日新聞社、1982年2月20日。
- ^ 佐野眞一 『戦後戦記 中内ダイエーと高度経済成長の時代』 平凡社、2006年6月。ISBN 978-4582824469
- ^ a b “ダイエー「横浜ショッパーズ・プラザ」開店”. 神奈川新聞(神奈川新聞社). (1972年4月6日)
- ^ 2012年2月期(第60期) 決算参考資料 マルエツ. (2012年4月13日).
- ^ “オープン情報=マルエツ「マルエツ京町店」”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2012年7月25日)
- ^ a b 東洋経済新報社,社会調査研究所共同編集 『東洋経済臨時増刊 首都圏商業地図マップ』 東洋経済新報社、1995年5月24日。
- ^ “変化進むSM勢力図 川崎市・武蔵小杉駅周辺再開発、新駅絡みで新店・S&Bも”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年2月20日)
- ^ “オープン情報=マルエツ「マルエツ武蔵小杉駅前店」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年4月3日)
- ^ “オープン情報=マルエツ「マルエツ平間店」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2014年3月19日)
- ^ a b “「マルエツ平間店」建て替え、食品に特化 売場2層使い分け”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2014年3月19日)
- ^ 2010年2月期(第58期) 決算参考資料 マルエツ. (2010年4月15日).
- ^ a b c d e 『流通会社年鑑 2003年版』 日本経済新聞社、2002年12月20日。
- ^ a b c d e f “マルエツ、閉鎖2店舗の土地・建物を譲渡”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年2月5日)
- ^ a b c d e f g h i j 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版』 東洋経済新報社、2009年。
- ^ a b “オープン情報=マルエツ「マルエツ中山店」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2012年6月27日)
- ^ “(仮称)マルエツ新中山店 横浜市緑区中山町「ビッグボーイ」敷地内に”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2012年1月23日)
- ^ a b “住友不動産 旧マルエツ長津田店の解体に着手”. 建通新聞 (建通新聞社). (2013年9月9日)
- ^ “マルエツ 横浜市緑区 長津田駅北口の再開発ビル『長津田マークタウン』”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2012年8月6日)
- ^ “オープン情報=マルエツ「マルエツ長津田駅前店」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2013年4月3日)
- ^ “マルエツ、時間帯別にメニュー展開 新田店の惣菜売場で”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2012年11月7日)
- ^ “オープン情報=マルエツ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年12月1日)
- ^ a b 川崎商工会議所50周年史編集委員会 『川崎商工会議所50年のあゆみ』 川崎商工会議所、1990年10月。