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「塩分町」の版間の差分

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==関連項目==
==関連項目==
*[[石坂洋次郎]] - 少年時代を当地で過ごした。
*[[石坂洋次郎]] - 少年時代を当地で過ごした。
*[[森外]] 『渋江抽斎』 - [[森外]]が[[1916年]]に[[大阪毎日新聞]]、[[東京日日新聞]]へ連載した小説。当町名が登場する。
*[[森外]] 『渋江抽斎』 - [[森外]]が[[1916年]]に[[大阪毎日新聞]]、[[東京日日新聞]]へ連載した小説。当町名が登場する。


==脚注==
==脚注==

2020年6月18日 (木) 12:00時点における版

日本 > 青森県 > 弘前市 > 塩分町
塩分町
塩分町の位置(青森県内)
塩分町
塩分町
塩分町の位置
北緯40度36分8.09秒 東経140度27分45.76秒 / 北緯40.6022472度 東経140.4627111度 / 40.6022472; 140.4627111
日本の旗 日本
都道府県 青森県
市町村 弘前市
人口
2017年(平成29年)6月1日現在)[1]
 • 合計 73人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
036-8206
市外局番 0172[2]
ナンバープレート 弘前

塩分町(しおわけまち)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8206。2017年6月1日現在の人口は73人、世帯数は43世帯[1]

地理

町域の北部は上白銀町、東部は元大工町、南部は森町、西部は茂森町に接する。

沿革

  • 寛文年間 - 侍町と呼ばれた。
  • 元禄6年 - 森町北側にあった時鐘堂[3]からほど近いことにちなみ、「鐘撞堂下通り」[4]と呼ばれた。
  • 元禄16年 - 塩分町となる。
  • 江戸期 - 弘前城下の一町。

地名の由来

築城当初は「塩飽(しわく)町」と呼ばれ、瀬戸内海塩飽島を拠点とする海賊衆(水軍)やその子孫が暮らしたと伝えられる。当時の塩飽町の範囲は、現在の上白銀町と塩分町の間にあったとされ、現在の塩分町に当たる範囲は「塩飽町裏町」だった[4]

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。

大字 番地 小学校 中学校
塩分町 全域 弘前市立朝陽小学校 弘前市立第四中学校

関連項目

脚注

  1. ^ a b オープンデータひろさき 弘前市 町名別人口・世帯数_平成29年”. ひろさき未来戦略研究センター (2017年6月1日). 2017年6月18日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  3. ^ 弘前市史
  4. ^ a b 禅林街と門前町茂森散策のススメ(弘前感交劇場発行パンフレット) - ウェブアーカイブ、2016-07-14閲覧。

参考文献

角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)