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==来歴・人物==
==来歴・人物==
東京に生まれる。父は医学史家[[富士川游]]。[[森外]]は父の友人でもあった。[[神奈川県立湘南高等学校|神奈川県立湘南中学校]]から、[[広島高等学校 (旧制)|旧制広島高等学校]]を経て1932年[[東京大学|東京帝国大学]]卒。戦前、戦中は雑誌『四季』、『[[批評 (第二次)|批評]]』などに寄稿。36年[[第六高等学校 (旧制)|第六高等学校]]講師となり岡山に住む。38年長男[[富士川義之]]が出生(のち[[イギリス文学者]]、東大・[[駒澤大学]]などで教授を務め、三代にわたる学者一家でもある)。43年[[佐賀高等学校 (旧制)|佐賀高等学校]]教授。
東京に生まれる。父は医学史家[[富士川游]]。[[森外]]は父の友人でもあった。[[神奈川県立湘南高等学校|神奈川県立湘南中学校]]から、[[広島高等学校 (旧制)|旧制広島高等学校]]を経て1932年[[東京大学|東京帝国大学]]卒。戦前、戦中は雑誌『四季』、『[[批評 (第二次)|批評]]』などに寄稿。36年[[第六高等学校 (旧制)|第六高等学校]]講師となり岡山に住む。38年長男[[富士川義之]]が出生(のち[[イギリス文学者]]、東大・[[駒澤大学]]などで教授を務め、三代にわたる学者一家でもある)。43年[[佐賀高等学校 (旧制)|佐賀高等学校]]教授。


戦後は1946年[[九州大学|九州帝国大学]]講師、49年に新制発足した[[東京大学大学院総合文化研究科・教養学部|東大教養学部]]助教授、56年教授。ドイツ文学、比較文学を講じ、61年からは比較文学比較文化研究室主任教授、同僚は[[島田謹二]]、[[氷上英廣]]。著名な弟子に[[平川祐弘]]や[[芳賀徹]]、[[小堀桂一郎]]など多数。69年定年退官、名誉教授、[[玉川大学]]教授、79年定年、5年間客員教授。89年に[[日本芸術院|日本藝術院]]会員に選出された。終生[[鎌倉市]]に在住した。
戦後は1946年[[九州大学|九州帝国大学]]講師、49年に新制発足した[[東京大学大学院総合文化研究科・教養学部|東大教養学部]]助教授、56年教授。ドイツ文学、比較文学を講じ、61年からは比較文学比較文化研究室主任教授、同僚は[[島田謹二]]、[[氷上英廣]]。著名な弟子に[[平川祐弘]]や[[芳賀徹]]、[[小堀桂一郎]]など多数。69年定年退官、名誉教授、[[玉川大学]]教授、79年定年、5年間客員教授。89年に[[日本芸術院|日本藝術院]]会員に選出された。終生[[鎌倉市]]に在住した。

2020年6月18日 (木) 10:50時点における版

富士川 英郎(ふじかわ ひでお、1909年2月16日 - 2003年2月12日)は、日本のドイツ文学者比較文学者、東京大学名誉教授。

来歴・人物

東京に生まれる。父は医学史家富士川游森鷗外は父の友人でもあった。神奈川県立湘南中学校から、旧制広島高等学校を経て1932年東京帝国大学卒。戦前、戦中は雑誌『四季』、『批評』などに寄稿。36年第六高等学校講師となり岡山に住む。38年長男富士川義之が出生(のちイギリス文学者、東大・駒澤大学などで教授を務め、三代にわたる学者一家でもある)。43年佐賀高等学校教授。

戦後は1946年九州帝国大学講師、49年に新制発足した東大教養学部助教授、56年教授。ドイツ文学、比較文学を講じ、61年からは比較文学比較文化研究室主任教授、同僚は島田謹二氷上英廣。著名な弟子に平川祐弘芳賀徹小堀桂一郎など多数。69年定年退官、名誉教授、玉川大学教授、79年定年、5年間客員教授。89年に日本藝術院会員に選出された。終生鎌倉市に在住した。

ドイツ文学者としてはR・M・リルケが専門で、『リルケ全集』の編纂を行った。またホフマンスタールの最初期の翻訳者で、のちに弟子らと『ホフマンスタール選集』の編纂にも参加した。

近世漢詩の研究でも著名で『江戸後期の詩人たち』で、1968年に読売文学賞(評論・伝記賞)高村光太郎賞を受賞。1986年、日本芸術院賞受賞[1]。1990年に『菅茶山』で大佛次郎賞を受賞した。汲古書院で刊行された『詩集日本漢詩』(全20巻)、 『詞華集日本漢詩』(全11巻)、『紀行日本漢詩』(全5巻)の編纂にも参与した。

著作

著書

  • 『ライナア・マリア・リルケ 詩人の生涯』南風書房 1948
  • 『リルケ』世界評論社 1950
  • 『リルケ 人と作品』東和社 1952
  • 『リルケと「軽業師」』弘文堂 1958
  • 『江戸後期の詩人たち』麦書房 1966、再版1972/筑摩叢書 1973、復刊1983/平凡社東洋文庫 2012 - 解説揖斐高
  • 菅茶山頼山陽平凡社東洋文庫 1971、ワイド版2006 
  • 『西東詩話 日独文化交渉史の側面玉川大学出版部 1974
  • 『鴟鵂庵閑話(しきゅうあんかんわ)』筑摩書房 1977 - 鴟鵂はミミズクの漢語
  • 『書物と詩の世界』玉川大学出版部 1978
  • 萩原朔太郎雑志』小沢書店 1979
  • 『失われたファウナ 消間詩話』小沢書店 1980
  • 『菅茶山 日本詩人選30』筑摩書房 1981
  • 『鷗外雑志』小沢書店 1983
  • 『儒者の随筆』小沢書店 1983
  • 『黒い風琴』小沢書店 1984
  • 『詩の双生児 朔太郎と犀星』小沢書店 1985
  • 『讀書好日』小沢書店 1987
  • 『讀書游心』小沢書店 1989
  • 『茶前酒後』小沢書店 1989
  • 『本とわたし』湯川書房 1989。限定本
  • 『菅茶山』福武書店 1990。二冊組
  • 『富士川游』小沢書店 1990
  • 『讀書間適』小沢書店 1991
  • 『讀書散策』研文出版 2003。遺著
  • 『読書清遊 富士川英郎随筆選講談社文芸文庫 2011 - 高橋英夫編・解説、富士川義之年譜・書誌 

翻訳

  • ホフマンスタアル『文藝論集』山本書店 1942。下記は同一の版
  • 『リルケ書簡集』(既刊全4冊で未完結) 養徳社 1950-51。訳者の一員 
  • トウルン・ウント・タクシス侯爵夫人『リルケの思出』養徳社 1950
  • リルケ/アンドレ・ジイド『孤独と友情の書-往復書簡』原田義人共訳 みすず書房 1953
  • ハッティンベルク『リルケとの愛の思い出』吉村博次共訳 新潮社 1953
  • 『リルケ選集』全4巻 新潮社 1954。訳者の一員
  • 『葡萄の年-リルケ未発表詩集』新潮社〈一時間文庫〉 1954
  • リルケ『愛の手紙』矢内原伊作共訳 三笠書房 1955
  • ジョセフ・アンジェロス『リルケ』菅野昭正共訳 新潮社 1957
  • ルー・サロメ『リルケ』吉村博次共訳 彌生書房〈彌生選書〉1959
  • 『日時計 現代ドイツ詩集』彌生書房 1961
  • 『リルケ全集』全14巻 彌生書房 1960-65。責任編集、訳者の一員
    • 改訂版『リルケ全集』全7巻 彌生書房 1973-74
  • 『リルケ詩集』新潮文庫 1963、度々改版
    『リルケ詩集 世界の詩29』彌生書房 1965
    『リルケ詩集 カラー版 世界の詩集7』角川書店 1967
    『世界詩人全集13 リルケ詩集』新潮社 1968
    他に『世界名詩集大成 ドイツ』、新版『世界名詩集9 時祷集』、『10 鎮魂歌』に収録 各・平凡社
  • リルケ『芸術と人生』白水社 1966、新装版1997。語句の編訳書
  • 『世界名詩集8 ホーフマンスタール ゲオルゲ』平凡社 1968
  • 『譯詩集 北方の竪琴』小沢書店 1988

記念論集

伝記

  • 富士川義之 『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』 新書館、2014 - 巻末に年譜書誌
    2008年秋より『季刊 大航海』(新書館)で連載、休刊(2009年6月発行のNo.71)により4回目で中断
    書き下ろし全16章で刊行。第66回読売文学賞(評論・伝記部門)

目録

参考文献

  • 『読書清遊 富士川英郎随筆選』 講談社文芸文庫 2011。附載年譜:富士川義之

脚注

  1. ^ 『朝日新聞』1986年2月26日(東京本社発行)朝刊、22頁。