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* 仁和寺黒塗手箱聖教(しょうぎょう)65巻、3冊、138帖、32通、16鋪、28枚(附:聖教箱2棹)<ref>平成15年5月29日文部科学省告示第104号</ref> |
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* '''(2019年度指定見込み)'''紺表紙小双紙 472点<ref>[http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/1414437.html 「文化審議会答申〜国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録について〜」](文化庁サイト、2019年3月18日発表)</ref> |
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* 秘密曼荼羅[[十住心論]](巻第六補写)10帖 |
2019年3月28日 (木) 23:59時点における版
仁和寺 | |
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金堂(国宝) | |
所在地 | 京都府京都市右京区御室大内33 |
位置 | 北緯35度1分51.8秒 東経135度42分49.7秒 / 北緯35.031056度 東経135.713806度座標: 北緯35度1分51.8秒 東経135度42分49.7秒 / 北緯35.031056度 東経135.713806度 |
山号 | 大内山 |
宗派 | 真言宗御室派 |
寺格 | 総本山 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 仁和4年(888年) |
開基 | 宇多天皇 |
正式名 | 大内山 仁和寺 |
別称 | 旧御室御所 |
札所等 |
真言宗十八本山6番 京都十三仏霊場9番 近畿三十六不動尊14番 御室八十八ヶ所霊場 神仏霊場巡拝の道 第92番 |
文化財 |
金堂他(国宝) 五重塔他(重要文化財) 世界遺産 |
法人番号 | 3130005002199 |
仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の仏教寺院。山号は大内山。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。
概要
皇室とゆかりの深い寺(門跡寺院)で、出家後の宇多法皇が住したことから、「御室御所」(おむろごしょ)と称された。明治維新以降は、仁和寺の門跡に皇族が就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称するようになった。
御室は桜の名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者でにぎわう。『徒然草』に登場する「仁和寺にある法師」の話は著名である。当寺はまた、宇多天皇を流祖とする華道「御室流」の家元でもある。
普段は境内への入場は無料であり、御殿・霊宝館の拝観のみ有料となる。ただし、御室桜の開花時(4月)に「さくらまつり」が行われ、その期間は、境内への入場にも拝観料が必要となる。
宿坊で宿泊客を受け入れている。御室会館[1]のほか、「松林庵」(しょうりんあん)を改修して[2]高級宿坊としている[3]。
歴史
仁和寺は平安時代初期、光孝天皇の勅願で仁和2年(886年)に建て始められた。光孝天皇は寺の完成を見ずに翌年崩御し、遺志を引き継いだ宇多天皇によって仁和4年(888年)に落成した。当初「西山御願寺」と称され、やがて年号をとって仁和寺と号した。
宇多天皇は出家後、仁和寺伽藍の西南に「御室」(おむろ)と呼ばれる僧坊を建てて住んだため、「御室(仁和寺)御所」の別称がある。仁和寺の初代別当は天台宗の幽仙であったが、宇多天皇が真言宗の益信を戒師として出家したのを機に、別当を同じ真言宗の観賢に交替させて真言宗の寺院として定着。その後は宇多天皇の子孫が別当を務めてきた。11世紀に三条天皇の皇子である性信が別当の上に新設された検校に任じられて以降は、皇族の子弟が入る寺院とみなされるようになった[4]。
なお「御室」の旧地には現在、「仁和寺御殿」と称される御所風の建築群が建つ。御所跡地が国の史跡に指定されている。
仁和寺はその後も皇族や貴族の保護を受け、明治時代に至るまで、覚法法親王など皇子や皇族が歴代の門跡(住職)を務め(最後の皇族出身の門跡は伏見宮純仁法親王、後の小松宮彰仁親王)、門跡寺院の筆頭として仏教各宗を統括していた。非皇族で仁和寺門跡になった人物に九条道家の子法助と足利義満の子法尊の2名がいるが、ともに当時の朝廷における絶対的な権力者の息子でかつ後に准后に叙せられるなど皇族門跡に匹敵する社会的地位を有していた。
室町時代にはやや衰退し、応仁の乱(1467年-1477年)で伽藍は全焼した。応仁の乱の最中、本尊の阿弥陀三尊像は持ち出され、焼失を免れた。仁和寺が本尊と共に、双ヶ丘の西麓へ移された時期があった。
近世になって、寛永年間(1624年-1644年)、徳川幕府により伽藍が整備された。また、寛永年間の皇居(現・京都御所)建て替えに伴い、旧皇居の紫宸殿、清涼殿、常御殿などが仁和寺に下賜され、境内に移築されている(現在の金堂は旧紫宸殿)。 この江戸期の再建に際しては、門跡補佐の僧・顕證が尽力した。仁和寺で使われている軒丸瓦(仁和寺の寺号入り)のデザイン、再建される伽藍の配置構想や金堂に祀る仏尊の選定を行った。 仁和寺霊宝館に顕証上人像が収蔵されているが、小さく、衣体も顕證が普段に使っている袈裟を身に付けているという。
また、経典・密教経典の儀軌などの聖教、仁和寺に伝わる古文書の管理・収蔵のために経蔵の建立を発願し、完成させた[5]。
第二次世界大戦終盤、日本の敗戦が濃厚となったため、昭和20年(1945年)1月20日以降、数度にわたり、近衛文麿が仁和寺を訪れ、昭和天皇が仁和寺で出家する計画について当時の門跡と話し合い、出家後の居所などを検討した。1月26日、近衛文麿の別荘において、近衛文麿と昭和天皇の弟宮との間で、昭和天皇の出家について会談がもたれた。
霊明殿に掲げられている扁額「霊明殿」の文字は、昭和20年、近衛文麿が仁和寺を訪れた際に揮毫した絶筆である。[6]
仁和寺歴代門跡
伽藍
- 金堂(国宝)- 慶長18年(1613年)に建立された旧皇居の正殿・紫宸殿を寛永年間(1624年-1644年)に移築したもので、近世の寝殿造遺構として重要。宮殿から仏堂への用途変更に伴い、屋根を檜皮葺から瓦葺に変えるなどの改造が行われたものの、宮殿建築の雰囲気をよく残している。
- 五重塔(重要文化財) - 1644年建立。
- 観音堂(重要文化財) - 1641-1645年建立。
- 中門(重要文化財) - 1641-1645年建立。
- 二王門(重要文化財) - 1641-1645年建立の和様建築。
- 鐘楼(重要文化財) - 1644年建立。
- 経蔵(重要文化財) - 1641-1645年建立の禅宗様建築。
- 御影堂中門(重要文化財)- 1641-1645年建立。
- 御影堂(重要文化財)- 1641-1645年建立。旧皇居の清涼殿の用材を用いて建設したもの。宗祖空海を祀る。
- 御殿 - 二王門から中門に至る参道の西側の、宇多法皇の御所があった辺りに建つ。
- 勅使門(登録有形文化財)
- 宸殿(登録有形文化財) - 近世初期に皇居・常御殿を移築した。後の1887年(明治20年)に焼失。現在の建物は明治時代末-大正時代初期に亀岡末吉の設計により再建されたものであるが、宸殿の南北に配置された庭園とともにかつての宮殿の雰囲気を漂わせている。
- 白書院(登録有形文化財)
- 黒書院(登録有形文化財)
- 本坊
- 本坊表門(重要文化財)- 1596-1615年建立。
- 遼廓亭(重要文化財) - 1661-1750年、江戸時代の画家・尾形光琳の屋敷から移築された。葺下し屋根の下に袖壁を付け、にじり口をその中に開いているのが珍しいとされる。
- 飛濤亭(重要文化財) - 1830-1867年建立。江戸時代末期に光格天皇の好みで建てられた草庵風の茶室で、腰をかがめずに入れるように鴨居の高い貴人口が設けられている。
- 九所(くしょ)明神本殿(重要文化財) - 1641-1645年建立。
- 九所明神拝殿
-
金堂
-
観音堂
-
鐘楼
-
経蔵
-
御影堂
-
九所明神拝殿
-
白書院障壁画
-
宸殿一の間
文化財
国宝
- 金堂
- 木造阿弥陀如来及両脇侍像 - 元々は金堂に安置され、現在は寺内の霊宝館に移されている。仁和4年(888年)創建時の本尊といわれる。
- 木造薬師如来坐像 - 本坊北側にある霊明殿(仁和寺歴代門跡の位牌を祀る堂)の本尊。1986年、京都国立博物館の調査で初めて概要が明らかになり、1990年、国宝に指定された。康和5年(1103年)、白河天皇の皇子・覚行法親王の発願により仏師の円勢と長円が造像した。本体の像高11センチメートル、光背と台座を含めても24センチメートルほどの白檀材の小像で、光背には七仏薬師像と日光菩薩・月光菩薩、台座には前後左右各面に3体ずつの十二神将を表す入念な作である。
- 絹本著色孔雀明王像(絵画) - 中国北宋時代の仏画。
- 宝相華(ほうそうげ)蒔絵宝珠箱(附:木製彩絵四天王像4枚) - 平安時代前期の漆工芸品。蒔絵の初期の遺品として貴重。
- 三十帖冊子(30帖)・宝相華迦陵頻伽蒔絵𡑮(そく、土偏に「塞」)冊子箱(附:行遍僧正消息1巻、三十帖策子々細1巻)- 「三十帖冊子」は、空海が唐から持ち帰った写経の小冊子(サイズは縦横とも十数センチメートル)30冊で、一部に空海自筆を含む。古来、真言宗の重宝として尊重されている。付属の箱は朝廷から下賜されたもので、平安時代の漆工芸品として貴重である。
- 御室相承記 6巻 - 仁和寺の歴代法親王の記録。鎌倉時代。
- 高倉天皇宸翰消息(附:守覚法親王消息) - 「宸翰」は天皇の直筆、「消息」は手紙の意。若くして崩御した高倉天皇の18歳の筆で、同天皇の現存唯一の遺筆。
- 後嵯峨天皇宸翰消息 - 後嵯峨天皇の確証ある遺筆としては唯一。
- 黄帝内経明堂 巻第一 2巻(永仁四年、永徳三年書写)、黄帝内経太素 23巻(仁安[要曖昧さ回避]二年、同三年書写) - 中国の医学書『黄帝内経』の注釈書。「明堂」は鎌倉-南北朝時代、「太素」は平安時代の写本。
- 医心方 巻第一、第五、第七、第九、第十残巻 5帖 - 日本最古の医学書『医心方』の平安時代後期の写本。
- 新修本草 巻第四、第五、第十二、第十七、第十九 5巻 - 唐時代の薬草に関する本『新修本草』の鎌倉時代の写本。
-
三十帖冊子のうち第二十二帖
-
高倉天皇宸翰消息
-
御室相承記(巻第一巻頭)
重要文化財
建造物
- 「仁和寺」14棟
- 五重塔
- 観音堂
- 中門
- 二王門
- 鐘楼
- 経蔵
- 御影堂
- 御影堂中門
- 九所明神社本殿 3棟
- 本坊表門
- 遼廓亭
- 飛濤亭
絵画
- 絹本著色聖徳太子像
- 絹本著色僧形八幡神影向図
- 紙本白描及著色密教図像 17点
- 紙本墨画高僧像 1巻
- 紙本墨画四天王図像 1巻
- 紙本墨画弥勒菩薩画像集 1帖
- 紙本墨画薬師十二神将像 1巻
- 紙本墨画別尊雑記(図像入)57巻
- 絹本著色賢聖障子 20面 狩野孝信筆 慶長19年(1614年)[7]
彫刻
工芸品
書跡典籍・古文書
- 絹本墨書尊勝陀羅尼梵字経(伝不空三蔵筆)
- 紺紙金泥薬師経 光格天皇宸翰、済仁親王書継
- 孔雀経 巻中下 2巻
- 十地経 並十力経・廻向輪経 2帖
- 草書法華玄義 巻第二、第八 2帖
- 如意輪儀軌 天正二年任助法親王跋(附:相承文書2通)
- 般若経理趣品 建仁二年藤原良経書写奥書
- 理趣釈 淳祐筆 延喜廿年奥書
- 仁和寺黒塗手箱聖教(しょうぎょう)65巻、3冊、138帖、32通、16鋪、28枚(附:聖教箱2棹)[9]
- (2019年度指定見込み)紺表紙小双紙 472点[10]
- 淡紫紙金泥般若心経 桜町天皇宸翰
- 秘密曼荼羅十住心論(巻第六補写)10帖
- 摧邪輪 2帖1冊 巻上正和5年(1316年)書写、巻中元応元年(1319年)書写、巻下享禄3年(1530年)書写[11]
考古資料、歴史資料
- 仁和寺境内出土品 一括
- 日本図 嘉元三年書写奥書
典拠:2000年(平成12年)までに指定の国宝・重要文化財については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
登録有形文化財(国登録)
- 宸殿
- 大玄関
- 白書院
- 黒書院
- 霊明殿
- 勅使門
- 皇族門
- 霊宝館
国の名勝
- 御室(サクラ) - 一帯の桜が国の名勝に指定されている。後述。
国の史跡
- 仁和寺御所跡
京都府指定文化財
京都市指定文化財
- 有形文化財
- 名勝
御室八十八ヶ所霊場
1827年(文政10年)に、仁和寺第29世門跡であった不壊身院御室・済仁法親王が、四国八十八箇所を巡拝ができない人々のために発願し、仁和寺寺侍・久富遠江守に命じて、四国八十八箇所各札所の砂を持ち帰らせた。仁和寺境内の成就山に四国八十八箇所を模して、同じ数の88宇の堂を設けて、持ち帰った砂を設けた堂に埋めたことが起源とされる。
成就山に四国八十八箇所霊場を小規模に再現した巡礼地である。各札所にあたる小規模な堂が約3キロメートルの山道沿いに点在する。88宇の堂には実際の四国八十八箇所の札所の寺院と同じ本尊と弘法大師を祀ってある。成就山八十八ヶ所とも称される。
また、かつては「御室 仁和寺 成就山88ヵ所スタンプハイク」が仁和寺主催で年6回行われていた。
御室桜
仁和寺の桜には特に「御室桜(おむろざくら)」の名が付いている。江戸時代から名高く、貞享元年の『雍州府志』には「今御室清水為一双」、享保三年の貝原益軒の『京城勝覧』には「春は此御境内の奥に八重ざくら多し。洛中洛外にて第一とす」と絶賛されていた。
約200本あり、八重咲き。樹高が低いのは、この地の岩盤が固く、深く根を張れないためという。「花(鼻)が低い」ということから「お多福桜」ともいう。この事から京都では、背が低くて鼻が低い女性のことを「御室の桜のような」と評することがあるという。満開は例年4月20日過ぎと遅く、桜の名所の多い京都で季節の最後を飾る。御室桜は日本さくら名所100選に選定されている。
授与品
御室桜でよく知られることから、授与品として桜がデザインされたお守りがある。また、人工ではない、植物の四つ葉のクローバーを使ったお守り「幸福守」「縁結び守」がある。
霊明殿本尊の薬師如来にちなんで、薬師如来の縁日である毎月8日に限り、金堂前の寺務所に申し出ると、有料であるが薬師如来の御朱印を受けられる。
仁和寺を舞台にした映画
- 「名探偵コナン 迷宮の十字路」 - 「僕の初恋をキミに捧ぐ」にて修学旅行の場面で撮影された。
- 「大奥」では廊下を使われた。
公演会場としての仁和寺
仁和寺ではたまに、参道に客席を設置して、ライブを開催することがある。ライブを行うのは、メジャーからマイナーアーティストまで幅広い。
幕末の領地
国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』より算出した幕末期の仁和寺領は以下の通り。(13村、1,581石余)
- 山城国葛野郡のうち - 12村
- 西院領のうち - 1石
- 西京村のうち - 59石余
- 鳴滝村のうち - 52石余
- 福王子村 - 262石余
- 池上村のうち - 10石9斗
- 平岡村のうち - 31石余
- 等持院村のうち - 24石余
- 常盤村 - 85石余
- 谷村 - 76石余
- 窪村 - 39石余
- 中村 - 162石余
- 川端村のうち - 33石余
- 山城国紀伊郡のうち - 1村
- 竹田村のうち - 740石余
交通アクセス
周辺
不祥事
過重労働によるうつ病発症労災認定
2013年7月、労働基準監督署は、仁和寺が経営する宿泊施設「御室会館」で働く料理長が月200時間の残業により、うつ病を発症したことについて、労災を認定した[20]。料理長は2012年8月にうつ病の診断を受けたため休業したが、うつ病発症前年の1年間の勤務日数は356日に及んでいた。その後、休業中や時間外の未払い賃金4700万円を求める訴訟を仁和寺に対して起こした。2016年4月12日、京都地裁で仁和寺に約4200万円の支払いを命じる判決が下された。判決理由で、「極めて過酷な長時間労働を強いて、多額の時間外手当を労働基準法に違反して支払っておらず悪質」とし、業務と発症との因果関係も認めた[21]。
参考文献
- 山本健吉、森諦円 著、井上靖・塚本善隆・監修 編『仁和寺』淡交社、京都〈古寺巡礼京都11〉、1977年。 NCID BN0352385X。全国書誌番号:77011003。
- 竹村俊則『昭和京都名所圖會 洛西』 4巻、駸々堂、京都、1983年。ISBN 4397501300。 NCID BN00765841。
- 朝日新聞社・編 編『週刊朝日百科 日本の国宝(仁和寺)』 4号、朝日新聞社、1997年。 NCID BA60171264。
- 平凡社 編『日本歴史地名大系 京都市の地名』 27巻、平凡社。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 京都府 総説・地名編』 第26上巻、角川書店、1978年。 NCID BN00094881。全国書誌番号:82036781。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 京都府 地誌編・資料編』 第26下巻、角川書店、1982年。 NCID BN00094881。全国書誌番号:82036781。
- 八代國治・ほか編纂 編『国史大辞典』吉川弘文館。 NCID BA4436909X。
関連項目
- 仁和寺門跡一覧
- 福王子神社 - 仁和寺の鎮守神
- 古都京都の文化財
- 国宝一覧
- 徒然草 - 第五二段と第五三段に「仁和寺の法師」が登場する。
- 日本の寺院一覧
- 寝屋川市:仁和寺の荘園があったため仁和寺(にわじ)という地名がある。
- 鵜戸神宮:仁和寺が所管する仁王護国寺が置かれた。明治元年(1868年)の神仏判然令により廃止。
- 京都市の寺院の画像一覧
脚注
- ^ 仁和寺 御室会館(宿坊)世界遺産に泊まってみませんか(2018年6月27日閲覧)
- ^ 京都世界遺産で旧家再生 総本山仁和寺(にんなじ)「松林庵(しょうりんあん)」建物改修・造園工事を担当住友林業ニュースリリース(2018年4月13日)2018年6月27日閲覧
- ^ 「仁和寺 1泊100万円で/世界遺産、境内の旧家屋を改築/高級宿坊、1日1組 海外富裕層狙う」『日経MJ』2018年6月25日(ライフスタイル面)
- ^ 横内裕人「仁和寺御室論をめぐる覚書」永村眞 編『中世の門跡と公武権力』(戎光祥出版、2017年) ISBN 978-4-86403-251-3
- ^ 平成28年2月12日放送 BS日テレ『冬の京都旅・世界遺産で仏像めぐり!』
- ^ 平成30年2月5日放送 BSイレブン『京都浪漫~美と伝統を訪ねる「仁和寺~悠久なる国宝の世界』
- ^ 平成22年6月29日文部科学省告示第97号
- ^ 平成3年6月21日文部省告示第84号
- ^ 平成15年5月29日文部科学省告示第104号
- ^ 「文化審議会答申〜国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録について〜」(文化庁サイト、2019年3月18日発表)
- ^ 平成13年6月22日文部科学省告示第109号
- ^ 平成29年9月15日文部科学省告示第117号
- ^ 国宝・重要文化財の指定について(文化庁サイト)
- ^ 盗難年次は文化庁文化財保護部監修『文化財保護行政ハンドブック 美術工芸品編』(ぎょうせい、1998)、p.126、による。
- ^ 京都府指定・登録等文化財(京都府教育庁指導部文化財保護課)。
- ^ a b c 京都市指定・登録文化財-美術工芸品-右京区(京都市ホームページ)。
- ^ 平成28年3月31日京都市インターネット版公報より京都市教育委員会告示第8号 (PDF) (リンクは京都市ホームページ)。
- ^ 京都市指定・登録文化財-名勝-右京区(京都市ホームページ)。
- ^ "総本山仁和寺にんなじ 御室桜おむろざくら研究プロジェクト:"名勝 御室桜"組織培養による苗木増殖に成功" (Press release). 住友林業. 4 March 2014. 2010年4月4日閲覧。
- ^ “長時間労働でうつ…料理長、世界遺産の寺を提訴”. 読売新聞. (2014年1月24日) 2014年3月4日閲覧。
- ^ “宿坊349日連続勤務 京都地裁が仁和寺に賠償命令”. 毎日新聞. (2016年4月13日) 2016年12月1日閲覧。