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亀岡末吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
亀岡末吉(大正8年)

亀岡 末吉(かめおかすえきち、慶應元年11月4日1865年12月21日)- 大正11年(1922年)11月26日[1])は、日本近代の建築家従五位。作品は独特の意匠で知られ「亀岡式」と呼ばれる。

生涯

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1865年(慶応元年)に前橋藩士の子として生まれる。明治維新後は画家を志し、東京美術学校絵画科に入学して日本画の技術を習得。1894年(明治27年)に同校を卒業。1901年(明治34年)からは内務省の古社寺調査に携わり、寺社の修理に従事。1907年(明治40年)には京都府技師となり、平等院鳳凰堂の修理を行った。京都では東福寺方丈東本願寺仁和寺の門など幕末の動乱の中で焼失した建物を再建。1913年(大正2年)には京都府左京区神楽岡吉田山 (京都市))に自邸を建築。自邸にも寺社の意匠を採り入れた。現在は世界救世教黎明教会となっており、内部は非公開である。 このように亀岡は、内務省、宮城県、京都府等で技師となり社寺建築の調査保存などに従事した後、社寺建築の設計などを行ったのである。[2]。作品に仁和寺の勅使門[3]霊明殿[4]、宸殿[5]、東本願寺菊の門[6]大鳥神社楼門[7]正法寺 (京都市西京区)[8](いずれも、登録有形文化財(建造物))などがある。大正7年10月23日歿(墓碑によると)。墓所は青山霊園

脚注

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  1. ^ 20世紀日本人名事典. “亀岡 末吉(カメオカ スエキチ)とは - コトバンク”. コトバンク. 2018年11月16日閲覧。
  2. ^ 朝日日本歴史人物事典. “亀岡末吉(かめおか・すえきち)とは - コトバンク”. コトバンク. 2018年11月16日閲覧。
  3. ^ 仁和寺勅使門 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2018年11月16日閲覧。
  4. ^ 仁和寺霊明殿 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2018年11月16日閲覧。
  5. ^ 仁和寺宸殿 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2018年11月16日閲覧。
  6. ^ 真宗本廟東本願寺菊の門 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2018年11月16日閲覧。
  7. ^ 大鳥神社楼門 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2018年11月16日閲覧。
  8. ^ 正法寺遍照塔 文化遺産オンライン”. bunka.nii.ac.jp. 2018年11月16日閲覧。