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「仲宿」の版間の差分

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== 小・中学校の学区 ==
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区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref name="school”>{{Cite web|url=http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/000/000388.html|title=板橋区立小中学校通学区域・小学校隣接校案内|publisher=板橋区|date=2017-07-31|accessdate=2017-12-11}}</ref>。
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!番地!!小学校!!中学校
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2017年12月29日 (金) 00:34時点における版

日本 > 東京都 > 板橋区 > 仲宿
仲宿
石神井川に架かる旧中山道板橋
石神井川に架かる旧中山道板橋
仲宿の位置(東京23区内)
仲宿
仲宿
仲宿の位置
北緯35度45分16.16秒 東経139度42分34.73秒 / 北緯35.7544889度 東経139.7096472度 / 35.7544889; 139.7096472
日本の旗 日本
都道府県 東京都
特別区 板橋区
地域 板橋地域
面積
 • 合計 0.240 km2
人口
2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 • 合計 7,501人
 • 密度 31,000人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
173-0005[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 練馬

仲宿(なかじゅく)は、東京都板橋区町名[4]。丁目の設定がない単独町名である。全域で住居表示が実施されている。郵便番号は173-0005[2]

地理

板橋区の南東部に位置する。狭小な町域を持ち、北端で石神井川に接する。北で石神井川を隔てて本町および稲荷台、東で加賀、南で板橋、西で氷川町と隣接する。西辺を国道17号(中山道)および首都高速5号池袋線が南北に通じ、南端に東京都道317号環状六号線(山手通り)の終点がある。町域は旧街道沿いを中心に商業地域となっている。

河川

歴史

廃藩置県実施前は、武蔵国豊島郡下板橋宿。町域は江戸時代、旧中山道板橋宿の中心部であった。

沿革

1872年(明治5年)の宿駅制度廃止までは板橋郷および板橋宿参照。

地名の由来

旧板橋宿は上方(京)に近いほうから、名主の管理区域ごとに上宿・仲宿・平尾宿に分かれていた。その仲宿に由来する。

世帯数と人口

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
仲宿 4,170世帯 7,501人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]

番地 小学校 中学校
1~26番
30番
37~40番
板橋区立金沢小学校 板橋区立加賀中学校
31~36番 板橋区立板橋第一小学校
27~29番
41~60番
63〜64番
板橋区立板橋第三中学校
61〜62番
65番
板橋区立板橋第二小学校 板橋区立板橋第一中学校

交通

鉄道

バス

道路

橋梁

  • 板橋
  • 番場橋
    • いずれも石神井川に架かる。番場は下板橋宿にあった字名。

施設

  • よしや仲宿店
  • ライフ仲宿店
  • 板橋区立仲宿保育園
  • 成田山板橋遍照寺

脚注

  1. ^ a b 町丁目別世帯数・人口表”. 板橋区 (2017年12月1日). 2017年12月11日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月11日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月11日閲覧。
  4. ^ 板橋区教育委員会『いたばしの地名』、1995年3月、P127。
  5. ^ 江戸時代の板橋は太鼓橋で、およそ20年ごとに宿場関係者は幕府に、老朽化による架け替え請願をしていたと伝えられる。明治以降は不詳だが、遅くとも板橋乗合自動車の志村方面延伸もしくは王子乗合自動車商会の路線開設時(当初は旧道経由)までには、自動車の通行が可能な形態の橋になっていたと考えられる。
  6. ^ 板橋区ホームページ「平成27年度板橋区土木白書 第1章 区道の歴史」(PDFファイル)
  7. ^ 「日本鉄道旅行地図帳 5号 東京」(新潮社・2008年)41頁
  8. ^ 板橋区ホームページ「住居表示実施証明書」
  9. ^ 板橋区立小中学校通学区域・小学校隣接校案内”. 板橋区 (2017年7月31日). 2017年12月11日閲覧。

外部リンク