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2017年9月4日 (月) 14:16時点における版
火葬(かそう)とは、葬送の一手段として遺体を焼却することである。また、遺体の焼却を伴う葬儀全体も指す。
火葬を行う施設や建築物を火葬場と呼ぶ。
諸宗教における火葬
ヒンドゥー教
仏教と関係が深いヒンドゥー教でも、最も多い葬送手段は火葬である。通常、遺体は棺桶に入れず、布でくるまれる。火葬は火葬場か墓地で行われるが、いずれにしても屋外で、薪(火葬用のもの)で焼かれる。遺骨は川に散骨する(水葬同様、ガンジス川の人気が高い)ことから、火葬場の多くは河原にある。仏陀の教えにしたがっていえば、火葬は、遺骸を火によって速やかに毀損せしめることで、死んだ直後の霊魂による自らの肉体への未練を断ち切るとともに、立ち昇る煙とともに霊魂を天上界に送ることで成仏を促す行為であるといい、この点はユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の教義とは対照をなす。このため、死後できるだけ速やかに火葬をするのがよいと考えられている。現代の日本においては、火葬場特有の高い煙突から立ち昇る悪臭を伴う煙が近隣住民から疎まれるため、建屋外への煙突を有さずに煙も出さない最新型の火葬炉を設置する火葬場が多くなってきている。
インドでは変死人(病死、交通事故死などを含む)と幼児は水葬にする。「変死人と幼児は、己の生命を全うしなかったために回生の機会を与えられない」という理由による。このため火葬者の遺族は死者をあまり嘆かないが、焼かずに川に流されるものの遺族は、しばしば狂ったように泣くという[1]。火葬に要する時間はおよそ30分である。骨を拾う習慣はなく、灰となった遺骸はそのまま川へ流される。
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パシュパティナート火葬場。位の高いものは上流側で焼かれる。
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パシュパティナート
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パシュパティナートの火葬職人。カースト制になっている。
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パシュパティナート
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供物の米を食べるサル。
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バグマティ川に面する火葬場では次々に遺体が焼かれ灰はそのまま川へ流される。
儒教・仏教
儒教では火葬は身体の毀損行為であり、中国の歴代王朝の法典においても禁止が明記されている[2]。しかし唐中後期に仏教僧侶の火葬が盛んになり、宋以降は土地や費用がないなどの理由で一般にも火葬が多く行われた。明では復古的政策を取って火葬を厳禁したが、それでも火葬はなくならなかった[3]。
ユダヤ教・イスラム教
ユダヤ教、イスラームでは、死者の復活の教義を持ち、この際もとの体が必要と考えられているため、火葬への禁忌が強い。イスラム教では火葬を晒し首などと同じ処刑後の死者への追加刑罰と考えることもあり、イランなどでは処刑された犯罪者は火葬される。
キリスト教
キリスト教も死者の復活の教義を持ち、この際もとの体が必要と考えられているため、伝統的に火葬に否定的な見解があるが、日本においては必ずしも採用されている見解ではない。
正教会[4]、カトリック教会[5]、聖公会[6]、プロテスタント[7][8]のいずれの教派の信徒も、他国では通常土葬されることが多いが、日本においては火葬されることが一般的である[9]。
ローレン・ベットナーは『不死』でヨシュア記7:25-26、第一サムエル31:10-13から火葬が「のろわれた者」に対するものであったとして火葬に反対しているが、この本を日本語に翻訳した尾山令仁は異なる見解をとっている[10]。
各国における火葬
日本における火葬
火葬は、日本では一般的な葬法である。
歴史
日本で始まった時期ははっきりしないが日本国内各地の縄文時代の遺跡からも火葬骨が出土する[11][12][13][14]。
弥生時代以降の古墳の様式のひとつに「かまど塚」「横穴式木芯粘土室」などと呼ばれる様式のものがあり、その中には火葬が行なわれた痕跡があるものが認められる。それらは6世紀後半から出現しており、最古のものは九州で590年±75年の火葬が確認されている。平成26年(2014年)2月、長崎県大村市の弥生時代後期(2世紀ごろ)の竹松遺跡において、長崎県教育委員会の発掘調査により火葬による埋葬と見られる人骨が発見されている。これが検証のうえ認められれば、火葬の歴史はもっと古くから存在することになる[15]。
日本における火葬は仏教と共に伝わったという説が有力とされている[要出典]。これは釈迦が火葬されたことにちなむ。奈良の元興寺の開祖、道昭が自らの意思で民に模範を示したところに始まったと伝えられる。「700年(文武天皇4年)遺教を奉じて粟原に火葬す。天下の火葬これよりして始まる。」と広辞苑(岩波書店)にもある[16]。現代でも「火葬にする」の意味で用いられる言葉として「荼毘に付す」があるが、この荼毘(だび。荼毗とも)は火葬を意味するインドの言葉(パーリ語: jhāpeti「燃やす」)に由来し[17]、仏教用語である。
『続日本紀』によると、前述のとおり日本で最初に火葬された人は、文武天皇4年(700年)に火葬された僧道昭である。また最初に火葬された天皇は、702年に死亡し殯(もがり)の儀礼の後、703年に火葬された持統天皇である。8世紀ごろには普及し、天皇に倣って上級の役人、公家、武士も火葬が広まった[18]。
万葉集には
- 隠口の泊瀬の山の山際にいさよふ雲は妹にかもあらむ 柿本人麻呂
と歌われ、最愛の人を送る、最後の別れの煙が「いさよふ雲」であり、それはとりもなおさず妹と認識できると歌われており、万葉人特有のゆかしさと優しさが感じられると日本での近代火葬炉開発の元祖、鳴海徳直は述べている[16]。
日本では平安時代以降、皇族、貴族、僧侶、浄土宗門徒などに火葬が広まった後も、土葬が広く用いられていた。仏教徒も含めて、近世までの主流は火葬よりも死体を棺桶に収めて土中に埋める土葬であった。儒教の価値観では身体を傷つけるのは大きな罪であったほか、人体を骨と灰にまで焼き尽くす火葬では強い火力が必要なため燃料代がかかり、人口の急増で埋葬地の確保が難しくなる明治期に到るまでは、少なくとも一般庶民にとっては土葬の方が安上がりだったためとの説がある。比熱の高い(=温度が上がりにくい)水分や分子構造が巨大で複雑なタンパク質を多量に含んだ遺体という物質を焼骨に変えるまで燃やすには、生活必需品としても貴重だった薪を大量に用いる必要がある。また効率よく焼くための高度に専門的な技術が求められるため、火葬は費用がかかる葬儀様式であった[18]。
明治時代に入ると、東京の市街地に近接する火葬場の臭気や煤煙が近隣住民の健康を害している事が問題になり警保寮(警視庁の前身)が司法省へ火葬場移転伺いを出した。この問題に際し明治政府は神道派が主張する「火葬場移転を検討するのは浮屠(仏教僧)が推進する火葬を認めたことになる。火葬は仏教葬法であり廃止すべき」との主張を採り、東京、京都、大阪各府に土葬用墓地は十分に確保可能か調査するよう命じ、土葬用墓地枯渇の虞は低いとの報告を受けた直後の明治6年(1873年)7月18日に火葬禁止令(太政官布告第253号)を布告したが、都市部では間もなく土葬用墓地が枯渇し始めて埋葬料が高騰したり埋葬受け入れが不可能となる墓地も出てきて混乱をきたした。仏教徒や大学者からは火葬再開を求める建白書が相次ぎ、政府内部からも火葬禁止令に反対する意見が出て明治8年(1875年)5月23日には禁止令を廃止している[19]。その後明治政府は火葬場問題から宗教的視点を排して公衆衛生的観点から火葬を扱うようになり、伝染病死体の火葬義務化、土葬用墓地の新設や拡張に厳しい規制を掛け、人口密集度の高い地域には土葬禁止区域を設定するなどの政策を取った。また、大正時代頃より地方自治体が火葬場設営に積極的になり、土葬より火葬の方が費用や人手が少なくて済むようになったこともあり、現代の日本では火葬が飛躍的に普及し、ほぼ100%の火葬率である。
背景
土葬習慣が根強い一部地区の住民、火葬を禁忌する宗教宗派の外国人、大規模な災害の後火葬場が使えないときを除いてほとんど全ての遺体は火葬される。その理由としては以下の点が挙げられる。
- 公衆衛生の観点から土葬よりも衛生的であり、伝染病等で死んだ場合はもちろんだが、通常の死亡原因による埋葬であっても、土中の微生物による腐敗では、埋葬地周辺域に長期に亘って腐敗菌が残存するため、衛生上広域な墓域を必要とする。
- 無宗教である人が多く、埋葬の方法にこだわりがない。現代の日本では、火葬がごく普遍的なものとなっており、世間体にも無難なものとして受け入れられる。
- 仏教では、仏陀の故事にちなんで火葬が尊ばれており、特に浄土真宗などでは火葬を強く推進してきたという経緯があった。
- 都市に人口が集中しており、その都市部では埋葬(土葬)が条例により禁止されているか、土葬を許可されている墓地を確保することが極めて困難であること。
- 墓はイエを単位として考える人が多い。そのため、先祖と同じ墓に入れるようにするため火葬する。
しかし日本においても火葬を忌む場合はある
世界的にみて、イスラームなど、火葬を禁忌とする戒律を有する文化が少なくない(先述#諸宗教における火葬)。近年では国内の日本人・外国人の中でムスリムの人口が増加しており、火葬が主流の日本国内で暮らす彼らは、甲州市など全国に数箇所しかない土葬が可能な施設にあたらなければならない[20]。なおムスリムは死後24時間以内に埋葬を終えなければならないとされている[21]が、日本国内では下記するように法の規定で一部の例外に該当しないかぎり、それができない。ましてや土葬可能な施設が遠隔地にあることがほとんどなので、埋葬までに死後数日、墓地を確保できていない場合はそれ以上をどうしても要してしまう状況にある。
手続
日本では、墓地、埋葬等に関する法律(墓埋法)第3条の規定により、死体(もしくは妊娠7か月以上の胎児)は、原則として死後(もしくは死産後)24時間以内は、火葬(および土葬)してはならない。
但し、妊娠6ヶ月以下の胎児は対象外であるほか、感染症法30条の規定により、同法で定められている疾病、すなわち一類から三類までの感染症や、新型インフルエンザ等の感染症による死亡の場合もこの限りではない(該当感染症については感染症法の項および関連法令条文を参照)。
また、火葬を行なう場合には、当該死体に係る死亡届等を受理した市町村長の許可が必要であり(墓埋法第5条)、この許可を受けずに火葬した場合には、墓埋法違反となるほか(「罰則」規定同法第21条)、刑法第190条「死体遺棄・死体損壊罪」の刑罰に問われる行為である。
仏式では、火葬の後の「焼骨」は骨壷に収(拾)骨して、土中に埋蔵(日本の法律では火葬後の焼骨を土中に安置することを「焼骨の埋蔵」と定義している)するか、納骨堂等に収蔵されることになる(墓地、埋葬等に関する法律第2条)。したがって火葬は「葬儀の手段の1つ」というよりも、葬儀の1過程であるという考え方もある。または、死体の減容化処理、安定化の一方法と言うことも出来る。
なお、墓埋法では土葬など、火葬以外の方法を禁じてはいないが、環境衛生面から行政は火葬を奨励しており、特に東京都(島嶼部以外では八王子市、町田市、国立市など10市2町1村を除く)や大阪府などでは、条例で土葬を禁止している。
散骨される場合もあるが、北海道長沼町など、都道府県または市町村の条例により禁止・規制している地域もある。
皇族の火葬(近世後期以降)
近世後期以降、皇族の埋葬方法は基本的に土葬であるものの、平安時代前期から近世前期にかけては、天皇、皇族の埋葬方法は仏教の影響からむしろ火葬が主流であった。1617年に崩御した後陽成天皇[22]を最後に火葬の制は(一旦)取りやめとなり、次代の後水尾天皇以降は昭和天皇に至るまで土葬が続いている。巨大な陵(墓)を築き土葬する古代様式に復されたのは奥八兵衛の逸話に見て取れるように、幕末期に崩御した孝明天皇以降である。
明治以降から昭和前期までは皇族の埋葬方法は基本的に土葬であった。しかし昭和中期以降、陵に葬られる皇后を除く皇族は、本人(もしくは遺族)の希望等で火葬される例が増えており、その最初の例となった秩父宮雍仁親王以降、皇族の身分のまま薨去した者(親王妃含む)は最新の事例である2016年10月に薨去した三笠宮崇仁親王に至るまで全員が火葬されている。秩父宮夫妻や高松宮夫妻については夫婦合葬されている。
天皇皇后については土葬とされていたが、2012年4月26日、宮内庁は天皇や皇后が崩御した際の埋葬方法を、今上天皇および皇后の意向により旧来の土葬から火葬に変える方針で検討すると発表[23]、儀式面の変更について検討に入った。宮内庁の説明によれば、この検討開始は前月の皇后の誕生日における記者団からの質問をきっかけとしたものであった[24]。皇后は即答することは避けたものの、前々から自分たちの葬制については話し合いを持っており、天皇はこれを機会として宮内庁に検討を要請したという[24]。天皇はいずれ自らが葬られることになる武蔵陵墓地に自分たちを含めて少しでも多くの被葬者を収容できればとの意向をもっていた。しかし敷地は限られており、火葬であれば陵のサイズが小さくできるので、被葬者数の増加が実現できるのではないかと考えたという[24]。
そして2013年11月14日、検討を終えた宮内庁は、天皇と皇后の葬儀を火葬とすることを発表した[24]。皇太子や秋篠宮などの皇室関係者の了承も得ている[22]。火葬は武蔵陵墓地に設置される専用の設備を使って行われることとされた。同時に両者の陵の予定地も大正天皇陵の多摩陵の西側に定められた[24]。皇后との合葬も天皇は希望していたが、皇后が恐れ多いとして辞退を申し出たことに加え、先立った方の祭祀が後から崩御した方の葬儀行事中には行えないという技術的理由もあって取りやめとなった[24]。しかし陵は完全に隣り合わせに造営されることとなり、皇族拝所などの設備は別々に設置されるものの、一般拝所については境界は設けられず一体的に整備される[24]。これらの変更により、当初の意向通り、陵のサイズ及び兆域が大きく縮小されることとなった。
多死社会の到来
団塊の世代すべてが75歳以上になる2025年には、年間死亡者数は140万人を超えると推測されるため、火葬場不足が深刻化し、葬儀・火葬・埋葬ができない、いわゆる“葬儀難民”問題が到来することが懸念されている。1988年には全国に1900以上あった火葬場が2016年現在には統合・大型化の影響も大きいが1500に減少し、死者の数がピークに達する2025年には東京近郊などの都心部を中心に火葬能力が追い付かない事態が想定され、首都圏では火葬まで1週間待ちなどの事態も生じている。しかしながら火葬場の新設に対しては周辺住民の反対運動が多く、建設がスムーズには進みにくい。一方、火葬場不足をチャンスととらえた「遺体ホテル」などの新ビジネスが生まれている。埋葬場所の不足も深刻で東京都では8ヵ所の都立霊園の申し込み倍率は20-30倍となっている[25]。
中国における火葬
中華人民共和国では火葬を奨励し、人口の少ない地域や一部の少数民族を除いて土葬を禁ずる条例がある[26]。勝手に土葬をした場合の罰則もあるが、じゅうぶんに守られているとは言えない。土葬を禁じた地域での2013年の火葬率は 64.88% であった[27]。いっぽう台湾では火葬率が2003年には 77.19% だったのに対し、2013年には 93.66% に増加している[28]。
韓国における火葬
韓国では儒教思想と風水地理思想、抑仏政策が支配的だった李氏朝鮮時代の成宗治世下で仏教の葬儀形態である火葬が禁止されて以降、土葬が主流となり、一人ずつ土を盛り封墳をつくって埋葬し碑石を建てる慣習があった[29]。しかし、土葬するための土地の不足などから、火葬を奨励する市民運動なども起こり、火葬をする人が徐々に増加[29]。これは、日本同様狭い国土に人口が急増し、ソウル首都圏など大都市で土葬を行うための土地を確保できなくなっていることが理由となっている。このため、大都市部での土葬は、宗教指導者など一部の人に限られており、近年では2009年2月に死去した韓国人初のキリスト教枢機卿・金壽煥、同年8月に死去した元大統領・金大中の例があるくらいである。1994年では、火葬されるのは20.5%の割合であったが、2005年には52.6%と過半数を超え、2015年には火葬率も80.5%となった[30]。火葬の増加に伴い土饅頭を模した納骨堂や家族納骨堂など新しい形の葬礼施設が出現している[29]。
欧米における火葬
アメリカ合衆国での火葬率は、2012年の時点でミシシッピ州の10%台からネバダ州の70%超まであり州によって様々である。政治的にもリベラルな気風を持つとされる西部では火葬率が高く、対して保守的な価値観が優勢であると言われる中南部では低い傾向にある。合衆国全体では43%であり、今後も上昇すると予想されている。イギリスやカナダでは70%程度、フランスでは農村で土葬の傾向が強く火葬は40%程度である。昔に比べれば近年は火葬に対する忌避感は薄れており、また前近代よりも圧倒的に多数の人口を抱える現代では埋葬地の確保が困難なことから、教会に火葬場が併設されている事例も増えている。
火葬時には、棺を使用することにはとらわれず、遺体袋(ボディバッグ)やケースを使用する場合が見られる。また、葬儀を行わずに直接火葬を行うケースはダイレクト火葬と呼ばれており、このケースでは遺体袋すら使用しない場合も多い[31]。
ロシア連邦における火葬
ソ連崩壊後のロシア連邦において、伝統的に土葬を行ってきた正教徒であっても経済的な理由から火葬にするケースがあることにも示されているように、(ロシア正教会に限らず全世界の)正教会でも火葬が禁止されている訳ではない[9]。ただし土葬に比べて火葬の比率は低いものにとどまっている[4]。
ギリシャにおける火葬
ギリシャにおいては、2006年に火葬を認める法律ができたものの、2014年時点でもなお火葬を行える施設がギリシャ国内に無い状態である。また、ギリシャ正教会は火葬を認めるのは虚無主義であり、また宗教弾圧であるとして反対、火葬を希望する人の葬儀は執り行わないと宣言している[32]。
火葬に伴う問題
火葬のにおい
人が焼けるときのにおいには、その個体により強弱があるという。インドで神のように崇められた賢者が火葬にされた際には、村中に悪臭が漂って何日も消えなかったという伝説がある。また、人の心理的な原因により火葬のにおいに対する感じ方は大きく左右される。インドやネパールのように露天で薪を使った火葬では、実際には木が焼けるにおいのほうが強く、人体が焼ける臭いは隠蔽されるのが普通だが、人を焼くという非日常的な印象や死に対する嫌悪感などから、それをいやなにおいと錯覚する場合が多い[1]。
遺灰に残留した貴金属
火葬されたあとの遺灰には歯の治療や人工骨などで使われた金、銀、パラジウムなどの貴金属が含まれる。拾骨時に遺族が持ち帰らなかった場合、これを回収することで名古屋市は1000万円、東京都は300万円の収益を得ている。このような処理については遺族には知らされておらず、無断で行われている。これに対して一部の市民団体などからは死体を換金するのは不敬であるとして抗議の声がおきている。[33]
出典
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