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== 商品の展開・背景・影響・品質等 == |
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基本的には、過度に個性のない[[デザイン]]の商品が多い。SPA(製造小売業)への転換後、良品質のカジュアル衣料を低価格で提供する路線を進めてきた事もあり<ref name="bp">[http://premium.nikkeibp.co.jp/bits/bits_column/column_d26_01.shtml 日経BP社 bp SPECIAL 鈴木貴博の“ビジネス散歩”第26回 難易度の高い戦略「ユニクロプラス」]より</ref>衣料品としての完成度は高く評価されている部分がある<ref name="uni"/><ref name="echi"/>。1,900円の[[フリース]]や2,900円の[[ジーンズ]]などが、[[価格破壊]]の象徴として[[マスメディア]]などにも紹介されて爆発的にヒットしたが、あまりに大量に売れ着用している人が多かったため<!--(フリースの販売数が3,650万枚)-->、ユニクロの衣料を着用しているのが判明してしまう「ユニバレ」と呼ばれる現象が広がり<ref name="uni">[http://web.archive.org/web/20041012155253/http://www.uniqlo.co.jp/news/release/n20041004104131.html ユニクロ プロモーションニュース2004年10月5日(「考える人」新潮社 2004年秋号)] ([[インターネット |
基本的には、過度に個性のない[[デザイン]]の商品が多い。SPA(製造小売業)への転換後、良品質のカジュアル衣料を低価格で提供する路線を進めてきた事もあり<ref name="bp">[http://premium.nikkeibp.co.jp/bits/bits_column/column_d26_01.shtml 日経BP社 bp SPECIAL 鈴木貴博の“ビジネス散歩”第26回 難易度の高い戦略「ユニクロプラス」]より</ref>衣料品としての完成度は高く評価されている部分がある<ref name="uni"/><ref name="echi"/>。1,900円の[[フリース]]や2,900円の[[ジーンズ]]などが、[[価格破壊]]の象徴として[[マスメディア]]などにも紹介されて爆発的にヒットしたが、あまりに大量に売れ着用している人が多かったため<!--(フリースの販売数が3,650万枚)-->、ユニクロの衣料を着用しているのが判明してしまう「ユニバレ」と呼ばれる現象が広がり<ref name="uni">[http://web.archive.org/web/20041012155253/http://www.uniqlo.co.jp/news/release/n20041004104131.html ユニクロ プロモーションニュース2004年10月5日(「考える人」新潮社 2004年秋号)] ([[インターネットアーカイブ]])より</ref><ref name="echi">{{Cite book|和書|author=サンクリエイト|year=2006|title=儲けを生み出すビジネス・コラム|url=http://www.echirashi.com/column/html_columns/momo161.htm|publisher=講談社出版サービスセンター|isbn=4876017352}}</ref>、ユニクロ服を着ていると「ダサい」「恥ずかしい」との印象が広がり<ref name="uni"/><ref name="echi"/>、経営悪化の原因となった<ref name="echi"/>。 |
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[[2004年]]頃からユニセックスや「お手頃価格」路線は堅持しつつもある程度の脱却を図り、外部と組んだメッセージ性を持つ共同企画商品の開発(特にレディース物)や買収したブランドのノウハウ移入、乳幼児向け商品の開発も行っている。 |
[[2004年]]頃からユニセックスや「お手頃価格」路線は堅持しつつもある程度の脱却を図り、外部と組んだメッセージ性を持つ共同企画商品の開発(特にレディース物)や買収したブランドのノウハウ移入、乳幼児向け商品の開発も行っている。 |
2017年9月4日 (月) 14:05時点における版
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒107-6231 山口県山口市佐山717番地(※1) |
設立 | 1974年9月2日(サンロード株式会社)(※2) |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 9250001001451 |
事業内容 | 衣料品の商品企画・生産・物流・販売 (SPA) |
代表者 | 代表取締役会長兼社長:柳井正 |
資本金 | 10億円(2011年8月31日時点) |
発行済株式総数 | 1万株(2011年8月31日時点) |
売上高 | 6001億4800万円(2011年8月期) |
営業利益 | 1062億1700万円(2011年8月期) |
経常利益 | 991億1600万円(2011年8月期) |
純利益 | 527億6500万円(2011年8月期) |
純資産 |
762億200万円 (2011年8月31日時点) |
総資産 |
2359億8100万円 (2011年8月31日時点) |
従業員数 | 1,733人 |
支店舗数 | 843店 (2011年8月31日時点) |
決算期 | 8月末日 |
主要株主 | ファーストリテイリング 100% |
外部リンク | uniqlo.com |
特記事項:※1:東京本部の所在地は東京都港区赤坂9丁目7番1号 ※2:2005年11月1日に株式会社ファーストリテイリングの持株会社移行に伴う会社分割(吸収分割)により衣料品の製造小売事業を当社が承継。 |
株式会社ユニクロ(英:UNIQLO CO., LTD)は、「UNIQLO(ユニクロ)」の店・ブランド名で、実用(カジュアル)衣料品の生産販売を一括して展開する日本の会社である。
登記上の本店を山口県山口市佐山に、実質的本社となる東京本部を東京都港区赤坂(ミッドタウン・タワー)に置いている。ファーストリテイリングの完全子会社。
歴史
創業
1949年3月、柳井等が兄・柳井政雄より任されていた小郡商事の繊維・洋服部門を、個人営業の紳士服専門店「メンズショップ小郡商事(メンズショップOS)」として山口県宇部市に開店。
1984年6月2日、それまで山口県宇部市で「メンズショップOS」(1992年4月までに全店閉店またはユニクロに改装)の名称で男性向け衣料品を取り扱っていた小郡商事が、広島市中区袋町にユニセックスカジュアル衣料品店「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」(UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE)を開店[1][2]。なお、この1号店は現存しない[3]。
同年9月に柳井正が代表取締役社長に就任。
ユニクロの呼称はこの店舗名の略称が元になっているが、当初略称の英文綴りはそのまま「UNI-CLO」であった。1988年、香港に現地法人を設立した際、会社登記の書類に略称の「UNI-CLO」を書き間違えて「UNI-QLO」と記入して登録してしまったことがきっかけで、そのまま英文綴りを「UNI-QLO」に変更した商標が採用されることとなった。また、包装紙やテープ等に「U296」と表記をしている時期もあった。
広島への開店当初は地元(広島県福山市)出身の小林克也を起用し、広島ローカルでCMを打った。開店以来、ワインレッドをシンボルカラーとした白抜きのロゴタイプを用いているが、かつてはこれと別に手を繋いだ男女のシルエットをモチーフとしたシンボルマークが存在した。1991年9月、社名を小郡商事からファーストリテイリングに変更。
利益拡大と海外進出
元々は、ナショナルブランド衣料品の小売店であった。アメリカン・スタイルの倉庫風の建物内にクラシックな映画ポスターや有名スターのポートレイトを展示した特徴的な店舗(右記写真の店舗例2の姪浜店参照)を全国に展開し、またいち早く中国の優良な工場と提携し、低価格で調達するモデルを構築。
1997年頃から、プライベートブランド商品の取扱比率を高め、アメリカの衣料品小売店、GAP(ギャップ)をモデルとした製造型小売業 (SPA)への事業転換を進め、経済の状況にマッチした低価格・高品質商品の展開、また広告代理店と提携、クリエイティブディレクターにタナカノリユキを招き明確なメッセージを発信したPRなど、戦略を次々と刷新。そして1998年、2 - 3万枚売ればヒットと言われるフリースを目標200万枚、1999年には850万枚でいずれも完売。2000年秋冬にはCMモデルに松任谷由実らを起用し51色に展開、2,600万枚という驚異的セールスを樹立した。この現象は「フリース旋風」と評され、衣料品流通業の革命を席巻し社会現象を起こす。2001年8月期には売上、経常利益ともピークに達し、イギリスへ進出した。
業績の低迷、買収による業績回復
2002年頃から日本では在庫が急増、英国での業績も振るわず2002年、2003年8月期と利益が大きく落ちこむ。その後、「theory(セオリー)」、「ナショナルスタンダード」といった国内外のブランドの買収、ファッション雑誌との共同企画(コラボレーション)商品の開発、藤原紀香など有名タレントの起用、外部デザイナーなどとの提携などのテコ入れが行われ、2004年度には業績が上向いた(現在、ロンドン支店の業績は黒字に転じている)。東アジアでは、2002年9月に中国上海市に出店し、2005年9月には香港に、そしてロッテとの合弁で韓国ソウル市にも出店した。
2005年には雑誌「relax」(マガジンハウス)との共同で、東京・北青山に期間限定の「セレクロ」(セレクトショップあるいはセレブの位置付け)が開設された。また、大阪心斎橋に平均価格帯を引き上げた「ユニクロプラス」も開店したが、その後プラスの名称をはずし、現在は銀座店を中心に7店舗の大型店を運営。2006年11月には、ニューヨークのソーホーにグローバル旗艦店を出店する他、上海にもアジア旗艦店を出店し、世界進出を加速する(後述)。
2005年11月に、ファーストリテイリングは衣料品の製造・小売に関する営業を会社分割(吸収分割)によりゴルフ練習場を経営していた完全子会社のサンロード株式会社(当社)に承継させ、持株会社制に移行した。同日、サンロードは社名をユニクロに変更した。
2000年以降の展開状況
2013年8月末現在、日本国内で854店舗、海外で441店舗、合計1,295店舗を展開している(海外店舗は、現地法人による運営)。日本国内では郊外型店舗やビルテナントとしての出店の他、1,000坪クラスの超大型店舗やユニクロを核としたショッピングセンター「ミーナ」などを展開している。日本国外では東アジアを中心に展開しており、国別では中国(225店舗)が最多で、韓国(105店舗)、台湾(37店舗)が続く。
日本国内では、ユニクロ原宿店を改装したT-シャツ専門店「UT STORE HARAJUKU.」が2007年4月28日に新たにオープンした(2012年に銀座店に統合)。2009年3月9日には春のパーカキャンペーンに合わせて、グラフィティマガジンズの雑誌「東京グラフィティ」とのコラボレーション雑誌「TOKYO FASHION MAP with UNIQLO」を全国で発売した。
2020年までに国内の店舗を1,000店体制に拡大する予定であり、このうち売り場面積約3,300m2級の「超大型店」を札幌市、仙台市、名古屋市、広島市、北九州市、福岡市、熊本市、鹿児島市の主要8都市にて新たに開業する方針を示している[4]。
2001年のイギリスを皮切りに始まった海外出店は、中国、香港、台湾、韓国、シンガポール、マレーシア、タイ、フィリピン、イギリス、アメリカ、フランス、ロシアの12か国で展開しており、グローバル化が進んでいる。海外ユニクロ事業は、2006年においては香港を除きほとんど赤字であったが、2008年8月期から黒字化し、2010年8月期の売上高は前年比倍増の730億円、営業利益は前年比4倍の65億円を見込んでいる。会社組織としてもグローバル化を進めており、社内公用語(母語が異なる人が対象の資料や会議)を英語とすることとして、本社社員と店長の約3000人に対して業務として「TOEIC700点以上」を義務付けている[5]。
2006年11月のニューヨーク旗艦店オープンの際、店舗のクリエイティブディレクションを担当した佐藤可士和により、ユニクロの新たなロゴデザインが作成された。新ロゴは英語表記とカタカナ表記によるもので、従来のワインレッドから赤を基調としたものとなり、2006年以降海外の新店舗を中心に展開、国内では2009年頃からCMや広告、新規店舗・リニューアル店舗でのロゴ表記などに用いられている(従前からの店舗には、引き続き以前のデザインを使用している)。
2010年7月、バングラデシュのグラミン銀行と10月に同国で合弁会社を設立すると発表した[6]。合弁会社「グラミン ユニクロ」をバングラデシュの首都ダッカに設立し、3年後に2,000人の雇用を目指すという。
アメリカ合衆国では、2013年秋に10店がカリフォルニア州、コネチカット州、ニュージャージー州、ニューヨーク州で立て続けにオープンし、合計17店舗となった[7]。2014年にはフィラデルフィアやボストンなどでも新規開店が続き[8]、同9月5日にロサンゼルス地域(南カリフォルニア)の第1号店としてオープンしたサウスコースト・プラザ店(カリフォルニア州コスタメサ)をもって、合計25号店舗に達した[9]。ロサンゼルス地域では、旗艦店となるビバリー・センター店を含む4店舗が2015年春までにさらにオープンする予定である[9][10]。すでに7店舗が営業している北カリフォルニアでも、2014年末までに2店舗が追加される予定である[10]。また、2015年秋にはシカゴ店もオープンする見込みである[8]。
グローバル旗艦店
グローバル旗艦店は、ユニクロにおいて最高水準の商品・ビジュアルマーチャンダイジング (VMD)・サービスなどを意識した、世界的情報発信の拠点となる大型店舗であり、2006年にニューヨークに「ソーホー ニューヨーク店」を開店して以降、ヨーロッパ・アジアの各地に展開している。2010年10月には、「世界に向けた店舗デザインやレイアウト」を特長とする“世界視点”が日本に逆輸入される形で、大阪の心斎橋に5番目のグローバル旗艦店をオープン、2012年3月には9番目のグローバル旗艦店を東京・銀座に、2014年10月には13番目のグローバル旗艦店「UNIQLO OSAKA」を大阪・梅田にオープンした[11]。
- ソーホー ニューヨーク店(ニューヨーク・ソーホー地区) - 2006年11月10日オープン。
- 311オックスフォードストリート店(ロンドン・オックスフォード・ストリート) - 2007年11月7日オープン。
- パリ オペラ店(パリ・2区オペラ地区) - 2009年10月1日オープン。
- 上海 南京西路店(上海・静安区南京西路街道) - 2010年5月15日オープン。
- 心斎橋店(大阪市中央区心斎橋) - 2010年10月1日オープン。
- 明曜百貨店(台北市大安区忠孝東路四段) - 2011年9月23日オープン。
- ニューヨーク5番街店(ニューヨーク・マンハッタン5番街53丁目) - 2011年10月14日オープン。
- 明洞中央店(ソウル特別市中区忠武路) - 2011年11月11日オープン。
- 銀座店(東京都中央区銀座) - 2012年3月16日オープン。
- リー・シアター店(香港・銅鑼湾波斯富街) - 2013年4月26日オープン。
- タウエンツィーン店(ベルリン・タウエンツィーン - 2014年4月11日オープン。
- UNIQLO OSAKA(大阪市北区茶屋町) - 2014年10月31日オープン。梅田店の移転増床による。
グローバル繁盛店
2012年9月、ビックカメラ新宿東口新店(新宿三越アルコット跡)のテナントとして出店するにあたり、同店舗をビックカメラとのコラボレーション店舗「ビックロ」として展開することを発表した[12]。「素晴らしいゴチャゴチャ感」をコンセプトに佐藤可士和のトータルプロデュースが行われ、ビックカメラとユニクロの両店舗で共通のデザインロゴ・スタッフユニフォームを使用し、ユニクロのマネキンにビックカメラで販売する家電製品を持たせ、ユニクロのフロアの一角で家電製品を扱うなど、ビックカメラとユニクロのシームレス感を強調した店舗となる。店舗規模約2,900m2はグローバル旗艦店である心斎橋店をしのぎ、銀座店に次ぐ日本国内2番目の規模となるが、同店は「グローバル繁盛店」という独自業態として位置づけられており、世界中から注目される「東京の新名所」を目指すという。同店舗は9月27日にオープンし、開店時には4000人ほどの行列が出来たという[13]。
以降、「グローバル繁盛店」の業態として以下の店舗を開店させている。
- 池袋サンシャイン60通り店 - 2014年3月14日オープン。オリジナルキャラクター「ユニブクロー」を登場させている。
- 御徒町店 - 御徒町駅前・御徒町吉池本店ビル内。2014年4月25日オープン[14]。SUPER BELL"Zによる店舗オリジナルソングを作曲。
沿革
1940 - 1980年代
柳井がGAPなどを視察し、カジュアルウェア専門店チェーンの展開を決意した。
1990年代
生産基地・中国の工場管理を強化し、SPA化を進めた。300店舗到達を機に多角化に着手したが、失敗。本業でも既存店の売上げ低迷が続いた
- 1991年9月 行動指針を表象するため、商号を小郡商事株式会社から株式会社ファーストリテイリングに変更
- 1992年4月 直営店舗数が50店舗を超える(直営店53店舗、フランチャイズ店7店舗)
- 1994年4月 直営店舗数が100店舗を超える(直営店109店舗、フランチャイズ店7店舗)
- 1995年3月 直営店舗数が150店舗を超える
- 1996年3月 直営店舗数が200店舗を超える(直営店205店舗、フランチャイズ店10店舗)
- 1997年
- 4月 東京証券取引所第2部に株式上場
- 11月 直営店舗数が300店舗を超える(直営店305店舗、フランチャイズ店11店舗)
- 1998年
- 1999年
- 2月 東京証券取引市場第1部銘柄に指定
- 4月 SS(スーパースター)店長制度を発足
- 7月 アメリカの広告代理店、Wieden+Kennedy社と提携し、ブランド構築を開始
- 9月 新たな販売チャンネル開拓のため、カタログによる通信販売業務の試験的運用を実施
- 11月 1,900円フリースを800万着販売
2000年代
従来のパターンを止め、グローバル企業の経営方式を採用した。経営陣の若がえりを図り、単品をベースにしたマーチャンダイジングと現代的なマーケティングを展開することによって、大量生産・販売の高収益体制を構築した。
- 2000年
- 4月 直営店舗数が400店舗を超える(直営店417店舗、フランチャイズ店12店舗)
- 6月 海外におけるユニクロ展開の布石として、イギリスに子会社を設立
- 10月 インターネット通信販売を開始
- 12月 東日本旅客鉄道及び東日本キヨスク(現JR東日本リテールネット)との業務提携により、新小型店舗第1号店ユニクロキヨスク新宿南口店をオープン
- 2001年
- 4月
- JOC(財団法人日本オリンピック委員会)オフィシャルパートナーシップに合意
- 直営店舗数が500店舗を超える(直営店503店舗、フランチャイズ店12店舗)
- 8月 ユニフォーム・チームウェア事業を開始
- 9月 日本国外初の出店となるイギリスユニクロ店4店舗をオープン
- 4月
- 2002年
- 2005年
- 7月 玉塚社長を解任。柳井が社長に復帰。
- 9月 ニュージャージー州にアメリカへの初店舗を出店
- 2006年
- 2007年
- 4月28日 原宿店をTシャツ専門店『UT STORE HARAJUKU.』にリニューアル[15](2012年3月12日閉店)。
- 6月 製品を着た女性ダンサー達3~5人組が踊る映像を、5秒ごとに放映する時計ウェブコンテンツ「UNIQLOCK」運用開始。
- 12月14日 ユニクロのフランス第1号店がオープン、この店舗はユニクロのブランドメッセージを伝える「コンセプトショップ」としての位置付けであった。
- 2008年
- 3月29日 中国本土へ2年ぶりの再出店となる「ユニクロ北京西単店」を北京・西城北大街にオープン。
- 2009年
- 4月9日 シンガポールのタンピネス地区に初出店。この出店は、不動産会社のWing Tai Holdingsと共同出資で出店される。
- 2010年
- 10月 JR九州リテールとの業務提携によりユニクロ博多デイトス店をオープン
- 2010年
- 2012年
- 3月16日 日本語、英語、中国語、韓国語、フランス語、スペイン語の6か国語に対応した接客ができるグローバル旗艦店「ユニクロ銀座店」がオープン。
- 9月27日 ビックカメラとのコラボレーション店舗で初のグローバル繁盛店である新宿東口店「ビックロ」をオープン。
- 10月16日 テニス選手のノバク・ジョコビッチとの共同発案による10億円規模の慈善基金『Clothes for Smiles(クローズ・フォア・スマイル)』が発足。ユニクロ史上初の基金運営となる。[18]
- 2014年
- 2017年
- 1月25日、9年半にわたって運用されて来た「UNIQLOCK」を終了。
商品の展開・背景・影響・品質等
基本的には、過度に個性のないデザインの商品が多い。SPA(製造小売業)への転換後、良品質のカジュアル衣料を低価格で提供する路線を進めてきた事もあり[21]衣料品としての完成度は高く評価されている部分がある[22][23]。1,900円のフリースや2,900円のジーンズなどが、価格破壊の象徴としてマスメディアなどにも紹介されて爆発的にヒットしたが、あまりに大量に売れ着用している人が多かったため、ユニクロの衣料を着用しているのが判明してしまう「ユニバレ」と呼ばれる現象が広がり[22][23]、ユニクロ服を着ていると「ダサい」「恥ずかしい」との印象が広がり[22][23]、経営悪化の原因となった[23]。
2004年頃からユニセックスや「お手頃価格」路線は堅持しつつもある程度の脱却を図り、外部と組んだメッセージ性を持つ共同企画商品の開発(特にレディース物)や買収したブランドのノウハウ移入、乳幼児向け商品の開発も行っている。
デザイナーの間でも品質の高さについて一定の評価を得ており、2006年8月から世界各国の著名デザイナーとのコラボレーションにより「デザイナーズインビテーションプロジェクト」を立ち上げ、通常数万円もするようなデザイン性の高い商品を1万円未満の低価格で販売している[23]。ジーンズもリング製法を使ったものなどを出している。
過去に柳井自身が「ユニクロは国民服」(「多くの国民に品質の良い物を安く提供したい」との意図)[23]等、衣服としてファッション性を軽視していると採られかねない誤解を生むような発言を行ったこともあったが[23]ニューヨークに旗艦店を立ち上げるにあたりベーシックな商品を大量に販売するスタンスは維持しつつファッション性を強めた商品を提案し、接客を重視する方向性に転換しつつある。
玉塚が社長を退き、再び柳井が社長に復帰した2006年頃から、「ヒートテック」(保温性を高めた下着)や「ブラトップ」(ブラジャーのカップを内蔵したキャミソール、タンクトップなど)など、機能性を重視した商品に加え女性ものの商品に力が注がれている[24]。一例としては、東京ガールズコレクションに山田優と組んでワンピースなどを出展したり、イメージキャラクターに藤原紀香を起用した「スリムボトムス」(足が細く長く見えるパンツ)を販売したりするなど、積極的に女性客の取り込みに繋がる展開と商品の充実化を行い、その効果が出てきたことから、以前は手薄だった女性用部門がユニクロの基幹事業へと成りつつある[24]。
ユニクロの販売戦略
ムービングオフィス代表の大ナギ勝[1]の分析によると、ユニクロの商品を買ってしまうのは、単に商品の魅力だけではなく消費者が店舗に誘導されつい買ってしまう「ステルス接客戦略」ともいうべき心理的戦略が潜んでいるという。大ナギはそれを大きく5つに分けた[25]。
- 1、単純接触効果
- 2、チラシどおりの品ぞろえ
- 3、徹底して平等に対応
- 年齢、性別、常連か否かにかかわりなく平等な接客と店舗構成を実現している。商品ラックはアイテム別、カラー別、サイズ順に整然と分けられ陳列され、客が自由に選べる。また冷やかしでも入りやすい[25]。
- 4、販売スタッフの対応
- 販売スタッフが客に必要以上の挨拶や声掛けを行わない。必要な時だけ声掛けを行い、それ以外の時間には陳列棚の整理などに費やしている。またレジの精算業務はトレーニングされておりスムーズである[25]。
- 5、本部の徹底したサポート
ユニクロへの批評
ビジネスモデル
ビジネスモデルとしてのユニクロの低価格・大量販売戦略については賛否両論がある。エコノミストの浜矩子は、「文藝春秋」2009年10月号に「ユニクロ栄えて国滅ぶ」という論文を発表、ユニクロのように企業が低価格で商品を販売することが企業の利益を縮小させ、ひいては人件費の切り下げにつながっているとしてユニクロのような経営を「自分さえ良ければ病」であると批判、「せめて安いモノを買うことが自分と他人の値打ちを互いに下げていることに思い至ってほしい」と主張している。これに対し、経済学者の池田信夫は自身のブログ上で、ユニクロの低価格モデルが相対価格の変化であり、「ユニクロは日本を滅ぼすどころか、日本企業がグローバル化するロールモデル」と浜の意見に反論している[26][27]。
2012年の中国における反日暴動への対応
2012年9月15日、「支持釣魚是中国固有領土」(釣魚島は中国固有の領土であることを支持します)と、ユニクロ(上海に複数ある店舗のひとつとされている)の店頭のウィンドーに張り紙をする写真が、ウェイボーに投稿された。尖閣諸島国有化に抗議するデモが中国各地で暴徒化していることを受けたものと見られ、店舗側がどのような判断で行ったかといった詳しい事情は分かっていないが、この行為をユニクロの政治的姿勢と受け取ったネットユーザーの間で騒動となった[28]。
これについてユニクロは、2012年9月18日付のプレスリリースにおいて「当該店舗の現地従業員が独自の判断により、上記内容の張り紙を掲示し、約40分後、撤去していた」「本件は会社の指示によるものではなく、また、他の店舗におきまして、このような事は一切起きておりません」「一私企業が政治的外交的問題に関していかなる立場も取るべきではないと考えており、このような行為があったことは大変遺憾であると考えております」とのコメントを発表した[29]。その後、同21日付のプレスリリースにて「張り紙の掲示は地元警察の要請によるもの」「他店舗での張り紙は全て第三者によって外側から行われたもの」などの説明を新たに追加[30]し、18日付のプレスリリースは同社ウェブサイト上から削除された。
労働環境
週刊東洋経済は、2013年3月4日付け発行の同誌において「ユニクロ 疲弊する職場」と題した特集記事を組み、ユニクロの正社員の労働環境について報じている[31]。その記事によると、ユニクロでは社員の労働時間の上限を240時間と定め、サービス残業も禁じており、労働時間の上限を超えたりサービス残業を常態化すると降格や退職勧奨などの社内処分を行うとしている一方で、特に店長が店舗業務(現場業務・管理業務)がこなしきれないためにサービス残業を常態化させており、名ばかり管理職の疑いがあると報じている[31]。
また、同記事の中で、週刊東洋経済のユニクロへの取材内容として、ユニクロの2008年から2011年以降入社社員の3年内離職率が45%を超え、2012年8月期の店舗正社員における休業者のうち約43%(全社員の約3%)がうつ病などの精神疾患が原因で休業していると報じている[31]。このような状況の原因として、同記事では「(上司に)物言えぬ社風」「体育会系な社風」が原因ではないかと報じており、その一端として、ユニクロの店長代行として勤務していた男性が、店長から暴行を受け、本部の管理部長からも暴言を吐かれるなどの行為によりユニクロが元店長代行に1000万円近い損害賠償を支払う例を挙げている[31]。
このような状況を踏まえてユニクロが「ブラック企業」であると前述の記事をはじめとして伝えられるようになったが、ユニクロの幹部は戦略のグローバル化が大量離職の原因だと自己分析した上で「われわれも苦悩している。これまで教育はしてきたが、ケアはしてこなかったかもしれない。そこは直したい」とコメントしている[31]。また、社長・柳井正は、日経ビジネスのインタビューに対し、ブラック企業ではとの批判について「我々が本当に『ブラック』ならば、社員はもういないはずですよ。会社はダメになって発展しないでしょうし、社員も白けて仕事なんてしないはずです」と反論し、「僕は将来、本当に若者が活躍できる世の中になれば、25歳以上は全員対等に評価すべきだと思っています。(中略)だからこそ、若いころに甘やかされてはいけないと思っています」と自身の考える社員教育方針について披露している[32]。
中国工場の実態
2015年1月15日、厚生労働省の記者会見場で香港のNGO団体「SACOM」が会見を行い、ユニクロ製品の下請け工場での実態を調査し、報告した。調査の対象は親会社が共に香港株式市場に上場する互太紡織印染と東莞紡織服装の2社でユニクロの優良取引先とされる。この2つの工場では、中国の法律により認められている月36時間を大幅に上回る月100時間以上超の残業が行われていた。また、工員が8分遅刻すると2時間分の給料を差し引くなどの違法な罰則規定があった。しかしながらマスメディアの多くは中国2工場に対する労働環境の改善に向けた行動計画をユニクロを主語として対応の速さを伝えた。これは大量の広告を新聞、テレビなどに出稿していることやスラップ(恫喝訴訟・威圧訴訟)に配慮したりしているとする見方もある。日経新聞は「ファストリ、労働環境改善」(11面)、TBSは15日に「中国工場の労働条件改善策を発表」との及び腰の報道であった。また16日の流通コンサルタントに至っては「ユニクロは他のグローバル企業に比べ、しっかりと工場の労働管理を行っている。2工場はイレギュラーではないか」と伝えたが、これに対し『ユニクロ帝国の光と影』の著者横田増生は、イレギュラーなどではないと断言している[33]。
横田増生による取材では、寧波市の申州針織有限広司では、アイロンがけの10代の女子工員が朝8時から午前3時まで働き通していたとの証言や、東莞市の晶苑集団では、複数の工員から厳しい罰金制度が過大なプレッシャーになっているとの証言を得ている。こうした取材記事に対し、ユニクロは事実無根として文藝春秋を名誉棄損で2億円を超える賠償を求め訴えた。ところが裁判の中ではユニクロ側が提出した裁判資料の中で明らかになり、地裁でも高裁でも「真実相当性がある」と認められ、最高裁への上告も棄却され判決は2014年末に確定している[33]。
世界同一賃金構想
2013年4月23日付けの朝日新聞は、店長候補として採用した正社員すべてと役員の賃金体系を全世界のユニクロで統一する「世界同一賃金」を導入する考えをCEOの柳井正が明らかにしたと報じた[34]。具体的には、欧米や中国など13の国と地域で店長候補として採用した社員すべてと役員を「グローバル総合職」として位置づけ、職務内容により19段階の「グレード」を定めて賃金を決めるとしている。さらに、執行役員や上級部長など上位7段階の役職(海外採用10人を含む約50人)についてはどの国でも同じ評価なら報酬や給与を全世界で同額とし、評価グレードが高い「スター店長」など中位7段階の社員(約1000人)には各国の物価水準などを反映して実質的にはどの国でも同じ生活ができる水準にするものであるという。
この制度導入について、柳井は朝日新聞へのインタビューの中で「世界どこでも、やる仕事が同じだったら同じ賃金にするというのが基本的な考え方。海外にも優秀な人材がいる。グローバルに事業を展開するのに、あまりに賃金が違いすぎるのでは機能しない」と導入理由を説明した上で、「日本の店長やパートより欧米の店長のほうがよほど(賃金が)高い。日本で賃下げをするのは考えていない。一方で途上国の賃金をいきなり欧米並みにはできない。それをどう平準化し、実質的に同じにするか、具体的な仕組みを検討している」「将来は、年収1億円か100万円に分かれて、中間層が減っていく。仕事を通じて付加価値がつけられないと、低賃金で働く途上国の人の賃金にフラット化するので、年収100万円のほうになっていくのは仕方がない」と持論を展開した[35]。
この「世界同一賃金」構想と「年収100万円のほうになっていくのは仕方がない」発言は様々な物議を醸すこととなった[36][37]。
経営コンサルタントの大前研一は「給与水準の低い国では喜んで人が集まるが、逆に高い国では優秀な人材が採用できなくなる」「柳井さんが目指す世界同一賃金システムは、コンセプトとしては理解できるものの、現実的にはとても実現できない“絵に描いた餅”というのが、30年以上この問題と格闘してきたグローバル企業の内実」[38]と批判的なコメントをしている。
スラップ批判
NPO法人POSSEの今野晴貴代表が、『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』(文春新書、文藝春秋)で「一部のファストファッション企業」の労務体勢を社名を伏せて指摘したところ、ユニクロから“自社を名指ししているも同然、名誉毀損であり提訴する”との通告書が送られてきたという[39]。また、横田増生『ユニクロ帝国の光と影』が出版された際にも、出版元である文藝春秋社に対して2億2千万円の損害賠償と本の回収・絶版を求めて提訴した[40][41]。こうしたユニクロの高額な損害賠償を求める提訴を行う手法はスラップ(恫喝訴訟・威圧訴訟)ではないかとの指摘があり[42][43][44]、実際に「ユニクロ批判を封じ、メディア側を萎縮させる効果があったといえる」との見解もある[45]。
なお、本件にかかる訴訟については、東京地裁で2013年10月18日に判決が出され「『月300時間以上、働いている』と本で証言した店長の話の信用性は高く、国内店に関する重要な部分は真実」「中国工場についても現地取材などから真実と判断した理由がある」と認定し、ユニクロ側の訴えを全面的に退けている[41][45][46]。また2014年3月26日には、控訴審である東京高裁においても、一審判決を維持。ユニクロ側の控訴を棄却する判決を言い渡している[47]。さらに同年12月9日付で最高裁第三小法廷は、ユニクロ側の上告を退ける決定を下した。これにより東京高裁判決が確定した[48][49]。
障害者の雇用
ユニクロで特筆されるものとして、障害者(身体障害者、知的障害者)の積極的な雇用が挙げられる[50][51][52]。
聴覚障害者の勤務する沖縄県那覇市の店舗でのサービス向上事例をきっかけに企業の社会的責任(CSR)も兼ね、2001年頃から各店舗に最低1人の障害者を雇用する方針が打ち出された。その結果、2004年以降、障害者雇用促進法による民間企業の法定雇用率1.8%をはるかに超える7%台の障害者雇用率を誇っている。これは、従業員5,000人以上の企業では突出した高率である(2006年を対象に厚生労働省が行った調査では、従業員5,000人以上の民間企業でトップ(7.42%)。2位は日本マクドナルドの2.94%、3位はしまむらの2.83%[53])。
勤務する障害者は知的障害者が多く、バックヤードでの納入された商品のチェックや分別、品出し作業や開店前や閉店後の店内の清掃などの作業に従事していることがほとんどのため、一般の来店客には存在が目につかないことが多い。聴覚や視覚や肢体などの障害を持つ人も、健常者に混じって勤務している[23]。障害者の雇用に留まらず、スペシャルオリンピックスの支援などの活動が認められ、内閣府から再チャレンジ支援功労者表彰を受けた[54][55]。
その後の2008年6月時点の厚生労働省の同様の調査では、さらに比率を8.06%に高めている。常用労働者約11,000人のうち約700人の障害者が勤務しているという(雇用率としては2人分と算定される重度障害者も含め、約890人と算定されている)。2位はエームサービスの5.67%(総従業員数が5,000人に達したことから登場)、3位はすかいらーくの2.86%[56]。
スポーツ支援
旧ファーストリテイリング時代から、アマチュアスポーツを中心としたスポーツ支援を行っていることでも知られる。
本業関連では長野オリンピック(1998年)、ソルトレイクシティオリンピック(2002年)、アテネオリンピック(2004年)とオリンピックの開会式や移動用の日本代表公式ユニフォームの提供を行った[57]ほか、サッカーJ2ザスパ草津にも、2003年から2005年までユニフォーム提供を行っている。
社会人スポーツとしては、女子陸上競技部を有する。山口県の地場スーパー・丸久の陸上競技部を引き継いだもので、山口市の本社そばに専用のトラック・練習場を設けて活動を行っている。全日本実業団対抗女子駅伝競走大会には5回の出場を数える。
かつては、マラソンランナーの早田俊幸が社員(ユニクロ広島庚午店に在籍)として勤務していた時期もある(上記の陸上部とは別に活動を行っていた)。
2009年8月には、プロ車いすテニス選手の国枝慎吾と所属契約を締結している[58]。また、2011年1月にはプロテニス選手の錦織圭と5年間のスポンサー契約を締結し、テニスウェアの提供などを行っている[59]。
2012年にはプロテニス選手のノバク・ジョコビッチ(セルビア共和国)とアンバサダー契約を結び、テニスウェアの開発・提供などを行っている[60]。
2013年にはプロゴルファーのアダム・スコットもユニフォームの提供などを行っている[61]。
オーストラレーシアPGAツアーのオーストラリアン・マスターズでは2015年大会でタイトルスポンサーを務めた。
撤退した事業
- スポーツウエア・ファミリーウエア販売
- 1997年から1998年にかけてスポーツウエア専門の「スポクロ」、ファミリーカジュアル専門の「ファミクロ」を立ち上げるも、細分化により業績が不安定なためユニクロに一本化して撤退。
- 青果販売
- 2002年9月から2004年3月にかけて子会社により「SKIP」(スキップ)のブランドで野菜果実の会員制宅配事業を実施。ユニクロ店舗で会員加入促進を行うも採算が合わず撤退。
- 靴小売専門店
- 2010年4月1日にグループ内のGOVリテイリング(現・ジーユー)が手がけていた靴専門店事業について、専門店の店舗ブランド「CANDISH」とユニクロ店舗で扱う靴部門「UNIQLO SHOES」に再編した上で、GOVリテイリングから承継。業績回復が見込めないことから専門店事業については2011年度中に全店閉店となった。
主な役員
広告・CMに出演した有名人
ユニコーン、PUFFY、浅井健一、THE YELLOW MONKEYらは、単なる広告の役だけではなく、記念Tシャツなどでコラボレーションに起用されている。
- 相沢紗世
- 鮎川誠
- 芦名星
- 新垣結衣
- ARATA
- 杏
- アンジェラ・アキ
- 石田ニコル
- 伊勢谷友介
- イッセー尾形
- 今井美樹
- 上野樹里
- オーランド・ブルーム
- 王友良
- 大沢たかお
- 大杉漣
- 大橋のぞみ
- 香椎由宇
- 片岡涼乃
- 加藤ローサ(カタログ)
- 加瀬亮
- ガレッジセール
- 桐島かれん
- 国木田彩良
- Crystal Kay
- 栗山千明
- 黒木メイサ
- CHEMISTRY
- 小池栄子
- 小出恵介
- 高良健吾
- 小林克也
- 小林繁
- 五明祐子(チラシ)
- 酒井美紀
- 桜庭和志
- 佐藤江梨子
- 佐藤和哉
- 佐藤隆太
- シーナ
- シャーリーズ・セロン
- 寿里
- JOSI(チラシ)
- ジョン・レグイザモ(ウェブ)
- シンディ・ローパー
- スチャダラパー
- スティーヴン・ホーキング
- 須藤元気
- ソノヤ・ミズノ
- TAO
- 武田真治
- 谷原章介
- 多部未華子
- ダレン・クリス(ウェブ)
- 知花くらら
- 千原兄弟
- 土屋アンナ
- 妻夫木聡
- テリー伊藤
- トータス松本
- 土岐麻子
- 冨永愛
- 中条あやみ
- 仲間リサ(チラシ)
- 長瀬智也
- 永瀬正敏
- 中田大輔
- 中谷美紀
- 中村修二
- 夏木マリ
- 野本かりあ
- hyde
- Bahashishi
- はな
- Perfume
- ハローキティ
- ピーター
- 東野翠れん
- 東山紀之
- ピストルバルブ
- 黄秀一
- 吹石一恵
- 藤原紀香
- BLACK BOTTOM BRASS BAND
- フルカワミキ
- 辺見えみり
- 本田圭佑
- 松下奈緒
- 松島花
- 松田龍平
- 松任谷由実
- 松山ケンイチ
- 松雪泰子
- マリエ
- 三浦皇成
- 三上博史
- 水木しげると目玉おやじ
- 水原希子
- MiChi
- 室井滋
- 森絵梨佳
- 森且行
- 森本稀哲
- 矢沢永吉
- 山崎まさよし
- 山口智子
- 山田優
- ユースケ・サンタマリア
- 岩沢厚治(ゆず)
- ユンソナ
エピソードなど
- 1984年6月2日にオープンしたユニクロの1号店は初日早朝6時のオープンで、開店待ちの列を作った客に対してはユニクロが朝食としてあんパンと牛乳を無料で振る舞ったという[1][2][3]。2009年11月21日には、ファーストリテイリング創業60周年記念の企画として、テナント内店舗などを除く全国約400店舗が朝6時開店となり、各店舗先着100名にあんパンと牛乳の朝食サービスが1日限定で復活した[62]。当日は目玉商品を目当てに、徹夜で並んだ客もいたという[63][64]。なお、2010年以降も創業記念キャンペーンとして行っているが、2012年以降は牛乳が緑茶に変更されている。
- かつては「購入後の商品の返品・交換が可能」であること[65]をアピールするために、中年の女性(辻イト子)がレジカウンターの前で着用していたユニクロ製品を突然脱ぎ出すという大胆なCMを放映したことがある。
- 1995年10月には、全国紙・週刊誌に「ユニクロに悪口言って100万円」という一面広告を掲載した。売上も伸び、店舗数も増えていくにつれ、商品の品質チェックがあまり行き届かなくなり、質の悪い商品を提供するケースが増えていったことへの危惧から企画されたもので、実際に約1万通のクレームが届き、審査で選ばれた1名に100万円が贈呈されたとのこと。企業がクレームを顧客満足度の向上に生かした例として取り上げられることが多い。
- 2003年に矢沢永吉が出演し日本武道館で撮影したCMで、矢沢が靴を履いたままシートもなしに床を歩いていたことから、武道関係者から「神聖なる床の上を土足で歩くというのはいかがなものか」という抗議がユニクロに多数寄せられ、同社広報部が「迂闊だった」との声明を発表している。また、撮影に場所を提供した日本武道館にも同様の抗議が相次いだが、それにまつわる広告代理店や日本武道館の声明はないまま自然収束している。
ユニクロ出身の人物
- 澤田貴司 - リヴァンプ代表取締役・代表パートナー
- 玉塚元一 - リヴァンプ代表取締役
- 有本均 - 元マクドナルド・ハンバーガー大学学長 バーガーキング社長 力の源カンパニー 現:株式会社ホスピタリティ&グローイング・ジャパン代表取締役社長
- 有賀誠 - 日本ヒューレット・パッカード株式会社執行役員人事統括本部長
- 吉澤広和 - 株式会社ドーム人事総務部部長
参考文献
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- アジア太平洋資料センター:編『オルタ』「2015-2 〈特集〉ユニクロ下請け工場で何が? 香港の労働活動家による工場潜入調査報告」(アジア太平洋資料センター、2015年2月)ISBN
- 月泉博:著『ユニクロ世界一をつかむ経営 日経ビジネス人文庫 つ1-2』(日本経済新聞出版社、2015年1月)ISBN 978-4-532-19752-0
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- 月泉博:著『ユニクロ世界一をつかむ経営』(日本経済新聞出版社、2012年7月)ISBN 978-4-532-31815-4
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- 斎藤広達:著『ユニクロは野球型?アップルはサッカー型? “確率”と“連動”でビジネスに勝つ方法』(大和出版、2012年5月)ISBN 978-4-8047-1780-7
- 横田増生:著『ユニクロ帝国の光と影』(文藝春秋、2011年3月)ISBN 978-4-16-373720-1
- 森永卓郎:監修『ユニクロと古着、経済的に得なのはどちらか デフレ時代を生き抜く経済学』(イースト・プレス、2010年12月)ISBN 978-4-7816-0524-1
- 洞口勝人:著『なぜ、ユニクロは1500円の商品で300円の利益をあげられるのか? 身近な「数字」から政治・経済・資産運用の基本がわかる本 じっぴコンパクト新書 068』(実業之日本社、2010年9月)ISBN 978-4-408-10866-7
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- 柳井正:監修『ユニクロ思考術』(新潮社、2009年10月)ISBN 978-4-10-464202-1
- 片山修:著『柳井正の見方・考え方 ユニクロ強さの秘密を完全解説』(PHP研究所、2009年10月)ISBN 978-4-569-77227-1
- 川嶋幸太郎:著『なぜユニクロだけが売れるのか 世界を制するプロモーション戦略と店舗オペレーション』(ぱる出版、2008年11月)ISBN 978-4-8272-0446-9
- 誠文堂新光社:編『ユニクロのデザイン SEIBUNDO mook』(誠文堂新光社、2008年4月)ISBN 978-4-416-60830-2
- 西村秀幸:著『どうしてもユニクロに勝てない無印良品 Yell books』(エール出版社、2001年5月)ISBN 978-4-7539-2078-5
- 梛野順三:著『ユニクロマーケティング方式 大量生産・大量販売の市場独占戦略』(ぱる出版、2001年5月)ISBN 978-4-89386-853-4
- 西村秀幸:著『ユニクロ・ライトオン・しまむらの成功と限界 Yell books』(エール出版社、2000年9月)ISBN 978-4-7539-1987-1
- 繊研新聞社:編『UNIQLO異端からの出発』(繊研新聞社、2000年7月)ISBN 978-4-88124-063-2
- 安本隆晴:著『「ユニクロ」!監査役実録 知られざる増収増益の幕開け』(ダイヤモンド社、1999年5月)ISBN 978-4-478-31170-7
脚注
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- ^ a b ユニクロ30周年! 1号店の店長が語る オープン時に予感した未来
- ^ a b ほぼ日刊イトイ新聞 -伝説のアルバイター ~ユニクロ学生バイト
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- ^ ユニクロ プレスリリース2005年7月4日(Simple Questions「そもそもユニクロって?」(2) ~「考える人」2005年夏号~)より
- ^ 親会社ファーストリテイリングの「ダイバーシティの推進」より
- ^ 日本経済新聞2004年5月3日・経営の視点「ユニクロ、障害者積極雇用」 (PDF) より
- ^ 読売新聞 2007年4月27日付配信より
- ^ 内閣府の再チャレンジ支援功労者表彰
- ^ 内閣府の紹介PDF (PDF)
- ^ ユニクロが障害者雇用率トップ 3年連続 47ニュース(共同通信) 2009年1月8日付配信より
- ^ アテネオリンピックのユニフォームは高田賢三がデザインを担当。
- ^ "プロ車いすテニスプレーヤー 国枝慎吾選手と所属契約を締結、競技用ウエアを開発・提供" (Press release). ユニクロ. 25 August 2009. 2012年1月26日閲覧。
- ^ "日本のトッププロテニスプレーヤーとスポンサー契約を締結、2011年シーズンから錦織圭選手にウエアを提供" (Press release). ユニクロ. 26 January 2011. 2012年1月26日閲覧。
- ^ ノバク・ジョコビッチ選手とのグローバル ブランド アンバサダー契約締結の舞台裏~(新潮社)「考える人」2012年秋号~ ユニクロプレスリリース 2012年10月3日付
- ^ "プロゴルファー アダム・スコット選手と「グローバル ブランド アンバサダー」契約を締結" (Press release). ユニクロ. 9 April 2013. 2014年8月24日閲覧。
- ^ ファーストリテイリング創業60周年 お客様に感謝の気持ちを込めて、記念キャンペーンを実施します - ユニクロ2009年11月14日付けニュースリリースより
- ^ ユニクロ、夜明けの行列 創業60周年、開店は朝6時日本経済新聞、2009年11月21日
- ^ ユニクロ、60周年の早朝セール 銀座店には2千人並ぶ共同通信、2009年11月21日
- ^ 公式サイトによれば、現在でも購入より3か月以内でレシートを保管してあれば、購入後の商品の返品・交換が可能である。
関連項目
- 熊木杏里 - CMソングとして、2007年の『朝日の誓い』(Wide Leg)や『ひみつ』(ヒートテックインナー)などが起用された。
- 考える人 (雑誌) - ユニクロの協力で創刊された雑誌であり、入っている広告のほとんどが同社のものである。ユニクロを題材にした記事も毎号必ず掲載される。
- ファストファッション
- UT、UJ - ユニクロが展開する主なブランドの名称。
- ギャル系雑誌
- フェアトレード・タウン
- ジル・サンダー - ドイツのデザイナー。2009年にユニクロとのデザインコンサルティングを契約し、「+J」のブランドを提供。
- 柳井政雄 - 柳井正の伯父。部落解放運動家。ユニクロの前身である小郡商事の創業者で代表者。
提供番組
- 現在
- NEWS ZERO(日本テレビ系) - 2013年10月から提供スポンサーを続いていたが2016年9月を持って提供を降板。2016年10月以降現在は「スッキリ!!」の9時台前半A枠隔日に提供枠を移動している。PT扱い。[1]
- NEWS23(TBS系) - 2013年10月から提供スポンサーだったが、2016年9月に降板。2016年10月以降現在は木曜21:57-22:54の「櫻井・有吉THE夜会」に提供枠を移動している。PT扱い。
- 気づきの扉(テレビ朝日) - 2017年4月から(一社提供)
- WBS(テレビ東京系) - 2014年4月から提供スポンサーだったが、2016年9月30日で降板。現在はPT扱いで不定期に提供中。
- 過去
- 報道ステーションSUNDAY(テレビ朝日系) - 2013年10月から提供スポンサーだったが2016年9月で降板。
- ZIP!(日本テレビ系) - 2013年10月から提供スポンサーだったが2016年9月で降板。
外部リンク
- UNIQLO
- 株式会社ファーストリテイリング
- ユニクロ (@UNIQLO_JP) - X(旧Twitter)
- UNIQLO - Google+
- UNIQLO (uniqlo) - Facebook
- ユニクロ (@uniqlo) - Instagram
- フォトライブラリー | FAST RETAILING CO., LTD. - ユニクロ1号店も含む各種業態店舗の拡大カラー写真を公開。