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[[ロンドン]]で複数の[[レストラン]]を経営する傍ら、[[2008年]]から[[フットボールリーグ1]](3部相当)の[[ミルトン・キーンズ・ドンズFC]]で指導者としてのキャリアをスタート。[[2009年]]より指揮を執った[[ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC]]では攻撃的なサッカーを展開しプレミアリーグ昇格に導いた<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/204446?page=3 頓挫したビラスボアスの「3年計画」。迷走するチェルシーはどこへ行く? 3]</ref>。 |
[[ロンドン]]で複数の[[レストラン]]を経営する傍ら、[[2008年]]から[[フットボールリーグ1]](3部相当)の[[ミルトン・キーンズ・ドンズFC]]で指導者としてのキャリアをスタート。[[2009年]]より指揮を執った[[ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC]]では攻撃的なサッカーを展開しプレミアリーグ昇格に導いた<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/204446?page=3 頓挫したビラスボアスの「3年計画」。迷走するチェルシーはどこへ行く? 3]</ref>。 |
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[[2011年]]に古巣[[チェルシーFC]]のアシスタントコーチに就任。[[2012年]]3月4日、シーズン途中の[[アンドレ・ビラス・ボアス]]監督解任に伴い、暫定的に監督に昇格した<ref>{{cite web |url=http://www.chelseafc.com/page/LatestNews/0,,10268~2633044,00.html |title=CHELSEA AND VILLAS-BOAS PART COMPANY |publisher=chelseafc.com |date=2012-03-04 |accessdate =2012-03-04}}</ref>。リーグ戦では順位を上げられず6位に終わったが、国内外での[[カップ戦]]では勝ち進むことに成功。5月5日に行われた[[FAカップ]]決勝で[[リヴァプールFC]]を破り優勝を飾ると、同月19日の[[UEFAチャンピオンズリーグ]]決勝でも[[PK戦]]の末に[[バイエルン・ミュンヘン]]に勝利。チェルシーが同大会で初優勝を収めシーズンを終えた後、正式に監督として2年契約を結んだ。だが5ヶ月後の[[11月21日]]、成績不振により解任された<ref>{{cite web |url=http://www.chelseafc.com/news-article/article/2986865/title/statement-on-roberto-di-matteo |title=STATEMENT ON ROBERTO DI MATTEO |publisher=chelseafc.com |date=2012-11-21 |accessdate =2012-11-21}}</ref>。[[スタンフォード・ブリッジ]]ではディマッテオの現役時代の背番号「16」にちなみ、試合開始16分に彼の功績を称える拍手が行われていた。<ref>[http://hereisthecity.com/2013/01/17/chelsea-abramovich-didnt-give-di-matteo-enough-rope Abramovich didn't give Di Matteo enough rope]</ref> |
[[2011年]]に古巣[[チェルシーFC]]のアシスタントコーチに就任。[[2012年]]3月4日、シーズン途中の[[アンドレ・ビラス・ボアス]]監督解任に伴い、暫定的に監督に昇格した<ref>{{cite web |url=http://www.chelseafc.com/page/LatestNews/0,,10268~2633044,00.html |title=CHELSEA AND VILLAS-BOAS PART COMPANY |publisher=chelseafc.com |date=2012-03-04 |accessdate =2012-03-04}}</ref>。リーグ戦では順位を上げられず6位に終わったが、国内外での[[カップ戦]]では勝ち進むことに成功。5月5日に行われた[[FAカップ]]決勝で[[リヴァプールFC]]を破り優勝を飾ると、同月19日の[[UEFAチャンピオンズリーグ]]決勝でも[[PK戦]]の末に[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]に勝利。チェルシーが同大会で初優勝を収めシーズンを終えた後、正式に監督として2年契約を結んだ。だが5ヶ月後の[[11月21日]]、成績不振により解任された<ref>{{cite web |url=http://www.chelseafc.com/news-article/article/2986865/title/statement-on-roberto-di-matteo |title=STATEMENT ON ROBERTO DI MATTEO |publisher=chelseafc.com |date=2012-11-21 |accessdate =2012-11-21}}</ref>。[[スタンフォード・ブリッジ]]ではディマッテオの現役時代の背番号「16」にちなみ、試合開始16分に彼の功績を称える拍手が行われていた。<ref>[http://hereisthecity.com/2013/01/17/chelsea-abramovich-didnt-give-di-matteo-enough-rope Abramovich didn't give Di Matteo enough rope]</ref> |
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2014年10月、[[シャルケ04]]の監督に就任<ref>{{Cite press release |title=S04 trennt sich von Jens Keller – Roberto Di Matteo übernimmt |url=http://www.schalke04.de/de/aktuell/news/141007_trainerwechsel/page/4520--10-213-.html |publisher=Schalke 04 |language=ドイツ語 |date=2014-10-07}}</ref>。チャンピオンズリーグでは決勝トーナメントに進出し、ベスト16で[[レアル・マドリード]]と対戦。前大会王者をあと一歩まで追い詰めるも合計スコア4-5で敗退。2015年5月26日に辞任した。 |
2014年10月、[[シャルケ04]]の監督に就任<ref>{{Cite press release |title=S04 trennt sich von Jens Keller – Roberto Di Matteo übernimmt |url=http://www.schalke04.de/de/aktuell/news/141007_trainerwechsel/page/4520--10-213-.html |publisher=Schalke 04 |language=ドイツ語 |date=2014-10-07}}</ref>。チャンピオンズリーグでは決勝トーナメントに進出し、ベスト16で[[レアル・マドリード]]と対戦。前大会王者をあと一歩まで追い詰めるも合計スコア4-5で敗退。2015年5月26日に辞任した。 |
2017年8月29日 (火) 09:58時点における版
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2015年のディ・マッテオ | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Roberto DI MATTEO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1970年5月29日(54歳) | |||||
出身地 | スイス シャフハウゼン | |||||
身長 | 178cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1988-1991 | シャフハウゼン | 50 | (2) | |||
1991-1992 | チューリッヒ | 34 | (6) | |||
1992-1993 | アーラウ | 33 | (1) | |||
1993-1996 | ラツィオ | 87 | (7) | |||
1996-2002 | チェルシー | 119 | (26) | |||
通算 | 323 | (42) | ||||
代表歴 | ||||||
1994-1998[1] | イタリア | 34 | (2) | |||
監督歴 | ||||||
2008-2009 | MKドンズ | |||||
2009-2011 | WBA | |||||
2011-2012 | チェルシー (アシスタントコーチ) | |||||
2012 | チェルシー | |||||
2014-2015 | シャルケ | |||||
2016 | アストン・ヴィラ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ロベルト・ディ・マッテオ(Roberto Di Matteo、1970年5月29日 - )は、スイス・シャフハウゼン出身の、元プロサッカー選手。サッカー指導者。元イタリア代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。
経歴
選手時代
スイスのシャフハウゼンにてイタリア人の両親の間に生まれる。1988年に地元クラブのFCシャフハウゼンでプロ初出場。1993年にはFCアーラウでリーグ制覇を成し遂げ、最優秀選手に選ばれた。翌シーズンからセリエAのSSラツィオに移籍。3シーズンに渡りレギュラーとしてプレーした。
1996年夏にプレミアリーグのチェルシーFCに移籍。移籍金490万ユーロは当時のクラブ最高額であった。1年目から9ゴールを挙げチームに馴染むと、中盤の底から繰り出す効果的なロングパスを武器にチームの主力として活躍。1997年と2000年のFAカップ決勝戦では、決勝ゴールを挙げて優勝に貢献。1998年には、UEFAカップウィナーズカップ、フットボールリーグカップ、UEFAスーパーカップ制覇に貢献した。そして2002年に怪我のため、31歳で現役引退した。
サッカーイタリア代表としては、1996年の欧州選手権と1998年のフランスW杯を含む34試合に出場した。
指導者時代
ロンドンで複数のレストランを経営する傍ら、2008年からフットボールリーグ1(3部相当)のミルトン・キーンズ・ドンズFCで指導者としてのキャリアをスタート。2009年より指揮を執ったウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCでは攻撃的なサッカーを展開しプレミアリーグ昇格に導いた[2]。
2011年に古巣チェルシーFCのアシスタントコーチに就任。2012年3月4日、シーズン途中のアンドレ・ビラス・ボアス監督解任に伴い、暫定的に監督に昇格した[3]。リーグ戦では順位を上げられず6位に終わったが、国内外でのカップ戦では勝ち進むことに成功。5月5日に行われたFAカップ決勝でリヴァプールFCを破り優勝を飾ると、同月19日のUEFAチャンピオンズリーグ決勝でもPK戦の末にバイエルン・ミュンヘンに勝利。チェルシーが同大会で初優勝を収めシーズンを終えた後、正式に監督として2年契約を結んだ。だが5ヶ月後の11月21日、成績不振により解任された[4]。スタンフォード・ブリッジではディマッテオの現役時代の背番号「16」にちなみ、試合開始16分に彼の功績を称える拍手が行われていた。[5]
2014年10月、シャルケ04の監督に就任[6]。チャンピオンズリーグでは決勝トーナメントに進出し、ベスト16でレアル・マドリードと対戦。前大会王者をあと一歩まで追い詰めるも合計スコア4-5で敗退。2015年5月26日に辞任した。
2016年6月2日、アストン・ヴィラFCの監督に就任。
所属クラブ
監督歴
- ミルトン・キーンズ・ドンズFC 2008-2009
- ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC 2009-2011
- チェルシーFC (助監督) 2011-2012.3 (暫定監督) 2012.3-2012.6 (監督) 2012.6-2012.11
- シャルケ04 2014.10-2015.5
- アストン・ヴィラFC 2016
監督成績
クラブ | 就任 | 退任 | 記録 | ||||||
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試合 | 勝ち | 分け | 負け | 勝率 % | |||||
ミルトン・キーンズ・ドンズFC | 2008年7月2日 | 2009年6月30日 | 52 | 27 | 11 | 14 | 51.92 | ||
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC | 2009年6月30日 | 2011年2月6日 | 83 | 40 | 19 | 24 | 48.19 | ||
チェルシーFC | 2012年3月4日 | 2012年11月21日 | 42 | 24 | 9 | 9 | 57.14 | ||
シャルケ04 | 2014年10月7日 | 2015年5月26日 | 33 | 14 | 7 | 12 | 42.42 | ||
アストン・ヴィラFC | 2016年6月2日 | 2016年10月3日 | 12 | 1 | 7 | 4 | 8.33 |
脚注
- ^ “Roberto Di Matteo - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ 頓挫したビラスボアスの「3年計画」。迷走するチェルシーはどこへ行く? 3
- ^ “CHELSEA AND VILLAS-BOAS PART COMPANY”. chelseafc.com (2012年3月4日). 2012年3月4日閲覧。
- ^ “STATEMENT ON ROBERTO DI MATTEO”. chelseafc.com (2012年11月21日). 2012年11月21日閲覧。
- ^ Abramovich didn't give Di Matteo enough rope
- ^ "S04 trennt sich von Jens Keller – Roberto Di Matteo übernimmt" (Press release) (ドイツ語). Schalke 04. 7 October 2014.