ディノ・バッジョ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Dino BAGGIO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1971年7月24日(53歳) | |||||
出身地 | カンポサンピエーロ | |||||
身長 | 188cm | |||||
体重 | 83kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
代表歴 | ||||||
1991-1999 | イタリア [1] | 60 | (7) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ディノ・バッジョ(Dino Baggio、1971年7月24日 - )は、イタリア・カンポサンピエーロ出身の元サッカー選手。長身でフィジカルに優れ、空中戦に強く、相手の攻撃の芽を摘んで、守備的MFとして、攻守に活躍した[2][3]。
経歴
[編集]クラブ
[編集]1989-90シーズン、当時セリエBのトリノでキャリアをスタートさせ、1990-91シーズンの開幕のラツィオ戦でセリエAにデビュー。1991-92シーズン、ユヴェントスが獲得したが、このシーズンはインテルへとレンタルに出された[3]。
ユベントス移籍後、1992-93シーズンのUEFAカップ決勝、ボルシア・ドルトムント戦では1stレグで1ゴール、2ndレグで2ゴールを挙げるなど、大会全体では、8試合で5ゴールの活躍で優勝に貢献した[3]。1993-94シーズンは出場機会を減らした[3]。
1994-95シーズンの開幕前、パルマのオファーを受けるも、当初は移籍を望んでいなかったため、一度はオファーを断った[3]。パルマはアレッサンドロ・デル・ピエロへとターゲットを変え、デル・ピエロのパルマ移籍が成立しそうになったが、更なる出場機会を求めてパルマへ移籍することを決めたため、デル・ピエロの移籍は無くなり、パルマへ加入することとなった[3]。UEFAカップ決勝では古巣のユヴェントスと対戦、1stレグ、2ndレグで共に1得点を挙げ、優勝に貢献した[4]。1996-97シーズンには、これまでで最高位となる、リーグ第2位に入った[3]。1998年10月、パルマ在籍時にUEFA杯でヴィスワ・クラクフと対戦。クラクフ側のサポーターが投げたナイフが頭部に刺さり重傷を負ったことがある[5]。パルマでの6シーズンで308試合に出場、27得点を決めた[2]。
2000-01シーズン開幕後、SSラツィオに移籍。2003-04シーズンにプレミアリーグのブラックバーンへと移籍したが、出場機会は少なく、翌年アンコーナへと移籍[3]。2005-06シーズン、当時セリエBのトリエスティーナで現役を終えた[3]。
代表
[編集]イタリア代表としては1991年12月21日のキプロス戦(フォッジャ)で代表デビュー。1994 FIFAワールドカップ、1998 FIFAワールドカップ、ユーロ96に出場した。アリゴ・サッキ監督の信頼を勝ち取って、レギュラーに定着した[3]。1994 FIFAワールドカップの予選ではポルトガル戦で本大会出場を決める、決勝ゴールを決め、予選突破に貢献、1994 FIFAワールドカップ本大会ではグループリーグのノルウェー戦で決勝ゴール[6]、準々決勝のスペイン戦では先制点を決めるなど[7]、イタリアの決勝進出に貢献した。1998 FIFAワールドカップでもレギュラーとして活躍した。
引退後
[編集]引退後は趣味として演劇活動も行っている。
2008年2月からは、3部リーグのTombolo(パドヴァ近郊の町・出身地に近い)に所属。キャリア初期に指導を受けたCesare Crivellaroのもとで週に2回ほどプレーしているという。
2013年6月9日、日伊代表OB戦の「グロリエ・アッズーレ」一員として来日。国立競技場でプレーした。背番号は13
その他
[編集]同時期に同姓のロベルト・バッジョが活躍していたため、「もう一人のバッジョ」と呼ばれていた[8]。ワールドカップでの活躍で人々から認知される様にはなったが、それでも、同性であることが災いして、選手としての活躍がありながらも、ロベルト・バッジョの様な知名度や、活躍に相応しい程の名声は得られなかった[3]。
所属クラブ
[編集]- 1989-1991 トリノ・カルチョ
- 1991-1992 インテルナツィオナーレ・ミラノ
- 1992-1994 ユヴェントスFC
- 1994-2000 ACパルマ
- 2000-2003 SSラツィオ
- 2003-2004 ブラックバーン・ローヴァーズFC
- 2003-2004 アンコーナ・カルチョ
- 2004-2005 SSラツィオ
- 2005 USトリエスティーナ・カルチョ
タイトル
[編集]- トリノ
- 1989-90 : セリエB
- ユヴェントス
- 1992-93 : UEFAカップ
- パルマ
- 1994-95 : UEFAカップ
- 1999 : スーペルコッパ・イタリアーナ
- 1998-99 : UEFAカップ
- 1998-99 : コッパ・イタリア
出典
[編集]- ^ “Dino Baggio - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ a b “Dino Baggio”. PARMA. 2023年8月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k “Mengenal Baggio Lain Yang Ada Di Italia”. GOAL (2022年3月18日). 2023年8月1日閲覧。
- ^ “1994/95: Baggio gives Parma lift-off”. UEFA.COM. 2023年5月21日閲覧。
- ^ ディノ・バッジョ襲撃犯、刑務所行き(FC JAPANホームページ)
- ^ Mondiali 1994: Italia-Norvegia 1-0-stoliedicalcio 2018年1月21日
- ^ Mondiali 1994: Mondiali 1994: Italia-Spagna 2-1-stoliedicalcio 2018年1月21日
- ^ Gli eroi in bianconero: Dino BAGGIO-Tutto Juve 2018年1月27日
外部リンク
[編集]- ディノ・バッジョ - Olympedia
- ディノ・バッジョ - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- ディノ・バッジョ - National-Football-Teams.com
- ディノ・バッジョ - Soccerway.com
- ディノ・バッジョ - Soccerbase.comによる選手データ
- ディノ・バッジョ - FootballDatabase.eu
- ディノ・バッジョ - WorldFootball.net
- ディノ・バッジョ - Transfermarkt.comによる選手データ
- ディノ・バッジョ - FIFA主催大会成績
- ディノ・バッジョ - UEFA