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W杯後はクラブ、代表ともに良い活躍を見せられず低迷していたが、[[2004年]][[7月1日]]に[[ヴェルダー・ブレーメン]]へ移籍するとこれが転機となり完全復活。[[サッカークロアチア代表|クロアチア代表]]の[[イヴァン・クラスニッチ]]と2トップを組み、2005-06シーズンはブンデスリーガ得点王となった。さらに2006年の[[2006 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップドイツ大会]]でも7試合で5得点を決めて得点王となった。また得点以外の面でも[[サッカースウェーデン代表|スウェーデン]]戦で[[ルーカス・ポドルスキ]]の得点をアシストするなどの活躍を見せた。 |
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[[2007年]][[6月26日]]、移籍金1200万[[ユーロ]](約19億8千万円)で[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]へ移籍した。 |
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[[2009年]]になるとチームでの出場機会及び得点数が減少していたが、代表では不動のエースとして活躍。自身3度目となる[[2010 FIFAワールドカップ]]にも出場した。若返ったチームの中でも活躍し、グループリーグ初戦の[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]戦で得点を挙げ、3大会連続得点を記録した。第2戦の[[サッカーセルビア代表|セルビア]]戦では2枚のイエローカードを受けて前半で退場し、ドイツも敗れた。出場停止明けの決勝トーナメント1回戦[[サッカーイングランド代表|イングランド]]戦では[[マヌエル・ノイアー]]からのゴールキックをDFに競り勝って直接決め、先制点を挙げた。代表通算100試合目の出場となった準々決勝の[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン]]戦では2得点を挙げ、この時点で[[ゲルト・ミュラー]]に並び、W杯通算得点を歴代2位の14得点とした。その後、準決勝の[[サッカースペイン代表|スペイン]]戦は無得点、3位決定戦の[[サッカーウルグアイ代表|ウルグアイ]]戦は欠場したため大会通算4得点、W杯歴代通算14得点で大会を終えた。 |
[[2009年]]になるとチームでの出場機会及び得点数が減少していたが、代表では不動のエースとして活躍。自身3度目となる[[2010 FIFAワールドカップ]]にも出場した。若返ったチームの中でも活躍し、グループリーグ初戦の[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]戦で得点を挙げ、3大会連続得点を記録した。第2戦の[[サッカーセルビア代表|セルビア]]戦では2枚のイエローカードを受けて前半で退場し、ドイツも敗れた。出場停止明けの決勝トーナメント1回戦[[サッカーイングランド代表|イングランド]]戦では[[マヌエル・ノイアー]]からのゴールキックをDFに競り勝って直接決め、先制点を挙げた。代表通算100試合目の出場となった準々決勝の[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン]]戦では2得点を挙げ、この時点で[[ゲルト・ミュラー]]に並び、W杯通算得点を歴代2位の14得点とした。その後、準決勝の[[サッカースペイン代表|スペイン]]戦は無得点、3位決定戦の[[サッカーウルグアイ代表|ウルグアイ]]戦は欠場したため大会通算4得点、W杯歴代通算14得点で大会を終えた。 |
2017年8月29日 (火) 09:34時点における版
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SSラツィオでのクローゼ | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ミロスラフ・ヨーゼフ・クローゼ Miroslav Josef Klose | |||||
愛称 | ミロ、ミレク | |||||
ラテン文字 | Miroslav Klose | |||||
ポーランド語 | Mirosław Josef Kloze | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ドイツ ポーランド | |||||
生年月日 | 1978年6月9日(46歳) | |||||
出身地 | ポーランド オポーレ | |||||
身長 | 182cm[1] | |||||
体重 | 83kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2004 | カイザースラウテルン | 120 | (44) | |||
2004-2007 | ブレーメン | 89 | (53) | |||
2007-2011 | バイエルン | 98 | (24) | |||
2011-2016 | ラツィオ | 139 | (55) | |||
代表歴 | ||||||
2001-2014 | ドイツ | 136 | (71) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2014年7月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ミロスラフ・クローゼ(Miroslav Klose, 1978年6月9日 - )は、ポーランド・オポーレ出身の元サッカー選手。ポジションはFW。ポーランド語の表記法ではミロスワフ・クローゼ (Mirosław Kloze) 。
ドイツ代表での出場は歴代2位、得点数は歴代最多。FIFAワールドカップでの通算得点数16は歴代最多の記録である。
人物
父はAJオセールなどでプレーし、ポーランド代表経験も持つ元サッカー選手ユゼフ・クローゼ (Józef Kloze) 、母はポーランド代表で82試合出場した元ハンドボール選手バルバラ・イェジュ (Barbara Jeż) 。妻はポーランド出身のポーランド人[2]。 祖父のエルヴィン・クローゼ(Erwin Klose)はシレジア(ドイツ語シュレージェン、ポーランド語シロンスク)地方出身のドイツ人で、第二次大戦後にシレジアがドイツ領からポーランド領となってから(旧ドイツ東部領土参照)もそのまま定住した。家庭ではドイツ語でなくポーランド語で話している[3][4]。若い頃に大工の資格を取得している。
経歴
9歳でドイツに移住し、7部リーグに所属する小さなクラブ、ブラウバッハ=ディーデルコップフやFCホンブルクでアマチュア時代を過ごす。1999年にはブンデスリーガ・1.FCカイザースラウテルンのサテライトチームに移籍し、2000年にプロデビュー。翌シーズンにはUEFAカップ準決勝まで進出し、ポーランドとドイツ両代表から招集を受けるが、クローゼはドイツ代表を選択。2001年3月24日のアルバニア戦で代表デビューを果たした。
2002年、FIFAワールドカップ日韓大会を控えた親善試合でハットトリックを2度達成して好調を維持。大会本番でも7試合5得点(全ての得点がヘッド)で得点ランク2位になり、ユルゲン・クリンスマン、オリバー・ビアホフを継ぐドイツ代表のエースストライカーとしてドイツの準優勝に貢献した。
W杯後はクラブ、代表ともに良い活躍を見せられず低迷していたが、2004年7月1日にヴェルダー・ブレーメンへ移籍するとこれが転機となり完全復活。クロアチア代表のイヴァン・クラスニッチと2トップを組み、2005-06シーズンはブンデスリーガ得点王となった。さらに2006年のFIFAワールドカップドイツ大会でも7試合で5得点を決めて得点王となった。また得点以外の面でもスウェーデン戦でルーカス・ポドルスキの得点をアシストするなどの活躍を見せた。
2007年6月26日、移籍金1200万ユーロ(約19億8千万円)でバイエルン・ミュンヘンへ移籍した。
2009年になるとチームでの出場機会及び得点数が減少していたが、代表では不動のエースとして活躍。自身3度目となる2010 FIFAワールドカップにも出場した。若返ったチームの中でも活躍し、グループリーグ初戦のオーストラリア戦で得点を挙げ、3大会連続得点を記録した。第2戦のセルビア戦では2枚のイエローカードを受けて前半で退場し、ドイツも敗れた。出場停止明けの決勝トーナメント1回戦イングランド戦ではマヌエル・ノイアーからのゴールキックをDFに競り勝って直接決め、先制点を挙げた。代表通算100試合目の出場となった準々決勝のアルゼンチン戦では2得点を挙げ、この時点でゲルト・ミュラーに並び、W杯通算得点を歴代2位の14得点とした。その後、準決勝のスペイン戦は無得点、3位決定戦のウルグアイ戦は欠場したため大会通算4得点、W杯歴代通算14得点で大会を終えた。
クローゼは「この大会で代表を引退する」と宣言したが、その後UEFA EURO 2012への正式招集が決定。会見で「自分はまだ若いし、2014年まで十分やっていける」と2014 FIFAワールドカップへの参加を示唆する発言をした。2011年2月10日のイタリアとの親善試合に出場し代表出場試合数が106となり、ユルゲン・コーラーを抜き歴代単独3位となった。この試合では通算59得点目となる先制点も挙げた。
6月9日、契約期間満了でバイエルンを退団[5]。ラツィオへ移籍した[6]。初の海外挑戦に対し不安の声も聞かれたがすんなりとチームにフィットし、怪我での離脱がありながらもチームトップのリーグ戦13得点を記録した。2013年5月5日のボローニャFC戦でセリエAでは27年ぶりとなる1試合5ゴールを記録した[7]。
2013年9月6日の2014 FIFAワールドカップ予選、オーストリア戦で代表通算68得点目を挙げ、ゲルト・ミュラーのドイツ代表歴代最多得点記録に並んだ[8]。そして2014年6月6日、マインツで行われたアルメニアとの試合で途中出場からゴールを決めて、ゲルト・ミュラーの記録を40年ぶりに塗り替えた。本大会では2014年6月22日に行われたグループリーグ第2戦のガーナ戦で元ブラジル代表のロナウドと並ぶFIFAワールドカップ歴代通算最多タイのゴールを決めた。さらに7月9日の準決勝では、ブラジル戦で前半23分に右足でシュートを決め、以降6分間でドイツ代表が立て続けに3ゴールを奪うというドイツ圧勝への道筋をつけた。またこのゴールにより、ワールドカップ通算得点を16点とし、記録を更新した[9]。この記録はギネスに認定された。
しかし7月22日に突然、地元ドイツの「ビルト紙」のインタビューに「来年の夏が引退の時」と自ら引退を示唆する発言をしている。
2016年5月10日にラツィオはクローゼとの契約を延長しないことを発表し[10]、2015-2016シーズン終了後に契約満了に伴い退団した。またラツィオでの最後の試合となった5月15日のフィオレンティーナ戦ではPKからゴールを挙げ、ラツィオで通算64得点とし、クラブの外国人選手最多得点記録保持者となった[11]。その後、現役続行の意思を示し、古巣カイザースラウテルン復帰なども報じられたが無所属となっており、同年11月1日にドイツ・サッカー連盟を通じて現役引退を発表した。今後は指導者の道を歩むとのことで、ドイツ代表のスタッフ入りも同時に発表されている[12]。
エピソード
- カイザースラウテルン時代は、プロになるまで大工のアルバイトをしていた。これは父の「何か手に職を持っておけ」という言いつけによって大工の職業訓練を受けていたためである[13][14]。
- フランツ・ベッケンバウアーはクローゼを「クロージーニョ」とあだ名している[15][16]。
- ゴールを奪うと、前方宙返りでその喜びを表現することから、「サルト・クローゼ」と呼ばれている[17][18]。
- 2005年4月30日、ブレーメン対ビーレフェルト戦では0-0の時点で自らが得たPKに対して、「自分が倒れただけで、PKではない」と審判に申告し、PKと相手選手への警告を取り消させた。その後、試合はクローゼ自身のゴールもあって3-0でブレーメンが勝利した。このプレーによってクローゼはドイツオリンピック委員会選定の「フェアプレー賞」を受賞している[19][20][21]。
- 2012年9月26日のラツィオ対ナポリ戦では、0-0の前半3分にCKからネットを揺らしたが、ナポリの選手がハンドをアピールして猛抗議すると自らハンドを認め、主審はゴールを取り消した[22]。試合後、ナポリの主将であるパオロ・カンナヴァーロは、「クローゼの行動は、賞が与えられるべきものだ」とそのフェアプレー精神を称賛した。
- 2014 FIFAワールドカップ・決勝では先発出場した。
- 同戦はW杯史上最多7回目の対戦組み合わせであるアルゼンチン戦であり、決勝での同カードはこれもW杯史上最多の3回目[23][24](86年メキシコ大会・90年イタリア大会)、決勝での戦績は1勝1敗、加えて両者とも当時2大会の直接対決以後優勝から遠ざかっており、因縁の対決ともなった。
- 更に同戦は直近2大会の準々決勝(2006年大会準々決勝および2010年大会準々決勝)で実現しているカードであり、クローゼは両大会ともアルゼンチンからゴールを奪っている。直近2対戦は何れもドイツが勝利しており、クローゼはアルゼンチンキラーとしての活躍も期待された[25]。
- 結局クローゼはこの決勝では自らゴールネットを揺らすことは出来ず、スコアレスのまま延長に突入する直前の後半43分にマリオ・ゲッツェと交代。この際ゲッツェに「おまえならできる」と話している[26]。過去3大会の好成績を支えながらもあと一歩で母国の優勝の栄光を逃してきたクローゼからバトンを受け継ぐような形で、22歳のゲッツェは延長後半8分にゴールを決めた。これがこの決勝戦唯一のゴールとなり、試合は1-0でドイツが勝利。4回目24年(6大会)ぶり・南米開催大会では欧州勢史上初の優勝を果たした。
個人成績
クラブ個人成績
クラブ | シーズン | 国内リーグ | 国内カップ戦 | 欧州カップ戦 | 合計 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
カイザースラウテルン | 1999-00 | 2 | 0 | 2 | 0 | ||||
2000-01 | 29 | 9 | 2 | 0 | 12 | 2 | 43 | 11 | |
2001-02 | 31 | 16 | 4 | 0 | 35 | 16 | |||
2002-03 | 32 | 9 | 4 | 4 | 36 | 13 | |||
2003-04 | 26 | 10 | 1 | 1 | 2 | 1 | 29 | 12 | |
合計 | 120 | 44 | 11 | 5 | 14 | 3 | 145 | 52 | |
ブレーメン | 2004-05 | 32 | 15 | 5 | 0 | 8 | 2 | 44 | 17 |
2005-06 | 26 | 25 | 5 | 2 | 9 | 4 | 40 | 31 | |
2006-07 | 31 | 13 | 3 | 1 | 13 | 2 | 47 | 16 | |
合計 | 89 | 53 | 13 | 3 | 30 | 8 | 132 | 64 | |
バイエルン | 2007-08 | 27 | 10 | 8 | 6 | 12 | 5 | 47 | 21 |
2008-09 | 26 | 10 | 4 | 3 | 8 | 7 | 38 | 20 | |
2009-10 | 25 | 3 | 5 | 2 | 8 | 1 | 38 | 6 | |
2010-11 | 20 | 1 | 4 | 3 | 2 | 1 | 26 | 5 | |
合計 | 98 | 24 | 21 | 14 | 30 | 14 | 146 | 52 | |
ラツィオ | 2011-12 | 27 | 13 | 2 | 0 | 6 | 3 | 35 | 16 |
2012-13 | 29 | 15 | 2 | 0 | 5 | 1 | 36 | 16 | |
2013-14 | 24 | 7 | 1 | 0 | 3 | 1 | 28 | 8 | |
2014-15 | 34 | 13 | 6 | 3 | 40 | 16 | |||
合計 | 116 | 48 | 11 | 3 | 14 | 5 | 139 | 56 | |
通算(ドイツ) | 307 | 121 | 45 | 21 | 74 | 25 | 423 | 168 | |
通算(イタリア) | 116 | 48 | 11 | 3 | 14 | 5 | 139 | 56 |
代表個人成績
ドイツ代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2001 | 7 | 2 |
2002 | 17 | 12 |
2003 | 10 | 1 |
2004 | 11 | 5 |
2005 | 5 | 0 |
2006 | 17 | 13 |
2007 | 5 | 3 |
2008 | 15 | 8 |
2009 | 6 | 4 |
2010 | 12 | 10 |
2011 | 8 | 5 |
2012 | 13 | 4 |
2013 | 4 | 1 |
2014 | 6 | 3 |
通算 | 136 | 71 |
代表での得点
# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2001年3月24日 | レバークーゼン、バイ・アレーナ | アルバニア | 2–1 | 2–1 | 2002 FIFAワールドカップ予選 |
2 | 2001年3月28日 | アテネ、オリンピック・スタジアム | ギリシャ | 3–2 | 4–2 | 2002 FIFAワールドカップ予選 |
3 | 2002年2月13日 | カイザースラウテルン、フリッツ・ヴァルター・シュタディオン | イスラエル | 1–1 | 7–1 | 親善試合 |
4 | 2–1 | |||||
5 | 4–1 | |||||
6 | 2002年5月18日 | レバークーゼン、バイ・アレーナ | オーストリア | 1–0 | 6–2 | 親善試合 |
7 | 2–0 | |||||
8 | 4–2 | |||||
9 | 2002年6月1日 | 札幌、札幌ドーム | サウジアラビア | 1–0 | 8–0 | 2002 FIFAワールドカップ |
10 | 2–0 | |||||
11 | 5–0 | |||||
12 | 2002年6月5日 | 鹿嶋、カシマサッカースタジアム | アイルランド | 1–0 | 1–1 | 2002 FIFAワールドカップ |
13 | 2002年6月11日 | 静岡、静岡スタジアム エコパ | カメルーン | 2–0 | 2–0 | 2002 FIFAワールドカップ |
14 | 2002年10月16日 | ハノーファー、AWDアレーナ | フェロー諸島 | 2–1 | 2–1 | UEFA EURO 2004予選 |
15 | 2003年6月11日 | トースハウン、Gundadalur | フェロー諸島 | 1–0 | 2–0 | UEFA EURO 2004予選 |
16 | 2004年2月18日 | スプリト、ポリュド・スタジアム | クロアチア | 1–0 | 2–1 | 親善試合 |
17 | 2004年11月17日 | ライプツィヒ、レッドブル・アレナ | カメルーン | 2–0 | 3–0 | 親善試合 |
18 | 3–0 | |||||
19 | 2004年12月16日 | 横浜、横浜国際総合競技場 | 日本 | 1–0 | 3–0 | 親善試合 |
20 | 3–0 | |||||
21 | 2006年3月1日 | ドルトムント、ジグナル・イドゥナ・パルク | アメリカ合衆国 | 3–0 | 4–1 | 親善試合 |
22 | 2006年5月27日 | フライブルク、バーデノーヴァ・シュタディオン | ルクセンブルク | 1–0 | 7–0 | 親善試合 |
23 | 4–0 | |||||
24 | 2006年5月30日 | レバークーゼン、バイ・アレーナ | 日本 | 1–2 | 2–2 | 親善試合 |
25 | 2006年6月9日 | ミュンヘン、アリアンツ・アレーナ | コスタリカ | 2–1 | 4–2 | 2006 FIFAワールドカップ |
26 | 3–1 | |||||
27 | 2006年6月20日 | ベルリン、オリンピアシュタディオン | エクアドル | 1–0 | 3–0 | 2006 FIFAワールドカップ |
28 | 2–0 | |||||
29 | 2006年6月30日 | ベルリン、オリンピアシュタディオン | アルゼンチン | 1–1 | 1–1(PK4–2) | 2006 FIFAワールドカップ |
30 | 2006年8月16日 | ゲルゼンキルヒェン、ヴェルティンス・アレーナ | スウェーデン | 2–0 | 3–0 | 親善試合 |
31 | 3–0 | |||||
32 | 2006年9月6日 | セラヴァッレ、スタディオ・オリンピコ | サンマリノ | 3–0 | 13–0 | UEFA EURO 2008予選 |
33 | 6–0 | |||||
34 | 2007年9月8日 | カーディフ、ニニアン・パーク | ウェールズ | 1–0 | 2–0 | UEFA EURO 2008予選 |
35 | 2–0 | |||||
36 | 2007年11月17日 | ハノーファー、AWDアレーナ | キプロス | 2–0 | 4–0 | UEFA EURO 2008予選 |
37 | 2008年2月6日 | ウィーン、ゲルハルト・ハナッピ・シュターディオン | オーストリア | 2–0 | 3–0 | 親善試合 |
38 | 2008年3月26日 | バーゼル、ザンクト・ヤコブ・パルク | スイス | 1–0 | 4–0 | 親善試合 |
39 | 2008年5月27日 | カイザースラウテルン、フリッツ・ヴァルター・シュタディオン | ベラルーシ | 1–0 | 2–2 | 親善試合 |
40 | 2008年6月19日 | バーゼル、ザンクト・ヤコブ・パルク | ポルトガル | 2–0 | 3–2 | UEFA EURO 2008 |
41 | 2008年6月25日 | バーゼル、ザンクト・ヤコブ・パルク | トルコ | 2–1 | 3–2 | UEFA EURO 2008 |
42 | 2008年9月10日 | ヘルシンキ、オリンピックスタジアム | フィンランド | 1–1 | 3–3 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
43 | 2–2 | |||||
44 | 3–3 | |||||
45 | 2009年8月12日 | バクー、トフィク・バフラモフ・スタジアム | アゼルバイジャン | 2–0 | 2–0 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
46 | 2009年9月9日 | ハノーファー、AWDアレーナ | アゼルバイジャン | 2–0 | 4–0 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
47 | 3–0 | |||||
48 | 2009年10月10日 | モスクワ、ルジニキ・スタジアム | ロシア | 1–0 | 1–0 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
49 | 2010年6月13日 | ダーバン、モーゼス・マヒダ・スタジアム | オーストラリア | 2–0 | 4–0 | 2010 FIFAワールドカップ |
50 | 2010年6月27日 | ブルームフォンテーン、フリーステイト・スタジアム | イングランド | 1–0 | 4–1 | 2010 FIFAワールドカップ |
51 | 2010年7月3日 | ケープタウン、ケープタウン・スタジアム | アルゼンチン | 2–0 | 4–0 | 2010 FIFAワールドカップ |
52 | 4–0 | |||||
53 | 2010年9月3日 | ブリュッセル、キング・ボードワン・スタジアム | ベルギー | 1–0 | 1–0 | UEFA EURO 2012予選 |
54 | 2010年9月7日 | ケルン、ラインエネルギーシュタディオン | アゼルバイジャン | 3–0 | 6–1 | UEFA EURO 2012予選 |
55 | 6–1 | |||||
56 | 2010年10月8日 | ベルリン、オリンピアシュタディオン | トルコ | 1–0 | 3–0 | UEFA EURO 2012予選 |
57 | 3–0 | |||||
58 | 2010年10月12日 | アスタナ、アスタナ・アリーナ | カザフスタン | 1–0 | 3–0 | UEFA EURO 2012予選 |
59 | 2011年2月9日 | ドルトムント、ジグナル・イドゥナ・パルク | イタリア | 1–0 | 1–1 | 親善試合 |
60 | 2011年3月26日 | カイザースラウテルン、フリッツ・ヴァルター・シュタディオン | カザフスタン | 1–0 | 4–0 | UEFA EURO 2012予選 |
61 | 4–0 | |||||
62 | 2011年9月2日 | ゲルゼンキルヒェン、ヴェルティンス・アレーナ | オーストリア | 1–0 | 6–2 | UEFA EURO 2012予選 |
63 | 2011年11月15日 | ハンブルク、フォルクスパルクシュタディオン | オランダ | 2–0 | 3–0 | 親善試合 |
64 | 2012年6月22日 | グダニスク、PGEアリーナ・グダニスク | ギリシャ | 3–1 | 4–2 | UEFA EURO 2012 |
65 | 2012年10月12日 | ダブリン、アビバ・スタジアム | アイルランド | 4–0 | 6–1 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
66 | 2012年10月16日 | ベルリン、オリンピアシュタディオン | スウェーデン | 1–0 | 4–4 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
67 | 2–0 | |||||
68 | 2013年9月6日 | ミュンヘン、アリアンツ・アレーナ | オーストリア | 1–0 | 3–0 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
69 | 2014年6月6日 | マインツ、コファス・アレーナ | アルメニア | 4–1 | 6–1 | 親善試合 |
70 | 2014年6月21日 | フォルタレザ、カステロン | ガーナ | 2–2 | 2–2 | 2014 FIFAワールドカップ |
71 | 2014年7月8日 | ベロオリゾンテ、ミネイロン | ブラジル | 2–0 | 7–1 | 2014 FIFAワールドカップ |
タイトル
- クラブ
- ブレーメン
- DFLリーガポカール 2006
- バイエルン・ミュンヘン
- ブンデスリーガ 2007-08, 2009-10
- DFBポカール 2007-08, 2009-10
- DFLスーパーカップ 2010
- DFLリーガポカール 2007
- SSラツィオ
- コッパ・イタリア 2012-13
- 代表
- ドイツ代表
- 個人
- ドイツ年間最優秀選手 2006
- ドイツブンデスリーガ得点王 2005-06(26試合25得点)
- FIFAワールドカップゴールデンブーツ(得点王)2006(5得点)
文献
- ^ a b Miroslav Klose ESPN
- ^ http://www.em-08.info/spielerfrauen/sylwia_klose_/
- ^ http://www.123football.com/players/k/miroslav-klose/index.htm
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- ^ 実はアルゼンチンキラー…クローゼ 代表引退は「決勝後に決断」スポーツニッポン 2014年7月12日
- ^ クローゼ、ゲッツェに「おまえならできる」Goal.com 2014年07月14日
外部リンク
- ドイツのサッカー選手
- ポーランドのサッカー選手
- サッカードイツ代表選手
- FC08ホンブルクの選手
- 1.FCカイザースラウテルンの選手
- ヴェルダー・ブレーメンの選手
- FCバイエルン・ミュンヘンの選手
- SSラツィオの選手
- 2002 FIFAワールドカップ出場選手
- 2006 FIFAワールドカップ出場選手
- 2010 FIFAワールドカップ出場選手
- 2014 FIFAワールドカップ出場選手
- UEFA EURO 2004出場選手
- UEFA EURO 2008出場選手
- UEFA EURO 2012出場選手
- FIFAセンチュリークラブ
- オポーレ出身の人物
- ポーランド系ドイツ人
- シレジア・ドイツ人
- スポーツに関するギネス世界記録保持者
- 1978年生
- 存命人物
- FIFAワールドカップ優勝選手