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2016年11月18日 (金) 07:25時点における版
大森 隆志 | |
---|---|
別名 | ター坊 |
生誕 |
1956年12月12日(68歳) 日本 岡山県岡山市 |
出身地 | 日本 宮崎県 |
学歴 | 青山学院大学経済学部第二部中退 |
ジャンル |
J-POP ポップ・ロック |
職業 |
シンガーソングライター ギタリスト |
担当楽器 |
ボーカル ギター |
活動期間 |
1978年 - 2006年 2007年 - |
大森 隆志(おおもり たかし、1956年12月12日 - )は、日本のミュージシャン(ギタリスト)・歌手。元・サザンオールスターズメンバーで、結成メンバーの一人。2001年8月7日の独立発表まで、長らくサザンのリードギターを担当していた。愛称は、ター坊。宮崎大宮高校卒業。青山学院大学経済学部夜学中退。
人物
サザン時代は「イェーイ、ノッてるかーい!」のMCがお馴染みだった。また、空手の有段者でもある。
青山学院大学夜学在学中に所属したバンドが有名になり、その後、サザンオールスターズとして『勝手にシンドバッド』でデビュー。尚、桑田佳祐は「デビューのきっかけをつくったのは大森」と大森が独立した後も含め幾度か言及しており、当時青学生ではなかった松田弘、野沢秀行をバンドに勧誘するといった役割も果たしている。サザンではデビュー当時からリードギターを担当していた。 桑田が大森をサザンに誘い加入させた理由として、「自分よりギターが下手だったから」と語っているが、これがジョークか本音かは定かではない。 1980年代には、元「ゴールデンハーフ・スペシャル」のリンダと結婚したが、後に離婚。 間もなく再婚した。
1978年のデビュー以来、23年に及ぶサザンでの活動の後、「大森個人のソロ活動に集中するため」という理由で2001年8月7日に独立を発表、ソロ・アーティストとなる。なお、アミューズはこの脱退はあくまでもサザンのメンバー全員が前向きに検討した末に出した結論であり、グループとしての活動やメンバー間の関係を否定するものではない事をコメントしており、メンバー全員も大森に対して前向きなコメントをしていた。
創価学会員であり、サザン脱退の原因も学会への熱心な活動にあるといわれていたが、アミューズはそれが脱退の原因であることは否定している[1]。
2006年に入ってからは大森隆志、およびPROJECT OAとしての活動は発表されておらず不透明となっていた。また、この頃には公式HPの掲示板が閉鎖され、大森自身が執筆している日記も更新されていなかったうえ、4ヶ月ぶりの更新にも今年度の活動に関することが説明されていなかった。ファンクラブに関しても、会費の振込先が大森個人の口座であること、会報が送られてこないなどのトラブルが発生しているともいわれていた。
その矢先の5月11日、覚せい剤10g、大麻40gを所持していたとし、覚せい剤取締法違反と大麻取締法違反の現行犯で、妻と共に神奈川県警に逮捕された。 本人は「自分で吸うために買った」と事実を認めたが、入手経路は「言えない」と黙秘。自宅から押収された大麻が尋常な量ではなかったことから、暴力団とのからみもにらんで捜査が行われた。また、桑田はラジオ番組『桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド~やさしい夜遊び~』で「人間関係をさぼるな。帰ってきたらギターで半殺しにします。」と冗談半分で述べ、「いいスタッフを自分で見つけろ、叱ってくれるスタッフとか傍に置きなさい。」といった厳しい発言もしている。 これを機に、現在のサザンのメンバーが彼について語ることもほとんどなくなった(「メンバーチェンジを行っていない」と言うなど、あたかも最初から5人であるかのような発言も目立ち、6人であったことを明確にしたのは、事件直後の『桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド~やさしい夜遊び~』2006年5月13日放送分などである)。また、桑田は2014年にASKAが大森と同じ容疑で逮捕された際にも「相方が壊れていく姿を見るのはつらい」と大森の事件を重ねたような発言をしている。
2006年7月19日の判決公判では、懲役2年6ヶ月・執行猶予4年が言い渡された。その翌年からは音楽活動を再開しており、ブログも開始し頻繁に更新している。
高橋ジョージとは「盟友」であり、BOROとは「兄弟以上の関係」と述べている[2]。
作品
サザンでも何曲かボーカル曲があり、その際には作詞曲も自ら担当している。また、ソロユニットTABO'S PROJECTを結成しシングルとアルバムを発表しているほか、大森隆志名義でのソロアルバムも1枚発表している。サザンを独立後にもソロミュージシャンとしてライブを中心に活動しており、新ユニットPROJECT OAとしてテレビ出演も果たす。
以後、さまざまなアーティストとジョイント・ライブ活動。また、障害者の施設にて演奏披露、大和ミュージアムのオープン記念式典プロデュースと、ボランティア活動にも意欲を見せ、現在に至る。
略歴
- 1980年
- サザンのシングル「いなせなロコモーション」c/wの「LOVE SICK CHICKEN」で初のメインボーカル曲を発表(サザンオールスターズ名義)。
- 1982年
- 1986年
- 1988年
- 日清パワーステーションのオープニングをプロデュース。
- 1989年
- イメージアルバム『ここはグリーン・ウッド』[3]収録曲「グリーン・ウッド・カーニバル~汝の日常を愛せよ」を作曲。
- 1990年
- 永田真代のアルバム『JUST ME』収録曲「水の惑星」を作曲。
- ビクターエンタテインメントの企画作品、『スノー・バードホテル』のプロデュースに参加。収録曲『SILENT MORNING』を作曲。
- 原田知世のアルバム『BLUE IN BLUE』プロデュース。そのうち「SILENCE BLUE」「白い朝」「蒼い夢」を作曲。
- 1991年
- 1993年
- 1995年まで約2年間にわたり、ラジオ番組『NICOS 3O'CLOCK JUMP』(Kiss-FM KOBE)のパーソナリティを務める。
- 1994年
- 2000年
- サザンのシングル「この青い空、みどり ~BLUE IN GREEN~」を最後に活動を休止。なお、このシングルには参加。
- 2001年
- 2002年
- 渋谷A-X ハプニングス・フォーのライブにゲスト出演。
- 2003年
- 1月
- 渋谷A-X 大阪 バナナ・ホールにて独立後初のライブ開催。
- シングル「遠い夏/熱いくちづけ」リリース。
- 自身専用レーベル“guitar-boy”設立。
- 3月
- BS朝日『原宿ロンチャーズ通り』で出演者にギター指導協力。
- 5月
- 活動視野を広げるために渡米。難波正司がプロデュースする新人女性歌手、チェルシーのCDリリースに編曲とギターで参加。曲目は「イマジン」、「ホテル・カリフォルニア」など。
- 7月
- 8月
- 再び渡米。難波正司のCDリリースに再び協力、参加。滞在中はかつて親交を持った現地アーティストたちとの旧交をあたためる。
- 9月
- 11月
- 12月
- 1月
- 2004年
- T.A.G.C. with OAとして横浜、東京を中心に活動。
- 2005年
- インストゥルメンタルアルバム『Song For You』をリリース。
- 2006年
- 2007年
- 12月19日、公式ブログを開始。以後、音楽活動も再開している。
- 2011年
- 7月8日、シングル『THE THEME OF YAMATO』をリリース。
- 2013年
- Cold Waters(山梨県を中心に活躍するブルースバンド)にも参加。Cold Watersには、大森との親交の深いドラマー、古屋 テツが在籍している。
ディスコグラフィー
TABO'S PROJECT
シングル
- DANCE AWAY (ひとりぼっちにサヨナラ) (1986年10月21日)
アルバム
- EYES OF A CHILD (1986年11月5日)
- FEEL
- DANCE AWAY (ひとりぼっちにサヨナラ)
- TIME’S STREET
- EYES OF A CHILD
- 突然炎のように
- ティアーズ
- LOGICAL PRESSURE
- ふたりの宝島
- TRUTH (Song For World Peace)
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関連項目
脚注
- ^ サザンオールスターズ「創価学会問題」で内輪モメ 『週刊現代』2001.9.1号
- ^ “大和チャリティコンサート2014 KURE 写真館”. 大森隆志オフィシャルサイト~ブログ. 2014年11月4日閲覧。
- ^ 関口和之がサウンド・プロデュースを担当
- ^ いつもサザンオールスターズを応援して下さっている皆様へ アミューズからの告知
外部リンク
- 大森隆志オフィシャルサイト~ブログ
- 大森隆志 (@omoritakashi) - X(旧Twitter)