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2016年11月13日 (日) 03:32時点における版
谷畑 孝 たにはた たかし | |
---|---|
生年月日 | 1947年1月10日(77歳) |
出生地 | 大阪府池田市 |
出身校 | 関西大学法学部 |
前職 |
地方公務員(池田市) 上田卓三衆議院議員秘書 |
所属政党 |
(日本社会党→) (自由民主党(町村派)→) (日本維新の会→) (維新の党→) (おおさか維新の会→) 日本維新の会 |
公式サイト | 谷畑 孝ウェブサイト |
選挙区 |
(比例近畿ブロック→) (大阪14区→) (比例近畿ブロック→) 大阪14区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1996年10月21日 - 現職 |
選挙区 | 大阪府選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1989年7月24日 - 1995年7月22日 |
谷畑 孝(たにはた たかし、1947年1月10日 - )は、日本の政治家。日本維新の会所属の衆議院議員(7期)。
厚生労働副大臣(第1次小泉再改造内閣・第2次小泉内閣)、衆議院経済産業委員長・海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員長、衆議院決算行政監視委員長、維新の党副代表・代議士会長、参議院議員(1期)等を務めた。
来歴
大阪府池田市生まれ。関西大学法学部卒業。大学卒業後は池田市役所の職員を経て、日本社会党の上田卓三衆議院議員の秘書を務める[1]。
1989年、第15回参議院議員通常選挙に社会党公認で大阪府選挙区から出馬し、初当選した。1994年、村山内閣で通商産業政務次官に就任。1995年の第17回参議院議員通常選挙には出馬しなかった。
1996年、日本社会党を離党。小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された第41回衆議院議員総選挙に、塩川正十郎の働きかけにより自由民主党公認で大阪14区から出馬し、有権者を驚かせた[1]。大阪14区では、谷畑同様に参院から鞍替えした新進党の中村鋭一に敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、当選。2000年の第42回衆議院議員総選挙以降、大阪14区で連続3選。
2002年、衆議院経済産業委員長に就任。2003年9月、第1次小泉再改造内閣で厚生労働副大臣に就任。第2次小泉内閣でも再任され、2004年9月まで務める。
2009年8月、第45回衆議院議員総選挙に自民党公認で大阪14区から出馬。大阪14区では民主党新人の長尾敬に敗れるが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、5選。
2012年9月、自民党に離党届を提出し、同年10月、日本維新の会に入党した(離党届は受理されず、除名処分が下った)。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、日本維新の会公認で大阪14区から出馬。総選挙の直前に民主党を離党し、自民党に鞍替えして出馬した長尾敬らを破り6選。選挙後、衆議院決算行政監視委員長に就任。2013年より衆議院海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員長[要出典]。
2014年の日本維新の会分党に際しては、橋下徹大阪市長による新党結成を目指すグループに参加[2]。分党後の日本維新の会では、維新の会を離れ石原慎太郎らのグループに参加した中山成彬に代わり党両院議員総会長・代議士会長に就任。同年9月、結いの党の合流による維新の党の結党に参加した。両党の合同両院議員総会では進行役を務め、新党名を発表する記者会見では、党名が書かれたボードを持った[3]。同年12月の第47回衆議院議員総選挙では維新の党公認で大阪14区から出馬し、自民党公認で出馬した元職の長尾敬を1,178票差で破り、7選。選挙後、維新の党副代表及び代議士会長に起用された[要出典]。
2015年8月27日、維新の党が自主投票の方針で臨んだ山形市長選挙で、民主党や日本共産党が支持する候補者の応援に出向いた柿沢未途幹事長を批判した橋下徹大阪市長、松井一郎大阪府知事が維新の党を離党する意向を表明[4]。この動きに同調した片山虎之助総務会長、馬場伸幸国会対策委員長が松野頼久代表により解任されたため[5]、これに抗議し、副代表及び代議士会長を辞任した[6]。その後、おおさか維新の会に参加する意向を示したために維新の党を除籍され、11月24日におおさか維新の会に入党した[7]。
政策・主張
- 日本社会党出身ながら、自民党入党後は思想信条を保守寄りに軌道修正し、小泉純一郎首相の靖国神社参拝や、自衛隊のイラクへの派遣、郵政民営化法案にも賛成した。また日本維新の会の公認を受けて臨んだ2012年の第46回衆議院議員総選挙に際しては日本国憲法の改正や集団的自衛権の行使を禁じる内閣法制局の法解釈の見直し、将来的な日本の核武装の検討にも賛成の意向を表明している[8]。
- 日本社会党に所属していた1991年12月4日、参議院本会議における代表質問にて、宮澤喜一内閣総理大臣の著書『戦後政治の証言』について、「国内の治安は米軍と丸腰に近い日本の警察が当ってきたのだが、第三国人の横暴などには手が出せず、そのつど米軍などをわずらわせていた。このため、ある程度の装備を持った治安力がほしいと考えていた日本人は少なくなかった。」という記述を「この第三国人とは誰をさすのか。在日韓国・朝鮮人の横暴を押えるために警察予備隊が必要だったという認識は、あまりにも悪意に満ちた偏見である」と批判した[9]。これに対し宮澤は「第三国人」が差別表現であると認め、再版に際しては改訂する考えを示した[9]。
- 2001年時点で選択的夫婦別姓制度の導入に賛成[10]だったが、2012年には、第154回国会において夫婦別姓制度の導入を図る民法改正反対に関する請願を提出している[11]。2014年の調査では、「どちらとも言えない」としている[12]。
人物
- 日本社会党所属の参議院議員であった当時は部落解放同盟大阪府連合会副会長を務めており、社会党を離党し自民党に入党した後も、選挙では部落解放同盟の推薦を受けている[13]。
- ハンナングループから選挙で支援を受けていた[14]。
- 2004年の政治家の年金未納問題では、谷畑も5年11か月間の国民年金保険料未納が判明した[15]。
- 2009年の第45回衆議院議員総選挙では大阪14区で敗北したが、過剰得票による候補者不足から民主党の比例近畿ブロックの当選枠が自民党に回り、本来ならば比例近畿ブロックで次点であった谷畑が比例復活で当選した[1]。
所属団体・議員連盟
脚注
- ^ a b c “【12・16衆院選 壮絶選挙区に迫る】谷畑氏→維新、長尾氏→自民 “転向”で大混乱 大阪14区”. ZAKZAK. (2012年11月30日) 2015年12月6日閲覧。
- ^ “日本維新の会分党 「石原新党」に23人”. ハフィントンポスト. (2014年6月6日) 2015年4月26日閲覧。
- ^ 新党名「維新の党」に決定 | 谷畑孝ウェブサイト
- ^ “橋下氏・松井氏、維新離党を表明 「執行部は永田町病」”. 朝日新聞. (2015年8月27日) 2015年12月6日閲覧。
- ^ “【維新分裂】松野代表 馬場国対委員長と片山総務会長、柿沢幹事長に解任通告”. 産経新聞. (2015年9月8日) 2015年12月6日閲覧。
- ^ “維新・谷畑副代表、辞任申し出 松野代表に抗議”. 朝日新聞. (2015年9月10日) 2015年12月6日閲覧。
- ^ “維新除籍された谷畑議員、おおさか維新に入党届”. 読売新聞. (2015年11月24日) 2015年11月25日閲覧。
- ^ 2012年衆院選 大阪14区 谷畑孝
- ^ a b 江上茂『差別用語を見直す』p.186-187
- ^ 朝日新聞2001年11月6日
- ^ 夫婦別姓制度の導入を図る民法改正反対に関する請願 請願2406号 第154回国会
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査
- ^ しんぶん赤旗2007年3月4日
- ^ 2004年6月1日の参議院厚生労働委員会にて谷畑自身が発言。
- ^ 『毎日新聞』 2004年5月14日 東京朝刊
関連項目
外部リンク
議会 | ||
---|---|---|
先代 山田宏 |
衆議院海賊行為への対処並びに 国際テロリズムの防止及び 我が国の協力支援活動等に関する特別委員長 2013年 - 2014年 |
次代 (廃止) |
先代 後藤田正純 |
衆議院決算行政監視委員長 2012年 - 2013年 |
次代 松浪健太 |
先代 山本有二 |
衆議院経済産業委員長 2002年 |
次代 村田吉隆 |
党職 | ||
先代 今井豊 |
維新の党副代表 今井豊と共同 第2代:2014年 - 2015年 |
次代 (空席) |
先代 中山成彬 |
日本維新の会両院議員総会長 2014年 |
次代 (廃止) |
公職 | ||
先代 鴨下一郎 木村義雄 |
厚生労働副大臣 森英介と共同 2003年 - 2004年 |
次代 衛藤晟一 西博義 |