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2016年11月10日 (木) 19:13時点における版
くすのき としえ 楠 トシエ | |
---|---|
本名 | 楠山 敏江 (くすやま としえ) |
生年月日 | 1928年1月11日(96歳) |
出生地 |
東京市神田区 (東京都千代田区神田) |
国籍 | 日本 |
職業 | 歌手・女優・声優 |
ジャンル | ジャズ、コマーシャルソング |
活動期間 | 1949年 - |
主な作品 | |
レコード 『僕は特急の機関士で』 CMソング 『かっぱの唄』 『長生きチョンパ』 『京阪特急の歌』 『仁丹の歌』 『農家はヰセキ』 テレビドラマ 『沿線地図』 『夢千代日記』 『青春家族』 | |
備考 | |
記録 |
楠 トシエ(くすのき としえ、1928年1月11日[1] - )は、日本の歌手・女優・声優である。本名は楠山敏江(くすやま としえ)。愛称はビンチャン。1924年生まれとする資料もある[2]。
来歴・人物
ムーランからトリロー
1928年(昭和3年)1月11日、東京市神田区(千代田区神田)に楠山敏江として生まれる。
1945年(昭和20年)3月、東京市滝野川区滝野川(東京都北区滝野川)にあった旧制・芙蓉女学校(現、東京女子学院中学校・高等学校)を卒業[1][3]、同年4月三菱銀行に入行した。同年8月15日、17歳のとき、第二次世界大戦の終戦を迎える。
1949年(昭和24年)、21歳の時、角筈のムーランルージュ新宿座へ歌手として入団[1]し、芸能界入りした。
1951年(昭和26年)のムーラン解散前後から、以前より付き合いのあった三木鶏郎の誘いでNHKラジオ第1『日曜娯楽版』に出演し、一躍全国区の歌手となった。1953年(昭和28年)、25歳の時、「NHK専属タレント第1号」となる[1]。その後も、三木鶏郎グループの一員として、テレビ・ラジオ出演をこなし、『お笑い三人組』(ラジオ 1955年11月 - 1960年3月、テレビ 1957年 - 1966年3月)、『ひょっこりひょうたん島』(1964年 - 1969年)、『おはよう!こどもショー』(日本テレビ、1965年 - 1970年代)など、多数の番組に出演した。黒柳徹子らとともに「テレビ女優第1号」と呼ばれる一人となる。
NHK紅白歌合戦7年連続出場
歌手としては、『NHK紅白歌合戦』に7年連続出場している(詳細は下記参照)。
宮城まり子の『毒消しゃいらんかね』は、ラジオ放送では楠が歌っていたが、楠が当時レコード会社に所属していなかったので、同じトリローソングの歌い手だった宮城へお鉢が回ったもので、同曲で宮城は楠より早く、1954年(昭和29年)に『第5回NHK紅白歌合戦』に出場した。
1958年(昭和33年)の『第9回NHK紅白歌合戦』では、当初番組側が楠を紅組司会に起用する予定だったが、当時は歌手兼司会が認められておらず、歌手としての出場を希望した楠がその打診を断った。
みんなのうた
1961年(昭和36年)4月3日、NHK『みんなのうた』放送開始の初回、楠の『誰も知らない』という曲が採用された。
コマソンの女王として
800曲とも1000曲とも言われるほどCMソングを吹き込み、「コマーシャルソングの女王」と呼ばれている[4]。楠の代表曲である清酒黄桜CMソング『かっぱの唄』は、現在も時折放送されるロングランCM曲である。また、内外薬品・『ケロリン』のCMソング『青空晴れた空』は、1958年にシングル(SP盤)発売され、大ヒットした。現在はリメイクバージョンにはなったが、CMに使われている。
2007年(平成19年)12月、キングレコードがかつてのLPレコードのアルバム『みんなが知ってるコマーシャル・ソング集』(1960年、キングレコード)のジャケットを再度ジャケットに採用、同アルバムを含む2枚組CDアルバム『元祖コマソンの女王 楠トシエ大全』を発売した[5]。
その後も全国各地の講演会やコンサートで歌声を披露している。
主な出演作品
ラジオ
テレビ
バラエティー
- おはよう!こどもショー(1965年11月-1970年3月、日本テレビ)
人形劇
- 声の出演
- チロリン村とくるみの木(1956年4月-1964年4月、NHK)- サクランボのマニマニ役
- ひょっこりひょうたん島(1964年4月-1969年4月、NHK)- サンデー先生役
NHK紅白歌合戦
- 第8回 (1957年12月31日、東京宝塚劇場) - 『お花どん』、初出場
- 第9回 (1958年12月31日、新宿コマ劇場) - 『銀座かっぽれ』
- 第10回 (1959年12月31日、東京宝塚劇場) - 『石松金毘羅道中』
- 第11回 (1960年12月31日、日本劇場) - 『駄目デス』
- 第12回 (1961年12月31日、東京宝塚劇場) - 『石松金毘羅道中』
- 第13回 (1962年12月31日、東京宝塚劇場、ビデオリサーチ初調査 視聴率80.4%) - 『うかれ駒』
- 第14回 (1963年12月31日、東京宝塚劇場、ビデオリサーチ 視聴率81.4%) - 『銀座かっぽれ』
ドラマ
- お父さんの季節(1958年10月-1961年3月、NHK)
- 夕やけ天使(1960年8月-1961年7月、KR系 タケダアワー)
- 学園まえ(1961年4月-1962年3月、NHK)
- 負けるな!ビンちゃん(1961年9-12月、CX系)- 主演
- 新日本百景(1963年、NHK)- 第24回「長ぐつの唄 小樽積丹」主演
- 夫婦百景(日本テレビ系)- 第317回「女房はあわて者」主演
- 悪魔くん(1966年10月-1967年3月、NET系)- 真吾の母役
- 意地悪ばあさん(YTV系)
- 第51話「免許皆伝の巻」(1968年)
- 第57話「お手伝いさん求むの巻」(1968年)
- 第66話「ズッコケ正月の巻」(1969年)
- 笑ってよいしょ(1969年4月-6月、日本テレビ系)
- 独身のスキャット 第7話(1970年、TBS系)
- 好き! すき!! 魔女先生 第2話「トンテンカントンチンカン」(1971年10月、朝日放送系)
- パパと呼ばないで(1972年10月-1973年9月、日本テレビ系)
- ウルトラマンタロウ 第21話「東京ニュータウン沈没」(1973年8月、TBS系) - 正一の母
- ラブラブ・ライバル(1973年10月-1974年3月、TBS系)
- 雑居時代(1973年10月-1974年3月、日本テレビ系)
- アイフル大作戦(1973-1974年、TBS・東映)
- 第2話「男性飼育必敗法」
- 第42話「今晩わ!私たち人殺しなの 」
- 水もれ甲介 第8話「泣くなチャミー! 」(1974年12月、日本テレビ系)
- 赤サギ[6](1978年9月-10月、NHKドラマ人間模様)
- 沿線地図(1979年4月-7月、TBS系)
- 熱中時代 刑事編 第21話「熱中刑事タヌキ狩り」(1979年9月、日本テレビ系)
- 夢千代日記(1981年2月-3月、NHKドラマ人間模様)
- 新・事件 わが歌は花いちもんめ(1981年9月-10月、NHK ドラマ人間模様)
- 土曜ワイド劇場 (テレビ朝日系)
- 「変装探偵! 殺人鬼はバラが好き」(1981年9月)
- 「密会の宿(1)」(1984年11月)
- 「密会の宿(6)」(1991年4月)
- 大江戸捜査網 第531話「母に託す謎の印籠」(1982年、TX / 三船プロ) - おかつ
- 御宿かわせみ 第2シリーズ(1982年10月-1983年4月、NHK) - お花
- 火曜サスペンス劇場「蝶たちの殺意」(1983年3月、日本テレビ系)
- ザ・サスペンス「共犯の女たち」(1984年3月、TBS系)
- 流れ星佐吉 第10話「名裁き大逆転」(1984年、KTV / 松竹)
- その時、妻はII(1985年10月、TBS系)
- セーラー服反逆同盟 第18話「20億円の夢!シンデレラ騒動」(1986年10月、日本テレビ系)
- 夏家族(1987年7月-10月、東海テレビ放送=フジテレビ系)
- パパは年中苦労する(1988年4月-7月、TBS系)
- はぐれ刑事純情派(1989年) ‐ 寺沢松枝
- 青春家族(1989年4月-9月、NHK連続テレビ小説)
- 社長になった若大将(1992年4月、TBS系)
- 江戸を斬るVIII 第8話「悪たれ婆さんの涙」(1994年3月、TBS系) - おくま
- ぼくらの勇気 未満都市 第10話「最後の勇気」(1997年12月、日本テレビ系)
- 鶴亀ワルツ(1998年11月-12月、NHK)
- 菊亭八百善の人びと(2004年3月-5月、NHK月曜ドラマシリーズ)
映画
- 森の音楽会 (1953年3月、芦田漫画映画製作所 / 奥商会、監督芦田いわお)
- チエミの初恋チャッチャ娘
- 落語長屋のお化け騒動(1954年東宝、監督青柳信雄)- お花役
- その後のウッカリ夫人とチャッカリ夫人(1954年東京映画 / 東宝、監督春原政久)
- 陽気な仲間(1958年大映、監督弘津三男)- お夏役
- 点と線(1958年東映、監督小林恒夫)- かき舟の女中役
- あばれ街道(1959年東映、監督小沢茂弘)- 花奴役
- よさこい三度笠(1960年大映、監督安田公義)
- お笑い三人組 泣き虫弱虫かんの虫(1961年新東宝、監督小野田嘉幹)
- お笑い三人組 怪しい奴にご用心(1961年新東宝、監督小野田嘉幹)
- ドドンパ酔虎伝(1961年大映、監督田中徳三)
- 大日本チャンバラ伝(1965年日活、監督吉村廉)
- 喜劇急行列車(1967年東映、監督瀬川昌治)
- ザ・スパイダースの大騒動(1968年日活、監督森永健次郎)
- 三匹の牝蜂(1970年東映、監督鳥居元宏)
- (秘)セックス恐怖症(1970年東映、監督鷹森立一)
- 喜劇 新婚大混戦(1972年松竹、監督瀬川昌治)
- 大事件だよ全員集合!!(1973年松竹、監督渡辺祐介)
- 超能力だよ全員集合!!(1974年松竹、監督渡辺祐介)
- 神様のくれた赤ん坊(1979年松竹、監督前田陽一)- 小夜子の母役
- 父と子(1983年サンリオ、監督保坂延彦)- まり代役
- ムーランルージュの青春(2011年幻野プロ、監督田中重幸)
子供番組
- おはよう!こどもショー(1965-79年、日本テレビ系)- ビンちゃん役、1960年代に出演
演劇
- ゆかいな海賊大冒険 (1982年・1983年・1984年) - カルメン (海賊船の食事係)
外国映画吹替え
CM
- 花王石鹸の歌(花王)
- かーんかーんカネボウ(カネボウ)
- ノーシンの唄(アラクス)
- 素敵なダンセット(日東紡績)
- シャンシャンオーシャン波の上(メルシャン)
- シチズンCちゃん(シチズン)
- ハマフォームの唄(横浜ゴム)
- ミンミンミゼット(ダイハツ)
- トン・トン・トマトまっかっか(カゴメ)[7]
- カシミロンの唄(旭化成)[8]
- サロンパス(久光製薬)[9]
- ヴイックスの唄(日本ヴィックス。現在は大正製薬が発売)
- テル(ADEKA)
- アツギのタイツで(アツギ)
- パント錠の唄(第一製薬。現在は第一三共ヘルスケア)
- 長生きチョンパ(船橋ヘルスセンター)[10]
- ハウス・バーモントカレーの唄(ハウス食品)[11]
- かっぱの唄(黄桜)
- 仁丹の歌(森下仁丹)
- 講談社の歌(講談社)
- 淀屋橋から三条へ京阪特急(京阪電気鉄道)
- 丸井の歌(丸井)
- ブリヂストン チャンピオン オートバイの唄(ブリヂストン)
- 近鉄特急(近鉄のうた)(近畿日本鉄道)
- 紀文のはんぺん(紀文)
- メガネの相沢のうた(メガネの相沢)※2バージョンあり
など。
おもなディスコグラフィー
シングル
アルバム
- 『ビンちゃんの四季』(楠トシエ・ホームソング集、1958年) - 第13回芸術祭奨励賞(レコード部門)
- 『みんなが知ってるコマーシャル・ソング集』(1960年、キングレコード)
- 『元祖コマソンの女王 楠トシエ大全』(2007年12月、キングレコード)
その他
- 『ナゴヤ地下街の歌・モグラのチカちゃん』(1957年)
- ナゴヤ地下街(サンロード)テーマソング
註
- ^ a b c d コトバンクサイト内の記事「楠トシエ」の記述を参照。
- ^ サンデー毎日1953年9月27日号掲載記事
- ^ 週刊女性1964年8月5日号掲載の記事に「(東京都)北区滝野川にあった私立扶桑女子商業を終戦の年に卒業」とある。ノート:楠トシエ#「扶桑女子商業学校」を参照。
- ^ 『“元祖コマソンの女王” 楠トシエ大全』(キングレコード、2007年12月26日)のタイトルを参照。
- ^ コマソン女王楠トシエ80歳で初CD - 芸能ニュース : nikkansports.com
- ^ ドラマ人間模様 赤サギ - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
- ^ ブライト・リズム・ボーイズ、リズム・シスターズとの合作。
- ^ ノール・クァルテットとの合作。
- ^ ボニー・ジャックスとの合作。
- ^ フォー・コインズとの合作。
- ^ ブラック・キャッツとの合作。
関連項目
外部リンク
- 楠トシエ のプロフィール - allcinema
- 楠トシエ - 日本映画データベース
- Toshie Kusunoki - IMDb