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2006年6月13日 (火) 12:10時点における版
新快速(しんかいそく)とは、西日本旅客鉄道(JR西日本)の京阪神地区と、東海旅客鉄道(JR東海)の中京地区を走る快速列車の種別の一つ。共に、快速より停車駅が少ない列車種別であるが、前者と後者では性格が異なる。
JR西日本の新快速(Special Rapid Service)
概要
JR西日本が京阪神地区(アーバンネットワーク)の東海道・山陽本線系統で運行する快速列車の一種別で、京阪神圏都市間輸送の基軸を担う最速達列車であるとともに、アーバンネットワークを代表する列車である。
草津-西明石間の複々線区間の存在、それを活用した緩急接続や支線区連絡の最適化を念頭に置いた巧みなダイヤ構成、全列車での最高速度130km/h(特別料金不要の列車としては千歳線快速「エアポート」、常磐線特別快速、瀬戸大橋線快速「マリンライナー」、つくばエクスプレスとならび日本最速)による高速運転の実施や、転換クロスシートを装備した車両の使用など、ソフト面・ハード面ともに非常に高品質なサービスを提供している。
なお、新快速という名称は、1970年(昭和45年)の運転開始時に快速(Rapid Service)の上位種別として新たに設定されたものであるが、同様の性格の列車は、すでに首都圏の中央線快速電車でも"特別快速"として運転されていた。これと同じ名称にならなかったのは、東京と同じ名称を使いたくないという当時の大阪鉄道管理局の意向であったといわれる。英語案内表記については1990年代途中まではまさに「新快速」を意味するNew Rapid Service であったが、これでは外国人に理解されにくいということで「特別快速」を意味するSpecial Rapid Service に変更されている。また、駅の発車案内では、赤色で'S.Rapid'と表示される。
運転状況
現在の基本的な運転区間は、琵琶湖線(北陸本線)長浜駅・湖西線近江今津駅から姫路駅・網干駅・赤穂線播州赤穂駅までであるが、一部永原駅、上郡駅まで延長される列車もある。ほぼ終日、1時間に4本が15分間隔で運転され、下りが概ね3本が姫路駅発着、1本が播州赤穂駅発着であり、上りが概ね2本が長浜駅発着、1本が野洲駅発着、1本が近江今津駅発着(夕方以降は野洲駅もしくは草津駅発着)である。またラッシュ時や早朝・深夜には大阪駅始終着の列車も存在する。
なお平日の下りに1本だけ西明石駅止まりの列車があるが、これは2004年(平成16年)10月改正より米原駅発の西明石行き下り快速を、長浜駅発の新快速に変更して運行されているものである。
路盤や線路は1級線規格を満たしているが、激しい横揺れやパンタグラフの架線からの離線による停電がしばしば発生、所要時間や停車時間を目一杯削ったタイトなダイヤになっていた為に遅延が慢性化、などの問題点が指摘されていた。特に2003年(平成15年)12月から終日芦屋駅に停車するようになってから更に遅延に拍車がかかり、遂にはそのような傾向が2005年4月25日にJR福知山線脱線事故まで招き、2005年(平成17年)10月改正から若干の余裕時分が作られた。2006年(平成18年)3月18日の改正で再度余裕時分の見直しが行われ、新快速も若干所要時間が伸びた。
また、大阪を基準とした場合、上りは京都以遠に、下りは明石以遠に先着するため、どうしてもこちらに利用客が集中してしまい、また利用客の増加もあって、この結果、混雑による慢性的な遅れも近年顕著になっている。ラッシュ時間帯や休日、夕方以降を中心に12両への増結も行われているが、依然として8両編成での運用(一部の新快速停車駅でホーム有効長が12両に対応していない駅があるため)が多いため混雑が目立ち、また長距離乗車も多いため一層の着席サービスを望む声が多い。今後は12両編成列車を増やして混雑の緩和と遅延解消、快適性の向上が望まれている。但し経費節約という面から現状ではその計画はなく実際に行われるのは当面先のことになる(実際、2006年3月18日の改正で一部ではあるが編成減車した列車があった)。だがいずれは本格的な12両化が必要になると考えられる(同時に、すべての新快速停車駅で12両編成列車が停車できるようにホーム有効長拡張工事が必要)。または223系電車の補助椅子を終日利用できるようにして着席定員を増やす方策も必要である。その他、快速電車の快速運転区間延長も考えられるが、現状ではそれを実現するのは難しいと見られる。
12両編成列車はホームの有効長の都合でしばしば途中切り離しが行われる。上り・長浜行きは米原で後4両を切り離し8両で長浜に向かう。下り・網干行は姫路で前4両(一部列車)を、播州赤穂行は姫路もしくは網干で切り離しを行い、播州赤穂には8両(一部4両)で向かう。このほか平日の朝には、京都駅で琵琶湖線方面の長浜・野洲行きと湖西線方面の永原・近江今津行きに分割して運行するものがある。
なお播州赤穂行きは姫路で号車番号が変更になる。
標準的な運転時分は、長浜~大阪間96分、近江今津~大阪間78分、京都~大阪間28分、大阪~三ノ宮間20分、大阪~姫路間60分(2006年3月18日改正時点)。
なお、2006年(平成18年)10月21日に琵琶湖線(北陸本線)長浜駅と湖西線永原駅から北陸本線敦賀駅までの各区間で直流電化完成・開業が予定されており、以降は1日12往復(湖西線経由9往復、琵琶湖線(北陸本線)経由3往復)が敦賀駅まで、1日10往復が近江塩津駅まで乗り入れる予定である。但し、JR福知山線脱線事故の影響を受け、更なる高速化運転計画は現在事実上凍結状態となっている。
列車愛称つきの列車について
新快速には特に愛称が付けられていないが、JR東日本のホリデー快速格の列車として休日朝の1本だけ例外的に「近江レジャー」という愛称を付けている。また、嵯峨嵐山駅への観光客輸送のため、臨時列車(一部列車嵯峨野線内は定期列車の代行運転)として、嵯峨野線内に乗り入れる「嵐山さくら号」「嵐山わかば号」「嵐山もみじ号」が春・秋の行楽シーズンに運転されている。また、夏、冬のシーズン中の土休日には、湖西線乗り入れの一部列車が志賀駅と比良駅に停車する「(スキー)湖西レジャー」として運転される(その対象列車が、通常ダイヤでは堅田駅-近江舞子駅間を他の新快速列車と比べると明らかに低速で走行しているのは、この臨時ダイヤに対応する為である)。
車両は223系電車が使用されるが、毎年12月に行われる神戸ルミナリエの時期には最寄となる三ノ宮駅が大混雑するために、特発として221系電車や207系電車も使われる。
停車駅
停車駅は、以下のとおり。
- 長浜駅 - 田村駅 - 坂田駅 - 米原駅 - 彦根駅 - 能登川駅 - 近江八幡駅 - 野洲駅 - 守山駅 - 草津駅 - 石山駅 - 大津駅 - 山科駅 - 京都駅 - 高槻駅 - 新大阪駅 - 大阪駅 - 尼崎駅 - 芦屋駅 - 三ノ宮駅 - 神戸駅 - 明石駅 - 西明石駅 - 加古川駅 - 姫路駅 - 英賀保駅 - 網干駅 - 竜野駅 - 相生駅 - 有年駅 - 上郡駅
- 湖西線方面:永原駅 - マキノ駅 - 近江中庄駅 - 近江今津駅 - 新旭駅 - 安曇川駅 - 近江高島駅 - 北小松駅 - 近江舞子駅 - 堅田駅 - 比叡山坂本駅 - 西大津駅 - 山科駅 -(京都・大阪方面へ)
- 北陸本線長浜駅~東海道本線彦根駅、湖西線永原駅~近江舞子駅、山陽本線姫路駅~上郡駅・赤穂線播州赤穂駅では各駅に停車する(臨時列車などでは、途中通過する駅が生じる場合もある)。
歴史
京阪神地区は、JRと私鉄が並行していることから、歴史的に激しいサービスの競争が起きている。
関西地方で一番初めに開業した鉄道はもちろん旧日本国有鉄道(国鉄・官営鉄道)の路線で、1874年(明治7年)に大阪~神戸、1877年(明治10年)に京都~大阪の路線を開業させた。当時、輸送の多くは国鉄の独占であった。
しかし、1905年(明治38年)4月に阪神電気鉄道が大阪出入橋~神戸三宮間(現在の阪神本線)、1910年(明治43年)4月に京阪電気鉄道が京都五条~大阪天満橋間の路線(現在の京阪本線)を開業させて以来、大阪~神戸間の阪急神戸線、京都(西院)~大阪(天神橋)間で新京阪鉄道~京阪新京阪線~阪急京都線、兵庫~姫路間において山陽電気鉄道本線などといった具合に、競合する私鉄もいくつか誕生し、国鉄の客の多くを奪うのに成功する。
国鉄では、このままみすみす客を奪われたままではいけないと考え、まず1930年(昭和5年)に阪神間・京阪間などで快速運転を行う列車を設定、続く1934年(昭和9年)7月の吹田~須磨間が電化された際には、大阪~神戸間に30分運転(各停は当時38分)を行う「急行電車」(関西急電)を設定、その後1937年(昭和12年)10月に吹田~京都間が電化されると、運転区間を京都~神戸間に拡大した。それに先立つ1935年(昭和10年)には、急電用の車両として流線形を採用した52系電車も登場させている。当時の急電の京都~神戸間の停車駅は、大阪、三ノ宮と元町(元町には1936年(昭和11年)4月1日から停車)の3駅だけであった。
その後、1942年(昭和17年)には太平洋戦争による戦時体制強化に伴い運転を休止するが、1949年(昭和24年)4月に再び運転を開始し、1957年(昭和32年)には「急行電車」では料金を要する急行列車・準急列車との区別が紛らわしいという理由により、「快速電車」に名称が変更された。
新快速は1970年(昭和45年)10月、大阪万博の終了直後に生まれた列車である。「快速」より更に速達効果を高める列車として誕生した。
当初の運転区間は京都~西明石間で途中停車駅は大阪駅、三ノ宮駅、明石駅のみであり、運転本数は日中の毎時1本であった。従来から走っていた快速(先の急行電車の後身)よりも停車駅が減ったため、今までより早く移動出来る様になった。運転当初より特急並みのスピードを出しており、乗車券だけで乗る事が出来る。当初は大阪~京都間を29分で走り、両駅で1分停車したため、大阪、京都を毎時ちょうどに出発できた。
- また北陸方面に向かう特急「雷鳥」(この時は湖西線が未開通のため、米原経由)も、大阪を毎時ちょうどに新快速と同時発車していた。しかし「雷鳥」は「大阪出発が遅れても次に停まる京都で定時発車できるように」と、京阪間は余裕を持って走っていた。そのため、特急と新快速が共に新大阪を通過した後に新快速が「雷鳥」を追い抜いていく光景が、下り「雷鳥」が走るたびに繰り広げられた。「雷鳥」が走る急行線(外側線)のダイヤを作成・管理していた国鉄本社は、これではあまりにみっともないということで、新快速のダイヤを管理する大阪鉄道管理局に新快速のダイヤをずらすように指示したものの、大阪管理局はパターンダイヤを変更することは利用者にとって不便になると言う理由をつけ、拒否した。やむを得ず、本社側が「雷鳥」のダイヤを5分ずらすことにした。また市販の時刻表では、「雷鳥」と新快速を意識的に併記しないようにしていた。
- なお、国鉄民営化後は特急列車もスピードアップし、「はるか」など一部の列車を除いては逆に新快速より速くなった。最近では琵琶湖線区間において、平日は同「(ワイドビュー)しなの」に大津付近で、土休日は同「(ワイドビュー)ひだ」に石山付近で追い抜かれるものもある。これは同線内における新快速列車が快速的な役割を担っているからか、他の区間と比べると停車駅が多い事が大きな理由とされる。
車両は当初、113系電車を使用していたが、新幹線岡山延伸開業により余剰となった153系電車(「東海型」)を1972年(昭和47年)3月に投入、このとき「新快速色」と呼ばれる青帯塗装となり、「ブルーライナー」の愛称がつけられた。
座席が転換クロスシートとなったのは、「シティライナー」の愛称がつけられた117系電車が1980年(昭和55年)1月に登場してからである。
1986年(昭和61年)11月には草津~西明石間の複々線区間で従来大阪鉄道管理局に権限が与えられておらず、長距離列車しか走ることのできなかった「外側線」(急行線・列車線)が分割民営化を控えていたために開放されて、「新快速」はそれまでの「内側線」(緩行線・電車線)に代わってそちらを走るようになり、結果的に各駅停車の列車に邪魔されなくなったことから大阪~京都、大阪~神戸間などでそれぞれ3~5分程の時間短縮が図られた。しかしながら、この時点においても昼間時間帯など閑散時のみの運転であり、朝夕ラッシュ時には運転されなかった。当時は外側線を走行する快速がラッシュ時の最速列車であった。
民営化後、1989年(平成元年)に221系電車「アメニティライナー」(この愛称はすぐに使用されなくなった)、1995年(平成7年)8月に223系電車(この車両以降は初代の113系同様、最初から車両愛称はない)が投入され、運転速度向上が図られる。また、ようやく朝夕ラッシュ時にも運転されるようになり、通勤利用も可能となった。2000年(平成12年)に使用車両が223系電車に統一されてからは、料金不要の列車としては当時最速であった130km/hでの運転を行うようになった。
国鉄時代にすでに京阪神間の複々線が整備されており、JRがそれを有効利用できたことも、JRがダイヤ設定上優位に立てるようになった大きな要因である。
一方併走する私鉄の方は、京阪電鉄のテレビカー、ダブルデッカーに代表されるように、この種別の運行開始前より内装が豪華な車両や高性能な車両を特急専用電車として導入し、特急料金が不要な特急へ使用している。これは、阪急電鉄・阪神電鉄・山陽電鉄についても同様である。
また大阪都市圏の拡充に伴い関西私鉄の多くは運行区間の拡張や停車駅の拡充を行ってきたが、大きな転機の一つとして、1995年(平成7年)1月の阪神・淡路大震災があげられる。
この震災で被災したJR神戸線などが、長距離輸送もを担う幹線であるということを理由に他の私鉄に先行して復旧したため、それ以前は私鉄を利用していた乗客がJRしか利用できなくなった。そしてJRに乗ってみたところで国鉄時代と大きく改善されて便利だという認識が利用客の間に広まることになり、私鉄の復旧後もJR利用を続ける者が増えたのである。
このため、各私鉄では失地回復を狙い停車駅の拡充や特急列車の拡充など従来の運行形態を見直す動きが見られるようになった。一例として、1998年(平成10年)2月より神戸市中央部で神戸高速鉄道を介して相互乗り入れを行っていた阪神電鉄と山陽電鉄が、阪神梅田駅~山陽姫路駅間の直通特急「姫路ライナー」・「大阪ライナー」を運行開始したことが挙げられる。
2005年(平成17年)3月1日からは、昼間時間帯も1時間に1本の割合で赤穂線播州赤穂駅まで直通運転されるようになった。
しかし、同年4月25日にJR福知山線脱線事故が発生したのを契機に、以前から遅延が恒常化していたほど余裕のない厳しいダイヤが指摘されたことから、2006年(平成18年)3月18日のダイヤ改正では余裕時間の見直しが行われ、京都~大阪間が改正前最短27分が改正後28分に、大阪~三ノ宮間では改正前最短19分が改正後20分と運転開始以来初めて所要時間が延びた。停車時間延長もあって、昼間時の上下列車共に京都駅の発車時刻が、本格的なスピードアップ化前の毎時「00・15・30・45」分に戻った。また、この改正で播州赤穂方面直通の廃止が危惧されていたが、改正後も存続しており、しかも利用好評により、改正前は4両だったのが8両に増車されている。
安全面の配慮や、車両の加速力の弱さ(遅延の悪化が恒常化していたのも、これが原因の一つと以前から指摘されている)の改良によるスピードダウンのフォロー(東海道本線の名古屋地区の快速系統の列車が、最高時速120km/hながら名古屋駅~岐阜駅間で表定時速100km/hを叩き出しているのも、加速力に優れた車両で運用している事が一つの要因とされる)も、変電所の負荷面(それを増強するにも用地買収面や建設コストなどの問題を抱えている)等の問題ですぐには困難な事から、当面再びスピードアップ化は期待できないが、今後は12両編成を増やして混雑を緩和する、普通電車との接続を便利にするといった、現実的なサービスアップが望まれている。
なお現在、北陸本線長浜~敦賀間及び湖西線永原~近江塩津間を、交流電化から直流電化へと変更する工事が行われており、2006年(平成18年)10月21日から、1日12往復が敦賀発着となる予定である。
歴代の新快速用車両
国鉄大阪地区・JR西日本で運行された車両
- 国鉄113系電車(阪和線新快速を含む)
- 国鉄153系電車
- 国鉄117系電車
- JR西日本221系電車
- JR西日本223系電車
JR東海の新快速(New Rapid Train)
概要
JR東海が東海道本線浜松駅・飯田線新城駅~東海道本線米原駅間に設定している快速列車の一種。同線では他に「特別快速」と「快速」、そして「区間快速」といった列車種別が存在する。それぞれに微妙な停車駅の違いがあり、それらを区分するための種別の一つとして「新快速」があるといえる。
運行状況
日中・夕方は30分間隔(快速と交互に快速系が15分間隔となる)体制をとり、1本は豊橋~大垣間、1本は浜松~大垣間に設定されている。朝方は上りは1時間あたり2~3本運転されるが、下りはほとんど運転されない。夕方の通勤時間帯や土曜・休日の午後は特別快速と交互に、武豊線直通の区間快速が続行しないときに運転され、多くが米原まで直通する。
車両は基本的に313系電車が用いられるが、313系電車と311系電車との併結運転、311系電車や117系電車、211系電車を使用した列車設定もある。なお313系以外の車両を充当される列車は一部設定が異なる。
名古屋からの標準所要時間は、豊橋まで46分、浜松まで78分、大垣まで30分(313系で運転される列車)。
停車駅
停車駅は以下のとおり。
東海道本線:浜松駅 - (各駅停車) - 豊橋駅 - <三河三谷駅> - 蒲郡駅 - <幸田駅> - 岡崎駅 - 安城駅 - 刈谷駅 - 大府駅 - 金山駅 - 名古屋駅 - 尾張一宮駅 - 岐阜駅 - (各駅停車) - 大垣駅 - (各駅停車) - 米原駅
飯田線:新城駅 - (各駅停車) - 牛久保駅 - <小坂井駅> - 豊橋駅 - (以下、東海道本線蒲郡方面直通運転)
<>内の駅は一部の列車のみ停車。
※JR東海名古屋地区普通・快速列車停車駅も参照のこと。
歴史
※名鉄特急#国鉄・JR東海道本線の中京圏における輸送も参照のこと。
国鉄は、以前から名古屋圏の普通列車の輸送改善を行っており、快速列車「東海ライナー」を1時間に1本運転し、1982年(昭和57年)には快速列車に117系電車を投入したが、普通列車は運転間隔がバラバラ(当時のこの区間の普通列車は、米原・大垣と静岡・熱海・東京との直通運転が多く残っていた)な上、本数も現在と比べればはるかに少なかったことから、「使いやすいダイヤ」とは程遠く、輸送実績は名鉄名古屋本線に大きく水をあけられていた(当時名鉄は、特急・高速・急行を合わせて毎時7本ほどが設定されていた)。
体質改善を図るために、国鉄解体前最後のダイヤ改正である1986年(昭和61年)11月、豊橋駅~大垣駅間のフリークエンシーを向上させるべく、快速列車と普通列車の大幅な増発を実施した。この区間を引き継いだJR東海は、この区間を東海道新幹線に次いで経営上重要な区間として位置づけ、新型車両の投入と増発により、並走する名鉄名古屋本線に対抗する。
1989年(平成元年)3月にこの種別が新設され、同時に311系電車を新造し、新快速に集中的に投入された。登場当初は、運行区間は蒲郡駅~大垣駅間に限定され、岐阜駅~大垣駅間は無停車であった。また、311系電車の両数が少なかったことから117系電車や211系電車による列車設定もあったが(2001年10月改正で117系、2003年10月改正で211系の新快速が復活する)、1年ほどで全ての新快速が311系化され、新快速=311系電車、快速=117系電車という住み分けがなされていた。また運行区間も、豊橋駅までへと拡大している。
1999年(平成11年)3月に313系電車が登場し、311系電車を置き換える形で新快速に投入され、現在では日中の列車は全て313系化されている。朝方は、この改正時に同時に新設した特別快速に大方変更された。また、313系電車の登場で、朝夕に飯田線への直通運転が可能となった。これは、東海道本線内は4両以上で運転し、豊橋駅で名古屋方に連結した2両で飯田線へ直通するもので(飯田線からはこの逆)、豊川・新城方面からの通勤サービスが向上した。この改正で、日中の岐阜駅で普通列車を折り返すダイヤに変更したのに伴い、岐阜駅~大垣駅間は各駅停車となった。 ここでの大きな変化は、快速にも313系電車が投入されたことにより、新快速と快速の性能統一がなされたことがあげられる。したがって、旧来の「停車駅が少なく、スピードが速い」という新快速のフラッグシップ的な要素は消え、「停車駅が1駅少ない快速」の位置づけに変化した。同時に登場した特別快速も同様である。
歴代の新快速用車両
JR東海で運行された車両
国鉄阪和線の新快速
1972年3月15日のダイヤ改正で天王寺駅~和歌山駅間に設定された。途中停車駅は鳳駅のみで、所要時間45分で阪和間を結んだ。この速度は、阪和電気鉄道の超特急以来のものである。日中に1時間ヘッドで設定された。
車両は、それまで東海道・山陽本線の新快速に使用されていた113系が、白と水色の新快速カラーに塗り直されて投入された。新造車両ではなかったものの冷房付きで、旧型電車中心だった阪和線の中ではひときわ目立つ存在だった。なお、1973年9月20日に関西本線の湊町駅(現・JR難波駅)~奈良駅間が電化されると、関西本線快速用車両の一部が阪和線と共通運用になったため、「春日塗り」の113系も充当されるようになった。
阪和電鉄以来の速達運転を実現した新快速だったが、もともと阪和間の直通需要は京阪神間に比べると規模が小さく、利用は限られていた。このため、1977年には和泉砂川駅と熊取駅を停車駅に追加し、所要時間は48~51分になった。しかし、大きく利用状況は改善せず、紀勢本線が電化された1978年10月2日のダイヤ改正で快速に統合される形で廃止された。
なお、2006年現在、天王寺駅~和歌山駅間の所要時間は特急「オーシャンアロー」・「スーパーくろしお」では40分を切っているが、特別料金不要の列車ではいまだに45分を切るものは設定されていない。