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: {{BL|解除}} 解除依頼が出されたら私は解除票を投じるでしょう。執筆したいという方(しかも良い記事をかける方)をブロックし続けるのは最高の百科事典を作るウィキペディアプロジェクトの理念からかけ離れていますし、Triglavさんにもそれなりの根拠があるのでしょう。CUに連絡した方がいいと案内した管理者の方も適切な判断だと思います。それに、是非会話ページへ投稿された記事を標準空間に御自身の手で投稿して欲しい。 |
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2016年10月5日 (水) 16:40時点における版
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こんにちは、甘薄荷さん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!
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- ありがとうございます。よろしくお願いします。--甘薄荷(会話) 2016年5月11日 (水) 14:53 (UTC)
甘薄荷(ブロック記録・現在有効なブロック・グローバルブロック・自動ブロック・投稿記録・削除された投稿記録・編集フィルター記録・アカウント作成記録・ブロック設定変更・解除)
ブロック解除の理由:
その中の一人の方から返信があったので、その方とやりとりをしました。クリーンスタートを勧められましたが、これからもオキチモズクの関係の記事を編集したいと言ったところ
*半年間は、賞レース関連に投票しない
*賞レースの集計・編集を行う場合は事前にノートページで打診する
*今後も新記事賞エントリークラスの新規記事の執筆を続ける
の条件で会話ページを開放されることになりました。
その方にも詳細は説明できないと言われたので何が何だかわからなかったのですが、その方とのやりとりで賞レース系が問題だったとわかりました。それまで賞レースの審査に参加したことはありませんでしたが、以前選んでいただいたことがあって新記事投票所に感謝していました。そこにYassie様が更新作業ができなくなったというのを見たので恩返しと思って更新作業をしてみました。けっこう難しくてミスをしてFMmice様に手間をかけてしまったので、それでブロックされたとわかりました。
これからは約束した条件を守りますのでブロック解除依頼を申請します。ブロック解除をお願いします。--甘薄荷(会話) 2016年8月28日 (日) 14:23 (UTC)
注意:
- 実際にはブロックされていない、またはすでにブロック期間が終了している場合があります。ブロックログを確認してください。ブロックの記録がない、もしくは直近のブロックがすでに終了していれば、荒らし対策の自動システムにより自動ブロックに巻き込まれています。この場合は、このテンプレートではなく{{Unblock-auto}}をご利用ください。Wikipedia:自動ブロックもご参照ください。
- 投稿ブロック解除依頼作成の手引きを読んで、あなたのブロック解除依頼が妥当なものか検討してください。依頼はいつでも改変してかまいません。
{{subst:unblock on hold-notification|1=甘薄荷}}
を使用して通知します)、以下のようにテンプレートを変更してください。{{Unblock on hold|1=ブロックを実施した管理者|2=先日、sockpuppet: LTA:SHINJUまたは模倣行為という理由で無期限ブロック(アカウント作成も禁止、自分の会話ページも編集禁止)されました。ブロックされた管理者の方にウィキメールを送ってもIRCで投稿しても返信がなくて困っていたのですが、別の方にメールで相談したらチェックユーザーの方に相談したほうがいいと言われたのでチェックユーザーの方にメールしました。<br />その中の一人の方から返信があったので、その方とやりとりをしました。クリーンスタートを勧められましたが、これからもオキチモズクの関係の記事を編集したいと言ったところ<br />*半年間は、賞レース関連に投票しない<br />*賞レースの集計・編集を行う場合は事前にノートページで打診する<br />*今後も新記事賞エントリークラスの新規記事の執筆を続ける<br />の条件で会話ページを開放されることになりました。<br />その方にも詳細は説明できないと言われたので何が何だかわからなかったのですが、その方とのやりとりで賞レース系が問題だったとわかりました。それまで賞レースの審査に参加したことはありませんでしたが、以前選んでいただいたことがあって新記事投票所に感謝していました。そこにYassie様が更新作業ができなくなったというのを見たので恩返しと思って更新作業をしてみました。けっこう難しくてミスをしてFMmice様に手間をかけてしまったので、それでブロックされたとわかりました。<br />これからは約束した条件を守りますのでブロック解除依頼を申請します。ブロック解除をお願いします。--[[利用者:甘薄荷|甘薄荷]]([[利用者‐会話:甘薄荷|会話]]) 2016年8月28日 (日) 14:23 (UTC)|3=~~~~}}
{{Unblock reviewed|1=先日、sockpuppet: LTA:SHINJUまたは模倣行為という理由で無期限ブロック(アカウント作成も禁止、自分の会話ページも編集禁止)されました。ブロックされた管理者の方にウィキメールを送ってもIRCで投稿しても返信がなくて困っていたのですが、別の方にメールで相談したらチェックユーザーの方に相談したほうがいいと言われたのでチェックユーザーの方にメールしました。<br />その中の一人の方から返信があったので、その方とやりとりをしました。クリーンスタートを勧められましたが、これからもオキチモズクの関係の記事を編集したいと言ったところ<br />*半年間は、賞レース関連に投票しない<br />*賞レースの集計・編集を行う場合は事前にノートページで打診する<br />*今後も新記事賞エントリークラスの新規記事の執筆を続ける<br />の条件で会話ページを開放されることになりました。<br />その方にも詳細は説明できないと言われたので何が何だかわからなかったのですが、その方とのやりとりで賞レース系が問題だったとわかりました。それまで賞レースの審査に参加したことはありませんでしたが、以前選んでいただいたことがあって新記事投票所に感謝していました。そこにYassie様が更新作業ができなくなったというのを見たので恩返しと思って更新作業をしてみました。けっこう難しくてミスをしてFMmice様に手間をかけてしまったので、それでブロックされたとわかりました。<br />これからは約束した条件を守りますのでブロック解除依頼を申請します。ブロック解除をお願いします。--[[利用者:甘薄荷|甘薄荷]]([[利用者‐会話:甘薄荷|会話]]) 2016年8月28日 (日) 14:23 (UTC)|decline={{subst:ブロック解除依頼却下理由}} ~~~~}}
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で置き換え、以下の通知を unblock テンプレート直下に置きます。八木繁一
八木 繁一 | |
---|---|
生誕 |
1893年(明治26年)1月15日 日本愛媛県野間郡波方村 (現今治市波方町) |
死没 |
1980年(昭和55年)6月9日 日本愛媛県松山市 |
研究分野 | 植物学 |
主な業績 | オキチモズク・ツバキカンザクラ等の発見 |
影響を 受けた人物 | 牧野富太郎 |
プロジェクト:人物伝 |
八木 繁一(やぎ しげいち、1893年(明治26年)1月15日 - 1980年(昭和55年)6月9日)は、日本の教育者・植物研究家である[1][2][3][4]。教員として愛媛県師範学校に長年勤務し、多くの優秀な理科教員を輩出するとともに、愛媛県理科教育研究会の会長として愛媛県の理科教育に貢献した[1][3][4][5]。また、教員としての勤務のかたわら、牧野富太郎に師事して地元の植物研究に打ち込み、オキチモズクやツバキカンザクラなどを発見したことでも知られている[2][3][4][6]。
生涯
生い立ち
1893年(明治26年)1月15日、愛媛県野間郡波方村樋口(現今治市波方町樋口)に生まれた[1][2][7][8]。農家の父・鶴吉と母・ハルの間の11人兄弟の10人目であった[7][8]。1908年(明治41年)に波方尋常高等小学校(現今治市立波方小学校)高等科を卒業すると、越智郡岩城村の岩城尋常高等小学校(現上島町立岩城小学校)に代用教員として勤務しながら愛媛県師範学校を目指し、1910年(明治43年)に同校に合格、入学した[7][9]。
教育者として
愛媛師範学校では植物を中心に動物・鉱物なども学び[10]、1914年(大正3年)に卒業[1][2][3]。上浮穴郡田渡村の田渡小学校(現内子町立田渡小学校)の教員となった[11]。その後久万尋常高等小学校(現久万高原町立久万小学校)に移り[12]、1919年(大正8年)には27歳で柳谷第二高等尋常小学校(現久万高原町立柳谷小学校)の校長となった[3]。さらに、愛媛県師範学校の代用附属小学校となっていた余土尋常高等小学校(現松山市立余土小学校)の教員を経て[1][13]、1922年(大正11年)に母校愛媛県師範学校の博物科教諭として迎えられ[1][2][3]、1941年(昭和16年)まで約20年勤めた[1][2][3]。
その後は、旧制愛媛県立松山中学校(現愛媛県立松山東高等学校)を経て、第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)には、新設の新制温泉郡余土村余土中学校(現松山市立余土中学校)の校長に就任[3]。さらに、旧制松山高等学校などを経て、愛媛県立保育専門学校を85歳で退職するまで、70年にわたって愛媛県の学校教育に携わった[14]。
研究者として
八木は、教員としての勤務のかたわら、愛媛県内はもとより日本全国、さらに台湾にも出向いて動植物の研究を続けた[15]。自ら動植物や鉱物の採集会を開催したり、実験講習会に招かれて理科教員を指導することも多かった[16]。1930年(昭和5年)には、東京帝国大学理学部講師で理学博士の牧野富太郎を招いて植物採集会を開催している[3]。
1950年(昭和25年)の昭和天皇の来愛時には、興居島での動物採集の案内役を任された[2][3][6]。以降、昭和天皇をはじめ皇族の来愛時にはたびたび説明役を務めている[17]。
後半生
1956年(昭和31年)以降、八木は博物館の必要性を訴え、実現のために尽力した[1][2][3]。1959年(昭和34年)に愛媛県立図書館付属博物館が設立され、1961年(昭和36年)には愛媛県立博物館として独立。1975年(昭和50年)に新築された建物に移転・開館したが、これに向けて1966年(昭和41年)に愛媛県知事久松定武から開館に向けた計画立案と準備を一任された[18]。久松知事からは館長就任も打診されたが、これは高齢を理由に辞退している[18]。また、教え子や在野の同好者などに呼び掛けて、小中学生や県民が自然に親しみ自然を愛する心を涵養するための自然科学教室を1959年(昭和34年)から開催している[3][19]。
緑化や自然保護にも努め、愛媛縣護國神社の御霊を慰めるための「郷土植物園」造営にあたっては、植物の選定から採集・植え付けまで中心となって担った[18]。現在は、万葉植物園となっている[18]。1975年(昭和50年)3月には、伊予つばき同好会(現伊予つばき協会)を設立し、会長となっている[19]。また、30年以上に渡って文化財保護にも携わり[20]、愛媛県文化財保護委員長も務めた[18]。
1980年(昭和55年)6月9日[3][7][21]、松山赤十字病院で死去[22]。87歳だった[3][21]。
業績と評価
愛媛県師範学校の教諭を約20年にわたって務め、多くの教員を育てた[1][3]。特に理科教育において優秀な教員を養成するとともに、愛媛県理科教育研究会長として愛媛県の理科教育に大きく貢献した[1][3]。
研究者としては、植物分類学に関して多くの研究成果を発表し[1]、愛媛県における植物分類学の基礎を築いたと評価されている[21]。特に海藻学の分野では日本国外にまでその名が知られている[20]。特に国指定天然記念物オキチモズクを発見者として有名であるが[2][3]、この他にも多くの海藻類の新種やツバキカンザクラ・ミョウショウジといったサクラの品種を発見している[2][3][20]。主な著書に『伊予の海藻目録』『愛媛県植物誌』『愛媛県動物誌』『伊予の椿図譜』『伊予の桜図譜』『伊予の花ごよみ』『伊予の万葉植物』などがある[1][2][14]。
愛媛県の生物学の権威として30年以上に渡って文化財保護にも携わり[20]、愛媛県文化財保護委員長も務めた[18]。愛媛県内で国や県の指定を受けている天然記念物のほとんどは、八木が調査をおこなって指定に努めたものである[20]。こうした功績が評価されて、1960年(昭和35年)に文部省文化財保護委員会賞を受賞している[18]。
また、愛媛県における植物研究と理科教育に対する長年の貢献に対して、1952年(昭和27年)10月には愛媛県教育文化賞を[21]、1974年(昭和49年)には愛媛県功労賞を受賞している[7]。
人物
八木は、小学校の頃から剣道を始め[23]、1913年(大正2年)には愛媛県師範学校の代表の一人として全国大会に出場した[24]。7人の団体戦に大将として出場した八木は[25]、6連勝した相手の先鋒を倒すとそのまま7連勝して逆転、愛媛県師範学校に勝利をもたらした[26]。
愛媛師範学校卒業後に赴任した田渡小学校(現内子町立田渡小学校)の時から八木の熱心な授業は評判となり[12]、上浮穴郡の中心的な小学校であった久万尋常高等小学校(現久万高原町立久万小学校)[12]、柳谷第二高等尋常小学校(現久万高原町立柳谷小学校)校長[13]、愛媛県師範学校代用附属小学校の余土尋常高等小学校(現松山市立余土小学校)[13]、さらに母校愛媛県師範学校の博物科教諭へと迎えられた[27]。高等師範学校を出ていない八木には師範学校の教諭となる資格がなかったが、これまでの各校での実績を認めた山路一遊校長のたっての希望であった[28]。そのため愛媛県師範学校に勤めながら猛勉強をして難関の文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験を受験し、愛媛県師範学校の教諭となった1922年(大正11年)のうちに「植物」に合格[28]。1925年(大正14年)には「動物」の免許も取得している[15]。
愛媛県における植物学の第一人者と認められていた八木の自宅には、多くの訪問者があった[29]。植物学の牧野富太郎・中井武之進・本田正次、海藻学の岡村金太郎・山田幸男などの高名な学者も、来愛の際には必ずと言っていいほど八木家を訪れている[30]。
教え子には「人間は一生勉強を続けなければならない。勉強をやめれば、その人は死んだと同じようなものだ。」と常々語っていた[22]。その言葉通り、八木が亡くなった病院のベットのふとんの下には、きちんと整理された多くの植物の標本があったという[31]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l 愛媛県史編さん委員会編 『愛媛県史 人物』 愛媛県、1989年、p. 642
- ^ a b c d e f g h i j k 愛媛新聞社愛媛県百科大事典編集委員室編集 『愛媛県百科大事典 下巻』 愛媛新聞社、1985年、p. 586
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 八木繁一(1893~1980) 愛媛の偉人・賢人の紹介 - 愛媛県生涯学習センター
- ^ a b c 八木繁一(1893~1980) データベース『えひめの記憶』 - 愛媛県生涯学習センター
- ^ 小谷正和・千葉昇「特集 愛媛自然科学教室」『全科協ニュース』第25巻第1号、全国科学博物館協議会、1995年、p. 2
- ^ a b 日外アソシエーツ編 『20世紀日本人名事典 そ~わ』 日外アソシエーツ、2004年、p. 2569
- ^ a b c d e 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 80。
- ^ a b 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 81。
- ^ 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 97。
- ^ 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 110。
- ^ 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 111。
- ^ a b c 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 112。
- ^ a b c 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 113。
- ^ a b 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 139。
- ^ a b 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 118。
- ^ 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 123。
- ^ 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 137。
- ^ a b c d e f g 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 141。
- ^ a b 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 142。
- ^ a b c d e 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 140。
- ^ a b c d 愛媛県史編さん委員会編 『愛媛県史 人物』 愛媛県、1989年、p. 643
- ^ a b 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 143。
- ^ 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 105。
- ^ 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 106。
- ^ 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 107。
- ^ 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 108。
- ^ 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 115。
- ^ a b 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 114。
- ^ 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 124。
- ^ 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 130。
- ^ 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、p. 144。
参考文献
- 愛媛県史編さん委員会編 『愛媛県史 人物』 愛媛県、1989年。
- 愛媛新聞社愛媛県百科大事典編集委員室編集 『愛媛県百科大事典 上巻』 愛媛新聞社、1985年。
- 大内三郎「八木繁一」『愛媛子どものための伝記 第8巻 船田ミサヲ 八木繁一 山路一遊』 愛媛県教育会、1984年、79-145頁。
- 日外アソシエーツ編 『20世紀日本人名事典 そ~わ』 日外アソシエーツ、2004年。
関連項目
外部リンク
- 八木繁一(1893~1980) 愛媛の偉人・賢人の紹介 - 愛媛県生涯学習センター
- 八木繁一(1893~1980) データベース『えひめの記憶』 - 愛媛県生涯学習センター
Category:日本の植物学者
Category:分類学
Category:愛媛県出身の人物
Category:1893年生
Category:1980年没
ツバキカンザクラ
ツバキカンザクラ | ||||||||||||||||||||||||||||||
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画像キャプション
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分類 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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学名 | ||||||||||||||||||||||||||||||
Prunus × introtsa 'Introrsa' | ||||||||||||||||||||||||||||||
和名 | ||||||||||||||||||||||||||||||
ツバキカンザクラ(椿寒桜) ハツビジン(初美人) |
ツバキカンザクラ(椿寒桜、学名: Prunus × introtsa 'Introrsa' )はサクラの園芸品種の一つである[1][2]。カンヒザクラまたはカンザクラとシナミザクラの雑種と考えられている[2][3][4]。原木は愛媛県松山市居相町の伊豫豆比古命神社にある[1][2][3][4][5]。
密集して次々と花をつけ、かつ散りにくいため花期は長く、満開時には華麗な姿を楽しむことができる[4][5]。松山市をはじめ愛媛県で広く栽培されているほか、県外にも広がっている[2][3][5]。別名ハツビジン(初美人)[1][3][4][5]。
由来
愛媛県松山市周辺は独特のサクラの品種が多いことで知られているが[3]、本品種は、1902年(明治35年)頃に台湾から松山市に持ち込まれたカンヒザクラ(寒緋桜、C. campanulata )と、1909年(明治42年)頃に上海から持ち込まれたシナミザクラ(カラミザクラ、支那実桜/唐実桜、C. pseudocerasus )の間の自然交雑で生じた種間雑種と考えられている[2][3][4]。ただし、カンザクラ(寒桜、Prunus × kanzakura )とシナミザクラの雑種であるとする説もある[1][3]。
愛媛県松山市の伊豫豆比古命神社の山門横で、地元の植物研究家八木繁一によって発見された[4]。1963年(昭和38年)に著書『伊予の桜図譜』で報告され[6]、1967年(昭和42年)に記載された[4]。「ツバキカンザクラ」の名は、伊豫豆比古命神社の通称「椿宮」「椿神社」にちなむ[1][2][5]。原木はその後境内に移植されている[4]。「ハツビジン」(初美人)とも呼ばれる[1][3][4][5]。
特徴
樹形
落葉性の小高木で[3]、樹形は傘状[1]。シナミザクラの系統を引く品種に多く見られる特徴であるが、樹幹から気根を生じる[1][3]。
花
つぼみは紅色で[5]、花は2月中旬から3月上旬にかけて開花する[1][3][4]。花序は散形状で、通常は5花をつけるが、4-6花のこともある[3][4]。5弁の一重咲きで、花径は2.5-3.0センチメートル[1][2][4]。花色は強い紅色[4][5]から紅紫色[3]、または淡紅色[1]。香りはないが、密集して花をつけ、蕾が次々とできて、かつ散りにくいため花期は長く、満開時には華麗な姿を楽しむことができる[4][5]。花弁は5枚で、長さは約1.2センチメートル[2][3]。形状は楕円形または卵形であり、花弁の先端には切れ込みが入る[3]。花弁は内側に曲がり、花全体としてはやや盃状になるのが特徴である[3][5]。
萼筒は無毛の盃状をしており、先端が開く[2][4]。長さは約4ミリメートル[3]。萼片は三角形で縁毛がある毛[3]。苞は約1-2ミリメートルである[3]。花柄は約7ミリメートル、小花柄は約6-10ミリメートルで[3]、ともに少数の毛があるため、他のカンザクラ類の栽培品種と区別できる[2][3]。
葉
葉は卵形または倒卵形で、長さ約10センチメートル、幅5.0-5.5センチメートルまで成長する[3]。基部は円形、鋸歯は重鋸歯で、先端は鋭尖形[3]。表は光沢のある暗緑色で、裏は淡緑色である[3]。葉柄は5-8ミリメートルである[3]。
分布
松山市をはじめ愛媛県では広く栽培されているほか、県外にも広がっているが[2][3][5]、東京周辺では珍しい[5]。前述の通り不稔性であることから、接ぎ木によって広められている[4]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k 永田洋・浅田信行・石川晶生・中村輝子編 『さくら百科』 丸善株式会社、2010年、p. 270
- ^ a b c d e f g h i j k 勝木俊雄 『フィールドベスト図鑑 10 日本の桜』 株式会社学習研究社、2001年、p. 168
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 川崎哲也 『山渓セレクション 日本の桜』 山と溪谷社、1993年、p. 148
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 愛媛新聞社愛媛県百科大事典編集委員室編集 『愛媛県百科大事典 下巻』 愛媛新聞社、1985年、p. 164
- ^ a b c d e f g h i j k l 伊藤健「東京農大農学部植物園から(25) ツバキカンザクラ」『新・実学ジャーナル』第118号、学校法人東京農業大学戦略室、2015年、6頁。
- ^ 八木繁一(1893~1980) 愛媛の偉人・賢人の紹介 - 愛媛県生涯学習センター
参考文献
- 伊藤健「東京農大農学部植物園から(25) ツバキカンザクラ」『新・実学ジャーナル』第118号、学校法人東京農業大学戦略室、2015年、6頁。
- 愛媛新聞社愛媛県百科大事典編集委員室編集 『愛媛県百科大事典 下巻』 愛媛新聞社、1985年。
- 勝木俊雄 『フィールドベスト図鑑 10 日本の桜』 株式会社学習研究社、2001年。
- 川崎哲也 『山渓セレクション 日本の桜』 山と溪谷社、1993年。
- 永田洋・浅田信行・石川晶生・中村輝子編 『さくら百科』 丸善株式会社、2010年。
関連項目
警告: 既定のソートキー「つはきかんさくら」が、その前に書かれている既定のソートキー「やき しけいち」を上書きしています。 Category:桜 植つはきかんさくら
新規記事供給とブロック解除について
さっそくの新規記事投稿ありがとうございます。さらには執筆途中のものも幾つかあるとのことで今後も投稿が予定されているようです。今回のブロックの理由となった新記事投票からの離脱が約束されれば連携作業上では特に問題はないと思いますし、新着エントリークラスの継続的な供給はとても魅力的です。ご本人はブロック解除を希望されていますが、皆様のお考えはいかがでしょうか?--Triglav(会話) 2016年10月2日 (日) 19:25 (UTC)
- 解除 対応するブロック依頼が見付からなかったので戸惑いましたが、本人の弁によれば不手際を勘違いされてブロックされたようですし、今後係かる場所には近寄らないとのことなので問題は再現しないと考えます。しかも真面目に立項執筆までなさって………解除こそ適切と考えます。なお利用者:甘薄荷氏には、同一文献から異なるページを出典とする個所がある多い場合はハーバード方式等の個別参照法が一覧性も高く色々と便利である旨をお伝えし、ささやかながら応援とさせて戴きます。--世界最狂の魔法使いCray-G(会話) 2016年10月2日 (日) 20:11 (UTC)
- 甘薄荷様へ。本来なら、生物プロジェクトの末席を汚すメンバーとして同好の士に対し、また善意にとって解除票としたいのですが、LTA:SHINJU(正確にはWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック/ソックパペット#真珠王子系で報告されている利用者群ですが)に現在進行系でイヤガラセを受けている身としては、非常に懐疑的になっています。そこで質問させて下さい。初回編集から素晴らしい記事を作成されていますが、これは何も見ずに初心者が作れるレベルではありません。Wikipediaの方針・ガイドラインを熟読された事だと察しますが、この会話ページ一番上のガイドブックより読み進められた結果、記事お吉泉を作成されたのでしょうか?あるいはこのアカウント以前にもWikipediaでの編集経験があったのでしょうか?次に、[1]との事ですが、誰も貴方の会話ページに知らせたわけでもないのに、なぜ選ばれた事を知ったのでしょうか?「Yassie様が更新作業ができなくなったというのを見た」との事ですが、これはどこのノート(あるいは記事など)でしょうか?また、Yassie様の存在をどのタイミング御存知になられたのでしょうか?以上不躾ではありますが、御回答頂ければ幸いです。--JapaneseA(会話) 2016年10月2日 (日) 21:17 (UTC)
- (回答は決まっているので代行します)「LTA:SHINJUなんて知りません。自分の新規記事がエントリーされて投票に興味を持ったのですが、そこで毎晩集計してくださるYassie氏を知ってお手伝い差し上げようとした次第です」といったところです。
- (ここからは別次元の話ですので甘薄荷様自身は理解する必要はありませんし、この件について答えるべきではありません。)仮にLTA:SHINJUだとしても、どうせ新アカウントに乗り換えるのだから同じ事という意味で、クリーンスタートをお勧めしておきました。変なところに興味を抱いて管理者にメールを送りつけてくるその意図はつかめませんが、管理者としては通例どおり貢献を示していただこうと、恒例の新規記事の作成をお願いしました。SHINJU氏がどこまで関心を持ち続けてくれるのかわかりませんが、善玉アカウントとして使っていただけるのなら拒絶するまでもないなとの考えに至りました。それに完成した2つの記事を放置し続けておくのはもったいない・・・--Triglav(会話) 2016年10月3日 (月) 04:10 (UTC)
- JapaneseA様に回答します。Wikipediaの方針・ガイドラインも少し読みましたが、お吉泉の記事は他の泉とか池の記事を参考にして作りました。最初の地図とか出典の節から最後までとか脚注の使い方とかは、他の泉や池の記事をコピペして使いました。何個か組合わせて使いましたけど、どの記事だったか覚えてません。すみません。アカウント以前にWikipediaでの編集経験は、アカウントを作らないで二三回誤字脱字を編集した事があります。確かテレビ番組の記事だったと思いますけど、具体的に何の記事だったかは覚えていません。すみません。
- 次に、新記事投票所で選ばれた事を知ったのは、Wikipediaを編集しようとした時にメインページにオキチモズク属が載っているのを見て知りました。それで調べたら、気付かない内にお吉泉も選ばれていた事を知りました。そのあとオキチモズクが推薦されたので投票もしようと思ったのですが回数が足りなくて投票できなくて見ているだけでした。しばらくして「更新をしてくださる方を募集」という提案が出ているのを見つけてWikipedia‐ノート:メインページ新着投票所/新しい項目候補を読んでYassie様が更新していた事と更新できなくなった事を知りました。それまでは自動で更新されてると思っていました。それで更新作業をしてみたのですが、ミスをしてブロックされました。
- 回答は以上です。--甘薄荷(会話) 2016年10月5日 (水) 11:51 (UTC)
- Triglav様へ。この場で解除・継続の投票も行うのですか?--JapaneseA(会話) 2016年10月2日 (日) 21:17 (UTC)
- 正式な解除依頼は提出します。ここでの賛成反対の意思表明は承ります。人数把握と反対者との条件調整をさせてください。--Triglav(会話) 2016年10月3日 (月) 00:05 (UTC)
- 上記記事を拝読いたしました。以前新着投票所で拝見した記事同様、質の高い記事に仕上がっていると思います。編集に復帰されたら記事執筆で貢献していただける方だとは思います。しかしながら甘薄荷さんのブロック理由は「sockpuppet: LTA:SHINJUまたは模倣行為」ですので、そこの疑念が晴れなければブロック解除には賛成できません。LTAであるならば、どんなに良い記事が書けることを示しても、どんな条件を付けても、解除されるべきではありません。逆にLTAでないのであれば直ちに解除されるべきで、解除申請文に書かれているような条件を付けるべきではありません。他のブロック理由なら話は別ですが、LTAとしてのブロックに対して「条件を守ると約束したから解除」という判断はありえないのではないかと思います。いずれにしても、判断材料が少なすぎて一般ユーザーにはLTAであるか否か判断できません。正式な解除依頼を出される際には、ブロックした管理者の方から(可能ならチェックユーザーの方からも)説明がほしいと思います。--だぶるすてっち(会話) 2016年10月3日 (月) 02:12 (UTC)
- なにかお忘れになってませんか? 新記事投票には半年間出入りしないと宣言しています。活動再開時には許可をもらうことも言っています。別のトラブルの懸念でもお持ちですか?--Triglav(会話) 2016年10月3日 (月) 04:15 (UTC)
- LTAであるならば、どんな条件を約束しても解除されるべきではないと私は考えます。きちんと過去の長期荒らし行為について謝罪と反省をした上で、元のアカウントで解除を目指すのが筋だと思います。ただ、Triglavさんがそこまでおっしゃるのであれば、解除依頼を出してコミュニティに諮ることまで反対するものではありません。最終的にはコミュニティの判断に委ねます。--だぶるすてっち(会話) 2016年10月3日 (月) 05:09 (UTC)
- 問題点は、ブロック理由のLTAの行動に類似性の確度がどの程度あったかという点にあります。賞レースへのあやしい参加姿勢に問題があるというのなら、私も含めて賞レースに参加している全ての人物を疑ってみるべきでしょう。特にLTA:SHINJUの常套手段である、デビュー当初に数件の大型記事を投入し、その後、賞レース界隈に入り浸るというパターンに合致する人は、真っ黒ということになりそうです。程度の問題ですので、その黒っぽい部分を物理的に取り除くことができれば、遠めに見て白っぽくなります。黒を減らす(賞レースから離れる)、白を増やす(新規記事を投入する)この2とおりを全ての参加者が実践してLTAとの類似性を薄めていかなければなりません。--Triglav(会話) 2016年10月3日 (月) 09:02 (UTC)
- その基準で行くと私は真っ黒ですね(苦笑)。LTA:SHINJUに詳しくありませんしよく調べたわけでもありませんが、私が新着投票所に関わるようになって以降にLTA:SHINJUとしてブロックされたアカウントで「デビュー当初に数件の大型記事を投入」しているという例を甘薄荷さん以外存じ上げませんが。
- 「問題点は、ブロック理由のLTAの行動に類似性の確度がどの程度あったかという点にあります」については完全に同意見です。であればこそブロックした管理者の方が何をもって甘薄荷さんを「sockpuppet: LTA:SHINJUまたは模倣行為」と判断したのかは知りたいところです。その「確度」が妥当なものであれば、LTAではないことを甘薄荷さんが証明することは容易ではないでしょう(LTAだったとしても解除されるべきとするTriglavさんの立場からすれば、そんなことを証明する必要はないということかもしれませんが)。逆に甘薄荷さんがLTAであるとする根拠が薄弱なものであったのなら、冤罪被害者に対して一般利用者にはない制限を課すことは正義に反すると私は思います。--だぶるすてっち(会話) 2016年10月3日 (月) 10:21 (UTC)
- だぶるすてっち氏の仰る通りかと思います(はじめて意見が一致しましたね)。LTAであれば解除すべきではないし、LTAでなければいかなる制限も不要だと私も思います。先の私の質問は、それを判別する要素にしようと思っていました。ぜひ、甘薄荷様ご本人に回答頂きたく思います。YES、NOだけでなく「わからない」「知らない」や回答しないも、回答です。未来永劫善玉アカウントとして標準名前空間だけで活動してくれるのであれば、それがLTAだろうと目を瞑る事にやぶさかではありませんが、LTA:SHINJUであれば、ある日突然私を不当に攻撃してくるかもしれないので、安易に解除票を入れる事ができません(実際、現在進行形でこのような事が起こっています)。一方、LTAでない方に継続票とするのは避けたいところです。よって繰り返しますが、先の質問の回答を御願いします。勿論「回答しない」も回答です。--JapaneseA(会話) 2016年10月3日 (月) 11:12 (UTC)
- 本人からの回答を求めておいでなら、そのままお待ちください。きっと次の新記事の投稿のときに回答いただけるでしょう。JapaneseA様ご懸念の「不当に攻撃(具体的には手続きやルールの不備を突いたリバート)」を行わないことについても甘薄荷様に宣言していただくことは可能かと思います。
- 賞レース参加については誰があやしいという詮索はしたくありません。投票活動を行うすべての皆様が自戒すべきことと思っています。投票活動は残念ながら生産ではなく消費のようです。消費分を補うための生産を皆様一人ひとりで実践しましょう。確度不明な状況でブロックが実施され、新たに生まれた記事を活かすために、確度不明なブロックを解除しようとしています。白黒はっきりさせようという考えはこの世界では無理な話です。--Triglav(会話) 2016年10月3日 (月) 12:09 (UTC)
- 上で回答しました。それと、「不当に攻撃(具体的には手続きやルールの不備を突いたリバート)」の懸念について「編集上のリバート(差し戻し)は行わず、代わりにノートで意見する」事を宣言します。--甘薄荷(会話) 2016年10月5日 (水) 12:03 (UTC)
- だぶるすてっち氏の仰る通りかと思います(はじめて意見が一致しましたね)。LTAであれば解除すべきではないし、LTAでなければいかなる制限も不要だと私も思います。先の私の質問は、それを判別する要素にしようと思っていました。ぜひ、甘薄荷様ご本人に回答頂きたく思います。YES、NOだけでなく「わからない」「知らない」や回答しないも、回答です。未来永劫善玉アカウントとして標準名前空間だけで活動してくれるのであれば、それがLTAだろうと目を瞑る事にやぶさかではありませんが、LTA:SHINJUであれば、ある日突然私を不当に攻撃してくるかもしれないので、安易に解除票を入れる事ができません(実際、現在進行形でこのような事が起こっています)。一方、LTAでない方に継続票とするのは避けたいところです。よって繰り返しますが、先の質問の回答を御願いします。勿論「回答しない」も回答です。--JapaneseA(会話) 2016年10月3日 (月) 11:12 (UTC)
- 問題点は、ブロック理由のLTAの行動に類似性の確度がどの程度あったかという点にあります。賞レースへのあやしい参加姿勢に問題があるというのなら、私も含めて賞レースに参加している全ての人物を疑ってみるべきでしょう。特にLTA:SHINJUの常套手段である、デビュー当初に数件の大型記事を投入し、その後、賞レース界隈に入り浸るというパターンに合致する人は、真っ黒ということになりそうです。程度の問題ですので、その黒っぽい部分を物理的に取り除くことができれば、遠めに見て白っぽくなります。黒を減らす(賞レースから離れる)、白を増やす(新規記事を投入する)この2とおりを全ての参加者が実践してLTAとの類似性を薄めていかなければなりません。--Triglav(会話) 2016年10月3日 (月) 09:02 (UTC)
- LTAであるならば、どんな条件を約束しても解除されるべきではないと私は考えます。きちんと過去の長期荒らし行為について謝罪と反省をした上で、元のアカウントで解除を目指すのが筋だと思います。ただ、Triglavさんがそこまでおっしゃるのであれば、解除依頼を出してコミュニティに諮ることまで反対するものではありません。最終的にはコミュニティの判断に委ねます。--だぶるすてっち(会話) 2016年10月3日 (月) 05:09 (UTC)
- なにかお忘れになってませんか? 新記事投票には半年間出入りしないと宣言しています。活動再開時には許可をもらうことも言っています。別のトラブルの懸念でもお持ちですか?--Triglav(会話) 2016年10月3日 (月) 04:15 (UTC)
- 利用者ページおよび利用者会話ページでの記事作成は通常ページと違った扱いがあるのはご存知?そのあたりの読み込み程度も賛否の判断基準になり得ますよ。--Vigorous action (Talk/History) 2016年10月3日 (月) 12:13 (UTC)
- その辺を解説いただけますと助かります。--Triglav(会話) 2016年10月3日 (月) 12:35 (UTC)
- そこを見いだして理解してこそ、ブロック解除につながるかと思いますが?--Vigorous action (Talk/History) 2016年10月3日 (月) 12:40 (UTC)
- ご自身では解説したくないということですね。わかりました。--Triglav(会話) 2016年10月3日 (月) 12:48 (UTC)
- 端的に言えば、各種方針とガイドラインに従って無いということです。--Vigorous action (Talk/History) 2016年10月3日 (月) 13:39 (UTC)
- 具体的にお願いします。もしかすると、そちらのほうが改定が必要になるかもしれません。--Triglav(会話) 2016年10月3日 (月) 13:51 (UTC)
- いえいえ、そちらの方は改定は必要在りません。なぜならこのページにあることが不適切なものですから。このページにも現在も不適切なものが表示されてる状態です。--Vigorous action (Talk/History) 2016年10月3日 (月) 13:58 (UTC)
- 具体的文言は示されませんが、この会話ページの不整合を解消させたいのなら、解除を求めて執筆活動を再開させることです。ご自身も協力者として評価されることでしょう。--Triglav(会話) 2016年10月3日 (月) 22:38 (UTC)
- いえいえ、そちらの方は改定は必要在りません。なぜならこのページにあることが不適切なものですから。このページにも現在も不適切なものが表示されてる状態です。--Vigorous action (Talk/History) 2016年10月3日 (月) 13:58 (UTC)
- 具体的にお願いします。もしかすると、そちらのほうが改定が必要になるかもしれません。--Triglav(会話) 2016年10月3日 (月) 13:51 (UTC)
- 端的に言えば、各種方針とガイドラインに従って無いということです。--Vigorous action (Talk/History) 2016年10月3日 (月) 13:39 (UTC)
- ご自身では解説したくないということですね。わかりました。--Triglav(会話) 2016年10月3日 (月) 12:48 (UTC)
- そこを見いだして理解してこそ、ブロック解除につながるかと思いますが?--Vigorous action (Talk/History) 2016年10月3日 (月) 12:40 (UTC)
- そんな方針の重箱の隅を知ってるより良質な記事を書ける人が大事だと思います。Vigorous action様はどんな記事を書いたことありますか?--180.235.55.93 2016年10月3日 (月) 15:28 (UTC)
- IPさんもがんばれよ--Triglav(会話) 2016年10月3日 (月) 22:13 (UTC)
- すみません。存知ません。ごめんなさい。--甘薄荷(会話) 2016年10月5日 (水) 12:09 (UTC)
- その辺を解説いただけますと助かります。--Triglav(会話) 2016年10月3日 (月) 12:35 (UTC)
- 解除 解除依頼が出されたら私は解除票を投じるでしょう。執筆したいという方(しかも良い記事をかける方)をブロックし続けるのは最高の百科事典を作るウィキペディアプロジェクトの理念からかけ離れていますし、Triglavさんにもそれなりの根拠があるのでしょう。CUに連絡した方がいいと案内した管理者の方も適切な判断だと思います。それに、是非会話ページへ投稿された記事を標準空間に御自身の手で投稿して欲しい。
- vaさんの言ってるルールはWikipedia:利用者ページ#カテゴリ、テンプレート、リダイレクトでしょうかね?記事の下書きで気をつけることと言えばカテゴリですが、気がついたなら御自身で修正してあげれば良かったと思います。今回はIPさんがやってくれていますが。--Mirinano(会話) 2016年10月4日 (火) 10:05 (UTC)
- 解除 実際に良質な新規記事を投稿可能な状態でこちらに提示されており、記事内容を見れば今後もこのような良質記事の供給が可能であることは誰が見ても明らかであると思います。だぶるすてっちさんは上の方で「LTAであるならば絶対にブロック解除してはならない」といった内容のことを意見しておいでですが私は逆で、JAWPに於いてはWP:BANは方針化されておりませんので、過去にそのような理由に於いてブロックされていても、良質記事を安定して供給可能なこと、実際にそのような記事を資料から起こして執筆為されていること(それなりの苦労をして記事草稿を執筆なされたことに敬意を払います)、問題点に気づきそれに近寄らない、という約束をしていること、の2点に於いて「再度信用する期間を与え動向を見守るために編集権限を返しても良い事例にあたる」と考えました。◆今後同様に過去に無期限ブロックとなったような行いを再発させるようなことがあれば、他のブロック依頼よりもより早期で再度無期限ブロックに至る可能性は依然として残るわけですから、他利用者よりも遥かに強力に自身を律して今後ずっと編集活動して行かなければならないリスク、という本人にとってのみ有効となる爆弾を抱えたまま編集活動を再開するということで、過去の行いの全てが完全に許される、というような状況ではありませんこと確実ですし一旦解除、という選択をしても良い、と考えます。--Nami-ja(凪海) (会話 / 履歴) 2016年10月5日 (水) 16:40 (UTC)