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2016年6月8日 (水) 01:38時点における版
六代目 三遊亭 円楽 | |
三ツ組橘は、5代目圓楽一門の定紋である。『笑点』で着用している着物の紋も同様。 | |
本名 | 會 泰通(あい やすみち)[1] |
---|---|
別名 | 三遊亭圓楽 三遊亭楽太郎(旧名) 楽さん ラッキー らっきょう |
生年月日 | 1950年2月8日(74歳) |
出身地 | 日本 東京都墨田区 |
師匠 | 5代目三遊亭圓楽 |
名跡 | 1. 三遊亭楽太郎(1970年 - 2010年) 2. 6代目三遊亭円楽(2010年 - ) |
出囃子 | 元禄花見踊 |
活動期間 | 1970年 - |
活動内容 | 古典落語 |
配偶者 | あり |
家族 | 会一太郎(長男) |
所属 | 落語協会(1970年 - 1978年) 落語三遊協会(1978年 - 1980年) 大日本落語すみれ会→落語円楽党→落語ベアーズ→円楽一門会(1980年 - ) |
受賞歴 | |
放送演芸大賞最優秀ホープ賞 | |
備考 | |
円楽一門会幹事長 | |
6代目 三遊亭 円楽(ろくだいめ さんゆうてい えんらく、本名:會 泰通(あい やすみち)、1950年2月8日 - )は、東京都墨田区出身の落語家。円楽一門会所属。2010年3月1日、初名の三遊亭楽太郎(さんゆうていらくたろう)から師匠の名跡である6代目三遊亭圓楽を襲名。しかし、「落語界では旧字体の<圓>の字をよく使うが、常用漢字の<円>で通す」[2]と表明しており「三遊亭円楽」を名乗るという。
出囃子は師匠5代目三遊亭圓楽と同じ『元禄花見踊』(以前は『花が咲き候』を使用)。墨田区立両国中学校、東京都立深川高等学校、青山学院大学法学部卒業。長男は落語家、声優の会一太郎(落語家としての名称は三遊亭一太郎)。
芸歴
- 1970年4月 - 青山学院大学法学部在学中に5代目三遊亭圓楽の鞄持ちのアルバイトに志願、暫くの付き添いを経てスカウトされ入門、楽太郎を名乗る。当時落語研究部に所属、発表会で兄弟子三遊亭楽松(現:三遊亭鳳楽)に会っており、入門前から面識があった。
- 1972年3月 - 青山学院大学法学部卒業
- 1976年7月 - 二つ目昇進。
- 1977年8月28日 - 師匠5代目圓楽の弟弟子6代目三遊亭圓窓の後任として『笑点』レギュラーとなる。師匠5代目圓楽卒業で欠員が出ていたため師匠5代目圓楽が着ていた薄紫の色紋付を着用することとなった。ちなみに圓窓が着用していた桃色の色紋付を着用したのは同じく新メンバーとして加わっていた三笑亭夢之助(2年後卒業)である。現在同色の色紋付を着用しているのは、その後任となった初代林家木久蔵(現:林家木久扇)の弟弟子の林家九蔵(現:三遊亭好楽)である。
- 1978年 - 落語協会分裂騒動で師匠と共に脱退し、落語三遊協会所属となる。
- 1979年1月 - 放送演芸大賞最優秀ホープ賞受賞。
- 1980年 - 落語三遊協会解散。大日本すみれ会(現:円楽一門会)所属となる。
- 1981年1月 - 若手落語家努力賞受賞。
- 同年3月 - 真打昇進。
- 2010年3月1日 - 6代目三遊亭圓楽を襲名
6代目圓楽襲名
2008年8月、師匠・5代目三遊亭圓楽から、楽太郎が還暦を迎える2010年2月に三遊亭圓楽を6代目として襲名をすることが明らかとなった(当時は、60歳を迎えるのが2010年の2月で、真打昇進したのが1981年の春3月であったため、その頃を目処にという表現をしていた)。楽太郎は「圓楽の名跡は師匠(5代目三遊亭圓楽)が大きくしたもの。5代目・6代目はよかったねといわれるよう精進したい」と語った。
しかし、自らが関わっている「博多・天神落語まつり」を直前にした2009年10月29日朝、師匠5代目が肺癌で死去。プロデューサーという立場上、既に現地入りしていたため、師匠の最期には立ち会えなかった(2009年9月3日に、長男の一太郎を伴って、5代目圓楽の自宅へ自分の弟子にしたと挨拶に訪問したのが直接対面した最後だったとのこと。この日は大師匠である6代目三遊亭圓生の誕生日と命日でもあり、墓参りもしていたとしている)。翌日の開幕式では気丈に振舞っていたものの、師匠を失い、襲名披露に立ち会ってもらえなくなったという精神的ショックは大きく、報道陣に対しては自筆のコメントペーパーを出すのが精一杯だった。その後も、仕事で地方廻りがあったため、悲しみの対面は、一門による通夜が行われた11月4日となった。
2010年2月28日放送の『笑点』にて「六代目円楽襲名披露口上」を行い、翌3月1日より正式に6代目圓楽を襲名した。次いで、襲名披露パーティーと記者会見を3月2日、東京千代田区・帝国ホテルにて開催した。襲名披露公演は全国各地で行われる他、2010年3月下席から4月中席まで落語芸術協会(桂歌丸会長)の定席興行(新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場)でも開催される。これは楽太郎の要望に応じた芸術協会の協力により実現した。定席への出演は32年ぶりとなる。また、同年5月31日には、横浜市の三吉演芸場で行われた歌丸一門会でのトリを務めることになった(圓楽曰く、「アウェイ」)。
歌丸は「当代(6代目圓楽)は当代、先代(5代目圓楽)は先代と、別の圓楽としてみて欲しい」とコメントし、6代目自身は「あくまでも『圓楽』とは師匠のことであり、自分のことは『六代目』を頭に付けてね」とコメントしている。
笑点のオープニングでは2010年2月28日から2016年5月8日の放送まで「六代目」の寄席文字が入っていた(英語標記も、6th SANYUTEI ENRAKUとなっていた)。
後述のように、襲名と同時に師匠(5代目圓楽)が担当していた日本香堂・毎日香のCMナレーションも継承している。
エピソード
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- しばしば、政治的批判、社会風刺ネタを行う。また東祥三とは長い付き合いがあり応援をしている[3]。
- 父は警視庁警察官。その父への反抗心からか学生時代にはブントに所属し学生運動にも参加していたが、「ユートピアを追うことに疲れ、そのときに落語を聞き返したところ、その中にユートピアがあることを発見し、落語に生きることにした」[4]と語っている。
- 楽太郎の名は大師匠6代目圓生が付けたものであり、真打昇進の際にも改名を拒んだという[5]。
- 20歳で圓楽に弟子入りし、概ね5年ごとに節目を迎えてきたため、いつしか「5年計画」で物事を進めるようになった。そのため、圓楽襲名の話が師匠からあった際も、すぐにというわけではなく、その5年ごとの節目にもあたる60歳に、という意向で、6代目圓楽襲名の話を進めることになったと語っている。
- 若手の頃は瀬古利彦に顔が似ているということで、瀬古の物真似でテレビ出演することが多かった。『笑点』の大喜利のネタでも瀬古の物真似をやっていたが、35歳を迎える1985年正月より「落語で勝負したい」として瀬古の物真似を封印する。それから数年が経ち、瀬古の方から「楽太郎に似ている」ことを話のネタにするという逆転現象となった。現在も交流があり、2010年3月の6代目圓楽襲名パーティーにサプライズゲストとして瀬古が出演した。実際には圓楽のほうが年上である。
- 最初の弟子は後に放送作家となる石田章洋(門下当時は花楽京)、二番目はタレントの伊集院光(門下当時は楽大)であるが、いずれも落語家を廃業、転職している。
- 2007年より「博多・天神落語まつり」のプロデュースを手がけており、東西の大物落語家(2008年には、『笑点』の司会者でもある落語芸術協会会長の桂歌丸はもちろんのこと、各落語家団体の会長のそろい踏みも実現している)なども登場する一大イベントとなっている。
- 楽太郎時代(30代の後半頃)酔っぱらって高校の同級生が複数経営していた寿司屋の六本木の店舗で板前を外に出して、勝手に寿司を握る等暴挙が原因でその店舗の経営がガタ落ちし、閉店する事になった[6]。
- プロレスファンとしても知られる(天龍源一郎は中学時代の同級生)。特に全日本プロレス・ジャイアント馬場との親交は深く、リングサイドで観戦中客席に向かって唾を吐こうとする永源遙に向け輪ゴムを飛ばすシーンが全日本プロレス中継で放映された。また、馬場死去の際に応じたインタビューでは涙を流して馬場の事を(圓楽の方が歳下であるものの親しみを込め)「正平」と呼び捨てにしていたことを明かし、「馬場さんの中には小さな馬場さんがいっぱいいて細やかな気遣いのある人でした」と言葉を詰まらせながら語った。また、ウルティモ・ドラゴンが立ち上げた闘龍門の理事長を務めたこともあった。
- プロレス以外のスポーツでは、かつて楽太郎時代に「おはよう!ゲートボール」で審判員として出演した経験があり、ゲートボール審判員の資格を持っている。
- 先代の圓楽と三遊亭圓丈とは落語協会脱退後に袂を分かつ状態となったため特段の交流がなかったのであるが、2013年の圓丈の著書「落語家の通信簿」について圓楽が誤認を指摘して増刷時に修正されたのを機に意気投合し2014年に合同落語会「さんゆう(三遊)の雪解け」が開催されることとなった[7]。
- 円楽一門が落語協会にいた時代から落語家であるが、実は1990年頃、落語立川流に非落語家の著名人枠(立川流Bコース)に入門していたことがある。あくまで円楽一門会所属の落語家である故に、プロ落語家として落語家団体の二重加盟を避けたためであると思われるが、7代目(5代目)立川談志との交流関係を伺わせるエピソードである。[8]
大喜利メンバーとして
- 1977年8月から『笑点』の大喜利に出演している(入門直後から5代目圓楽の付き人・裏方として番組に関わっていた)。
- 笑点で着用している色紋付の薄紫色は、師匠5代目圓楽が大喜利メンバー時に着用していた色と同じである。
- キャラクターとしては、インテリ[9]、腹黒[10]、友達がいないキャラを担当。
- 「腹黒」に関してはかつてノベルティーグッズとして『腹黒時計』なる物を制作していた事があり、時計の一部は弟子筋にも配布されている[11]。
- 5代目圓楽が司会になって以降、歌丸との罵倒合戦を繰り広げており、歌丸が司会に就任して以降は前述の政治批判や時事ネタを活かして座布団を獲得するも、罵倒ネタ(主にジジイネタ・臨終ネタなど)を用いて(まれに他の回答者を巻き込んで)全部没収されてしまうことがしばしばある。番組内では犬猿の仲だが、若手時代にネタに困っていた6代目圓楽に歌丸が「俺のことでもいいから」とアドバイスしたのが罵倒合戦の始まりであり、円楽曰く「罵倒ネタを用いた際は収録後に謝るようにしている」。普段では歌丸とは仲が良く、2人会等共演も多くメキシコで一緒に海外公演を行った。6代目圓楽襲名の際、5代目が逝去していたこともあって歌丸が後見人を引き受け、襲名披露を定席興行で実現させた。冒頭のあいさつでも歌丸を尊敬している旨や父が3人(1人目は実父、2人目は師匠五代目圓楽、3人目は歌丸)をと言うほどである。また、五代目圓楽一門と歌丸のつながりはただの笑点仲間としてだけではなく、所属する協会が違う(円楽は5代目圓楽一門会の幹事長、歌丸は落語芸術協会の会長)にもかかわらず落語の寄席の確保などでも緊密な連携をしている。
- 兄弟弟子(好楽のほうが年上だが5代目圓楽への入門が遅いので、一般的には好楽は6代目圓楽に対しては兄弟子で通っているが弟弟子という解釈もできる)である好楽が運営する池之端しのぶ亭は笑点のネタにおいて潰れるなどと多用している(建前は罵倒だが本音は罵倒ではなく自らを含む5代目圓楽一門会の寄席に来て欲しいという宣伝も含まれている)が、円楽一門会の寄席のお江戸両国亭が工事などで使用不可になった際は、しぶしぶ使っている。
- 楽太郎時代は師匠5代目圓楽が作った寄席の若竹が潰れた、などの罵倒ネタを歌丸とともに多用していた。
- 歌丸やブラック団の絡みだけでなく、三遊亭小遊三との絡みが増えている。番組だけでなく寄席で落語の『代書屋』天野幸夫伝(小遊三の本名)[12][13]を披露している。
出演
テレビ
- 笑点(日本テレビ系列、1977年8月28日- )BS日テレの笑点特大号や笑点デラックス含む
- ハッピーリビング(テレビ埼玉、1979年-1981年)
- おはよう!ゲートボール(テレビ朝日系列、準レギュラー)
- おはようテレビ朝日(テレビ朝日、1985年)
- メイコとあなたの税ミナール(フジテレビ系列、1989年4月-1996年3月 国税庁提供)
- 怪傑!ドクターランド(MBS・TBS系列、1992年10月-1993年3月)
- クイズプレゼンバラエティー Qさま!!・プレッシャーSTUDY(テレビ朝日系列、不定期出演)
- SUPER SURPRISE(日本テレビ系列、2009年4月-12月 水曜コメンテーター→2010年1月-3月 月曜コメンテーター)
- 天才をつくる!ガリレオ脳研(テレビ朝日系列、2009年11月-2010年8月・2010年12月- 「ガリレオ謎かけ」出題者)
- 脳活研(テレビ朝日系列、2010年4月17日・4月24日)
- 新感覚ゲーム クエスタ(NHK総合、2010年10月28日 ゲスト)
- 日本の話芸(NHK総合、2010年11月9日 落語「鼠穴」を披露)
- らくごるふ(フジテレビワンツーネクスト)
- 雑学王3時間スペシャル(テレビ朝日、2011年3月24日 解答者)
- 円楽の大江戸なんでも番付(BS朝日、2015年4月30日 - 、司会)
- 林先生が驚く初耳学!(TBS)
- ダウンタウンなう (フジテレビ、2016年4月15日 ゲスト)
テレビドラマ
- ひらり(NHK連続テレビ小説、1992年10月5日-1993年4月3日) - 蛭田明夫
- 暴れん坊将軍
- VI・VIIシリーズ - め組小頭・卯之吉(テレビ朝日系列、1994年10月16日-1997年1月25日)
- IXシリーズ 第6話 だまされた男 芸者の吐息に仕掛けられた罠(1998年) - 宇太郎
- VIIでは桂歌丸が卯之吉(楽太郎)の父治助役で出演した。
- 寺子屋ゆめ指南(NHK、1997年)第6話 - お咲の父親・清兵衛
- 葵 徳川三代(NHK大河ドラマ、2000年) - 講談師
- 月曜ミステリー劇場「万引きGメン・二階堂雪6 逆恨み」(TBS系列、2001年4月9日)
- 金曜ロードSHOW! 特別ドラマ企画 家族、貸します 〜ファミリー・コンプレックス〜(日本テレビ系列、2012年7月27日) - 小橋明弘
- 鴨、京都へ行く。-老舗旅館の女将日記-(フジテレビ系列、2013年5月21日)第7話 - 東雲亭千雀
- 大江戸事件帖 美味でそうろう(BS朝日、2015年12月4日・5日) - 語り[14]
- TBS年末スペシャルドラマ 赤めだか(TBS系列、2015年12月28日) - 5代目三遊亭圓楽 役[15]
ラジオ
- エルフモーニングダッシュ 楽太郎のおいしい朝だよ(文化放送の早朝番組、1986年10月6日-1991年10月4日)
- HARAGURO ラジオ(文化放送・KBCラジオ、1997年-2000年)
- 伊集院光 深夜の馬鹿力(JRN、2001年6月18日ほか)
映画
CM
- マクドナルド(1970年代後半)
- 祐徳薬品工業(パスタイム 『きもちんよか〜♪』のCMで薬局の薬剤師の役で出演、1980年代前半)
- ヤマサ醤油 さしみしょうゆ(1984年)
- 松下電器産業(ナショナル パナスプレー 園芸用殺虫剤噴霧器、1980年代後半)
- 太洋技建(ポリマーライト、1990年代後半)
- 野村證券(株券電子化篇、2006年、木久扇と歌丸と共演)
- 日本香堂
- 代々木アニメーション学院(学院長を務めたが、経営難で離脱)
- サンコー食品(ヤマザワ系列の製乳業。※山形県/宮城県限定)笑点で宮城県/山形県で収録の際はネタにする
- 日清オイリオ
- 徳島カントリー倶楽部
- 東京団子(切り餅)
- サントリー
著書
- 『ジョーダンはよせ!』三遊亭楽太郎 広済堂出版 豆たぬきの本 1984
- 『楽太郎の麦ごはん健康法』リヨン社 1987
- 『楽太郎の実践トーク術 結婚式編』池田書店 1992
- 『失敗しない司会進行実例百科 結婚式・ビジネス・地域社会での司会をじょうずにこなす』三遊亭楽太郎 池田書店 1993
- 『楽太郎の実践トーク術 ビジネスライフ編』池田書店 1993
- 『こころの日向ぼっこ』三遊亭楽太郎 法研 1995
- 『失敗しない司会進行のコツと実例集』三遊亭楽太郎 池田書店 2003
共著
- 『楽太郎と税を語る 聞きたい知りたい税のこと』三遊亭楽太郎,小宮山隆著 ストーク 1997
- 『楽太郎と法人税を語る 聞きたい知りたい法人税のこと』三遊亭楽太郎,小宮山隆著 税務研究会出版局 1999
- 『六代目円楽と税を考える 知っておきたい税金の常識』三遊亭円楽,小宮山隆共著 法令出版 2010
CD
- 六代目三遊亭圓楽襲名記念 三遊亭楽太郎 十八番集(CD3巻組、特典:秘蔵写真フォトアルバム付)
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎 十八番集①(薮入り・お化長屋)
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎 十八番集②(禁酒番屋・死神)
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎 十八番集③(明烏・芝浜)
DVD
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集BOX(DVD3巻組、特典:秘蔵写真フォトDVD付)
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集①(薮入り・お化長屋)
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集②(禁酒番屋・死神)
- 六代目三遊亭円楽襲名記念 三遊亭楽太郎十八番集③(明烏・芝浜)
その他
- 1980年 - 、税務大学校講師
- 1991年9月、アメリカンM&N大学(ただしディプロマミル)より哲学・理学博士号(購入)
- 1992年11月、国税庁長官表彰
- 1994年4月 - 、栃木・中央福祉医療専門学校客員教授
- 1996年9月 - 、ハワイ・オアフパークゴルフ協会名誉顧問
- 2006年4月 - 、代々木アニメーション学院学院長に就任
一門弟子
落語以外の芸能に転向した弟子
- 石田章洋(三遊亭花楽京(一人目)、現在は『日立 世界・ふしぎ発見!』などの放送作家)
- 伊集院光(三遊亭楽大(一人目)、現・タレント、ラジオパーソナリティ)
なお、両名について円楽は身内ととらえている。一門会に出演させている他、石田の著書を『笑点』で宣伝したり[16]、伊集院とはテレビ・ラジオにおいて共演することがある。また、伊集院も円楽について現在も「師匠」と呼び、落語家時代の話をすることがある。
落語家以外の弟子
- 師匠のWエースが相次いで他界した後一門に属し、漫才協会員としての活動に加え、圓楽が出演する両国寄席等にてネタ見せの機会を増やす。又、自身の結成10周年記念イベントにも圓楽はゲスト出演し、モタレ(トリの前の出番)を務めた。
出典・脚注
- ^ マネジメントを行っているオフィスまめかなの公式サイトでは「会 泰通」となっている。DVD"炎の落語"内の「會 泰道」は間違い。
- ^ 新宿末廣亭2010年(平成22年)3月寄席だより
- ^ 三遊亭 圓楽さん 東祥三 応援動画 | 東 祥三 ホームページ 2013年4月14日閲覧
- ^ NHK あさイチ2010年4月9日放送
- ^ 圓楽の「楽」に長男を意味する「太郎」で楽太郎となった。なお、当時圓楽一門には兄弟子楽松(現:鳳楽)がいたが、楽松については6代目圓生の本名「松尾」の「松」を与えたとされている。
- ^ 2011年火曜サプライズの収録での圓楽の同級生本人のでの証言より
- ^ 円丈、円楽「さんゆうの雪解け」 YOMIURI ONLINE 2013年12月16日閲覧
- ^ 「談志が死んだ──立川流はだれが継ぐ──」(講談社、2003年)より
- ^ 笑点司会の昇太、実は消去法で決まった!? 6代目で初の独身司会者 スポーツ報知 2016年5月23日 2016年6月2日閲覧
- ^ 『笑点』の好楽がつまらない100の理由①ドヤ顔 マイナビニュース 2015年5月21日 2016年6月2日 閲覧
- ^ ☆コレですよぉ~☆ ニックス エミ・トモのブログ 2011年6月28日 2016年6月2日 閲覧
- ^ [1]
- ^ [2]
- ^ “円楽18年ぶり時代劇 語り役で江戸の文化や歴史の背景解説”. スポニチアネックス (2015年11月9日). 2015年11月9日閲覧。
- ^ “「赤めだか」二宮和也らが故・立川談志師匠に撮了報告”. ニュースウォーカー (2015年11月21日). 2015年12月7日閲覧。
- ^ 企画は、ひと言。公式サイト